花の守り手(3)
 飛行訓練の授業が終わってすぐ、手首を骨折してしまったネビルのお見舞いに行くことについて、強く申し出た紫乃だったが、治療中かもしれないことや薬の効果でネビルが寝ているかもしれないことを、白石や不二が話せば、しょんぼりと肩を落としながらも受け入れたようだった。

 骨を折った場合、その折れた部分を接合するため、骨の生成を助ける細胞を活性化させる魔法薬を飲まなければならない。すると、一時的に細胞を活性化させることになるので、半強制的に傷病者本人の体力は奪われてしまう。そのため、薬を服用するとすぐに眠りに落ちてしまう人間がほとんどである。
 眠りから覚めれば怪我や病気は治っている、という状態なので、魔法族の人間の大半は、「薬を飲んで寝れば治る」と考えている者が多いのだ。

 「明日になれば絶対に元気になっているんだから、大丈夫だよ」と幸村と不二が繰り返したことで、ようやく紫乃は小さく笑えるようになった。
 小さく笑えるようになった紫乃を見た白石が「なんやったらロングボトムクンが退院する時に花を渡したらいーやん? サプライズってこっちの人は好きなんやろ?」と提案し、続いて不二が実に名案だと頷いて、「これからスプラウト先生に会うんだから、先生にお願いすればお花を分けてもらえるかもしれないしね」と、便乗した。
 部活までの空き時間に、魔除けの木や植物を植えようという話にはなっていたが、もちろん生徒だけで勝手に学校の敷地は使用できないので、監督者としてハッフルパフの寮監であるポモーナ・スプラウトが参加することになっているのである。

「ナイスアイディアやで不二クン! そうと決まったら善は急げやで!」
 ニカっと笑って言った白石に、ようやく紫乃は笑って、走り出した白石に続いて走り出す。

「……毒草だけは却下しなきゃね。退院祝いのつもりで病院送りにしてしまったら意味がないよ」

 ぽつりと言った不二に、幸村は何度も頷いた。




 ────さて、ところ変わって、ホグワーツ校門付近にて。
 最初に声を掛けていた手塚はすでに来ている。他のメンバーには、柳、千石、紅梅、真田だ。授業の関係から、紫乃紅梅に声を掛ける事ができなかったのだが、偶然にも校門へと来る途中に会えたので、誘うことができたのである。
 紅梅が来るとなれば、行動を共にしている真田も必然的に参加することになる。便乗するのは千石だ。柳は、もともと今日のことを知っていて、幸村に参加の旨は告げてある。

 この場に乾が居ないのは、やなり腹の調子が思わしくないためだ。一方、跡部は家の仕事があるとのことだったので不参加である。しかし、主人の代わりのつもりか、マルガレーテと跡部家のしもべ妖精(兼執事)が誇らしく佇んでいた。
 監督者として教諭であるスプラウト先生は、にこにこと全員にスコップと軍手を配ってくれた。

「課外時間に、植物を植えようだなんてとても感心です」
 心から嬉しそうな笑みを浮かべて、スプラウトは全員に2点ずつ点数をくれた。
「今日の活動を先生に見ていただいて、もしも先生が生徒だけでも活動していいとおっしゃるなら、ゆくゆくは色んな植物を植えたいなあって」
 スプラウトの笑顔に負けないくらい、きらきらとした笑顔の不二が幸せな夢を語る。賛同する幸村、紫乃、白石に、これ以上ないくらいにスプラウトは満面の笑顔になった。

「花いっぱい運動とかしたいよね」
「そしたら花が好きな女の子もたくさん参加してくれるかもっ」
「女の子は花が大好きだからね!」

 幸村の言葉に、紫乃が手を叩いて喜んでいると、千石がデレデレと言った。
 締まりの無い表情に、真田が睨みを利かせているが、千石本人は女の子に囲まれてガーデニングする将来の自分に思いを馳せているのが忙しい様子である。
 「貫いているね、千石」と、不二は微笑んだ。

「では、今日は桃の木、南天、柊、万年青、その他、数種類のハーブと、危険性のない薬草を植えるということですが、これらの植物の特徴について1人ずつ答えてみてください」
 意図したわけではないが授業形式になってしまうのは、自然な成り行きであった。
 一番左端の真田が、唇を引き結び、答える。
「南天は、日本では庭木として植えられることが多いです。音が難を転ずるに通ずるので、縁起の良い木として、鬼門に植えると良いとされていると聞きました」
 手塚と同じく、真田の実家にも南天が植えられているので、さして困ることなく答えることができた。今は亡き祖母から教えられている知識も併せて答えられて、いささか誇らしいような気もする。

「福寿草とセットで、“災い転じて福となす”とも言われるさかい、一緒に育てるとええねんで」と、補足したのは白石だ。
 おっとりと頷いて、スプラウトも「葉は生薬にもなるし、食品の防腐剤としても使えます。実の方は有毒成分が多いので、注意が必要ですね」、と添えた。


 真田の後に、紅梅が続く。紅梅は桃の木についての特徴を述べた。内容は、日本の古事記に登場する話や桃太郎の話であった。朝に柳から聞かされたそれとほぼ同じ内容だな、と手塚は気付いた。
 しかし、柳の話と異なったのは、その後の補足である。それは、舞妓ならではの内容だった。

「舞妓の文化そのものが魔法て、たろセンセが言うてはったように、着飾りから魔法がはじまるよって」
 同じ女性として、これにはスプラウトの興味を惹いたようだ。また、日本独自の舞妓文化に大いに関心があったのも大きいかもしれない。
 杖を持った紅梅は、チョイと一振りしただけで、その杖は美しい桜が垂れさがった簪に変化した。

「舞妓は、季節ごとに簪をかえるん」
「春夏秋冬の全部?」
「それだけやのうて、12カ月ぜーんぶや」
「えっ、そんなに!?」

 驚いたような声を出したのは、千石だったが、他の面々の表情からその驚きに大差ないことを語る。
 四季単位ではなく、ひと月ごとに装いが変わるというのは、恐ろしく手間がかかる。しかし、装いから化粧から、すべてを整えてこその「魅惑」の魔法なのだ。
 特に、花柳界の女性の間では、髪の結い方や簪を装着する位置が重要になる。着装者の地位に準ずるためだ。
 正月には稲穂だが、1月には松竹梅。2月になれば梅、3月は桃や菜の花。4月は桜、5月に藤、6月の紫陽花。こういった具合に、1種類のみならず数種類の季節の簪を指し、京の小路を歩くのが彼女たちなのである。
 ほう、と感嘆のため息を洩らすスプラウトは、まるで素敵なドレスを着てうっとりする、乙女のような表情だった。

「今でこそ、簪の花の代表例に挙がっているが、それは祇園の花街が全国的に有名になったからに他ならない。3月の代表各といえば菜の花だったが、桃の花が代表的になったのは祇園の花街によるところが大きい。花街によっては桃の花を避けるところもあるからな」
「えっ、そうなの?」

 柳の言葉に、最初に桃の木を植えたいと提唱した紫乃が、ことさらに驚いた。
 桃は魔除けの木であり、日本神話にも登場するほど、その裏付けされた厄除けの力は凄まじい。円らな目をぱちぱちとさせる紫乃に、「だからだ」と柳が笑った。

「あからさまに魔を除ける桃は、“魔女”たちからすればお呼びでない、ということだ」

 ニヤリ、と美しく微笑を浮かべる柳に、ふふ、と妖艶に紅梅が微笑む。
 ────つまりは、そういうことなのだ。
 女性たちの世界こそ、舞妓の世界。その魔力に惹かれてこそ、独特の世界が築き上げられる。ゆえに、聖しか許さない桃は、花街によっては相容れないと考えられるのかもしれない。

「あくまで一概には言えないが。こればかりは、本当に花街次第、としか言えないからな」
 そう言って、柳は締めくくった。
「あと、桃の花ゆうたら桃の節句やけど、上賀茂神社で“桃花神事”ゆう儀式もあって、桃の花がお供えされるんえ」
 桃の節句といえば、お雛様を飾って楽しむ、女の子の楽しいイベント事と捉えている彼らからすれば、儀式という概念に馴染みがない。
「それに、3月は祇園の舞妓はんらは大忙しや」
「そうなの?」
「3月に入れば、彼女たちは“都をどり”の稽古に追われるからな」

 舞妓の姉を持つ柳が、言葉を添えた。
 都をどりとは、毎年4月1日から30日にかけて、京都の祇園甲部歌舞練場で開催される、祇園甲部の舞踊公演のことだ。明治時代から続くこの催しは、当時の舞台から考えれば革新的なものだとされる。その当時の新進であった井上流家元が、伊勢古市の「亀の子踊り」をヒントに、舞台に両側の花道を設えた。花道から同じ衣装の踊り子たちが登場して観客を驚かせたのは、有名な話である。
 以来、明治のスタイルを踏襲しながらも、毎年趣向を凝らすこの公演に、日本人はもちろんのこと、観光で訪れる外国人たちが、一度は見たい舞台として候補に挙げる。

「有名なんは都をどりやけど、北野をどりもあるんえ」

 付け加えられた紅梅の一言に、全員が舞妓の世界を前に圧倒され、その凄さを前にどう反応していいのかわからないでいるようだった。
 「そら忙しいのんもしゃーないわ……」と、同じ関西の白石がぽつりと洩らし、全員がうんうんと頷いたのだった。

 幸村、不二、紫乃、手塚、千石、柳、そして最後に白石がそれぞれ質問の答えを述べ、スプラウトは満足そうに頷いた。「日本人が勤勉だというのは、本当のようですね」と感心しきりといったような様子である。
 しかし、テニス部の彼らからすれば、植物が好きな面子はともかくとしても、活動の前に予習をしておくのは、当然の行動だったので、スプラウトがいかに褒めそやしても「当然だ」という姿勢を崩さないでいた。

「全員、梱包は解けましたか?」

 全員が頷いた。幹・枝部分に被されていたネットを慎重に外し、根鉢のビニールを取り除き終える。普通の植栽であれば、これといった注意も必要はないが、ここは「魔法の世界」だ。文字通り、魔法植物である木だって生きている。
 さっきから、微妙にうねっている木の根に、マグル生活の長い者たちは静かに驚いていた。手慣れた様子で、簡単な支柱を外す幸村や白石は、さすがといったところだろう。

「根が乾ききっているから水に浸さないと」
「水なら用意してあるよ」

 言いながら、幸村の用意したバケツには、やけに澄んだ水がたっぷりだった。
 「完璧なものじゃないけど、今回のために用意してみたんだ。ほら、俺、聖水を作るの得意だから」そう言った幸村の言葉通り、きらり、と光り輝く水は、聖水としては素晴らしい出来である。その出来栄えに、マルガレーテもフンと鼻を鳴らした。「まあまあじゃない」とでも言っているのだろう。あまりにもその姿が主人そっくりだったものだから、全員がほっこりしたような笑顔になる。

 幸村の用意した聖水をたっぷりと根鉢にかけると、心なしか桃の木がふるふると揺れたような気がした。もしかすると、喜んでいるのかもしれない。
 たっぷりと水をあげれば、いよいよ土へ埋める作業だ。
 穴を掘る作業なので、男の子たちがスコップを手に意気揚々と穴を掘り始める。

「……マルガレーテは、やらんのか?」

 穴掘りといえば、犬だ。犬なら喜んでやるだろうと思っていた真田が、疑問を口にした。
 しかし、マルガレーテはフン、とそっぽを向いた。人間で例えるなら、美女が男の告白に対して、あっさりと振るようなそれだった。

「わかってないなー、真田君」
 チッチッチ、と人指し指を振って、そう言ったのは千石だ。むっとする真田に、ビシッと指を突きつける。
「マルガレーテは雌だよ!? つまり女子! お・ん・な・の・こ! レディに力仕事をさせるって、紳士では、ありません!」
「!!!」

 わざわざ「女の子」を区切って力説した千石を前に、これ以上ないくらいに衝撃を受けたのは真田の方だった。千石の台詞に、マルガレーテは同意するかのように、満足そうに小さく吠える。「よくわかってるじゃない」と言っているようだ。
 そもそもマルガレーテの犬種である、アフガン・ハウンドは狩猟犬だ。持久力、跳躍力といった走力に優れるが、穴掘りが得意というわけではない。

「犬はみんな穴掘りが好きだと思ってるあたりが、偏見だよねー」

 聞こえよがしに、マルガレーテに「ねー」と言いながら、幸村が言った。「その通りよ」と言わんばかりに、マルガレーテが頷く。
 人間同然に意思疎通が出来るので、マルガレーテの不機嫌な姿を前にして、真田はなんともいえない顔である。三人目のマネージャーに、ツンとされてどうしたら良いものか。

「弦ちゃん、あんまりよう知らんかったん」
 「そやし、許したって?」お伺いするように、マルガレーテを見つめる紅梅
 紫乃もまた、「私もマルガレーテのこと、よく知らないや」と、おずおずと申し出た。言葉にこそしていなかったが、紫乃も犬だから穴掘り好きという認識があったため、マルガレーテに冷たくされている真田の姿は、なんだか他人事には思えない。

 すると、フーと息を吐き出し、ワフ、と小さく吠える。「しょうがないわね」そう言っているのかもしれない。
 次いで、真田に向かって短く吠える。「今回ばかりは、許してあげるわよ」といったところか。律儀にも、「すまん」とお辞儀をするあたり、真田の真面目さが伺える。

「……もうほんま、女版の跡部クンやな」
「……ああ。跡部を見ているような気持ちだ」
 ────が、傍から見ている白石と手塚としては、微妙な心境だった。もうマルガレーテが跡部にしか思えない。
「跡部と一番長い付き合いなのが彼女だそうだ」
 二人の表情を前に、柳がくすりと微笑みながら言う。

「お姉さん、って感じに見えるね」
「犬は成長が早いからな」

 不二の視線の先には、マルガレーテを撫でる紫乃の姿。どちらかというと「撫でさせていただいている」図で、「私の毛、綺麗でしょう?」と言いたげにマルガレーテは紫乃を見ていた。
 「わあ、ツルツル……! 指通りすごい! きらきらしてる……!」と、その毛艶や指通りに感嘆しっぱなしの紫乃に、マルガレーテは満更でもなさそうだった。
 しーちゃんよろしおしたなあ、と紅梅もまた大興奮の紫乃を温かく見守っている。



 十分な深さの穴を掘り終え、一同はいよいよ木を植える作業に移ることになった。この場で背丈が高い真田と柳が中心となって、苗木の幹をしっかりと支え、設置するポジションを決めて、押し込む。
 その間に、他のメンバーが全員で土をかぶせるのだ。火山の噴火口のような土手を作るように心がけ、土を盛っていく。こうすることで、水をあげた時に周囲に水が流れてしまわないようにする。そのため、文字通り「土手」であり、「水鉢」と呼ばれる。
 白石が持って来ていた如雨露で、水をジャバジャバと注いでいけば、ポコポコと空気が溢れ出た。水をやる幸村以外の面々は、木をぐるぐると動かす。次第に空気が出なくなり、さらに水を加え、木を真っすぐに直す。

「よくできました。あとは、水が引くまで少し休憩です」

 にっこりと言ったスプラウトは、魔法で全員の手を清めると、その場に大きなレジャーシートを出現させた。
 そこそこの数の植樹であったので、心地よい疲労感を味わっていた全員は、口許を綻ばせて靴を脱いで、レジャーシートにあがる。
 いつのまにかアフタヌーンティーの準備をしていたのは、跡部お抱えのしもべ妖精で、瞬きをすれば、ポン! とティーセットと菓子が用意された。「ホンマいつの間に!?」と声を出したのは白石だ。

「景吾ぼっちゃまからなのです」
 参加はしないが、労う。まさに大企業の社長の振る舞いである。さすがは、跡部家の直系長子。
 そんな跡部の心配りに、誰よりも早く受け入れたのは、もちろんマルガレーテで、とても幸せそうに犬用クッキーを食べる彼女に、全員が笑って、シートに腰かけたのだった。


 跡部からの紅茶は一級品の代物で、「こんな美味しいお紅茶は初めてだわ」と、スプラウトが感動に打ち震えたのは言うまでもなく、スプラウトの蕩けるような笑顔を眺めながら、誰もが美味しい紅茶と菓子に笑顔となった。笑顔がこぼれれば、自然と話も弾む。

 話題はもっぱら、今日の飛行訓練の話となった。
 手塚の失敗には、不二が思い切り噴き出し、手塚が睨む。「ごめん、ごめん」と口ではいいながら、ちょっぴり涙を浮かべているので、不二は笑い過ぎだと手塚は溜息する。
 「最終的には、乗りこなせるようになっている」、と引き絞る様な声だったので、手塚としては、最初のあの失敗は不本意なのだろう。
 紅梅の“セグウェイ風飛行”には、グリフィンドール組と不二が目を輝かせ、今度絶対にやってみよう、と四人が意気込んだ。

「そういえば、ハリー・ポッターがさ────」

 そして、当然の流れではあるが、話はハリーのことに及んだ。あの後、マクゴナガルに連れられたハリーのことが、グリフィンドールの三人は気がかりだった。
 退学にすると言ったのはマダム・フーチであって、マクゴナガルではないとはいえ、厳格なマクゴナガルのことを考えると自信を持って「大丈夫だ」とは言えないのだ。
 ドラコのやったことに、目に見えて義憤に駆られているのは真田だ。他は、「またあいつか」と言わんばかりに口をヘの字にして、呆れたような表情をしている。

「グリフィンドールとスリザリンは、本当に昔から仲が悪いわねぇ……」

 教師の立場として、やれやれと言いたげな眼差しで、スプラウトが言った。
 そんな昔から仲が悪かったのか、と全員が微妙な表情である。

「せんせ、ポッターはん、退学になってまうんどすか?」
 紅梅の台詞に、一同は心配そうにスプラウトを見つめた。生徒らの視線を受けて、スプラウトは安心させるように、おっとりと微笑む。
「マクゴナガル先生は、規則にはとても厳しい先生ですが、冷たい先生ではありませんよ。むしろ、ハリー・ポッターの行動の理由を聞かないまま、罰することなんてありえません。退学処分はとても重い処分ですから、きちんと他の生徒から事情聴取をなさるでしょう」

 だが、マクゴナガルがハリーを連れて行く際に、ロンや他の生徒らの訴えを聞き入れなかった。目撃している白石が、それについて訊ねると、あらあら、とスプラウトは苦笑した。

「────もしかすると、よほどミスター・ポッターの飛行術が素晴らしかったのねえ」
「す、すごかったです! あんな高い所から、思い出し玉をキャッチして、ヒューン! って飛んで……あ……でも、私、怖くて見れてなかったんだっけ」
 恥ずかしそうに、紫乃は肩を竦める。
「あら、まあ、そんなに。そうだとすると、マクゴナガル先生はとんでもない決断をされるかもしれませんよ」
「……退学ってことですか?」
 不安そうな面持ちで質問する千石に、たまらずスプラウトは噴き出した。
「まさか、そんな。彼女ほどクィディッチに熱狂的なファンはいませんから、そんな“愚かな”決断はしないでしょう」

 そう言って、スプラウトは皆を安心させるように、大丈夫だと言いきった。その上で、もしも仮に、本当にマクゴナガルがハリーを退学処分にするようなら、生徒たちが一丸となって嘆願書を集めてダンブルドアに訴えると良いですよ、とも付け加えた。
 あの場での一部始終を目撃している人間なら、誰もがハリーの退学に反対の署名をしてくれるはずだ。目撃していない生徒も、事情を知ればドラコが悪いと賛同してくれるはずだし、スリザリンの跡部が率先して反対すれば、跡部の信奉者も署名する。

「私ももちろん、署名しましょう」
 さっそく賛同してくれるスプラウトに、全員が安堵から笑みをこぼした。
「よかった……」
 この問題について、誰よりも不安だったのは紫乃だ。ネビルの件といい、いっぱいいっぱいだった紫乃はようやく肩の荷を下ろすことができたのだった。

「もしこの件で、マルフォイが何か言ってきたら、また跡部と紫乃ちゃんで言い返してやればいいよ」
「もう、怖くて言い返せないかも」
「大丈夫だよ。今度は俺も一緒だから」
「ゆきちゃんが居れば、もう一回できるかも!」
「いや、あの……幸村クン、ほどほどにしぃや?」

 幸村と紫乃のやりとりに、一抹の不安を覚えた白石が、やんわりと押さえる。
 しかし、三人の会話を聞いていた他の面々は、幸村の台詞に「ん?」と首を傾げる。

「幸村。紫乃が、言い返したとは……?」
 そんな、まさか、という表情で、手塚が訊ねた。
「ん? ああ。紫乃ちゃんね、マルフォイが調子に乗ってる時に、思いっきり説教してね」
「正論も正論やったし、マルフォイも逆ギレや。まあ、そこは跡部クンがやり込めたけど」
 あっけらかんと答える幸村と、そして白石に、手塚は驚愕から言葉を失う。
 それは手塚だけではなくて、紫乃という人間性を知っている面々は──真田や紅梅は特に──驚きを隠せないで居た。

 いつでも手塚や、時に幸村の後ろにちょこんと隠れて、小動物のように大人しい少女が紫乃だ。
 「男子」という生き物が特に苦手で、今でこそテニス部の彼らや、グリフィンドールの一部の生徒と普通に会話することができるようになったが、大柄な男子の先輩なんてまともに顔をみることが出来ない。
 真田に至っては、紅梅が一緒に居る時でないと話しかけられないほどである。これについては、真田もその理由にうすうす気が付いているので、無暗に話しかけようとはしないし、紅梅紫乃と一緒にいるとき以外に、部活のことを訊ねたりしないように心がけている。
 ────そんな具合で、男子が苦手な上に、自分に自信がなく、泣き虫な少女が紫乃であるので、そんな彼女が、あのドラコ・マルフォイに食ってかかった、という事実が、とてもじゃないが信じられないのである。

「本当だよ、手塚。紫乃ちゃん、マルフォイに誰も何も言わない中で、誰よりも最初に反抗したんだよ」

 とても勇敢だったよ、と告げる不二に、手塚は不二を見つめ、次いで紫乃を見た。視線が絡み合い、紫乃は照れ臭そうに頬を染めて、けれどにっこりと笑った。

 手塚の脳裏に、教室で一人うずくまる少女が蘇る。
 仲間外れにされて、ボロボロと泣く少女。囃し立てるように、クラスの男の子たちが取り囲む。ウソツキ女、チビ、等と叫ばれている中心の少女は、身を小さくして泣きながらもじっと耐えていた。
 他の生徒は、誰も何も言わずに、ただ「かわいそう」「そんなことしなくても」とヒソヒソ話しながら、けれど誰も助けようとはしなかった。傍観者だった。遠巻きに、自身に危害が加えられない距離を保って、中心の女の子を見つめている。
 ────その中心の女の子が、今こうして、たくさんの友達に囲まれて、笑っている。

 手塚には、わかった。
 きっと、中心の女の子だった彼女は、傍観者にだけはなりたくなかったのだろうな、と。

しーちゃん、えろうお気張りやしたんやねえ」
 どこか母親のような心境で、しみじみと紅梅が言った。隣の真田は腕を組んで、うんうんと頷いている。彼もまた、もはや父親のような心境なのかもしれない。さらにオーバーにも、千石は涙を拭うリアクションをして感動を表現している。「データを更新しなければな」とは柳だ。
 ここまで褒めちぎられるとは思っていなかった紫乃としては、穴があったら入りたい気持ちだ。「べ、別にそんな大したことじゃないよ……!」と必死である。

「……やはり、組分け帽子は間違っていなかったようだ」

 さざ波に揺れる水面に静けさを取り戻させるように、手塚の一言を前に、しんと静まり返る。確かな重みを持った彼の言葉は、誰よりも紫乃の心を打つ。
 ────強く、なった。
 一日、一日の繰り返しだというのに、日本に居た頃とは違う。格段の進歩で、紫乃は成長している。

「組分け帽子は、正しかった。紫乃、お前はやはり、グリフィンドールに相応しかったんだ」

 少しでも、グリフィンドールに相応しい生徒になりたい────そう思い始めていた紫乃の心を捉えるには、十分すぎる言葉だった。
 たくさんの優しい眼差しに包まれて、嬉しそうに紫乃は微笑む。

「大袈裟だよ、みっちゃん」

 手塚の記憶で泣いていた少女は、今、誰よりも幸せな笑顔を浮かべていた。