あるコウモリの受難への幕開け(3)
 その後の魔法薬学の授業中、グリフィンドールの状況が改善されることはなく。幸村が30点も減点されたという事実は、少なからず生徒らの動揺を誘ったようだ。
 スネイプにせせら笑われていたハリーは、幸村ならやり返してくれると思っていたのに、大量に減点されたことが思いのほか、ショックだったことを自覚した。他の生徒たちも同様だ────どころか、あんなにグリフィンドールから点を奪われるくらいなら、幸村は黙っていればよかったのに、という風に、チロチロと視線を送る生徒が何人か居た。
 唯一の例外はハーマイオニーくらいだろうか。彼女は、グリフィンドールが30点も失ったことで、なんとしてでも自分がその分を補わなければと奮起しているようだった。

 ────とはいえ、である。

「俺が、このまま黙っているとでも?」
「……思わんなあ」

 真田が見れば、確実に嫌な顔をするか顔を顰めるような────そんなイイ笑顔の幸村に、白石は苦笑しながら肩をすくめた。

「こういう空気って日本だけじゃなくてイギリスもなんだね」
 調子いい時は賛同して、そうじゃなくなったら手のひらを返すっていうの? と、酷く冷たい声で幸村が吐き捨てる。
 すると、じろじろとした視線は、蜘蛛の子を散らすように逸らされた。

「俺への減点について純粋にショックを受けてるポッターや、逆に自分が取り返してやるんだと意気込むグレンジャーさんの方が、よっぽど正直で気持ちがいいよ」
「……うん。ハーちゃん、すごく真面目だし、人のせいにしないよ」
「むしろそんな暇あったら点数もぎとれや、てキレそうやな、グレンジャーさん」

 ちら、と隣で作業をするハーマイオニーを見る。おでき治療の簡単な薬を調合させるため、スネイプが生徒たちを二人ずつ組にしたのだが、紫乃と組んだハーマイオニーは、もはや目の前のことしか見えていない。紫乃に協力をあおぐ余裕もないほど作業に集中しており、声をかけるのも躊躇われるほどピリピリした空気をまとっていた。
 そのため、ハーマイオニーとパートナーではあるが、手持ち無沙汰な紫乃は成り行きで幸村と白石の組に混ざっている。

 三人のヒソヒソ声は、幸いなことにスネイプを始め、スリザリンの面々の耳には届いていないようだ。
 それもそのはずで、スネイプのお気に入りらしい跡部とドラコの作業に注目するように、と指示を出し、積極的にスリザリンに加点しているのである。
 当然だと言いたげに、誇らしげな跡部に、スリザリンの女子生徒らはうっとりとしていた。やれやれ、と小さく微笑む不二に、小さく紫乃は手を振った。
 さっきまで三人と一緒だった不二は、跡部のペア決めの途中に、跡部のパートナーの座を巡って、スリザリンの女子生徒らが血で血を洗う戦争が始めかねなかったので、スネイプが無理やりに組ませたのである。

「さて、雑談はこれくらいにして────」
 スゥ、と幸村の目が細まる。
「あの陰険教師をギャフンと言わせるだけの出来のいい薬を作らないとね」

 やれマルフォイが綺麗にどうだの、やれ跡部がどうだの、さっきからこの二人だけを褒めちぎり、ほとんど全員を注意するスネイプに、幸村だけでなく白石もウンザリしていた。

「見返そうね、ゆきちゃん!」
「藤宮さん、えろう張り切ってんな」
「私だってやるときはやるもん! ゆきちゃん、私もがんばるから!」
「フフッ。ありがとう、紫乃ちゃん」

 スネイプのようなタイプの人間には委縮するだろうと思っていた二人は、珍しく怯えていない紫乃に、純粋に驚いた。さっきまでびくびくしていた姿が、嘘のようだ。
 紫乃は、幸村という友達が大量に減点された今、自分が力にならなくちゃ! と、キリっとした顔で使命感に燃えていた。

「ひとまず、俺が指示出すさかいに、悪いけどそれに従ごうてくれへん?」
「何か考えでもあるみたいだね、白石」
「時間短縮させる裏技があんねん」

 ニッと人好きのする笑みを浮かべる白石に、幸村と紫乃は顔を見合わせて、目を輝かせた。
 本来であれば、幸村は誰かの下で動くような人間ではないが、白石であれば抵抗感はなかった。これが跡部や真田だったのなら、断固として拒否するだろう。
 スネイプがまたもや「マルフォイの干しイラクサの計り方を見なさい」などと言っている間に、てきぱきと指示を飛ばした。

 1年生でも作れる簡単な治療薬、ということもあって、作業工程自体は複雑なものではなく、至ってシンプルである。但し、完成に至るまでの緻密さと丁寧さが要求される。最初にスネイプが「微妙な化学と繊細な芸術を学ぶ」と言ったのは、的を射た例えであるといえよう。
 他の授業のような派手さはなく、地道な作業が要求される。この年頃の少年少女にとっては、たまらなく退屈な実践であり、だからこそスネイプの容赦のない減点が飛ぶ。退屈で単調な作業を繰り返し、ほんのわずかな変化さえも見逃さないことこそが、魔法薬精製において最も近道であり、最も重要なのである。

 この点、乾には及ばないにしても、白石ほどの適任者はいないだろう。コツコツと努力を積み重ねる彼の、愚直なまでの緻密さは、魔法薬学が最も必要とする才能だ。

「ほな、まずは────」

 干イラクサを計り、ヘビの牙を砕く。それらと一緒に、茹でた角ナメクジを大鍋に入れてかき混ぜる。沸騰する前に大鍋を火から下ろし、ヤマアラシの針を投入し、材料の原型がわからなくなるまでかき混ぜれば、おできの治療薬は完成する。
 白石は、ざっと材料に目を通した後、熟読した教科書と参考書の頁を頭の中で片っ端からめくってゆく。その間、10秒にも満たない時間だった。

「よっしゃ!」
 手のひらに、片方の拳をパン! とぶつけた。

「ほな、イラクサからやな。幸村クンならわかってるやろ?」
「うん。どうせ後で大鍋でどろどろに溶かすなら、イラクサは重さを計った後に細かく刻んだ方がいいね。繊維がやっかいだから」
「俺が言うまでもないみたいやな。頼むわ」
「任せて」

 そう言って、幸村は目分量でイラクサを手にし、計りにかけてゆく。正確な重さを計った後に、手早く刻んでいった。

「藤宮さんは、ヘビやらナメクジやら平気?」
「うん。ゴキブリはあんまり、だけど」
 本当に嫌そうに答えた紫乃に、白石は小さく噴き出す。
「俺もやで。ちゅーか、どこ探してもあれが好きっちゅー物好きはおらんやろ。とりあえず、それはおいといて、や。ほなら、角ナメクジを裂く作業やってくれへん? 表面積増やした方が、茹であがりの時間が早いさかい」
「ん。わかった!」
「俺はヘビの牙を砕く作業するわ。女の子には重労働やしな」

 そうして、紫乃は角ナメクジを丁寧に裂き、白石はヘビの牙を細かく砕いた。
 三人が集中すれば、単調な作業はあっという間だ。先に角ナメクジを茹で、一旦取り出し、熱せられた状態のまま大鍋を保ち、すぐに干イラクサとヘビの牙、そして取り出した角ナメクジを投入する。大鍋を冷まさないのは、再び熱する時間を短縮するためである。
 あっという間に大鍋を火から下ろし、荒熱をとってからヤマアラシの針を投げ入れた。

「んー! 絶頂!エクスタシー 完璧や……! 無駄がないでぇ!」

 己のやり遂げた一仕事に、満足げに白石は頷く。完璧な仕上がりに、幸村と紫乃は二人で拍手をした。
 どうやら、周りはまだ大鍋を火から下ろす前のようで、とっくに作業は追い越していたようだ。

「こういう時に限ってあのオッサン、こっちに見にこーへんやろ」

 完成した魔法薬を、一刻も早く採点して欲しい白石からすれば、待ちきれない時間だ。スリザリン生徒には丁寧に教えているようで、こちらへと来る気配がない。
 その間に、白石らが一番乗りでおできを治す薬を作ったということで、周りの生徒たちがアドバイスを求めてきたため、親切にも白石は助言することにした。
 危なっかしい同級生たちにやきもきさせられながらも、白石の表情は満更でもなさそうだ。眺めていた幸村は笑い、紫乃もまたにこにこしていた。

 やがて教室中のそこかしこで、おできを治す薬が完成したようだった。
 スネイプはその間中、間違ったヘビの牙の砕き方をした生徒に指摘し、減点したり、手順を誤った生徒を扱き下ろし、減点した。
 やっとスネイプが白石の元へと来るころには、グリフィンドール生らの大半が減点された頃である。

「はい、センセ。採点してもらえます?」

 ドヤ顔で薬を差し出す白石に、スネイプはこれでもかとばかりに表情を歪めている。
 彼の視界に、これまたドヤ顔の幸村が入ったので、彼の肩は苛立ちから戦慄いている。今にも薬の入った薬瓶を叩き割ってもおかしくはない雰囲気だった。

「……っ、グリフィンドールに2点、加点する」
「よっしゃ!」
「ただし!」
 ギラリ、とスネイプの眼光が険呑さを増す。
「同時にグリフィンドール、2点減点」
「なんでや!」
「殊勝な態度とは言い難い。傲慢なグリフィンドールらしい。いやはや我輩も恐れ入る」
 フン、と鼻で笑い、ローブを翻したスネイプに、さすがの白石も持っている薬瓶をスネイプ目掛けてブン投げたい衝動にかられた。
 くすくすとスリザリンの生徒らが笑う声が聞こえ、余計に苛立った。

「あんのおっさん……!」
 ぶるぶると身体を震わせている白石に、そっと紫乃が寄り添い、幸村はポン、と肩を叩いた。
「ここまでやるとは、大人げないにもほどがあるだろ……グリフィンドールに恨みがあるとしか思えないね、こうなったら」

 どうせくだらない理由なんだろうけどさ、と、心底どうでもよさそうに幸村は言ったが、そうはいっても正当に加点をしてもらえないのは頭にキた。完璧な魔法薬を調剤してギャフンと言わせるつもりが、失敗に終わったのだ。
 さて、どうするか。

「元気出せよ、シライシ」
「そうだよ。ハーマイオニーでさえ加点してもらえなかったんだ。グリフィンドールはみんなマイナスなんだ」
「プラマイゼロってすごいよ」

 よからぬ計画を企てる幸村の横で、落胆する白石に、様子を伺っていたハリーとロンが声を掛けた。彼らはなんとか完成させたものの、こっぴどく扱き下ろされ、理不尽に減点されたのである。

「そうだよ。僕たちなんて見てよ」
 すると、会話を聞いていたネビルとシェーマスが、うんざりとした表情で大鍋に視線を戻す。
 その視線に誘われ、白石たちの視線も大鍋へと注がれた。何をどうやったのか、大鍋の液体の色は黄緑色に近い色をしていた。

「な、何をしたら、こ、こんなことに……?」
 動揺のあまり、紫乃の声が震えている。
「さあ?」
 しかし、当人であるネビルとシェーマスでさえ、どうしてこうなったのかわからないようだった。

「僕たち、ちゃんと黒板の通りにやったんだよ」
「そうそう。でもどうしてかこうなっちゃってさ。なあ、シライシならわかるだろう?」
「……イラクサの量が多かったんとちゃうやろか」
 返事をする白石の声も、覇気はなかった。予想をはるかに超える“出来”だったので、まず何からアドバイスしてやればいいのかわからなかったのが大きい。

 「そうなんだ」と、呑気に返事をする二人は、ぐつぐつと沸騰する大鍋に、パッとヤマアラシの針を投げ入れた。
 全員が止める間もなかった。

「アカン! 離れや!!」

 その瞬間、地下牢いっぱいに強烈な緑色の煙が上がり、シューシューと大きな音を立てた。大鍋が溶け、こぼれた薬液が石畳を伝い広がってゆく。生徒の一部は、靴が液に触れたことで焼け焦げて、穴があいた。
 パニック状態に陥った生徒たちは、たちまち椅子や机の上に避難する。

「な、何も眼が見えない……っ」
「アホ! それで目ぇ擦ったら……!!」
「うわぁあああ!!!」

 白石が止めるよりも先に、ネビルが薬液を被った手で目を擦った。断末魔にも似た絶叫が教室内に響き渡り、涙を浮かべる生徒もいる。
 あまりの痛みに悶絶し、ネビルが床にごろごろと転がった。そのせいで、床に零れていた薬液を全身に浴びる事になってしまい、身体中をおできが容赦なく噴出し、想像を絶する痛みに喚き散らしている。
 目の前の展開についていけない紫乃は、真っ青で硬直してしまった。他の生徒も似たり寄ったりだ。

「馬鹿者!!」
 スネイプは大喝の後、杖を一振りして溶けた大鍋とこぼれた薬を消し去った。
「おおかた、大鍋を火から下ろさない内に、ヤマアラシの針を入れたのだろう」
 スネイプの嫌味も、この状況では誰の耳にも入らないでいた。

 教室内はまさに混乱を極めていた。グリフィンドール生はパニックで狼狽し、逆にスリザリン生からすれば愉快でならないらしく、ドラコがネビルの苦悶する姿を真似する始末。
 完全に秩序が乱れ切った最中、スネイプは冷静に頭の中で、まず何をすべきか考えていた。

 一刻の猶予も争う、そんな時だった。

「────Aguamenti

 完璧な発音が聞こえたかと思えば、ネビルの頭上から大量の水がバシャ! と降り注いだ。
 何事か、と目を剥く生徒を余所に、“彼ら”は冷静だった。

「幸村!」
 杖を振る跡部の薄氷の瞳は、全てを見透かすような色合いを帯びていた。不思議なその瞳の前に、誰もが平れ伏したくなる気持ちを抱く。
「言われなくても」
 顎でしゃくった跡部に、厳しい目をした幸村だったが、すかさず白石の手にある薬瓶をひったくると、なんの躊躇いもなく薬液をネビルにぶっかけた。

「なっ!!」
 たった今、目の前で起こった光景に、スネイプの口からいつもの嫌味が出てこない。

「ちょ! 幸村クン!?」
「白石の指示で、俺たちが作った魔法薬なんだ。完璧なおできを治す薬が出来たに決まってるだろ?」

 まるで明日の天気を語るような気軽さだった。完成した薬が、万が一にでも失敗しているとは、微塵も考えていない様子だ。
 絶句している白石だが、やがて幸村の言葉を飲み込み、ハァアと深い溜息を吐き出す。幸村がこうも断言するほどに、自分の指示と出来あがった魔法薬を信頼してくれたのは嬉しいが、それでも万が一ということはあるのだ。
 しかし、そんな白石を余所に、「見てごらんよ」と明るい幸村の声が聞こえる。

「な、治ってる……」

 誰かが言った通り、ネビルの身体中に噴き出したおできは、みるみる小さくなり、やがて消えた。目に入った薬液も、跡部が大量に水を浴びせたお陰で洗い流されているようだ。
 「念のため、マダム・ポンフリーの所へ行け」という跡部の言葉に、ネビルは素直に頷いている。

「────さて、スネイプ先生。貴方が0点にした俺たちの魔法薬。採点し直してもらえませんか?」

 それはもう、世界から戦争が消え去ったことを喜ぶような、そんな満面の笑顔を浮かべた幸村。
 怒りから、スネイプの拳はブルブルと震え、二・三本ほど青筋が切れたような気がする。だが、ここで減点するとなると、目の前で起こった全ての出来事を否定することに繋がる。それをすれば、「現実から逃げるんですね」と幸村の笑顔が言っていた。
 あの憎きジェームズ・ポッターを思わせる幸村に、「逃げた」と思われるのだけは、死んでも御免である。

「………………グリフィンドールに、3点、加点する………っ!!」

 奥歯の歯が折れるのでは、というほどに噛みしめ、屈辱の中で点をくれてやった。


 ────この日、グリフィンドールとスリザリンの合同授業後。
 スネイプはグリフィンドール生らが提出した薬瓶を片っ端から叩き割り、さらに腹の虫が収まらなかったので、自身の論文を何束か破り去った。
 しかし、後日、幸村が宣言通りに減点された30点どころかそれ以上の点数をもぎとったと知った瞬間、彼は怒りのあまりに扉を蹴り壊したのは、言うまでもない。