組分け後〜グリフィンドール(3)〜
「さあ、諸君、就寝時間、駆け足!」
という、ダンブルドアの言葉によりお開きになった新入生への歓迎パーティ。
監督生の引率の元で始まった大移動は、生徒らの談笑の声も混じって、非常に騒がしいものとなった。何度か静かに、と口頭で真面目な上級生が注意を促すが、さして効果はみられない。
生徒たちはみな、榊太郎の講義や、各寮に組分けされた留学生たちのことが、気になって仕方ないのだ。
歓迎会の折に話すことができた者たちは、そのことを友人たちに触れて回ったし、それ以外の者たちは、こぞって日本人学生を一目見ようと躍起になったりしている。
動物園のパンダとは、こんな気持ちなのか────神妙な面持ちで、そんなことを手塚は考える。
彼もまた、歓迎会の時間はひっきりなしに声を掛けられた。今もなお、注目を浴びっぱなしだ。
己の知識に磨きをかける意気込みが強いのが、レイブンクロー生だ。年齢関係なく、その知的好奇心を満たすため、行動力がある生徒が多い。すでに魔法に対する知識が豊富な乾や柳ならまだしも、手塚は違う。
日本人というだけで、特殊な何かを持っていると思い込まれているのは、いささか居心地が悪かった。
マグルだと説明する度に、残念そうな顔をされるのも、あまり気持ちのいいものではない。また、同時に「やはり、一刻も早くに魔法を習得できるように努力せねば」と再び思うのだった。
(……それに。悩んでどうにかなる問題ではなさそうだ)
榊監督の『日本の文化と魔術に関する特別講義』。
まさか教えられる側が、教える側へと回らなくてはいけない事態になるなど、予想すらしていなかった。
マグル出身の手塚にすれば、打つ手がない。とはいえ、「できません」と言う訳にもいかない。
あの監督は、できないと一言でも言えば切り捨てるだけの容赦のない一面も併せ持っている筈だ、と手塚は思う。冷たいのではない。出来ない、それならば仕方ない、やらなくてよろしい、と瞬時に評定する厳しさを感じる。
手塚自身、何も始めていない内から全てを投げ出すような真似は、絶対にしたくない。テニスでも、試合放棄だけは何があってもしないと決めている。
ふいに、移動する集団の中で、頭一つ分だけ小さな少女を見つけた。
隣には、やけに綺麗な女の子にも見える美少年と、はきはきと喋る女の子。学級委員長にあんな女子が居たな、と思うような、しっかりとした女の子だ。白石も近くに居る。
寮が別れたので、紫乃のことが誰よりも気がかりだったが、うまくやっていけそうで胸を撫で下ろす。
(────すべきことを、するだけだ)
ほんのわずかに垣間見えた瞼が腫れていた。やはり、泣かせてしまったのだろう。
すまない、と思った。でも、後悔はしたくなかった。
引率の上級生の後を追いかける紫乃の背を見送ると、手塚もまた歩き出す。
「ああ、手塚。此処に居たのか。移動らしいぞ」
「そうか」
親切にも呼びに来てくれたらしい、乾に手塚は短く礼を述べ、列に加わる。先ほどの歓迎会で紹介された、乾の幼馴染である柳蓮二も一緒だった。
「レイブンクローへ入るには、他の寮と違って合言葉ではなく、謎を解かねばならないらしいぞ、教授」
「ほう、興味深いな」
「レイブンクロー生への挑戦と言える。己の知識量に自信ある者が多いからな。手塚?」
胸元のブルーのネクタイを握りしめ、手塚は沈黙したままに前を見据える。
────進むだけなのだ。
「油断せずに、行こう」
手塚の言葉に、乾も柳も首を傾げ、そろって顔を見合わせていた。
パーシー・ウィーズリーに続いて、大広間を出た新入生たちは、大理石の階段を上った。
ホグワーツまでの道のりで疲れ切っていた上に、組分けの儀式によって緊張を強いられた後に、お腹一杯になるまでたくさんのご馳走を食べた。疲れと満腹感から、一年生たちはどの子供たちも目がとろんとしていて、眠た目だ。紫乃も例に洩れず、ふわあと何度も欠伸をする。
ふらふらとする紫乃を、その度に、律儀にも声を掛けているのは、ハーマイオニーだ。
その姿を見て、「お節介だよな」、なんてロンは言っているが、近くで見ていたハリーからすれば、「フジミヤにはちょうどいいと思うよ」と密かに思った。ああして、ハーマイオニーが世話を焼かなければ、紫乃はそのまま廊下で寝てしまいそうだったからだ。
「紫乃ちゃん、頑張って。もうすぐだって」
「……ん」
「半分寝とるで」
苦笑する白石に、幸村も笑った。
いきなり友達になってくれとお願いされた時は驚いたが────純粋に、幸村は嬉しかった。
いつだって幸村に向けられる視線は、どこか一線を引かれたものばかりだった。
その視線に込められる感情は、多種多様だったけれど、幸村をただの精市として見てくれるものなど、なかった。
その点、真田は幸村を対等に見てくれるものの、それでもただの友達ではない。ましてや、ただの幼馴染といった言葉で片付けられるような簡単なものではない。
コウメに至っては、幸村が真田と関わりがあったから、結ばれた縁だ。素直になって真田に感謝するなんて、なんだか癪だ。
「ふふっ」
「どしたん?」
泣きはらした目で、手を伸ばした紫乃。その眸には、何の悪意も敵意もなかった。ただ純粋な感動と喜びが幸村を迎えた。
幸村には、初めてのことだった。きらきらとひかる焦げ茶の瞳に、たぶんきっと、幸村も感じたのだろう。この子と友達になりたいのだと。
ガキみたい。いや、まだガキだけどさ。思い出し、笑みが綻ぶ。
「ううん、なんでもないよ……ふふっ」
「思い出し笑いはスケベのすることや言うて…………いや、なんでもないです、すんません」
「ならいいよ」
目が笑っていない幸村に、本能的に逆らってはならないと白石は悟った。そして、その判断は正しい。
東の塔にあるというグリフィンドール塔は、あらゆる階段と廊下を行き来しなければならないようだった。道中、壁に掛けてある肖像画が、動いたことには驚いた。絵の中を移動し、動き回っているのだ。もちろん、話もできる。
びっくりしている他の生徒とは違い、僅かに目を瞬かせる幸村は、「俺が描く絵もこんな風になるのかな」、という好奇心でわくわくしていた。絵を描くことも趣味の一つなので、どうしても気になってしまう。
階段という階段を上り、テニスで鍛えている二人でさえうんざりする頃────それは、現れた。
「ピーブスだ」
前方に浮いたひと束の杖。パーシーが進み出れば、杖がバラバラと飛びかかって来た。
持ち前の反射神経で、難なくかわす幸村と白石とは違い、何人かの生徒は、落ちてきた杖に頭をぶつけたようだ。もちろん、半分意識のない紫乃は、避けられるはずもない。
「いたっ」
「シノ!」
「お、おでこ、打ったあ……っ」
「とんだ災難やな、藤宮さん」
おでこと誰かの杖が衝突し、紫乃は飛び起きた。涙目になって額を擦る紫乃に、ハーマイオニーは優しく撫でる。一人っ子の彼女は、もはや手のかかる妹を持った、お姉さん気分でいるようだ。
周りの上級生たちも、じわじわと涙の浮かぶ紫乃の様子を見て、なんともいえない苦笑を浮かべる。
ああ、よっぽど痛かったのね。そりゃそうさ、不意打ちならなおさらだよ。かわいそうに。
それらの視線はまるで、きゃっきゃとはしゃいでいた幼子が転び、半泣きで親元へと戻っていく姿を見つめるようなそれだった。
「ピーブスはポルターガイストなのよ」
「かわいそうに、痛かったでしょう」
労るように頭を撫でてくれたのは、アンジェリーナ・ジョンソンという、黒人の女子の先輩だった。
「ポルターガイストって現象じゃなかったっけ?」
「せや。けど、ゴーストでひとくくりなんちゃう?」
不貞腐れた様子の幸村に、白石も同じ心境だった。疲れている身としては、早くお風呂に入って、ベッドへダイブしたくてしょうがない。なんせ、明日からテニスの練習が目いっぱいできるのだから、なるべく早く身体を休めたい一心なのだ。
「ピーブズ、姿を見せろ!」パーシーの大声に、ポンと音がして、暗い顔の小さな男が現れた。意地悪そうに目を光らせ、杖の束をつかんだまま、宙に浮いている。
「おおおおおおお! かーわいい一年生ちゃん! なんて愉快なんだ!」
甲高い笑い声に、幸村の機嫌は一気に急降下した。
たまたま近くにいたネビルは、なんだか周囲の空気が冷えたような気がして、ぶるりと肩を震わせる。
しかし、ネビルはともかく、ピーブスは幸村の様子に気づくはずもない。
ばらばらと杖をばら撒き、一年生たちは揃って悲鳴をあげ、杖の雨から逃れようと躍起になった。大混乱に陥る様を見て、さらにピーブスは気が狂ったような笑い声をあげた。血みどろ男爵を呼ぶぞ、と脅すパーシーの声など、届きやしない。
不愉快な笑い声に、幸村の我慢がとうとう限界にまで達した。
「……オン、」
幸村が一歩進み出ようとした時、聞こえてきたのは小さな囁き。周りの悲鳴に掻き消されそうなほどに、小さい音だが、たしかに聞こえた。
振り返れば、一心不乱にぶつぶつと何かを呟き、素早い動作で手を動かす紫乃。真っ青になって、固まっているハーマイオニーを守るように、半身を前に出している。
――――――――あれは。
目を見張る幸村。たしか、本で読んだことがある――――あれは、印だ。白石も気づいたようで、驚愕した様子で紫乃を見つめた。
転法輪印を結び、そして、外五鈷印を結ぶ。漂い始めた風は、二人の脇をすり抜ける。本能が、知っている。霊気だ。
「おんやあ? 無傷の一年生がいるとは!」
幸村たちの姿に気づいたピーブスが、急降下する。
あと少しでぶつかる――――それよりも早くに。
外縛印を結び、紫乃が最後の言を唱え終えた。完成するのは、不動金縛りの術式。
「――――――封ぜよ」
「っ!!」
金色に光る縄のようなものが、ピーブスを縛りつけた。身じろぎ一つできぬほどの強力な封印の術に、声すらあげられないままに、地へと伏せた。
呆気にとられるグリフィンドール生は、何が起こったのかまったく理解できないでいた。
唯一、全てを目撃していた幸村と白石の二人は、感心しきりといった様子だ。唱える真言は素早く、印を結ぶ指先には乱れが無かった。その術者が、幼馴染と別々の寮に組分けされて大泣きしていた少女なのだと、誰が思うだろう。
「さすが藤宮の一族、ということかな」口の端を持ち上げる幸村に、白石は頷いた。
「よかったね、術者が紫乃ちゃんで」
「!」
「もしも俺だったら、躊躇なく存在ごと消していたよ。あいにくと、俺は紫乃ちゃんほど優しくはないからね」
ぞっとするほどに綺麗に微笑んだ幸村に、ピーブスはガタガタ震え、壊れてしまった人形のようにこくこくと何度も頷いた。人間だったのなら、もしかすると失禁してしまっていたかもしれない。
「幽霊は二度死ぬことはないらしいけど、試してみるかい?」
ピーブスにとって、いまだかつてこんな恐怖を味わったことはない。
「…………“Demigod”」
誰かが言った。デミゴット――――それはすなわち「神の子」。
ピーブスは神の逆鱗に触れたのだと、グリフィンドールの生徒らは悟った。そして、幸村を怒らせてはいけないのだ、と心に刻む。
また、汽車の中で、なんとなく幸村の人となりを垣間見ていたハリーとロンは、やはりと納得していた。逆らわなくてよかった。なにより、幸村が、スリザリンじゃなくてよかった。心からそう思った。
「ゆきちゃん」
そんな荒ぶる神の子に、そっと歩み寄ったのは紫乃だ。
「お風呂入って、早く寝よう? もう8時だよ。9時には寝なきゃ」
「でないとね、みっちゃんがね、夜更かしだって怒るの」続けられた内容に、幸村はぽかんとする。しかし、みるみる内に表情が緩んだかと思えば、ぷっと吹き出した。
固唾をのんで見守っていた白石は、胸を撫で下ろした。古い血を持つ名門の一族である幸村が、本気を出せば、ピーブスくらい消し去っていてもおかしくはなかった。退魔や祓魔の術くらい、知っているはずだからだ。
図り知れない力をここで使って、何か起きてからではまずいと思っていたので、よく止めてくれたものだ。心の中で、白石は紫乃に拍手を送る。
「今日ばかりは見逃してあげるけど……二度目はないよ」
囁くような幸村の声は、しかし、恐怖を植え付けるには十分だったようだ。紫乃が術を解くのと同時に、ピーブスは金切り声をあげながら、壁の向こうへと消えて行った。
わっ、と歓声に沸く生徒たちに、紫乃はびくっと肩を跳ねさせて、幸村の背中へと隠れてしまう。
「シノ、あなたって本当に……」
先ほどの凛とした姿は何処へやら。へにゃりと眉を下げて、ぷるぷるしている姿に、ハーマイオニーだけでなく、上級生たちもくすくすと笑った。