組分け後〜グリフィンドール(2)〜
 組分け直後はあんなにも辛かったのに、今はもうほんの少し寂しさを感じるだけだ。ひりひりと痛む眦に苦笑しながら、グリフィンドール席で談笑する生徒らを見渡して紫乃は思った。白石と幸村のおかげだとも思う。

 白石は、魔法草についてハーマイオニーと議論を交わしていたし、そんな二人にときどき幸村が会話に入っているようだ。二人とも魔法草について、造詣がとても深い。
 二人の口から語られる知識を前に、ハーマイオニーがノートとペンを持っていないことを、何度も後悔していたようだった。
 魔法草の中でもとりわけ毒草への知識が、濃く深い白石は、目を輝かせて話していた。よほど魔法草が好きなのだろう。アイスクリームを食べながら、すごいなあと紫乃は話しに聞き入っていた。
 そんな白石に、ホグワーツの上級生らがいつの間にか集まって来て、彼の話に耳を傾けている。ふと気づけばその状態に陥っているのは白石だけではないようだった。

 ハッフルパフの方では真田と紅梅が。レイブンクローでは黒髪に糸目の少年。紅梅の親族だろうかと思うほど、艶やかな黒髪。真田とは違う和風の顔立ちは、平安貴族だと言われれば頷いてしまうだろう。そしてスリザリンは、言うまでもない跡部。それぞれを中心にサークルが作られ、もはや日本人留学生らは注目の的のようだ。
 あまり人に注目されることに慣れていない紫乃は、居心地悪そうに身体を小さくさせた。気づいていても、気にならない上に気にしない幸村を、心から尊敬した。
 また、ハッフルパフで紅梅がハーマイオニーの髪を結ったということを知り、生徒らはこぞってハーマイオニーの髪に注目した。
 綺麗な簪だと思っていたら、梅ちゃんだったんだ。紫乃の呟きに、幸村は微笑んで、とても似合ってるねと褒めた。ハーマイオニーはますます赤くなり、耳まで染まってしまった。

 歓迎会の夕食は、紫乃にとって忘れられないものになった。
 あれほど泣いた自分は、泣き虫にも程があったなとちょっぴり反省したくらいだ。同じ学び舎の下なのだから、なにも今生の別れでもあるまい。一時間ほど前の自分では考えられないくらいに、心の中は晴れ渡っていた。

(後で時間あるかな……)

 あれば、手塚に会いに行って、「お互いに頑張ろうね」を言おうと思っている。
 もしも時間が無ければ、手紙を書いてフクロウに飛ばしてもらおうか。うきうきとしながら、デザートが消えたテーブルを見つめていた。

 やがて、ダンブルドアから注意事項が説明され、そしてなんとあの謎の教師についての説明がなされることになった。
 象牙色のスーツを着こなし、スカーフをして、紫のベルベットのローブに身を包む男性。年の頃は30を越えてそこそこといったところか。重ねられた年が、彼の人をさらに格好良くみせている。同じ教員席のテーブルに座っている女性の先生方が、うっとりと彼を見つめていたのが見えた。
 組分け儀式の直前は、あまりにも緊張しすぎていたものだから、紫乃は彼──ダンブルドアがサカキ先生と言った──を知らなかった。ひそひそと話す生徒たちの言葉を拾うと、魔法界のカードにもなっているほどに有名で、日本の魔法族では跡部と同じく旧家。

 紫乃は魔法族ではあるが、魔法界にさほど詳しいというわけでもない。
 そのため、もたらされた事実に素直に驚き、榊太郎のような人間が日本人留学生らの監督者でよかったと思った。

「ホグワーツの皆さん、ごきげんよう。私は榊太郎。良い夜が過ごせて何より」

 低く通るその声は、なにもしなくても人を静かにさせる何かがあった。深みのある声で、とても聞き取りやすい。

「私は日本人留学生らの入学に伴い派遣された特別講師となるが、具体的に何をするのか、ということを、今から説明しよう。────私のやるべきことは、全部で四つある」

 そうして榊が説明する。
 自身が日本人留学生らの監督責任者であること。日本人留学生の男子学生たちはテニスプレーヤーであり、そのためホグワーツにテニス部を設立すること。榊が「特別補講」を担当する予定であり、留学生のために編成されたカリキュラムであること。また、この「特別補講」にホグワーツの学生たちも参加してよいこと。

 滔々と述べられる説明は、とてもわかりやすくて、小学校の頃の担任の先生が榊であればよかったのに、と思ったほどだ。
 これから教鞭をふるうのが彼であることに、喜びさえ感じる。それは紫乃だけではなく、他の学生たちも真剣に聞いている様子からうかがえる。
 留学生のことをしっかりと考えられた授業内容に、「一生懸命に勉強しなくちゃ」と、紫乃は拳を握った────そこまでは良かった。

「そして、よっつめ。『日本の文化と魔術に関する特別講義』についてだが、こちらはその名の通り。組分けの前に校長が仰っておられた通り、日本には、マグルと魔法使いの区別がない。よって日本の魔術は伝統文化、無形技術などと深く結びついている場合が多く、日本の魔術を知るには、日本の文化や技術を知る必要がある。────例えば陰陽術、日本舞踊。剣術、言霊、民俗学、書道、風水など────」

 日本人留学生の全員を知っているわけではないが、榊がこう言うのだからそれぞれに特化した「何か」を持っているのだろう。

(みっちゃんは……テニス?)

 マグル生まれであり、この間まで魔法の存在を知らなかった幼馴染を思い浮かべる。
 手塚といえば、テニスしか思いつかない。手塚のテニスをする姿が好きな紫乃は、ふふっと笑った。

「留学生らの中には、こういった日本特有の文化を専門に学んでいる者がいる。そうでなくとも、自分の得意分野、専攻がある者ばかりだ。よって、月に一度。彼らにひとりずつ壇上に上がってもらい、スピーチ、実演などによる、彼らの技術、技能を紹介する講演を行う」

 ────いま、なんて?
 笑みを浮かべていた紫乃の表情は、みるみる強張り、そして完全に凍りついた。
 公園? コウエン? こうえん? ────────講演!?
 頭の中で何度も変換された文字が、ようやく正しく変換されると同時に、パニックに陥った。講演だなんて、とんでもない!

 面白そうだねと美しく微笑んでいる幸村は、一体なにを言っているのだろう。うきうきしている様子の白石の姿は、もっと信じられない。
 真っ青を通り越し、白くなった紫乃の様子を間近で見ていたハリーは、紫乃が倒れるんじゃないかとヒヤヒヤしながら見つめていた。

「そのため、授業というよりは、文化交流会といってもいいだろう。また、今月末に第一回を行うが、これは日本の文化の基礎知識を持ってもらうため、私が担当する」

 榊の補足は、紫乃にとってはもはや何の慰めにもならない。

「毎回、全校生徒参加して貰うので、場所はここ、大広間を使わせて頂く」
「ぜんこうせいと……!」

 とどめの一撃が、紫乃を突きさした。
 悲鳴のような引き攣った声に、幸村と白石、そしてハーマイオニーがぎょっとし、倒れかかった紫乃を慌てた様子で支えた。
 ああ、やっぱり……。自身が駆け付けるよりも早くに倒れた紫乃の姿に、見守っていたハリーは何とも言えない表情となった。

「おじいちゃん、おばあちゃん……先立つ不孝をおゆるしください……」
「縁起悪ッ!! ちょっ、なんでそない思い詰めとんの!?」

 両手で顔を覆ってしゃがみこむ紫乃に、関西人らしい白石のツッコミが炸裂した。これがジャパニーズ・ツッコミなんだね! ああ、そうさ兄弟! と騒ぐのは、ロンの双子の兄たちだった。
 「よろしい。では行ってよし!」そんな独特のポーズと台詞を残し、消えた榊。大騒ぎする生徒らの影で、紫乃はふらふらと座り込む。寄り添うように、ハーマイオニーも一緒にしゃがんでくれた。

「どうしよう……月一で、全校生徒の前って、そんな……」

 想像して、くらりときた。想像すらダメだ、失神してしまう。
 ぶんぶんと首を振るって、ぷるぷると震える紫乃に、幸村も白石もさすがに同情した。誰にだって苦手なものはある。それが乗り越えられる壁であればどうにかなるが、紫乃に与えられた試練という名の壁は、紫乃にとってはあまりにも高すぎる。
 どうしたものか。二人して顔を見合わせ、行き詰まる。だからといって、この迷える哀れな仔羊を見捨てるほど、二人は冷徹ではなかった。

「思い詰めない方がいいよ、紫乃ちゃん」
「ゆきちゃん……」
「ユキムラの言う通りよ、シノ
「ハーちゃん……」

 色んなメロディの校歌で溢れる中、幸村とハーマイオニーの優しい言葉が心にしみる。
 出来ることであれば、俺だって協力するから。そう言って苦笑する幸村。いま、紫乃の目には、幸村の微笑みが神様の微笑みに映った。二人の手を両手で握りしめ、ありがとうを繰り返す。

「考えれば考えるほど、パニックになってしまうわ。ここにいる人は全員、ジャガイモやカボチャだと思えばいいのよ!」

 とびきり遅い葬送行進曲調の校歌が響き渡る。双子のウィーズリー兄弟の仕業である。
 一生懸命に励まそうとするハーマイオニーとは、あまりにも不釣り合いな音楽だったものだから、白石が堪え切れずに噴き出した。
 キッと睨みつける彼女に、慌てた様子で弁解している。

「とにかく、榊先生の特別講義についてはまた明日から考えよう?」

 「さすがの俺も疲れちゃってね」言いながら肩を竦めた幸村に、しばらく黙りこんでいた紫乃だったが、やがてゆっくりと頷いた。
 キングス・クロス駅から特急列車に乗り、ハグリッドの案内に従ってホグワーツ城を目指し、組分けをして、大泣きをして────今。
 日本に居た頃を考えれば、慌ただしい一日だった。考えた途端、欠伸が出た。

「フフッ。眠たくなってきたなら、安心したよ。夜も眠れない程だったら、心配だからね」

 ざわざわと騒がしくなった大広間は、各寮へと移動する生徒でごった返していた。
 行こうか。幸村の言葉に、紫乃はこくりと首肯した。