組分け後〜グリフィンドール(1)〜
 ――――私は、どうしてこんなに泣いているんだろう。
 不意に込み上げる疑問に、他の誰でもない紫乃自身が不思議に思った。
 いままでも、手塚とは小学校でクラスが別れたことがあった。一度、そのことでやっぱり泣いてしまった紫乃は、手塚を困らせてしまったことがある。その時に手塚は、登下校も一緒であること、家が向かいなのだから少し会えなくなるだけだと、優しく教えてくれた。
 その時と状況は同じはずなのに、どうしてこんなに胸が苦しいのかわからない。今すぐにでも心臓を取り出してしまいたいほどに、紫乃はたまらなく悲しかった。

「えっ、どないしたん藤宮さん」

 泣くばかりの新入生に、パーシー・ウィーズリーが困り果てていると、ぎょっとしたような声が聞こえた。
 声の主は、紫乃と同じ日本人の留学生である白石蔵ノ介だった。紫乃の後にグリフィンドールへと組分けされた彼は、女子の先輩たちからひっきりなしに声をかけられながらも、なんとかかわして紫乃の元へと駆けよってきた。

「しら、いし、ぐ……!」
「あーあー、目ぇ腫らしてもぅて。もしかして、手塚君と離れて、心細ぅなったん?」
 よしよしと肩を叩きながら、白石が訊ねる。
 余計に溢れた紫乃の涙を見て、瞬時に白石はその予測が的中したことを悟った。できれば外れて欲しかった。

「ああっ、せやってんな!? せやったんか! すまんっ、でも大丈夫やって!」

 なにが大丈夫かはよくわからないが、とにかく大丈夫だと言っておけば大丈夫だろうと。とにかく白石は必死だった。そして焦るあまりに、混乱しまくっていた。
 妹を相手にこんな風に動揺したことなんてないが、紫乃が泣くと罪悪感を覚えるのだから、どうしようもなかった。

「いったい、何をやってるんだい」
「ええと、君は……」
「幸村精市。同じ日本人留学生だよ。それで女の子を泣かせて何やってるんだ」

 同い年の男の子の中でも、少しだけ長い髪。波打つような藍の髪に、湖面を思わせる紺の瞳は、彼が水の精であってもきっと驚かないだろう。神秘的で、神々しいまでの美しさに白石は驚いた。それは泣いていた紫乃も違わず、円らな瞳を大きくさせていた。

「人聞きの悪いこと言わんといてぇな。ちゃうねんて。この子な、幼馴染の手塚君と寮が違ぅてもうてな。それで寂しなってん」
「へえ、手塚の! ……まあ、幼馴染と一緒に入寮できていいご身分な奴がいるんだから、世の中って本当に不公平だと思うよね。わかるよ、うん」
「え、ちょっとなんなん幸村君、笑顔がごっつぅ怖いんやけど」
「気にしないで、こっちの話」

 満面の笑顔で白石の発言をぶった切った幸村に、ますます紫乃は目を丸くさせる。天使のような美しさなのに、男の子らしく逞しい少年だと紫乃は驚いた。
 けれども、「涙は止まったかい?」にっこりとほほ笑みをくれる幸村に、紫乃はじんわりと胸が温かくなるのを感じた。
 白石にしても幸村にしても、泣いている時にこうして優しく声をかけてくれた男の子なんて、手塚以外にいなかったのだ。新鮮な喜びに、涙は引っこむ。

「うん……ありがとう」
「白石蔵ノ介や。2年間よろしく、幸村君」
「よろしく。君は?」

 優しい水面のような瞳が向けられ、紫乃はようやく落ち着きを取り戻した。
 たしかに手塚と離れ離れになってしまったのは、悲しい。途轍もなく、悲しい。でも、だからといって、こうして優しくしてくれる彼らの気持ちを台無しにしたくなかったし、なによりこの二人と友達になりたいという気持ちが、むくむくと育ち始めた。
 緊張しながら、ローブの裾をきゅっと握りしめる。

「藤宮、紫乃……です。あの、幸村、くん」

 泣きすぎてピリピリする頬を、ぐしぐしと擦る。「腫れちゃうよ」と苦笑して、頬を撫でてくれた幸村は、とっても優しい。なんて優しい男の子なんだろう。
 紫乃は感激しっぱなしだった。だから。

「わ、私と、お、お友達に、なってくだ、さい……っ」

 すわ一世一代の告白かと勘違いされてもおかしくはなかった。
 組分けの時点で、すでにホグワーツ中の生徒から大注目されている幸村。古の神の血を引くと噂される一族であり、誰もが二度見する美しさを持つ少年なのだ。そんな少年に、ぐすぐすと泣いていた女の子が、顔を真っ赤にして、ぷるぷると震えながら向き合っているのだから、勘違いするのも頷ける。

「うん、もちろん。なら、紫乃ちゃんって呼んだ方がいいかな?」

 瞬間、グリフィンドールは二度目の大歓声を上げた。




 ハリー・ポッターがグリフィンドールに組分けされた瞬間、グリフィンドールの歓声といえば、それはそれは凄まじいものだった。びりびりと鼓膜に響き、肌を伝わったのがわかる。
 そして、グリフィンドールの生徒たちに歓迎されながら、再び大歓声が沸き起こった。それはテーブルの中央付近だった。

 一体、何事だろう。好奇心から中心部へとやってくれば、ハリーと友人になったばかりの幸村精市が、女の子に告白され────いや、お友達になってくれとお願いされ、それを幸村が受け入れた、というものだった。
 なぜそこまでお祭り騒ぎするのかわからないが、よかったねと声をかけてもらっている中心の女の子は、この場の誰よりも小柄で、とても幼く見えた。

 ハリーが出会った日本人留学生は、誰もが少し年上のように見えてしまっていたので、日本人は実は童顔ではないのでは、という疑惑があったが、女の子は日本人では年相応だろうという顔立ちだった。
 茶色の髪に、同色の瞳。イギリスの子供のそれとは違い、アジアンの茶色だった。ふわふわとした髪に、くりんとした円らな目は、なんだか護ってあげたくなるような雰囲気の、女の子そのものだ。
 そんな女の子だから、あの幸村精市と友達になったことを祝福されたのかもしれない。だって、あの幸村だ。しかも幸村は五感を奪えるのだ。「普通」じゃない彼に、「普通」の女の子という組み合わせは、周囲も興味があるのだろう。

「君も見た目は普通なんだね」

 ふふ、と軽く笑いながら、女の子の頭をぽんぽんと撫でる幸村に、ハリーはどういう意味か聞こうとした。
 けれど、ロンも無事にグリフィンドールに組分けされたことと、アルバス・ダンブルドアが立ち上がったことで、言葉を飲み込むしかなかった。それに、テーブルの上の大皿が料理で埋め尽くされていたので、目を奪われてしまい、それどころではなかった。
 あの最低最悪なダーズリー家で、ハリーはお腹いっぱいにご飯を食べたことが無い。すべてダドリーに奪われてきたからだ。あらゆる料理を、少しずつよそって食べた。今まで食べたことがないくらいに美味しくて、幸福の味がした。

「ええっ!? フジミヤ!? きみ、フジミヤの子なの!?」

 食事中、「ほとんど首無しニック」や「血みどろ男爵」の登場に驚きながらも、ハリーはお腹いっぱいになった。こんなに食べたのは、人生で初めてだ。生徒たちが満腹になる頃、テーブルの料理はデザートへと早変わりする。

 糖蜜パイを食べながら、生徒らの話題が家族のものになった頃、ハーマイオニーの隣に座っていた女の子に、パーシーが驚いていた。隣には幸村と、もう一人別の日本人の男の子がいた。

「フジミヤって?」

 純粋な疑問をハリーが口にすれば、ハリーの周りの生徒らはみんな驚いたように口をぽっかり開けた。
 その反応に、ハリーはもう慣れっこだ。ずっとマグルとして生活してきたのだから、魔法族たちの常識なんて知るわけがない。

「ほら、僕が列車で日本の魔法使いシリーズを君に見せただろう?」

 ロンが興奮したように喋り出した。
 フジミヤ、アトベ、サカキ、アベ。幸村はセイメイ・アベが日本で一番有名な魔法使いだと言っていた。アトベはハリーも一度は耳にしたことがある。きっと、ハリーの想像もつかないほどに大金持ちなんだろう。
 そういえば、アトベ一族の子がいると幸村が言っていた。思いだす。ケイゴ・アトベだ。

 ハリーが後ろを振り返り、ちらりとスリザリン席に視線を移してみれば、自慢話に話を咲かせるマルフォイとは違って、アトベは優雅に紅茶のティーカップを傾け、生徒らと談笑していた。滲み出る気品────気品というものがどういうものかわからないがなんとなく────が違う。
 幸村とはちがった、圧倒的な存在感。静寂の美が幸村なら、強烈に印象に残る美しさがアトベにはあった。日本人離れしている容貌も、理由の一つかもしれない。
 さきほどの組分けで見たケイゴ・アトベは、あの嫌味なマルフォイとは違った貴族という印象で、どちらかというと王様のような少年だった。いままでダドリーとその取り巻きの男子しか見たことが無いハリーには、住む世界の違う少年としか表現できない。
 とにかく自信に満ちて、輝いていた。きらきらとした世界を歩く姿が簡単に想像できる。

「ハリー?」
「ああ、うん、ごめん。それで、フジミヤがなんだったっけ」
「あの子、その有名な魔法使いの一族の子なんだって!」

 ロンの声が聞こえたのか、女の子はみんなの注目を浴びたことにびっくりして、おろおろとしだした。女の子の名前を、シノ・フジミヤという。紫乃のその反応に、ロンは少し意外そうにする。

「ユキムラみたいにすごいやつかと思ったけど、普通だよな」

 ハリーの思ったことを、ロンが代弁した。そして、さきほど幸村が言っていた言葉の意味は、このことだったんだと、納得する。
 女の子は、ハリーと同じく糖蜜パイを食べていた。とても幸せそうに食べているので、隣に座っている幸村もにこにこしている。

「教科書で読んだわ。フジミヤは、とても有名なオンミョウジの一族だって」
「ご先祖様がすごかったんだよ」

 パイの食べかすを口の端につけたまま、紫乃が嬉しそうに笑った。なんだか小動物に餌をあげている気持ちになったのは、ハリーだけじゃない。ロンが、「むかし飼ってたハムスターみたい」と言っていた。失礼な発言に違いはなかったが、誰も注意しないあたり、皆がそう思ったにちがいない。

「安倍晴明様に頼みこんでお弟子さんにしてもらってね。晴明様のおかげだよ」
「でも、セイメイとは違った独自の術をいくつも生み出したとも書いてあったわ」

 「どんな呪文? 私、東洋の魔術にも興味があるの! 私にも習得できるかしら?」大興奮で質問攻めにしているハーマイオニーに、紫乃は少しだけたじろいでいた。コンパートメントでのハーマイオニーを知っているハリーとロンは、ほんの少し眉を顰める。
 だが、紫乃は言葉を選びながら、話を続けた。

「こっちの魔法を私はまだ知らないから、なんとも言えないけど……うんとね、お祈りなの」
「え?」
「神様にね、お願いをするの。どうか助けてください、力を貸してくださいって。そうして神様やあらゆる自然の力をほんのちょっとだけお貸しいただいて、その力を使うの」

 にこ、と微笑んだ女の子は、今度はアップルパイに手を伸ばす。

「うまく説明はできないけどね、あらゆることに感謝することから始まるの」
「魔法と少し性質が異なるから、特別な訓練が必要になると思うよ」

 「それに、陰陽術の……特に藤宮家の術は門外不出の秘術だとも聞くから」幸村がそう付け加えると、ハーマイオニーは残念そうだった。幸村によれば、ホグワーツのカリキュラムのように、勉強して杖を振れば習得できるものではないらしい。
 ますます落ちこむハーマイオニーを不憫に思ったのか、紫乃がおそるおそる訊ねる。「呪文とか教えてはあげられないけど、簡単なことなら……私でよければ、教えてあげられる、と思う」その言葉に、ハーマイオニーはがばりと顔をあげ、何度も何度も頷いた。

「嬉しいわ! ありがとう! ええと、シノと呼んでもいいかしら?」
「うん。ハーちゃんって呼んでもいいかな?」
「もちろん!」
「フフッ、良かったね、紫乃ちゃん。ちゃんとは別の女の子の友達が出来たね」
「うん!」

 アップルパイの蜜に濡れて輝く紫乃のリップに、幸村が噴き出したのが見えた。
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