翼を持った男の子4
 夕食の時、ハリーは長い机の真ん中に座らせられて、周りをロンやハーマイオニー、向かいには精市と蔵ノ介と紫乃、更にその周りには主にクィディッチ・チームの面々に囲まれ、ひっきりなしに話しかけられた。
 さすがのドラコもこの包囲網を突破してまた嫌味をぶつけてくるのは出来ない様子で、こちらを恨みがましい目で睨みつけてくるだけだった。どうやら、マダム・フーチに言いつけられたレポートが、よほど長いらしい。

 ただそれでも、わざわざ待ち伏せをしていたのか、夕食が終わって寮に帰るとき、「先生に言いつけるなんて、卑怯者め」と、わけのわからないことを呻くように言われた。

「言いつけてなんかいない。マクゴナガル先生は最初から見ていたんだ」
「嘘をつくな」
「嘘じゃないよ」
 やっぱり話しにならないな、と、ハリーは眉をしかめた。
 しかし、ハリーが抱いているのは彼に対する怒りではなく、どちらかと言えば、呆れと、なんだかもうどこまでも面倒くさいような気持ちだけだ。
「もしそうじゃなくたって、君が何をしたのかは、大勢証言する人がいるんだ。僕が卑怯者もなにもないだろう」
 ハリーが正論を言うと、ハーマイオニーは深く頷き、ロンは勝ち誇った顔をした。
「ねえ、さっきも聞いたけど、なんだってそんなにわけのわからない嫌がらせばかりするんだい。言っちゃなんだけど、ぜんぜん面白くないし、誰も喜ばないと思うよ」
「うるさい!」
 ドラコはまた真っ赤になって、荒々しい足音を立てながら行ってしまった。
 ロンは「君、最高だな!」とハリーの肩を嬉しげに叩いたが、ハリーはなんだかとても疲れて、ため息をついた。



 寮に帰ってきてから、ハリーは手紙を書いた。
 宛先は、景吾である。テニス部に誘ってくれた彼には、事情を説明しておきたかった。彼ならたとえ他寮のことでも秘密は守ってくれるだろうし、直に言うと誰かに聞かれるかもしれないが、手紙ならその心配もなさそうだと思ったからだ。
 それに、シロフクロウのヘドウィグも、仕事ができて嬉しいだろう。

 そうしてハリーが手紙を書き終わった頃、学校のふくろうとわかる小さなタグを足につけたフクロウが、窓をくちばしでコンコンと叩いた。
 ハリーは、慌てて羽ペンを置き、窓を開ける。
 長距離を来た場合は水と食料を与えるのがマナーだが、学校内の手紙なら、その必要もない。フクロウはホウとひとつ鳴き、まるで挨拶するようにヘドウィグに少し頭を下げた後、さっさと飛び立っていってしまった。

「──僕宛? 何だろう」

 薄っぺらい封筒には、確かに、“ハリー・ポッター様”と宛名が書いてあった。
 ハリーに手紙をくれる人の心当たりは、あまり多くない。一度ハグリッドから手紙を貰ったが、字がまるで違うので、彼ではないだろう。封筒も、なんだか繊細な感じだ。

 部屋の机に備え付けのペーパーナイフを使って封を切ると、中から、薄い便箋が一枚出てきた。

ハリー・ポッター様

大事な話がある。とても大事な話だ。
本日の真夜中0時、トロフィー室に一人で来られたし。鍵は開いている。

M 
「“M”……、もしかして、マルフォイ?」
「マルフォイだって?」
 ロンが、ベッドの上で、素っ頓狂な声を上げた。
 ちなみに、ハリーのルームメイトは、彼とネビル、精市、蔵ノ介だが、テニス部二人は部活に行っているので、ここにいるのはロンだけだ。

「本当に? もしかしたらラブレターかもと思って黙ってたけど、マルフォイ?」
「ラブレターって何だよ」
「今日の活躍を見れば、十分あり得ることだぜ」
 ロンは、にやりと笑ってみせた。
 ハリーはそのことについて相手をしないことにして、便箋をロンに見せる。
「おお、神経質そうな、厭味ったらしい細い字だ。確かにマルフォイに違いない」
「ロン、あいつの字を見たことがあるの?」
「ないけど、この場合、あいつしか考えられないだろ。ラブレターじゃなさそうだし」
 どちらかというと果たし状だろ、とロンは言った。それにはハリーも同意だが、困った顔で、ハリーは首をひねる。

「果たし状……、つまり、喧嘩ってこと?」
「呼び出しってことは、そうさ。でも、簡単に行っちゃだめだ。あいつなら、絶対にゴイルとクラッブを連れてくるからな。一人で行ったりしたら、1対3でボコボコにされちまう」
「でも、話があるって書いてある。もしかしたら、本当に話したいのかも」
「はぁ?」
 ロンは、わけがわからない、という顔をした。一体何をトンチキなことを言っているんだ、と顔中で表現しているような顔である。

「飛んだ時と夕食の後、僕、マルフォイに聞いたんだ。なんでこんなくだらない嫌がらせばかりするのかって。どちらも癇癪を起こして答えなかったけど、部屋に帰って落ち着いたら、もしかしたら冷静になって話す気になったのかも」
「……ええ?」
「だって、あんなにくだらない、誰も喜ばない馬鹿馬鹿しい嫌がらせを常にやるなんて、ちょっとおかしいだろ」
 ハリーは、同情的というか、心配そうにも見える真顔で言った。
「なにか深い事情があるのかもしれないじゃないか。あんまりやることが馬鹿馬鹿しいから、もしかしたらマルフォイは頭がおかしい可哀想な子なのかなとも思ったけど、ここは魔法の世界だもの。例えば、そうしないといけない魔法とか呪いにかかっていて、やむをえず、とかかもしれない」
「君、それ、マルフォイに対する一流の悪口?」
「どういう意味? 僕、なにか悪いことを言った?」
「素か。君、なかなかだな」

 ハリーも真顔だが、ロンも真顔だった。
 そしてロンはうんうんと頷き、なんだかちょっと可哀想なものを見るような感じで手紙を見てから、ハリーに言った。

「君の考えはよくわかった。確かにそうかもしれない。なんてったって、マルフォイのやることは異常だからね」
 ロンは、わざとらしいくらい真面目くさった顔で、ハリーの両肩に、それぞれ手を置いた。
「でも、単に気に入らない君を真夜中に呼び出して、待ち伏せしてボコボコにしようって魂胆の可能性も濃厚だ。そこはわかるよね?」
「うん」
 もちろんだ。そうでなくても、ハリーはダーズリー家にいた頃、同じような目に何度かあっているのだから。

「だから僕がついていくよ」
「えっ」
「一人で来いとは書いてあるけど、やっぱり危ないもの。マルフォイが本当に君と話したくて呼び出したなら、僕は部屋の外で待っているし。そうじゃなかったら、殴り合いに加勢するなり、助けを呼ぶなり、なんだってするさ」
「ありがとう」
 ハリーは、なんだってする、とまで言ってくれたロンに、心からの感謝の言葉を告げた。



 そして11:30になろうとする頃、もう寝てしまった精市と蔵ノ介を起こさないように気をつけながら、ハリーとロンはパジャマの上にローブを引っ掛けた。
 杖を手に、寝室を這うようにしてそっと横切り、塔の螺旋階段を下り、グリフィンドールの談話室に降りてくる。暖炉にはまだわずかに残り火が燃えていて、肘掛け椅子が弓なりの黒い影に見えた。

 そして、出入口である肖像画の穴に入ろうとした時、ハリーとロンは、口から心臓が出るかと思うほどびっくりした。

「きゃああ!」
「うわあ!」


 向こう側から、つまり外からちょうど同時に入ってきてはち合わせをしたのは、ハーマイオニーだった。彼女もまた、パジャマ姿で、ピンクのガウンを羽織っている。
「ああ、驚いた! あなたたち、こんなに遅い時間に一体何をしてるの」
「それはこっちの台詞だよ!」
 ばくばく鳴る心臓の上に手のひらを置いて、ロンが言った。しかし、それこそ“こんな時間”なので、ハリーが口に人差し指を当てて「しい」と言うと、二人とも自分の口を押さえて、揃ってひとつ小さな咳払いをした。

「私は、コウメのところに行っていたの。髪の結い方を教えて貰う約束だったのよ」
 そう言うハーマイオニーの髪は、今から寝るのにふさわしく、ゆるい編みこみにされている。この状態で寝ると、翌朝いい感じのウェーブがかかるのだ、と、紅梅と同じ部屋の先輩から教えてもらったらしい。
「君、他の寮の部屋に行ったの?」
「別に禁止されちゃいないわ。女の子同士だし──、それに、ハッフルパフはそういうところがおおらかなのよ。知らない子がいきなり入ろうとするのはもちろん感じが悪いけど、友達なら気軽に受け入れてくれるんだから。あなたたちも、サナダやキヨの部屋に遊びに行ってみたら? 歓迎してくれると思うわよ」
「へえ」
「へえ。……って、今はそんなことはどうでもいいんだよ」
 ハリーは興味深そうに頷き、ロンもそうしかけたが、我に返って、ハーマイオニーをまっすぐに見た。

「何よ。外をうろついちゃいけないのは0時からだから、私は規則を破っていないわよ。まだ11:30を過ぎた頃だもの。コウメのところでお風呂を借りたし、予習も復習も終わったから、後は部屋に帰って寝るだけよ」
「そんなこともどうだっていいよ」
「じゃあ、何なのよ。というか、あなたたちこそ何をしてるの。ローブなんか着て、今から外に行こうっていうんじゃないでしょうね。規則違反よ!」
 ハーマイオニーが眉尻を釣り上げると、藪蛇を出したロンは、うへえ、という顔をした。
「今日の飛行訓練のことは、特別よ! ハリーだって、事情があっても罰則は貰ったんだから。それなのに──」
「マルフォイに呼び出されたんだ」
 ガミガミ言い始めたハーマイオニーを遮って、ハリーが言った。

「マルフォイですって?」
「おい、ハリー。なんで言うんだ」
 違う意味合いで、揃って怪訝な顔をする二人に、ハリーは苦笑した。
「ここで嘘をついたって、ハーマイオニーは納得しないさ。うまい言い訳も思いつかないしね」
「まあ、そりゃあそうかもしれないけど」
「ちょっと、どういうことなの」
「ちゃんと説明するよ」
 急かすハーマイオニーに、ハリーは、本当にきちんと説明した。
 落ち着いていちから説明すると、ハーマイオニーの表情は即座に落ち着いたし、ハリーの話の途中でヒステリックな大声を上げたり、ガミガミ言ったりなども、一度もしなかった。
 さらに、届いた手紙をハリーが見せると、真剣な顔になって、小さく数度頷く。

「なるほどね。私もマルフォイの筆跡は見たことがないけど、これはマルフォイからの手紙に間違いないわ」
「そう?」
「ええ。その便箋、よく見てみなさいよ。わからなければ、あっちのランプに透かしてみればいいわ」
 ハリーとロンは、言われたとおりにした。すると、ただ白っぽいだけのシンプルな便箋に、何やら豪華な、紋章のような模様が現れる。

「それ、マルフォイ家の紋章よ。魔法族の名家について書いている本に載っていたから、確かだわ。魔法族に限らず、貴族は手紙を出す時、そういう、自分の身分を証明する道具を使うのよ。そして紋章の透かし入りのレターセットなんて、その家の人しか使えないものだもの」
「なるほど。じゃあ本当にマルフォイからの手紙なんだね。あいつ、姉さんとか兄さんとかもいないだろ?」
「そのはずよ。……“M”だなんて書いて後でしらばっくれるつもりかとも思ったけど、こんなものを使ってるなんて……どういうつもりかしら。もしかして何も考えていないのかしら……そこまでばかなのかしら……。もしかして、紋章が入ってることを知らないとか……? まさかね」
「何?」
「いいえ、なんでもないわ」
 ぶつぶつ言っているハーマイオニーにハリーが首を傾げたが、ハーマイオニーは首を振った。

「ちょっと、ハリーの言うことも当たってるかもと思っただけよ。こんなことをするだなんて、確かに、なにか呪いにかかっているという可能性がなくもないわね」
「君もそう思う?」
「ええ」
 頷き合っているハリーとハーマイオニーを見て、ロンとしては、要するにドラコのことを、頭がおかしくなっているとしか考えられない、呪われたような馬鹿だと言っているだけとしか思えなかったが、生ぬるい目のまま真面目くさった顔を作って、ただ頷いておいた。

「──わかったわ。私もついていく」
「なんだって?」

 そう言ったのはロンだが、ハリーも目をまん丸くしていた。
 この規則に厳しいハーマイオニーが、まさかそんなことを言い出すとは、思ってもみなかったからだ。手紙など無視して寝なさい、と言うだろうから、なんとか見逃してもらえれば御の字だと思っていたのに。

「私個人的には、ロンが言う通り、待ち伏せしてハリーを何かの罠にはめようとしている、っていう確率のほうが高いと思うわ。今までの彼の行動からすると、そっちのほうが自然だもの。それを考えると、手紙なんか無視して寝てしまったほうがいいと思うけど」
 ハーマイオニーは、二人を見て言った。
「でもハリーのいうとおり、万が一──万が一ってつまり数学的に言うと0.01パーセントのことだけど──、マルフォイが本当に何か話をしようとしていて、更にもしかしたら今までのことを反省しようとしているとかなら、ここで無視するのはよくないとも思うの」
 なんだか苦しそうな、苦々しい口調。そしていちいち頭に「ないと思うけど」とついていそうな様子で、ハーマイオニーは言った。

「もし乱闘になったら、ロン、あなた加勢するつもりなんでしょう?」
「もちろんだよ。ハリーを置いてはいけないからね」
 ロンは、いかにも男らしさをアピールするような顔で断言した。
「だからもしそうなったら、私、その手紙を持って先生のところに走るわ。紋章入りの便箋なんて、この上ない証拠になるし。善意の事情があってやったことなら退学にもならないし、罰則も減点もそれほどじゃないって、今日証明されたところだもの」
「でも、罰則は受けるよ」
 ハリーが言うと、ハーマイオニーは、ゆるやかに頷いた。きれいな笑顔だった。

「そうね。でも、反省文とレポートくらいならどうってことはないわ。私、レポートを書くのは得意だし、減点されてもそれ以上に取り返すわ。この間の魔法薬学でだって、ユキムラはそうしたもの。私にだってできるわ」
「でも……」
「そ、それに、とと、とも、友達のためですもの! そのくらいは、いいわ! いわゆる、あれよ。朝飯前というやつよ!」
 前半はとてもきりっとしていたのに、後半はどもりまくっていて、目は泳ぎ、顔は赤い。ハリーはとても驚いてぽかんとしていたが、やがて、満面の笑みになった。

「ありがとう、ハーマイオニー。頼りにしてるよ」
「任せておいて!」
 ハーマイオニーは、赤い顔のまま胸を張った。

 その様子に、呆然としていたロンは、はあ、とため息をついた。
 ロンはこの一件について、いかにも男の世界の話だと思っていたので、女の子のハーマイオニーがついてくること自体に、あまりいい気はしていない。
 だがハリーから手紙を受け取り、厳重にガウンのポケットに仕舞った真剣な表情の彼女を見て、ただ「おせっかいめ」とごく控えめにつぶやいただけで、反対することはしなかった。