翼を持った男の子3
そう言い切ると、オリバーは目をまん丸くしており、マクゴナガルもまた、驚いた顔をしていた。しかし幾らかの沈黙が場を支配した後、マクゴナガルは、ふっと表情を緩ませた。
「そう……、そうですか」
「……ごめんなさい。あの、侮辱したわけじゃないんです。むしろ僕は」
「ええ、わかっています。まだクィディッチをちゃんと見たこともないのに、クィディッチに敬意を払ってくれてありがとう、ポッター。クィディッチを愛するものとして、とても嬉しく思いますよ」
そう言ってくれたマクゴナガルに、ハリーは、マクゴナガルが自分の言いたいことをきちんと受け止めてくれたことを感じ、とてもほっとした。
景吾と話したあの時から、ハリーは誰に対しても、何に対しても、まず尊重するということを心がけることに決めた。
そしてその対象は人間や動物だけでなく、スポーツとか、勉強とか、あるいは趣味なども同じことではないだろうか、と、テニスやクィディッチに夢中になっている彼らを見て思ったのだが、それは間違っていなかったと思い、嬉しくなった。
オリバーはまだ複雑そうな顔をしているが、怒っているというよりは、なんだか考えこんでいるような感じだ。
「……さきほどあなたの飛ぶのを見て、まるであなたのお父さまのようだと思いましたが、あなたの心根は、お母さまにとてもよく似ているのですね」
「えっ……」
思いもかけないことを言われたので、今度はハリーが目を丸くした。
「あなたのお父さま──、ジェームズ・ポッターは、とても優秀なクィディッチ選手でした。もちろん、グリフィンドールの。ポジションはチェイサーでしたけれどね」
「お父さんが……」
「ええ。彼は成績優秀で人気者でしたが、ひどい悪戯者でもありました」
マクゴナガルは、懐かしそうな遠い目をして、くすくす笑った。
「あんなに手を焼かされた生徒は、後にも先にもいません。さっきのあなたの行為で退学になるなら、あなたのお父さんは少なくとも1000回は退学になっていますよ」
あたりまえだが、ハリーは、自分の両親のことを、ほとんど覚えていない。語ってくれる人もいなかったので、こうして誰かから自分の両親の話を聞くのは、宝箱を開けて見せられているような心地だった。
しかも、ハグリッドでさえ悲しい顔をしてまともに話してくれない両親のことを、マクゴナガルは、悲壮な様子もなく、ただ在学中の時の様子を、にこやかに、親しげに話してくれている。ハリーはそれがとても嬉しかった。
「そしてあなたのお母さまのリリー・ポッター……当時はリリー・エバンズですが、彼女は明るく朗らかな人柄で、とても心優しく、誰に対しても平等で、まず相手の心を尊重する人でした。先ほどのあなたの様子は、お母さまに生き写し」
ハリーは、思わず泣きそうになった。
(ああ、僕がやろうとしたことは、何一つ間違っていなかった!)
なぜなら、母もそうだったのだから。だからこれからもそうあろうと、ハリーは今度こそ本当に心に決めた。──自分も、お母さんのようになるんだ、と。
「こう言ってはなんですが、もしあなたのお父さまだったら、二つ返事で選手になって、あとでマルフォイを追いかけまわして、ひどい悪戯を仕掛けるのを一週間は続けたでしょうね」
その発言に、ハリーは滲みかけた涙が引っ込んで、きょとんとした。うへぇ、双子よりひどいな、と、オリバーがぼそりと小さく呟いている。
「……ポッター。先ほどあなたが言った、“ハリー・ポッターだからか”というのは、否定します」
マクゴナガルは、真剣な、そしてこの上なく誠実な目をして言った。
「そしてあなたの言う通り、クィディッチは素晴らしいスポーツであり、そう簡単に代表選手になれるものではありません」
「それなら」
「それでも」
強い口調で、マクゴナガルはハリーの発言を遮った。
「それ以上に、私はあなたに無限の可能性を感じました。ただそれだけの話です」
「それだけ、って言われても……」
まったく褒められ慣れていないハリーにとって、マクゴナガルの評価は、ぶっ飛びすぎていて逆に実感がわかない。居心地悪そうにしているハリーに、マクゴナガルは続けて言った。
「そうですね……、たしかにあなたの箒の乗りこなしは荒削りです。実際、あれが初めての飛翔ですしね。しかしあなたの飛翔は、まるで黄金に輝いているかのように素晴らしいものでした。あの飛翔が本格的な練習によって更に洗練され、クィディッチ場を飛び回ったなら、と思うと、私はもういてもたってもいられなくなったのですよ」
「先生」
「ポッター、あなたもそうだったのでは? 初めて飛んで、どう思いました? もっと飛んでみたい、飛ぶことで何かを成してみたいとは思いませんでしたか? ──楽しい、とは思いませんでしたか?」
先生は僕の心が読めるのだろうか、と、ハリーは魔法の存在を疑った。
しかしマクゴナガルの目はやはりどこまでも真っ直ぐで誠実で、何一つ卑怯なことなどしそうにない、清廉なきらめきをたたえていた。
「……僕、テニス部に入ろうかなと思っていたんです。アトベに誘われたのもあって」
「まあ」
「なにぃっ」
やりますねミスター・アトベ、さすがだな、とマクゴナガルとオリバーが本当に悔しそうに言うので、ハリーは少し笑った。
「確かにテニスは奥が深いし、僕も向いてないわけじゃないらしいし。実際やってみても、楽しかったです。でも、その、……箒に乗るほどじゃなかった。僕にとっては、ですけど」
ちょっと照れくさそうにハリーが言うと、マクゴナガルは一瞬目を見開いて、それからとてもにっこりとした笑顔になった。
オリバーもまた、輝かんばかりの笑顔になっている。
彼らの笑顔に、ハリーはまっすぐに言った。
「僕、今日、初めて飛びました。こんなに楽しいことがあるなんて知らなかった」
「では」
「一生懸命練習します。──頑張ります。だから、僕にクィディッチをさせてください」
お願いします、と、ハリーはきちんと頭を下げた。
するとオリバーが拍手をしてくれ、その大きな音が、がらんとした教室に響き渡った。その拍手の隙間を切り裂くように、「頭をあげなさい」という、いつもどおりに厳しい、しかし喜びにあふれた声がしたので、ハリーは頭を上げる。
マクゴナガルは、にっこりと、そして満足そうに、喜ばしそうに微笑んでいた。
「わかりました。一年生のあなたを寮代表選手に推薦するにあたって、ダンブルドア先生にきちんとご報告し、私の名において、正式な手続きを踏みます。──あなたが厳しい練習を積んでいる、という報告を聞きたいものです。期待していますよ、ポッター」
期待している、という言葉に、ハリーは震えた。初めて言われた言葉だった。
その震えは武者震いというものだったが、ハリーはわからず、しかしただ、誓った。
「はい! 一生懸命やります。その、推薦してくださった先生に失礼なことにならないように」
「良い心がけです。推薦した甲斐があります」
うんうん、とマクゴナガルは頷く。そして、ふと、優しい表情になった。
「あなたのお父さまは、あなたがクィディッチ選手になったことに、どんなに喜ぶでしょう。──そしてそれと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、あなたが常に誰かを気遣い、尊重し、敬意を捧げることの出来る素晴らしい心根を持って育ったことを、お母さまはとてもお喜びになると思いますよ」
私も嬉しく思います、と続けたマクゴナガルに、ハリーは、泣きそうになるほど大きく笑った。
「そういうことだ。拍手!」
ハリーの方に手を置いたオリバーが輝くような笑顔で言うと、談話室に集まったグリフィンドールの面々は、万雷の拍手を送ってくれた。ハリーが照れくさそうにはにかむ。
戦略上、新しい選手、しかも一年生というダーク・ホースが入ったことについて、キャプテンのオリバーは秘密にしたがったが、ハリーは、自分をかばってくれた一年生のグリフィンドールの皆にはきちんと話したい、と言った。
オリバーはそれを理解し、また、それならいっそグリフィンドール皆の秘密として打ち明けよう、ということになった。誇り高きグリフィンドールに、秘密を漏らす奴などいまい! というのが、彼の主張である。
そしてすべての授業が終わり、夕食までの短い休み時間、オリバーはクィディッチ・チームの仲間や彼の個人的な友人たちに頼み、すべてのグリフィンドール生を、談話室に呼び集めたのだった。
少し興奮が治まってきたハリーは少し怖気づいて、例えば、生意気だ、とか言われて反対されるのではと少し心配だったのだが、戸惑ったり、驚いている者こそいるものの、異議を唱える者は概ねいなかった。
クィディッチ・チームの面々、特にウィーズリーの双子は大喜びしているし、他のメンバーも同じような感じだ。オリバーからも聞いていたが、グリフィンドールのチームは、ロンより7つ年上でシーカーだった、チャーリー・ウィーズリーが卒業してからというもの、正式なシーカーがいないままの状態で、ずっと優勝カップを得られなかったのだという。
誰もが、正式なシーカーを待ち望んでいたのである。
そして誰もが反対しない一番の理由が、
「マクゴナガル先生の推薦だって? じゃあ間違いないな。あの人のクィディッチに関する目は何よりも確かだ」
というものだった。マクゴナガルは寮監をしているグリフィンドールだけでなく、副校長として、ホグワーツ生徒全体から文句なシノ信用と信頼があるが、ことクィディッチに関しては、絶対のものを持っているらしい。
ハリーは、マクゴナガルに再度感謝した。
「そう……よかったわね、ハリー。規則を破ったことで選手になったっていうならちょっと違う気がしたでしょうけど、スカウト制度なんてものがあったのね」
ハーマイオニーも、納得したのか、にこやかに頷いて、祝いの言葉を述べてくれた。ありがとう、とハリーも微笑む。
「うん、そうらしいんだ。それに、マダム・フーチの言いつけを破ったことについてはまた別のことだから、罰則を受けることになったよ。もちろん、マルフォイもね」
「当然のことだわ」
うんうん、とハーマイオニーは頷いた。
彼女はハリーが退学にならないように規則を破るなと注意したのもあるが、規則を破ることそれ自体にも厳しい性格だ。だが彼女の親切さを知れば、その口うるささもさほど気になるものではない、とハリーは思っている。
「特にマルフォイは、厳しいのを受けるべきだと思うよ」
と憤慨した様子で言ったのは、ロンである。
ハリーがシーカーに選ばれたと発表された時、彼は飛び上がり、全力で喜んでくれた。すごい、すごい! を連発して、髪と同じくらい顔を赤くして喜んでくれる姿に、ハリーはやはり彼は僕の親友だ、と実感し、これからもロンと仲良くしていきたい、と思った。
「だってハリーはネビルの思い出し玉を取り返そうとして飛んだけど、あいつは嫌がらせをするためだけに飛んだんだ。悪質すぎるよ」
「うん……、でも、君が言った通り、マルフォイのほうが罰則が重いよ」
「えっ、そうなの?」
ロンは、嬉しそうな顔をした。ハリーが苦笑する。
罰則を出したのは、事情を聞いたマダム・フーチである。彼女は明言しなかったが、出て行ってもらう、というのはやはり脅しの言葉だったようで、手慣れた様子で罰則を言い渡してきた。目を離した隙に生徒がどこかに飛んでいってしまうのは、どうもよくあることであるらしい。
「で、罰則の内容は?」
「僕は反省文と、次の授業で箒を並べておく雑用」
「……まあ、妥当なところじゃないかしら」
ハーマイオニーが頷いた。反省文は定番だし、皆より早くグラウンドに出て、数十本の箒を並べておくというのは、重労働というほどではないが地味に面倒な作業である。
「で、マルフォイは?」
「あいつも反省文と、レポート」
「レポート? 飛行術に関するレポートかしら」
「正しくは、クィディッチに関するレポートだね。テーマは『クィディッチにおけるフェアな精神性について』だって」
ハリーが飛んだ理由、ドラコがしでかしたこと、そしてマクゴナガルがハリーとどんなことを話したかについて聞いたマダム・フーチは、マクゴナガルと少し相談して、この課題をドラコに言い渡したのだ。
「あなたはスポーツのフェアな精神については、もうよくわかっているようですからね」とにっこりして言われたのが、ハリーは照れくさくも嬉しかった。
「そりゃあいい! あいつはちょっとそういうのを本格的に学ぶ必要があるぜ」
10メートルぐらい書かせりゃいいんだ、とロンは笑いながら言った。
正直なことをいえば、ハリーもそう思う。まるで言葉の通じない、猿のように喚き散らして玉を放り投げたドラコの姿を真正面から見れば、彼はもっと落ち着いてものを考えるべきではないか、と強く感じた。
「良かったね、ポッター」
「まー、見事なダイビングやったからな。スカウトされるのも納得やで」
不意に近づき、そう言ってくれたのは、精市と蔵ノ介である。
ありがとう、とハリーが改めて礼を言うと、彼らの隣に並んだ紫乃が、少し残念そうな表情をしているのに気付く。
「私、怖くて、ポッターくんが玉を取った所、ちゃんと見れなかった。そんなに凄かったんなら、怖くても目を開けていればよかった」
「まあ、まあ。これからポッターは試合でいくらでも飛ぶんだから、見る機会はたくさんあるさ」
精市がなぐさめると、紫乃はぱっと笑って、「そう、そうだね! 応援に行くからね!」と朗らかに言ってくれた。
「そう、紫乃ちゃんてば、ポッターが行った後、すごかったんだよ」
「ゆ、ゆきちゃん!」
「ええやん、藤宮さん。ポッターも喜ぶで、これ聞いたら」
「どういうこと?」
精市や蔵ノ介だけでなく、他のグリフィンドール一年生らも全員、それを聞いてにこにこしているので、ハリーはきょとんとした。
そしてハリーは、自分がマクゴナガルについて行った後、ハリーがパーバティに託した思い出し玉をまたもドラコがひったくったのを、なんと紫乃が取り返したのだ、ということを聞いた。
ハリーは心底驚き、緑の目を眼鏡のフレームと同じくらいまんまるにして、紫乃を見る。
まさか、この、ハムスターなどの小動物を彷彿とさせる、いつも精市や蔵ノ介、あるいは幼馴染だというレイブンクローの国光の影に隠れるようにして、びくびくとしている気弱な少女が、そんなことをするだなんて、ハリーは想像もつかなかった。
「本当に?」
「あの、あの、でも、実際にマルフォイくんから玉を取り返したのは跡部くんで、私は」
──本当のようだ。
そして周りの補足によると、つまりドラコにとどめを刺したのは景吾というのも本当らしい。どうやら、藤宮家と、そして暗に跡部家の名前をちらつかせて、ドラコを脅し、黙らせたようだ。
それを聞いて、ああ、“言葉が通じない”、“動物以下”だと彼も思ったんだなあ、とハリーは察した。
「そっか……そうなんだ。ミス・フジミヤ、君、実はすごく勇気があるんだね」
「そそそ、そんなこと」
「そうよ! シノが一番最初にマルフォイに食って掛かったんだから」
ハーマイオニーが、とても誇らしげに胸を張って言った。「ハーちゃん!」と紫乃があわあわとするが、彼女以外の誰もが、ハーマイオニーと同じような顔をしている。
「あの……、ハリー。玉をマルフォイに取られて、ごめんなさい」
そこで、おずおずと出てきたのは、パーバティだった。その言葉以上に、しょんぼりとしている。しかしすぐに誰かが「しかたがないよ。あのばかでっかいのに邪魔されちゃあ」と擁護する。
ドラコが玉をひったくった後、取り返そうとしたパーバティだが、ゴイルとクラッブ二人の巨漢に阻まれてしまったらしい。
「気にしないで。君のせいじゃないよ」
ハリーが言うと、周りも、そのとおりだ、と同調する。
女の子で、どちらかというと小柄なパーバティが、あんな二人に阻まれたら何もできなくなるのはしかたがないだろう。
「ありがとう。それで、私、玉をネビルに渡しに行こうと思ったんだけど、薬で寝てるし、絶対安静だって、会わせてもらえなかったの」
「えっ、そんなに悪いの?」
「ううん、薬の効き目で寝てるだけよ。魔法薬って、すごく眠くなるから。夕食は一緒に取れないだろうけど、夜寝るときは寮に戻れるって」
それを聞いて、ハリーはほっとする。パーバティは、ちょっと笑った。
「それに……事情を聞いたマダム・ポンフリーが、あとでみんなで玉を渡したほうがネビルも感動するだろうっていうのよ。だから明日、みんなでネビルに玉を返してあげたいんだけど、どうかしら。グリフィンドールの秘密も、彼に教えてあげなくちゃいけないし」
こんなに興奮するニュースなのに、仲間はずれはかわいそうだわ、と言ったパーバティに、誰もが笑って頷いた。
そして、ネビルの思い出し玉は引き続きパーバティが預かっておくことになり、グリフィンドールの面々は、夕食を取るため、非常に団結した心持ちで持って、揃って大広間へ向かったのだった。