テニスと杖
「日本人が杖を変化させてしまうのは、“杖”というもの自体に馴染みがないせいもある」

 変化させろ、といっても、具体的にどうやればよいかわからなさそうな少年たちに、太郎は言った。

「杖は、魔法界では何よりも身近な道具であり、魔法を使うという行為とは、イコールで結ばれているといってもいい存在だ。だが日本ではそうではない。それ自体が全く日常的ではなく、フィクションの世界ですら、特定のジャンルでしか見かけないものだ」

 太郎の説明に、留学生全員が頷いている。
 そもそも、“魔法使い”という響き自体が、基本的に、遠い外国のもの、という感覚である。

「だが、魔法文化も伊達に長くない」
 はじめからこの形であったわけではなく、かつてはそれこそ“杖”そのもの、いわゆる地面について使うステッキのような形状が主流の時代もあった──と、太郎は、実は魔法史の教科書にも載っている講釈を述べた。
「しかし今、多少の長さ太さの違いはあれど、だいたいが長さ三十センチ前後、太さ一センチから三センチ程度の棒状。これはこの形が最も振りやすく、携帯しやすく、日常生活に適しているからだ」

 説明というより既に立派な授業、講義になっている話を、留学生らだけでなく、見学者たちも、興味深そうに聞いていた。
 日本人らにとって“杖”そのものが珍しいように、杖が変化する、それそのものが、魔法族にとってはとても珍しい、いや想像もしたことがない現象だったからだ。

「よって、購入した時の、杖の形状になるのが一番いいが、イメージしにくい場合は、せめて人がいる場所でも振って迷惑にならないものであればよろしい。長すぎるもの、大きすぎるものは却下」
「あ、あの」
 紫乃が、おそるおそる手を上げた。太郎が発言を許可すると、紫乃は自分の杖を両手で持って胸の前に示す。

「先生、私の杖は、買った時のままなんですが……」
「その場合は変化させる必要はないが、せっかくなので挑戦してみなさい。必須ではないが、習得しておいて悪いものでもない。見学の者も、やってみるといい」

 すると、見学の生徒たちが一斉に自分の杖を取り出し、あれやこれやと言い始める。
「サカキ先生、呪文は?」
「呪文は存在しない」
 観客席から上がった声に、太郎は簡潔に答えた。ざわ、と、どよめきが上がる。

 魔法を使うには呪文を唱えるというのが常識、いやそれ以前の認識である魔法族にとっては、カルチャーショックもいいところだった。
 マクゴナガルですら、目をらんらんと輝かせて自分の杖を握り、太郎の言葉に聞き入っている。

「杖は、君たちに忠誠心を抱いている。杖にイメージを伝え、このように従ってくれと願うのがコツだ」

 すると、最前列にいたマクゴナガルの杖が、ピンクの、鈴のついた猫じゃらしになった。

「すばらしい。さすがですな──点数を差上げられないのが残念です。そのかわり、心からの賛辞を。皆さん、マクゴナガル先生に拍手を」

 太郎がそう言うまでもなく、皆が拍手をする。
 マクゴナガルは飄々とした顔をしていたが、全くまんざらでもなさそうに、つんと顎を逸らしている。
 すっと猫じゃらしを横に振ると、杖は元に戻った。それからマクゴナガルは、左右に杖を振る度に、ペンだの、編み棒だの、色々な棒状のものに杖を変化させた。もうコツを掴んだらしい。
 さすが公式登録アニメーガスにして、変身術担当教諭である。

「さあ、皆やってみなさい。特に君たちは、早くしないとボールを打つ時間がなくなるぞ」

 ラケットを持った留学生組が、一斉に自分の杖に集中する。
 すぐに変化させたのは、一度木刀に変えたことのある弦一郎。しかしそれは、確かに三十センチほどの短さではあったが、脇差しか小太刀かというくらいの木刀であった。

「真田。木刀といえど、刃物はやめなさい」
「く……、申し訳ありません」
「こういう、人前で振るのに支障のある、傍目から見て物騒なものは却下だ」

 弦一郎は悔しそうな顔をしたが、太郎の言うことはもっともなので、おとなしく、もう一度意識を集中させた。

「えい! ……うっ」

 それなりの気合とともにラケットを振った清純が、呻く。
 変化したそれに、全員がそれぞれ吹き出した。

「キャンディか。ふむ、結構。行ってよし!」
「いやいやいや先生これは行っちゃダメでしょう! もう一回やらせてください!」

 清純は少し赤い顔をして、棒の先にストライプ柄の、ぐるぐると渦巻状の大きな飴がついた、いかにも「ペロペロキャンディ」という感じのそれを握りなおした。
 確かに長さも支障なく、振っても危なくはないが、男の子としては、こんなファンシーなもので魔法を使うのには抵抗があった。
 精市などは、腹を抱えてけらけら笑っている。

「千石、どうイメージしたんだ?」
 蓮二が尋ねる。
「う〜ん、これぐらいの長さで、安全なもの、って」
「なるほど、ぼんやりしたイメージで、杖に判断を任せたわけか。具体的なイメージを練る必要があるようだな……」
 そう言って、蓮二は、紅梅が持つ、既に藤枝から戻した扇をちらっと見てから、ラケットを振る。

「ふむ、こんなものか」

 満足気に微笑む蓮二の手にあるのは、紅梅の舞扇より短い、普通の、しかし艶々した黒骨で、なかなか高級感のある扇子だ。
「馴染み深く、仕組みがわかっているものをイメージするのが良いようだ」
「仕組みか……。では」
 今度は、貞治がラケットを構える。

「樫の木と鵺の尾、二十五センチ。樫の木は非常に堅く粘りがあり強度も高く、耐久性に優れ、建築など実用性が高い材料。鵺は日本で伝承される妖怪あるいは物の怪であり──」
 ラケットを振るまでもなく、その途中で、杖が変化した。買った時のままの杖である。

「ふむ。理解とイメージがあれば、馴染みがあまりなくても大丈夫のようだぞ、教授」
「そのようだな、博士。興味深い」
「柳、乾、合格だ。行ってよし!」

 二人は再度杖をラケットにすると、一番向こうのコートで、楽しそうにラリーを始めた。その姿に、残りのメンバーが躍起になる。
 まず魔法族であるため、ある程度“杖”というものに馴染みのある周助、次いで精市が成功させた。

 周助の杖はエンジュの木に、不死鳥の尾羽根を使ったものだ。
 今彼の手にあるのはそれらしく全体的に白っぽいものだが、持ち手のところに、更に白い、槐の花の模様が入っていた。

「あれ。不死鳥の羽より、槐のイメージのほうが強く出たのかな」
「俺もそうみたい」
「俺もや。三人とも、植物好きやからなー」

 精市の杖は、沙羅双樹の木と龍の髭を使ったものだ。こちらも綺麗な白い木で周助のものと似ているが、どこかきらきらとして見える。花の模様はないが、沙羅双樹の特徴である、ジャスミンにも似た香りがする。

 そして蔵ノ介の杖は、つるばみの木と鳳凰の羽根。
 つるばみはいわゆるクヌギのことで、樹液が多く、カブトムシを含む虫達が一番寄ってくる上、新緑・紅葉も美しく、更に皮から幹から葉から実から全て様々な用途で利用できる無駄のない木であるが、その無駄のなさを象徴してか、特に装飾はない。
 しかし買った時よりも磨いた感じになっており、持ち手が握りやすくなっているらしい。

「元の杖のカッコとはちゃうけど、こっちのほうがええな。気に入ったわ」
「うむ。幸村、不二、白石、行ってよし!」

 三人は杖をまたラケットに戻すと、誰がラリーをするかジャンケンを始めた。

「おもしれーじゃねーの……! 俺様に相応しい杖にしてやるぜ!」

 景吾が、ラケットを振った。
 するとそれは確かに杖になったが、あきらかに、買った時の姿ではなかった。本体こそ木のようだが、象牙かと思うほどぴかぴかに磨かれ、持ち手は黄金に精密な細工がされて、サファイアのような宝石が嵌っている。実に豪華な杖だった。

「……ワオ。派手だね、跡部君」
「ハッ、俺様の杖だ! このくらいじゃねーとな!」

 清純はやや呆れ気味だが、景吾はこの上なく満足そうな様子だ。「跡部、行ってよし!」という太郎の宣言に、揚々と美しい緑の芝生へ歩いていく。そして、ジャンケンに負けてあぶれていた蔵ノ介とラリーを始めた。

 そして残るは、マグル組三人。

「弦ちゃん、キヨはん、おきばりやすー」
「みっちゃん、がんばって……!」

 女子二人の応援に、清純ですら反応しない。それほど真剣になっているのである。

「んー……えい!」
「ッセェイ!」
「……っ!」

 気合が入っているのだか抜けているのだかわからない清純の掛け声、対して裂帛の気合の弦一郎、無言だが限りなく真剣な国光。

「──千石、行ってよし!」
「うう、ちょっと納得行かないけどいいや、もう!」

 またしても派手なストライプ模様、しかし手品などで使うような短いステッキになったそれに、清純は複雑な顔で半ば叫ぶ。

「あれかな……、家に居る時、チャーリーとチョコレート工場にはまったからかな……」
「ええんとちゃいます? かいらしぃし」
「うん、なんかポップでキヨちゃんっぽいよ」
「そお? ……うーん、二人がそう言うならいっかー!」

 女子二人の意見でけろっと立ち直った清純は、にこっと笑って、派手な杖を握りしめた。
 ちなみに彼の杖は、銀盃花の木と極楽鳥の羽でできている。銀盃花の木は結婚式などの飾りによく使われるので、“祝いの木”とも呼ばれる縁起の良いものだ。

「……真田。武器はやめなさいと言っているだろう」
「も、申し訳ありません……」

 弦一郎の杖は、投機練習用の苦無になっていた。
 実はこの前にも釵の木剣になっているのだが、形が洋剣に似ているために木刀よりも問題がある、ということで、もちろん却下された。
 そして次に苦無になったわけだが、「剣ではないもの」とイメージして暗器になるあたり、弦一郎は杖に向かって思わず「そうではない!」と突っ込んだが、杖は悪くない。悪いのは、弦一郎の想像力の偏りである。

 それに、弦一郎は「人より先に杖を変身させることを覚えた」というアドバンテージがあると思っていただけに、ここまで手こずるのは予想外で、ひときわ焦りに襲われていた。

「まあ、弦ちゃんは、そういうもんのほうが馴染みがあるよってなあ……」

 しゃあないなあ、と頷く紅梅、そして何より先程から数々の凶器に杖を変身させている弦一郎に、紫乃がドン引きしている。

 そして国光はといえば、まったく変化しないラケットに、困り果てた顔で、むっつりと黙っていた。
 テニスがしたいのに、テニスラケットをテニスラケットでないものにしないとテニスができないとは、これいかに。

「むう……。しかし、杖は全く馴染みがないせいか、変化すらせんのだ」
「ああ、俺もだ。買った時は、持った途端にラケットになったから、どんな色形だったかも良く覚えていないし……」

 弦一郎と国光が、苦り切った様子で言った。

「んー……。うちや蓮ちゃんみたいに、扇子はあかん?」
「扇子か……まあ杖よりは馴染みがあるが……」
 弦一郎が一応挑戦してみるが、うまく変化しない。どうも、自分が本心から格好いいとか、必要だとか思っていないと、杖も反応しないようだ。

「ほな、木で出来てて、刃物の形やのぉて、お稽古で使うことあるもんて、あらへんの?」
「木、というところだと、まず木刀くらいしかないのだが……」

 紅梅の助言に、むむ、と弦一郎が唸る。
 隣にいる国光は、紫乃のアドバイスで多少のコツが掴めたのか変化自体はするようになったが、長い釣り竿になってしまい、当然太郎に却下されていた。
「ピッケル……は、だめだな……」という苦悩の呟きと、「ピッケル!? 一番ダメだよ!」という、焦ったような紫乃の声が聞こえる。向こうも似たり寄ったりのようだ。

「木で出来ていることもあり、刃物ではなく、……」
「筆とか振るんも、なんや格好つかんしなあ……」

 うんうん唸る弦一郎を前に、紅梅もじっと考え込む。
 しかしやがて、紅梅が、ぴん、と目を瞬かせ、ぽんと手を打った。

「十手は?」
「──それだ!!」

 途端、弦一郎の手にあった苦無が、三十センチ程度の十手になる。
 時代劇で与力、同心が持つ定番の小道具である十手は、金属製であるものが有名だが、堅牢な木で出来たものも珍しくはない。
 また、刃物と違って主に柔術系等の訓練を受けねば使えないもので、うまく使えば名前の由来でもある“十本の手に匹敵する働きをする”というほど有効な武器になるが、そうでなければ単なる短い棒であるので、気持ち程度の護身用くらいにしかならない。

 そして、実は遡れば神奈川奉行所預かりの与力を任されていたのが始まりと伝えられている真田家には、捕物のための捕縛術が多く伝わっており、弦一郎も、祖父からそれを習っている。
 そのため、竹刀や木刀ほどではないが、十手には馴染みがあった。
 そして、日本ならお馴染みの捕物道具だが、ここ欧州では、傍目に、ひと目で武器と思う者はまずいないだろう。

 更には、全長は三十センチと長めなものの、持ち手部分が大きいので、棒身部分は二十センチくらいだ。魔法の杖としては、実にちょうどいい長さといえる。

「十手か。……まあ良いだろう。真田、行ってよし!」
「よろしおしたなあ」
「ありがとうございます!」

 すぐさまラケットに変わったそれを握りしめ、弦一郎がコートに走っていく。
 一番最後に残ってしまった国光は非常に焦ったが、紫乃の杖を手にとってよく見せてもらうことで、なんとかラケットから杖に変化させることが出来た。

 右手に紫乃の杖、左手に自分の杖を持ち、これになれ、と念じる。
 すると、檜に麒麟の心臓を使った、確か本来少し長めであったはずの国光の杖は、藤の木に狼のたてがみを使っているという、やや小さめの紫乃の杖と似た感じの杖になった。

「手塚、行ってよし!」
「良かったね、みっちゃん!」

 ほーっ、と、いつになく盛大な重い安堵の溜息をついた国光は、やっとコートに入る。

 コートは四面、人数は九人なため、一面をダブルスコートにし、国光は太郎に相手をしてもらうことになった。
 最後になってしまい非常に焦ったが、元プロに相手をしてもらえる役得に預かったことで、国光はなんとか気持ちを盛り返した。
テニスと杖1/3//終