【2014 新春特別番外編】
赤目の悪魔
 歩いた先、とうとう森を突き抜けてドンとそびえたっていたのは、確かに城だった。

「日本のお城やけど……」
「……どうも、雰囲気がめちゃくちゃだな……」

 二人は、若干困惑しながら城を見上げた。
 紺色の瓦と白い漆喰を使った、上に重ねるような建築。また一番上にはところどころ金箔を貼った豪華な天守閣があるそれは、確かに立派な、和風の城である。
 しかし、周囲はそれらしい石垣や堀ではなく、白い石で作られた壁が覆っており、あらゆるところに、主に薔薇などの洋風の花が咲き乱れている。
 そのため、なにやら、メルヘンな洋風の城のロケーションの中、肝心の城だけを和風のものにすげ替えたようなちぐはぐさがひどい。
 どちらもそれだけを見ればたいそう立派なのに、組み合わせが悪いせいで、なんとも間抜けというか、決まらない様相になってしまっていた。

 いつまでも城を見上げていてもしかたがないので、弦一郎は久々に紅梅を下に下ろすと、連れ立って、大きな門のところまで出向いた。
 そこには、『受付』と紙が貼られた事務用の長机があり、青学のものとはまた別の、ブルーグレーと白、差し色に黒のジャージやテニスウェアを着た、数名の青少年が、立ったり座ったりしていた。

「はいドーモー……、って、真田やん。え、参加するん?」
「いや……そうではなく……」

 やたら低い、良く言えば色っぽい、悪く言えばなんだかねっとりした声の、長めの黒髪をした丸眼鏡の青年に言われ、弦一郎はしどろもどろになった。青年のジャージにも小さく名前の刺繍があり、氷帝学園・忍足侑士、とある。

「榊監督、に用があるだけなのだが。中にいらっしゃるのだろう?」
「ウチの監督に? まー、たしかに中におるけど」
「……たろセンセ、お兄はんらァの監督はんやったん?」
「せやでー。……って、お嬢ちゃん真田の妹か? まさか娘とちゃうよな?」
いいかげんにしろ
「何やねんな! ちょっとボケたくらいええやん!」

 ぎりりと歯を鳴らしてまで凄む弦一郎に、侑士は冷や汗をかいた。

「あの……、真田さん。申し訳ないんですけど、出場者以外は今、城の中には入れないんですよ」
「そーそー。ウチからも、城の中に行ってんのは跡部だけだぜ。あ、お付きってことで樺地も」
 そう言ったのは、鳳長太郎、という背の高い少年と、彼より先輩らしい、短い髪に帽子を逆向きにかぶった、ところどころ顔に小さい傷のある、宍戸亮、という青年だった。
「なるべく融通を利かせたいのはやまやまなんですけど、決まりなので……、すみません」
「む……、そうか」
 決まりなら仕方がない、と、規律に厳しい性格の弦一郎はあっさり折れた。

「むぅ……、ならばとりあえず出場ということにして、話だけでも聞きに行くか」
「そーしてくれる? あ、せやけど、どっちにしろお嬢ちゃんは入られへんで」
「なにっ」
 受付の出場者名簿に名前を書こうとしていた弦一郎は、手を止めて、侑士をぎろりと睨む。その眼光に、侑士はほとほと参った、という顔をした。
「そない睨まれても。勘弁してえな……」
「そーだそーだ。別に意地悪してるわけじゃねーんだしよ」
 ぴょんぴょんと跳ねながら言ったオカッパ頭の少年は、向日岳人、という名前のようだ。

「だが、付き添いで入場している者もいるのだろう?」
「規定知ってんだろ? 年齢制限があっから、こんなチビじゃ入られねえって」
 岳人は言い方こそ身も蓋もなくきっぱりしているが、紅梅に「ごめんなー」と声をかける辺り、本当に意地悪で言っているのではないのだろう。それがわかるだけに、弦一郎は再度「むぅ」と唸り、紅梅は困った顔をした。

「じゃあ、真田が城の中に行っている間、僕らがその子を見ててあげるよ。いいだろ、日吉」
 にこにこしながら言ったのは、さらさらの長めの髪をした、滝萩之介、という青年だった。
「構いませんが……」
 日吉若──、という少年が、愛想の欠片もない声色で言う。だが「ここにいれば安全でしょうし」とわざわざ付け加えてくれる辺り、真面目で良識的な人物であるのだろう。
 ちなみに、その傍らには、事務椅子を繋げたものに丸くなってぐぅぐぅ眠っている、たんぽぽの花ような髪色の少年がいた。袖を通さず、肩にかけられたジャージには、芥川慈郎、という名前が刺繍されている。

「む……、ふむ。紅梅、どうだ?」
「へぇ……」
 紅梅は微笑んでいるが、少し不安そうな、困ったような顔だ。
「……弦ちゃん、ちゃんと戻って来てくれはる?」
「何を言っている。当たり前だろう」
「……ん」
 弦一郎が、本当に、何を言っているのだ、という顔で力強く答えると、紅梅は安心したように、僅かににこっとした。

「ほな、ここで待っとる」
「そうか、わかった」
「気ぃつけて。おはようおかえりやしとくれやす」
 そんな二人のやりとりに、「おい、おはようおかえり、ってどういう意味?」「そのままやん。“早く帰ってきてね”っちゅーこっちゃ」「あーなるほど」「仲良しなんですね!」と氷帝勢がひそひそと言い合っているが、二人は聞いていない。

「うむ、なるべく早く戻る。……では、すまないが、紅梅をよろしく頼む」
「まかしときー」

 侑士が答え、他の面々も頷く。
 門の中に消えていく弦一郎に、紅梅は、最後まで手を振っていた。



「……さて」

 大きな門をくぐり抜け、紅梅と別れてひとりになった弦一郎は、袴の帯を締め直すと、とりあえず、奥に向かって歩いて行った。
 道は美しい薔薇のアーチがあって、他にも、色とりどりの花が咲き乱れている。だがやはりどれもこれも洋風の花なので、そびえ立つ日本の城との違和感がひどい。
「しかし、たしかにこれは幸村の庭だな」
 弦一郎は、精市が自宅の庭にスペースをもらい、自分の花壇を持っていることを知っているし、実際見たこともある。ターシャ・テューダーの絵本や実際の庭にいたく感銘を受けているという精市は、きちんと刈り込まれて統一・整備された造園より、多くの種類が絡みあい、自然のまま生い茂っているようなスタイルを好む。
 そして、いま弦一郎が歩いているのは、まさにそんな風な様子だった。

 だが困ったことに、花が咲き乱れすぎていて、今度は道がよくわからなくなっているので、弦一郎は、誰か城の者はいないのか、と、きょろきょろと辺りを見回した。

「くっそー、めんどくせえ。バラなんか白でも赤でもいいじゃねーかよ……」

 すると、ぶつくさと、少年とも青年ともつかぬ、若い男の声が聞こえた。
 ちょうどいい、この声の主に道を聞こう、と、弦一郎はバラの茂みを潜って、声のする方へ向かっていった。

「すまない、少々道を訪ねたいのだが──」
「あぁん?」

 ガラの悪い声色で振り返ったのは、もじゃもじゃした黒髪で、吊り目を真っ赤にした少年だった。
 そして、その時こそぎろりと睨みつける目をしていたが、弦一郎の姿を認めた途端、みるみる情けない顔になる。
 真っ赤に染まっていた白目も、いつのまにか元に戻っていた。

「げぇ、真田副部長じゃないッスか」
「ふくぶちょう?」

 ここで出会う誰も彼もに、すでに面識のあるような対応をされるのはもはや慣れてきていたが、こうしてびくびくと戦かれたのは初めてだった。しかも、「ふくぶちょう」とはどういうことか、と弦一郎は首を傾げ、一歩彼らに近づく。
 すると、彼もまた一歩下がった。よほど怖がられているようである。

「……そのようにびくつくな。何もせん」
「マ、マジっすか」
「ところで、何をしておったのだ」

 彼らの足元には、赤いペンキの缶があった。そしてその向こうには、白いバラが咲く木。

「いや……、その。実は、部長にここに赤いバラを植えろって言われてたんスけど、間違って白いの植えちゃって、へへ」
「部長?」
「もちろん、ウチの部長っすよ。幸村部長」
「……幸村は女王なのではなかったか?」
「ぶふ! あっやべっ、それ言うと部長キレるんすよぉー、あんま言わないでください」
「そうか。わかった」

 もっと小さい頃、その美形っぷりのせいで男女どちらかすぐに分からない容姿だったため、娘が欲しかった乙女趣味の母によく女装させられていた過去を持つ精市は、男か女か、ということに、ややこだわるところがある。
 女王などと言われればやはりおもしろくないのだろう、と理解し、弦一郎は頷いた。

「それで、そのペンキは何だ」
「いや、だからぁー。白いバラを植えちゃったんで、赤くしようと思って」
「……ペンキで、か?」
「ウッス」

 うっす、ではない。弦一郎は呆れ果てて、眉を顰め、口をヘの字にした。

「馬鹿者。花にペンキで色を塗るなど、何を考えている」
「えー……。でも他になんか方法あります?」
「幸村がどれだけ花好きか、知らんのか? 色の違う薔薇を植えたことなどより、あとから花にペンキを塗る行為のほうが、あやつ、百倍怒り狂うぞ」
「ひぇっ」

 少年は誇張なしに震え上がり、さーっと顔色を青くした。

「ど、どどどど、どうしよう。さ、真田副部長、何とかしてください!」
「何とかと言われても……」
「お願いしますよぉお!」

 涙目で縋ってくる少年に弦一郎は面食らいつつも、不思議と嫌な気はしない。なんだか憎めないというか、放っておけないというか、そういう雰囲気のある少年なのである。
 ──といっても、本来の弦一郎の年齢より、あきらかにいくつか上なのだが。

「ああ、わかった、わかった! 悪気がなかったのはわかった。幸村がどうするかはわからんが、そのことだけ口添えする。それでいいか?」
「へへ、あざーっす!」
 調子のいい笑顔を見せて、少年が、ばさっ、と頭を下げると、細かくうねった黒髪が前に飛び出し、そしてそのバネのような形状に任せてびよんと跳ねる。

 弦一郎は、しょうがないな、という風なため息をついて、ペンキの缶を持ち直した少年に、道を案内してもらうことにした。
 その道行、少年が赤也という名前であることを知った。赤也は「今さら何言ってんスか」ときょとんとしていたが、あまり深く考えない性格なのか、特に不審に思ったりすることはないようだ。

「悪魔? ……おまえ、悪魔なのか」
「そーッスよ。だってここ、魔王城だし」
「は?」
「部長はホントは神の子でぇー、どっちかっていうと魔王なんですけど、この城の主は女王じゃないとダメなんで、女王なんス。俺もよくわかんねーんですけど」
「……俺にもよくわからんが、幸村が魔王というのは分かった」

 弦一郎は、納得したような、諦めたような顔で頷いた。

「で、女王は結婚しなくちゃいけないらしいんスけど、部長、女王だけど男ですし」
「……そうだな」
「だからテニス大会で、テニスの強い女の子を集めようってことになったってワケっすよ」
「ちょっと待て」

 弦一郎は眉を寄せ、怪訝な表情で立ち止まった。

「……女? 十二歳から十五歳の男子、ではなく?」
「はァ? 部長が男と結婚するわけないじゃないッスか。俺、ちゃんと女子って書きましたよ」
「お前が書類を作ったのか」
「そーですけど」

 弦一郎は、嫌な予感がした。
 そして無言のまま、目を丸くしてポカンとしている赤也に、弦一郎は懐に挟んでいた募集要項の書類を取り出し、目の前に突き出す。
 太郎の部屋からそのまま持ってきた、単に用紙というには上等すぎる、招待状のような紙には、確かに、“参加条件:12歳から15歳の男子”とある。

 それを確認した途端、赤也が再び真っ青になった。

「──やっべぇ! 間違えた!」

 その叫びとともに赤也はペンキの缶を落とし、レンガの道が真っ赤になる。
 弦一郎は、あきれ果てた顔で、盛大なため息をついた。
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BY 餡子郎
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