【2014 新春特別番外編】
シンデレラ?
 ──弦一郎が、城の中に消えた直後。

「そーいや、ウチの監督に用って、何なんだ?」
 後ろ前にかぶった帽子をいじりながら、亮が疑問を呈する。そういえば、と思って皆が紅梅を見ると、紅梅は「おうちに帰るんにどうしたらええのんか、聞きとおすの」と言った。
「家て、やっぱ京都やんな? ……うーん、こっから京都。俺らもようわからんなあ」
 紅梅が使う言葉が京都弁であることを確信している侑士が、顎に手を当てて唸る。

「……榊監督は、帰り方をご存知なんですか」
「なんでこんなちっこいのに敬語なんだよ、日吉」
 岳人が呆れた様子で突っ込むと、若はきまり悪そうな様子でぎくりとする。しかし、小学生、しかも女の子とどういう接し方をしていいかわかららないのだろうなあ、というのは、その場にいた大方の者が、言葉にせずとも理解していた。
 だが紅梅は気にしていないようで、こくり、と頷いた。

「へぇ、多分。うちも、弦ちゃんも、たろセンセ追いかけたら、ここに来てしもたん」
「そっか……、なら、確かに、監督に聞くしかないね」
 二人への紅梅の呼び方に軽く驚きつつも、萩之介が穏やかに相槌を打った。

「まー、そういう事情っつっても、真田がここに来たのはびっくりしたけどな」
 そう言い、亮が椅子にやや荒い仕草で腰掛けた。ぎしり、と、折り畳みの椅子が音を立てる。そうですね、と長太郎が応えた。
「というか、誰も来ないと思ってましたけど……」
「おかげでヒマやけどな」
「……なんで誰も来はらへんの?」
 紅梅が首を傾げて尋ねると、「そら」、と、侑士は話し始めた。

「あの募集自体が、あきらかに間違うとるしな。笑けるわー。多分切原やろ、しゃあないわ。せやけど間違いが修正されん限りはそのとおりにするしかあらへんしなあ」
「まちがい……?」
 紅梅は、頭の周りに疑問符を飛ばした。精市のことをすっかり女の子と信じている紅梅は、侑士の言葉の意味を察することが出来ない。
 だが紅梅の様子を察することなく、ぎゃはは、と岳人が笑い声を上げた。

「マジクソうけるよなー! 男募集してどうすんだよ!」
「そのせいで誰も来ないから、跡部部長が会談ねじ込めたんでしょう」
 若が、淡々と言う。
「まーそのへんの難しーことは跡部の仕事だけどさあ、……でもよ、幸村と跡部の話し合いがちゃんとまとまると思うかぁ?」
「……あー。微妙な線だな」
 亮が少し眉を顰めて頷くと、岳人は「だろ!」と言って、なぜか軽くピョンと飛び跳ねた。
「絶対モメてんだろ。そこに真田が乱入だろ? そんで更にモメるだろ? で、結局テニスで決着つける! とかなるだろ?」
「うーわー、岳人、それめっちゃ目に浮かぶわ−」
 侑士が、特徴的なラウンドタイプのメガネのブリッジを押し上げ、やや芝居がかった様子で、やたら深刻げに言った。

「そこで跡部か真田が勝ったらどないすんねん。結婚するんか? 幸村と」
「ブホァ」
 亮が噴いた。うけたことに調子に乗った侑士は、にやりと笑って、更に続ける。
「いや、勝ったとしても跡部は絶対固辞するやろな。でも真田はあれや、真面目やし。“勝ったからには責任は取る!”とか言い出しそうやん?」
「ぎゃははは! やべえ! 言いそう!」
 岳人が、腹を抱えて笑う。
「……あの、この国、出来るんですか? その、そういう結婚……」
「ぶっは! ……長太郎、おまえ、マジに聞くなよ!」
 こらえていた亮が、とうとう大声で笑いながら言い、長太郎の背をバンと叩いた。

「くだらないことで盛り上がるよねえ」
 やべー、きめえ、でも言いそう! などと笑い合う面々に、萩之介が、呆れてため息をつく。
 しかしその時、横に立っている若が一点を見つめて、ぎしりと硬直しているのに気付いた。
「なに、日吉……」
 青ざめている、ともいえそうな顔色の若の目線を辿った萩之介は、思わずびくっと肩を竦ませた。

「……ど、どうしたの?」

 萩之介がおそるおそる声をかけたので、馬鹿笑いをしていた面々は、反射的に、彼が声をかけた方を見る。

 若が見ていたのも、萩之介が声をかけたのも、もちろん、紅梅である。
 しかし、先程までとは雰囲気の違う彼女の佇まいに、皆は若や萩之介と同じく、ぎしりと身を固まらせるはめになった。

「……………………弦ちゃん、せぇちゃんと、結婚するん?」

 幼い女の子らしい、高く、甘い、まさに鈴を転がすような声である。
 しかしまるで温度のないその声はひどく非現実的で、背筋をぞわりとさせる何かがあった。しかも、紅梅は完全に無表情で、日本人形のような容姿が更に迫力を増している。妙に見開いた真っ黒な目は光を反射しておらず、まるで穴のようだ。
「……結婚してもうたら、もう、……」
 ざわ、と、黒髪が浮いたような気がした。

「帰ってくるて、言うたに……」

 ──なにこれこわい。

 ゴクリ、と、全員が息を飲んだ。
「おい、どうすんだよ……!」
「あ、あれですかね、お兄ちゃんと結婚するって言ったのに、みたいなアレだったんですかね……?」
「そんな可愛い感じとちゃうやろコレ! 情念こもりまくっとるやん!」
 真田あいつ何しとんねん! と、侑士が、ひそひそとした叫びという器用な声を上げる。

「……ん〜、よく寝た〜」

 不意に、重い空気を、寝ぼけた声が遮った。
 たんぽぽのような色の頭が、むくりと起き上がる。目をこすりながら、今までぐうすか寝ていた芥川慈郎が目を覚ましたのである。

「んあ、……どしたの〜、なんかやなことあった〜?」
 横に突っ立っていた紅梅の頭をわしわしと撫でた慈郎に、岳人が「あいつすげーな……」と声を上げ、「そーいやちっさい妹おったもんな」と、侑士が少し胸を撫で下ろしながら呟いた。
 その間にも、慈郎は「ポッキー食う?」などと言い、わりと強引に紅梅の手にチョコ菓子を握らせていた。紅梅は相変わらず表情が人形じみているが、戸惑っているのか、にこにこというよりへらへらとしている慈郎を、少し訝しげに見上げている。

「なんか知らねーけど、だいじょぶだC〜」
 独特の語尾の調子で、慈郎は言った。言っていることは無責任極まりないが、なんだか気が抜けて、憎めない様子だ。
「えーっと、誰か待ってんだよね?」
「……へぇ」
 まるで線香でも持つようにポッキーを両手で持ち、紅梅はこくりと頷いた。
「帰ってくるって言ってた?」
「……へぇ」
「じゃー帰ってくるよ〜。それまでここでポッキー食って待っとけばいいC〜」

 ポンポンと、ぞんざい、しかし妙に慣れた様子で慈郎に頭を撫でられた紅梅は、まだ少し納得行かないような──、不安そうな様子ではあるが、黙って、ぽりぽりとポッキーをかじり始める。
 機嫌が直ったとは言いがたいが、両手で持った菓子をちまちまと食べる様子はリスやハムスターを彷彿とさせ、さきほどまでの、ホラー映画のような雰囲気はずいぶん薄れ、一同はほっと息をついた。



 そして紅梅がポッキーを三本食べ終わった頃、長太郎が空を見上げ、「あっ」と声を上げた。
 つられて皆が同じく空を見ると、桃紫色の雲が、雲にしてはずいぶん低いところに浮いているのが見える。しかも、風邪に流れているというには早いスピードで、どんどんこちらに近づいてくる。
 そしてその雲はとうとう紅梅たちの目の前に留まり、どういうわけだかそれに乗っていた蓮二が、身につけた装身具をしゃらしゃらと鳴らしながら、流れるように無駄のない動きで地面に降り立った。

「なんや、もしかして柳も参加するんか?」
 冗談とわかるふざけた様子の声色で侑士が言うと、蓮二は肩を竦めてフッと微笑んだ。
「いや、赤也の作った参加要項のミスが発覚したので、その尻拭いだ」
 蓮二は懐から紙と筆を取り出すと、さらさらと文字を書き付け、更にいつの間にか立っていた一本足の高札に、ぺたりとそれを貼り付けた。
 改、と銘打たれたその文面は、配られた招待状記載の参加要項のうち、参加条件の項目、“男子”という部分が、“女子”となっている。

「……尻拭いさせられる前に、間違っとるて言うたれや。わかっとったやろ?」
「間違っていなくとも、そもそもどうかという催しだしな……、おや、弦一郎はどうした?」
 高札を見上げてまじまじと読んでいる紅梅に気づいた蓮二が声をかけると、紅梅だけでなく、面々が口々に話し、弦一郎がひとりで城の中に入っていってしまったことを説明した。
 事情を確認した蓮二は、なるほど、と頷き、そして、身につけた衣をついと引っ張るものを見下ろした。

「……お釈迦様の教授はん、うち、お城に入ったらあきまへん?」
「ふむ」
 薄衣を握り、蓮二を見上げて訴える紅梅に目線を合わせるように、蓮二は少女の前にしゃがみこんだ。
「募集は男子ではなく女子、となったので、その点は問題ないとして……」
 蓮二はそう言うと、乗ってきた雲に手を突っ込んだ。そして、本当に釈迦牟尼のような微笑みを浮かべると、取り出したものを紅梅に示す。

「足りないのは、これだな?」

 蓮二が取り出したのは、あの蓮の花托だった。
 ぱあ、と、紅梅の表情が輝く。蓮二は花托から実をふたつ取り出すと、ひとつを紅梅の手のひらに落とした。
「ええの?」
「なに、俺はどうとでもなるさ」
「おおきに!」
 にっこりした紅梅は、実を口に放り込む。同時に蓮二も、自分の手にある実を口にした。

 途端、紅梅の背が、黒髪が、すらりと伸びる。
 おおお、と、後ろにいた面々が声を上げた。

「気をつけて」
「へぇ、ほんまに、えろぅ おおきに」
 大きくなった紅梅とは逆に、小学生くらい──おかっぱ頭の少年になった蓮二に再度礼を言うと、紅梅は世話になった面々にも深々と頭を下げてから、若干早足で、城の中に入っていった。
 / 目次 / 
BY 餡子郎
トップに戻る