【2014 新春特別番外編】
もうひとりの迷子
「弦ちゃん、いてはるー?」

 城に入った紅梅は、和風の城に似つかわしくない洋風の庭を、時々弦一郎を呼ぶ声を上げながら、うろうろと彷徨った。
 わざと自然のままにしてあるような庭は非常に美しいものの、道はわかりづらく、獣道、と表現するのは無粋すぎるが、そのような風情がある。
 途中、分かれ道になったところで赤いペンキのバケツがひっくり返って道を汚しており、履物が汚れそうだったので、しかたなく、ペンキがこぼれていないほうの道に進んだ。

「──リョーマくん、どこー?」

 好き放題に伸びている蔓バラの刺を引っ掛けないように慎重に進んでいると、女の子の声が聞こえた。心細そうな、弱々しい声だ。
 紅梅はきょろきょろと辺りを見回し、女の子の声がしたと思われる方向に足を進めた。すると、相変わらず「リョーマくーん」と呼ぶ声の合間に、「ほぁら」と聞き覚えのある鳴き声がする。

「……かるぴんちゃん?」
「ひゃっ!」

 バラの茂みから、紅梅がひょいと顔を出すと、少女が驚いた声を上げた。
 その拍子に、彼女が腕に抱いていたらしいカルピンが地面に降り立ち、「ほぁら」とまた鳴く。

 びっくり顔で固まっている少女は、茶色い髪を長い二本の三つ編みに結っていて、紅梅と同じような色のワンピースを着て、そしてこちらは全く同じ、白いフリル付きのエプロンをしていた。髪に、カチューシャかヘアバンドのように、黒いリボンを結んでいるのも同じである。
 片や大正時代の女給、片や英国のメイドのような格好ではあるが、色合いといいアイテムといい、自分とおそろいと言っていいような姿の少女に、紅梅も目を丸くした。

「あ、あの、ここのお城の人ですか?」

 驚きから立ち直ったのか、少女は紅梅に尋ねた。
 少女は今の紅梅よりは背も十センチ近く低く、確実に年下だろうが、本来の年齢の紅梅よりは上かもしれなさそうな様子だったので、敬語を使われた紅梅は、少し戸惑う。
 しかしこのややこしい状況で言葉遣いについていちいち申し出ても余計ややこしいことになりそうだったので、騙しているようで申し訳なく思いながらも、とりあえず、今は流すことにした。

「いいえぇ、うちは外から。人を探しとるんどすけど……」
「わ、私もです。えっと、越前リョーマ君っていって、私と同じくらいの身長で、白い帽子の男の子なんですけど……。あ、テニスラケットを持ってます」
「越前はんやったら、青春学園の近くで会うたけど……、ここに来てからは、知りまへんなぁ」
 そういえば、テニス大会に興味を示していたな、と紅梅は思い出す。彼と一緒にここに来たのかと訪ねれば、少女は肯定した。しかも、正面から入ると紅梅たちのように止められてしまうため、裏口のようなところから入ってきたという。

「うちが探しとおすのは、ええと、うちらと同じような色の着物に白い袴の男はんで、うちより頭ひとつ背が高おすのやけど。こっちも、テニスラケット持ってはるえ」
「すみません、お城に入ってからは、誰にも会ってないんです……」
「ほぉかぁ……」
 お互いに力になることが出来ず、少女たちは揃って肩を落とした。カルピンだけが、二人の足元に座り、呑気に毛づくろいをしている。



 二人は改めてお互いに名を名乗った。少女は竜崎桜乃といい、リョーマと同じ、青春学園に通う中学一年生であるらしい。
 予想通り、今は年下だが本来は年上だった彼女に、紅梅は敬語を使わないように申し出た。恐縮した桜乃だが、素直な質なのか、それとも心細かったところに同性に会えた安心感からか、初対面の硬さは抜けないものの、いくらか気安く話してくれるようになった。
 また紅梅も、本来は自分のほうが敬語を使うべき立場だが、現在の見目でそれをやるとなんだかおかしな感じになるので、あまり固い言葉は使わないようにしようという配慮の結果、桜乃ちゃん、と呼ぶことにする。桜乃からは、紅梅さん、と呼ばれた。

 そして少し話した結果、二人はテニスコートに行ってみることにした。
 どうせ集まるのはそこだろうし、移動するかもしれない彼らを探すより、動かない場所を突き止めるほうが難易度が低そうだったからだ。もしそこにいなくても、待っていれば会うことが出来るだろう。

「でも良かったぁ、紅梅さんに会えて。ほんとは入っちゃいけないところに入ってきちゃってるから、お城の人には怒られるかもしれないし、リョーマくんとははぐれるし、それに私方向音痴だから、すごく心細くて……」
「災難どしたなあ。そやけど、募集内容がさっき変わりおしたよって、男はんやのぉて、女子の募集になったんえ。そやから、怒られるんはないと思うえ」
「えっ、そうなの?」

 カルピンを交代で抱っこし、話しながら歩く。
 すると急にバラの茂みがなくなり、緑の芝生に白いラインが引かれた、みごとなグラスコートに出た。周りに花が咲き乱れているので、なんとも豪勢な感じのコートである。

「おっ、来た来た!」

 美しいコートに見とれていた二人は、突然の声に、びくっと肩を跳ねさせた。
 振り向くと、細かくうねった髪型の少年──、とはいっても紅梅より背は高く、年齢も桜乃よりは上そうだったが──、が、ニコニコしながら歩み寄ってきていた。

「いやー、さっき修正したとこなのに来るのはえーな、マジ良かった!」
「え、あの……」
「多分参加者アンタらだけだし、さっさと試合しちゃってよ。あ、ラケットねーの? 初心者?」
「へぇ……?」
 勝手にしゃべる少年に、二人は困惑してそれぞれ首を傾げる。

「……ウス」
「ひゃっ」
 突然後ろからかけられた声に、桜乃が驚いて飛び上がる。
 二人の後ろに、いつの間にか、弦一郎たちよりも背の高い、百九十センチくらいありそうな青年が立っていた。表情は薄くぼんやりした感じだが、不思議とあまり怖い感じはしない。
 体格も良く、まるで大木のような風情の彼に少女らはぽかんとしたが、彼が二人に合わせるように高い背をやや丸め、両手で丁寧にラケットを手渡してくれているのに気づくと、「おおきに」「ありがとうございます」と、それを受け取った。

「樺地、ワリーけど、部長に参加者来たって言ってきてくんね? 俺審判やるから」
「ウス」
 樺地、と呼ばれた大柄な青年は、もじゃもじゃ頭の少年の指示に低く頷くと、バラの茂みの中に消えていった。

「じゃ、コートかサーブか決めちゃって。手っ取り早くワンセットマッチで」

 そんなことを言いながら、軽快な動きで審判台に登る少年を見上げてから、紅梅と桜乃は、お互いに顔を見合わせた。



「で、なんで来たんだい、真田、ボウヤ」

 非常にイライラしたような声で言ったのは、幸村精市である。
 自分のミスに気づいて真っ青になった赤也を叱り飛ばしているとリョーマが現れ、赤也の尻を蹴飛ばすようにして案内させて城の中に入り、連れて来られた先には、まるでお雛様か何かのような十二単を纏った、本来の弦一郎と同じ年齢の精市と、王冠を被り、ヨーロッパ方面の王様そのものの姿をした、跡部景吾、という、おそらく今の弦一郎と同じくらいの年齢の青年がいた。
 精市はこの国の“女王”らしいのでその格好なのだろうが、あいかわらず、美形過ぎて性別があやふやになる顔立ちのせいで、女装をするとそうとしか見えない。

 どうやら国のことや大会のことでぎすぎすと言い争っていたらしい二人は、赤也と弦一郎の乱入にまず訝しげな顔をし、更に赤也が募集要項の内容でミスをしたとわかると精市の機嫌が悪くなり、お仕置きと称して赤也の五感を奪おうとしたところを景吾が「時間の無駄だろ」と吐き捨てて止め、蓮二に修正という名の尻拭いを頼む連絡を入れ、そして「新しい参加者の受付してきまっす!」と赤也が調子のいいことを言って外に飛び出していった──、というのが、つい数秒前までの出来事である。

「何って、テニス大会するっていうから来たんだけど。試合しようよ」
 トン、とラケットを肩に担ぐようにして、リョーマが言う。すると、精市は、はあ、とため息をついてから言った。
「残念だけど、募集要項が変わった。募集は女の子」
「……はあ?」
「真田は?」
 機嫌が悪いせいか、リョーマを放って、精市が尋ねる。弦一郎は、まっすぐに彼の目を見て言った。

「榊、先生……、を、探している」
「アーン? 榊監督なら、コートのほうにいるんじゃねえのか」
 景吾が、金髪とも亜麻色とも言えぬ色の髪を掻き上げながら言った。その言葉に、入れ違いか、と弦一郎はため息をつき、踵を返す。
「そうか、ならばここに用はない。邪魔したな」
「……俺も、試合できないんならいいや」
「ちょっと待ちなよ。お前たち、女の子と一緒に来ただろ?」
 精市の引き止めに、弦一郎とリョーマは、訝しげな表情で振り返った。

「だったら、何だ」
「その子たち、規定の年齢?」
「……言っておくが、紅梅はお前のことを未だに女だと思っているからな」
 睨めつけるような目で弦一郎が言う。精市はちょっと嫌そうな、というか、きまり悪そうな顔をした。

「……まあ、それはともかく。でも、ちゃんならちょうどいいかも」
「おい、ふざけるなよ。紅梅をお前の嫁にはやらんからな!
「お前はちゃんの父親か」
 今の姿でそういうこと言うと笑いしか起きないからやめてくれない? と、精市は、笑うどころか冷め切った表情で言った。

「ちょっと待ってよ。嫁とか、どういうこと」

 怪訝そうに眉を顰めて、リョーマが声を上げる。
 他の三人が、一斉にリョーマを見た。そして、弦一郎が口を開く。

「どういうも、何も。この大会は、幸村の結婚相手を決めるための大会だ」
「……なにソレ」
 リョーマが、半目の顰めっ面になる。そしてその時、静かに扉を開けて、大柄な人物──、樺地崇弘が、部屋に入ってきた。

「……アーン? 参加者が試合してる?」
 斜め後ろに立ち、彼から耳打ちされた情報に景吾がそう声を上げると、リョーマが即座に踵を返し、足早に部屋を出て行ってしまう。
 そして弦一郎もそれを追い、次いで、精市、更に景吾たちも続いて、テニスコートに向かった。



「えい!」
「あらぁ、取られてもうた」
「はいはい、デュース。……ふわぁ」

 審判席の赤也が、呑気な大あくびをする。
 しかし、それも無理はない。少女二人の試合は、ふたりともエプロンドレスと和服という、スポーツをするには非常に無理のある格好のせいで動きが制限されているばかりか、そもそもテニスの経験も浅かった。
 桜乃はテニス部に所属してはいるものの、初心者に毛が生えた程度の実績しかなく、紅梅とそこまで力量差があるわけでもない。
 そして何より、根本的に、何故試合をすることになっているのかまったく把握できていない二人なので、ほとんど遊びで打ち合っているようなものだ。

 だがテニス自体は楽しいのか、取った取られたときゃっきゃと声を上げる少女たちの様子は微笑ましく、そして試合としては、まさにあくびが出るような様子だった。

「──竜崎!」
「ひゃっ!?」

 突然背後から響いた声に、手元が狂った桜乃のサーブは、あらぬ方向に飛んでいった。
「え。リョーマくん!?」
「ダブルフォルト。えーっと、6−4で紅梅サンの勝ちっスね」
「あ、あー……、負けちゃったかぁ」
 赤也のコールにさほど残念そうな様子も見せず、桜乃がネットに進み出る。

紅梅さん、試合初めてなのに、すごいね! 私も頑張らなくちゃ」
「びぎなーずらっく、やと思うけど。楽しおしたえ。おおきに」
「こちらこそ!」
「……はぁ」
 にこにこしながらネット越しに握手する少女たちを前に、まっさきに駆けつけてきたリョーマは、疲れたような、呆れたような顔をしてから、長い溜息をついた。

「──紅梅! なぜここに……」
「あ、ちゃんが勝ったの?」

 次いで現れた弦一郎の問いに紅梅が答える間もなく、バラの茂みを掻き分けて、精市が弦一郎の脇を通りぬけ、前に出た。さらにその後ろから、崇弘を従えた景吾が、悠々と姿を現す。

「じゃあ、ちゃんが俺の──」
「おい、幸村! 紅梅はお前の嫁にはやらんと言っているだろうが!」
「へぇ……?」
 弦一郎が肩を怒らせて声を張り上げ、紅梅が首を傾げる。
 すると精市はうるさそうに眉を顰め、言った。

「……あのさ。さっきから勘違いしてるみたいだけど、俺は結婚相手を探してるんじゃないよ」
「何だと? どういうことだ」
 警戒して唸る獣のような声で弦一郎が言うと、精市はうんざりした顔でため息をついた。
「よく考えろよ。俺の立場は“女王”だ。でも男と結婚するなんて死んでも御免」
「む、……まあ……、そうだろうな」
 弦一郎は、納得して頷く。

「だから王位を捨てて、俺の国の一部になりゃあいいって言ってんだろうが、アーン?」
「でもそれもお断り」
 景吾の言葉を、精市は、肩を竦めて遮った。

「つまり、俺が探してたのは、結婚相手じゃない。俺の後を継いで、女王をやってくれる女の子だよ」
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BY 餡子郎
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