【2014 新春特別番外編】
紳士と詐欺師のティーパーティー
 しばらく森の中を行くと、道が何本かに分かれている場所に辿り着いた。
 大きく枝分かれした木に案内板がたくさん釘で打ち付けてあるのだが、矢印の方向は左右や斜めに加えて上だの下だのめちゃくちゃに向いていて、とてもあてにならない。

「ほぁら!」
「あっ!」

 突然、カルピンがぴくりと体を起こし、弦一郎の胸を蹴って走って行ってしまった。
 カルピンはそのむくむくした身体からはあまり予想できない俊敏さで走り、案内板がたくさん打ち付けてある大きな木に、軽々と登ってゆく。

「あれ、カルピンじゃん。どこ行ってたの、おまえ」
「ほぁ〜ら」

 そして、太い木の枝の分かれ目のところで、それこそ猫のように寝そべって寝ていた少年に擦り寄ったカルピンは、甘えているとすぐわかる声を出し、その膝の上で丸くなった。
「お前が越前リョーマか」
「そうだけど。……って、真田さんじゃん」
 どうも、この少年も、弦一郎のことは知っているらしい。
 どうにも生意気そうな感じの少年だが、「どもっす」と小さく挨拶してくる様子はそれなりに礼儀正しく、生意気さも、猫の気まぐれさをそういうものだと受け入れるようにして、この少年はそういうものだと思えるような感じがあった。

「あんたたちがカルピン連れてきてくれたの? ……ありがと」
「へぇ、めっそもない」
 弦一郎に抱っこされたまま、紅梅はぷるぷると首を横に振る。
「かるぴんちゃん、またなぁ」と紅梅が声をかけると、「ほぁら」とカルピンが返事をしてくれたので、紅梅はにこにこした。
 舞妓と芸妓が暮らす『花さと』は、猫の爪が引っかかったり、毛がついたり、においがついたりしようものなら台無しになる高価な着物がたくさんあるので、動物はご法度なのだ。
 ほとんど初めてちゃんと触れることが出来たもふもふの温かい感触に、紅梅はひそかに、とてもご満悦だった。

「ねえ、あんたたち、どこ行くの?」
「女王が開催する、テニス大会に参加しに行くのだ」
「テニス大会?」

 ぴくり、と、リョーマが反応した。
 弦一郎と紅梅がテニス大会のことを教えると、リョーマは「ふーん」「へー」と、相槌こそ気のない風だが、その目がどんどん輝いてくる。彼の傍らにFILAのテニスラケットがあるのは、二人共、もう初見から気付いていた。

「ふーん……。そういえば、なんでウチの部室に行ったの? テニスしに来たの?」
「ううん、ええと、博士はんの『汁』を貰いに来たんどす」
「ウェッ、あれ飲んだの」

 リョーマは顔を顰めて、信じられない、という感じの、あまり日本人らしくないボディリアクションをとった。

「じゃあ、今、口の中ひどいんじゃない?」
「……そうだな」

 弦一郎は、思い出さないようにしていたのに、という感じの顔で返事をした。水をたくさん飲んだので、普通に喋れる程度ではあるが、まだ口の中がずいぶん辛いし、舌や唇がぴりぴりと痛い。

「ファンタ飲む? ……って、炭酸はよけい辛いか。それじゃあ、あっちのほう」
 リョーマは、ラケットを持った手で、一本の道を示した。
「あっちに、帽子屋──じゃなかった、メガネ屋があるから」
「メガネ屋?」
「そう。よくお茶を飲んでるから、分けてもらったら? そうじゃなかったら、あっち」
 今度は、違う道を示す。
「あっちには、三月うさぎ──、さぎ、詐欺師、……ペテン師、が住んでる。言えば、多分お菓子くらいはくれると思う」

 好きな方に行けば、と、リョーマはぶっきらぼうに、しかしとても親切に教えてくれた。

「えろぅおおきに」
「礼を言う」
「別に。じゃあ、女王の城でね」
 そう言うと、リョーマは白い帽子のつばを引っ張って深くかぶり直し、カルピンと一緒に、また木の間に寝そべった。
「女王の城で……、ということは、お前もテニス大会に参加するのか」
「別に、まだ決めてないけど、城には行くよ。多分」
「ほな一緒に行かはれへんの?」
 紅梅が誘うと、リョーマは帽子のつばをいじりながら、遠くを見た。

「……方向オンチの誰かさんが道に迷いそうだから、しばらくここにいるよ」

 そう言ったリョーマの視線の先を、目で追う。
 すると、弦一郎たちが着ている、浅葱色に似た色のワンピースと、その上に紅梅と同じようなフリルの白いエプロンをした、長いお下げの少女がおろおろと右往左往しているのが、森の木々の間から、ちらっと見えた気がした。

「そーゆーことだから。じゃあね」

 そう言ってひらひらと手を振ったリョーマに頷いた二人は、それから少し相談し、詐欺師というのはなんだか胡散臭いから避けようという理由で、お茶が好きなメガネ屋がいる方に行くことにした。



 道を行った先には、まるでお伽話に出てくるような小さな家があり、『紳士のメガネ屋』と屋号の看板がかけてあった。
 そして店の前には赤い毛氈の大きな敷物が敷いてあり、大きな和傘が立てられている。そこにいたのは三人の青年で、たくさんの重箱に詰められた豪華な料理や、様々な和菓子をつついていた。近づくに連れて、緑茶のいい香りが漂ってくる。

「おや、真田君ではないですか」
「どこ行ってたんだよお前」
「何じゃその子。妹か? まさか娘か?」
「だまれ」

 またもや弦一郎を知っている風情の、しかも何やらひときわ馴れ馴れしい三人に、弦一郎は、むすっとした顔で言った。

「ええと、『メガネ屋』はんどすか?」
「その通りです、レディ。私のメガネは一級品。ビームも出ますよ」
びーむ?

 こてんと首を傾げた紅梅のために、三人はそれぞれ、簡単に自己紹介をしてくれた。いま紅梅と話した、茶色の髪をきっちり七三分けにした眼鏡の青年が、『メガネ屋』で、柳生比呂士。
 そして数ある重箱から、たくさんの料理を次から次にむさぼり食べているのが、丸井ブン太。よく見ると、ふわふわの赤い髪の間に、ネズミのような丸い耳がある。
 そして、銀髪の後ろ髪を一房尻尾のように括り、頭から、太郎のようにうさぎの耳を生やしているのが、詐欺師、仁王雅治である。
 上座に比呂士が座っていて、その左右の辺に、雅治とブン太がそれぞれ陣取っていた。

「何だ。どっちに行っても詐欺師はいたのか」
 脚を崩すどころか寝転がって頬杖をついている雅治に、弦一郎は呆れたように言った。
「そりゃあ、仁王君は私のダブルスパートナーですし。なにかというとよくいらっしゃるので、大抵はここにいますよ」
 比呂士が答えた。次いで、ブン太が大きな伊達巻を頬張りながら、「まあ座れよ」と言うので、弦一郎は紅梅を降ろし、二人は草履を脱いで毛氈の上に上がり、並んで座った。

「あのう、柳生やぎゅはん。弦ちゃん、からい『汁』飲んでお口が痛おすよって、お茶と、できたら甘いものを分けて貰えまへんやろか」
「心優しい方ですねえ。お安い御用ですとも。貴女もおあがりなさい」

 にっこり微笑んだ比呂士は、すばやく茶を淹れて寄越し、ブン太が、先端も持ち手の方も両細りになった箸を渡す。更に、雅治がまだ蓋の開いていない重箱をどこからか出してきて、二人の前に置いた。

 おおきに、と紅梅が重箱の蓋を開ける。すると、びよん、とうさぎの人形がバネで飛び出してきたので、紅梅はびくっと肩を跳ねさせた。
 おそるおそる紅梅が雅治を見ると、寝転がったままの彼はにやにやと笑って、新しい重箱を置く。
 紅梅は警戒しつつ、雅治と重箱を見比べながら、そっとその蓋を開ける。今度は普通に、色とりどりの和菓子が入っていた。

「レディにあまりいたずらするんじゃありませんよ、仁王君。さあお二方とも、召し上がれ」
「ほな、よばれますぅ」
「いただこう」

 比呂士に勧められ、二人は熱すぎない温度のお茶を飲み、甘い和菓子を口に運んだ。
 弦一郎は普段さほど甘いものに興味がある方ではないが、今ばかりは、口の中が辛くてしょうがなかったのだ。しかし、甘みが舌をまろやかに包み、『汁』の不快感はずいぶんましになった。

「で、お前さん、結局テニス大会には出るんかいのう」
 ひとり、茶にも菓子にもほとんど手を付けていない雅治が聞いた。
「うむ、そのつもりだが」
「うへぇ、正気かよ」
 ごっくん、と、噛み千切った大きな海老を飲み込み、ブン太が言う。弦一郎はむっとして、彼を軽く睨んだ。

「正気かとは、どういう意味だ」
「だっておまえ、大会の賞品は、この国だぜ」
「まあ……、そのようだな」
 大会の要項を思い出しつつ、弦一郎は頷いた。たしかにそう書いてはあったが、なんだかよくわからなかったので、考えるのを後回しにしていた項目である。
 しかし、この際なので、大会のことを詳しく聞いておこう、と、弦一郎は「それはどういうことなのだ?」と、素直に尋ねた。

「ですから、要するに」
 カチャ、と、比呂士が上品に、茶碗を茶托に置いた。
「賞品は、この国。つまり、大会で優勝すれば、この国の王になるということ」
「……うむ」
 それは薄々理解していたことだったので、弦一郎は頷いた。
「そして今、この国は、女王が治めています」
「そのようだ」
「つまり」
 比呂士は、銀色のオーバルフレームの眼鏡のブリッジを、中指できゅっと上げた。

「優勝したら、女王と結婚することになる、ということです」

 がちゃん、と音がしたので、皆がその音の方向を見た。
 食べかけの大福を茶托の端に落とした紅梅は、ぽかんとした顔で硬直している。その様を見て、雅治が、ぷふ、と小さく噴き出した。

「意外でした。あなたなら、それだけは死んでも御免だと言うと思っていたので」
「い、いや、」
「お隣の跡部王国の王様も招かれていますし、彼が優勝すれば、この国は跡部王国の属国になるので、それが一番どこにも角が立たないかなあというのが一般的な認識だったのですが」
「ちが、その、柳生」
「まあ真田君がいいというなら止めませんが。あ、城の場所はわかります? そっちの道を真っ直ぐですよ。応援に参りますね」

 口を魚のようにパクパクさせている弦一郎に構わず、比呂士はお茶のおかわりを自分の茶碗に注ぎ、優雅に口に運んだ。

「まー、うちの女王っつったら、二言目には首をはね……じゃなかった、「五感奪うよ?」だもんな。俺らはいい加減慣れたけど、他のやつにとっちゃたまったもんじゃねーし」
「……ん?」
 ブン太の言葉の中に非常に気になる台詞があったので、弦一郎はぴくりとこめかみを引き攣らせる。
「慣れたちゅうてものう、できればやめて欲しいもんじゃが」
「まあ、……まあ、否定はしませんが。そういうわけです真田君、もし優勝したら、あの五感剥奪刑に関しては何卒──」

 ──ガタン!

 弦一郎は思い切り椅子から立ち上がると、若干青い顔で、まだぽかんとしている紅梅を素早く抱き上げて、ほとんど走っているような早歩きで、お茶会の席を辞した。



「弦ちゃん、弦ちゃん、どないしたん」
「………………女王は」

 ずんずん道を歩きながら、弦一郎は、変な汗をかき、とても低い声で言った。

「…………幸村だ」
「えっ、せぇちゃん?」

 紅梅は、目を丸くした。
 だが弦一郎は、五感を奪うなどということができる人間を一人しか知らない。世の中に、あの幼馴染と同じことが出来る人間がどれだけいるのかは分からないが、弦一郎の直感は、その答えが間違っていないということを、強く告げていた。
 そして、切羽詰まったような、混乱しているような、とにかく険しい顔をしている弦一郎を至近距離で見ながら、紅梅は、不安そうな顔でぼそりと言う。

「……ほな、弦ちゃん、せぇちゃんと結婚するのん?」
「してたまるか!!」

 弦一郎はわざわざ立ち止まり、全身に怖気の鳥肌を立てながら絶叫した。
 比呂士は「あなたなら、それだけは死んでも御免だと言うと思っていたので」と言ったが、それは正解だ。男が女王で、それと結婚するという事態がまず理解不能だが、その女王が精市であるなら、もう本当に死んでも真平御免だ、と、弦一郎は、どんな『汁』を飲んだ時よりも苦々しい顔をした。

「大会に参加するのは、やめだ。まかり間違って優勝してしまったら、おぞましいことになる」
「おぞましいて。せぇちゃん、綺麗な子ぉやのに……」

 ぼそぼそと言う紅梅に、そういえば、彼女は精市のことを女だと思っていたのだった、と弦一郎は思い出した。
 しかし、こんな訳の分からない状況で、よりにもよって一番ややこしいことを説明すると思うとどっと疲れてしまい、弦一郎はただ黙った。

「と、ともかく。家に帰る方法を榊監督に尋ねなければならんのは変わらんのだから、とりあえず、城には行こう」
「へぇ……」

 弦一郎は、紅梅を抱えて、足早に道を進む。
 紅梅は彼の袖をきゅっと掴みながら、不安そうな眼差しを伏せた。
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BY 餡子郎
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