【2014 新春特別番外編】
親切なラッキー・ビル
「弦ちゃん、その」

 弦一郎が振り返ると、紅梅が、戸惑いきった表情で見上げてきていた。
 身長差がかなり出来てしまったので、彼女がずいぶん小さく感じる。──実際、小さいのだろうが。

「あの、一貫食べはるごとにな? 年取ったんちゃうかな、て思たんやけど、最初はようわからんかって、……でもあの、最後の二貫ぐらいで、ガクンて大人に……ならはって……」
 そこまで言うと、紅梅はなぜかぽっと頬を染めて、ゆるゆると目を逸らした。
「なっ、何だ、何かおかしいか」
「お、おかしないけど」
 紅梅は赤くなった頬に両手の指先を添え、困ったような顔をして、もじもじしながら、上目遣いに、ちらちらと弦一郎を見た。

「え、えろぅ男前やから……」

 小さく呟くように言った紅梅は、きゃっ、とでもいわんばかりの感じで、更に顔を赤らめ、そっぽを向いた。
 その反応で、なんだか弦一郎も照れてしまい、薄っすらと赤くなる。

「べ、別に、特に美男子というわけでは、な、ないと思うが」
「そ、そんなことおへんえ、きりっとしてはるし、男らしゅうて……たくましいし……」

 ぽぽぽ、と、紅梅の頬が更に赤くなる。
 弦一郎は、紅梅に負けず劣らず、かーっ、と顔に熱が集まってくるのを感じて俯いた。


「リア充の気配がしまァ──っす!!」


 ドォン、と火の消えた暖炉からいきなり現れたのは、目にも鮮やかなオレンジ色の髪を跳ねさせた、軽い感じの青年だった。なぜか、煙突掃除用の、大きなT字の黒いブラシを肩に担いでいる。
 突然の乱入者にぽかんとしている二人を尻目に、ところどころ煤で汚れた彼は、軽快な仕草で、大きな暖炉から出てきた。

「あれっ、真田君じゃん。ねえ、ウチの壇君知らない?」
「……俺のことを知っているのか? 誰だ?」
「やだなー、キヨだよ! 千石清純! 忘れたの?」
「せ、せんごく……?」

 相手はひどくフレンドリーなのに、弦一郎は彼の名に全く聞き覚えが無いため、混乱して首を傾げる。しかし弦一郎の困惑を全く気にすることなく、清純はにっこり微笑んで、紅梅の前にしゃがみこんだ。
「かわいーお姫様がいるねえー。真田くんの妹? にしちゃ似てないかな。……娘?
「何を馬鹿馬鹿しいことを言っとるのだ、たわけ!」
 低くなった声での弦一郎の怒鳴り声はかなりの迫力だったが、清純はけろりとした顔だ。だがそのまま部屋を見渡し、テーブルの上にある空の折り詰めを見て、あっと声を上げた。

「あっれ、もしかして真田くんが食べたの、これ?」
「……十二歳以下の者は食べろと、規定に……」
「まあそうだけど。これ、参加者用に、十二歳から十五歳までの年齢になるやつだから、どんなに大きくなっても十五歳が限度のはずなんだけど──」

 清純は、物言いたげな目で、弦一郎を見上げた。

……じゅうごさい?
何が言いたい
「いや、別に」

 じろりと睨んできた弦一郎に、清純は曖昧な笑みを返す。

「それはそうと、ここで食べちゃったの?」
「どういう意味だ」
「だってここ、入り口小さいから、そんなに大きくなったら出られないよ」
「あ」

 この家の玄関がひどく小さいことを思い出した二人は、そういえば、と目を見開いた。
 小さい時の身体でもやっと通れたくらいだったのに、今の弦一郎の体つきでは、どんなに無理をしても通ることは出来ないだろう。
 そして高層マンションの最上階であるゆえに、窓から出ることも出来ない。
「唯一大きいまま出入りできるのが、この煙突だね」
「……マンションに、煙突?」
「そやし、この高さの煙突やったら、窓から出るのんより危ないんとちゃうの?」
「細かいことは気にしない!」
 清純が満面の笑みで疑問をぶった切ったので、とりあえず、二人はそれ以上なにか言うのをやめた。

「まあ、でも、見ての通り汚れるし、危ないっちゃ危ないし、女の子連れで通るのはおすすめしないな」
「む……」

 清純の意見に反論すべきところは何もなく、弦一郎は、腕を組んで、むっつりと黙った。

「まあとにかく、大会に出るんだったら、そのラケットだけ持って、一旦またちっちゃくなって。外に出てから、どっかで『汁』を貰うといいよ」
「汁……」
 弦一郎は、凄まじく苦々しい顔をした。寿司が非常に美味しかっただけに、あのひどい味の『汁』の世話にはなりたくない。
「し、しかし、もとに戻ると言っても、手段が──」
「弦ちゃん……」

 呼ぶ声に、いつのまにか冷蔵庫の前に移動していた紅梅の方を見ると、彼女は、見覚えのある、タグの付いた、おどろおどろしい色の試験管を手にしていた。
 タグに書いてある文字は、もちろん、『お飲みなさ乾汁』である。
 弦一郎は、ひくりと顔をひきつらせた。



 少ししてから、ヴェエ、と濁音のついたうめき声を上げながら、弦一郎が、小さな玄関から歩いて出てきた。次いで、紅梅が這い出してくる。

「くそ……こっちの意味の“小さくなる”汁だったとは……」
「最初に飲んだんとおんなしやったんやねえ」
 さきほどまでは紅梅が弦一郎を見上げていたのに、今となっては、全く逆になってしまっている。しかも、その差は弦一郎の身長数人分だ。
 太郎の部屋で、大きくなれる『汁』や『寿司』を探したが、それらしいものは何もなかったので、二人は仕方なく、このまま出てきたのだった。

「……たろセンセ、また居てはらへんし……」

 困った顔で、紅梅はきょろきょろと辺りを見回した。
 周りはなんだかよくわからない、鬱蒼とした木が茂るばかりだ。元来た道が更に向こうに続いていくのだけが、唯一わかる進行方向である。
「むぅ……、しかし、女王杯とやらに行かれるのは確かなようだし、俺達も女王の城に向かおう。それに……」
「それに?」
「テニスの大会ならば、参加してみたい。年齢制限もどうにかなるようだしな」

 そう言ってにやりと笑う弦一郎の腰には、まるで刀を携えるようにして、BABOLATのVSドライブが挟まっている。小さくなった時、着物がそうであるように、ラケットもそのまま小さくなったのである。見た目はまるで一寸法師だ。
 そして、相変わらずテニスばかの弦一郎に、紅梅は一度きょとんとした後、「しゃあないなあ」と苦笑した。

「ほな、お城に行く前に、どっかで『汁』貰わんとなぁ」
「……できれば寿司がいいんだが……」

 そうぼやきつつ、弦一郎は、紅梅が用意した、果物籠にタオルを敷いたものの中に入り、紅梅がそれを胸元に抱え上げる。あまりにも歩幅が違う有り様になってしまったため、二人で話し合った結果、弦一郎としては渋々ながら、こういう状態に落ち着いたのである。
 スケールこそ小さいものの、大人になった弦一郎の姿を上からちらちら眺めながら、紅梅はとても大事そうに深く籠を抱えこみ、なるべく揺らさないよう、丁寧に歩き始めた。
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BY 餡子郎
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