【2014 新春特別番外編】
金の鍵と怪しい汁
「何なのだ、ここは……」
「たろセンセが行くとこやし、そない変なトコとちゃう、とは、思う……、けど」

 紅梅は、自信なさそうに言った。
 太郎への信頼が薄れたわけではないのだが、この状況からして、今から行き着く先が“変なトコ”でないとは、とても言い切れなかったからだ。

「む……、しかし、どうにも得体が知れんな」
 弦一郎は、しかめっ面をさらに険しくする。その時、紅梅が、申し訳無さそうに口を開いた。
「……かんにんなぁ。うち、足遅いよって」

 普段から和服で生活しているがゆえに歩幅が狭く、“はしたなく走るな”と口を酸っぱくして躾られている紅梅は、走るのがあまり早くない。さきほど太郎を追いかけた時も、ほとんど弦一郎が紅梅の手を引いているような状態だった。
 まさに足を引っ張っているその状態が、紅梅はどうにも申し訳なかったのだ。

「気にするな」

 弦一郎は、堂々、きっぱりと言った。
「こんなわけのわからん事態だが、お前と会えたのは僥倖だと思っている。……その、なんだ。俺も、この状況で一人であれば、さすがに途方に暮れていただろうから」
 そう言って、弦一郎は、紅梅を抱きしめる力を少し強めた。
「うん、そやね……、うちも」
 紅梅もまた、それに応えるように、ぎゅっと弦一郎にしがみつく。
「そやね。二人で一緒におったら、まだ安心やもんなァ」
「うむ」
 少し明るくなった紅梅の声に、弦一郎は、大きく頷いた。

「榊先生に追い付くことを目標にはするが、お前と逸れないことのほうが重要だ。お互いを見失わないように気をつけよう。なるべく手を繋いで行動するのがいいかもしれない」
「へぇ」

 固く抱き合っているがゆえに、二人は顔を見合わせぬまま、しかし至近距離で意思確認をしあう。
 そうやって方針を決めると、なんだか心が落ち着いた。
 どれくらい落ち着いたかというと、いつまでもゆっくり落ち続ける状況とお互いの体温でなんだか眠くなってきてしまい、それぞれの肩に互いに頭を乗せて、うとうとしはじめてしまう始末だった。

 その時、今まで忘れかけていた重力が、ふっと一気にのしかかったような、エレベーターの綱が切れたような感覚が二人を襲った。
 二人は一気に眠気が覚めて、思わずお互いを固く抱きしめ、今度こそ襲ってくるだろう衝撃に備える。

 しかしやはり覚悟していた恐ろしい衝撃はなく、そのかわり、たくさんの細い小枝がばきばきと折れる感触と、甘酸っぱい、濃厚な花の香りがした。

 ぼすん、と二人が落ちたのは、ふかふかの、濃紅色の絨毯の上だった。
 いや、正しくは、大きな梅の木から散って積もり積もった花びらの山の上だ。頭上を見上げるが、みっしりと詰まった梅枝と花のせいでまったくどうなっているかわからない。
 怪我をしていないことを確認した二人がぐるりと首を回して見渡せば、目の前から、飛び石で作られた道が、長くうねって伸びていた。そしてその先には、うさぎの耳を生やした太郎が、飛び石の道をきびきびと歩いているのが見える。

 二人は手を繋いで素早く跳ね起き、花びらまみれになりながらも、再度太郎の名を呼びながら、飛び石の道を辿って彼を追いかけた。

「ふむ、これは遅刻かもしれんな。……まあいいだろう、どうせ……」

 太郎はやはり二人の声には一切反応せず、金色の懐中時計を眺めながら、さっさと歩いて行く。そして観音開きの巨大な門を開けて、中に入っていってしまった。
「待って……!」
 とても自分たちの力では開けられそうにない重い扉が閉まる前に、二人はなんとか隙間から滑りこむようにして中に入る。

 ──ゴォン!

 篭ったような轟音とともに、大きな扉が閉まる。その音からして、もう自力で開けるのが無理であることがありありとわかるようなのに、その上、がちゃん! と鍵が閉まる音がした。
 後戻りは出来ない、と、二人は無言のまま理解し、繋いだ手をいっそう固く握り合う。

 そこは、例えば寺の本堂などを彷彿とさせるような、よく磨かれた、しかし年代を感じさせる板敷きの部屋だった。

 太郎は既にどこにもいなかったが、二人が絶望しなかったのは、部屋の壁をぐるりと囲むように、大小様々な扉がついていたからだ。
 デザインこそ今入ってきた扉と同じだが、大きさは様々で、猫しか通れなさそうな小さいものもあれば、大人が肩車をしてもらくらく通れるようなものもあった。それでも、一番大きいのは、今通ってきた、まるで大聖堂の門のような扉であるが。

 このどれかから出て行ったのに違いない、と、二人は順繰りに扉を開けてみようとしたが、どれも鍵がかかっていて、びくともしない。

「弦ちゃん、あれ……」

 二人揃って困り果てていた時、紅梅が、部屋の中央を指さした。
 すると、先程までは何もなかったはずのところに、飴色の文机が置いてある。そしてその上には、小さな金色の鍵と、怪しい色の液体が入った、コルクで栓のされた試験管が二本転がっていた。

 二人はひとまず金色の鍵を手に取り、それらしい扉の鍵穴に片っぱしから突っ込んでみる。鍵穴が唯一かちりと音をたてたのは、猫が通れるくらいの、一番小さい扉だった。
 向こうはどうなっているのかと、二人で床に這いつくばって、頬を寄せるようにして向こう側を覗きこむ。
 扉の向こうに広がっているのは、美しい景色。水音を立てる透明な川と、その向こうには、若い色の竹林があった。

「あっ、たろセンセ!」

 きれいな竹林の中に伸びる石畳の細い道を、太郎が歩いて行くのが見える。
 二人はすぐに立ち上がったが、いくら二人が子供でまだ小柄だとはいえ、猫用の扉から出ることは出来ない。
「たろセンセ、どないしてここ潜りはったんやろか……」
「机の上に、まだ何かあるが……」
 二人は机のところに戻り、怪しい色の液体が入った試験管を手にとった。
 試験管は、口のところに大きなタグがついていて、

● お飲みなさ乾汁

 と書かれていた。

「おのみなさいぬいじる……?」
「胡散臭いな」
 紅梅は怪訝な顔をし、弦一郎は、警戒心いっぱいの、険しい表情をした。
「あっ弦ちゃん、裏の所、もう一枚紙がついとる」
「むっ」
 紅梅が言うとおり、タグの裏側には、もう一枚、くるくると巻かれた紙がついていた。巻物のようになったそれを引っ張ると、まず、小さめの字で『説明書』とタイトルが書かれていて、次にあるのは、

 ──ぜんぜん胡散臭くないよ

「なお胡散臭いわ!」
 説明書とやらに向かって、弦一郎は、力一杯突っ込んだ。
「こんな怪しい物を飲めるか!」
「そやねぇ、毒やったらたいへんやし……、あっ、他にもなにか書いてあるえ?」
「なにっ」
 弦一郎は、更に巻き紙を引っ張った。

 ──毒じゃないよ

「……どこかで見ているのではないのか」
 弦一郎は、ぴりぴりしながら、辺りを注意深く見回した。しかし、誰も居ない。
「どういうもんか書いとおへんと、とても飲む気にはなられへんなァ」
 ぼそりと紅梅が言うと、巻紙の続きには、これがどういうものなのかという説明が、ぞろぞろと現れた。よほど飲んで欲しいらしい。
 弦一郎はその現象に呆れつつも、『説明書』を読んでいく。

 ややくどいぐらいの説明のせいで、巻紙はずいぶん長く、床に引きずるほどになる。
 だが、要約するとつまり、これは飲むと身体を小さくする薬で、二人分の量があることがわかった。

「まあ、小そぉなったら、あの扉もくぐれるやろけど……」
「どうやって元に戻るのだ?」

 ──身体に害はないよ

「答えになっとらん!」
 それから色々言ってみたが、説明書は、返事をしなかった。
 二人はとても迷ったが、元来た扉を開けることはどうしても不可能だし、ここにいつまでも閉じ込められるわけにもいかないので、もはや悲壮なまでの覚悟で持って、『お飲みなさ乾汁』を飲むことにした。

 ──用心深すぎやしないかい

「当然のことだ」
 フン、と鼻を鳴らした弦一郎は、まず自分がと、えいやと気合を入れ、『お飲みなさ乾汁』をあおった。
「ぐ、ヴぉえッ……」
 予想はしていたが、ひどい味だった。嘔吐するのをこらえ、弦一郎が自分の口を押さえると、みるみるその体が縮んで、着せ替え人形くらいの大きさになる。
「弦ちゃん、どうもおへん!?」
「……大丈夫だ」
 うえっ、と未だ嘔吐きながらも、弦一郎は答えた。口の中はひどい有様だが、身体に不調はない。

「おおっ、大きいな、紅梅
「弦ちゃんが小さいんえ……」

 紅梅はおっかなびっくりしながらも、両手でそっと弦一郎を持って、小さな扉の前まで移動した。小さくなってからだと、ここまで歩いてくるのが大変かもしれない、と思ったのだ。
 そして弦一郎を先に外に出してから、紅梅もまた、『お飲みなさ乾汁』をあおる。やはりひどい味だが、みるみるうちに、紅梅の身体も小さくなった。

「……うう」
「大丈夫か」

 生理的な涙で半泣きになっている紅梅と手を繋ぎ直した弦一郎は、さきほど太郎が歩いて行った竹林の小道に向かうべく、その手前の川を渡ろうとした。
 川の水は透明度が高く美しいが、白くて細いものがたくさん流れている。しかも、小さくなった二人には、大海原に等しい。どこかに橋はないか、と二人が川べりできょろきょろと辺りを見回した、その時だった。

「カブリエルゥウウウウウウ!!」

 遠くから若い男の叫び声が聞こえ、何事かと二人が振り返る。すると、ブゥン、と、モーター音のような羽音とともに、黒っぽい塊が、紅梅めがけて猛スピードで飛んできた。
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BY 餡子郎
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