(8)ファッショナブル・イースター/アーント・ペグズ・ヴィレッジストア
「あ、そうそう。ジュニア君はそろそろそのイカしてる帽子取っとけな」
「帽子ですか?」
周りの景色を楽しみながら「フニクリ・フニクラ」を鼻歌交じりに歌っていたライアンが、バーナビーに向かってそう言う。
見てみれば、いつの間にか彼もガブリエラもミッキーとミニーのカチューシャを外していた。
「ショーが始まりますから! 後ろの方の邪魔にならないように帽子やカチューシャは外しておくのがマナーなのですよ!」
「そうそう。特に俺らは元々でかいからな。外しておかねえと」
「成程」
バーナビーはフカフカした手触りのカウボーイハットを脱ぎながら、周りを見渡す。これだけ大勢の人間が集まっているというのに、カチューシャや帽子を被った状態の人が殆どいないのだ。時折そういった人を見かけても、即座にキャストが飛んできて「お帽子はお取りくださいねー!」と呼びかけをしている。
「いいマナーですね」
「ここに居る全員が楽しく気持ちよくショーを観るためってな。こういうとこがしっかりしてるから、ジャパンのディズニーリゾートは気分良くいられるんだよな」
「まぁ…ギャビーがあのカチューシャ着けてたところで、その筋肉の壁に阻まれて後ろの誰からも見えないと思うけどね」
「いいえアンドレア! 今は私もゲストの一人…理想のゲストを目指してマナーは守ります! かならず!」
「ハイハイ」
4人がミッキー広場に場所を取ってから、ちょうど1時間が経過したころ。それまで音楽が流れていたスピーカーから、低く滑らかで聞き取りやすい男性のアナウンスが響いた。
『皆様にお知らせします。間もなくメディテレーニアンハーバーにおいて、ファッショナブルイースターが始まります』
ライアンが「あと5分だな」と呟き、バーナビーもアンドレアもそのアナウンスに耳を傾ける。ゆっくり、はっきりとしたその声は非常に聞き取り易かったようだ。だが、日本語のアナウンスの直後に『lady's & gentleman. Boys & girls.』という定型文から始まる英語版のアナウンスが流れ、ガブリエラも内容を理解できたようで「もうすぐですね!」と嬉しそうに言った。
英語のアナウンスが終わると同時に、軽快なアレンジがされたヴィヴァルディの『四季』Op.8-1「春」が流れ始める。4人が揃って正面の舞台の向こう側を見つめていると、ついに待ちに待った「ファッショナブル・イースター」の音楽へと切り替わった。音楽の切替と同時に湖の向こう側――プロメテウス火山の麓のあたり―からパステルカラーの船、バージがゆっくりとこちらへ向かって来た。その上には4人、華やかな衣装を身に纏った人物が乗っている。
「ねえ、あれは誰? ディズニーのキャラクター?」
「あれはショー限定の人。ディズニー・シーの各エリアに存在するファッション・アーティストで、今回のイースターファッションをデザインしてる」
アンドレアの問いかけに、ライアンが簡潔に答える。返事をしながらも彼の視線はしっかりと正面へ向いていた。
「へぇ…ショーにもオリジナルのキャラクターが登場するんですね」
「バーナビーさん。キャラクターではなく、デザイナーさんです」
「あっハイ」
4人のデザイナーの中で、オレンジ色のドレスに身を包んだ「グローリア」と呼ばれる女性が一番先に喋りだす。彼女はアメリカンウォーターフロントのファッションアーティストで、アール・ヌーヴォーを基調としたデザインをするらしい。確かにグローリア本人も、ヨーロッパで19世紀から20世紀初頭に流行したような装飾がどっさり乗ったつば広の帽子や、鮮やかだが透けるような布で作られたS字ラインのドレスを身に着けている。
「やだ、あのドレスすごく可愛い」
「アンドレアは向こうの、カルロッタさんのドレスも似合いそうです! マジックリアリズムですよ!」
ガブリエラが言うように、もう一人の女性デザイナーが着ている黒や紫をメインカラーとし、蝶々をモチーフにしたような神秘的なドレスはアンドレアによく似合いそうだ。
アンドレアとバーナビーが代わる代わる喋る4人のデザイナーに釘付けにされているのに気づき、ライアンがおもむろに水色のバージを指さす。
「あそこのバージ、見といた方がいいぜ」
「バージ? 船のことですよね?」
何も乗っていない船を見ろ、と言われたのだ。2人が首を傾げるのも無理はない。
だが、中心で喋っていたグローリアが「それでは早速ご紹介いたしましょう、わたくしの最高のパートナー達。ミッキーマウスとミニーマウス!」と声をかけたその時、バージの中から色鮮やかな衣装に身を包んだミッキーとミニーが姿を現す。目が覚めるようなブルーとピンクの衣装を着たミッキーとミニーを見て、アンドレアは「あら、いつもの黒と赤の衣装じゃないのね」と感心したように呟いた。
「そりゃあな。つーか、ここのショーパレードじゃあ何一つとして同じ衣装じゃ出てこないぜ?」
「嘘! 全部違うの?」
「まあ、あのクラシカルな衣装はチョイチョイ見るけど…基本的にショーの衣装はそれぞれのコンセプトに沿って作られたオートクチュールだからな」
多数いるキャラクター達の衣装をショー毎にデザイン。しかも、そのどれもが素晴らしい出来なのだ。
このファッショナブル・イースターではコンセプトの全く違う4人のデザイナーが居る、ということは衣装も4タイプ作られているのだろう。元々モデルをしていたアンドレアは、この作り込み方に早くも感嘆の息を吐いた。
すると、ミッキーとミニーの姿をまじまじと見ていたアンドレアが突然口を覆って一点を凝視する。
「アンドレア、どうかしました?」
「あれ…あの、後ろの…あんなキャラいたかしら、と思って」
アンドレアが指さす方、それはディズニー・シー発祥のクマのキャラクターである「ダッフィー」がいた。元々、原型とされる「ディズニー・ベア」という存在はあったのだが、こうしてハッキリとキャラデザインされたのはここ、ディズニー・シーが初めてなのだ。
ミッキーとよく似たブルーの衣装を着たダッフィーは、そのモコモコとしたフォルムに合った愛らしい動きで手を振っている。
絶妙なバランスで配置された目と鼻。うっすら開かれた口元は、愛らしさと間抜けさが程よいバランスを保っていた。
「あれはダッフィーですよ! 後ろに居る女の子がシェリーメイ、猫の男の子がジェラトーニです!」
「それからここには居ねえが『ステラ・ルー』ってウサギも新登場してんだ。アメフロに専用ショップもあるし、後で行くか。限定品が山ほどあるぜ」
「専用ショップ…限定品…!」
女性が好きな言葉の羅列に、アンドレアがうっとりとした表情になる。バーナビーはそんなアンドレアを横目で見ながら「意外に可愛いものが好きなんですね」と呟く。
「バーナビーさん、アンドレア、次のバージが来ますよ!」
「今度はアクアポップだな」
アクアポップ。読んで字のごとく、水色や白、クリアなどのアクアカラーをベースに泡やサンゴなどの海のモチーフをふんだんに散りばめたファッションの一団が登場した。
このテイストのデザイナーはP.A.オーシャン・シーマリンという男性らしい。リトル・マーメイドの世界を象ったエリア「マーメイドラグーン」のファッションデザイナーだ。
水色がかったクリア素材で作られたハットは魚の鱗を模しているのだろうか。貝殻の色のように様々なマリンカラーがマーブルになった配色のジャケットは、タコの足やヒトデやキラキラ光る泡の装飾で飾られている。
彼のパートナーは、チップ&デールとクラリス。3人ともオーシャンと同じようなアクアポップスタイルに身を包んでいた。
「クラリスとアンドレア、ちょっとだけ似てますね」
「え? どこらへんが?」
「お尻とか、プリプリしています」
「お尻プリプリはあなたもでしょ、ギャビー」
「うーん、私はちょっと違うと思うのです。感じというか…雰囲気というか…何かが違う…あれはクラリス様ですから」
ナチュラルに「様」付けして呼ぶガブリエラに、もう誰も突っ込みなど入れなかった。
「でもまぁ、悪い気はしないわね。ライアンは私のこと『ヴィラン顔』としか言わないから」
「いやヴィラン顔は事実だろぉ?」
「あんたの方がよっぽどヴィラン顔じゃない」
確かにアンドレアの言う通り、ライアンはディズニー・ヴィラン的な表情をよくする。
片方の眉と口角をクイッと釣り上げる、何か企んでいるような笑い方はまさしくヴィランのそれだ。
「俺はどっちかっていうとユージーン系だから」
「あんたそれ自分で言ってて恥ずかしくないの? ユージーンの方が8倍は素敵よ」
「具体的数値ですね」
「私はよくメリダに似ている、と言われます!」
「良かったわねぇ」
そんな雑談を交わしている4人だったが、誰一人として真正面のショーから視線を外している者はいなかった。
アクアポップなダンサー達とP.A.オーシャン・シーマリンがはけると、次はカルロッタ・マリポーサと名乗る女性デザイナーがバージの中心に立つ。
ロストリバーデルタ出身の彼女のテーマは「マジック・リアリズム」先ほどガブリエラが、アンドレアに似合いそうだと言ったファッションがこれだ。
アクアポップよりも鮮やかで神秘的な、緑や紫、ターコイズブルーのマーブルカラー。
全身を飾る装飾は蝶の羽だったり、蔦や木の葉だったりと、ジャングルの神秘をそのままファッションに仕立て上げたようなデザインだった。
「あっちはグーフィーよね、その隣のは知らないわ」
「ああ。マックスだな。グーフィーの息子」
「えっ! グーフィーは息子さんがいたんですか?」
「はい、ですからグーフィーは他の仲間たちよりもちょっとだけ大人の男なんですよ」
ディズニービギナーのバーナビーとアンドレアは、驚愕の新事実に目を見開いてマックスを凝視する。確かに、グーフィーの輪郭をちょっと寸詰まりにしたような顔だ。似ている。
「あのグリーンの羽が素敵なのがホセ・キャリオカです」
「そんで、赤いのがパンチート・ロメロ・ミゲル・フニペロ・フランシスコ・クインテロ・ゴンザレスだ。覚えとけよ?」
「何て?」
真顔で聞き返すアンドレアに、ガブリエラが「パンチート・ロメロ・ミゲル・フニペロ・フランシスコ・クインテロ・ゴンザレスです!」と復唱する。
「何かそういうの…他にもありましたよね、確か」
「ハンサムが何言いたいかわかったかも。メリーポピンズよね、昔見たことあるわ」
「ああ! それだ!」
長くて呪文めいたパンチートの名前に、2人ともメリーポピンズの「スーパーカリフラジリスティック…」を思い出したらしい。が、ライアンは「はぁ?」とそれを一蹴する。
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスは呪文だろ。パンチート・ロメロ・ミゲル・フニペロ・フランシスコ・クインテロ・ゴンザレスは名前だから、全く別物だぜ?」
「ちょっと待って、内容が全然頭に入ってこないのよ」
パンチートは日本でいう所の「寿限無寿限無…」のようなものなのだが、日本人ではない4人にその例え話は通じない。
「バーナビーさん! アンドレア! 名前だけでもおぼえて帰ってください!」
「お前そういう言い回しはどこで覚えてくるの?」
ガブリエラがマジックリアリズムのリズムにユラユラと乗りながら、グッと拳を強く握った。
そして、4人目のデザイナーが姿を現した。ドナルド、デイジー、スティッチを従えた長身の男性は、ヒューゴー・ベルジュールという名前だ。
スチームパンクという、最近ではだいぶ世に広まったモチーフをテーマにしている。バーナビーもアンドレアも「スチームパンク」というもの自体は知っていたので、スッとそのテイストがイメージとして頭に浮かんだ。歯車や時計や鉄線でかたどられた衣装と、それに身を包んだ赤毛のモデル達。
デザイナーであるヒューゴーも錆色や緑がかった鉄色のロングロートを着用し、派手なアクションで自身のテーマを語っている。
「あら、このテーマはギャビーに似合いそうじゃない?」
「えへへ…前回見た時にライアンにもそう言って頂きました! 嬉しいです! とても!」
「荒廃的な雰囲気が似合いますよね」
バーナビーにもアンドレアにも、ライアンにも「似合いそう」と言われたガブリエラは、それはもう嬉しそうにふにゃふにゃと笑った。
ヒューゴーのどの衣装も、モデル達の明るい赤毛に合うように作ってあるのだ。ガブリエラの持ち前の鮮やかな赤毛も良く映えることだろう。
テーマの違う4人のデザイナーが自分のデザインを「一番だ!」と決め込み、競い合い、空気が刺々してきたところでミッキーやミニーが「どれも素晴らしいのに、何で競うのか」と仲裁に入る。そして、皆の良い部分を認め合って心を分かち合おう! と呼びかけた。
最後は4人が互いを認め合い、ほっこりとした空気に包まれてファッショナブル・イースターの幕が閉じた。
デザイナーやミッキーフレンズを乗せたバージが姿を消すと、メディテレーニアンハーバー全域から盛大な拍手は沸き起こる。その中には勿論、ライアン、ガブリエラ、バーナビー、アンドレアのものも混じっていた。つい30分前まではショーにあまり興味を示していなかったアンドレアも、興奮冷めやらぬ、ぼうっとした顔で静かになった水上を見つめている。
「さてと、んじゃあアメフロに向かうか」
「そうですね!」
「アメフロ?」
まだ余韻に浸っていたい様子のアンドレアが、渋々レジャーシートから立ち上がって首を捻る。
ライアンはそんな彼女にニヤリと笑いかけ「お前が気にしてたダッフィーのショップだぜ」と言った。
「例の、限定品がある、専用ショップね…?」
「ああ。手のひらサイズのぬいぐるみバッジから、65cmのでっかいサイズまであるんだ。しかも、買った傍からホテルに直送してくれる」
「直送!?」
「ああ、ホテルのベルデスクに全部送ってくれる。俺たちはホテルに帰って、それを受け取れば良い」
「僕も先ほど聞いて驚きました。おかげで、トイ・ストーリーグッズも結構買えましたし」
ライアンがドヤ顔で「ジャパンのディズニーリゾート、スゲェだろ?」と自慢げに言うと、アンドレアも頷き「まさしく痒い所に手が届くって感じのホスピタリティね」と返した。
女性ならば誰しもが考えたことがあるだろう。――買い物したはいいが、この大荷物を持ち歩くのが苦痛だ、と。
それを見事に解消してくれるのだ、この金持ちの一団にはもう、ストッパーなど無いに等しい。
アンドレアはマップを睨み「アメリカンウォーターフロントはこっちね」と先陣切って歩き出した。
そして、アメリカンウォーターフロントにある赤いペンキ塗りのお店「アーント・ペグズ・ヴィレッジストア」到着するや否や、アンドレアはその場に崩れ落ちそうなほどフラフラと揺れだした。
それもそのはずだ。彼女はこう見えて可愛いもの好きで「自分のイメージに合わない」と言いつつも、フワフワしたぬいぐるみに惹かれてしまう性質なのだから。
右を見ても左を見てもフワフワのダッフィーやシェリーメイがアンドレアに視線を投げかけてくる。油断していると、ピンク色の肉球がチャーミングなジェラトーニが、艶のある毛を撫でてほしそうにこちらを見てくるのだ。
覚束ない足取りであっちこっちの棚をぐるぐると何度も回るアンドレアに、バーナビーとガブリエラは微笑ましげな顔をしていた。
「ぬいぐるみはL・M・Sサイズがあるのね…でも、ジェラトーニはMとSだけ…ステラ・ルーはSサイズしか無い…4人揃えるならSサイズよね…」
「4人揃える前提ですか?」
「ハンサム、あなた、ウッディの人形を買っておきながら隣にバズもジェシーも置かない…なんてことができるの?」
「出来かねます」
アンドレアの言葉に、つい数時間前にトイ・ストーリーグッズを買い漁った時の感覚を思い出したようだ。
あまり収集癖の無さそうなバーナビーでさえこうなのだ。ディズニーリゾートとはかくも恐ろしい。
「そもそもどれもこれも、グッズが可愛すぎるのがいけないのよ。何よコレ。大人でも欲しくなるじゃない」
「そうそう。特にダッフィーフレンズのグッズはディズニーランドにも売ってねえ、ジャパンの、シー限定だ。ジュニア君見倣って、買っちまえって」
収集癖のある方、ライアンがウンウンと頷きながらアンドレアを焚きつける。
アンドレアは意を決して、片手に持った買い物かごに顔立ちを吟味したSサイズのダッフィー、シェリーメイ、ジェラトーニ、ステラ・ルーを詰め、更にそれぞれの専用洋服も突っ込んだ。
そしてLサイズのダッフィーの棚の前で悩むこと数分間。ガブリエラが陳列してあるダッフィーを抱え、可愛らしい声で「アンドレア、僕を連れて帰ってよー」と、フワフワの手をぱたぱたと動かしたのが決め手となった。
CV.ガブリエラのダッフィーと向き合ったアンドレアは、ガブリエラごとダッフィーを抱きしめ「買うわ!」ときっぱり言った。人形越しとはいえ、ぎゅむぎゅむと力強く抱きしめられているガブリエラは、どこか嬉しそうに「ふふふ」と笑っていた。
そして30分後、店内にあるお菓子以外のグッズをほぼほぼ購入したアンドレアが、ほくほくと満足そうな顔でヴィレッジストアから出てくる。
その頭には、遂にダッフィーのフワフワ耳カチューシャが鎮座していた。