(9)クラリスのウォーキング教室/ファンカストーディアル遭遇
BY 餡子郎
「よし、できたわ」

 アンドレアが、満足そうな顔で言った。
 彼女の手の中にあるのは、片手で抱えられるくらいの、薄紫色のふわふわしたうさぎのぬいぐるみである。すなわち今回のイースターで新しく登場したダッフィーフレンズのキャラクター、ステラ・ルーのぬいぐるみSサイズであった。

 ダンサーを目指すステラ・ルーのコスチュームである水色のチュチュとピンクのトゥ・シューズ(別売)をアンドレアは丁寧に着せ、そっとそれを小脇に抱えた。
 パーク内には、こうしてお気に入りのキャラクターのぬいぐるみを持って一緒に回るゲストも多い。ダッフィーが登場してからそれは顕著で、ディズニーリゾート側も、ぬいぐるみを座らせて写真が撮れるポイントを各所に用意しているという気の入れようだ。
 ダッフィー、シェリーメイ、ジェラトーニ、ステラ・ルー、すべてのフレンズのぬいぐるみと衣装を購入したアンドレアだが、イースターというイベントに合わせ、連れて歩くのはステラ・ルーに決めたようである。

「かわいいです! ステラ・ルー、よかったですね。今日からアンドレアはあなたのお友達です! 一緒に楽しく遊びましょうね!」
「うふふ」
 普通にぬいぐるみに話しかけるガブリエラに、アンドレアはいつもの悪女キャラで売っているヒーロー活動中ではまず見れないような、蕩けた笑みを浮かべた。ぽわぽわと小さい花が周りに飛んでいるかのような、かなりの蕩けっぷりである。
 これ写真に撮ってSNSにアップしたらものすごい炎上になるんだろうなあ、とバーナビーはぼんやりと思った。

「相変わらずカワイイもん好きだよねあいつ」
 その様子を見たライアンは、生暖かい笑みでぼそりと言った。
「そうなんですか?」
「そうそう。こういうパステルカラーのフワフワとか、キラキラした乙女チック系とか目がねえの。もちろんディズニーのプリンセス系は全部網羅してるはず」
「興味ないって言ってたのに!」
 飛行機の中でのディズニー映画に対する温度の低さを思い出して、バーナビーは信じられないというリアクションで言った。

「キャラと合わねえ、自分には似合わねえって普段は隠してるんだよ。でもまあ、ディズニーがっていうよりプリンセス系とカワイイの専門な感じだから、ピクサーとかはあんまり知らねえと思う」
「……あ、そういえば」
「なに?」
「“Frozen”って、あれはプリンセスものなんですか?」
 飛行機でいくつかのディズニー映画を観た時、バーナビーがファインディング・ニモを視聴したところ、彼女はこの作品を視聴していた。バーナビーがかすかな知識で童話の『雪の女王』が元ネタのものかと尋ねると、彼女は「私もそう聞いていたんだけど」と返した。
 バーナビーがそう話すと、ライアンは「なるほどね」と片眉を上げ、例のディズニー顔をした。
「ドレスとか舞踏会とかは出てくるし、主人公はプリンセスっていやあプリンセスではあるな。歌も含めてすっげえヒットしたから、気になってたんだろ、実は」
「そうなんですか」
「でも昔のいかにもなのと違って、王子様と結ばれてメデタシメデタシじゃねえ話。別に悪いドラゴンとかも出てこないし」
「へえ?」
「面白いぜ?」
 ライアンは、ちなみにジャパンではFrozenではなく“アナと雪の女王”、略してアナ雪とも呼ばれて親しまれている、という豆知識も披露した。

「他にはなに観たんだっけ?」
「僕はそのアナユキではなくて、ファインディング・ニモを観ました。あとはふたりともベイマックスとズートピア、アンジェラが好きだと聞いたので、モンスターズ・インクを」
「そうそう、あいつモンスターズ・インク好きでさあ。それにズートピアがわかるんなら、明日は楽しめると思うぜ。パレードにジュディとニックが出るからな。初登場」
「ああ、ウサギだから。イースターに合わせて?」
「そういうこと」
 逆境の中、ウサギの身で頑張る有能なジュディに好感と親近感を抱いているバーナビーは、わくわくした様子で「それは楽しみです」と言った。

「ってなわけで、あいつのテンションは明日もっとやばくなると思うぜ」
「何かあるんですか」
「ランドは、シンデレラ城がマジで建ってる。中も見れるしガラスの靴も売ってる」
「それはそれは」

 きっととても喜ぶでしょうね、とバーナビーは明るく笑った。






「さあ、次はどこに行くのかしら」
「テンション上がったようで何よりだよ」

 ダッフィーの耳をつけ、ステラ・ルーを小脇に抱えたアンドレアが発した、先程までとは打って変わった発言に、ライアンは妙に優しい笑顔で言った。ガブリエラは、アンドレアの横で満面の笑みを浮かべている。
「12:20がレストランの予約で、今が11:25分だろ? 10分前には着いとかなきゃなんねーから……」
「近くのアトラクションは、今どれも微妙な感じです。遠いところですと、戻ってくるのに時間がかかりますし……」
 ガブリエラが、待ち時間チェックアプリを確認して言う。
「シーは結構広いからなあ」
「では、すぐに戻ってこれる範囲で散策して回る感じではどうですか? アンドレアがせっかく買っ……いえお迎えしたのですから、ステラ・ルーと散歩というのもいいのでは」
「まあハンサム、あなたいいこと言うじゃない」
 バーナビーの提案に、ステラ・ルーを胸の前に構えてふわふわの片手を上げさせたアンドレアは、上機嫌で頷いた。
 ──これはアンドレアが言ったということでいいのか、それともステラ・ルーが言ったという設定でのアテレコなのか。バーナビーは彼女のテンションの具合も含めて判断に迷い、結局「光栄です」とただステラ・ルーの頭を撫でた。ステラ・ルーはふわふわだった。

「じゃ、そうするか。レストラン近くの、ウォーターフロントパークのイースターの飾り付けでも見に行く? 写真撮ってもいい感じだぜ」
「そうしましょう。空いているので、グリーティングがまたあるかもしれませんし!」
 ライアンとガブリエラが話をまとめ、全員の意見が一致する。そしてすっかり全員ディズニーに染まった格好になった4人は、周りの注目を集めながら歩き出した。



「ああっ、クラリス! クラリスです!」

 ウォーターフロントパーク。
 古代風の白い柱やロマンティックなガゼボが設置された、品のいい広場。そこは柔らかい色合いながらも、カラフルな花やイースターエッグで飾り付けられている。
 そしてそこにいたのは、薄紫のタイトなドレスを着たリスのキャラクター、クラリスだった。
 先程のファッショナブル・イースターにも登場したキャラクターなので、ショーの興奮がまだ続いている4人は、さらにまたテンションが上った。

「……本当にいましたね」
「あいつのああいう予言みたいなの、当たるんだよな。本人自覚ないけど」
 驚くバーナビーに対し、ライアンがすかさずカメラを取り出して言った。

 ウェストを強調したドレスを着たクラリスは、ぷりぷりとお尻を振りながらモデル歩きでウォーターフロントパークにやってきた。もふもふのキュートなキャラクターであるのに、その様子はとてもセクシーである。
 目を輝かせて集まってきたゲストたちに対し、彼女はふと振り返り、腕を上下にまっすぐ動かした。
「並んで? 並ぶの?」
 ゲストの誰かが言うと、クラリスは「そうよ」と言わんばかりに頷く。そして言われたとおりに数人が並ぶと、彼女は一層お尻をぷりぷり強調して振りながら、そして腕も高く振りながら、まるでマーチングバンドの先頭のように歩き出した。
「ワォ! クラリス様の行進! 行進です!」
「かわいい……」
 興奮するガブリエラ、そしてお尻をぷりぷり動かして歩くクラリスにすっかり魅入られているアンドレアである。
 だがシャイな日本人たちは笑顔ではあるがすぐノリきれないようで、クラリスの指示通りにできているゲストは少ない。
 そして数メートル歩いたクラリスは、「できてないじゃないの!」といわんばかりのリアクションで、ゲストたちを見渡した。

「わあ、何を言っているのかすごくわかる……」
「そうでしょう! ハートがあれば! ハートがあればお話できるのです!」
 バーナビーの感動したようなコメントに、興奮しきったガブリエラが応えた。しかし、それについてはアンドレアも同意だった。決して大げさではない動きなのに、クラリスが何を言っているのか、ありありと分かるのだ。
 言うとおりのウォーキングができていないゲストたちに、立ち止まったクラリスは一旦スペースを空けさせると、一旦腰に手を当てて、きゅっとモデル立ちをする。そして地面の白いレンガのラインにそって、またぷりぷりとお尻を動かして、見事なウォーキングを披露した。
「ほら! やはりアンドレアと似ています! セクシー! そしてあの歩き方!」
「ああ、そういう共通点だったのねぇ。それなら納得だわ」
 先程のショーでガブリエラがクラリスとアンドレアが似ていると言った理由が判明し、アンドレアは頷いた。確かに、セクシー系のキャラクターで、また本職がモデルでありランウェイをウォーキングするアンドレアとは、似通ったところが大いにあるだろう。

「えっ、何? え? 私?」
「お、ご指名だぜ」

 急にクラリスがこちらを向き、なんとアンドレアに手招きした。ライアンは笑いながらカメラを構え、そして歓声を上げたガブリエラがバッグを自然に預かり、アンドレアの肩を押す。
「歩く? 歩けばいいの?」
 ステラ・ルーだけを抱えたアンドレアが尋ねると、クラリスは「そうよ。早くやって!」といわんばかりの様子で、先程自分が歩いた白いレンガのラインを指差した。
「あなたの得手じゃないですか。プロの技を見せてくださいね」
「アラ、言われなくてもよ。見てなさい」
 ニヤリと笑って言ったバーナビーに同じようにニヤリと笑い返したアンドレアは、クラリスがするのと同じように、まず腰に手を当ててポーズを決める。手に持ったステラ・ルーもちゃんと前を向くようにしているのがさすがだ。
 その様はあまりにも堂に入っており、たとえ言葉が通じなくとも、彼女がプロだと全員が一瞬で理解するのにじゅうぶんだった。

 そしてアンドレアは見事なウォーキングでワンブロックを歩き切り、くるりと完璧なターンをして、またポーズを決めて止まった。しかも片手でステラ・ルーの手を動かし、こちらも軽くポーズを決めさせているという凝りようである。
 わああ、とゲストたちから思わず盛大な拍手が上がる。クラリスは「まあ!」という感じで両手を口に当て、しかしすぐに拍手をしてくれた。しかしもふもふの手なので音は鳴らず、ぽふぽふとしかなっていないのがとてもかわいい。
「どう?」
「素晴らしいですアンドレア! とても素敵でした!」
 どや顔のアンドレアを、ガブリエラが絶賛する。今の様子をばっちり写真に収めていたライアンが、ダッフィー耳ついてるけどな、とぼそりと呟いた。
 クラリスは「素晴らしかったわ!」という様子で、アンドレアをハグしている。そのもふもふの感触に、たった今までモデルらしくきりっとしていたアンドレアの表情が、また緩んだ。

「え、モデルさん?」
「外国のモデルさんだって。超キレー!」
「うわーいいもん見た」
「すっごいスタイル。脚なっがい! 顔ちっちゃ!」
「キャストかと思った」
「超絶美女がダッフィー耳」
「連れの人もすごいんだけど! 芸能人じゃないの?」

 アンドレアがあまりに見事なモデルウォークを披露したせいで、彼女の美しさ、そして連れの他3人に一気に注目が集まった。
 こうなると、真の意味で一般人なゲストたちは完全に観客側に回ってしまう。彼らの希望は自分が指名されることではなく、あのものすごいイケメンと美女グループが指名されて、キャラクターと絡む画を見ることだ。
 そうして他のゲストが引いてしまったからか、残った3人にクラリスが視線を向ける。そして、再度手招きをした。

「え、今度は僕ですか?」
「あらハンサム、頑張ってね」
 クラリスのもふもふの手に引かれたバーナビーを、アンドレアが見送る。
「ふっ、僕もモデルの仕事は日常的にこなしています。いきますよ」
 その言葉に嘘はなく、バーナビーがまずポーズを決めただけで、女性ゲストたちの黄色い声が上がった。そして彼はスタイリッシュにワンブロックを歩き切り、アンドレアと同じようにターンしてまたポーズを決めた。大きな拍手が上がる。
「どうです? 僕もなかなかの……、え!? だめ!?」
 自信満々で振り返ったバーナビーは、「まるでなってないわ」といわんばかりのやれやれポーズをしているクラリスを見て、素で目を見開いた。
 クラリスは自分もポーズを取ると、またぷりぷりとお尻を振って歩く。バーナビーの真横まで来た彼女は、彼を見て「ここがポイント!」という感じで、その場できゅっきゅっと左右に腰を振ってみせた。お手本を披露してくれたらしい。

「バーナビーさん! だめです! お尻のぷりぷりが足りません! スタイリッシュではだめです! ぷりぷりこそが正義です!」
「だからお前はそういうのどこで覚えてくるの?」
 R&Aが漫才をしている。ただし、真剣極まりない顔のガブリエラに対し、ライアンはどう見ても笑いをこらえている様子だが。

 つまりは、男性モデル用のウォーキングではなく、女性モデル用のウォーキング。しかもクラリスのように、大げさにお尻を振って歩けということだろう。

「本気ですか」
「ノリ悪ィぞジュニア君! 男を見せろ!」
「……いいでしょう! 言っておきますがものすごいレアですからね!」

 トイストーリー・マニア以降かかった強力な魔法の効果か、バーナビーはライアンの煽りにすぐに反応し、再度ポーズを取った。先ほどよりも、大げさに腰を突き出した斜め立ちで。ライアンが、ぶふっと噴き出した。
 そしてバーナビーはきゅっと締まった小尻をキレよく左右に振りながら歩いた。先程は黄色い悲鳴が上がっていたが、今度は老若男女関係なく、どっと笑い声が上がる。しかしその声はバーナビーにとっても不快ではなく、むしろとても暖かで楽しそうなものだった。
 バーナビーがターンし、また大げさなセクシーポーズをとってみせると、笑いと拍手と、大きな歓声が上がった。クラリスも「やればできるじゃない」という様子で大きく頷いている。
 超絶美形のハンサムゲストを、あえてコメディリリーフに落とし込むという手際。さすがのエンターテイメントキングダム、ディズニーマジックの成せる技である。

「ご教授ありがとうございます、レディ」

 だが小走りに走り寄ってきたクラリスに、バーナビーはウッディの帽子を取って片手で胸に当てると、中世の騎士か王子様よろしくクラリスのもふもふの手を取り、膝を曲げて優雅なお辞儀をした。
 ほぅ、とゲストたちが魅了されたような声を漏らした。クラリスも、「まぁ!」という様子で、取られた方とは逆の手で、ふかふかのほっぺを押さえている。
「やるねー、ジュニア君」
 急に与えられたコメディリリーフの役目をノリよくこなしつつ、それでいてちゃっかり王子様ポジションも譲らなかった彼に、ライアンがピュウと口笛を吹いた。

 ちなみにこの後ライアンとガブリエラも指名を受け、ぷりぷりウォーキングを披露した。

 ライアンは背丈こそバーナビーとそこまで変わりないが、明らかに彼より体の厚みがあり、顔つきも文句なしにイケメンでありつつ、同時に強面のカテゴリにある。
 しかしそれでいて上から下までミッキー大好きなのがわかるこてこての出で立ちという、はっきり言って出オチに近い彼が、躊躇いなく、恥ずかしがっている様子の欠片もない笑顔でしっかりお尻を振って歩く様は、バーナビーのときよりはるかに大きな笑いを誘った。
「ゴリラだわ。ゴリラウォーキングだわ」とアンドレアがぼそりと言い、バーナビーが思わず噴出する。ガブリエラは、「なんというセクシー!」と頬を染めていたが。

 王子様キャラを最後に強調したバーナビーと異なり、ライアンは最後にクラリスの手を取って、ダンスでも踊るようにくるりと回転させるリードを流れるように行うと、クラリスの腰を抱いて至近距離でウィンクした。
 いかにもセクシーな色男というそのパフォーマンスに、すっかりノリが良くなったゲストたちからは「ヒュウ〜」と浮ついた歓声が飛び、クラリスは「やあね!」という感じで、ツンと強気にライアンを押し返した。安い女ではないのよ、というリアクションがとてつもなくキュートである。

 そしてガブリエラは、お尻を振ることに執心するあまりに手が綱渡りをする人のように横一直線並行になっているという有様だったが、一生懸命な本人は気付いていなかった。
 だが「どうでしたかクラリス!」と目をきらきらさせて振り向いた彼女の犬っぽさのせいか、クラリスはうーんと首をひねるような動作をした後、ガブリエラの頭をぽんぽんと撫でてくれた。
 ガブリエラは大喜びし、やさしい、と皆がほんわかした。



「やばい……グリーティング超楽しいわ……」
「やばいですね……」

 アンドレアとバーナビーが、興奮を抑えきれない様子で言った。
 クラリスのウォーキング教室が一段落し、彼女を真ん中にして付き添いのキャストに写真を撮ってもらった4人は、クラリスに手を振ってその場を離れてきていた。パフォーマンスに協力した形とはいえ、彼女を随分独占してしまったので、他のゲストに譲るためにあえてさっさと離れたのだ。
「こんなスペシャルなのは珍しいぜ? やっぱ空いてると最高だな」
「最高でした! ぷりぷり!」
 ライアンとガブリエラも、かなりの上機嫌である。ちなみに、ガブリエラはクラリスのサインも貰ってきていた。

「はっきり言ってナメてたわ……。アトラクションとショーはともかく、キャラクターとか子供だましのぬいぐるみじゃないのとか思ってたのに」
「ええ。あれは本物でした。本物のクラリスでした」
「本物だったわね……めちゃくちゃかわいかったわ……」
 アンドレアとバーナビーが頷き合う。ガブリエラは、何を当たり前のことを言っているのだろう、という感じで首を傾げていたが。
「アトラクションもショーも素晴らしいのに、パフォーマンスもこのレベル……。本当にすごいですね、ここは。しかもまだ半分もエリアを歩いていないのに……」
「だろぉ? ハマるのわかるだろ」
「こう言うことになるとは全く思っていませんでしたが、……わかります」
 バーナビーが真剣な顔で肯定すると、ライアンとガブリエラは、そうだろうそうだろうと頷いた。

「パフォーマンスといえば、ファンカストーディアルもそうですね! あれも素晴らしいのです! ぜひ見てほしいです!」
「ファンカストーディアル?」
「なぁに、それ」
 にこにこして言うガブリエラに、バーナビーとアンドレアが食いつく。

「……あー。お前ほんとなんかあんの? またマジで来たんだけど」

 ライアンが、信じられねえ、という様子で言った。
 彼が後ろを向いているのでその視線を追うと、そこには、プラ製の大きなワゴンを押して歩いてくる、白い制服の男性清掃員の姿があった。
「清掃の人しかいないじゃない」
「いや、だからあれがそうだよ。カストーディアル。清掃員」
「え? どういうことです?」
 指をさして言うライアンに、バーナビーとアンドレアが首を傾げる。しかし「始まりますよ! ついていくのです!」とガブリエラが言うので、彼らはそのとおり、ワゴンを押した清掃員の後ろについていった。見れば、訳知り顔のゲストが何人か、わくわくした様子で同じように清掃員についてきている。

 何が始まるんだ、とディズニーリゾート初心者のふたりが思っていると、ワゴンを押していた清掃員が、ふと立ち止まった。

 黒縁の眼鏡をかけている彼は斜めにして押していたワゴンをまっすぐに立てて置くと、蓋を開け、中から布巾を取り出す。そして近くのごみ箱を、すっすっと拭き始めた。
「掃除してるだけじゃないの?」
「いいから見とけって」
 疑問符を浮かべているアンドレアに、ライアンが言う。仕方がないので、彼女はその清掃員の挙動を見守った。

 白い制服のキャストは、相変わらずごみ箱を拭いている。
 しかし側面を拭いていた彼は、上へ上へと布巾を滑らせていった。すなわち、何もない空中を、いかにもそこまで何かがあるかのように。
「あらぁ、上手ねえ」
「パントマイムのパフォーマンスの方だったんですね」
 確かに技術は高いが、よくある窓拭きパントマイムであるため、ふたりの驚きは微笑ましい範疇にとどまっていた。しかし、次の瞬間それが変わる。
 彼は空中も含めてごみ箱を拭き終わると、「これで終わり!」という感じで、ごみ箱の天板の上で、大きく布巾を動かした。

 ──シャララ〜ン!!

「音がしましたよ!?」
「なにこれ!?」
 どこからともなく、まるで星が降ってくるような音が鳴り響いたのである。目を見開いて非常にいいリアクションをするふたりに、ライアンはにやにやし、ガブリエラはにこにこしている。
 そして清掃員、カストーディアルキャストに扮したパフォーマー、ファンカストーディアルキャストの男性は、今度はバーナビーのすぐ前にある、大きな支柱を拭き始めた。

 ──キュッ、キュッ! キュッ!

「また違う音が!」
 バーナビーが、メガネのブリッジを押し上げて言った。
 まさにカートゥン・アニメの効果音そのものの音とともに掃除をするファンカストーディアルは、すっと振り向いた。そしておもむろにバーナビーを見ると、自分がかけている黒縁眼鏡に手を遣る。

 ──シャキィイイイイン!!

「メガネがー!!」
 黒縁眼鏡がクイッと押し上げられると同時に鳴り響いたいかにも必殺技っぽい音に、ガブリエラが興奮する。アンドレアは噴き出し、ライアンは腹を抱えて笑い、バーナビーは呆然としている。
 するとファンカストーディアルは、そのままバーナビーを見て、自分とバーナビーの眼鏡をそれぞれ交互に指し示す。彼の言いたいことを察したバーナビーは、おそるおそる、自分の眼鏡のブリッジを押し上げた。

 ──シャキィイイイイン!!

「バーナビーさんも! バーナビーさんのメガネからも音が!」
「これどうなってるんですか!?」
 ガブリエラが大興奮し、若干メガネがずれたバーナビーが声を上げる。「すごいわぁ、全然わからない」とアンドレアが笑いながら感心した。ファンカストーディアルは、ぐっとサムズアップをしている。

「すごい。本当にどうなってるんですか? 効果音が鳴るNEXTですか?」
「バーナビーさん、NEXTではありません。魔法です」
「あっハイ」
 バーナビーがガブリエラに注意を受ける傍ら、ファンカストーディアルは更に、今度は植え込みの前にある鉄柵にふわふわしたハタキをかけはじめた。しかし1本1本触れるごとに、いちいち鉄琴のような音がする。しかも、音階がそれぞれ違っていた。

 どの鉄柵が何の音なのか何度か確認したファンカストーディアルは、また振り向く。そして今度は、ガブリエラとライアンに手招きした。
「はい! 何でしょうか!」
「お、なになに?」
 ガブリエラは大きく挙手して、ライアンは悠々とした歩調で、わくわくと近寄っていく。ファンカストーディアルは、ふたりにそれぞれ青いふわふわのハタキを持たせた。そして声は出さず、わかりやすいジェスチャーで、あなたはこことここ、そちらのあなたはこことここをこうやって、と、順番通りに鉄柵を叩くことを指示する。
 無言のままのファンカストーディアルに、ふたりもまた無言で、OKサインを作ることで了解を示した。

「あら」
「ははは、すごいすごい」
 ふたりが柵を叩くと、音階は皆にとって聞き覚えのあるメロディ、すなわちミッキーマウスマーチのフレーズになった。アンドレアとバーナビー、そして他のゲストたちも、その演奏に拍手を送った。
 しかしライアンが最後の柵を叩くと、明らかに外した妙な音が鳴り響き、どっと笑いが起こった。ライアンは驚いたような顔をして肩をすくめ、俺は悪くないとばかりのポーズをする。ファンカストーディアルは「ほんとに?」という疑わしい目を向けているが。
 そしてさらにその疑いを晴らすべく、ふたりがもういちど鉄柵を叩かされる。しかしライアンの叩く鉄柵はやはり肝心なところで音が外れる上に、逆にガブリエラの鉄柵は、シャラランと星が鳴るような音がしたりしていた。

「……ライアン、こうして見ると本当にディズニー顔ですよね」
「あの浮かれた格好じゃなかったら、確実にキャストに間違えられてると思うわ」
 ふたりが頷き合う。それほどライアンのジェスチャーは抑揚豊かで、そしてその表情の付け方も、非常にディズニーキャラクターっぽさがあったからだ。
 そもそも表情を含めた彼の体の動かし方には、明らかにステージ慣れした玄人感がある。さもあらん、彼は先程の窓拭きパントマイムのパフォーマンスやらムーンウォークやらそういう隠し芸が得意で、しかもほとんどプロに近い腕前なのだ。飲み会で、実際に何度か披露したのを見たことがある。そして突然のネタ振りやアドリブにも、かなり強い。

 実際、彼はいいタイミングでバーナビーを指さし、先程のメガネシャキーンの音を出させて笑いを取った。そして更に「こいつじゃなかった」というようなジェスチャーをするので何かと思えば、今度はアンドレアを指さす。
 彼女がかけているサングラスを同じように指で持ち上げさせると、シャキーンでなく、ライアンが本来鳴らすはずの音階の音がした。「あいつが音を取ってたんだ」というジェスチャーをするライアンを「ハァ? 冤罪だわ!」とアンドレアが睨み、ファンカストーディアルがまじまじとアンドレアのサングラスを見に来た。
 ライアンのアドリブも相当だが、正真正銘打ち合わせなしで完璧に対応しているこのファンカストーディアルも、相当の実力のパフォーマーである。

 もはやゲスト参加のパフォーマンスというよりはキャストふたりの競演のようになっている状況に、近くにいた日本人の年輩の夫人が「さすが外人さんはああいうの上手ねえ」と感心している。
 いやあそこまでできるのは彼だからです、誰も彼もできるわけではありません、とバーナビーは喉まで出掛かったが、上手くジャパニーズで説明できる気がしなかったので黙っておいた。

 そして最後は、ライアンとガブリエラが叩く鉄柵と、アンドレアのサングラスで無事正しいミッキーマウスマーチのメロディーが演奏された。見物していたゲストたちから拍手が起き、そしてまた持ち上げさせられたバーナビーの眼鏡からシャキーン音がして、どっと笑いが起きてオチがつく。

 すばらしいパフォーマンスを繰り広げたファンカストーディアルは、ボックスの取っ手をクイクイ回すジェスチャーとそれに伴ったエンジン音を響かせながら、ボックスを押してその場を去っていった。
● INDEX ●
BY 餡子郎
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