(15)ビッグバンドビート&特別グリーティング
待ち合わせ場所である、『ブロードウェイ・ミュージックシアター』前。鑑賞予定の『ビッグバンドビート』の公演が行われる、アメリカンウォーターフロント内の施設である。
シュテルンビルトのブロンズステージ、特に古くから劇場が集まる町並みによく似た通り。建物の側面の上部にはミュージカル「アイーダ」のポスターが描かれ、薄暗くなりつつある空の下、明るく点灯されたネオンが華やかだった。
お互いに目立つ人間揃いであることは承知であるので、待ち合わせですれ違うことはまずない。しかしバーナビーとアンドレアは、待ち合わせ場所で起こっていた予想外の事態に片や呆れたような、片や頭痛を堪えるようなリアクションをした。
なぜなら待ち合わせ場所にいたライアンとガブリエラが、シアターのある通りの半ばも進まないくらいから、ゲストの人々の注目を浴び、それどころか軽く囲まれていたからである。
「うわー、す、すっごいイケメン!! え、キャストの人!?」
「いやカチューシャつけてるし、ポップコーンとかリュックとか持ってるし、ゲストだろ? めちゃくちゃかっこいいけど……」
「ねえすごいかっこいい外人さんいるんだけど!!」
「ミニーちゃんな人の方もかわいい〜!!」
「顔超ちっちゃくない? やばくない?」
「背ぇたっか! 脚なっが!」
「うわ〜、CGみたい」
「写真だめかなあ」
聞こえてくる声は、こんな様子だ。
はあ、とため息をついたバーナビーとアンドレアが覚悟を決めて近づいていくと、こちらもまた画面越しでしか見られないような美形カップルの登場に周囲が気付き、自然と道が開けられていく。
真っ先に気づいてパッと顔を明るくしたのは、ガブリエラだった。
「アンドレア!」
「おっジュニア君、来た来た」
「来た来た、じゃないですよ」
笑顔で手を上げてくるライアンとガブリエラに、バーナビーは呆れた声で返す。
約1時間半ぶりに顔を合わせた彼らの格好は、別れたときのものとはがらりと様相が変わっていた。
ライアンが身に纏っているのは、フォーマルな黒のスーツ。ジャケットだけでなく、その下の白いシャツも身体のラインに完璧に沿っていて、オーダーメイドとひと目で分かる。
隣に立っているガブリエラも、同じくフォーマルな黒のドレスだ。シンプルなノースリーブ・ドレスだが、光沢のある膝丈の生地はよく見ると一面黒のスパンコールでできていて、ブロードウェイ・ミュージックシアターのネオンの光をきらきらと跳ね返している。
本人たちの容姿が極上なだけにスタイルとしてはこれ以上なく決まっているのだが、先程までミッキー尽くし、カラフルかつカジュアルの極みというスタイルだっただけに、落差がひどい。
「なんですかその格好」
「そりゃ、ふさわしい格好ってもんがあるだろ」
「え? ドレスコードがあるの?」
聞いてないわよ、とアンドレアが怪訝な顔をする。
「ちょっと他とは雰囲気が違う建物ですよね。公演も1日に5回しかないようですし、かなり本格的なショーなのでは?」
バーナビーが続けて言う。
彼の目線の先には、ビッグバンドビート、公式通称BBBの公演スケジュールが飾り文字で書かれた看板がある。
先程楽しんだキングトリトンのコンサートは概ね30分から40分くらい毎に15分程度のショーが繰り返されており、何時開演、というものではない。しかしBBBは一般的なショーやコンサートと同じくきっちりと開始時刻が決まっているし、次の開始までの間隔も長い。
「ん? BBBは確かにディズニーシー……いやディズニーリゾートきっての本格的なショーだけど、特別なドレスコードとかはねえよ」
「じゃあなんでその格好なの。わざわざホテルに戻ってまで」
「ポリシーの問題だ」
──わけがわからない。
と思っていることがありありと分かる、そしてこれ以上追求する気も起きないという顔で、アンドレアは「あっそう」とだけ言った。
「あ。フォーマルですけど、相変わらずミッキーとミニーではあるんですね」
「おっ、わかるぅ?」
「そりゃあ」
嬉しそうなリアクションをしたライアンに、バーナビーは苦笑して頷いた。
ふたりの格好は一見するとシンプルなブラックフォーマルだが、ライアンはネクタイが薄いゴールド・カラー、と思いきやよく見るとミッキーのパターン柄であるし、ガブリエラもまた、耳のピアスとネックレスは清楚なホワイトパールであるが、その丸い形を活かしてミッキーシェイプ・マークになったものだ。かなり大粒なので明らかに模造だが、ほどよいチープ感がむしろかわいらしい。髪をまとめているヘアゴムも、揃いのパールのものが用いられていた。
更にライアンの胸のポケットチーフとガブリエラの胸の下の切り替えラインに巻かれたリボンは同じ赤いシルクサテンになっていて、ファッションとしてのワンポイントカラーと、ミッキー&ミニーイメージのコーディネートでペアルックなのだというポイントを兼任している。
そして何よりふたりとも、相変わらず、頭にはミッキーとミニーの耳のカチューシャをしっかり装着していた。しかもライアンのものは先程までのソーサラーミッキーではなく、格好に合わせてか装飾なしのスタンダードタイプになっていた。わざわざカチューシャの種類を変えてくるそのこだわりぶりには、もはや呆れるしかない。
「……まあ、モチーフ・ファッションとしてはなかなかいいセンスじゃない? ギャビーのドレスに安易な赤やドットを持ってこなかったのは正解ね。自前の赤毛があるから、カラーリングはそれでまとまるものね」
ファッションに関してはここにいる誰よりも一家言あるアンドレアが言うと、ライアンが、ぱちん! と大きく指を鳴らした。
「だろぉー!? 白ドットはパールのアクセで表現する感じにしたんだよ。頭には耳とリボン着けるから、このぐらいのほうが品が良くていいと思ってさあ」
「ええ、そっちが正解だと思うわ。くどすぎなくて」
「やりましたねライアン! アンドレアに褒められました!!」
ガブリエラが、諸手を挙げて喜ぶ。その手首にも、ミッキーアレンジのパールのブレスレットがあった。爪は赤く塗られている。
「そりゃ俺様の見立てだからな。当然だろ」
「さすがです!!」
「そのやりとり、いちいちしなきゃダメなの? ……それにしても、ギャビーはミニーのモチーフがほんと似合うわねぇ……」
アンドレアが、ガブリエラをしげしげと見て言った。
よくあるオレンジ系ではなくあくまでレッド、イチゴやトマトのような色合いの真っ赤な赤毛は、ミニーマウスのイメージカラーである赤色とかなり近い。
そのため、このようにシンプルな黒ドレスとパールのアイテムなどだけでも、ミニーマウスを即座に連想させるスタイルが出来上がるのだ。
「ほんっと……ほんっとそれな……」
アンドレアのコメントを受け、ライアンが眉間を指先で揉みながら真剣極まりない表情で言った。
「正直、こいつ以上にミニーマウス・スタイルが似合う奴はなかなかいねえと思うわ。ほんと最高。マジでかわいい。世界中に見せびらかしたい。並んで歩くだけで超楽しい。──あーほんとおまえかわいい! 最高!」
「えへへへぇ」
たいへんに熱のこもった声で絶賛され、ガブリエラがてれてれとはにかむ。そのまま調子に乗せられたガブリエラがちょっとかわいいポーズなどとってみせると、ライアンはすかさずカメラを取り出し、「キュート!!」などと声をかけながら熱心にシャッターを切った。
そんな友人カップルの様子に、アンドレアは少し目を見開く。
「……珍しいわね。ライアンがあそこまで本気で絶賛するって」
「そうですか? むしろすかさず女性を褒めるタイプでしょう?」
バーナビーが、首を傾げた。
「そうだけど、あいつの褒め方って「女をスタイリッシュに褒める俺イケてる」みたいなのもあるじゃない」
辛辣である。相変わらず切れ味の鋭いアンドレアのライアン評に、バーナビーは冷や汗を流した。
「だからああいう、褒めるっていうより完全に惚気けた感じのは珍しいと思って」
「惚気け……。ああ、確かに」
「犬だとか世話が焼けるとか言ってるけど、なんだかんだ惚れ込んでるのね」
「いいじゃないですか幸せそうで」
「ま、節操がないよりは断然良いと思うけど。でも、あーんな、自分大好きな俺様野郎がデレッデレのバカップルになるとはね。思いもしなかったわ」
人って変わるのねえ、と言いつつ、アンドレアはお互いに写真を撮ったり、キャストに頼んで写真を撮ってもらったりするふたりを見た。
ライアンはひとまず満足したのか、取った写真をモニタで確認しながらうんうんと頷いている。
「あーかわいい。最高。この完璧なミニー・スタイル……オッパイがないことすら些細な問題になるわ……」
「前言撤回だわ。最っ低」
至極満足げにしながらのライアンの発言に、アンドレアは一気に氷点下に落ち込んだような声色で言い捨てた。バーナビーもまた、さすがに残念なものを見る目になっている。
「いいえアンドレア! おっぱいは大事、私もそう思います!」
「えっそこなの? そこに言及するの?」
きりっとした顔をして宣言したガブリエラに、アンドレアは微妙な顔で言った。
「ライアンは元々大きいバストが好きですのに、私のバストが残念でもいい、そうおっしゃって下さいました。愛を感じます。私は感動しました」
「……ああそうなの。良かったわね」
「しかし、時々気になります。ライアンの胸はとんでもなくむちむちだというのに、私ときたら……」
「……私もしかして、今ものすごくどうでもいい話をされてないかしら」
果てしなく興味がなさそうなリアクションのアンドレアだが、ガブリエラはまったく意に介せず、くっ、と悔しげに拳を握った。
「しかしミニーマウス・スタイルが似合うなら! ライアンにとってプラスマイナスゼロ、いいえむしろプラスだとおっしゃってくださっているのです! ライアンが喜んでくださる! つまり私にとってもプラス! ミニーちゃん様さまです!」
「間違いないわね? 私今、世界でいちばんどうでもいい話をされてるわね?」
「アンドレア、少しはノッてあげては……」
バーナビーがそう提案するが、彼の表情も果てしなく残念なものを見る顔である。
「そうそう、何もかもデカけりゃいいってもんじゃねえって、こいつと付き合って俺も学んだっていうか。おっぱいでかすぎるとミニーのルームウェアが入らねえし」
「ライアン……」
ふっとニヒルに笑うライアンをうっとり見上げるガブリエラだが、なんでそこでいい雰囲気になるのか、アンドレアとバーナビーにはもちろん一切わからない。
「ていうかこれ、ギャビーにデレデレしてるんじゃなくてミニーにデレデレしてるようなもんじゃないの。いいのそれで。そんな男が彼氏でいいのギャビーは」
「……本人たちが幸せそうなら良いんじゃないですか?」
良いんじゃないですか、の前に「どうでも」という言葉が挟まっているのがありありとわかる声色で、バーナビーはあらぬ方向を見て投げやりに言い放った。
建物の前で茶番を繰り広げ、他のゲストの注目を無駄にたっぷり集めた後。
4人はブロードウェイ・ミュージックシアターの扉をくぐり、階段をのぼった先にある2階ロビーに立っていた。
白く塗られた壁に、重たげな大理石。窓や柱、扉は重厚なマホガニー。部屋の境目は大きなアーチ型に装飾されていて、壁一面に開拓時代の風景をテーマにした巨大な絵画が飾られている。非常に高い天上からはシャンデリアがぶら下がっており、ロマンティックに湾曲した階段も含めて、全てふかふかの絨毯が敷き詰められていた。
外観からして雰囲気の違うブロードウェイ・ミュージックシアターだったが、予想通り内装も高級感に溢れたものだった。格式高いクラシックのコンサートが行われていても不思議ではない雰囲気である。
「で、何があるの? 開演までまだ50分もあるけど?」
アンドレアが、周りの様子を伺いながら言った。
建物の前においてある公演スケジュールは、待ち合わせた時間よりもかなり後だった。扉をくぐる時、ライアンがキャストにバケーション・パッケージのチケットを提示したので、特別な何かがあることはわかっている。
「ふっふっふっ。バケパでも取れるのは数少ないんだぜ、これ」
「だから何の集まりなのよ」
「……まあ、あなたがたレベルのディズニー愛好者が求める集まりだということは予想がつきますが……」
バーナビーが、他のゲストたちを見回して言う。
同じようにして一緒に待っている他のゲストはライアンたちを含めて5、6組程度しかおらず、非常に少ない。そして全員が非常にそわそわ、わくわくとしているのはひと目で分かり、ライアンとガブリエラのように気合の入ったスタイルのグループもいくつかいた。
普通よりも割高なバケーション・パッケージ、更にその中でも競争率が高く、気合の入った格好での参加。つまり標準以上のディズニー・マニアたちが揃っているということは確実だ、とバーナビーは当たりをつけ、そしてそれは正解だった。
「ちょっとライアン?」
「あーちょっとまって緊張してきた」
「はあ?」
問いに答えないどころか胸に手を当てて深呼吸をしているライアンに、バーナビーとアンドレアは素っ頓狂なリアクションをした。
いついかなるときも自分こそがこの場の主役である、と素で言ってはばからない俺様が、よりにもよって「緊張している」などと発言したのだ。驚くのも無理はないことだった。
「ライアン、しっかり! なかなかない機会ですよ!」
「おう、そうだな。金払ってどうにかなるチャンスじゃねえもんな。充実した時間を過ごさねえと……」
「その意気ですライアン! 練習したとおりにすればきっと大丈夫です!」
「サンキュ。気合い入れるわ」
ガブリエラの励ましに、すう、はあ、とまた大きく深呼吸したライアンは、「よっし!」と強く手を叩いた。
「スターに会うんだもんな。ヘマはできねえ」
「え、それって──」
「それでな、ジュニア君。頼みがあるんだけど」
「……何でしょう」
「これお願い」
ライアンがミッキーの耳付きリュックから取り出してきたのは、最新式の小型ビデオカメラだった。片手に収まるホールド感抜群の小ささながら、本格的なビデオカメラに劣らない高性能とうたっている、最近世界的にも話題の機種である。
「……だんだん事態が飲み込めてきました」
「いっこ借りでいいから」
「そこまでしなくても、カメラ係くらいやってあげますよ。今回の旅はかなりお世話になってますし」
「さすが! 親友!!」
「調子いいなあ」
フウー! と囃し立てて喜ぶライアンに苦笑しながら、バーナビーはビデオカメラを受け取った。
「めちゃくちゃ容量あるから、回しっぱなしでいーぞ」と言うライアンの指示通りさっそくカメラを回し、建物の内装、にこにこしているキャスト、そしてそわそわしているライアンとガブリエラ、なんとなくこれから起こることの予想がついたらしいアンドレアなどを撮影していく。
「では、そろそろお時間です! 皆さんで一斉に呼んでください!」
キャストが進み出て、わくわくが最高潮になっているゲストたちに言う。
打ち合わせもリハーサルもしていないが、彼らの息はぴったりだった。
──ミッキー!! ミニー!!
ゲスト全員の呼びかけに応じて突き当りの角から現れ、こちらに向かって弾けるように走ってきたのは、もちろんミッキーとミニーだった。
ミッキーは黒のタキシードに、ボルドーカラーの蝶ネクタイ、刺繍入りのベスト。足元は白い靴でフォーマル感がある。
ミニーは足元が見えないほどの真っ赤なロングドレスで、いつも赤白ドットのリボンがある頭には、ダイヤモンドのようなスワロフスキーに飾られた、赤い羽根のヘッドドレスをつけている。肩には白いファーがついていて、まさにショーに出演する人気女優といった雰囲気だ。
赤、黒、白、とミッキーマウス&ミニーマウス王道のシンプルなカラーでありつつゴージャスな、いかにも彼らの正装という装いである。
「うわー!! 来た来た来た来たああああうおおおおおミッキ──!!」
「か、かわいいいい! かわいいです!! ミニー! ミニーちゃん!!」
普段のキャラを吹き飛ばして興奮するライアン、そんな彼につかまりながらぴょんぴょん跳ねて喜びを表現するガブリエラ。彼らとスターたちをなるべく同じ画面で映しつつ、バーナビーもまたわくわくした気分になっていた。
「やはりオーラがすごいですね、ミッキー……!!」
バーナビーが興奮気味にコメントすると、ライアンが言葉もないと言わんばかりに頷いている。完全に憧れのスターを目にした少年のようになっているライアンに、アンドレアが笑いを堪えていた。
だが彼女の目も、ゲストたちに至近距離で手を振ったり、お辞儀やターンを決めたりポーズをとったりと、キュートなリアクションを振りまいているスター・カップルに釘付けだ。
「ミニー、ほんっとかわいいわあ〜! あっ回った、くるって回るのかわいい」
ミニーマウスの愛らしい動きには、アンドレアもさっそく目を煌めかせている。ボキャブラリーが幼女並みになっているのがその証拠だ。
かわいいスターたちにひそかに興奮するアンドレアは、自覚があるのかないのか、バーナビーの服の裾を引っ張り、ステラ・ルーを口元近くまで抱き寄せながら、スターたちの動きにいちいち反応していた。
それからは、ひと組ずつ呼ばれての特別グリーティングである。
昼間会ったクラリスのような、ランダムでパーク内のポイントに現れるタイプのグリーティングとは異なり、こうして決まった時間と場所にひとりずつ写真を撮りコミュニケーションもとれるタイプのグリーティングもあるのだ。
「BBBのグリーティングはバケパ専用だし、その中でも競争率高いけどな。並べば写真撮れるタイプのグリーティングも多少はあるぜ。ロストリバーデルタでもミッキーとミニーがいるし、ドナルドとグーフィーのグリーティングもある」
他のゲストがまず呼ばれていったからか、何とか少し落ち着いたライアンが説明した。
「プリンセス系ならマーメイドラグーンのアリエルグリーティングだな。あとアメフロでダッフィーとシェリーメイ」
「ああ、ダッフィー……」
運よくシェリーメイには会えたものの、別行動の際にダッフィーのグリーティングに行けなかったアンドレアは、切なげな顔をした。
トーキョーディズニーリゾートは敷地の狭さというウィークポイントを解消すべく、多くのサービスやショーが他国のパークより濃厚だ。
しかしどうしてもどうにもならない部分もあり、そのひとつがこのグリーティングである。
「他のパークはめっちゃくちゃ敷地が広いからアトラクション毎年増やす勢いだし、グリーティング施設も豊富なんだよな。どこに行けば誰に会えるって確実な感じ」
「それはそれでいいわね」
「パークごとで得意分野が違う感じになってきてる部分はあるな。サービスの良さとか、フードやグッズのクオリティとか、ショーとパレードの統率の取れ方とかはTDRがかなりイケてるけど、いろんなキャラとグリーティングしたいって感じなら、正直向こうのほうがおすすめ」
世界のディズニーを網羅しきった発言をさらりとするライアンに呆気にとられていると、いよいよ順番が回ってくる。
グリーティングはひと組ずつだが、ペアが2組のグループなのだと身振り手振りを交えながら説明すると、参加者が平均よりかなり少なかったのもあってか、4人一緒に行動することを快く了承してもらえた。
しかもバーナビーが構えるビデオカメラをキャストのひとりが進んで任されてくれ、バーナビーも画面の中に参加することができた。
「うお……うおおお……ミッキー……俺のスター……」
「ライアン! しっかり!!」
「ほんとに珍しい光景ね」
「あとで他のヒーローたちに見せましょう」
爆笑必至ですよこれは、と、ミッキーを前に緊張と興奮でキャラが崩壊しているライアンとそれを励ますガブリエラに、アンドレアとバーナビーが笑いながらコメントする。
それから代わる代わる顔ぶれを変えたり、ポーズを変えたりしながら写真を撮り、しっかりグリーティングもする。
ライアンは主にミッキーと握手やハグなどを交えたコミュニケーションを取り、ガブリエラはすかさずミッキーとミニーのサインを頂戴した。もちろん気合の入った格好にも気づいてもらい、キャッキャとはしゃいだリアクションをとってもらった。感無量という感じのライアンに、「良かったですねライアン!」とガブリエラも喜ぶ。
ミッキーとミニーは始終ラブラブで、お互いに異性が絡むと軽く嫉妬し、間に割り込んだり、彼ら名物のかわいい鼻キスを披露してくれたりする。とはいえ、それぞれ好意をアピールされるとまんざらでもないリアクションを取るのが妙に調子が良くてキュートだった。
キャストのカメラマンにはミッキーとミニー、そして4人全員が揃った写真を撮ってもらい、グリーティングは終了。最後までフレンドリーなスター・カップルと、手を振って別れる。
特別に2グループぶんいちどに、ということで長めに概ね10分くらいの時間だったが、バケーション・パッケージ専用、更に競争率も高いだけあって濃厚なグリーティングに、全員大満足だった。
「煌めくハッピーに満ちた時間だった……」
「なんかキャッチコピー生み出してるんだけど」
胸に手を当てつつ何かを噛みしめるように言うライアンに、アンドレアが笑いながら突っ込みを入れる。
すばらしい時間だったことは全員大いに同意だが、始終ライアンの興奮ぶりは相当飛び抜けていた。
「魔法にかかりまくってるわね」
「解けない魔法がここにある」
「また妙なキャッチコピーを……」
きりっとした顔で言ったライアンに、アンドレアは呆れて返した。
「あーやばい。ミッキーから受け取った、なんか……愛とか夢とか希望とかが大きすぎて処理しきれない。なあちょっとハグしていい?」
「何言ってんのあんた」
「ライアン! ハグなら私を! さあ! さあ!!」
意味不明なことを言い出したライアンにアンドレアは呆れ、ビデオカメラを構えたバーナビーは笑っている。ここぞとばかりに腕を広げたガブリエラをライアンは力いっぱいハグし、その勢いで少し持ち上げた。
更にそのままくるりと一回転し、しかしそれでも発散しきれなかったのか結局バーナビーとアンドレアもハグし、ミッキーを愛する同志として近くで見守っていたほかのゲストたちまでハグしてから、ライアンはようやく落ち着いたようだった。
しかしそんな彼に対して皆呆れるよりは微笑ましげで、全員がにこにこしているという、とても感じの良い空間がそこにあった。
「つーか、サンキュな。色々気ィ使ってくれたろ」
「あ、気付いてたんですね」
先程のグリーティングにおいて、彼がどれだけミッキーが好きなのかありありと分かるその様子に、ガブリエラはもちろん、バーナビーとアンドレアも彼に色々な場面を譲っていたのだが、一応彼もその気遣いはわかっていたらしい。
「気付いてたけど余裕なかった」
「……あなたでも“余裕なかった”とか言うんですね」
「そりゃ言うだろ。ミッキーだぞ」
「しかもミニーもいるのですよ」
「なー!」
口を挟んだガブリエラに、ライアンは真剣な顔で大きく頷いた。
「そういえばその格好、あのミッキーとミニーの格好に合わせたんですね」
バーナビーが言う。
赤黒白のカラーリングのタキシードとドレスは、あのミッキーとミニーの衣装と並ぶととても統一感があり、並ぶと“狙って”いるのがよくわかった。
「しかしそれなら、いっそ全く同じものを着ても良かったのでは?」
あなたならかなりのクオリティのものを用意できるでしょう、と指摘したバーナビーに、ライアンはゆっくりと首を横に振った。
「いや。キャラクターやキャストと同じ格好……っていうかコスプレはダメって決まってんの。ちっちゃい子ならドレスとか全身コスプレも年中オッケーだけど」
「へえ、そんな決まりが」
「ハロウィンの、しかも限定期間中だったら大人もやっていいんだけどな。まあさっきみたいな恰好ならむしろ歓迎されてるし、こういうモチーフコーデなら普段もOKだ。それに俺らはほら……あんまり本格的にキメすぎると、あれじゃん」
「ああ、なるほど」
バーナビーも、そしてアンドレアも納得して頷いた。
「あなた絶対キャストに間違えられそうですもんね」
「顔からディズニーだものね」
「そんなに褒めんなよ」
真顔でコメントしたバーナビーとアンドレアに、ライアンはふっとまんざらでもなさそうにはにかんだ。「別に褒めてはいないけど」というアンドレアの呟きは、例によって耳に入っていないらしい。
「私も、髪を下ろしているだけでもメリダのコスプレだと思われるので……」
「あ〜、それはわかるわ。まず地毛だってところで驚くし」
ガブリエラの発言には、アンドレアはおおいに納得して頷いた。メリダを知らないため首を傾げているバーナビーに、通信端末の画面で『Brave』──“メリダとおそろしの森”の画像を見せると、彼もまたなるほどと大きく頷いていた。
真っ赤な長い髪を細かくウェーブさせた髪型、白い肌にそばかす。薄い唇に小さめの鼻、どんぐり目をした細身のメリダは、確かにガブリエラによく似ていた。
そしてそうこうしているうちに、すべてのグループのグリーティングが完了する。
最後に全員でミッキーとミニーを見送り、BBBのバケーションパッケージ専用特別グリーティングが終了した。
「あっ、他のゲストが入ってきましたよ」
カメラを持ちっぱなしのバーナビーが、バルコニー状になった2階から1階を見下ろしながら言った。大きく開け放たれたエントランスから、キャストの支持に従ってきれいに並んだゲストたちがぞろぞろと入場してきている。
「じゃ、そろそろ席行くか」
「楽しみです! あっバーナビーさん、そろそろビデオは消したほうがいいです」
「おっと失礼」
ガブリエラに指摘され、バーナビーは録画モードを正しく終了させて保存し、ライアンが持つミッキー耳リュックに丁寧にビデオカメラを仕舞った。
外観やエントランス、ロビーも豪華だったが、客席は更に豪華だった。
蓮の葉をモチーフにした複雑で豪華な金の浮き彫りに彩られたステージ、ボルドーカラーの緞帳、巨大な風景絵画、音響効果のために湾曲した天井とシャンデリア。
席は1階席と2階席があり、一般的な基準としては小さめだが、1階席と2階席あわせて1500席の赤い椅子が並んだホールは、敷地の狭いTDR内の施設としてはなかなかの大ホールと言っていいだろう。
ライアンたちに用意されたのは1階席中央、ステージから近いが絶妙に近すぎずに全面が見渡せる、かなり良い席だった。
そして後ろのゲストに迷惑にならないよう、もはや誰が言わずとも、しっかり全員カチューシャと帽子を外しておく。
「ジャンルとしてはどういう感じのショーなの? ミュージカル?」
席について落ち着いてから、膝の上にステラ・ルーを座らせたアンドレアが事前情報を求めた。
「ディズニー自体がミュージカルな世界だけど、BBBは特にスウィング・ジャズだな。レヴューショーっぽい感じ」
「“ビッグバンド”ってそのまんまなんですね。虎徹さんやバイソンも好きそうだな」
バーナビーがコメントする。
「あー、そうだな。シーのショーはどっちかっていうと大人向け感あるから、ああいうおっさんたちでも普通に楽しめるだろ。BBBはその筆頭って感じ」
「なるほど」
「でもいい意味でベタなスタンダードナンバーばっかりやるから、子供も絶対退屈しねえよ」
そう言って、ライアンは自信を持って太鼓判を押した。
「ディズニーはジャズが好きですからね。元々ジャズのような曲も多いですが、ディズニーの映画の音楽をジャズ・アレンジしたアルバムなども結構出ています」
「へえ、そうなんですか。いいですね……今度おすすめをぜひ教えてください」
「もちろんいいですよ! 私が持っているディスクをお貸ししましょう!」
音楽関係ならガブリエラを頼れ、というライアンの助言に従い、バーナビーはディズニー音楽について聞きたかったことをいくつか彼女に質問した。ライアンの言うとおりガブリエラはとても詳しく、バーナビーはシュテルンビルトに帰ってから彼女にディズニーのディスクをいくつか借りる約束をした。
「そろそろ始まるぞ」
ライアンがそっと言った通り、“Ladies and gentlemen, boys and girls……”と朗々としたアナウンスが響いた。
会場が暗くなる。体の芯に響く生演奏のスウィングとともに、重厚な緞帳が上がっていった。
「素晴らしかったですね……!!」
ビッグバンドの素晴らしい生演奏に生歌、タップダンスをふんだんに交えた見ごたえのあるダンス、色とりどりの衣装と舞台装置。
最後は、グリーティングの時と同じ赤黒白のタキシードとドレス姿のミッキーとミニーを中心にして、出演者全員で華やかなフィナーレが飾られる。
息つく暇もなく展開された30分程度の公演が終わり、ロビーに出てきたバーナビーは、夢見心地なような、興奮した様子で言った。
「あっという間でした! ええ、これ本当にパークのチケット代だけで観ていいんですか!? 別料金を徴収すべきでは!?」
「気持ちはわかるぜ」
熱っぽく言うバーナビーに、ライアンがうんうんと深く頷きながら応える。
「……ミッキーがかわいいんじゃなくてかっこいいとか、グーフィーが大人の男、っていう意味がわかったわ」
「素敵でしたね!」
こちらもしみじみ頷いているアンドレアに、ガブリエラが満面の笑みで頷く。
BBBに出演するキャラクターはミッキーとミニー、デイジー、グーフィー。ミニーとデイジーは衣装を変えながら登場し、キュートなパフォーマンスを見せてくれる。ミッキーはさすがの貫禄で、ダンスやパフォーマンスの他、なんと見事なドラム演奏までこなした。
その姿は確かに「かわいい」ではなく「かっこいい」であり、実際にこのドラムプレイするミッキーはディズニーファンたちにかなりの人気で、フィギュアにもなっている。
そして最もイメージが変わるのがグーフィーで、彼は指揮者、バンドマスターとして登場する。ミッキー&フレンズの中でも最も目立つひょろ長い長身にタキシードを纏い、ステップを踏みつつステージを動き回りながらバンドを指揮する様は非常にスタイリッシュだった。
元々グーフィーはマイペースでとぼけたキャラクターだが、BBBではそれが逆に落ち着いた振る舞いに感じられ、ステージをまとめるバンドマスターとして十全な役目を果たしていた。
「演奏も、ダンスも素敵だったわあ。ドレスも良かったし……」
「ドレスも好きですが、私はあのラインダンスの衣装が好きです」
「ああ、あれセクシーだけど格好いいわよね」
興奮気味にガブリエラが言ったのは、ラインダンスの時の女性ダンサー衣装のことだ。上半身は男性ダンサーと同じタキシードだが、下はセクシーな黒いレオタードに網タイツ、黒のハイヒール。白い手袋をはめた手で自在にステッキを操り、髪の毛をひとすじの漏れなくまとめてシルクハットに押し込んだ、セクシーさとマニッシュさが同居したスタイルである。
「ちなみに、BBBはちょいちょい内容が変わるぜ」
「そうなんですか!?」
ライアンの注釈に、すっかりBBBのステージが気に入ったバーナビーが勢い良く振り向く。
「クリスマスはクリスマスソングが入ってくるし、何周年って節目の年はスペシャル・バージョンになるな。あとは、スパン長いけど普通のリニューアルもある。舞台装置も変わったし、前はグーフィーじゃなくて、『The Aristocats』のマリーが出てた」
「ああ、白い子猫の。あのコ、こっちですごく人気なのね」
まあかわいいからわかるけど、とアンドレアがステラ・ルーの手をぴこぴこ動かしながら言う。
『The Aristocats』──こちらでは“おしゃれキャット”と呼ばれるこの作品のヒロインかつ主人公は、ダッチェスという美しい白猫だ。しかしジャパンではダッチェスの娘であり、おしゃまで無邪気な子猫のキャラクターのマリーが、女性たちの間で非常に人気がある。
ブームのきっかけは10代の女性向けファッション誌で、とあるモデルがマリー好きを公言したこととされている。更に皇室の内親王殿下も大いに気に入っているということもあってか、今ではそのモデルの名前は忘れられてもマリー人気はそのまま残り、おしゃれキャットの映画自体は見たことがなくてもマリーだけは知っていてグッズも持っている、という女性が散見されるほどだ。
「BBBは、もちろん音楽ディスクも出ています!」
すっかり音楽関係の情報担当になっているガブリエラが、どや顔で言った。
「それは素晴らしい。……ですが、BBBの場合は音楽だけでなく舞台パフォーマンスもないと完璧ではないですね」
「でも、BBBの映像ディスクは一切販売されてねえからな。実際こうやって観に来るしかできねえ」
「……貴重な体験をしたことがわかりました」
ライアンが重々しく言ったそれに、バーナビーもまた重々しく頷き返した。
「明るい時はお花が一杯できれいだったけど、暗くなったらライトがきれいねえ」
アンドレアが、周りを見渡しながらほうと息をついて言う。
外は既に日が沈み、もうすぐ完全に暗くなるという具合の空模様だった。
等間隔で設置されたランプのような形の街灯には明かりが灯され、店はそれぞれ美しいライティングをして昼間とは違う様相になり、様々なオブジェも主にオレンジ色の雰囲気たっぷりのライティングであらゆるところが飾られている。
また春先とはいえこの時間ともなると肌寒く、ガブリエラはライアンが持つリュックの中から小さく畳まれた白いふわふわの上着を取り出し、あたたかそうに羽織った。
さらにライアンとともに再びチケットホルダーを首から下げ、ガブリエラはポップコーンバケットも装着する。せっかくのフォーマルへのモデルチェンジではあったが、こうなるともはやコーディネートの違いだけで、ただの気合の入ったディズニーファンであることに変わりはなかった。
「夜に見とかなきゃいけないのは、やっぱマーメイドラグーンとアラビアンコーストじゃねえ?」
「賛成です! あっ、ジーニーのマジックランプシアターが空いていますよ!」
「アラビアンコーストはまだ行っていないですね」
アプリで待ち時間を確認したガブリエラに、バーナビーが乗り気で言う。
「いいね。じゃあまたミステリアスアイランド通って、マーメイドラグーンの景色眺めながらアラビアンコースト行って、チャンドゥテールとあったかい飲み物かなんか買って、ジーニーに会いに行こうぜ」
「カレーポップコーンも!!」
相変わらず即座にプランを立てるライアンに、ガブリエラが挙手して追従する。
「OK。で、終わったらメディテレーニアンハーバーの景色見ながら戻ってきて、ファンタズミックの場所取りしよう。どうだ?」
反対する者は、もちろんいない。
ライトアップされて煌めくディズニーシーを、彼らは楽しげに歩いていった。