(13)キングトリトンのコンサート/スーベニア付フード
では次にどこに行くか、ということだったが、ちょうどキング・トリトンのコンサートが空いているということで、朝スルーしたマーメイドラグーンに行くことになった。
「ミュージカルみたいなショーよね? 絶叫マシンの後だからちょうどいいわ」
「そうですね」
いつの間にかブラックペッパーポップコーンを食べきり、ハーブトマトのポップコーンが欲しい、と言うガブリエラの希望に合わせ、一行はメディテレーニアンハーバーを横切って広々とした階段を上り、ヴィア・デッレ・ヴィティにあるハーブトマトポップコーンを補充。
そして朝とは別方向にミステリアスアイランドに入ると、今度はライアンが「ギョウザドッグが食べたい」と言い出す。
つい先程ブッフェを全種約3周したくせにどういうことだ、と真顔になるバーナビーとアンドレアを尻目に、ライアンとガブリエラは、ギョウザドック、すなわち長さ19センチの肉まんというボリュームたっぷりのフードを購入した。
「あっ、いけますね。具がたっぷりで、パンもしっかりしてます」
「朝のパンやパイでも思ったけど、食べ歩きのフードも結構おいしいわよねぇ」
バーナビーとアンドレアもそれぞれひとくちずつ味見させてもらいつつ、彼らはとうとうマーメイドラグーンにたどり着いた。
「きゃー! かっわいい! 綺麗! ちょっと、雰囲気満点じゃない!」
色合いといい形状といい、リトル・マーメイドの海底イメージそのままの建造物を見て、アンドレアのテンションが一気に上がった。早足でそちらへ向かう彼女の後ろを、ガブリエラが追いかけていく。
「……僕、彼女があんな高い声でキャーなんて言う所、初めて見ました」
はしゃいでいるアンドレアを見て、バーナビーが呆然とした様子で言った。
「なに? 引いた?」
「まさか! むしろかわいいですよ。確かに普段のキャラからするとギャップがありますが、それだけ普段彼女が意識を高く持って頑張っているということでもありますし」
「うーん、素でそういうところが王子様だよね、ジュニア君て」
そんなことを言いながら、男ふたりもあとに続く。
珊瑚礁の洞窟とでも言おうか、独特に曲がりくねった曲線で形作られた内部は、水やバルーンを使った装飾がここかしこに張り巡らされていた。入り口にある、リトル・マーメイドの主人公アリエルの父・トリトン王の像も、ちゃんとイースター仕様になっている。
「わ、中も色々あるのねえ」
うねった下り坂を歩ききると広がった空間に、アンドレアがほうとため息をつく。海底イメージで薄暗いが足元がわからないほどではないし、くらげを模した美しい照明など、見ていて飽きない。
「アトラクションと、小さい子が遊ぶコーナーと、お店と、レストランがありますよ!」
「あら本当」
くらげのくっついた貝のベンチに人が乗り、ゆっくり上がったり下がったりしているのは、ジャンピン・ジェリーフィッシュ。
ふくらんだフグが吊り下げた巻き貝に乗ってくるくると空中を回っているのが、ブローフィッシュ・バルーンレース。
ケルプ、海藻で出来たカップに乗って、渦潮のステージの上をくるくる回る、いわゆるコーヒーカップタイプのアトラクションは、ワールプール。
また水はけも良いふかふかのスポンジ状の地面の上で、色々なところから水鉄砲のように水が飛び出したり、アリエルのコレクションがおさめられた洞窟や廃船を模したステージなどで遊べるのは、アリエルのプレイグラウンド。リトル・マーメイドのプリンスである、エリックの凛々しい像なども目についた。
そのどれもが、ハードなアトラクションでは身長制限に引っかかる小さな子供向けである。外にはアリエルの親友であるフランダーのアトラクション、フライングフィッシュコースターがあり、そちらは割とスピードが出るが、あくまで子供基準の速さである。
「見てるだけでも飽きないわねえ。お店はリトル・マーメイドに特化してるのね」
「おー、後で時間が余るから、その時見てくれ。とりあえずショー行くぞ」
「あら、ごめんなさい。行きましょ」
促してきたライアンに、アンドレアは素直に従った。リトル・マーメイドの世界観に囲まれて、機嫌もすこぶるいいようだ。
ちょうど始まる頃だったらしく、4人が列に並んで間もなく、ステージへのドアが開いた。
ブラックライトが照らされ、周囲にぐるりと張り巡らされた仕掛けや中央のステージがどこからでもよく見える座席配置。「どこからでも同じようにご覧いただけまーす」というキャストの案内に従い、4人はなるべく子供の視界の邪魔にならなさそうな座席を探して腰掛けた。
ショーは15分位だったが、じゅうぶんな見ごたえがあった。空中をくるくる周りながら縦横無尽に泳ぐアリエル、映像とギミックを駆使したステージは、むしろ普通の舞台装置では体験できないものである。
熱に浮かされたような興奮でふわふわした足取りで、ゲストたちが皆笑顔でぞろぞろと会場を出てくる。もちろん、4人も例外ではなかった。
「楽しかったですね!」
「ええ、素晴らしかったわ! 知らない曲もあったけど……」
オリジナルかしら? と、アンドレアが首を傾げる。パート・オブ・ユア・ワールドやアンダーザシーなどの有名所の曲はもちろん使われていたが、アンドレアには覚えのないものもいくつかあった。もちろん、どれもいい曲だったが。
「どれですか?」
「ええと、特に最初と最後の」
「最初の曲はリトル・マーメイド2、最後は3の曲です! どちらも、お話の最後で流れる曲ですね。私もジャパニーズ版はこちらで初めて聴きました」
「そうなの!? というか、続編も出てるのね……知らなかったわ……!」
「ディスクのみのものや、ディズニーチャンネル放映のみの場合もありますからね」
「あの、アリエルのお姉さんたちもかわいかったわ。ちゃんと名前があるのね。あの子達はどこで出るの?」
「3です! テレビシリーズもあります。そちらも新しい音楽が──」
「観るわ」
真顔で頷いたアンドレアは、自分の端末のToDoリストに、リトル・マーメイドの続編のディスクを通販購入する、という項目を素早く入力した。本気度が伺える。
そしてその熱意のまま、アンドレアはガブリエラを連れ、隣接のショップに突撃していく。
「すげーテンションだな」
「楽しそうでなによりです。それに、確かに素晴らしいショーでした。最初のファッショナブル・イースターも、ショー以外のアトラクションの中も、本当に常々音楽が素晴らしくて……」
クラシック鑑賞を趣味とするバーナビーにとって、常にオーケストラとは切って切れないディズニー音楽はハマる部分があるらしい。ぽわんとしている彼に、ライアンは「もちろん全部ディスクが出てるぜ」と有益な情報を伝えておいた。
「音楽関係はガブのほうが頼りになるぞ。あいつ、ディズニーの音楽はどの作品でどんな曲使われてたか、ほぼ完璧に覚えてるし歌えるから」
作品引き、曲名逆引き、キャラクター名、シーンやメロディーの断片からの検索どんとこいの人間サーチ、とライアンは太鼓判を押した。バーナビーが驚く。
「えっ、それ凄くないですか?」
「まあ普通にスゲーよな。歌自体も上手いし」
物心付く前から聖歌を歌い続けてきたガブリエラは、聖歌のレパートリーを収録したディスクでしばらくランキング上位に入っていたほどの実力がある。つまりディズニー音楽と相性の良い歌声であることはバーナビーもよく知っているので、「ちょっと歌ってみてほしいですね」とそわそわした。
「頼めばなんでもノリノリで歌うぜ。何回教えても楽譜は読めねえけどな、なぜか。楽器も演奏できねえし」
そう言いながら、ライアンもショップに向かっていく。商品を片っ端からカゴに入れているアンドレアと、にこにこして荷物持ちをしているガブリエラが向こうに見えた。
「満喫したわ!」
どーん、と効果音がつきそうなどや顔で、アンドレアが仁王立ちしている。
そして彼女の言う通り、ショップ内の概ねの商品は片っ端から購入された。山のように商品を買う姿で他のゲストたちの注目を集めつつ、商品は既にホテルに送るよう手配済みである。特に気に入ったアリエルの華奢なブレスレットのみ、既に彼女の手首で光っていた。
豪快な買い物だが、彼女含め、このメンバーの買物は実はさほど長くない。なぜなら弩級のセレブであるがゆえ、その場で悩むようであればとりあえず買う、というスタンスで買い物をするからだ。
やっぱりさほどいらないということであれば、誰かにプレゼントすればよい、という考え方。それに実際シュテルンビルトであれば、彼らから贈り物をされて喜ばない者のほうが少ないし、また今回はディズニーファン垂涎のトーキョーディズニーリゾートのグッズである。もし手放すにしても、引き取り手には困らないだろう。
「んじゃ、時間に余裕あるし、ロストリバーデルタの道通って行くか」
遠回りになるけど散歩がてらいいだろ、というライアンの提案に頷き、今まで全く通っていないロストリバーデルタへの道を辿った。
インディ・ジョーンズのアトラクションなどがあるロストリバーデルタは、1930年代の古代文明遺跡発掘現場をモチーフに、熱帯雨林地域をテーマとしたエリアである。濃い緑の植物も多く植えてあり、豪快な丸太を使ったウッドデッキや吊橋、先住民族の民芸品風のオブジェもたくさん配置されている。
「ソーセージドック食おう」
「いいですね!」
「まだ食べるんですか」
古いトラックの形をしたワゴンに向かっていくライアンとガブリエラに、バーナビーが呆れる。
実はマーメイドラグーンのレストラン、セバスチャンのカリプソキッチンのテイクアウトメニューであるホタテクリームコロッケサンド──貝の形をしたバンズにクリームコロッケと野菜が挟まったもの──を食べているというのに、大食いカップルはまだ食べるらしい。
とはいえ、毎回ひとくちずつ味見をさせてもらい、色々な味を楽しませてもらっているので、彼らにもメリットしかないのだが。
ボリュームのある肉汁たっぷりのソーセージをパンで巻いたソーセージドッグは、手頃な値段の割に満足感のあるフードだった。
「ユカタンソーセージドッグ? ユカタンって?」
「単にユカタン半島のユカタンだろ。ロストリバーデルタのモデルになってるあたり」
アンドレアの疑問に、ライアンがさらりと答えた。さすが現在はアンジェラとともに僻地も含めて世界を飛び回るさすらいの重力王子、地理に強い。
ソーセージと何の関係があるのかは知らねえけど、と付け足した彼の発言を、ひそかに“ユカタンって何だ”と思っていたらしい他のゲストたちが聞き留め、なるほどと頷いていた。
「しょっぱいものを食べたら甘いものが食べたくなってきました」
「ちょっと、あなた延々何か食べてない!?」
ギョウザドッグ、ホタテクリームコロッケサンド、ソーセージドックとなかなかのボリュームのフードをぺろりと食べきったというのに全く食欲が衰えないガブリエラに、アンドレアが驚愕する。しかしガブリエラは、きょとんとした顔で振り向いた。
「先程おふたりに能力を使いましたし、出しましたし、こんなものですよ?」
「そ、そう?」
「あっアンドレア! そういえば、ステラ・ルーのスーベニアがありますよ」
「スーベニア?」
「特定のメニューに、マグカップとかトートバッグとかついてくんの」
首を傾げるアンドレアに、ライアンが口を挟んだ。
「ころころ変わるし、単品で売ってないやつだから──」
「いいわね、行きましょう。私が奢ってあげる」
「わあ! ありがとうございます!」
もはやダッフィー&フレンズの虜になっているアンドレアは、ライアンが説明しきらないうちにガブリエラの手を取って早足で歩き始めた。奢ってやるとは言っているが、実際はフードをガブリエラに食べてもらって、自分はグッズを手に入れるつもりなのがまるわかりである。
その様子に、男ふたりが目を見合わせて肩を竦めた。
『ニューヨーク・デリ』という、女神像の看板が特徴的な店は、ハンバーガーやホットサンドがメインの店だった。
その中でもメインのサンドとドリンクがセットになったおすすめセットにはステラ・ルーのランチトートが、そしてデザートメニューのストロベリームースには同じくステラ・ルーのマグカップがついてくる仕様になっている。
1人前だと思うとかなりのボリュームであるが、ガブリエラとライアンという超健啖家がふたりもいて、更に味見としてアンドレアとバーナビーもひとくちふたくち貰えば、あっという間である。
そうしてアンドレアは、無事にステラ・ルーのスーベニアグッズを手に入れることができたのだった。
「スーベニアなんてものもあるのねぇ」
単品非売品のうえ季節限定ということになると尚更愛着がわくのか、アンドレアはキャストが渡してくれた梱包材に丁寧にマグカップを包み、ランチトートも綺麗に畳んでバッグに仕舞った。
「ライアン、ダッフィー&フレンズのスーベニアは他にありましたか?」
「えーっと……確かジェラトーニの形のマーブルチョコ入りのスナックケースと、ジェラトーニのカップホルダーじゃなかったっけ。ふわふわのぬいぐるみみたいなやつで、あったかいカップが持ちやすくなるやつ」
その情報にアンドレアがまた目を輝かせたので、4人はふたつのスーベニアがいちどに手に入る、メディテレーニアンハーバーの『ゴンドリエ・スナック』に行くことにした。
本来は沢山の種類のジェラートを取り扱うショップで、暖かくなるごとに訪れる人が多くなるタイプの店である。しかし春先でしかも海沿いのディズニーシーはまだ風が冷たいせいかあまり混み合ってはいないようだった。
そうして結局ディズニーシーをぐるりと半周するようなルートで、4人はまたメディテレーニアンハーバーに戻ってきた。
「ゴンドリエ・スナックってどこ?」
小さめの橋が立体的に重なるような作りになっている道にアンドレアがきょろきょろすると、ガブリエラが端の柵に寄り、下の方を指差した。
「階段を降りたところですよ。抽選所の近く」
「抽選所?」
「『ビッグ・バンド・ビート』というショーの指定席を取る抽選所です。私たちはバケーション・パッケージのショー観覧チケットで見るので、抽選しなくても大丈夫」
「ああ、場所取りしなくていいとか言ってたやつね」
なるほど、とアンドレアが頷く。まず観ることができるかどうかから抽選なのであれば、1枚しか使えないショー鑑賞券をこれに当てるのは道理である、という納得の頷きだった。
「なんだか人が集まってますね」
柵の前にずらりと並ぶようにしている人々を見て、今度はバーナビーが言った。
「ファッショナブル・イースターの2回目公演がそろそろ始まるからな。場所取り」
ライアンがそう言い、4人がゴンドリエ・スナックに向かおうとしたその瞬間、彼らは目を見開いた。なぜならそう遠くない場所から、力いっぱい泣き喚く子供の声が上がったからだ。
「うわあああああああん!!」
周りの人々もちらちらと振り返っているレベルの盛大な鳴き声は、誰かのヘルプコールを聞き取って駆けつけることを生業にしているヒーローたちの足を向かわせるにじゅうぶんだった。
水上のショーが最もよく見えるポイントのひとつ、出島状になったリドアイル広場に渡る手前のスロープのあたり。泣いているのは、シェリーメイのぬいぐるみを抱えた、幼い女の子だった。
まさにギャン泣き、という様子の彼女の前では、父親らしき男性が途方に暮れた様子で、こちらも泣いている、女の子より更に幼い男の子を抱えている。
「おしっこー!」
「うわあああああああー!!」
泣き喚く姉弟と父親の言葉を総合するとつまり、下の子である男の子が尿意を催したので、トイレに連れていきたい。父親が連れて行くとなると男子トイレになるが、ご機嫌斜めの女の子はそれが嫌で、ここにひとりで残ると言い張って泣き喚いている、という状況のようだった。
「プリンセス、泣かないでー? パパのお願い、聞けないかなあ」
「プリンセスじゃないのー! いやなのー!!」
近くにいる女性キャストも女の子の機嫌を取ろうと声をかけたりもしているが、あまり効果はないようだ。
それに、バケーション・パッケージのような完全指定席ではなく、あくまで立ち見の場所取りの場合は、荷物やシートだけ置いてのキープはマナー違反である。
遠目だが高さがあり、子供であれば親に抱き上げてもらえばきれいにショーが見えるなかなかの穴場は、キープするのもなかなか骨だっただろうだけに、ここで失ってしまうのは惜しいのもよく分かる。
さらにそれ以前の問題として、ディズニーリゾートの中とはいえ小さな子供、しかも興奮して泣き喚いている子をひとりで待たせること自体よろしくない。
「あの……」
4人のヒーローは顔を見合わせた後、代表して、バーナビーが声をかけた。
「コンニチハ。ワタシたち、あー、Babysitter、しまショウか?」
きらきらと輝いてすら見える、王子様スマイル。
パーク内を歩いている王子様と張る、いや誇張抜きでそれ以上の超絶美形の申し出に、父親も、そしてキャストでさえぽかんとしていた。
とはいえ、女の子はしゃくりあげているし、男の子のほうも相変わらず父親の腕の中で「おしっこおおおお!!」と絶叫して海老反りになっているが。
「Ah……、わたしたち、Hero。ダイジョウブ」
ライアンが取り出して彼らに見せたのは、ヒーローであることを示す身分証明書。彼らは更に驚いたが、同時に父親は安心したようだった。ジャパンでも、“ヒーロー”の肩書は絶大な信用度があるのだ。
「あああ、助かります! すぐ戻ってきます! 母親の方は食べ物買いに行ってて、すぐ戻ってくると思うんですけどその」
「ダイジョーブ! アンシンシテ!」
「た、助かります! ありがとう、ほんとに!」
ガブリエラが明るい笑顔で親指を立てると、父親はぺこぺこ頭を下げながら、ベビーカーを置き、ぎゃんぎゃん泣いている男の子を抱え、小走りでトイレに向かっていった。
「……うぅ〜」
そうして父親と弟がいなくなると、女の子がまたぐしゃりと顔を歪めてシェリーメイを抱きしめ、小さな唸り声を上げた。
「コンニチハ!」
「ひゃっ」
そんな時、カタコトのジャパニーズを発しながら突然満面の笑みで顔を近づけてきたガブリエラに、女の子がびくつく。しかし、彼女は間近の灰色の目に釘付けになっていた。
「コンニチハ!」
「あ、う」
「コンニチハ!」
「こ、こんにちは……」
力技で挨拶を返させたガブリエラは、「ワー! エライ! カワイイ!」とやはりにこにこしている。女の子の機嫌そっちのけで楽しそうにしている彼女に、バーナビーは「すごいですね」と言いつつ、参考になるとでも言わんばかりの様子だった。
「あいつ、自分のテンションに相手引きずるの得意だからなあ」
ライアンのその発言には、バーナビーもアンドレアも同意だった。実際、ウェスタンハットとフダッフィーの耳をつけている彼らが今そのものの状況でもある。
彼女一流の、物理効果を伴う癒やしオーラ全開の笑顔と何も考えていない無邪気な勢いのパワー。少々おばかな大型犬にも似たそれは、老若男女全てに有効な彼女の強力な武器なのだ。
「それにギャビーはなんていうかルックスはエルフっぽくて神秘的だし、あの子にはお姫様っぽく見えるんじゃない? 小さい女の子にはいいのかも。ほら」
アンドレアが言うように、真っ赤な長い髪に興味を示した女の子に、ガブリエラは快く髪を触らせてやっていた。女の子はまだすんすんしゃくりあげているが、「つるつるする……」とつぶやきながら、小さな手でガブリエラの髪を興味深そうに梳いている。
「……なるほど」
「中身を知らねえって怖ぇなー」
そうやってヒソヒソやっているうちに、ガブリエラは女の子の涙を拭き、鼻をかませ、頭を撫で、キャストの通訳に助けられながら更なるコミュニケーションを取っていった。
「まあ! すみません!」
そしてそこに、軽食と飲み物を紙のトレイに乗せて持った母親が戻ってきた。
派手な外国人に囲まれている娘に驚いたらしい彼女は、キャストから事情を聞き、非常に恐縮した様子でぺこぺこと彼らに頭を下げた。
母親が戻ってきたということで、キャストもほっとした笑顔で、しかし女の子の様子を気にしながらも列整理のために離れていく。
「見ていただいて、ありがとうございます。ほら、ありがとうって言った?」
母親が女の子に礼を言わせようとするが、迷惑をかけたことが気恥ずかしくなってきたのか、彼女はウーと小さく唸って母親の脚の陰に隠れ、再度むくれはじめてしまった。
「んー? なんでこんなご機嫌ナナメ?」
ライアンが首を傾げると、母親が事情を話してくれた。
「実は、楽しみにしていたドレスがだめになってしまって……」
プリンセスが大好きなこの女の子は、今日ディズニーリゾートに来るのを以前からとても楽しみにしていて、しかもこの日はとっておきのプリンセスのドレスを着てくるはずだった。
しかし今朝、先程の弟が朝食をひっくり返したためにドレスが台無しになり、着られなくなってしまったのだという。
髪型だけでも、と母親はせめてティアラをつけてやろうとしたのだが、完全に拗ねてしまった本人はそれを拒否し、しかし安くはないチケットや貴重な休日を無駄にするわけにも行かずに来た結果、彼女はこうして朝からずっとぐずっているということだった。
「それはそれは……、かわいそうに……」
「そりゃあヘソも曲がるわ」
「しかも、原因になった弟のために男子トイレについて来いって言われてたんでしょ? ありえないって感じでしょうねえ、この子としては」
同情するに余りある事情を抱えた女の子に、バーナビー、ライアン、そしてアンドレアが頷き合う。
「でも、プリンセス好きな子なんですよね? それなら……」
バーナビーが、小さな女の子の前にすっと跪く。そして、にっこりと微笑んだ。
「Princess、ナカナイデ?」
「しらなぁい!!」
ぷーい! と、ぱんぱんに膨らんだ丸い頬が逸らされた。
「すみません!」と母親が焦る。しかし、女児相手なら大抵の場合百発百中で泣き止むバーナビー必殺の王子様スマイルがあえなく一刀両断され、彼のこめかみが僅かに引きつったのを見たライアンは、顔を逸らして噴き出した。
「ふん、プリンセス好きなコが王子様にすぐ靡くと思ったら大間違いよ。このコたちは、あくまでプリンセスが好きなの。自分がプリンセスになりたいのであって、王子様はそのためのいわばただの小道具のひとつでしかないのよ」
プリンセス道に一家言あるアンドレアの言葉に、小道具の烙印を押されたバーナビーは苦い顔をし、ガブリエラは首を傾げ、そしてライアンは声を殺して笑っている。
「その点、ぽっと出の王子ごときに簡単に気を許さないこの子は見所があるわ。プリンセスの資格充分よ」
「……女王様じゃなくてですか?」
「はあ? プリンセスって、いずれクイーンになるものという意味じゃない」
何言ってるのよ、と言うアンドレアの発言は、正論だ。確かに正論だが、小道具の烙印を押されたぽっと出の王子様ことバーナビーは、情けなさそうな、微妙な顔をしている。
「プリンセスが好き? では、あなたはプリンセスですね!」
「違うもん」
ガブリエラの言葉はジャパニーズではなかったが、“Princess”という単語とジェスチャーで、言わんとしていることはわかったらしい。女の子は、完全に膨れっ面でふるふると首を振った。
「どうして? 私にはプリンセスに見えます。なぜなら、とてもかわいい!」
にこにこしているガブリエラに、女の子はぐすっと洟をすすり上げ、母親がなんとか通訳してくれたその言葉に耳を傾けた。
先程までのように泣き喚かずに話を聞くあたり、少し気分が落ち着いてきたようだ。ガブリエラがカタコトで、プリンセスっぽいルックスで、そして機嫌を伺うような大人らしい表情ではなく、何も考えていなさそうな満面の笑みである、というのもあるのだろう。
「……だって、ドレスじゃないもん……」
やはり、大事なドレスを着てこられなかったことを相当引きずっているらしい。
オー……、とジャパニーズからすると大変に海外らしいリアクションをした4人に、女の子はすんと鼻を鳴らす。ぽろぽろこぼれた大粒の涙が、ひしゃげるほど抱きしめているシェリーメイに吸い込まれていった。
「んー? ドレスがナクても、キュートだぞ?」
「ちがうのー! ドレスじゃないと、だめなのー!!」
ライアンが明るく言ったが女の子は拒絶し、うええ、とまた泣き出してしまう。
母親は、おそらく朝からずっと泣いている娘を心から気の毒に思い、そして母親としてそんな状況にしてしまった責任感からくる罪悪感と今までの疲れが滲んだ様子で、小さな頭をゆっくり撫でていた。
「──そうか? おかしいな? どう見てもプリンセスなんだけど」
そう言ったライアンの声が妙に芝居がかっているので、母娘だけでなく、周りのゲストたちも皆彼を見た。ライアンは、それこそディズニーキャラクターのような抑揚たっぷりの表情をしている。
「レディは、本当にプリンセスじゃナイ?」
「……ちがうもん」
雰囲気たっぷりに話しかけてくるライアンに少し警戒するような、様子をうかがうような上目遣いで、女の子は重々しく言った。
「そうか。なら確かめよう。ガブ、あれ持ってるか?」
「あれ? ああ! あれですね! はい!」
ライアンが何かをつまむようなジェスチャーをしながら言うと、ガブリエラは心得たという様子で、自分のパーカーのポケットから、何やら小さいものを取り出した。
「……いや、ほんとに何ですかこれ」
バーナビーが、怪訝そうに言う。
ガブリエラがつまんでいるのは、白いプラスチックの玉のようなものだった。小さなカプセルにも見える。よく見ると、穴がひとつ開いていた。
「これはなあ、プリンセスの魔法の種だ」
メルヘンチック極まりないことを、ライアンは妙に重々しく、大真面目に言ってのけた。母親がたどたどしく通訳すると、女の子は目を白黒させる。“つかみ”が成功したのを確信して、ライアンは更に畳み掛けた。
「こいつは魔法の妖精」
「魔法の妖精です!」
紹介されて、ガブリエラは元気に手を上げた。母親の通訳が終わると女の子はガブリエラを振り返り、しげしげとその顔を眺めている。
「……妖精なの? お姫様じゃなくて?」
「ハイ! ワタシ、Fairy! コンニチハ!」
演技も何もない振る舞いだが、ガブリエラの浮世離れしたルックスとその雰囲気で、女の子はまだ戸惑い気味ではではあるが、とりあえずそれなりに納得したようだった。
「そしてこっちが王子様」
「ハァイ」
気を取り直し、バーナビーはきらきらしい笑顔を浮かべた。
「王子様、どう? 彼女はプリンセスじゃないと思う?」
「僕の予想では、プリンセスである可能性が非常に高いと思われます」
「なんで?」
「とてもキュートなので」
「確かに、とんでもなくキュートだ。ママも美人だし。ママ譲りだな」
絶世のイケメンふたりに褒められ、女の子はさすがにもじもじしだした。すかさず一緒に褒められた母親も、通訳するとともに「かわいいって、よかったねえ」と言いつつ、少し頬が染まっている。
「で、こっちが元プリンセス」
「元で悪かったわね」
「今は立派なクイーンだ」
眉をひそめたアンドレアの手の中に、ライアンは“魔法の種”と称した白い玉を落とした。
「妖精に選ばれた本物のプリンセスなら、魔法の種から花が咲くんだ」
もっともらしく言ったライアンに、元プリンセスと王子様は、ああなるほどそういうシナリオか、と合点がいき、それぞれ頷いた。
「クイーンは花を咲かせられるかな?」
「やってみましょう!」
プリンセスを選ぶ魔法の妖精ことガブリエラが立ち上がり、魔法の種を包むように持ったアンドレアの両手を、同じように対面から包むように添える。
「──Salagadoola mechicka boola, bibbidi-bobbidi-boo!!」
ディズニーでは最も有名でお馴染みの、プリンセスのための魔法の呪文。きれいにメロディを付けてガブリエラがワンフレーズを歌った途端に、アンドレアの手の中から、虹色の強い光が漏れ出した。
無論、アンドレアの“蓄光した光を操る”NEXT能力によるものだが、女の子の目には、そして周りで密かに様子をうかがっていた人々の目にも本当に魔法にしか見えず、おおお、とどよめきが上がる。
「残念。咲かなかったわ」
「アンドレアは、もうクイーンですからね」
肩をすくめるアンドレアに、ガブリエラはもっともらしく言う。そして彼女の手の中の白い玉をつまみ上げたガブリエラは、涙で濡れているせいだけではなく目をきらきらさせている女の子の小さな両手にそっとそれを握らせ、先程と同じように包み込むようにする。
「ダイジョウブ、アンシンシテ! あなたはプリンセス!」
真正面から、にっこりと微笑んで言うガブリエラに、女の子はきゅっと唇を噛みしめる。今度は、いじけた「ちがうもん」は飛び出さなかった。
「──Salagadoola mechicka boola, bibbidi-bobbidi-boo!!」
ガブリエラが呪文を歌う。
すると、“魔法の種”が握られた手が、青白くふわふわと光った。女の子の目が丸く見開かれ、その光をちかちかと反射する。
「わあ、……わあ!」
涙の跡の残る頬が、赤くなる。小さな手の指の隙間から、瑞々しい芽が伸びてくる。そして5センチほど伸びた茎はその先にあっという間に蕾をつけ、白い花が美しく開いた。
「咲いた! 本物のプリンセスのしるしだ!」
芝居がかってライアンが言うと、周りから一斉に拍手が起こる。
女の子は呆然としていたが、瑞々しい本物の香りを放ち、作り物ではないと小さな子供にもわかる花を手に、とうとう満面の笑みになる。
「ママ! お花、咲いた! お姫様の! お姫様の、お花!」
「すごい! え、ほんとにすごい、どうなって……あの、ありがとうございます!」
「咲いたー!」
母親もまたこの現象に本気で驚いているのと、あれだけ最悪だった娘の機嫌が完璧に治った喜ばしさとで混乱していたようだが、なんとか笑顔で「よかったねー! すごいね、プリンセス!」と娘を賞賛した。
「ティアラ、ありマスか?」
アンドレアに言われ、母親は慌てて、荷物から小さなティアラを取り出した。アンドレアは完璧なネイルアートが施された美しい指で、うやうやしくティアラを持つ。そして、両手で大事そうに花を持っている女の子の前に立った。
「おめでとう、プリンセス。この光のクイーンが、あなたを認めるわ」
ティアラから、妖精の粉のようなきらきらした光が漏れている。演出バッチリに能力を使うアンドレアに、他ヒーロー3人は密かにグッジョブのサインを贈った。
ヴィラン顔だの何だのと言われるアンドレアであるが、今回の場合は、むしろそれがいかにも本物のクイーンらしく見える。美しく気高い女王様からティアラをかぶせてもらった女の子はもうすっかり満面の笑みで、自分がプリンセスであることを心から信じているのがよくわかる様子だった。
「さあプリンセス、素敵なショーが始まりますよ」
「うん!」
一転して最高の気分になった女の子は、バーナビー王子が恭しく差し出した手を今度こそ取り、おしゃまな表情で前に出て、いかにもいい子という感じでショーの始まりを待つ姿勢になった。
そしてそこで、弟を抱えた父親が息を切らせて戻ってくる。
あれほど機嫌の悪かった娘がティアラをかぶり、にこにことお行儀よく座っている姿に驚いている彼に、母親が、興奮気味に今起きた出来事を話し始めた。
事情を知った父親も交え何度も礼を言う一家と、4人は手を振って別れた。
父親や弟からも「かわいい!」「ねぇね、きれい!」の言葉を貰った女の子は、男子トイレに連れて行こうとした父親とドレスを台無しにした弟をようやく許し、花のついたティアラを誇らしげにかぶって、満面の笑みで「ありがとう、魔法使いさんと、妖精さんと、王子さまと、女王さま!」と大きく手を振ってくれた。
「キャストじゃなくてゲストとか言ってたのに、なかなかの魔法使いぶりじゃないの」
「子供相手じゃしょうがねえだろ。性分だよ、性分」
所謂“ヴィラン顔”でにやりとするアンドレアに、プリンセスの魔法のシナリオを一瞬にしてお膳立てしてみせたライアンは、肩をすくめた。
「残念ながら本物の魔法ではありませんが、あの子が笑ってくれて良かったです」
「あの子には、魔法にしか見えなかったと思いますよ」
にっこりしている魔法の妖精、もといガブリエラに、バーナビーは微笑んだ。
あの白い玉は、中に花の種と凝縮栄養剤が仕込まれたもので、ガブリエラの能力で発芽するという仕組みのものだ。ホワイトアンジェラの能力披露パフォーマンス、あるいは今回のような場合も含め、パニックを起こしている人などに対応するために、普段からいくつか持ち歩いているのである。
ライアンは「花の種だから、持ち込み結構面倒なんだけどな」と言っているが、それなのにこんなところにも持ってきているのは、彼らがやはり常からヒーローであるからと言う他ない。
また、ガブリエラが「大丈夫」と「安心して」という言葉だけ妙に流暢だったのも、行く先の国のそういった言葉──、つまり助けを求める言葉や相手を安心させる言葉だけはしっかりと勉強してくるから、であるらしい。ひとつのエリアにとどまらず、世界中を飛び回るヒーローらしい気の回し方だ。
R&Aというコンビ名もそろそろ有名になりつつある彼らのこういう意識の高さは、バーナビーも素直に尊敬している。
「そういえば、アンドレアは何か貰ってませんでしたか」
「メモ帳くれたの。機嫌が治ったらいい子だったわ」
ぴらり、とアンドレアがバーナビーに見せたのは、可愛らしいメモ帳の1枚だった。
「立体になってるやつも見せてくれたのよ。私も後で買おうっと」
プリンセスファン同士であると同時にダッフィーフレンズ好きでもあり、お互いにステラ・ルーとシェリーメイのぬいぐるみを抱えたアンドレアと女の子は意気投合し、しっかり情報交換もしたらしい。「見本貰ったから、見つけやすくて助かるわあ」と言いつつ、アンドレアはもらったメモ帳を折れ目がつかないように丁寧に仕舞った。
「きっといいクイーンになるわよ」
ダッフィーの耳をつけた光のクイーンは、そう言って指先から美しい光を溢れさせつつ、小さなプリンセスに太鼓判を押す。
そしてお目当てのジェラトーニのスーベニアを手に入れるために、見事なモデル歩きで階段を降りていった。