(12)タワーオブテラー
「やっぱりオバケ屋敷なんじゃないの、これ?」
「あっ、像がなくなってますよ」
「あら本当、凄いわねぇ」
一旦暗くなった部屋の明るさがぼんやり戻り始めると、バーナビーとアンドレアは今起きたことについて軽く興奮気味に話した。
いかにも傲慢そうなハイタワー3世の記者会見記録だったが、途中でいきなり様相が変わった。緑色の稲妻のような光が突然広がり、前面のステンドグラスは恐怖におののくハイタワー3世と、目を緑に光らせて笑うシリキ・ウトゥンドゥのものに変わった。
そして像を最上階に飾るために上昇していたエレベーターは落下し、死んだはずのハイタワー3世は行方不明、シリキ・ウトゥンドゥだけが残った。
──シリキ・ウトゥンドゥは、呪いの偶像だったのだ。
この事件以来、市民から“恐怖のホテル”、すなわちタワーオブテラーと呼ばれるようになったホテル・ハイタワーは、長らく閉鎖されてきた。
しかしこのたび建築物の歴史的価値が高いという理由で改修工事が行われ、その後、見学ツアーが開催される。ツアーの最後は業務用エレベーターに乗り込み、最上階のハイタワー3世の部屋へ案内されるのだ。
「へえ。つまり私たちは、そのツアーの参加者ってこと?」
アンドレアが、納得した様子で頷く。
「そのようです。周りの方々の話が聞こえましたが、どうもこのホラー・ストーリーをベースにしたフリーフォールタイプのアトラクションということですね」
「ストーリーのある絶叫マシンって珍しいわねえ」
「ホラーの怖さと絶叫マシンの怖さをふたつとも取り入れた、ということでしょうか。上手いなあ。アンジェラ、すごいですね──」
そう言って振り返ったバーナビーは、そのまま無言になった。
なぜなら、後ろにいたガブリエラが、思い切り目を見開き、口をぽかんと全開にし、まるでムンクの名画“叫び”のような顔になっていたからだ。隣に立っているライアンのパーカーを掴む彼女の右手は思い切り力が入っていて、しかもぶるぶる震えている。
またライアンはといえば、こちらも震えていた。とはいえ、こちらは口を押さえて顔を逸らし、どう見ても笑いを堪えているようではあったが。
「お……」
丸く開いたガブリエラの口から、震えた声が漏れた。
「お、……おばけ? 今のは、おばけですか? お、おば、おばけが出るのですか?」
「……そういえば、アンジェラってホラー苦手でしたね」
「そうなの?」
あーあ、という感じのバーナビーに、知らなかった、とアンドレアが目を丸くする。
「ええ、前の心霊特番の番組に出た時なんか……、アンジェラ、大丈夫ですか?」
「おおおおおば、おばけ、おばばば」
「ぶふっ」
軽くパニックを起こしているのか、ガクガクしながらライアンのパーカーをなお強く握りしめるガブリエラ。そんな彼女に、ライアンがとうとう噴出した。
「ライアン……。あなた、彼女がこういうの苦手だとわかっててなんで連れてきたんですか。説明もあえてしていないようですし」
「だって面白……、絶叫マシンは好きだし」
「面白いって言いましたね今」
恋人に対して相変わらずのドSぶりの友人に、バーナビーは呆れた顔をした。
「おおおおお、おばっ、おば、ライアン! 聞いていません! おばけですか!? おばけが出るのですか!?」
縋り付いてくるガブリエラに、ライアンは、煌めくような笑顔を向けた。めちゃくちゃ楽しそうだわね、と真顔になったアンドレアが呟く。
「オバケじゃねえよ、呪いだよ」
「どう違うのですか!?」
「さあ行くぞー」
「おばけとのろいの違いについて! 詳しく! アー!」
恐怖のせいか、すっかりへっぴり腰になっているガブリエラの腕を掴み、ライアンはずんずん次の部屋へ歩いていく。その様は、散歩に行きたくない犬とそのリードを無理やり引っ張る飼い主にも似ていた。
書斎を出ると、世界中の様々な骨董品が無造作に積み上げられた空間、宝物庫に出る。もちろんレプリカではあるが、巨大な像や絵画などは大迫力で、眺めているだけでも飽きない。
ちょくちょく飾ってある記録写真には、ハイタワー3世が半ば無理やりこれらの骨董品を集めてきたことがよく分かる光景がおさめられていた。
また彼の肖像や、いちいち彼の姿が紛れた絵画も多くあり、彼の自己顕示欲の凄さもよく分かる。これらのおかげで、ハイタワー3世への同情がまるで起こらない仕様になっていた。
「これは!? これはのろいですか!?」
「呪いかなあ。どうかなあ」
「アアアアアア! のろい!!」
それ自体は全く怖がらせる意図はないはずなのだが、不気味っぽいオブジェを見つけてはびくびくするガブリエラに、ライアンが生暖かい目で、しかしニマニマと非常に楽しそうに返す。
それは、くだらない仕掛けに驚いて滑稽にじたばたするペットを可哀想と可愛いと面白いがないまぜになった様子で愛でる飼い主と全く同じものだった。
「……ギャビー、そんなにオバケが苦手だったの? 前、結構リアルなゾンビのゲーム、楽しそうにやってたじゃないの」
アンドレアが、呆れ気味に言う。
ヴァーチャルリアリティシステムを採用した、家庭用であるにも関わらず“心臓の弱い方はご遠慮ください”の注意書きがでかでかと書いてある、ゾンビもののシューティングゲーム。
彼女はそれを、トレーニングルームでイワンらとプレイしていた。アンドレアもプレイ画面だけ見たが、ホラーが苦手というわけではない彼女もちょっと怯むほどのリアルさだった。
しかしこの時のガブリエラは怖がるどころかやる気満々で、「よぅしたくさん殺しますよ!」などとイキイキしながら鉄パイプでゾンビの頭をぶん殴り、終盤は巨大な火炎放射器や爆弾で片っ端からゾンビを燃やしたり爆発させたりしていた。
「ゾンビはいいのです! なぜなら! なぜならゾンビは、燃やせば死ぬ!」
「そういう基準なの?」
「しかしおばけは! おばけは死なない!」
「なんかそんな歌ありましたね」
折紙先輩が歌っていたような、とバーナビーがコメントする。
「なるほどねぇ。物理でどうにか出来ないものがダメってこと?」
「ジャパニーズホラーの系統ですかね」
「じゃぱにーずほらー!!」
ぎゃああ、とガブリエラは喚き、ライアンの腰の後ろにへばりつく。イチャついているように見えなくもないが、ガブリエラの膝がガクガク震えてへっぴり腰なのと、ライアンが構わず歩き続けていて彼女をずるずる引っ張っているので、色気の欠片もなかった。
「じゃぱにーずほらーはだめです! あれは! だめです!! だめ!!」
「相当だわね」
「まあ、僕もあれはちょっと苦手です」
バーナビーらの生活圏エリアにおいて、ホラーはスリラーとも言い換えられるような内容が一般的だ。しかしジャパニーズのホラーは独特で、不条理で不気味な恐怖がいつ襲ってくるかわからない雰囲気は、これぞホラーという愛好家と、これだけはダメと敬遠するタイプに別れる傾向がある。
つまり、ガブリエラはゾンビもの含むスプラッタや吸血鬼などのモンスター系、また人間である殺人鬼もののスリラーなどは平気だが、幽霊や呪いなどがテーマになった、実体のないオカルト系のホラーがまるっきりダメであるらしい。
普段怖いもの知らずな部分が印象的なので意外な感じもするが、彼女の“おばけ”へのビビり具合は、以前やはり説明無しで出演させられた心霊番組のリアクションにより、もはやシュテルンビルトでは有名である。
「正直、このタワーオブテラーのホラー要素は大したことないと思うけど……。そんなに苦手なんだったら、かわいそうだわ。キャストに言って、途中退室させてもらったほうがいいんじゃないの」
心配そうに言うアンドレアに、根っこは優しいんだよなあ、と男性ヒーローふたりが密かに思う。ダッフィー耳のカチューシャと、ステラ・ルーの効果もあるかもしれないが。
「しかし! しかしアンドレア! あなたがたがのろいに立ち向かうであるのに、私だけ逃げますものは! 逃げては!」
「言葉もおかしくなってるじゃないのよ」
それどころか、心なしか目もなんだかぐるぐるしている。ライアンにへばりつきながら必死に歩くガブリエラを、アンドレアは心配と残念が複雑に絡み合った目で見た。
「それにひとり! ひとりで外、そと、でる! いやです! さみしい!」
「子供か」
つまり、オバケは怖いが仲間はずれも嫌であるらしい。ライアンに引きずられているものの、足に力が入らないだけでよく見れば抵抗はしていない彼女を、アンドレアとバーナビーは微妙な目で見た。
「大丈夫だって。うるせーだけで意外と平気だから」
「ええ?」
「あとすげー面白いし」
「とうとうはっきり言いましたね」
笑いながら軽く言うライアンに、バーナビーもまた呆れた顔をした。
「恋人が怖がるのを面白いって、趣味が悪いわよ」
「お、このオブジェ何?」
「だめですライアン! のろいです! のろい! ノー!」
通路側にあったオブジェに触れようとするライアンの手を、ガブリエラがばしっとはたき落とす。
「ライアン! さわるだめ! のろいが……のろい、おもちかえり、ご遠慮なさい! どうなるか! わかったようなものでない!」
「ほら面白いだろ」
「……まあ」
目をぐるぐるさせて支離滅裂なことを言うガブリエラを指差して笑うライアンに、アンドレアとバーナビーは戸惑いつつ頷いた。確かに、怖がり方が滑稽すぎて可哀想というよりは面白いという感想が勝つというのはわからなくもなかった。
「おおおおおおばけなんて、なーいさー! おばけなんて、うーそさー!」
ガブリエラいわく“オバケが怖くなくなる歌”を歌い始めた彼女に、彼らの前後にいるゲストたちが思わず噴き出した。歌は虎徹から教えてもらったらしい。
「オバケじゃなくて呪いな」
しかしその歌も、にやにやしたライアンがあっさり論破してしまう。
「アアアアアのろい! のろいは……のろいは、ある!? ない!?」
「どうだろうなあ」
「のろいも魔法もあるんだよ!?」
恐怖でパニックになっているせいか、ボキャブラリーが妙な飛び出し方をしている。口にしている単語が簡単な上にぶつ切りのカタコトで喋るせいで、周りにいるジャパニーズのゲストたちにもじゅうぶんヒアリングが出来るらしく、ガブリエラがなにか言う度に笑いを堪えていたり、くすくす笑っている人が見受けられた。
「の、のの、のろいなんて、なーいさー! のろいなんて……のろいなど……」
「自信なさげだわ」
「完全に心が負けてますね」
替え歌で対応しようとするも尻すぼみになるガブリエラに、アンドレアとバーナビーがひそひそと言う。彼らもまた、既に笑いを堪えている状態になっていた。
そんなやり取りをしながら、いよいよフリーフォールするエレベーターまでやってくる。にこにこしたキャストに誘導され、床に打ち付けられた番号の上に並ぶ。しばらくすると、目の前のマホガニー色のドアが開いた。ドアの向こうには、ずらりと並ぶベンチタイプの座席。
「う……うう……! のろい……!!」
「大丈夫なのかしらねえ」
ガクガクしながら席に向かうガブリエラを、アンドレアが緩く気遣う。いちばん楽しそうなライアンに続いて席に座ったガブリエラの横にアンドレア、最後にバーナビーも腰掛ける。キャストの指示通り、バッグとステラ・ルーを下の荷物入れにしまった。
最後に腰に装着するシートベルトの確認が厳重に行われたが、ガブリエラはキャストがするよりしつこく、ベルトがちゃんと装着されているか何度も確認していた。
そしてとうとう、チーン、というエレベーターらしい音とともにドアが閉まる。上に参りまーす、というキャストの朗らかな声で送り出されたかと思いきや、ドアが閉まった瞬間すぐに部屋が真っ暗になり、緑色の稲光が閉まったドアにビリッと流れる。
《愚か者が……》
「ヒッ」
おどろおどろしく響いたハイタワー3世の声に、ガブリエラがわかりやすくびくつく。がこんがこん、とレトロなエレベーターが上昇していく重苦しい音。ライアンは笑いながら、ガブリエラにハイタワー3世の台詞を簡単に通訳してやっていた。
《なぜ忠告を聞かなかった……》
「ジャパニーズ……ジャパニーズがよくわからなくてですね……」
《いちばん愚かだったのはこの私だ……世界中の珍しいものを集めることに心奪われ……我が身の破滅を招いてしまったのだから……》
「英語で! 英語でおっしゃってくださればこんなことには!」
しっかり締められたシートベルトをがたがた言わせながら涙目で言い訳するガブリエラに、通訳のライアンはひいひい笑っている。
《私は、あの恐怖を! 永遠に繰り返す運命なのだ……!》
「のろい!? のろいですか!?」
最上階に達したエレベーターのドアが、がこんと開く。すると部屋の奥に、スポットライトに照らされたシリキ・ウトゥンドゥと、緑の半透明になったハイタワー3世が現れた。
「おおおおおおおおばけです! おばけ! おばけが出っ、おおおおおおっばばばばばばばおばばばばば」
「ひー」
バグったようになっているガブリエラに、ライアンがのけぞって笑う。そしてガブリエラの言うとおりに幽霊なのか回想シーンということなのか、シリキ・ウトゥンドゥを侮った発言をしたハイタワー3世は、緑色に輝き不気味な笑い声を上げる像に雷で打たれ、くるくる回りながら闇の中に吸い込まれていった。
《ア──────》
「アアアアアアアアアアアアア!!」
げたげた笑うシリキ・ウトゥンドゥの声に、ハイタワー3世とガブリエラの叫びがユニゾンする。まだエレベーターは落ちても上がってもいないが。
そしてエレベーターのドアが閉まり、エレベーターがやや荒っぽく動き始める。その衝撃に、今度はガブリエラだけでなく、他のキャストたちからも短い悲鳴が上がった。
部屋が明るくなる。ドアが開き、エレガントな白い大理石の巨大な枠が現れた。その向こうには、これもまた巨大な鏡に写ったゲストたちが反射している。
《さあ……手を振って……この世の自分に別れを告げたまえ……》
「フォト・ポイントな」
「ああ、よくあるやつですね」
「割と親切ねえ、ハイタワー3世」
そういうことならと、バーナビーとアンドレアは笑顔を浮かべて正面に向かって手を振った。そしてライアンは硬直しているガブリエラの手を取って、満面の笑みで自分とガブリエラの手を振った。
おそらくシャッターが切られたのだろう後、部屋が暗くなる。そして鏡があったはずのところに、緑色の稲光とともにケタケタ笑うシリキ・ウトゥンドゥが現れた。
「アー! アアアー! のろい! のろいが!!」
「うんうん、呪いだなあ」
涙目でぶんぶん首を振っているガブリエラに、ライアンが妙に甘ったるく優しげに言う。ガブリエラの反応と台詞さえ違っていれば、恋人がかわいくて仕方のない男の姿そのものであるのだが。
ウィイイイン、がこがこがこ、という音とともに、エレベーターが上昇する時特有の重力がゲストたちにかかる。ドアは開きっぱなしで、どんどん下に流れていく無骨な壁しか見えない。
「あらぁ、いい景色」
「上から見ても広々としていますね」
目の前がアーチ型に大きく開き、ディズニー・シーの全景が見えた。その景色の素晴らしさにバーナビーとアンドレアが感心する。
──ガコン!
「ぎゃあー!」
短く落ちたエレベーターに、ガブリエラが絶叫する。もう既に他のゲストたちもキャーキャーと叫んでいるので、今回彼女の叫びが目立つことはなかったが。
小刻みに落ちるのかと思えば一気に強い落下がかかったり、シリキ・ウトゥンドゥの馬鹿笑いが響いたり、暗くなったり明るくなったりと忙しない動きが続く。
「アアアアアア! の、のろい! これがのろい! アー!! 落ちた!! 落ちましたあああああああああ落ちた! のろいが! アッ!? アッたのしい!? これはたのし、落ち、アアアアアア落ちたアアアアアアアアアアアアアたのしいー!! たのしいですアハハハハハ!!」
そしてガブリエラといえば、シリキ・ウトゥンドゥの笑い声が響くとびくつくものの絶叫マシンとしては気に入ったようで、ビビりながら喜ぶという器用なリアクションをしている。
そしてやがて動作が止まり、部屋が薄明るくなっていく。
《諸君は助かった……》
「えっ、本当ですか!」
《だが気をつけろ! 恐怖や誘惑に取り憑かれてはならん……2度と戻ってくるな……》
「わかりました! そちらもお疲れさまでした!!」
やはりなんだかんだ親切なハイタワー3世に、はきはきと応答するガブリエラ。アトラクションの途中ずっとげらげら笑っていたライアンはさすがに疲れたのか、ひいひい呼吸を整えている。
そしてそんなふたりを見て、「なんだこのカップル……」と生暖かい目をするバーナビーとアンドレアである。チーンとまた音がしてドアが開き、キャストが出迎えてくる。ゲストたちはシートベルトを外し、荷物を持ってぞろぞろとエレベーターを出た。
「なんかすごいテンション高い外人さんいたね」
「素でビビってたっぽい」
「ていうかあの外人さんが面白かった」
「正直ビビってたから、個人的にはありがたかったわー」
そんな声が、降りる時にちらほらと聞こえる。
迷惑になってはいなかったようだ。
出口のところには、フォト・ポイントで撮影した画像が、表示されていた。
にこやかに手を上げているバーナビーとアンドレア、そして満面の笑みのライアン、そして彼らに挟まれた位置のガブリエラは、例のムンクの“叫び”の顔をして、捕獲された宇宙人のようにライアンに片腕を引っ張られてだらんとしている。
そこでまたライアンが爆笑し、もちろん写真は購入された。
「あー、腹いってえ……」
「どれだけ笑ってるのよ」
タワーオブテラーを出ても、まだヒッヒッと笑いの余韻を引きずっているライアンに、アンドレアが呆れる。
「だってお前あれ、……あっちょっと待ってフラフラする」
「は?」
「俺、落ちる系のやつちょっと苦手で……」
「じゃあなんで乗ったんですか!?」
柱に手をついているライアンに、今度こそ力いっぱいバーナビーが突っ込みを入れた。重力の能力者のくせに、いや重力の能力者だからか、無重力になるフリーフォール系はあまり得手ではないらしい。
「だってコイツが面白すぎるからさー、乗るしかないじゃんこれは」
「そこまでしてギャビーのリアクションが見たいの……?」
「愛なんですかねこれって」
だが、どちらにしても歪んだ愛ではあろう。フラフラしつつも悔いはない、満足げな様子のライアンに、バーナビーとアンドレアは半眼になった。意味は「付き合ってられない」である。
「ふうう……。のろい……のろい、おそろしかったです……」
「そう。大丈夫だった?」
胸を押さえて深呼吸をしているガブリエラを、アンドレアが気遣う。
「はい! 戻ってこれたということは、のろいももう大丈夫……、……大丈夫ですよね? もうのろい、ないですよね? のろい、ない?」
言っているうちに不安になってきたのか、ガブリエラがおどおどしはじめる。
「あー大丈夫大丈夫」
「本当ですかライアン! きょ、今日のホテルも上の階です! エレベーターに乗ります! お、おおおおおお落ちたりしませんか! 大丈夫ですか!」
完全に夜トイレに行けなくなっている子供状態のガブリエラに、ライアンはやはり軽く言った。
「だいじょーぶだって。手洗ってうがいしたら消えるんじゃない?」
「そうなのですか! ではお手洗いに行ってきます!」
「あんたたち……」
呪いを風邪菌扱いするライアンとそれを真に受けるガブリエラにアンドレアは呆れたが、すぐ横がトイレであることもあり、全員呪い除去及びトイレ休憩ということになった。
「ふう……ついでに大便もしました! のろいもお腹もすっきりです!」
「消化早すぎない? というか、報告しなくていいわよ」
待ち合わせ場所である、トイレ前の美しいタイル張りの水場。爽やかな笑顔のガブリエラに、アンドレアはハンカチをバッグに仕舞いながら注意した。
「そうですよ。そういうことをいちいち報告するのはエチケットとしてあまり……」
「あー、ウンコも出たからスッキリしたー」
「貴様もか!!」
こちらも爽やかにトイレから出てきたライアンに、若干潔癖症の気があるバーナビーが半ギレする。アンドレアも、嫌そうな顔をしていた。
「えー? 飯時ならわかるけど、そうじゃないときには別によくない? 出したもん詳しく説明したわけじゃねえし。なあ?」
「私もそう思います。あっ、それとも……」
「うん?」
「バーナビーさんは、もしかして、大便をしない……?」
シリアスな表情で言ったガブリエラに、笑いの沸点がより下がっているライアンが、ぶはっと噴き出した。
「なんでそういう話になるんですか!?」
「アイドルは大便をしない、とお聞きしたことがあります。バーナビーさんはアイドルではないですが、ハンサムで、人気があって、アイドルのようでもあるので……」
「あなたの知識、ほんとに偏ってるわね」
呆れた顔で、アンドレアが言った。しかもどこにどう偏っているのかわからないので、何が飛び出してくるかわからない。
「しかし、大便をしないとなると、食べたものはどこへ? 詰まりっぱなしなのですか? そのほうが汚くないですか? 健康にも良くないと思います」
「誰が詰まりっぱなしですか! 僕は毎日快便です!」
「あなたも何を言っているのよ。ライアン、戻ってきなさい」
しゃがみこんで腹を押さえ、ひーひー笑っているライアンを、アンドレアが冷たい目で見る。
「……で、ギャビーは本当に大丈夫なの?」
「大丈夫です! 怖かったですが、落ちるのは楽しかったです!」
「ああ、結局楽しかったのね。良かったわね」
にこにこしているガブリエラに、アンドレアが言った。“うるせーだけで意外と平気”というライアンの発言は、どうも本当だったらしい。
それに、全力でビビり、全力で楽しみ、そして呪いをトイレに流して引きずらずけろりとしているガブリエラは、ある意味最もこのアトラクションを満喫していると言ってもいいのかもしれない。
「ていうかな、能力で消化早めたんだから、お前らもそろそろ出るぞ」
トイレ行きたくなったら言えな、とやはり明け透けなライアンのふくらはぎを、バーナビーとアンドレアが無言で軽く蹴った。