(4)インパーク、朝食
ミッキーTシャツにミッキーの総柄パーカー、下は普通のデニムかと思えば尻のポケットにミッキーの刺繍がしてあり、首からぶら下がっているのはミッキーの顔の形のパスケース。
アクセサリーはいつものブランドものではなく、シリコンやタオル生地でできたキャラクターのリストバンドや、ミッキーシェイプのきらきらしたピアス。何が入っているのか、ミッキーの丸い耳がついた黒いリュックを左肩にかけている。
とどめにソーサラーミッキーのカチューシャを装着し、まさに上から下までディズニー尽くし。
そんな格好で堂々とロビーに立つライアンに、アンドレアとバーナビーは反射的に数歩後ろに下がった。
「じゃあまとめてチェックインするから、……おい、なんでそんな離れてんだ。話しにくいだろ」
「なんでっていうなら逆に聞くけど、何なのその格好」
久々に会ったというのに微妙な距離を取るふたりに対して怪訝な顔をするライアンに、アンドレアは半目で返した。
「何って、正しいディズニーリゾート・スタイルだろうが」
「……あっそう。可愛らしいこと。お似合いよ」
「だろぉ?」
そう言ってライアンが向けてきたのは、まるで少年のような笑顔だった。アンドレアとしてはもちろんいつもの軽い嫌味のつもりだったし、彼にそんな笑みを向けられることなど滅多にないので、面食らって思わず一歩引く。そのリアクションに、見たことのない珍獣でも見たようだな、とバーナビーは密かに思った。
そして、その格好で堂々とチェックイン手続きをしに行くライアンの後ろ姿を見て、信じられない、といわんばかりにアンドレアがゆっくり首を横に振った。
「あの格好で、よく受付に行けるわねぇ」
「そうですか?」
アンドレアのコメントに、ガブリエラが首を傾げる。
彼女はお揃いのTシャツとパーカーを着て、頭にはミニーのリボンカチューシャを装着していた。髪が真っ赤なので、赤に白のドットのリボンが妙に似合う。
そしてその赤く長い天然の巻き毛はミッキーやミニーがしている白い手袋の飾りのゴムでふたつに分けられ、耳の下でゆるくまとめられていた。赤毛の間からちらちらと見える耳には、ライアンと色違いの、ミッキーシェイプのピアスが光っている。
さらにデニムのショートパンツと、ミッキーとミニーの柄のタイツ。若々しい格好は、元々年齢不詳気味の彼女を実年齢より若く見せていた。ジャパンではわからないが、シュテルンビルトであれば10代と言っても通じるだろう。
「ギャビーは若い女の子だからまぁいいけど、あんな厳つい男があれって。キッツくない?」
「そんなことはないですよ。ふつうです、ここでは」
ほら、と彼女が指し示す先には、孫だろうか、プリンセスのドレスを着た小さな女の子ににこにこしている初老の男性が、ミッキーのカチューシャを着けていた。微笑ましい光景だが、男性の頭部の毛髪がお世辞にも豊かとはいえない様相であったため、バーナビーが噴き出しかけて慌てて咳払いをする。
しかし彼だけでなく、他の客を見渡しても、いい年齢の人々がキャラクターのカチューシャやファンキャップ、Tシャツやパーカーなどを身に着けているのは確かに普通のことであるようだった。
だが、Tシャツだけ、パーカーだけ、カチューシャや帽子だけ、という客はたくさんいるが、ライアンとガブリエラのように上から下までこてこての格好の者はやはり少数派だ。
「いいえ、私たちなどまだまだです。全身にぬいぐるみバッジをつけている方などもいます」
「全身!?」
「それファッション以前の問題でしょ!?」
バーナビーとアンドレアが驚きとともに突っ込みを入れる傍ら、ライアンに対応しているレセプショニストが「すてきな格好ですね!」と褒めている声が聞こえた。もちろん、ライアンは全力のどや顔である。
「おはようございます。あちらのお連れ様でお間違いないですか?」
そこまで流暢な英語ではないが、朗らかにゆったりと話しかけてきたのは、ホテルマンの男性だった。
「はい、そうです」
「よろしければお荷物をお預かり致します。身の回りのものはお持ちですか?」
「ありがとう。大丈夫です」
バーナビーが対応すると、ホテルマンは彼とアンドレアのトランクをカートに乗せてタグをつけ、丁寧に押していった。
「朝から預かってくださるんですね」
「お部屋に運んでおいてくださるのですよ。チェックアウトした後も、その日の夜までカウンターで預かっておいてくださいます」
昨夜はディズニーシー内にあるホテルミラコスタに泊まった、というガブリエラが解説する。
「リーズナブルなホテルなのに、丁寧だなあ……」
ディズニーランドホテルのホスピタリティの高さに、バーナビーは心から感心した。
「というか、色々手が込んでるわよね。ロビーの内装もだけど、ホテルの人の制服もいいわ。ホテルマンらしいけど、ちょっとファンタジーな雰囲気もあるデザインよね」
アンドレアが、半ば職業病のようなコメントをした。
「ホテルごとに制服も違うのです! ドアの前にいらっしゃる方などは、男性も女性もこう長いコートで、シルクハットをかぶっていて、とても素敵です!」
「あら本当」
ガブリエラが指し示す先、逆側のエントランスのガラスのドアの向こうにいるドアマンの制服を覗き込み、アンドレアが感心する。
「お待たせ〜。ほら、カードキー。失くすなよ」
そうこうしているうちに、チェックイン手続きを済ませたライアンがやってきた。彼がひとりずつに配ったカードキーは、ミッキーとミニーの絵柄とともに、それぞれの名前が英語で入っているという凝りようだった。
「ほんとに凝ってるわねえ」
「記念に持って帰っていいやつだぜ」
そう言って、ライアンは首から下げたパスケースに自分のカードキーを仕舞う。ガブリエラも同じくである。
「ツインを2部屋だから、男女分けな。ガブに能力使ってもらうんだったらちょうどいいだろ」
「ええ。よろしくねぇ、ギャビー」
「おまかせあれ!」
アンドレアは、満足そうに笑みを浮かべて頷いた。
「で、ふたりにはパークチケット。3日間共通で使うから」
キャラクターのイラストも入ったチケットは、バケーション・パッケージでの購入のため、初日からディズニーランド・ディズニーシーのふたつを自由に行き来できる。
「でもふたりとも、ディズニー初めてだろ? 移動時間使って行き来するより、まずは1日ずつしっかり楽しんだほうがいいと思うんだけど、オーケー?」
「はい、任せます」
「特に希望はないわ」
ライアンの提案に、ふたりは言われるがまま頷いた。
「お財布に入れるのですか? パスケースを買うと便利ですよ」
それぞれホテルのカードキーとともにチケットを財布に入れるふたりに、ガブリエラが言う。彼女はライアンのミッキーパスケースと同じシリーズらしい、ミニーの顔のパスケースを腰のベルトフープに短く括り付けていた。
「パークの中で色々売っています。カチューシャや帽子も! おふたりも何か着けると良いです!」
「あ、私そういうのはパス」
「そうですね、僕もヘアスタイルが崩れるので」
「そうですか……?」
ふたりがそう言うと、ガブリエラは残念そうな顔をした。
「……ちょっとライアン、何よその顔」
アンドレアが、眉をひそめる。なぜなら、ライアンが非常に生暖かい目をしてふたりを見ていたからだ。
「いや? そんなテンションでいつまでいられるかな、と思って」
「どういう意味よ」
「べっつにぃ。あ、写真撮っとこうぜ。後で面白いから」
よくわからないことを言うライアンに促され、ホテルマンに頼んで、4人はホテルのロビーで写真を撮ってもらう。
苦笑気味のバーナビーとクールな表情のアンドレアを真ん中に、完璧なディズニー・スタイルで弾けたポーズを決めるライアンとガブリエラが彼らを挟んだ、テンションの温度差が激しいワンショットが、ガブリエラの端末のカメラにおさめられた。
そうしてホテルを出た4人は、ディズニーシーに向かうために、ディズニーリゾートラインという特別なモノレールに乗った。ちなみにこのモノレールの切符代もバケーションパッケージの中に含まれていて、日程中乗り放題である。
「すごいですね。全部ミッキーで……」
「もうこの時点でアトラクションっぽいわ」
窓や吊革も全てミッキーシェイプ。広告までもが全てディズニー関連という徹底ぶりの車内に、ふたりがさすがに感心する。
「イースターのイラストがたくさんあるわね。イベント中なの? ジャパンってイースターやるイメージじゃなかったけど……」
「一般的ではねえけど、単にイベントのネタになるからだろ。ハロウィンとか、ニューイヤーイベントもあるぜ。ジャパン特有のだと夏マツリとか、タナバタとか……折紙が喜びそうなやつだな。国によってかなり違うし、イベントやってない時の飾りとかイラストとかもどんどん変わるんだぜ。追っかけきれねえわ〜」
「あなた、ほんっとうに詳しいですね」
すらすらと解説するライアンに、バーナビーは呆れ半分で言った。
「こいつのディズニーオタクぶりは異常なのよ。ディズニーリゾートではファンサービスもほとんどしないってもう有名だし」
「ああ、ネットで見ました。……本当なんですか?」
「マジよ」
ゴールデンライアンは、仕事中はもちろんプライベートでも話しかけてきたファンには気さくに対応し、嫌な顔ひとつ見せない神対応ヒーローとして有名である。
しかしディズニーリゾートのパーク内にいるときだけは、ファンに話しかけられても「プライベートだから」と対応を断るというのは、彼のファンの間では知る人ぞ知る情報であるらしい。──というのを、アンドレアから彼のディズニーマニアぶりを知ったバーナビーは、今回ネットで見た。
「だって、ここでは俺キャストじゃねえもん。ゲストだもん」
「いい年の男が“もん”とか言ってんじゃないわよ」
「トーキョーディズニーリゾートはいいぜ〜、小さいけどそのぶん内容濃いし、ジャパンじゃ俺あんまり有名じゃねえからほとんど声かけられねえし、すげー楽」
アンドレアの手厳しい声を無視して悠々と言うライアンに、バーナビーは驚いた。ゴールデンライアンといえば、いかに有名になるか、名前と顔を売るかに人一倍執心している姿が印象的であるので、「有名でなくて楽」などという発言は、かなり意外なものだった。
「しかしライアンはヒーローとして知られていなくても、そこにいるだけで目立ちますが。なぜならとてもキラキラしているので!」
「まあな。俺様のオーラはどうやったって抑えきれるもんじゃねーから、そこはしょうがねえな」
「あんたたち、毎回その夫婦漫才しないとダメなの? なんかの義務なの?」
真顔で頷きあっているふたりに、アンドレアはうんざりした様子で言った。
「あー、それにしても腹減った。入ったらまずメシだな。ガブ、ポップコーンちょーだい」
「どうぞ!」
ガブリエラが、首から下げていたミッキーデザインの大きなプラスチックのケースを開ける。身長差のためちょうどいい位置にあるそれを、ライアンは掴み取って口に入れた。
「それ、ポップコーンが入ってるんですか? 何かと思っていました」
「中身だけ入れ替えてもらえるのです! ケースもかわいいですし、いろいろな味があっておいしいですよ」
ガブリエラが勧めてくるので、バーナビーはポップコーンをつまんで口に入れる。ホワイトチョコレートのフレーバーだった。
「ホワイトチョコレートは少し珍しいですし、甘いのではいちばん好きです。しょっぱいのはカレーとブラックペッパーと、ハーブトマトもおいしかったです!」
「……もしかして、全部食べたんですか?」
「もちろんです! シーとランドで売っている味の種類が少し違いますからね」
バーナビーさんもお好きなものを試してみるといいですよ、と、ガブリエラもまたホワイトチョコレートのポップコーンを口に入れた。
そうしてディズニーシーにやってきた4人だが、並ぶところは別だ。昨夜もディズニーシー内のホテル──ミラコスタに宿泊したライアンとガブリエラは本来の開演時間15分前に中に入れるという特権があるらしく、非常に楽しげにそちらに行ってしまった。
「……テーマパークの入園に並ぶとか、初めてだわぁ」
「僕もです」
「これで空いてるほうなの? ほんとに?」
少なくとも自分たちよりは浮かれた格好の人々に囲まれながら、バーナビーとアンドレアは列に並んだ。
現在、開園30分前をきったところだ。ふたりは割と前の方にいるが、あっという間に人が増えて、後ろに並んでいる人々はかなりの数になっている。しかしライアン曰く、「平日のど真ん中だし、この時間でこの人数ならかなり空いている方」ということだった。
「でも、あまり退屈しませんね。小さい子がたくさんいて」
「あなた、子供好きよねぇ……」
身寄りのない子供が集められた施設に寄付するだけでなくしょっちゅう訪問している彼は、確かに子供好きである。こういうところヒーローっぽいわよね、と、アンドレアは口に出さずに密かに思った。
ふたりとも飛び抜けた容姿の良さから非常に注目されているが、近寄りがたい雰囲気の上、いかにもセレブっぽい大きなサングラスをかけているアンドレアに対し、ちびっこに対して王子様スマイルを惜しまないバーナビーは女児受けがいいようだった。
近くからバーナビーをぽかんとして見上げていたプリンセスドレスの女児に気付いたバーナビーが、にっこりして小さく手を振り、片言のジャパニーズで「カワイイ」と言うと、女児は真っ赤になって母親らしき女性の足の影に隠れた。小さく頭を下げる母親も真っ赤になっていたが、なぜか父親までもがポーッとしている。
「おそろしいわね、ハンサム」
「なんですか?」
「別に」
そうしていると、やがて開演時間になった。
チケットについているカードをゲートに読み込ませ、中に入る。エントランスを抜けるとディズニーシー・プラザ。巨大な地球儀が水に押し上げられたようなシンボル、アクアスフィアがある広場に出た。
「走らないでくださーい、走らないでー」
言っていることと同じことが書かれたボードを持ったキャストが穏やかに、しかしはっきりと注意している。入場するなり走り出したゲストたちに向けてのものだということは、ふたりにもわかった。──なぜ走っているのかはわからなかったが。
呆気にとられていると、横にある簡易ステージのような所にブラスバンドチームがやってきて演奏を始めたので、ふたりはそちらに意識を向けた。
「へえ……、上手いな」
趣味がクラシック鑑賞であるバーナビーが、感心した様子で演奏についてコメントした。
「あら、さっそく出てくるのね」
鳴り響くブラスバンドの見事な演奏に感心していると、畏まった衣装のミッキーとミニーが登場し、ゲストたちのテンションが上がるのがわかる。
アクアスフィアの前で、と決めているため、ふたりは生演奏の音楽とともに常に動き回りパフォーマンスするミッキーとミニーを眺めつつ、ライアンとアンジェラを待った。
「……動きがキレッキレだわ。あの靴と頭なのに」
「それに、キャラクターがしっかり設定された動きですよね。中に人がいる感じが全然しない。すごいな……」
「ミッキーの中に、人なんか、いー、まー、せー、んー」
真横からかけられた低い声に、ふたりはびくっと肩を跳ねさせた。
慌てて見上げると、大きめの袋を持ったライアンが、ジト目でふたりを見下ろしていた。
「……まあいいけどな。どうせそのうち魔法にかかる」
「はあ?」
「食べるモン買ってきたぜ」
ぶつぶつ言うライアンは、ふたりにずいと袋を差し出した。中を見ると、ミッキーの形をしていたり、ミッキーのマークが入っていたりするパンがいくつか入っている。
「あら、気が利くわね」
アンドレアはそう言って微笑み、ミッキーシェイプのアップルカスタードデニッシュを手に取った。
アンドレアは長らくモデルとして徹底した食事制限をしていたが、ヒーロー業が主体になった今、モデル時代とは比べ物にならない量を食べるようになっている。
そのため朝からきちんと空腹感を感じるようになっていて、そろそろもう限界だったのだ。
「助かります。さすがにそろそろお腹が空いていて……」
そしてバーナビーもまた、ミッキーの形のドライフルーツマフィンを手に取り、頬張った。
「……あ、おいしいですねこれ」
「ほんと。普通にベーカリーとして“当たり”のレベルじゃない。テーマパークの食べ物ってあんまり期待してなかったんだけど……」
そう言いながら、ふたりはパンを平らげていく。
「すぐそこにある、マンマ・ビスコッティーズ・ベーカリーっていうとこで売ってる。ジャパンのコーヒーの企業がスポンサーだから、コーヒーも結構美味いぜ」
「お待たせしました! おふたりにはとりあえずコーヒーを……、あっ、ミッキー! ミッキーです! 格好いい!」
パンを半分も食べた頃、飲み物担当らしいガブリエラがやってきた。きらきらした目でミッキーに手を振るガブリエラに、彼女が持ってきたコーヒーを受け取りつつバーナビーが首を傾げる。
「格好いい? かわいいではなく?」
「かわいいのはミニーです。ミッキーは格好いいのです! とても!」
ガブリエラのその発言に、うんうんとライアンが頷いた。
「そうそう、ミッキーは格好いいんだよ。俺が唯一負けを認める存在だぜ」
「何の勝負なんですか」
さすがに呆れた様子でバーナビーが突っ込みを入れると、ライアンは「生き方っていうか……存在そのものがっていうか……」と真顔で返してきた。冗談の欠片もなさそうなその様子に、アンドレアがコーヒーを飲みつつそっと引く。ライアンのおすすめどおり、コーヒーはなかなか美味しかった。
「むぅ。私としては同じくらいの格好良さだと思うのですが……」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどよ。俺自身がとてもそうは思えねえ」
ここだけ聞いていれば何やら意識の高い発言だが、内容を知っていれば半目になるしかない。何を言っているんだコイツ、と言わんばかりの目をしているバーナビーとアンドレアを、ライアンは全く無視した。
「俺は世界のスーパーヒーローだけど」
ライアンは、白い衣装で見事なパフォーマンスをするミッキーを見つめて言う。
「ミッキーマウスは、──スーパースターだ」