(2)到着、前泊
あっという間に、休暇当日である。
バーナビーとアンドレアは朝いちばんの飛行機に乗り込み、虎徹と入れ替わるようにしてシュテルンビルトを出発した。
「ディズニーランドもですが、僕、ジャパンに行くのも初めてです。あなたは?」
「モデルを始めた頃に、若い子向けのショーに出るのに2回くらいかしら。どこも清潔で治安も良かったし、安いホテルでも親切で、過ごしやすい国だったわ」
「へえ」
「でも、どこもかしこもサイズが小さいのには参ったわね。あなたもおでこをぶつけないように気をつけて」
いかにもセレブ美女、という感じの大きなサングラスを掛けたアンドレアは、そう言って肩をすくめる。
「それにしても……、まさかこの年になって、飛行機にまで乗ってこんな子供っぽい所に行くとは思わなかったわ」
出国手続きをした後、飛行機の登場時間を待つソファの上で長い脚を組んだアンドレアは、やれやれといわんばかりの様子で言った。
「やっぱり子供っぽいところなんですか?」
「そりゃそうでしょ。私も実際行ったことはないけど、ディズニーのテーマパークよ? 子供のための場所じゃないの。あの男、見た目あれなのに中身は本当にガキよね」
「確かに、そこまで好きというのは驚きましたが……」
この旅に行くにあたって、ライアンのディズニー好きがかなりのものだということを、バーナビーはアンドレアから聞いていた。
子供の頃から大好きではあったらしいが、大人になった今でも全くそれは醒めておらず、むしろ財力や行動力が増したことでエスカレートしているらしい。映像作品のディスクはあらゆる媒体のものが揃い、実家の部屋はディズニーグッズまみれだそうだ。つまり、立派なオタク、マニアの域である。
見た目や言動からはあまり結びつかないが、ライアンにはひとつのことを突き詰めるような部分があることには、バーナビーも気付いている。イグアナという世話の難しいペットの面倒を細やかに見たり、趣味のカメラや、税金対策の投資活動もそうだ。
一見色んな分野に浅く広く手を出しているようでいて、その実、ひとつの分野を突き詰めた結果他の分野に手が広がっただけにすぎない。それぞれにちゃんと深い造詣を持っている。
「ディズニー好きはアイドルの頃から隠してなくて……、最初は、それもキャラづくりだと思ってたわ。当時はあざとい美少年キャラで売ってたから。でも実際は、むしろあれだけガチだったっていうオチよ」
そして、いちどこのディズニー好きを付き合った女性にバカにされた時は、恋人と別れる時は常にこれ以上なく円満に終わらせるはずの彼が激昂し、喧嘩別れしたという。
「“ミッキーを馬鹿にする女と1日でも付き合っていたのは恥”って言ってたわ。笑える」
「そこまで」
「そこまでなのよ。その点ギャビーはああいう子だから、たぶんディズニーも大好きでしょ。つくづくお似合いだわ」
なるほど、とバーナビーは納得する。シュテルンビルトにいる頃も、彼らはふたりで子供向けのおもちゃを買い漁ったり、恐竜展に行って盛り上がったりと、恋人同士というよりは仲の良い少年同士のように過ごしていた様子があった。
掴みどころのないフェロモンたっぷりの色男、という感じで売っているライアンを知っているとギャップがあるが、身近に彼を知っていると、どちらも彼の素であることはすぐ理解できる。
「何が俺様だか。ただのガキ大将よ」
そしてハイスクール時代の同級生であるというアンドレアのこの評価も、間違いなく正しい。
「僕も子供時代はディズニーと縁遠かったですが、夢のある世界で好きですよ。施設の子供達もとても好きで、子供はああいうものに触れて育つべきだなとは思います」
「まあ、それは否定しないわ」
「トイ・ストーリーなんかは付き合って何回も観ましたし、大人の僕でも楽しめました。それに最近は、普通に大人向けのエンターテイメント作品も作ってるじゃないですか。実写の」
「海賊のやつとか?」
「面白かったですよね、あれ」
「確かにね。衣装や音楽も良かったわ」
それからしばらく、ふたりは大人でも楽しめるディズニー作品について話した。
「あとはスターウォーズもディズニーになったんですよね。僕スターウォーズはかなりファンなので、そのコーナーがあると聞いて実は楽しみにしているんです」
「前から思ってたけど、あなたSFもの好きよね」
「ええ、まあ。あなたは好きなジャンルとかないんですか?」
「特には」
「ディズニーも? 子供向けとはいえせっかく行くんですから、好きな作品がひとつでもあればそれなりに楽しめるでしょう」
「別に。私の今回の目当てはギャビーの能力だし。ディズニーは付き合い程度のつもりよ」
クールな態度のアンドレアに、バーナビーは肩をすくめ、それ以上聞くのをやめた。
快適なビジネスクラスの座席に乗り込むと、間もなく離陸である。
細身でスタイリッシュな印象のバーナビーであるが、実際その身長は185センチもあり、体もアスリート並みに鍛えている。アンドレアも世界を股にかけるモデルとして170センチをゆうに超える身長であるため、ふたりともエコノミークラスの座席で10時間近くも座り続けるのはつらいと、けちらずにビジネスクラスの座席を取っていた。
アンドレアは機内サービスのエアピローをCAに頼んで持ってこさせると、さっさとそれを首に当てた。ヒーローになる前は世界的なモデルとしてあちこちを飛び回り、飛行機にも乗り慣れている彼女らしい行動だ。
「あ、ディズニーのオンデマンドがありますね」
「子供用じゃないの」
座席の前のモニターを操作するバーナビーに、アンドレアが呆れた様子で言う。
「でもライアンもアンジェラも、ディズニーが大好きなんでしょう? せっかく彼らが自分たちの好きな場所に連れて行ってくれるんですから、こちらも同じテンションとまでは行かなくても、多少は話についていけるように予習はしておくべきかと」
「……真面目ねえ」
「ヒーローなもので」
少しおどけて言ったバーナビーだが、アンドレアも、その姿勢は誠実だし見習うべきものだとは思う。
「まあ、そうね。10時間近くも寝っぱなしってわけにも行かないし、私も何か観ようかしら」
「実はこの間、折紙先輩におすすめを聞いてきたんです。まずは“Big Hero 6”を観ようと思います」
「ロボットもの? ほんと好きねえ。あれ? “Big Hero 6”と“ベイマックス”って別物なの?」
「いえ、同じものだそうです。“Big Hero 6”が原題で、ジャパンだと“ベイマックス”」
「タイトルが変わるの? 変なの」
そんなことを言いつつも、アンドレアもまたモニターを操作しヘッドホンを装着すると、丸っこいぷよぷよしたデザインのロボットアニメを再生し始めた。
「……寝ました?」
「なんとか……」
ジャパン・トーキョーの空港に着陸した時、ふたりは冴えているような、ぼんやりしているかのような頭を抱えながら、お互いにうめいた。
結局、バーナビーは“Big Hero 6”こと“ベイマックス”をしっかりと視聴した後、その興奮に任せて今度は“ズートピア”を鑑賞。ウサギの身で頑張るジュディに好感を抱きつつ、次いで“モンスターズ・インク”と“ファインディング・ニモ”と続いた。そしてそこまででやっと我に返り、そろそろ寝ないと時差ボケでまずいことになる、となんとか短い睡眠時間を取ったのだ。できればミスター・インクレディブルも観たかった、と後ろ髪を引かれながら。
「ハマりすぎじゃない?」
「あなたこそ、結構本数見てたじゃないですか」
「……ギャビーの話についていってあげないとかわいそうじゃないの」
ふい、と目を逸らしたアンドレアもまた、最初はバーナビーと同じく“ベイマックス”から入り、そういえばガブリエラが好きだと言っていた“モンスターズ・インク”、またやはりバーナビーが観ていた“ズートピア”を鑑賞。
「最後、僕と違うの観てましたよね。あれ何ですか?」
「“Frozen”」
「ああ、アンデルセンの『雪の女王』の?」
「私もそう聞いてたけど、全然違う話だったわ。ところどころエッセンスはあったけど……」
「メインの女性キャラクターが、ブルーローズのような能力を使うのは見ました。あれも面白そうですね」
「ええ、良かったわよ。特にそのエルサが……、ンン、いえなんでもないわ。行きましょ」
咳払いをしたアンドレアは、手荷物受取所でさっさとトランクを受け取ると、足早に到着ロビーを出た。
空港からホテルまでタクシーで行こうとしたのだが、タクシー乗り場が出張帰りのサラリーマンでごった返していたため、ふたりは仕方なく電車に乗ることにした。
「顔が売れていない場所というのも、新鮮ですね」
バーナビーが、駅構内の人々を見渡しながら言う。
シュテルンビルトでは、すぐに「バーナビーだ!」と人から注目を浴び、サインや握手や写真撮影を強請られる。そのため、電車よりもタクシーを利用することのほうが多いのだ。しかしジャパンに到着してから、注目はされるものの、有名人扱いはされていない。
とはいっても、完璧に鍛えられた高身長のスタイルに、何より信じられないほど整った美形のハンサムと、海外のセレブ系ファッション誌からそのまま出てきたようにゴージャスな超絶美人が揃って立っているのである。それだけでも皆の注目が漏れなく集まっていたが、彼らはそれを当然のように、空気を吸うのと同じようにして受け止めていた。
「こっちって、シュテルンやコンチネンタルのヒーローはあんまり有名じゃないのよね」
「ええ。ジャパンはジャパンで独自のヒーローシステムがあって、そちらが人気のようなので。ヒーローマニアであれば知っているかもしれませんが」
「まあ、それはそうよね」
自分の街を守るわけでもない、海外のヒーローは一般的に注目される余地が無いということだろう。ヒーローは芸能人でありつつもレスキュー隊員なのだから、実際に自分たちを助けてくれるヒーローに注目し応援するのは当たり前だ、とアンドレアは納得して頷いた。
「ファッションの分野でもアジア系ってスタイルが全然違うから、私みたいなモデルはぜんぜんメジャーじゃないのよね。どっちかっていうともっと少女っぽくて華奢な感じのコが身近みたい」
「確かに、皆さん小柄な感じですね」
バーナビーが、駅のホームにいる日本人を見渡す。染髪している者も多いが皆黒か茶色系統の髪の色をしていて、女性はバーナビーより頭ひとつ分以上小柄だし、男性はひと回りくらい華奢な場合が多い。
シュテルンビルトにいる時は、鍛えていてもどちらかといえば細身のスタイルの持ち主という評価でバーナビー自身もそう思っていたが、ここにいると、とても大柄な男になったような気がする。こうして見ると、虎徹はアジア系としては高身長で体格がいいほうなのだな、とバーナビーは実感した。
「僕でもこうなのに、ライアンやロックバイソンだとガリバー旅行記みたいになりそうですね」
「でしょうねえ。まあ、ライアンはそういうの全く気にしないと思うけど。今は隣にギャビーもいるし」
「同感です」
イワンが「コミュ力おばけ」と評するだけあって、ライアンは相手がどんな人間だろうとナチュラルに距離を詰め、円滑にコミュニケーションが取れる稀有な特技の持ち主である。ガブリエラに至っては、人懐っこい犬と同等だ。放っておくといつのまにかお菓子などを貰ったりしている。
彼らのSNSアカウントによるとつい先週までキョウトやオオサカにいたらしいが、ふたり揃って、現地のおばさんたちからなぜか大量にキャンディを貰っていた。
「あ、電車が来ましたよ」
「頭をぶつけないようにね」
颯爽と電車に乗り込んでいくアンドレアに続き、バーナビーは入り口を若干くぐるようにして、注目を浴びつつ電車に乗った。
「トーキョーディズニーリゾートというからトーキョーにあるのかと思っていたのに、マイハマってチバなんですね……」
「トーキョーのほうが聞こえがいいからでしょ。あら、きれいな駅じゃない。こっちの駅は隅々まできれいでいいわねえ」
空港もすごくきれいだったし、と、アンドレアは概ね上機嫌である。
確かに、空港はとてもきれいで便利だった。特にトイレはどこも無料な上に清潔、温水洗浄などの高機能付きの代物が揃っていた。ジャパンのトイレは世界でもトップレベルで快適だというのは本当だったのだな、と、バーナビーはこの国の素晴らしい文化に素直に感心している。
「おそろいの服、あれって学生かしら」
「多分そうですね。平日ですから、学校帰りに来ているんじゃないでしょうか」
「はしゃいでるわねえ。見てよあの格好、やっぱり若い子向けの施設なのね」
マイハマの駅では、各々着崩した様子の制服に、ミッキーやミニーの耳付きカチューシャやキャラクターの帽子などをかぶって歩いている若者たちがたくさんいた。格好いい外国人に目敏く気付いてこちらを見てくる彼らの目線を受け流しながら、ふたりは今度こそタクシー乗り場に向かう。
マイハマの駅からタクシーに乗り、ホテルに到着すると、それぞれに与えられた部屋に入る。ライアンが手配してくれたのは、ディズニーリゾートからさほど遠くなく、車で15分程度のホテルだった。グレードもなかなか高く、部屋は広くはないがきれいで、ふたりは満足した。
「時差ボケは大丈夫? じゃ、おスシでも食べに行かない?」
「いいですね」
それぞれ部屋に荷物を置いて身軽になったふたりは、なんだかんだ言って旅行先でにわかに浮かれたテンションで、ホテル周辺の店のリストにざっと目を通す。にこにこした親切なホテルマンのおすすめもあって、江戸前寿司の店に行くことに決める。
「なんか明日の待ち合わせ時間がやたら早いし、美味しいもの食べたらさっさと寝ましょ」
アンドレアの言う通り、明日のライアンたちとの待ち合わせは、ディズニーランドホテルのロビーに朝の7時。かなり早めの予定だった。
そうして美味しい寿司に舌鼓を打ったふたりは、快適なホテルでそれぞれ飛行機内でディズニー映画を複数本観て削られた睡眠を取り返したのだった。