#094
★メイプルキティの冒険★
9/24
「それにしても……なるほど。楓ちゃんが可愛いのは単にお母さん似なんだなと思っていたんですが、NEXT能力に目覚めたからということもあるんでしょうか?」
「ふえ!?」
 助手に頼んだ人数分のお茶が持ってこられてすぐ。バーナビーが真顔で言ったので、楓が真っ赤になって肩をすくめた。うんうん、と虎徹が重苦しい表情で深く頷く。
「バニーちゃん、わかってるねえ。そうなんだよ、友恵に似てるのは前からだったけど、急にキレイになっちゃってさあ。能力に目覚めてからって言われたら、確かにそうだよ。娘がキレイになるのは嬉しいけど、心配で心配で」
「いつもは親バカと流すところですが、これは正直わかります。今回ちょっと久々に会いましたけど、あんまり綺麗になっていてびっくりしました」
「だろ!?」
 素直に同意を示した相棒に、虎徹は力いっぱい両手の人差し指を向けた。

「確かに、お嬢ちゃんは美少女だよなー。アイドルとかにしてもレベル高いぐらい」
 次はライアンが言った。
 しかしいつもの単なる褒め上手ではなく、まるでスターの原石を発掘するプロデューサーのような目つきであることから、彼が本気で言っていることは誰にもわかった。その発言に、今度はガブリエラが何度も頷く。
「はい! カエデはとてもかわいいです。しかも、きれいなかわいいです」
「あーわかる。ブルーローズとはまた違うキレイ系だよな」
「そうなのです。ふたりで並んでいるときなど、ずっと眺めてしまいます」
「そうそう。ふたりともタイプ違いっつーか、暖色系と寒色系っていうか、それでいて両方超レベルのキレイ系美少女だろ? 並んでても全然違和感ないどころか、デュオ組んだらすげー売れると思う」
「もう、やめてよ! ブ、ブルーローズととか、お世辞にしたって言いすぎだよ!」
 交互に絶賛するR&Aに、楓が照れて頬を膨らませる。

「いやいやお世辞とかじゃないってマジで。まず顔がめちゃくちゃ可愛いけど、それだけじゃなく性格の良さも滲み出てるのがポイント高い。声もいいから歌えるようになればすげーと思うし、何よりあのフィギュアスケートの運動神経と、スタイルの良さ!」
 手脚の長さは完全に父親似だよな、というコメントに、普段はそれを褒められてもどうでも良さそうな虎徹が「いやあ」と誇らしげに照れる。
「実際さっきマフラー買いに行った時もさあ、フツーの子供と並んだら頭の小ささとか脚の長さとかもう比べモンにならねーっていうか」
「あなためちゃくちゃ見てますね……まあ一言一句同意ですけど」
 オーディションの審査員よろしく評価するライアンに、バーナビーが眼鏡を押し上げつつ同調する。
「だよなー。ブルーローズっていう超アイドル見慣れてるし、ドラゴンキッドも相当かわいいじゃん? だから最近ちょっとやそっとじゃ“おっ”て思わなくなってんだけど、久々にうわ美少女! みたいな」
「わかります。カエデはこう、きらきらしているのです」
 こくこくと頷いて、ガブリエラが同意する。
「なー? オーラがあるよな。お嬢ちゃん、アイドルになるならいいプロダクション紹介するけど、どう?」
「カエデがアイドルに! 素敵です!」
「それはいいですね。ぜひ応援させてください」
「うちの娘がアイドルに……!?」
「ならないよ! いいかげんにして!」
 勝手に暴走し始める大人たちに、とうとう楓がキレた。といっても、真っ赤になって頬を膨らませている少女は、本当に可愛いとしか言えないのだが。

「……君たちはよく話が脱線するよね」

 のほほんとした表情で、ルーカス医師が言った。楓が慌てて頭を下げる。
「すっ、すみません! 続けて下さい」
「いやいや、脱線したのは君じゃなくてそこの大人4人だから」
 そう言うと、その大人4人はそれぞれしらばっくれるようにして、各々やや視線を反らした。

「で、だ。こうやってより個人差が出てくる第二順応期だけど、成長過程の環境によっては、著しくバランスが偏るパターンもある」
「成長過程の環境……ですか。例えば?」
 すっかり興味深そうに、バーナビーが積極的な質問を挟んだ。
「よくいるのは少年兵だとか、虐待経験があるとかだね」
 つまるところ、幼少期に命の危機に長く晒された場合だ、とルーカス医師は言う。
「メンタルが不安定だったり思考が極端になったりするのは典型だけど、サヴァン症候群的な症状が起こるパターンも結構確認されてる」
 サヴァン症候群とは、知的障害や発達障害などのある者のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状を指す。
 例えば膨大な量の書籍をいちど読んだだけですべて記憶し、さらにそれを全て逆から読み上げる、常軌を逸した記憶力。航空写真を少し見ただけで、細部にわたるまで描き起こすことができる映像記憶。並外れた暗算、いちど聞いただけの音楽を完璧に再現できるなどの能力が挙げられる。

「生物というものは、“生き延びる”ということを何よりも最優先するように出来ている。生きるか死ぬかの状況に晒された時、身体が取捨選択をするんだ。そして、NEXTはこの順応期のはたらきもあって、その傾向が著しく強い。──そう。ここで、能力の減退の話に繋がってくるんだけど」

 ルーカス医師は相変わらずのほほんと言ったが、虎徹とバーナビー、そして楓は緊張感を高めた。

「というかまず、この現象は一般的に“減退”って言われてるけど、実際には減退とはちょっと違うんだよね」
「それは、後々復活する可能性があるということですか?」
「あー、例がないわけじゃないけど、残念ながらそうじゃない」
 バーナビーが慎重に発した質問に、医師は首を横に振った。

「もう理解してもらえたと思うけど、身体は“生き延びる”ことを最優先に機能してる。長く生きていけるように、あるいはこの瞬間を生き残れるように」
 そしてNEXT能力者はこの能力が特に高い、と彼は重ねて言った。
「でもこの動きは、“NEXT能力に応じて身体が変化する”というはたらきと矛盾するというか、対立する場合がある。稀だけどね。ざっくり言うと、これが減退の原因だ。詳しく説明しよう」
 そう言って、ルーカス医師は近くのコンピューターを少し操作して準備をすると、「さて」と皆に向き直る。

「まずこの間の健康診断と運動能力テスト、あと全身ケアエステのためのカルテや問診票を、総ざらいチェックしたんだけど。タイガーはあれだねえ、若いときからだいぶハードに能力を使ってきてるよねえ」
「そりゃ、ヒーローですんで」
 堂々と、虎徹は言い切った。
「うん。それ」
「どういうことです?」
 そう言ったのはバーナビーだが、全員が真剣に身を乗り出さんばかりに話に耳を傾けていた。

「タイガーとバーナビーは、アンジェラのヴァーチュース・モードを受けたことがあったよね?」
「お、おう」
「はい」
 虎徹とバーナビーが、どうにか頷く。
「あれは実は、ハンドレッドパワーの仕組みととても似通ったものなんだ。彼女の能力によって、細胞の超急激な活性化を促すという使い方。つまり身体のキャパシティを一時的にほぼ無理やり高めることで、普段体を守るために働いている能力発動の安全装置を騙して、外す」
 君たちの場合は、100倍の負荷を5分かけた肉体を休ませるための1時間のクールタイムを無理やり癒やして縮めたことになる、とルーカス医師は説明した。
「だが実際に体験したとおり、あとでそのツケが来る。アンジェラの能力で脳の制御装置を騙していたのが、もとに戻るからだ。栄養ドリンクで一時的に元気になるけど、その後にいつもよりドッと疲れて、結局いつもより休みを取らないと完全に調子が戻らないっていうのと全く同じ」
「……仕組みはわかりました。それで、それが……?」
 バーナビーが、息を飲みつつ先を促す。
「だからね。タイガーも似たような状態だったわけだよ。1時間に5分という単位じゃなくて、何年っていう長いスパンで見て」
 当人も含めて呆然としている皆に、ルーカス医師は説明を続けた。

「タイガーは、今までかなり頻繁に、いや無茶なくらい能力を使ってきてる。大規模な災害救助の時なんか限界まで、要するに1時間ごとの発動を連続で24時間以上とかね。あとジェイク事件の時は、ハンドレッドパワーの発揮で回復能力を100倍にして無理やり治したりもしてる。しかもいちどや2度じゃないし、それを何年も続けてきた」
「ああ、はあ、まあ」
 つらつらと言う医師に、虎徹は後頭部に手を当て、猫背になって曖昧な相槌を打った。怒られているような雰囲気ではないのだが、当時はこのことでさんざん周りに無理を怒られたので、その感覚がなんとなく蘇ったのだろう。
「君の身体はハンドレッドパワーを使うために順応したとても強い肉体だけど、その身体すらも傷むような酷使っぷりだ。そして何回も繰り返しになるけど、身体は常に“生き延びること”を最優先事項にして機能する」
「……つまり、能力の使いすぎによって身体が傷んできたために、生命維持を優先して身体が能力を減退させたということですか?」
「そういうこと」
 驚きの表情でバーナビーが言ったその内容を、ルーカス医師はあっさり肯定した。

「ちなみにだけど。逆に全く能力を使わずに、素地の肉体能力──腕力とかね、そっちに頼りっぱなしになって能力を使わないと、これも減退しちゃうことがある。モグラの目が退化するようなものだね。強力な能力者にはまずいないけど、CレベルとかBレベルにはちょくちょくいるよ」
 弱い能力だけに退化しやすいってことだろうね、というその発言でヒーロー4人が思い出したのは、能力減退によって引退しライアンお抱えの靴屋で働くことになった、元二部リーグヒーローの女性だ。
 彼女の能力は、ヒーロー活動にさほど役立たないもの──初検定ではC、ヒーローになるにあたってBレベル認定された程度のものであった。
 そのため能力行使をすることは稀で、素地の身体能力と知識や経験でヒーローをやっていたと、本人が申告していた。それが確かならば、まさに今ルーカス医師が言った能力減退のパターンに当てはまる。

「だからそうならないためには、減退に繋がるような能力の酷使を避けて、なおかつ使わなさすぎる状態も避ける。つまり“無理のない限界値”を見極めて能力を定期的に使用して、なおかつしっかり休息を取るのが望ましい」
 そうすることで減退を避け体を健康に保つだけでなく、身体を能力により順応させることで更に強力な能力が使えるようになる可能性もある。
「ゴールデンライアンとアンジェラは、アスクレピオスの所属になってからはこれを徹底してもらってるよ」
「エンジェルウォッチも、元々はその管理のためにパワーズとケルビム共同で開発したアイテムだからな」
 ライアンが言った。

 販売されているエンジェルウォッチはその高機能ぶりが注目を浴びているが、あくまで一般向けの身体管理端末だ。しかしガブリエラやライアンに支給されているオリジナル版は、彼らそれぞれ専用に組まれたOSが搭載された、オーダーメイドの超高機能端末である。
 それにより、かなりのレベルでの健康管理を行うのはもちろん、何よりNEXT能力に関する管理・測定機能が凄まじい。能力の行使の回数はもちろん、ライアンなら発した重力の大きさや範囲、ガブリエラなら能力による消費カロリーなどを自動的に記録するという仕様になっているのだ。
 この管理によって、ガブリエラは摂取したカロリーを決められた時間以内に能力によって消費するサイクルを正確に守り、ライアンもまたトレーニングと試験を兼ねて毎日重力耐久施設で能力を使うことでNEXT能力を含めた健康維持を行うことができ、またそうすることを義務付けられている。

「へえ……。それで実際、どうなんです? そういう管理をしてから」
「はっきり言って、明らかに調子がいいね。能力の威力もかなり上がったし。実感として、あーこれがNEXT能力者にとっての理想的な生活スタイルなんだなって感じ」
「私もです! 毎日元気です!」
 バーナビーの質問に、アスクレピオス所属ヒーローふたりは、はっきりと答えた。
 ガブリエラは環境変化が激しすぎていまいち参考にならないが、ライアンの場合は逆に顕著だ。投薬や特殊なトレーニングなどをしているでもなく、ただ能力行使の管理と生活習慣を整えただけで、こんなに劇的に違うものかと感動した、と彼は言う。
「そんなにですか」
「うん。ジュニアくんも気をつけたほうがいいと思うぜ」
「参考にさせて頂きます。よろしければ、後日詳しい話を聞かせてください」
「いいぜ。他のヒーローにも教えていいよな? センセ」
 ライアンが確認すると、ルーカス医師は「もちろん。むしろおおいに広めてくれると助かるね」と笑顔で頷いた。

「そっか……。俺の長年の無理が祟ったってことだな」

 虎徹は、しみじみと言った。バーナビーがハッとして彼を見る。
 しかし虎徹はしんみりとはしていたものの、ショックを受けた様子ではなかった。むしろ、すっきりと納得しているような様子だ。
「考えなしに能力使うなってバニーによく怒られるけど、そのとおりだったんだなあ」
「虎徹さん」
「何だよ、そんな顔すんなよ。正直確かに、特に若い時は考えなしに発動した時もあったよ。でもそれで助かった命もたくさんあったって、俺は胸を張って言えるからな」
 にか、と虎徹は笑ってみせた。

「俺は後悔してねえぞ。減退の理由がわかって納得したし、むしろ、俺は間違ってなかったって思えてよかった」

 虎徹は、晴れ晴れとした様子でそう言った。
 まさにベテランヒーローといえるその姿に、若いヒーローたちはさすがに口をつぐみ、まさに敬意を表するという感じで、ただ無言で頷くだけにとどめた。

「でもねえ。さっきも言ったとおり、タイガーの場合、こういう減退ともちょっと違うんだよね」
「えっ」

 いい空気が漂っている中、さっくりとルーカス医師が水をさした。

「……説明してもらえます?」
 ぽかんとしている虎徹当人を差し置いて、バーナビーが真剣な顔で言う。
「もちろん。すごくわかりやすかったからまとめてみたんだけど、これ見てくれる?」
 ルーカス医師はキャスター付きの椅子を少し転がして、背面にあった、壁に設置されている大きなモニターを点けた。彼が手元の端末を操作すると、数字が入力された表が現れる。
「これね、タイガーの毎年の運動能力テストの結果表」
「虎徹さんの? 興味深いですね」
「へえ〜」
 20年分近いそのデータに、バーナビーとライアン、若手ふたりが興味深そうにモニタに見入る。
「おおすげえ、若い時と今とそんな変わってねえ、……いや、……ん?」
 最初に怪訝な顔をしたのは、ライアンである。左端に表示された年度と運動能力データを何度も見比べる彼に、続いてバーナビーも違和感に気づいて眉を寄せる。
「……ちょっと待って下さい。これ、おかしくないですか?」
「なあ、これって年度逆じゃねえの?」
「あれ?」
「んん?」
 彼らがそこまで言えば、楓とガブリエラも表の違和感に気付く。

「ワォ。タイガー、すごいですね。20代の頃より運動能力が高いです」
「いやいやいやいやそんなはずねえだろ! おっさんもうアラフォーだぞ!」

 感心した様子で言うガブリエラに、ライアンが全力で突っ込みを入れる。
 そして虎徹本人はと言えば、目を丸くしてぽかんとしていた。
「……ちょっと虎徹さん。これ本当なんですか?」
「いや、……え? いや……自分の記録、こうやって並べて見たの初めてだしよ……」
 怪訝な顔で聞いてくるバーナビーに、虎徹はしどろもどろで言った。

「僕も一応確認したけど、間違ってないよ。しかもこれ見て」
 ルーカス医師は、モニタの表示内容を切り替えた。それは先程の表の数値が折れ線グラフになったもので、先程よりも推移がよりわかりやすい。
 ヒーロー免許取得からヒーローデビューまでの2年ほどは、ほぼフラットなライン。デビューからは少しずつじわじわと上がっていき、そして──
「能力減退が始まってから、あらゆる数値が劇的に上がってる」
 そう言って、ルーカス医師が指示棒を伸ばし、急上昇したラインの折れ線ポイントを示す。確かにその年度は、ジェイク事件が起こり、そして虎徹の能力が減退した年だった。

「身体を守るために、能力を引っ込める。ここまでが普通の“減退”。能力を発現させる前に戻る感じでもあるけど」
「虎徹さんは、そうではない?」
「そうだよ。このとおり」
 ルーカス医師は、モニタ内のグラフを示した。能力減退と反比例して、常時の状態で超人的な記録を残すようになっている肉体の数値。

「つまりね。タイガーは常に“脳が想定した能力使用限界”を超えて能力を使い続けた。君が能力をガンガン使うたびに、脳はその酷使について行けるように身体を更に順応させて強くしてきた。これがその時期」
 ヒーローデビューからじわじわと上がっている身体能力値を、ルーカス医師が指示棒で示す。
「でも限界はある。いくらNEXTが超人だからって、やっぱり人間だからね。ここがそれだ。“ここのままでは身体が壊れてしまう”、“でも本人は身体を酷使するNEXT能力行使をやめない”。年齢的な衰えもある。このままだと、能力の使いすぎで身体が壊れてしまう。ではどうする?」
「……能力の発動を抑え、そのかわり、常時の身体能力を上げる……?」
「ご名答だ」
 バーナビーがおそるおそる発した答えに、ルーカス医師はにっこりして頷いた。

「ど、どういうことだ?」
「順応するということは、学習能力があるということでもある」
 いちばん動揺しているのは、虎徹本人である。うろたえる彼に、ルーカス医師は穏やかに微笑んだ。
「つまりタイガー、君は能力が減退したんじゃなく、順応して、変化したんだ」
「変化?」
「そうさ。長年の君のヒーロー活動からデータを取って学習した結果、これから先、1時間に5分のスーパーパワーを発揮して僅か何年間かで体を壊すより、常時の身体をより頑丈にして、スーパーパワーは1時間に1分にする。そのほうが長く生きられる、──これからもヒーローであり続けられる、と身体が判断したのさ」
 その言葉に、虎徹の肩から、すとん、と力が抜けた。少し椅子から落ちそうにさえなった彼を、両隣のバーナビーと楓が慌てて支える。

「というかねえ。君の年齢で、身体がちゃんと能力に順応して変化したこと自体が凄いんだよ。能力発動後の順応期が一段落したら、身体が安定するかわり、急激な変化についていけなくなるのが普通だからね。はっきり言うけど、能力がワンミニッツになってなかったら君何年かで体壊して、ヒーローどころか車椅子生活……いやそれでもいいほうだな。死んでてもおかしくない」
「そ、そんなに危なかったんですか!?」
 楓が、やや青くなってひっくり返った声を出した。
「そりゃもう。お嬢さん置いて死ぬことにならなくてよかったね」
「ああ、……はい。本当、良かった……」
 心配そうに覗き込んでくる娘の顔を見て、虎徹は危機一髪の瞬間をくぐり抜けた直後のような、ドッとのしかかってくるものを感じた。自分は、何よりも大事な娘に、いちばんしてはいけないことをするところだったのかと。

「まあ、この分だともう大丈夫そうだけどね。でも念のため、若い時みたいな、無闇矢鱈な発動はしないように。確かに君は羨ましいほど若々しいけど、さすがにこれからは、ゆっくりでも衰えていくから。不死身の人間はいないからね。いい年のとり方をした男は、パワーを技術で賄うものだよ」
「先生、いいこと言うねえ」
 にやりと笑って、ライアンが口を挟む。
「ヴァーチュース・モードは特に禁止だ。アンジェラも、使わないようにね」
「わかりました」
 ガブリエラが、しっかりと頷いた。

「バーナビーも、相棒を反面教師にして──といっても、君は1時間のクールタイムも含めて絶妙に見極めて発動してる感じだね。これからもこの調子でね」
「はい。……まあ、僕が前から言ってたことが間違いでなかったと太鼓判を押してもらって、スッキリしました」
 使い所を考えて、と常に口を酸っぱくして言っているバーナビーが、にやりと笑って虎徹に流し目をくれた。虎徹は苦い顔をして、「そういう意味で言ってたんじゃねえだろ」と先程の手のひらを返し、小さい声でぶつくさ言う。
「お父さん! 身体のためにも、これからは無理しないでね!」
「あ、はい」
「バーナビーの言う通り、使い所を考えて!」
「……はい」
「お酒も控えて! ちゃんと寝て! ごはんもバランスよく食べて!」
「はい……」
 命の危険があった、と世界でもトップクラスのNEXT科医に言われた今回ばかりはおとなしく頷くしか出来ず、虎徹は娘のお叱りを甘んじて受け止めた。「もっと言ってやって、楓ちゃん」とバーナビーが野次を飛ばす。

「しかしタイガーのこの身体能力、ほんとに凄いよ。あの、てっぺん見えないような高層ビルでのワイヤーアクション、能力なしって。あれ、普通に肩脱臼するからね。むしろ腕が抜けるからね?」
 どれだけ頑丈なんだか、と医師は首を振る。
「君が正体バレした事件のときだって、ヒーロー全員と警察からあれだけ何日も逃げ回って、しかも聞けばほとんど寝てなかったとか言うし、ヒーロースーツもなしでさ。君、自分でおかしいと思わなかったのかい」
「え、いや……、能力なしでも、やればできるもんだなあ〜、とは……」
「虎徹さん……」
 ある意味呑気なその言葉に、バーナビーが完全に呆れた、呆れすぎて冷たく感じるような顔をした。ライアンと楓も同じような様子で、変わらないのはやはり呑気な顔をしたガブリエラだけである。さすがに、虎徹はばつが悪そうに首を縮めた。

「この鈍さも何か関係あるのかな……。しかしこの腕力、スタミナ、集中力! これがずーっとあるわけでしょ? しかもこの年齢で。スーパーパワーが5分から1分になるより、そのことのほうが凄いと思うけどねえ、僕は」
「はー、まあ、確かになあ。若えおっさんだなーとは前々から思ってたけど」
 呆れと感心がごっちゃになった様子で、ライアンが言った。
「見た目も東洋の神秘だけどさあ。ほんとに年食ってんの? みたいな。年食わねえのが能力なんじゃねえのって疑ったことあるくらいなんだけど、このアンチエイジングっぷりもその順応現象とか、能力減退の影響?」
「あるかもね」
 まだ少し呆然としている虎徹を親指で示して言うライアンに、ルーカス医師は頷いた。

「マジかよ。すっげーなオッサン、どんだけヒーローやる気よ」
「どれだけって……」
 まだ動揺から抜け出せない虎徹が、ライアンを見る。
「いやだってヒーローって、能力ありきで潰しが効かねえっていう不安があるのがフツーだろ? 体力勝負な仕事だから、年齢で辞めるのがほとんどだし。オッサンはそれがほぼねえってことだ。それがどんなにスゲエことか、わかってる?」
 ライアンは、あえてコミカルに肩をすくめて言う。
「俺とか能力派手だけどさー、それだけにもし能力減退したら、ヒーローとしてキメるの難しいとこあるし。いや、もしもだぜ、あくまでもしもの話だけど」
「ゴールデンライアンもかなり制御が上手いし、無理した能力の使い方をしないから、減退はまずないと思うけどね」
「だから、もしもの話だよ」
 ルーカス医師に、ライアンは肩をすくめた。

「そうですね。それにあなたは色々手広くやっていますから、ヒーローでなくなっても食うに困ることはなさそうです」
 バーナビーが言った。
 確かに、青年実業家としても成功していてルックスも抜群に良く、歌って踊れてトークもキレる、と自他ともに認めるタレントとしても売れているライアンがヒーローでなくなっても、収入面などに問題はないだろう。
「まあ、それはな。いざという時のために色々考えてるから、俺は。将来とかそういうさあ、それに限ったことじゃねえけど」
「……あなた、そういうところしっかりしてますよね」
 生々しいことを言うライアンに、バーナビーは苦笑半分感心した。
 セレブだの何だのと一見やっていることが浮世離れしているようでいて、実際それは彼が普段から堅実な税金対策をしつつの投資、無駄のないビジネス戦略を行って資産を増やした結果でしかない。
 それ以外でも彼は基本的に堅実で、常に保険をかけるタイプである。彼の万能ぶり、その真髄は、広い視野で行われるペース配分の見事さである。見習わなければ、とバーナビーも思っているところでもある。

「俺は保険かけたり予防線張ったりするのが癖みたいになってるとこあるからさ〜、でもオッサンはそういうの全然してなくて、マジでヒーロー1本って感じで……まあ、勢いだけの無計画ともいえるけど。でも凄いよな、素直に。そーゆーのってやっぱかっこいいじゃん」
「あなたアンジェラの経歴もすごい好きですもんね」
「うっせ、今関係ねえだろそれ」
 少し揶揄ったバーナビーにライアンは吐き捨てたが、否定はしなかった。要するに冒険譚に憧れる少年の気持ちとかそういう話であることはわかっていたので、バーナビーは少し笑う。気持ちはわかる、という意味で。
 そして、ガブリエラは「そうなのですか! 本当ですかライアン!」と興奮し、顔を赤くしてテンションが最高潮になっている。ぐいぐい服の裾を引っ張ってくる彼女にライアンはあえてノーコメントを貫き、そのかわりに彼女の額に掌を置いて、ぐーっと押して遠ざけた。「アー!」とガブリエラが動物のような声を上げる。

「いや、でもホントすげえし、ラッキーだぜオッサンは」
 ガブリエラの額を掌で押しながら、ライアンは言った。
「ラッキー……」
「だって努力したってどうにもならねえことだろ、これは」
「……そうですね。それにこれなら、生涯現役も夢ではないかも」
 呆然とした顔で復唱した虎徹に、バーナビーが、微笑みを浮かべて言う。「生涯現役! 素敵です!」と、ガブリエラもライアンの掌の下で満面の笑顔になった。
「天の采配ってやつ? オッサンが、ずっとヒーローでいられるようにってさ」
「ずっと、ヒーローに」
 虎徹は、俯いた。膝の上に置いた手は、自然に握りしめられている。その左手の薬指に光る銀色が目に入った時、虎徹は、声を聞いた気がした。

 ──あなたは、どんな時でもヒーローでいて。約束よ

 病める時も、健やかなる時も。
 そう誓って嵌めた銀色の指輪に、ぽたりとひと粒雫が落ちる。

「天の、采配じゃ、ない……」

 落ちたその雫のように、ぽつりと虎徹が呟いた。俯いた彼より頭の位置が低い楓の耳だけが、その震えた声を拾う。
「そんなんじゃねえ……」
 これは、どこかの見知らぬ神の仕業などではない。
 死がふたりを分かつとも守られた約束がここにあるのは、不確かな運命だとか、偶然だとか、そういうものではないのだと。
「……そうだよね。きっと、お母さんが面倒見てくれたんだよ」
 心を読まれたようなことを言われて、虎徹が顔を上げる。楓が、微笑んでいた。母親そっくりの美しい顔で。
「言ったってお父さんはどうしても無理するから、しょうがないわねって」
「か、楓ぇ〜」
 ぐしゃりと顔を歪めた虎徹は、つい楓に抱きついた。「いつまで抱きついてるのよ!」と、声も亡き妻に似てきた娘から押しのけられるまで。

「あ、そうだ。お嬢さん、アンジェラの能力はもうコピーしないようにね」

 医師というより研究者、と全員が口をそろえて言うルーカス医師が、またも全く空気を読まず、感動のシーンにざっくりと割って入った。皆が顔を上げる。
「今までさんざん色々説明したけど、あらゆる方面で特別、例外なのが彼女の能力だ」
「……どういうことですか? あ、聞いていいのかな」
 楓がハッとしたが、ガブリエラ本人が「構いません」と首を振ったので、ルーカス医師は続ける。そう言わなくても続けたかもしれないが。

「生物、特にNEXT能力者は、自らの生命維持を第一に据えて活動する。──が、アンジェラの能力は別だ。これは、自分のエネルギーを他の生命体に分け与えることが能力そのものになってる」

 でなければ、二部リーグ時代やメトロ事故の時そうだったように、自分が生きるためのエネルギーも能力に回すことなど出来ない。本人の生命維持を第一にする体の仕組みから考えれば、ガブリエラの能力は自分のぶんのエネルギーを確保し、余剰分だけを他人に与えるという仕組みになるはずだ。
 だがガブリエラは、余剰分のカロリーを使い切ると、自分の生命維持のためのエネルギーも能力に変換して他人に譲り渡すことが出来る。──出来てしまう。
 そしてその原因は、未だに解明できていないという。

「そもそもがねえ、アンジェラは全てにおいてアンバランスなんだよ」
 ひときわはっきりした言い方で、ルーカス医師は宣言した。
「アンジェラの能力の場合、もっと身体が健康的に成長してからの発動が理想というか、普通だよ。それなのに肥満レベルで脂肪、つまり熱量カロリーを溜め込んだことと初めての飲酒で脳が混乱したことがトリガーになって、身体の準備ができてないのに発動しちゃってるのがまずなんかもう。これだと第二順応期で相当慎重に調整しなきゃいけないっていうのに、ここでも無茶苦茶だし」
 彼女のように発動時期が悪かった場合、本来はその後の第二順応期で取り戻す、つまりより気を使って身体の成長と順応を管理しなければならない。しかし、ガブリエラはここでもまたその真逆を突っ走っている。
「環境が悪かったのはしょうがないとしても、命の危険があるような所で長年暮らして、トドメに栄養学に喧嘩を売るみたいな無茶なカロリー摂取をこんなに長年! シュテルンに来てから食生活がマシになったけど、いきなりマシになったせいでいきなり身体が成長して、体のバランスが無茶苦茶だ。なにその手脚の長さ! 脚ばっかり伸びてない!?」
 身長に対する比率が虎徹と同じようなガブリエラの脚を見て、医師は嘆かわしいと言わんばかりの顔をした。
「今は矯正してるけど歯並びガッタガタだったし、声もそれ変声期来てないよね。性徴も薄いし……ガッチリ食べさせても適正体重まで増えなかったし……どうせ能力に使うって身体が覚えちゃって溜め込まなくなってるんだよねこれ……」
 あああ、とルーカス医師は頭を抱える。ガブリエラは珍しく薄い眉を寄せ、前歯を出して「ヴー」と小さく唸った。そんな彼女を、ライアンはちらりと見る。

 彼女は自分を頭が悪い「おバカちゃん」だと軽く言うが、ルーカス医師の言う論説が確かならば、その原因は彼女の生い立ちにあるのではないか、とライアンは思っている。
 世界最低の治安状況の土地で生まれ、物心付く前から常に命の危険に気を配らなければいけない状態で育った彼女。本来守ってくれるはずの母親は精神に異常をきたし、彼女を貪ろうとする人々に差し出そうとする有様。
 そしてそこから旅立つも、何千マイルもの、過酷な荒野の旅。偏った栄養状況。さらに心の拠り所であった親友を亡くしながらここにたどり着いた、まだローティーンであった彼女。

 彼女は読み書きや比喩表現を理解することが苦手である反面、四則演算の暗算は特技と言っていいほどに出来る。だからもしかしたら、生まれもってのおバカちゃんな頭の持ち主、というわけではなかったのかもしれない。しかし実際に彼女はそういう人間であり、今ここにいる。
 中庸的なバランスの良さよりも、幾つかの能力の特化が目立つ性格と身体能力。生に繋がる選択を見出し、時に白痴めいて思えるほどものごとを深く考えない代わり、即時行動できる判断力。更には、おそらく──

「何ですか、ライアン?」
「何でもねえよ」

 ライアンの視線にすぐ気づいて振り返ったガブリエラの頭を、ライアンはぽんぽんと叩いた。
 よくわかっていないくせに撫でられて嬉しそうにする彼女は、温かくて清潔な家の中で大事に飼われている、ちょっとお馬鹿で呑気な犬に似ている。荒野で常に気を張り巡らせている、ひとりぼっちの痩せた狼のようではなく。

「とにかくほんと今までがひどすぎるから、これから徹底的に管理するしかない。とにかくバランスの良い食事と、摂取カロリーと消費カロリーに気をつけることで、君の能力は健康的に維持される。君の能力がなくなるなんて、世界の損失だ。くれぐれも! くれぐれも気をつけるように!」
「……はい。気をつけます……」
 テンションの高いルーカス医師だが、大してアンジェラはいつになくぼそぼそした声で返した。そのやり取りを見て疑問符を浮かべるT&Bと楓に、「ルーカスせんせ、ものすげえアンジェラファンなんだよ」と、ライアンが耳打ちする。

「……というわけでね。彼女は色々イレギュラーだしわかってない部分も多いんだ。だから、彼女の能力はもうコピーしないほうがいいよ」

 ルーカス医師のその忠告に、楓はおそるおそる頷いた。
★メイプルキティの冒険★
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BY 餡子郎
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