#088
★メイプルキティの冒険★
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 ──ウォン!!

 では帰ろうか、と皆でぞろぞろ下に降りたその時、大きな音が響いた。
 もしやと思ってジャスティスタワーを出てエントランスの階段あたりまで行くと、大きな白いバイクが停まっているのが見える。

「よしよし、まだいた」

 そう言ったのは、白い大型バイクの後ろから降りながら、濃青に金色のラインが入った真新しいヘルメットを外したライアンである。
 寒くなってきた中でバイクに乗るために厚手のライダース・ジャケットを着ているが、厳ついブーツのせいもあり、大柄な体が余計に迫力を増している。後ろに撫で付けられた金髪がクリスマスイルミネーションの光を反射して、豪勢にきらきら光っていた。

「お、ライアン。わざわざ寄ってくれたのか?」
 軽く手を上げつつ、虎徹が言う。
「顔合わせぐらいはしといたほうがいいかと思って? どうも、お嬢ちゃん。俺の事知ってる? ──って、アレ? あの時の」
「えっ?」
 ゴールデンライアンだとすぐにわかったものの、近くに寄るとますます大きい彼にぽかんとしていた楓は、そう言われて更にぽかんとした。
「え? ライアン、楓のこと知ってんのか?」
「知ってるっていうか」
 驚いた様子の虎徹に言われ、ライアンは首を傾げた。
「んー、覚えてねえ? ジャスティスデーの日にさあ」

 ──お嬢ちゃん、怪しいヤツら見なかった?

「あ、はい! あの時……」
「そうそうあん時。ありがとなー、って、握手できねえんだっけ。じゃエアな、エア」
 そう言って、ライアンは握手をするフリだけをした。その軽い振る舞いと、楓に能力をコピーされたら大惨事になると知っているはずなのに全く構えたところのないライアンに、楓にもつい笑みが浮かぶ。
「いえ、どういたしまして。あの、まさか覚えてるとは思いませんでした……」
「ヒトの顔覚えるのは得意でね」
「よろしくおねがいします、楓です」
「カエデちゃんね。よろしくー」
「はい。……あの、あっちの人は……」
 楓が身体を横に曲げ、階段の下に停まった白いバイクに跨ったままの人物を覗き込んで言った。
「ああ、あいつ。こないだバイクパクられてから、一時駐車恐怖症でさあ」
「はあ」
「悪いけどこっちから行ってやって。おいDoggy、タイガーの娘ちゃんいたぜー」
Doggy……?」
 怪訝な顔で振り返った楓に、虎徹は気まずそうな顔で「気にすんな」と言い、バーナビーは生暖かい目をし、イワンは目を逸らした。そして、パオリンがこてんと首を傾げて言う。
「ライアンさん、ギャビーのこと時々ああ呼ぶんだ。ボクも最初はびっくりしたけど、愛称の“ギャビーGabby”とも似てるし、ヒーロースーツが犬だし、あだ名っていうか、……えーっと、“ボクのワンちゃん”みたいな意味だって。ネイサンが言ってた」
「そ、そうなの?」
「ええまあいいんじゃないですかねそれで」
 バーナビーが、やけに早口、かつ平坦なトーンで言った。これ以上突っ込むべきではないと察した賢い少女は「そうですか」と頷き、ライアンに続いて、皆と一緒に階段を降りていく。

 楓たちが近づいてくると、ヘルメットを被った上下繋ぎの黒いライダースーツの人物はひらりとバイクから降り、慣れた様子でスタンドを立てた。
「すっごい細い……。白いバイク……、あ、犬って……」
 その姿を見て、楓がぼそりと言う。その間にライダーは黒いフルフェイスのヘルメットの留め具を外し、引き抜いた。真っ赤な髪が、中からこぼれる。

「こんばんは、はじめまして」

 少年のような、独特に澄んだ声だった。
「ホ、ホワイトアンジェラ?」
「はい、そうです」
 ガブリエラは、灰色の目を細めて微笑んだ。吸い込まれそうな目から、楓は視線を逸らせなくなる。
「ようこそ、シュテルンビルトへ。私はガブリエラです」
「は、はい! 楓です、よろしくおねがいします!」
 “Gabby”が定形の愛称になる名前、Gabriela。そしてゴールデンライアンとタンデムしていて、ヒーロースーツのモチーフが白いDoggyであるヒーローは、楓の中ですぐに結びついた。
「カエデ、はい、よろしくお願いします。私もSSですが、とても楽しく暮らしています。何か私にできることがあれば、なんでも言ってください」
「……ありがとう、ございます」
 内容もそうだが、美しい声でゆったりと紡がれる言葉に、楓はなんだかほっとした。

「許可が出たのですね。良かったです」
「おー、お前の言うとおりだったわ」
 ありがとな、と虎徹が手を上げる。
「そうでしょう。ペトロフさんは正しいと思えば、必ずおやりになる方です」
 ガブリエラは、確信をもって頷いた。
「今日中に挨拶ができて良かったです。明日は、私もライアンと一緒にトレーニングルームに行きますので、ゆっくりお話しましょう」
「はい」
「寒いので気をつけて──、ああ」
 ガブリエラがライダースグローブを外し、細い指を楓の顔に伸ばす。能力が目覚めてからこっち他人との接触にびくつくようになった楓は肩を跳ねさせたが、ガブリエラはごくゆったりと、楓の口元に指を近づけた。
 ふわ、と青白い光。口の端に、とても暖かいものが触れた気がした。
「痛かったでしょう。もう大丈夫」
「あ、唇……」
 寒さでかじかみ、僅かに裂けていた唇がつるんと綺麗に治っているのに気づいた楓は、目を見開いた。痛くてたまらないという程ではないが、何かとちりちりと痛んで気になっていたそこを舐めても、もう血の味はしない。

「あ、ありがとうございます」
「……ふふ、いいえ」
 なんだか、耳の奥をくすぐるような笑い声。楓はぞくりとした。
「寒いですので、暖かくして。手袋を持ってきたほうがいいですよ」
 分厚いライダースグローブをはめながら言ったガブリエラに、楓は何とか頷いた。
「ではカエデ、また明日」
「はい、また明日」
 ガブリエラは笑顔を浮かべたまま頷き、慣れた様子で長い赤毛をヘルメットの中にしまいながらかぶると、グローブを嵌め直した。
 細い脚がひらりと翻り、巨大なバイクに跨る。既に後ろに座っていたライアンが、彼女の腰にがっしりと太い腕を回した。
 実際には彼がガブリエラに掴まっているのであるが、ガブリエラがあまりに細いせいで、彼女のほうがライアンに捕まえられているように見える。

 ──ウォン!!

 耳障りなところのないクリアなエンジン音が響き、大型バイクが滑らかに発進した。
 あっという間に小さくなっていく白い軌跡を、楓はほうっと息をついて見送る。

「かっこいいー……」
「かっこいいよね! ギャビーのバイクの後ろ、すっごく楽しいよ!」
「パオリン、乗ったことあるの? いいなあ」
 楓が羨ましそうに言うと、パオリンはえへへと笑った。
「確かにアンジェラさんはイケメンですよね、相変わらず」
「ええ、ライアンが“最近アンジェラのほうがまずかっこいいって言われる”、と愚痴っていました」
「まあ、おふたりともイケメンなんですけどね。イケメンカップル。もうネットでも定番の評価で……」
 バーナビーとイワンが、頷き合いながら言う。

「よし。じゃ、そろそろ帰るかあ」
 そう言って、虎徹は娘の手を取った。
「じゃあなバニー、キッド、折紙」
「今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
 手を繋いで振り返りつつ言う鏑木親子に、3人は手を振った。

「ええ、また明日」
「また明日ね!」
「お疲れさまです」



 近くにある駐車場まで歩く間、楓は空を見上げた。暗い空に、白い息が消えていく。
「星、少ねえだろ」
 オリエンタルタウンは星が綺麗だもんな、と、虎徹はぼんやりとした口調で言った。
「うん。でもイルミネーションが綺麗」
「そっか。……なあ楓」
「何?」
 虎徹の、体温の高いごつごつした手が、楓の手をぎゅっと握り直した。

「SS認定されてシュテルンに来なくちゃいけなくなったけど、……嫌じゃないか? 辛くないか? オリエンタルに戻りたくなったら、言えよ。会社にももう言ってあるんだ。休みとって、一緒に戻るから」
「お父さん」
 楓は、目を丸くした。
 スケートの発表会だ、授業参観だ、誕生日だと言ってもなんだかんだとヒーロー業を優先させ、約束を破ることの多かった虎徹が、楓がなにか願う前に、具体的に何をどうしたとはっきり言ったからだ。

 以前は、いや今も、楓との約束を破りがちな虎徹に、やるせない気持ちを抱くことは多い。しかし楓はそれで涙を流せば流すほど、同時に、虎徹にとってヒーローというものがどれだけ大事なものなのかも、嫌というほど思い知らされてきた。
 なのに虎徹は今、楓を優先するのだと、はっきりとそう言ったのである。楓はこみ上げるものをこらえ、ぐっと唇を噛み締めた。

「やだなあ。そんなに早くホームシックにならないよ」
「そうか? 学校も終業式前だったし、できれば最後まで……」
「いいよ全然」
 その口調には、妙に検があった。楓はしまったという顔をしたが、虎徹は既に何かを察した顔をしていた。──経験があったからだ。
「なんか、言われたのか」
「別に。NEXTは学校来るなとか、お決まりのヤツ」
「……くそ。いつになったらそーゆーとこ……」
「しょうがないよ、田舎だし」
 楓は軽く言ったが、虎徹は表情を険しくする。
 オリエンタルタウンは風情のあるいい町だが、しかし、価値観が古すぎるところが多々ある。村社会ともいえるようなコミュニティにそれが加わると、悪い方に転がった時に手がつけられない。虎徹自身がそういう環境で育ち、虎徹自身も、そして安寿や村正も相当な苦労をしたのでよく知っている。

 だがNEXT差別は、特別古い価値観だから行われることではない。とある少年は、楓と同じフィギュアスケート教室に通っていた少年たちからNEXTであるということでの差別を受け、シュテルンビルトでテロと言ってもいいような騒動を起こした。
 人形であればかなりの巨像であっても触れることで意のままに操る、という強力なNEXT能力の持ち主であったトニーという名前のその少年は、ワイルドタイガーの説得で思い直した。
 しかし街に甚大な被害を出した彼はSSレベル能力者として登録され、現在は監視をつけられて施設で暮らしている。

「大丈夫、気にしてないよ。……制御できない以上、怖がるのはわかるしね」
「でもよ……」
「それに、お互いに気分が悪くなるのにわざわざ行かなくてもいいって、おばあちゃんも村正伯父さんも言ってたし。仲いい子はちゃんと怒ってくれたり、心配してくれたから」
 楓は、明るく笑って言った。その表情が、虎徹にはどうにも健気で痛ましく感じられてならない。しかしそこで重ねて自分が落ち込むのがよくないことはわかっていたので、無理やり微笑み返した。
「そっか。楓は強いな。さすが俺と友恵の子だ」
「でしょ? ……こっちの人はヒーローのおかげでNEXTに偏見が少ないし、きっと過ごしやすいよ。皆すっごく親切で、いい人だし」
「……うん、そうか。そうだな。ホントそうだ。みんなすげえいい奴なんだよ」
 虎徹は、噛みしめるように言った。

「だから、お父さんが楓のためにちょっといなくなっても、……バニーとか、みんなが、なんとかしてくれるから。だから楓は気にしなくていい。戻りたくなったら、ちゃんと言ってくれ」
「うん、……そうなったら、お願い」
「わかった」
「……でも、ちゃんと戻ってね。だってお父さん、ヒーローだから」

 そう言った楓に虎徹は驚いた顔をして、そして、ぐしゃっとした笑顔を浮かべる。

 それから父娘は、バーナビーはやたらに楓に優しいとか、楓の前以外では本当はもっと子供っぽいんだとか、イワンは普通にしていれば格好いいのに残念だとか、カリーナは生で見ても物凄い美少女だとか、スカイハイはいつでもどこでもスカイハイだということなど、彼らについての話を色々した。

「ホワイトアンジェラって、独特な雰囲気の人だね」
「お、楓、アンジェラの第一印象いい感じ?」
 虎徹が、楓の顔を覗き込んだ。
「第一印象っていうか……メトロ事故の中継、私もずっと見てたから。その時から、すごい人だなあって思ってたよ。天使とか聖女様みたいな人って、ほんとにいるんだなって」
「ああ、まあ、そうだな。あの時のアンジェラはほんとに凄かった。あの事故のときだけじゃなくて、二部リーグ時代の活動も、これぞ人助けって感じで」
「うん」
 真面目な顔で言う虎徹に、楓も同じような表情で頷き返した。

「実際会ってみたら、神秘的なルックスでびっくりした。聖女様っていうよりは、森の妖精とかエルフっぽい感じ?」
「わかるわかる。折紙が“黙ってればエルフ”って言ってて、お前もなーってみんなで言いながらほんとそれって──」
「黙ってれば?」
「あ、いや何でも」
 虎徹は、何かを誤魔化すように目を逸らした。

「ま、癒し系キャラだよな。能力と一緒で」
「うん、ホッとする感じだった」
「……アンジェラはあの無害も無害な能力な上にお前と同じSSだから、参考になることも多いだろ。女同士だし、基本的にニコニコしてる奴だから話しやすいと思うし、色々聞いてみろ。絶対嫌な顔とかしないから」
「うん」
「俺からもアンジェラに頼んどくから。ライアンも、見た目厳ついけど当たりは柔らかいし。怖くなかっただろ?」
「全然。楽しそうな人だね」
「確かにな。あいつ、最近アンジェラといる時は特に楽しそうでさあ」
 虎徹は、明るく笑った。

 ふと、沈黙が落ちる。

「……楓」

 虎徹は、しっかりした声で言った。

「楓。俺はヒーローだけど、それで嫌な思いさせることもいっぱいあるけど、お前の父親だからな。お前のためなら何でもするから」
「……お父さん」
「辛かったら泣いてもいい。我慢と、隠し事だけはしないでくれ」
「それ、お父さんが言うかなあ」
「だっ、それは、……あー、ゴメン」
「いいよ、もう。しょうがないんだから」
 楓が苦笑すると、虎徹は、目を細めた。茶色の目にイルミネーションの光が滲んだ、蕩けるような笑顔。──泣きそうな顔にも見えて、楓はどきりとした。

「……お前、どんどん友恵に似てくるなあ……」

 俯いた父の手を、楓もまた、強く握り返した。






「こんにちは、鏑木楓といいます。鏑木・T・虎徹の娘です。ご無理を聞いて頂いて、ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくおねがいします」

 深々と頭を下げた楓に、アレキサンダー・ロイズは、ふむと頷いて片眉を上げた。
「よろしく、私はロイズだ。ここは大人のビジネスの場で、本来は子供が来るようなところじゃない。会社に来る時は、お父さんの──いや、バーナビー君のいうことをよく聞いて行動するように」
「ロイズさん、なんで言い直したんですか!」
 喚く虎徹を無視して、楓は「わかりました」と頷いた。
「それと、お世話になるので……あのこれ、よろしければ」
「おや、これはこれは。サケ、かな? そういえば、実家は酒屋をしていると言っていたね」
 楓が差し出した桐箱を受け取ったロイズは、中に入っている、そこそこの値段がしそうな、品のいい日本酒の瓶を眺めて言った。色々な所に無理を聞いてもらうのだからと、虎徹の兄の村正が持たせたものである。
「はい、伯父の店です。気に入られたら追加注文も受け付けますので、こちらの連絡先にどうぞ。シュテルンビルトへの宅配も受け付けています」
「……君の娘とは思えないほどしっかりした子だね」
「ええもう、ウチの楓はほんとに賢くってぇ」
「虎徹さん、楓ちゃんは褒められていますがあなたは褒められていませんからね?」
 感心しきりといった様子のロイズとでれでれとする虎徹、呆れた様子のバーナビーであった。

「これほどしっかりした子なら、そう問題も起こさないだろう」
 ロイズはそう言ってアポロンメディア社内の通行許可証を楓に渡し、部屋を出て行く3人を見送り、そろそろクッションがへたれてきた椅子に腰掛けた。

 マーベリック事件、続いてシュナイダー事件と、企業として成り立っているのが不思議なほどの大スキャンダルを連続で起こしたアポロンメディアで、ロイズは大変な苦労をした。
 会社を立て直すため、ロイズは形振り構わずがむしゃらに走り回った。その働きがあったからこそアポロンメディアは今でも存続していられるということはアポロンメディアの社員なら誰でも知っていることで、そう言う意味で、社員たちにとってアレキサンダー・ロイズはまごうことなきヒーローである。

 ロイズは今まで、妻と子供たちのヒーローでいられるなら他で何と呼ばれようとも、という信念で仕事をしてきた。しかし仕事でヒーローと呼ばれるのも悪くないな、と若くない身体に鞭打ちつつ思ったからではないが、虎徹がおずおずと求めてきた、SS認定された娘を会社に連れてくる許可を出した。
 自分と同じ家庭のある身で年甲斐もなく少年のように理想のヒーロー像を追いかける虎徹に苛つきを覚えたことは何度もあるが、子供に罪はない。
 それに彼は今回、もし娘に何かあった時はヒーロー業を休業する、とまで言ってきた。ロイズはその要望にも、既に許可を出している。まあ君がいなくてもバーナビー君がいるからなんとでもなるよ、といつもどおりの皮肉を言って。

「……ふむ。社員の子供たちの会社見学、というのもいいかもしれないね」

 職場でヒーローと呼ばれている姿を子供に見せて、お父さんかっこいい、と言われるのは悪くない。ああまったく悪くないな、と思ったロイズは少し笑いながら、今日のスケジュール表を呼び出した。



「ロイズさんが思ったより好意的で驚きました」
「そうなんだよ。ここ2年ぐらいで散々苦労したせいか、最近あの人優しいんだよなあ。元々子供には優しいだろうなとは思ってたんだけど」
「そうなんですか?」
「うん。だってあの人子供いるし、しかも5人」
「5人!? へえ、知りませんでした」
「俺も最近知ったんだけどな。──よっしゃ、終わり!」
「えっ」

 タン! とエンターキーを押した虎徹に、バーナビーは驚いた声を上げる。
「もう終わったんですか? ……いつもそれくらいしてくださいよ」
「だって楓がいるしさあ。楓がコーヒー淹れてくれるし、休憩は一緒にオヤツ食べられるし、でへへ」
 だらしない笑みを浮かべた虎徹に、やれやれ、とバーナビーは眼鏡のブリッジを押し上げる。
「まあ仕事が捗るなら何よりです。僕もそろそろ終わるので、適当にしておいて下さい」
「りょーかい」
 バーナビーに頷いた虎徹は、パーテーションの向こうにいる楓に目線を向けた。

「かーえーでー。何してんのお?」
「宿題してたけど、終わったから、これ見てる」
 きちんと重ねられた問題集を傍らに、楓はテレビ画面を示した。そこには、HERO TVの過去映像が流されている。──随分と昔の映像。写っているのは、青と白のヒーロースーツ。
《──来たぞ、ワイルドタイガーだ!》
「えええええええちょっと、何観てんだぁ!?」
 昔の自分がでかでかと写された画面を見て、虎徹が声を上げる。その声に、こちらも仕事が終わったらしいバーナビーが席を立ち、覗き込んできた。
「……ああ、虎徹さんの黄金期ですよね。これは最初にKOHになった年の」
「KOH!?」
 楓が、ひっくり返った声を上げた。バーナビーは微笑んで頷く。
「そうですよ。30歳くらいまでの虎徹さんは、本当に凄かったんです。KOHは5回受賞ですね。当時から壊し屋と言われていたのは変わりませんが」
「だっ!」
 褒め言葉にそわそわしていた虎徹は、上げて落としたバーナビーに、ずっこけた声を出した。

《ワイルドに吠えるぜ!》
「……お父さん、最初から決め台詞変わってないんだね」
 楓が言うと、虎徹は、深い笑みを浮かべた。
「そうだよ。友恵が……お母さんが考えたんだ、これ」
「お母さんが?」
「俺と同じぐらいヒーローマニアだったからなあ」
 虎徹は、しみじみと言う。
「ワイルドタイガーの衣装も決め台詞も、だいたいお母さんが考えたんだ。虎徹君はセンスがないのよとか、しょーがないわねー! とか言って」
「それお母さんのマネ? きもい」
「きもいって言うな! ものすごく傷つくから!」
 泣き言を言う虎徹にバーナビーが笑い、楓は画面に目線を戻した。

 ──虎徹が、30歳程の頃。
 それは楓が物心つくかつかないかの頃で、母、友恵が死んだ頃でもある。



 午前中にアポロンメディアで書類仕事やミーティング、ヒーロースーツの調整を終わらせ、虎徹とバーナビー、楓は近くのカフェで昼食を摂った。

「そうそう楓ちゃん、これ」
 オリエンタルタウンではあまり食べないチーズたっぷりのパスタを食べている楓に、バーナビーが手早く端末を操作しながら声をかけた。
「これ、何?」
「虎徹さんと僕のスケジュール。僕のプライベート端末とオンライン同期してあるから、何もしなくても勝手に更新されるよ。メールで送るから、端末に入れておいて」
 バーナビーに言われた通り、送られてきたメールについたアイコンをタップすると、整然と整理されたタイムスケジュール表が、楓の端末に展開された。
「わあ」
「終わったら、僕がチェックを入れる。すぐ反映されるから。これがあれば、離れていてもどこで何をしているかわかっていいでしょう。待ち合わせや合流もしやすいしね」
「へえ〜、いいじゃん。わざわざ作ってくれたのか?」
 ボリュームたっぷりのピザを頬張っていた虎徹が、感心しきりという様子で覗きこむ。
「そんなに大したものではありませんから」
「ありがとな、バニー」
「ありがとう、バーナビー」
 楓が来てからというもの、親身に、親切に、とにかく色々としてくれるバーナビーに、父娘は感謝した。ヒーローたち含め他の者たちも何かと親切にしてくれるのだが、その殆どはバーナビーが連絡口になったり、頼んでくれたりして成り立っている。

「それで、これからなんだけど。今日僕らはテレビの収録と撮影、あと消防との連携演習があるから、ジャスティスタワーには行かないんだ。これを食べたらファイヤーエンブレムが迎えに来るから、一緒にジャスティスタワーに行って、いつもどおり皆と過ごして」
「わかった」
 今日の予定については虎徹から既に聞いていた楓は、頷いた。
「終わったら迎えに行くけど、遅くなりそうだったら、ファイヤーエンブレムんとこに泊まってもらうかもしれないんだけど……。ごめんな、楓」
「ううん」
 申し訳無さそうな虎徹に、楓は首を振りつつ、スケジュールを指でスライドさせた。

 スケートの発表会、授業参観、誕生日。絶対に帰ってきてねと言っても、約束を破ることの多かった虎徹。
 きっかり5時に仕事を終わらせて帰ってくるというクラスメートの父親を羨ましいと思ったことも、何度もある。しかし、楓の所に戻ってこない虎徹が実際に何をしていたのか、どうして来てくれなかったのか、楓はいちども聞いたことがなかった。
 そして虎徹も、言い訳をしたことはない。約束したのにと怒るばかりの楓に、虎徹はいつも参ったような、困ったような、そして悲しそうな顔をして、ごめんなと謝った。
 楓は、父のスケジュール表を指でなぞった。バーナビーが送ってくれたスケジュールは向こう1ヶ月程度のものだったが、予定が何も入っていない日はほとんどない。時々オフの日があるが、トレーニングは毎日行っている。それにそもそも事件が起これば、休日も何もなくなってしまう。
 深夜に事件が起こることも、少なくはない。こんなスケジュールで本当にちゃんと寝られているのだろうか、と楓は心配になる。先日から寝泊まりしている虎徹の部屋は綺麗に片付いていたが、こんなスケジュールならば、部屋をしっかり片付けるよりベッドに倒れこんで寝てしまいたいと思うのも、無理はない。

「……お父さん、忙しいんだね」
「ん? そりゃあ、ヒーローだからな」
 虎徹はあっけらかんと言って、ピザの最後のピースを口に押し込んだ。
 そうして昼食を終えると、虎徹とバーナビーにはアポロンメディアのポーターが、楓にはネイサンが真っ赤なオープンカーで迎えに来た。楓はネイサンの助手席に乗り、2人と別れる。

「……お父さん、お仕事がんばってね!」

 ポーターに乗り込む虎徹に楓が言うと、虎徹は満面の笑みを浮かべて、「おう、頑張る!」と大きな声で返した。






「アラ」
「あっ」

 ジャスティスタワーの立体駐車場に入ろうとした時、入り口で鉢合わせた白い大きなバイクに、ネイサンと楓は声を上げた。
 ガブリエラが手早くウィンカーを多めに点滅させ、後ろに跨っているライアンがひらひらと軽く手を振ってくる。楓が手を振り返す間もなく、ふたりはさっさと駐車場に入っていった。

「こんにちは。カエデ、ネイサン」
「うぃーっす」
 駐車場から出たところの従業員専用エレベーターホールで、ガブリエラとライアンはわざわざ楓たちを待っていたようだった。
「こんにちは! 今日はよろしくおねがいします!」
「んー? なんか体育会系〜? もっとユルくいこうぜ、ユルく」
「は、はあ」
 相変わらずゆったりした様子のライアンに、楓は少し面食らった。

 ライアンは背も体格もバーナビーより大きく、黙って立っていれば相当迫力がある。しかし動いて喋ると、彼はいつも軽々と、そして飄々としていて、悪い意味での圧迫感は微塵もない。
 それこそそれで食べていけるほどの文句なしのイケメンだが、男らしさが先に立った顔立ちは、はっきり言えば強面。だが二重の幅が広い垂れ目には愛嬌のある下睫毛が目立ち、猛獣じみた金色の目はよく見ると柔らかな緑が混じっていて、いつもなにか面白いことを探すような煌めきに溢れている。それに、顰めっ面にも見える太めの眉は、器用に片方上がると途端にコミカルになる。
 そうして目元だけでも彼の人柄は充分に現れているが、更に唇の薄い大きな口の端がいつもにゅっと上がっているのは、カートゥン・アニメのキャラクターのような憎めなさがあった。

「王子様はユルすぎなのよ。まあリラックスして過ごすのはアタシも賛成だけど」
「そうですとも。私たちに気を使う必要はありません」
 ネイサンとガブリエラも、頷く。そうしているうちにエレベーターが降りてきたので、4人は揃って乗り込んだ。
「カエデは、今何歳ですか? 能力発動はいつ?」
「今は12歳です。能力は、10歳の時」
「そうですか。私もあなたと同じくらいで、能力を発動しました。最初は大変でしたが、なんとかなりました。カエデもがんばって」
「……はい!」
 微笑みかけてくれたガブリエラに、楓も微笑み返した。



 ライアンと別れ、単独行動禁止の楓はネイサンとガブリエラにくっついて、女子更衣室にやってきた。
 慣れた様子でトレーニングウェアに着替えたヒーローふたりであったが、ガブリエラはしばらく自分の赤い髪をもたもたと扱い、やがて潔く諦めた。
「すみませんネイサン、髪を縛ってください」
「いいわよ」
 鏡に向かって入念にメイクを直していたネイサンが、にこりと笑ってブラシを手に取った。

「ただ縛るのも面白くないわねえ。……ああそういえば確か楓ちゃん、前に割と凝った髪型にしてたわよね」
 ガブリエラの髪をとかしながら、ネイサンが言った。
「前髪が編んであるやつ。あれ、自分でやってたの? それともお祖母様?」
「あ、自分で……」
 よく覚えているなあと思いつつ、楓は頷いた。母が生きている頃は母、それ以降は祖母、いつのまにか自分でするようになったヘアアレンジは、楓のちょっとした趣味のひとつでもある。
「アラ女子力高いわね。あれどうやるの?」
「えーっと、普通の編み込みなんですけど、片方だけこう……」
「ああなるほど。こうね」
「はい。あ、後ろでやったほうがすっきりするかも」
「そうね、運動するんだし」
 楓がやり方を教えるとネイサンはすぐに把握し、すいすいとガブリエラの髪を編んでいく。

「……すっごい赤。綺麗」
 あまりに鮮やかな赤い色。染めているのかと楓はまじまじ見たが、生え際の根本まで綺麗にその色で、何より睫毛や眉も同じ色である。ほうと見惚れた息を吐くと、ガブリエラが鏡越しに微笑んだ。
「ありがとうございます」
「ほんとに綺麗。このまま伸ばすんですか?」
 ガブリエラの髪はもうすっかりロングヘアで、そろそろ腰に届こうとしている。

「悩んでいるところです。伸ばすのは初めてなので、切るタイミングがわからなくて、結局こんな長さになりました」
「切るの、もったいないです」
「すぐ伸びるので、あまりもったいないとは……半年前は丸刈りでしたし」
「ええ!?」
 楓は、素っ頓狂な声を上げる。するとガブリエラは、メトロの事故前後の頃や、退院後に美容院に行き、ショートカットになった頃の写真を端末に表示して楓に見せた。
「こ、これほんとに? あ、でもショートカットかっこいい……」
 もみあげや襟足を潔く刈り上げ、ツーブロックのショートカットからピアスがよく見えるスタイルを見て、楓が言う。
「後ろが短いのは変わっていないですよ」
「え? あ、ホントだ!」
 よく見てみると、ガブリエラの襟足から耳の後ろのラインまでが、ショートカットの時と同じようにごく短く刈り上げられているのがわかって、楓は更に驚いた声を上げる。
 ガブリエラは「暑いですし、全部伸ばすともじゃもじゃになりますからね」とあっさり言ったが、ロマンティックともいえる真っ赤なロングヘアの下から出てきた大胆さに、楓は目を丸くして驚いた。

「はい、できた」
 金の星の飾りがついた髪留めでガブリエラの髪をまとめ終わったネイサンは、その赤い頭をぽんと優しく叩いた。
「ワォ、素敵です! それに後ろが涼しい! ありがとうございます、ネイサン。楓も」
 鏡越しに、ガブリエラが微笑む。
「うん、イケてるじゃなァい。センスあるわね」
「そ、そうですか?」
 トレーニングウェアに着替え終わってやってきたネイサンにも褒められ、楓はぎこちなく返した。

 楓が提案し、ネイサンが施したのは、アシンメトリーなサイドテール。三つ編みはこめかみ辺りから後ろを通り、後頭部を斜めに横切るような片編み込みにしてある。
 体を動かすのだからと、楓自身がフィギュアスケートの大会の時によくやるスタイルを紹介したのだが、細かくウェーブした赤毛のガブリエラがすると、全く違う髪型のようになった。
 しかも頭の下半分がさっぱり刈り上げられているので、三つ編みがセパレート部分を目立たせる。左右合わせて7つもあるピアスも、よく見えるようになった。

 ガブリエラは、中性的な顔立ちに細く背の高い体躯という容姿の持ち主だ。先程までのようにロングヘアを下ろしたスタイルだとまさに妖精や森のエルフのように神秘的でロマンティックな雰囲気だったが、こうしてアレンジを変えただけで、一気に前衛的なスタイルになった。
 そのギャップに、楓は少し戸惑う。世間では、自分の身を犠牲にして92人を救った天使、聖女と讃えられる彼女。神秘的な雰囲気の癒し系というのが、彼女の素顔への第一印象。話してみると、いつもニコニコしていて接しやすく、フレンドリー。しかし巨大なバイクを凄まじいテクニックで駆ることや、エキセントリックな発言や行動がメディアで話題になったことも知っている。
 どれが彼女の素なのだろうかと、楓は、今の自分と同じ年齢で能力を発現したという彼女の後ろ姿をじっと見た。

「それにしても、ほんとに伸びたわねえ。この長さでキープするの?」
「うーん、どうしましょう。長いと邪魔になる時がありますし、丸刈りは丸刈りでこまめに刈らねばなりませんし」
「なんで両極端の二択なのよ。百歩譲ってサロンでやってもらうならまだしも、セルフの丸刈りは却下よ」
「はい、もうしません」
「そうね、王子様にも怒られるし?」
「王子様? ……ライアンさんのこと?」
 ふたりの会話に、楓が首を傾げる。
「そうよぉ。この子、王子様に言われたから髪伸ばし始めたの」
 健気よねえ、とネイサンが赤い頭をコツンと小突く。

「……ふふ」

 鏡越しに微笑んだガブリエラの表情に、楓はなぜかどきりとした。
★メイプルキティの冒険★
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BY 餡子郎
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