#087
★メイプルキティの冒険★
2/24
「楓、大丈夫か? 寒くないか?」
「大丈夫だってば、もう」

 車を運転しながらしきりに自分を気遣う虎徹に、後部座席の楓は苦笑する。
 シュテルンビルトは夏でも猛暑と言うほどにはならないエリアだが、冬は雪深くなるオリエンタルタウンほどではない。しかしそれを見越して今はもこもこに着膨れているし、車内のエアコンもあるので暑いくらいだ。
 楓も習い事であるフィギュアスケートの大会などでシュテルンビルトに来ることもあるが、その時はいつも祖母の安寿か、伯父の村正と一緒だった。
 しかし暫定とはいえ特別監視対象NEXTに指定された今、家族といえど、保護者資格のない者と規定以上の距離を移動することは認められていない。それに能力の内容から、他の誰に触れるかもしれない公共交通機関も使えない。
 そのため虎徹は丸1日の休みを取って、修理から戻ってきたばかりの愛車を運転して楓をオリエンタルタウンまで迎えに行き、こうしてシュテルンビルトに連れてきたのであった。

「すっかりクリスマスだな」
「うん。オリエンタルタウンはここまでじゃないから……綺麗だね」
 暗くなり始めていることもあり、流れていく景色のそこかしこにイルミネーションの光が輝き、飾り付けが目立つ。都会ならではの、人工の設備が作る美しい景色。
「女の子は、こういうの好きだろ。クリスマスイベントもあるからな、一緒に行こうな」
「……いいよ、気を使わなくたって」
「気なんか使ってねえよお。パパは楓と一緒にいたいだけ!」
「パパって言わないで!」
 楓は眉を吊り上げたが、バックミラー越しの虎徹の顔はでれでれとだらしない。
 以前はその顔にいらいらするばかりだった楓だが、今は「もう」と頬を膨らませ、しょうがないなあ、と思うに留まるようになった。
 その表情が亡き妻である友恵そっくりだと虎徹が思っているからこそ彼が更にだらしない顔になっていることを、彼女は知らない。

「……不安もあると思うけどさ。お父さんはお前のためならなんだってするし、仲間達も協力してくれるって言ってくれてるから。大丈夫だから、お前は気を楽にしてろ」
「うん……」
 こくり、と楓は頷いた。虎徹の仲間達、すなわちヒーローたちが自分のために色々と協力することを了承してくれたということは、事前に電話で虎徹から聞いている。
 とても驚いたが、何しろ天下の一部リーグヒーローが、総出で力になってくれるというのである。こんなに心強いこともないと、楓よりも安寿や村正のほうが喜び、安心したようだった。
 そしてこのふたりが安心してくれたことで、楓もやっと少しだけ、肩の力を抜くことが出来た。

「んじゃ、晩飯食うぞ。腹減っただろ」
「お父さんのところで?」
「んん? もしかして、久しぶりにお父さんのチャーハン食いたい?」
「ううん全然」
 楓があっさり首を振ったので、虎徹はがっくりした。
「あ、そう。……レストラン予約してんだよ。挨拶兼ねてな」
「レストラン!? お父さんが!? ……って、挨拶?」
「そうそう、これから世話になるからな」
 首を傾げる楓に笑いかけて、虎徹はパーキングエリアに向かってハンドルを切った。



「あら〜ん、前会った時より大きくなったわねえ。かわいいわあ」
「おう楓ちゃん、久しぶりだな」
「やあ、楓ちゃん。今日からほとんど毎日顔を合わせると思うから、よろしく」

 パーキングエリアのすぐ横にあるレストランで待っていたのは、ネイサンとアントニオ、バーナビーだった。
「こ、ここここんばんはバーナビーさん! アントニオおじさん、お久しぶりです! え、えっと、毎日? その、そちらの人はもしかして……」
 バーナビーの大ファンである楓は顔を赤くして背筋を伸ばし、そして、背の高い、見るからに男性だがどこまでも女性らしい姿を、おそるおそる見上げた。
「んふ、ご想像のとおりよ。よろしくねん」
「は、はい。え、でもええと、私にお顔見せちゃって、いいんですか?」
「そりゃ、これから色々接することになるしね。元々アタシは顔隠してるんだか隠してないんだか微妙な感じだし。ネイサンって呼んでちょうだい」
「っていうか、お前は喋ったらすぐわかるしな」
 確かに、ネイサンはヘリオスエナジーのオーナーでありつつヒーローである、と公言しているし、アントニオの言う通り、特徴的な仕草と声で、同一人物だとすぐに分かる。

 そうこうしているうちにウェイターが来たので、既に予約していたコース料理の確認が行われる。もこもこの上着を脱いだ楓は、もっとよそ行きの服を着てくれば良かったと後悔しながら、がちがちになって椅子の上でかしこまった。
「そう固くならないで。これから、少なくとも1ヶ月以上は一緒に過ごすんだから」
「そ、それなんですけど。バーナビーさん、一緒にって……?」
「君の法定代理人……基本的な保護者は虎徹さんだけど、やっぱり仕事もあるからね。虎徹さんの手が離せない時は必然的に、側にいる僕と一緒にいることになる」
「えっ、えええええ」
「短時間なら、法定代理人でなくても保護者として認められるんだ。正式には一時管理人っていうんだけど」
「事前に提出がいるけど、バニーはもちろん、みんなサインしてくれたからな! 誰に頼ってもいいぞ、楓!」
 そう言って虎徹が取り出したのは、提出書類の複写だった。『一時管理人』の欄に、収まりきれないほどの人数の名前が、詰めに詰め、はみ出したものもありつつ書き込まれている。
「そうそう。ここに名前がある人には、遠慮せずになんでも言っていいんだよ、楓ちゃん。だから君は閉じこもったりせず、いつでも好きな所に行けるんだ」
 にっこりと微笑むバーナビーに、楓はおおいに狼狽えた。ヒーローたちが協力してくれるとは聞いていたが、ここまで至れり尽くせりでしてくれるとは、全く想像していなかったからだ。

「アラアラ、かわいい。でもハンサムもあなたのパパと同じアポロンメディアの社員だから、一緒に手が塞がっちゃう時もあるわ。……事件が起こった時とかね」
 最後は少し声を潜めて、ネイサンが言った。
「そういう時はアタシの出番ね。ウチの秘書チームは、レベルSのNEXTも多いの。つまり、あなたの保護者資格があるのよ」
 NEXT差別撤廃運動の一環も兼ね、そして何よりネイサン自身の意志で、ネイサンの周りの社員は、NEXT能力者が多い。
「アタシたちが仕事で出払ってる時は、ウチで秘書たちと待ってればいいわ。もちろん、お買い物に行ったり、遊びに行ったりしてもいいわよ。みんな可愛い女の子の世話が焼けて、喜ぶわ」
「助かるぜ、ファイヤーエンブレム。よろしくな」
「やっぱり年頃の女の子ですものねえ」
 虎徹は頼もしげにしているが、楓本人はついていけず、ぽかんとするばかりだ。

「もちろん俺を頼ってくれてもいい。家族みたいなもんだ、気を使わなくていいだろ」
「アントニオおじさん、……うん」
「他のヒーローも皆、協力してくれるからな。未成年のブルーローズとキッドは保護者にはなれねえけど、女の子同士だし、気持ちの面で安心できるんじゃないか?」
「う、うん……」
 確かに年の近い同性、しかもかつて実際に接したことがあるとはいえ、天下のスーパーアイドルにしてヒーローである。楓はどぎまぎしながら頷いた。
「保護者は、スカイハイか、折紙ならオッケーだ。折紙は成人したばっかりだけど、しっかり者だから大丈夫だろ」
「スカイハイ!? 折紙サイクロン!?」
「あとはライアンと……ん? アンジェラはいいのか?」
「ライアンって、ゴールデンライアン!? アンジェラって、ホ、ホ、ホワイトアンジェラ!?」
「落ち着け」
 ひっくり返った声を上げた娘に、虎徹は苦笑した。

「だ、だだだだって、だって、お父さん!」
「あーまあびっくりするよな。でも心強いだろ?」
「心強いどころじゃないよ! 恐れ多いよ!」
「気にすんなって。あ、アンジェラもお前と同じ特別監視対象のSSレベルだけど、ヒーロー免許持ちで一時管理人資格あるからな。まあアンジェラがいるならライアンもだいたいセットだと思うけど」
「ちょっとまって話についていけない」
「慣れろ。……あー、ライアンの能力はちょっと危ねえけどアンジェラの能力なら安心だし、女同士だし、色々聞いてみろよ。ちょっとぶっ飛んでるけど良い奴だぞ」
「あ、料理が来ましたよ」
 バーナビーが、朗らかに言った。
「さあお食べなさい、お飲みなさい。今日はアタシのおごりよ」
 ネイサンが高らかに言う。美しくも美味しそうなオードブルが並べられ、大人たちにはワイン、楓のグラスにはジュースが注がれた。

「では、楓ちゃんを歓迎して。ようこそ、シュテルンビルトへ」

 バーナビーの宣言でグラスが打ち鳴らされ、乾杯。
 皆美味そうにワインを口にしていたが、楓はジュースがどんな味をしているのかよくわからなかった。



「あーそうだ楓、悪いんだけど、お父さんの部屋全然片付いてなくてさあ」
「はあ!? ちょっと、あれだけ綺麗にしといてねって言ったのに!」
 和やかな食事のせいかいくらか緊張が取れてきた頃言った虎徹に、信じらんない、と楓は憤慨した。
「ゴ、ゴメンって。最近夜に事件が起こることが多くって」
「だからって──」
「大丈夫だよ、楓ちゃん。今日は僕の家に来ればいいから」
「ふあい!?」
 肩を竦めて縮こまる虎徹に怒鳴っていた楓は、バーナビーの発言に素っ頓狂な声を上げた。
「あ、心配しないで。さすがに君も大きくなってきたし、子供扱いしちゃ失礼だ。僕だけじゃなく、ブルーローズとキッドも呼んだからね。彼女たちがいれば気楽だろう?」
「き、気楽?」
 彼の言うことはわかるのだが、憧れのバーナビーの家で気楽も何もあるものだろうかと、楓は目を白黒させた。
「アタシのところでもいいんだけど、やっぱり最初は元々親しいメンバーの方がいいでしょう? ハンサムの家には、よく皆で集まってそのまま泊まったりするのよ。慣れたものだから、安心して」
「ん、そうだな。女の家がいいならアンジェラもいるし。あいつの家にもブルーローズとキッドはよく集まってるみたいだから、いいんじゃないのか」
「そうねえ。あの子人懐っこくておおらかだから、すぐ慣れるわよ」
 うふふ、ははは、とネイサンとアントニオは呑気に笑っているが、楓はぽかんとしたままだ。

「うう、ホントは俺だって楓と一緒に過ごしたいんだよぉ……」
「まったく。だから普段から綺麗にしておくように言ってるじゃないですか」
 呆れた様子で、バーナビーはロゼワインに口をつけた。そんな彼を、虎徹がじっとりと睨む。
「お前と違って、ウチはハウスキーパーなんか雇ってねえんだよ!」
「それにしたって限度があります。折紙先輩が手伝ってくださるそうですから、明日には綺麗にしておいてくださいね」
「おう……」
 虎徹は、しょぼくれたような、不貞腐れたような様子でワインを飲んだ。
 ちなみにこの頃、イワンは独身男性のひとり暮らし御用達の便利掃除グッズを荷物に詰め、やる気満々で虎徹の部屋に向かう用意をしている。

「そういうことだけど、ゴメンな楓ぇ。今日はバニーんとこに」
「うんわかった! いいよ! 全然いい! バーナビーさんの所でお世話になるね!」
「あ、そう?」
「うん! ありがとうお父さん!」
「え……そこでありがとうって言われるとお父さんちょっと微妙なんだけど……」
 顔を赤くして喜ぶ娘に、虎徹は複雑そうに眉を下げた。そのやり取りに、バーナビーがくすくすと笑う。
「うちが気に入ったらずっといてもいいんだよ、楓ちゃん」
「本当ですか!?」
「イヤー! 楓ー! 片付けるからあ、急いで片付けるからぁ! バニーもやめて俺の天使を取らないでえ!」
 目を輝かせる楓と情けない声を上げる虎徹に、全員がどっと笑った。






「さあ、行くよ楓ちゃん」
「う、うん」

 翌朝、楓はバーナビーと手を繋ぎ、ジャスティスタワーにやってきていた。
「僕の手を離さないようにね」
 優しく微笑みかけてくるバーナビーに、楓はやはり赤くなってしまう顔で頷き、彼の手を握り直した。

 彼や虎徹のハンドレッドパワーは強力だが、暴走して勝手に発動してしまっても、5分、あるいは1分じっとしてやりすごせば、何の問題も起こらない。そして発動してしまっても、終われば強制的に1時間は絶対に何も起こらないので、楓も安心していられるのだ。
 そしてそんな彼らとずっと手を繋いでいれば、NEXTとすれ違って身体が触れてしまっても、すぐにハンドレッドパワーに上書きしてしまうことが出来る。安全という意味ではアントニオもまた“皮膚が固くなる”というだけなので、楓もあらゆる意味で彼に気を使わなくてよかった。
 逆に、ネイサン、カリーナ、パオリンなどは危険なので絶対に触らないように、と言い含められている。
 また楓はちゃんと顔を合わせたことがないが、キースはジェットパックがなければふわふわと浮くだけではあるがそのまま風に流されてしまうという点で危ないし、似た能力であるイワンもまた、擬態したまま戻れなくなってしまう危険性がある。
 そしてライアンの能力は、最も危ない。能力を完全に制御できている彼だからこそ何事もないが、全力でやれば、巨大な鉄骨を地中深くまで沈めることも出来る能力なのだ。人間などひとたまりもなく、あっという間にトマトのように潰れてまっ平らになってしまう。
 ライアンにだけは触るなと楓は強く言い含められているし、ライアンもまた楓に触らないよう、細心の注意を払う事になっている。

「気を楽にして。大丈夫だからね」
「うん、大丈夫。ありがとう、バーナビー」
 まだぎこちないが、楓はどうにか微笑んでみせた。
 昨夜は彼の家に泊まり、彼とも交流を深めることも出来たし、カリーナとパオリンのおかげで、予想より随分リラックスすることが出来た。もちろん彼女たちは素顔で、本名も教えてくれ、また能力の制御方法や心構えなどについても話を聞かせてくれたし、楓が持つ不安も真剣に聞いてくれた。
 特に能力発動時に楓と同じく暫定特別監視対象NEXTに指定されたというカリーナの話は大変に参考になったし、彼女が現在普通にハイスクールに通っているということに、楓はとても勇気づけられた。
 下手に触れてしまうと彼女たちの強力な能力がコピーされて暴走してしまうので握手もハグも出来なかったが、いつかそうできるようにがんばろう、と楓は意識を新たにしたのだった。

 気丈に前を見据える楓に、バーナビーは彼女の父親である虎徹の面影を感じ、ふっと微笑んだ。そして彼女の手をしっかりと握り、ジャスティスタワーのロビーに入っていく。
 ロビーでは、いつも時間ギリギリであることが多い虎徹が、そわそわと貧乏揺すりをしながらベンチに座っていた。



 右手で虎徹、左手でバーナビーと手を繋ぎ、緊張の面持ちで楓が向かった先は、シュテルンビルト司法局。その中の、裁判官兼ヒーロー管理官であるユーリ・ペトロフの執務室であった。
「できていますよ」
 そう言って、ユーリはきちんとまとめられた書類を静かにテーブルの上に滑らせた。
 彼が用意した紅茶の香りが、紙の匂いのする部屋の中にゆったりと漂っている。シュガーポットの横には、優雅なデザインラベルの蜂蜜のポットが置かれていた。
「これがジャスティスタワー内の入場許可証。ただし、法定代理人か一時管理人の付き添いは必須です」
 ユーリはそう言い、楓の顔写真と司法局の印が付いた首下げタイプのカードキーを書類の束の上に置いた。
「また入室先で、やむをえずヒーローの素顔やプライベート情報、また各社の機密情報を目にする場合もあるでしょうが、絶対に口外しないこと。もし発覚し、各企業から損害の訴えがあった場合、法定代理人に責任を追求しますので厳重に注意するように」
「あのお」
「何ですか」
 戸惑った様子の虎徹に、ユーリは淡々と返事をした。

「や、すげー有り難いんですけど。ホントに大丈夫なんですか、申請したの先週ですよ? こんなに早く、しかも許可が下りたって……本当に?」

 虎徹が申請したのは、楓を自分の仕事先についてこさせるための許可証だった。
 楓の能力的に、虎徹かバーナビー、もしくはアントニオが側についていたほうが安全なのだということは、司法局も認めてはいる。しかし法定代理人、保護者、一時管理人。様々な肩書を出来うる限りの人間に持たせはしたが、皆働いていて、仕事がある。常に楓ひとりにつきっきり、というのは難しい。

 どうしたものかと思った時、「では仕事先にも連れていらっしゃれば良いのでは?」とあっさり言ったのは、ガブリエラだった。本人をここに連れてくれば誰に預けるなどと言わなくていいし、居合わせた誰かが見ていればいいと。

 確かに彼女の言うとおりではあるのだが、それは同時に非常識な意見でもあった。
 一般的な企業では託児所などが用意されている場合があるが、あくまで乳幼児のためのものであるし、何より虎徹はヒーローである。
 百歩譲ってアポロンメディア社内までならまだしも、ジャスティスタワーには素顔のヒーローたちが集っている。シュテルンビルト七大企業という超大企業のトップシークレットを、そのヒーローのひとりとはいえ、いち家庭の子供のためにどうにかしてもいいものか。答えは、いかに楽天的に考えても否である。
 だが「相談するだけならタダです。ペトロフさんに相談してみては」と彼女があまりにあっけらかんと言うので、娘のためなら何でも、と藁にもすがる気持ちであった虎徹は、ダメで元々とユーリに相談したのだ。

 その時のユーリはいつもの鉄面皮で淡々と「検討しましょう。お嬢さんがいらっしゃるのは? 来週ですね」とだけ確認し、さっさと虎徹を追い出した。その時の態度がいつもどおりとはいえあまりに事務的だったのできっとダメだろうと思っていたのに、結果は全く真逆であったのである。驚くのは、無理もないことではあった。

「……シュテルンビルトエリア、ひいてはその司法局である我々は、NEXT差別と、それに準ずるあらゆる社会問題の撤廃を目標に掲げています」
「あ、ハイ」
 淡々と話しだしたユーリに、虎徹は、まるで教師に説教をされる学生のように首をすくめた。
「その理念において、SSレベル認定された児童の支援を行うのは当たり前のこと。しかもそれがNEXTの代表、象徴であるヒーローに深く関わる児童であれば、市民に与える影響力の高さを考えて対応せねばなりません。ワイルドタイガーの娘、しかも能力に目覚めたばかりの児童に対し、所謂お役所仕事と呼ばれる態度で接し何か問題が起きたとして、それが市民に与える印象は」
「……最悪ですね」
 せっかく最近回復してきたヒーローへの信頼とNEXT差別への緩和がまた地に堕ちる、とバーナビーが真剣な顔で言った。
「その通り。最近ヒーロー規定などが大幅に変更され、シュテルンヒーローランドがオープンして観光客も多く、シュテルンビルトは世界的に注目されています。この状況で、お嬢さんに対しての今回の対応はしかるべきもの。特別扱いというわけではありません」
「えーっと」
「……つまり、今は特別な状況だから、私のこともそれに合わせて対応する、ってことですか?」
 こめかみに指を当てる虎徹を尻目に、ずいと身を乗り出して言った楓に、ユーリは頷いた。
「その通りです。聡明なお嬢さんだ」
「いやあそうなんですよ、ウチの子ってばほんとしっかりしてて」
「お父さん!」
 こんな時に親馬鹿を炸裂させる虎徹に、楓は鋭い声を上げた。その剣幕に虎徹は肩をすくめ、ばつが悪そうに「ごめん」と小さく謝る。

「個人的なレベルで言えば、幸運なタイミングとも言えるでしょう。ただし同時に、あなたは非常に繊細な立場に立たされたということでもあります。こんな時だからこそ与えられた自由。くれぐれも慎重に行動する必要があります、わかりますか?」
「……はい。私がいけないことをすれば、お父さんだけじゃなくて、他のヒーローや、いろんな人にたくさんの迷惑がかかるってことですよね。……普通の時よりも」
「そう。特別な立場を得るには、それだけの責任と影響力が生まれます」
 理解の早い楓にユーリは頷き、蜂蜜を混ぜた紅茶を飲んだ。

「あなたが自分の欲にとらわれず、道を踏み外さないことを祈ります」

 ユーリはそう言って、楓に許可証を手渡す。
 楓はそれを真剣な表情で受け取り、「ありがとうございます」と、しっかりと頭を下げた。



「楓ちゃん、許可出たの!? 良かった!」
「ってことは、今日から毎日ここに来るの? やったー!」
 楓がどきどきしながら虎徹とバーナビーとともにトレーニングルームに入ると、まず出迎えたのは今朝方まで一緒にいた、カリーナとパオリンだった。
「は、はい! これからご迷惑をお掛けしますが、よろしくおねがいします!」
「まあ、礼儀正しいこと。ほんとにしっかりしたお嬢ちゃんねえ」
「なんで俺を見ながら言うんだよ」
 前半は楓を見ながら微笑ましげに、後半は虎徹を半目で見ながら言ったネイサンに、虎徹が顔をひきつらせる。

「おー、許可出たのか! ダメかと思ってたぜ」
 驚いた、しかし喜ばしげに大きな声で言ってきたのは、アントニオである。
「ええ、正直僕も許可が出るとは思いませんでした。しかしペトロフさんが想像以上に有能で……」
「あ、これってやっぱ裁判官さんが凄いのか?」
 呑気な顔で、虎徹が振り向いて言う。
「それはそうでしょう、虎徹さんが彼に頼んで、彼がそれをもぎ取ってきたわけですから」

 まだ制御能力のないSSレベル能力者を、シュテルンビルトの超主要拠点といえるジャスティスタワーに出入りさせる許可証。
 それを彼はこの一週間もない日数で、上層部を説得し、七大企業の同意を得、正式な手続きを経て発行させたのだ。有能という言葉でもとても足りない、とバーナビーは多大な感心を込めて、眼鏡のブリッジを押し上げた。

「しかも、今は例のヴィランズ法案で司法局も忙しいですからね。その中でしてくださったということです」
「そっか……。あんまりヒーロー管理官と接点持っちゃいけねえって言われてるけど、なんかお礼してえなあ」
「礼儀的な品と御礼状くらいだったら、いいんじゃないでしょうか」
「そっか、そうだな。せめてそんくらいはしとくわ」
 なんか手配しよう、と、虎徹は頷いた。

 そうしてしばらく話していると、トレーニングルームのドアが、プシュ、と音を立ててスライドした。

「おや、ワイルド君のお嬢さんだね? こんにちは!」
「あ、こんにちは! これからお世話になります、楓です!」
 爽やかな笑顔で挨拶をしてきた清潔感溢れる男性に、楓はぺこりと頭を下げる。
「丁寧な挨拶をありがとう、そしてありがとう! よろしく!」
「……あの、スカイハイさんですか?」
「むっ!? 何たる観察眼! さすがはワイルド君のお嬢さんだね!」
 2秒で正体を見破られたキースは驚いた顔をしたが、もちろんこの場にいる誰もが「まあそりゃわかるよな」という顔をしていた。

「あ、あの、こんにちは」
「えっと、こんにちは。あの……」
 キースの影から顔を出し、猫背をさらに丸めるようにして、いかにも人見知りですと言わんばかりのおどおどとした様子で挨拶してきたプラチナブロンドの青年に、楓は首を傾げる。
「あの、僕、その、少し似た能力ですから。何かあったら、何でも言ってください。……ぼ、僕なんかが力になれるかどうかは、わ、わからないんですけど……」
「似た能力……?」
「あー」
 目を泳がしまくって言うイワンと疑問符を飛ばしまくっている楓に、見兼ねた虎徹が近寄った。
「楓、こいつアレ、折紙サイクロン。擬態能力ってお前にちょっと似てるから──」
「えええええええええ!? 折紙サイクロン!? ござるの!? 見切れの!?」
「そうそう、ござるで見切れの」
「ええー!? ぜんっぜん違う!」
「うう、この悪意なきまっすぐさ、まさしくタイガー殿のお嬢さんでござるぅ……」
 指は差さないでやろうな、と虎徹に手を降ろされている楓に、イワンはほろりと目元に手を添えた。
「すみません……こんな根暗がヒーローですみません……」
「あーなんか久々に見たわ、折紙のネガティブ」
「最近治ってきてたのにねえ」
 遠くを見ながらどんよりと影を背負うイワンに、カリーナがドライに、パオリンが残念そうに言う。「慣れれば大丈夫だけど、新顔にはまだダメみたいね」と、ネイサンがやれやれといわんばかりにため息をついた。

「そういや、ライアンとアンジェラは?」
「今日は仕事だよー。クリスマスイベントの打ち合わせだって」
 きょろきょろと部屋を見回した虎徹に、パオリンが答えた。
「楓ちゃんの許可出たって、ギャビーにメッセージ送っといたわ」
「僕からもライアンに出しました」
 端末を見せながら、カリーナとバーナビーが言う。
「おーそっか、サンキュ。ってなわけで楓、今日はお父さんここでトレーニングして、そのあと会社に寄って、書類片付けてくる。その間、ここの誰かと一緒にいてくれ」
「うん、わかった」
「終わったら迎えに行くから、そしたらお父さんの部屋に帰ろうな。折紙とピッカピカに片付けたから!」
「あ、片付けちゃったの……」
「なんで残念そうなの!?」
 虎徹は娘の肩をがっしと掴んだが、楓は目を合わさずに、「バーナビーのお部屋、すごく広くてキレイだったなあ……」とだけ呟いた。






 トレーニングを終わらせてからアポロンメディアに行き、今までにない速度で書類を片付けた虎徹は、全速力でジャスティスタワーに戻った。
 勢いよくトレーニングルームに入ると、一時管理人であるバーナビーと、楓、そしてパオリンとイワンが部屋に残っていた。

「楓ー! お父さん仕事終わったぞー! 待ったぁ!?」
「ううん別に」
「そっかあ! お父さんは待ち遠しかった!」
 満面の笑みでジャスティスタワーに戻ってきた虎徹は娘のドライな対応にも全くめげず、でれでれとした顔で歩いてきた。
「こ、鋼鉄のメンタル。拙者ならこんな塩対応、耐え切れぬでござる……」
「折紙、父親ってものはな、心が強くないとやっていけないんだぜ……」
「傷だらけの笑顔!」
 サムズアップをし、妙にきりりとした顔で微笑む虎徹に、イワンは死地に向かう老兵を見送るかのような、悲壮な顔で言った。

「まあ冗談はともかく。どんな感じ?」
「うーん、下手に能力コピーして大変なことになったらいけないから、口で説明するしかないんだけど……」
 パオリンは、困った顔で言った。
「ごめんね、ボク説明が下手で。考えるな、感じろ! って言ってもしょうがないしなあ……でもそれしか言えないんだよね、うーん」
「こっちこそごめんなさい。やっぱりよくわからなくて……」
「しょうがないですよ、こればかりは感覚的なものですからね」
 気にしないように、とバーナビーが優しげに言う。

「うん……。でも、折紙さんの説明は参考になったよ。人を触った時に、こう、その人のことが流れ込んでくる感じっていうの」
「へー、そんな感じなのか」
 興味深そうに、虎徹が頷いた。
「全く同じかどうかはわかりませんが……。その人の体の感覚というか、その人の姿形だったらこういう感じになる、という情報。それを意識して身体に浸透させると変化が起こって……。うう、僕も口で説明するのは難しいです」
「ううん、参考になった。折紙さん、ありがとう」
「少しでも役に立てればよかったです」
 そう言って微笑むイワンは、長い前髪が邪魔してはいるが、じゅうぶんに美形だった。普通にしてればものすごく格好いいのになあ、と、楓は密かに残念な気持ちで彼を見る。

「それと、楓さんは直前に触った人の能力しか再現できないようですが、僕も最初はそうでした。でもコツを掴んでから、擬態対象をなんというか、覚えておくというか、ある程度ストックできるようになったんです。制御が劇的にうまくいくようになったのも、これがきっかけで……」
「おおっ、手がかりになりそうじゃねえか!」
「さすが折紙先輩ですね」
「い、いえいえいえそんな! 見当違いかもしれないですし!」
 きらきらした目で見てくる虎徹と、感心したように頷くバーナビーに、イワンはぶるぶると激しく首を振った。
「でも、何もわからないから、色々試してみなくちゃ。……周りに迷惑かけない程度に」
 がんばる、と拳を握る娘の頭を、虎徹は愛情たっぷりに撫でた。
「そうだな。うーん、あんまり威力が大きくなくて、でも制御がいる能力とかで協力してくれる奴とかいねえかなあ。二部リーグとかで」
「あ、スモウサンダーさんとかどうですか? 手から塩が出るんです。塩なら害が無いですし、塩を出す出さないで練習ができそうですし……。僕連絡先知ってるので、良かったら頼んでみますが」
「それいいな! さっすが折紙!」
「本当に、折紙先輩は頼りになる……」
「いやいやいやいやいや!!」
 再度ブンブンと首を振るイワンを、楓は呆れたように見た。
「……ねえ、折紙さんっていっつもこうなの?」
「うん、いっつもこうだよ」
 そう言って、パオリンはあははと笑い、恐縮しまくっているイワンを見た。

「ホントは、すっごく、すごいのにね」

 静かに言った声は密やかだが、しかし深く、何よりその目線がとても柔らかかったので、楓はそれ以上何も言わず、「ふうん」と頷くにとどめた。
★メイプルキティの冒険★
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BY 餡子郎
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