#085
★わんわんキューピッドのご機嫌伺い散歩★
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「──よ、調子どお?」
「ライアン!!」
最後の合わせが終わった頃、軽快なノックとともにレッスンルームに入ってきたライアンに、ガブリエラはぱっと顔を輝かせた。
「何だねゴールデンライアン、部外者は入ってこないでくれ」
「ちょっと、ひどくない? クライアントだろ、俺」
さっきまでノリノリでピアノを弾いていたくせに、ライアンの顔を見るなり仏頂面になったロイに、ライアンは頬を引きつらせた。
「俺の曲を蹴りやがった奴のオファーなんぞ受けるか、とも思ったがな、最初は」
「だからァ! それは悲しいすれ違いだって言ってんだろ!」
ふん、と鼻を鳴らしたロイに、ライアンは言った。
キューブリック兄弟再ブレイクのきっかけになった、バーナビーとスカイハイが歌う『We Love SternBild』。実はこれは当初、R&Bとして活動していた頃のバーナビーとライアンが、シュテルンビルト親善大使という名目で歌う予定のものだった。
ジャスティスデーの事件があり、T&Bのバディヒーローが復活すると同時にライアンがコンチネンタルに戻ったためその企画はなくなり、しかし曲はできてしまっていた。そこでライアンは自分の代打でスカイハイを指名したのだが、元々キャッチーなメロディーや歌詞で有名な彼らの曲をダブルKOHが歌った結果、かなりのヒットを記録した。現在はシュテルンビルトの空港などで流れている、定番の曲である。
ちなみに、ヒーローランドのパレードの曲なども彼らの作品だ。こちらも、覚えやすくてミュージカルっぽさもある曲調が大変な人気を博している。
「あんたたちが曲作るってんなら、俺だってもっと考えてアッチ戻ったって!」
「フン、口ばかり──」
「本当ですよ、ロイ先生。ライアンは先生たちが曲を作った映画が大好きなのです。私も見せていただきました。今日、この歌が歌えてとても嬉しかったです」
「む、そうなのかね。……まあ、ガブリエラが言うならそうなんだろう。悪かったな」
「ええ……なんだこの甘やかしっぷり……」
「甘やかしてなどおらん!」
ガブリエラが口を出した途端、ころりと手のひらを返しつつ、しかししっかりとツンデレも発動させる面倒くさい老人に、ライアンは呆然とした声で言った。
仲良くやっているとは聞いていたがここまでとは、と、気難しいことで有名なロイ・キューブリックのむっつりとした横顔を、ライアンはぽかんとして見る。
「やぁライアン、こんばんは。彼女のお迎えかね」
「アーロン先生、どうも。こいつどぉ?」
部屋に入ってきたアーロンに、ライアンは軽く手を上げて応えた。
「聴いての通り、今のところ全く問題はないね。順調に上達してる──というか、荒削りなところを整えて完成度を上げた感じだ。あとは当日、本人がアガったりしないかどうかというところかな」
「あ、それは大丈夫。こいつ緊張とかと無縁だから」
「稀有な特技だなあ……」
それでダメになる歌手は山ほどいるのにね、と、アーロンは肩をすくめた。
「あっ、そういえば、おふたりにはまだ聞いていませんでした! 最近いかがですか?」
「は?」
「何だい? お菓子?」
思い出したように突然言い出し、お菓子を手渡してきたガブリエラに、キューブリック兄弟はきょとんとした。
「今日は“ご機嫌伺い”をしているのです! つまり“最近どぉ?”と聞くことです」
「ふむ?」
兄弟は、顔を見合わせた。そしてやはり兄弟か、なんだか似た仕草で、それぞれ顎に手を当てる。
「俺は特に何も変わらん。曲を作るだけだ」
「まあ、兄さんはね。僕は『We Love SternBild』以来、激変したなとしみじみ感じるよ。仕事がたくさん来るようになったし、ライアンに紹介してもらったミュージカルの仕事からかなり軌道に乗ってる。ギャビーのおかげで、兄さんの仕事もスムーズに扱うコツが分かってきたしね」
その言葉に、ふん、とロイは顔を反らしたが、事実だった。『We Love SternBild』の時、意図していないとはいえせっかくのオファーを蹴ってしまった詫びも含め、ライアンは自分のコネを使って、ミュージカル映画の音楽総指揮にこの兄弟を紹介したのだ。
「僕も最初は自分たちの曲を蹴ったゴールデンライアンの紹介なんて、と思ったけど──」
「だーかーら、それはさあ」
「わかってる、わかってる。今はね。君に貰った仕事から、僕たちは復活することが出来た。感謝してるよ、ヒーロー」
このミュージカル映画が大成功したことで、キューブリック兄弟は再び栄光を取り戻そうとしている。そしてそのこともあり、兄弟は彼の相棒とも言えるホワイトアンジェラの歌唱指導、という仕事を受けたのだ。
「……ならいいさ。俺も、あんたたちみたいなオンリーワンの才能が埋もれてくのは我慢なんねえからな」
「ありがとう」
アーロンは、深い笑みを浮かべた。とはいえ、ロイのほうはやはり「ふん」と鼻を鳴らしただけだったが。
「ではお疲れ様でした、先生。ええと、あと2回レッスンをして、あとはリハーサルですね」
「ああ、その予定だ。兄さんがまた何か言い出さなければ」
「予防線を張るんじゃない!」
漫才を始める音楽家兄弟と別れたガブリエラとライアンは、常に部屋や建物の外で護衛をしてくれていたアークの面々も車で帰すと、ふたりで連れ立って歩きだした。少し距離があるが、このままアスクレピオスに戻り、ガブリエラはバイクで、ライアンは送迎車で帰るのだ。
「おー、寒。急にぐっと寒くなったよなあ」
ひゅう、と吹いた冷たい風に、ライアンは大きな肩をすくめ、空を見上げる。シュテルンビルトの明るい光のせいで星は殆ど見えないが、みっつ連なった星は、くっきりと見えた。冬の星座。オリオンだ。
「ライアン、今日はどうして迎えに来てくださったのですか?」
「別にぃ」
「ネイサンに、何か言われましたか?」
「わかってんなら聞くなよ……」
苦笑したライアンに、ガブリエラは目を細めた。
「……そうかなと思っていても、聞きたいものなのです」
小さなつぶやきは、夜の冷たい風にさらわれるようにして、遠くにかき消えた。
「え? なに?」
「いいえ。私などより、ネイサンのほうがキューピッドだと思っただけです」
「キューピッド? ……ああ、なんか最近言われてるやつか。お前のグッズとかで恋愛成就がどうのこうの」
「はい」
「女子高生って、すーぐそれっぽいジンクスとかおまじないとか作るよな」
「ライアン、今の発言は、以前タイガーが仰ったことと全く同じです」
「今のナシ」
「はい」
真顔で言ったライアンに、ガブリエラは少し笑って頷いた。
「やっべえ……俺オッサンになってる……? いやオッサンになるとしても俺様はこう渋くてイケてるオッサンになるはず、大丈夫大丈夫、セーフ」
ぶつぶつ言いながら、言動には気をつけよう、とライアンは反省した。
「ご心配なさらずとも、ライアンはおじいさんになっても世界いち素敵ですよ」
「……おう」
当たり前のようにけろりと言ったガブリエラに、ライアンは一瞬黙った後、特に寒かったわけでもないのに、マフラーをきゅっと引っ張って巻き直した。
「ライアンは、今日のお仕事はどうでしたか?」
「予定通り。トラブルもなかったし、スポンサーとの契約もうまくいったぜ。来年度も専属モデル続行で、このブランドのアイテムオンリーの写真集も出そうかな、ってとこ」
「えっ、本当ですか! み、見たいです! 絶対に格好いいです!」
「ばーか、俺様だって時点で格好いいのはなんにしたって決定事項だっつーの」
「それはそうですが!」
そんなことを言い合いながら、夜のシュテルンビルトを歩く。まだまだ眠らない街は明るく、酒の入った人々もよく歩いているせいか、口元までマフラーを巻いた彼を、ゴールデンライアンだと気づく人も殆どいないようだった。
「あとやったのは、例の法案の意見徴収票のことで、ペトロフさんと面談」
意見徴収とは、ヒーロー活動にも関わるような法案改正などの案が出た時、司法局から彼らの意見が徴収される仕組みのことである。
最初に書面を渡され、レポートのようなスタイルの意見徴収票を提出。その後、意見徴収票を読んだユーリが面談し、疑問点について質問し、陳述書という形で提出、という流れになっている。
政治的に特定の団体に肩入れしてはならない、という規則のあるヒーローは、こうした形で街の法案と関わっているのだ。半ば慣例的なものでもあるが、全員が毎回真面目に答えているのは、さすがヒーローというところだろう。
「お前も明日だろ、面談」
「うう、あれはむずかしいので苦手です」
ガブリエラは、苦々しい顔をした。
必然的に難解な政治や法律、思想について意見を述べなければいけないこの意見徴収が、彼女はとても苦手である。
「ペトロフさんはわかりやすく簡単な言い方で質問してくださるのですが、他の方よりお時間を取らせてしまうので、申し訳ないです。なるべく予習はしていくのですが……」
「今回のは、かなり革命的な法案だしなあ。──“ヴィランズ法案”」
ライアンは、重い声で呟いた。
「可決されたら、ヒーロー業界また荒れるよなあ」
「そうですね。……ライアンは、条件付き賛成とお伺いしましたが」
「できれば他の形の方がいいとは思うけど、本人たちが強く希望してるんなら、って感じかね。有用なのもわかるけど、それだけにキツめの条件や制限は必要だろ」
「そうですか」
ふむ、とガブリエラは頷く。
「俺の意見はこうだけど、お前はお前で考えて喋れよ」
「うう、わかっています。大事なことです。うう、しかし、むずかしいことを考えるのは苦手です。ううう」
苦り切った顔で呻く彼女の頭を、ライアンはぽんぽんと叩いた。
「お前は、今日、どうだった?」
「私ですか?」
「ご機嫌伺い。うまくいったか?」
「うまくいったのかどうかはわかりませんが、楽しかったですよ!」
「そうか」
「最初はOBCに行って、アニエスさんたちとお話をして──」
それからガブリエラは、ライアンに、今日会った人々のことを話した。アポロンメディアやポセイドンライン、ヘリオスエナジーにまで行ったこと、しかもそこで会ってきたという重役たちの名前に、ライアンも目を丸くする。
「マジか。お前、すごいとこまで散歩してきたなあ」
「そうですか?」
よくわからない、といったふうに、ガブリエラは首を傾げた。皆地位のある人々だということはガブリエラにもわかるが、皆親切で、配るお菓子を快く受け取ってくれた。──どんな人も、等しく。
「なあ」
「はい」
ふとライアンが立ち止まったので、ガブリエラも止まる。ライアンが、首だけ半分振り返った。くっきりした顔立ちの横顔が、夜のネオンに照らされて浮き上がる。鼻が高いなあ、とガブリエラはうっとりと思った。
「お前がなんか元気ないのって、もしかしなくても俺のせい?」
おそらく気を使っているのだろう。なるべくなんでもないような、フラットな声色だった。ガブリエラはぼんやりとした顔で、彼の横顔に見惚れながら頷いた。
「……はい」
「そっか」
マフラーの隙間から漏れたライアンの息が白くなり、冷たい空気に溶けていく。ガブリエラは、待った。彼の言葉を、ガブリエラはいつも、ずっと待っている。
「また、デートでもする?」
「……ご褒美、ですか?」
「そうそう、ご褒美。おまえまたいっぱい頑張ってるもんな」
「そうですよ。私は頑張っています」
「うん」
「頑張っています。がんばれます。大丈夫」
──魔法が解けても、真実の愛だけは手元に残る、ということです
──王子様は、あんたのことをちゃんと好きよ
ガブリエラは、薄い唇を、ぐっと噛み締めた。
「大丈夫。待っています。ずっと」
「……ずっと?」
「ずっとです。WAIT、私は“待て”ができる女ですからね」
「そうか」
「愛しています、ライアン」
ガブリエラは、はっきりと言った。真正面から、──揺るぎなく。
「好きです、ライアン。いちばん、ずっと、何より」
「……重いなー」
「そうですよ、重いですよ」
「おー」
「ほ、……ほうっておくと、もっと、ずっと重くなりますからね!」
「ははは」
笑いながら、ライアンはまた歩き出した。ガブリエラは彼を見失わないように、小走りについていく。
きらきら光る、美しい星。自分を導いてくれた、かけがえのない輝き。たったひとつ、欲しいもの。
「ライアン……」
欲しい。彼が、その言葉が。
そのやるせなさにか、つい、ガブリエラの手が伸びた。その先にあるのは、暖かそうなレザーのダウンコートの先から見える、大きな手。
「──は、え? あ? なに?」
いきなり小指をぎゅっと握られたライアンは、彼にしては珍しい上ずった声を上げ、足を止めた。ガブリエラを振り返った金色の目は、ネオンを反射してきらきら光り、そして驚きで丸くなっている。
あの夜明けの非常事態を除き、子供にするような額へのキス、ハグ。そして今時刺激的でも何でもないセミヌードで真っ赤になっていたガブリエラは、自分からライアンに触れてくることがない。先日それに気付いたライアンが自覚しているうち、これが、ガブリエラからの初めての接触だった。
「あ……」
ガブリエラもまた、ほとんど無意識の自分の行動に自分で驚いたのか、目を丸くしていた。お互いにびっくりした顔のまま、見つめ合う。
「……いえ。なんでもありません」
「え、いやいやいや。ちょっと待てって」
するりと指を離したガブリエラの手を、ライアンは掴んだ。逃すまい、とするかのように。なぜ掴んだのか、ライアン自身よくわからなかった。離したはずの手を握られたガブリエラは、びくっと肩を跳ねさせる。
「な、なぜ、なぜつ、掴むのですか!?」
「いや最初に掴んできたのお前だろ」
「そそそ、そうですが! そうですが、ち、違います。そうではありません」
「何が」
「知りません!」
寒いせいだけでなく、ガブリエラは薄くそばかすの散った鼻の頭を赤くして、反射的に、掴まれた手をぶんっと振った。手が離れる。
「あっ……」
自分でやったくせに、残念そう、というよりは悲しそうな顔をしたガブリエラに、ライアンの眉間に皺が寄る。それは、胸のどこかがきゅっと縮まったような感触を堪えたためだ。
「……あーもー。あー、もうお前なんなんだよ、あー」
「な、なんですか。なんなのですか。私が聞きたいです」
「はあ? お前ほんっと……何だよもう、あー、……おまえホンットもう……」
ライアンは低い声で唸ると、金髪を乱暴に掻き上げた。そして天に向かって白い息を吐いてから、ガブリエラの手を掴んだ。今度は、ちゃんと“手を繋ぐ”というやりかたで。
そのまま歩き出したライアンに引っ張られるようにして、ガブリエラは今度こそ顔を真っ赤にした。
「な、何をしますか! ライアン! 手、手、手を、手をはなはな、離し」
「何だよ、手ェ繋ぎたかったんじゃねえのかよ」
「つな、つなぎ、つな、ちが、ちがいます! それはちがう!」
「じゃあ何」
「なぜならライアンが! ライアンが私を! 待てという、待てを……」
支離滅裂な言葉を紡ぎながら、ガブリエラは、苦渋の決断、もしくは断腸の思いとでも言わんばかりの悲壮な顔で、ライアンの手を振り切った。ライアンが眉をひそめる。
「おい、……なんで」
それは本当に怒ったような顔で、しかもその声は、地を這うように低かった。
「な、なぜなら! なぜなら」
「ァア?」
「なぜなら私たちは、こここ、恋人同士では、ない! ないです!」
「……だから?」
「て、てをつなぐ、てをつなぐのは! 恋人同士でないと、いけないことです!」
ひっくり返った声で叫んだガブリエラに、ライアンは、かくんと顎を落とした。
それはつい先程までの、まさに泣く子が黙るような表情とはまるで違っていて、毒気を抜かれた、というようなそれそのものである。側でやり取りを密かに聞いていたのか、近くの街灯の下で温かいコーヒーを飲んでいた仕事帰りのOLらしき女性がぶはっと噴き出したが、ふたりはそれに気付かなかった。
しかしいっぱいいっぱいになっているガブリエラは、なおも言う。
「いけません! 手を繋ぐ、だめ! わわ、私から触ったことは、あやまります。いけないことでした! もうしわけありません! タブー! ブー! だめ!」
「ええー……」
「だめ!!」
「ええー……?」
小学生でも言わないようなことをまくしたてるガブリエラに、ライアンは完全に脱力した様子だった。そしてガブリエラといえば、胸の前で腕を交差させ、「バツ! バツです!」と本当に子供のようなポーズを取っている。
怯えた犬よろしくじりじりと腰を引いて構えているガブリエラに、ライアンは盛大に肩を落とし、大きなため息をついた。あまりに大きなため息だったので、白くなった息が、彼の肩周りまでぶわっと広がった。
「……わかった」
「わ、わかっていただけましたか」
「おう、わかった。じゃあこれでいこう」
そう言って、ライアンはレザーのダウンコートを着た腕を曲げ、ガブリエラに肘を差し出した。
「前んときも、これで歩いただろ。前例がある。つまりOK、あり」
「う、そ、そうですね。確かに」
「あんまり離れて歩くと護衛も出来ねーだろうが。そうじゃなくても夜に女ひとりで安全な街でもねーのに」
「む、……はい、わ、わかりました」
論破されたガブリエラは、おそるおそるライアンに近づくと、以前したのと同じやり方で、ライアンの腕に縋るようにつかまった。
「……これはいいのか。つか手繋ぐより密着度高ェと思うんだけど。何が違うんだよ」
「ふ、服の問題です! 手は、直接! 腕は、ふ、服があります!」
「あーそういう基準……えー、でもなあ……」
「しかもこのコート! もこもこ! 感触、わかりません! ふかふか!」
「あーそうね……そうだね……」
はあ、とまたため息をついたライアンは、今度はヒールでないはずなのに足元のおぼつかないガブリエラをやや引きずるようにして、しかしゆっくりと道を歩き出した。
「……ご褒美の話だけど」
「はいぃ!?」
「キョドりすぎだろお前。落ち着け」
素っ頓狂な声を上げてびくついたガブリエラに、ライアンは呆れた様子だった。しかしその口の端には、もうわずかに笑みが滲んでいるようにも見える。
「す、すみません」
「いいけど。……で、ご褒美っていうか。プレゼントの話」
「プレゼント? 何のですか?」
「何のって、クリスマスだろ。クリスマスプレゼントだよ」
「くりすますぷれぜんと?」
まったく口慣れない様子で、ガブリエラは復唱した。そして数秒間を空けて、ああ、と、言葉の意味を理解した様子で頷く。
「クリスマスプレゼント、はい。何かお仕事関係ですか?」
「いやなんでそうなるんだよ……。クリスマスだから、プレゼントやるっつってんの」
「は?」
「は? ってなんだよ。もしかして寝ボケてる? ──クーリースーマース! プレゼント! わかる!?」
「えっわかりません」
「わかんねえの!?」
まさかの即答に、ライアンも驚く。見下ろすと、ガブリエラは本当にぽかんとした顔をしていた。そしてその顔に、もしかして、と思ったライアンは、目を眇める。
「……なあ。念のため聞くけど、お前クリスマスプレゼント貰ったことって」
「一昨年のクリスマスは、前の会社の社長がマッチョ君セーターを下さいました」
「それはプレゼントとはいわねえ。ああ、マジか。そうきたか」
ライアンは空いた方の手で、額を押さえた。
「クリスマスプレゼント……とは。そういえば、詳しくは、どういうものなのでしょう。すみません、贈り物だということはわかります」
「うん、まあそのまんまでそれ以上も以下もねえけどな……。あー、まあ、家族とか、仲いいやつとか、そういう間柄で贈りあうんだよ」
「……クリスマスカードのプレゼント版、という感じですか?」
「あーそうそう、そういう感じ。クリスマスカードはわかるのか」
「毎年、母には送っているので」
「そっか」
寒さのせいだけでなく少し硬い声に、ライアンも神妙に頷いた。
「まー、そういうことだよ。組んで、半年ぐらいか? 一応、なんだ。コンビでヒーローおつかれさんっていうか。これからもヨロシクっつーか」
「……これからも?」
「……そーだよ」
ガブリエラは、ライアンを見上げた。男物のマフラーの間から見える耳が赤いのが寒さのせいなのかそうでないのか、ガブリエラにはわからない。
しかし、言われた言葉を理解するに連れて嬉しさがどんどんこみ上げてきて、ガブリエラは目をきらきらさせ、喜びにあふれた顔になった。
「ほ、ほんとうですか、ライアン! う、うれしいです! クリスマスプレゼント、うれしい! はじめてです、はじめて!!」
「おー、そうか。じゃあいいもんやるから、楽しみにしとけ」
「た、楽しみです! 楽しみすぎて眠れない!」
「今から!?」
子供だってこんな時期からワクワクしてねえぞ、と、ライアンは突っ込みを入れた。──が、その声は完全に笑いが滲んでいる。赤信号の交差点に差し掛かったので、ライアンは完全に浮足立った様子のガブリエラを腕にぶら下げたまま、足を止めた。
「あっ、そうです。──わ、私も!」
「ああん?」
「私も、……私もライアンに、贈ります! クリスマスプレゼント!」
「おっ、マジか」
「はい! いいものを……とてもいいものを、頑張って、用意します!」
「おー、楽しみにしてるぜ」
頬を真っ赤にさせているガブリエラに、ライアンは笑ってそう言った。
「えへへ、クリスマスプレゼント。頂くのも、贈るのも、はじめてです!」
「ん」
「すごいです! はじめてクリスマスが楽しみです!」
「え? それって──」
ライアンが尋ねようとしたその時、信号の色が変わる。「青です!」と明るい声で言ったガブリエラに今度は引っ張られるようにして歩きだし、何人かにぶつかりそうになったことで、口にしようとしていた言葉は何処かに行ってしまった。
「今日は楽しかったです! 明日も楽しみですね、ライアン!」
「おう。……また明日な」
「はい! また明日!」
あっという間にアスクレピオスの立体駐車場に入っていったガブリエラを見送ったライアンは、先程まで彼女がぶら下がっていた左腕を見る。
断熱性抜群の分厚いコートはほとんど感触を伝えてこなかったはずなのだが、急にそこだけが寒くなったような気がした。
(ほっせぇ指)
自分の小指を掴んだ、薄い手の感触。そういえば握手はしたことがあるが、手を繋いだことはなかった。そしてたかが指を掴まれただけで、その感触が離れていくのが、焦燥感を覚えるほど惜しいと思ったあの気持ちが何だったのか、さすがにライアンも自覚せざるを得ない。
「……童貞でもねえんだからさあ、俺」
手を握られたぐらいで突然好きになる、なんてことはもちろんないのだから。
ぼやくようにつぶやいたライアンは、頭を掻きながら、送迎車のいるロータリーに向かっていった。
一方、ライアンと別れてバイクに跨ったガブリエラは、慣れた手つきでエンジンをかけた。そして何かを決意したようにして、ヘルメットの中からまっすぐ前を見据える。
目の前には、満天の星空にも似たシュテルンビルトの夜景。
(信じましょう)
自分はそんなに賢くない、おバカちゃんなのだ。出来の悪い頭でいくら考えたところで、いい考えなど浮かばない。その時にならないとわからない。なるようにしかならない。
だから自分にできるのは、ひたすらに待つこと、あるいは走り続けること。今日を生きて、明日を楽しみにすること。そして今までどおり、星に手を伸ばし続けるように、ひたすら彼を愛し続けることだけだと、ガブリエラは迷いを振り切った。
(もし、……もし、私を愛していると、はっきり言ってくださったなら)
何があっても、それを信じよう。
もしそれが、幻でしかなかったとしても。
方角を示すたったひとつの輝きが、流れ星になって、暗闇に消えてしまっても。
最後までその言葉を、心を、持ち続けよう。
──そうすれば、少なくとも、幸せなまま死ぬことができるだろうから。
ちなみに、翌日。
“ご機嫌伺い”でガブリエラが集めてきた名刺の数とそれに書かれた名前の大きさに、ライアンだけでなく、他のヒーロー事業部の皆も驚くこととなる。
彼女から提出されたお菓子の領収書に書かれた僅かな金銭を思えば、こんなにたくさんの有用なコネクションができたなど、信じられないことだった。
そしてその日から、大物たちからアンジェラに、頑固な肩こりや腰痛などの疾患を治したお礼としての贈り物や、食事会の申し入れ、またアポロンメディアやポセイドンライン、タイタンインダストリーなどから、ヒーロー同士のコラボ企画の申し出が寄せられることとなる。
さらにはオマケに、アンジェラのおかげで目玉商品になりました、と、お菓子を購入したスイーツショップとセンベイ屋から、お礼のお菓子がどっさりと届いたりもした。
「ただでさえクリスマスの準備で忙しいのに、更に忙しくなったじゃないの! ちょっとそこ、急いでお礼状のリスト作って! 来年に回せる仕事との仕分けミーティングやるわよ、会議室予約! ゴールデンライアン、もちろんあなたも同席してもらうわよ! あなたが仕事を増やしたんですからね!」
「いや、俺もまさかここまでコネ作ってくるとは思わなくてさあ……」
ハイヒールを打ち鳴らしながら言うドミニオンズの主任に、ライアンは頭を掻いた。彼女は予定が狂ったことに異議を唱えつつ、しかし大物とのパイプが出来たことや、他の企業とのコラボ企画が持ち込まれたことに、彼女のみならずドミニオンズ全員がやる気を迸らせていた。
「シュテルンビルト外の企業からも連絡が来ています。これからの活動の幅が広がりますね。ひとまず年明けのメトロ開通時、バレンタインの時期と合わせて、ポセイドンラインとのイベントを──」
「散歩に行っただけでこれか。うちのワンコはデキる子だなあ」
こちらはマネージャーと、ヒーロー事業部代表のダニエルである。
「クリスマス、楽しみですね!」
そしてガブリエラは、より多忙になったスケジュールを喜々としてこなしながら、近づいてくる年末にうきうきと心躍らせるのであった。
★わんわんキューピッドのご機嫌伺い散歩★
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