#083
★わんわんキューピッドのご機嫌伺い散歩★
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パオリンと一緒にトレーニングルームに出てきたガブリエラは、ケインから貰ったオールド・ヒーローの映像をモニターで流しながら、メニューをこなした。
その懐かしい映像に虎徹がすぐに反応を示し、次いで、遅れてやってきたアントニオも乗ってくる。とはいえ、当時はあのヒーローがこうだった、ああだった、と語って盛り上がる虎徹たちの話をまともに聞いているのはヒーローオタクのガブリエラとイワンだけで、バーナビーたちは黙々とトレーニングを行っていたのであるが。
「僕、ステルスソルジャーさんってちょっと憧れてるんですよね。何もない所から突然シュッ! と現れて、ニンジャみたいじゃないですか? かっこいいです」
「格好いいですよね。あの、潜入捜査のときなど特に!」
「あっ、ご存知でござるか! 拙者あれ大好きなんでござるよー! 憧れでござる! 拙者もあんなふうに登場したい!」
盛り上がるヒーローオタクふたりに、むしろ虎徹たちでさえ「渋い所つくなあ」と呆れるところもあった。
「そういえば、皆さんの昔の写真はないのですか?」
トレーニングが一段落し、全員で水分補給の休憩をしながら、ガブリエラが言った。
「昔の写真ですか? ありますよ。両親と写っているのが。これです」
「わあ、優しそうなご両親ですね。素敵です」
バーナビーさんはお母様似ですね、と、彼が端末画面で見せてくれた写真を見て、ガブリエラは笑顔を浮かべた。画面の中では、小さなバーナビーの肩をそれぞれ抱いた、画面からでも溢れる愛情がわかる様子の彼の両親が微笑んでいる。
「小さい頃のは、自分で持ってないな。両親がこっちに来るときにいつも撮り直して、それならあるけど」
「私も。家にはあるけど、今はないわね」
パオリンとカリーナが言う。イワンは、「僕は、昔から写真は苦手で……」と、気まずそうにつぶやいた。
「アタシはあるわよ。以前はあまり見たくなかったんだけど、この間思い直してね、引っ張り出してきたの」
「かわいい! ──きれい!」
ネイサンが端末から呼び出した画像に、ガブリエラは歓声を上げた。1枚はおそらく学生時代のネイサン、もう1枚は、20代の頃と思しきものだった。前者はいかにも華奢な美少年といった感じで、もう一枚は、スリップドレスを着た、ピンク色のロングヘアの美女といった姿だった。
「昔のネイサンはとても綺麗だったとステルスソルジャーが仰っていたので、いつか見てみたいと思っていたのです」
「あら、あのヒトそんなこと言ってたの」
「はい。はああ、本当に綺麗ですねえ」
うっとりした様子のガブリエラに興味を惹かれたのか、カリーナとパオリンも、画面を覗き込んでくる。
「わ、ほんと。素敵」
「どっちもかわいいし、綺麗だね!」
「本当に。どちらも素敵です! もちろん、今も。ネイサンはいつも素敵!」
「……ありがと」
ネイサンは、3人娘に慈愛たっぷりの微笑みを向けた。
「昔の写真ねえ」
「お前、こないだ飲んだ時に実家から持ってきたって言ってなかったか」
「そうだった、忘れてた。楓にスキャンしてもらってさあ、えーっと」
アントニオに言われ、虎徹はもたもたと端末を操作した。
「あったあった! これ。アントニオと撮ったやつ」
やっと画像を呼び出した虎徹は、その画面を皆に向けた。
「バイソンさんはともかく、……虎徹さん、全く変わっていませんね」
バーナビーが真顔で言い、そこにいる全員も、同じような顔で頷いた。東洋の神秘、ヒゲしか違いがなくないか、など、皆言いたい放題である。
しかし確かに、オリエンタル系の学校の制服であるらしい学ランを着ているので学生とわかるが、今とほとんど顔が変わっていない。並べれば皺が増えていたり輪郭がシャープになっているのがわかるが、その程度である。
「だっ、うっせーよ!」
童顔であることを何気に気にしている虎徹は、口を尖らせて言った。
ちなみにアントニオは、なかなかの変わりようである。それでも当時から体格は良かったようで、いかにも体育会系の朴訥な少年、といった様子だった。
「タイガー、これ、何歳くらいの時のものですか?」
ガブリエラが尋ねると、虎徹は「うん?」と首を傾げた。
「えーっと、高校3年かな。今のブルーローズと同じ歳」
「えっ」
じっと写真に見入っていたカリーナが、目を丸くした。
「そうなのですか。……タイガー、その写真、私にもコピーしてください」
「え、こんなん持ってどうすんだよ」
「ヒーローの昔の写真など、レアです。素敵な写真ですし。ネイサンも、良かったら頂けませんか。もちろん人には見せません」
「いいわよ」
「まあいいけど。えーっと、コピーってどうやんだっけ」
深く考えずにあっさり了承した虎徹は、近くにいたイワンに操作して貰い、画像をコピーしてメール添付し、ガブリエラの端末に送った。ネイサンからの着信に続き、ガブリエラの端末にメール着信を告げる音が鳴る。
その様子を、非常に気になる様子でちらちらと見ているのは、カリーナだった。何やら画面を操作しているガブリエラに視線を向けていた彼女は、自分の端末から鳴った着信音に、目を丸くする。
──送信者は、ガブリエラ。添付ファイルとして、今しがた虎徹から彼女に送信されたはずの、彼の少年時代の写真がついていた。
思わずばっと顔を上げてガブリエラを見ると、彼女はにっこりとして、口元に人指し指を当ててみせた。
「あの……、あ、ありがとう、ギャビー!」
トレーニングの途中に駆け込んだ女子トイレにて、カリーナは自分の端末を握りしめ、ガブリエラに礼を言った。
「いいのですよ。この間、カリーナには庇っていただきましたから」
おかげでライアンの写真や映像を集めるのを許して頂けましたからね、と、洗面台で手を洗っていたガブリエラは、にこにことした。
「お礼になればよいのですが」
「なった! なったわ、すごく!」
「そうですか、よかったです。しかし、内緒ですよ」
また口元に人指し指を当てたガブリエラに、カリーナは、「もちろん」と苦笑し、彼女と同じポーズをした。
「ギャビーはないの? 昔の写真」
「ありますが、生まれた時の写真ですよ」
ガブリエラはポケットに入れていた端末を操作し、カリーナにそれを見せた。
画面の中にはベールをかぶった女性がふたり、寄り添うようにしてベッドの上に座り、小さな赤ん坊を真ん中で抱えるようにしている。この赤ん坊がガブリエラなのだろうが、本当に生まれて間もないような様子で、顔もよくわからない。
それにそもそも写真自体が、あまり鮮明とは言い難い。元々はカラー写真だったのかもしれないが、色あせて全体がセピア色に近くなっていた。
「元々は紙の写真で、故郷を出る時に持ってきました。原本は部屋にあります」
「ギャビーのお母さんは、こっち?」
「いいえ、こちら」
ガブリエラは、カリーナが示したのとは逆側の女性を指した。
「あら、ごめんなさい」
「あまり似ている方ではないですからね。年も取っていますし」
本人が言うように、母と娘はあまり似ていなかった。
それに確かに、カリーナが示したほうの女性と比べると、おそらくひと回り以上は年上のように見える。祖母、母、娘の三代の親子の写真といったほうが納得するほどの様子なので、カリーナが間違えたのも無理はなかった。
ガブリエラが母を施設に入れたのは、病気のこともあるが、単に彼女の年齢のこともある。特に長生き自体が珍しいあの土地では、ガブリエラの母は老人と言われておかしくない年齢だった。
「ああ、病院にいらっしゃるって言ってたものね」
なるほど、と、カリーナは静かに言った。気遣わしげなその声色は彼女が優しい環境で育ったことがありありと分かる立派なもので、ガブリエラはそっと目を細める。
精神に異常をきたしている母を施設に入れた、ということを、ガブリエラはカリーナやパオリンに話していない。後ろめたいこととは思っていないし、隠したいわけでもないのだが、ハードなエピソードで、優しい彼女たちが心を疲れさせてしまうのではないか、と思ったからだ。
ガブリエラは自分自身をきちんとした立派な大人だと思ったことはないが、彼女たちがいかに無垢でやわらかく、輝くような存在であるかということは、今まで接してきて心から感じている。
彼女たちは立派なヒーローで、むしろ一部リーグでは先輩ですらある。残酷な事件にも数々接してきただろう彼女たちを、ガブリエラは弱いなどとは全く思っていない。むしろ逆だ。
しかし、妹がいるならこんな感じだろうか、と思うと、自分は成人しているのだから守らなければ、という意識がどうしても芽生えた。
今まで自分より目上の者、強い者とばかり接してきたガブリエラにとって、それははじめての感情だった。
その感情に庇護欲という名前があることをガブリエラは知らなかったが、バイクで迎えに来てとか、今度あそこに行くのについてきてと可愛いわがままを言われたりするのはとても嬉しかったし、そのくせ迷惑ではないかと心配そうに尋ねてくる姿には、最高にきゅんとした。しかも、自分が泣いて落ち込んでいる時に懸命に励まそうとしてくれる優しさには、更にわんわん泣いてしまうほど感動したものだ。
ガブリエラがあまりに彼女たちにあれこれ尽くそうとするので、「あんまり甘やかすんじゃないわよ。彼氏ができなくなったらどうするの」とネイサンに注意されたこともある。
確かに彼女たちに恋人ができたらあまり構ってもらえなくなるのだろうかと思うと寂しくなるが、ライアンとの仲を応援してもらっている以上、自分も彼女たちの恋を全力で応援しよう、とガブリエラは決めている。
イワンを食事に誘ったり、今回虎徹の若い時の写真をすかさず手に入れたのもその一環であるし、普段も、色々と気を使うことを欠かしてはいない。
他にも、虎徹が「飲みに行くか」と言えば酒より食事にしようと言ってカリーナにも声をかけたり、イワンに何か世話になる時は、「デートはライアンとだけですからね!」などとそれらしいことを言って、パオリンも誘ったり。
かといって、強引なことはしていない。ガブリエラは一般常識に疎いところこそあるが、空気は読めるし、人の感情の動きを察知するのは得意なのだ。
彼女の地味なキューピッド活動はそれなりに功を奏しているらしく、最近は食事に行くかというと虎徹自らカリーナはどうするかと発言するようになったし、イワンとパオリンに関しても同様だ。だからこそ、イワンも今回特に構えることなく誘いに乗ってくれたのである。
先ほどから会話の合間に写真をもちらちら見ているカリーナに、ガブリエラは満足そうに笑う。
「ふふふ、いいでしょう。ニヤニヤするでしょう」
「ニ、ニヤニヤなんか」
はっきり言われて、また虎徹の写真を見ていたカリーナは、顔を赤くして気まずそうにした。
「いいのですよ。私も、私と同じ年の頃のライアンの写真を手に入れた時は非常にニヤニヤしました。ニヤニヤするものです、それは。ニヤニヤせざるをえないもの」
「……そうね」
カリーナは端末を手に取り、真正面から見た。途端、艶やかな唇が弧を描く。
「だめだわ。笑っちゃう」
「そうでしょうそうでしょう。私はベッドで転げ回ったりもしましたよ」
「すっごくわかるわ」
口を押さえながら、カリーナは深々と頷いた。
ガブリエラが一部リーグヒーローになり、こうして身近にいるようになってからというもの、カリーナは精神的に非常に楽になった部分がある。
パオリンとカリーナも仲が良く、親友と言っていいとお互いに思っているが、ヒーローという立場でライバルでもあるせいか、お互いの依存度は低い。もちろん、いい意味でだが。
しかし、サポート特化ヒーローであるガブリエラは、名目上ランキングに参加はしているが、ポイントの獲得はほとんど考えていない。むしろ、ヒーロー活動中に他のヒーローを助けるのが彼女の仕事だ。
だからこそ、カリーナはガブリエラに対して肩の力を抜くことが出来る。そしておそらくそれは、他のヒーローたち、特にパオリンも同じだろう。その立場、名実ともに、彼女はまさに“癒し系”なのだ。
年齢が近く、そして同じヒーローでありつつ、ライアン本人にも周りにも、恋心を嫌味なく誰にも隠さないガブリエラは、彼女たちに代替え的な開放感をもたらした。
それでいて彼女はお前も開放的になれと強制することもなく、むしろいちいち内緒話をするようにさり気なく気を使ったり、実際に大胆すぎない手を回してくれる。ふたりが抱く乙女心を、こうしておせっかいすぎず、ちょうどよく汲んでくれるガブリエラを、カリーナとパオリンはとてもありがたく、嬉しく感じていた。
それ以外でも、カリーナが疲れた顔をしていれば能力を使ってくれたり、バイクの後ろに乗せて海沿いをかっ飛ばしてくれたり。恋愛面についても、ネイサンではレベルが高すぎ、パオリンでは物足りないような部分を、ガブリエラは大きな共感とともに埋めてくれた。仕事の愚痴も、同じヒーロー同士であれば秘密保持の遠慮をほとんどせず言うことができる。
それでいて一般常識に欠けていて放っておけない部分もあり、カリーナが慌てて助け舟を出すこともある。そんな時、彼女はカリーナに大げさなほど感謝し、カリーナはすごい、と満面の笑みで褒めるのだ。
そんな風にして、ガブリエラという存在は、カリーナを非常にリラックスさせた。
どうしても生まれてしまう甘えから小さなわがままを言ったりもしてしまうが、ガブリエラがそれを断ったことはない。いつもにこにこと、むしろ嬉しそうにカリーナの願いを聞き入れるガブリエラは、姉がいたらこんなふうだろうか、と思わせた。自分より何歩か決定的に先に進んでいる部分を持ち、しかし根本的なところが抜けていて放っておけない、個性的な姉。
「あっ、そろそろ時間だわ! ギャビー、本当にありがとう! また明日!」
「はい、また明日」
手を振って見送ってくれるガブリエラにもういちど礼を言ったカリーナは、早足で更衣室を出る。そしてエレベーターに乗り込んでから、また端末の画面を見た。
「……私と、同じ年」
今は亡き虎徹の奥方は、高校生の時の同級生だった、と聞いたことがある。この時の彼は、将来妻となるその女性と付き合い始めていたのだろうか。それとも、まだだろうか。
(──私が、このとき、ここにいたら)
そして素直に思いを告げることができたら、彼は一体どういう返事をするだろうか。
カリーナはそんな空想をしながら、端末をそっと鞄にしまい、撮影のため、迎えに来た車に乗り込んだ。
「ちょっと虎徹さん。どういうことなんですか」
「だって、なんかお偉いさんと挨拶したいって言うから……」
俺もよくわかってねえんだけど、よくわかってないなら元の場所に戻してきてください、いやいや犬拾ってきたわけじゃねえんだから、と顔を突き合わせて言い合うT&Bを尻目に、アンジェラはとことこと進み出た。
「こんにちは、ホワイトアンジェラです! ハロウィンの合同ファンミーティングではお世話になりましたのに、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「……こちらこそ。あのときはこちらも大変助かったよ」
真正面から礼儀正しく挨拶してきた他社ヒーローに、アポロンメディアヒーロー事業部長、アレキサンダー・ロイズは、自分のデスクに就いたまま、静かにそう返した。
「それは良かったです。よろしければ、お菓子をどうぞ。しょっぱいのと甘いの、どちらがいいでしょうか」
「これはどうも。甘い方を貰おうかな。コーヒーを頼もう。君もいるかね」
「頂きます!」
元気よく手を上げたアンジェラに、ロイズは頷き、内線電話でコーヒーを手配した。
「あ、割とうまくやってんじゃねーか。怒られると思った」
「怒られると思ったならなんで連れてきたんですか……」
「いや、なんかアンジェラなら大丈夫かなーって」
ちょこんとソファに座っているアンジェラの後ろ頭を見ながら、虎徹とバーナビーがヒソヒソと言い合う。
アポロンメディア・ヒーロー事業部。
アンジェラがなぜここにいるかというと、先ほどの会話どおり、虎徹が連れてきたからである。
トレーニングメニューを終わらせたアンジェラは、次に“ご機嫌伺い”をする相手を探して色々なところに連絡を入れてみたのだが、あいにくアポイントメントが取れる相手がいなかった。
そして、どうしたものか、とソファにぽつんと座っている彼女に声をかけたのが虎徹であり、事情を聞いて、「なんかよくわかんねえけど、お偉いさんに会えればいいわけ?」と大雑把な解釈をし、自分の上司のところまで連れてきて今に至る、というわけだ。
「突然お邪魔して、申し訳ありません」
「いや、一応タイガーから連絡は貰っていたのだがね」
その会話に、あっ一応アポとってたんですね、そりゃ取るだろお前俺を何だと思ってんだ、とT&Bが後ろで肘を突き合う。
「ライアン君とは面識あるけど、君とはちゃんと顔を合わせたことがないと思って」
「はい。ライアンからは、アポロンメディアのヒーロー事業部と言えばロイズさんが仕切っている、とお聞きしております!」
「仕切っているというよりは、振り回されている代表という感じが最近してきたけどねえ。しかし、ライアン君も面白いことをするね。ご機嫌伺いか……」
「私も、色々な方にお会い出来て楽しいです!」
「そうかね。緊張しない?」
「いいえ?」
「度胸がある子だなあ」
そう言いながら、ロイズはマドレーヌの包装を品よく開ける。
「……ああ、このマドレーヌ、おいしいね。どこの店のだい」
「シルバーステージの……あ、お店のカードがありますので、よかったらどうぞ」
「ありがとう。おや、そんなに遠くないね。家族のおみやげに買っていこうかな」
「ケーキもおいしいのでおすすめです!」
「そうかね」
ロイズは、ミルクのみ垂らしたコーヒーを啜った。
「ライアン君は元ウチの所属だし、コンビヒーロー同士という縁もあるし、これからもアスクレピオスさんとは良い関係を築いていきたいものだね」
「私もそう思います。合同ファンミーティング、とても楽しかったです!」
「興行的にも大成功だった。またぜひ」
「ライアンと、代表にお話をしておきますね!」
「……そうしてくれたまえ」
にこにこしているアンジェラに、ロイズは片眉を上げた笑みを返した。
「ロイズさんは、最近いかがですか?」
「相変わらず忙しいよ。この大変な時に、賠償金とか、賠償金とか、賠償金とか、それでいてギリギリ提出の書類とか、そういうものでね」
「そうなのですか。大変ですね」
「そうなんだよ。君も、与えられた仕事は早め早めに取り掛かりなさいね」
「はい! お恥ずかしながら、私は少々おバカちゃんなので、書類関係はなるべく早めに目を通して、わからないことを質問してからやるようにしています! 周りの方には、ご迷惑をおかけしますが……」
「いやいや、わからないところは素直に聞いてくれたほうがありがたいものだよ。多分こうだろう、と見当違いなことを適当に仕上げて、しかも期限ギリギリに持ってこられるよりはね」
「そういうものですか」
「そういうものだよ」
「もういっそ個人名出して話してくれませんかねぇ!?」
チラチラこちらを見ながら話すロイズと、わかっているのかいないのか真面目に相槌を打ちながら聞いているアンジェラに、虎徹が泣き言を言った。バーナビーが、呆れたような、疲れたようなため息をつく。
「それと、ついでなんだが、これにサインを貰えないかね」
「私のヒーローカード!」
ロイズが引き出しから出してきたものを両手で受け取り、アンジェラは驚きの声を上げた。
「うちの末っ子が君のファンで。ハロウィンの時にサインを貰ってきてくれと言われていたんだが、遅れに遅れていてね。そろそろ泣かれそうなんだ」
「お安い御用です!」
アンジェラは応接テーブルに突っ伏すようにして、ゆっくり、丁寧にサインを書いた。その様を見て、虎徹は「ロイズさん、だからあっさりOK出したのか……?」とつぶやく。5人の子供を持ち、なおかつ子煩悩な父親である彼なら、その理由はじゅうぶんあり得た。
そしてアンジェラはいつまでたってもたどたどしいサインを書き終わると、少し考えて、「良いクリスマスを」とひとこと添えて、ロイズに返した。
「ありがとう」
「こちらこそ、どうもありがとうございます! お子さんにもよろしくお伝え下さい」
「もちろん。ああ、他に挨拶をしたい者がいればセキュリティキーを発行するが、どうするかね」
「できれば、斎藤さんにもご挨拶をしたいです」
「ふむ、いいよ」
ロイズはそう言ってデスクの端末を操作し、アンジェラが首から下げているパスカードに設定を追加した。これで、斎藤のいるラボに行くことができる。アンジェラはぴょんと跳ねて喜びを表すと、虎徹に案内されながら部屋を出ていった。
「いいんですか、ロイズさん。ラボなんてスーツの機密情報が満載……」
「僻地の幼年学校しか出てないような娘に、そんなもの理解できるわけがないだろう」
まだ少し呆然としているバーナビーの問に、デスクの椅子に腰掛けながら、ロイズは答えた。
「あの娘が一部リーグヒーローになると決まった時、アポロンメディアもさんざん経歴を調べたとも。本当に、あの第3世界の僻地出身の、言っちゃ何だが野良犬同然の経歴だよ。……それにしちゃあ、どこかの虎よりは本当に行儀がいいがね」
「はあ」
「よく躾けられているというか、本人が上の命令というものに従順なんだろう。それに、彼女は自分のことをよくわかっている。私によろしくと言われた時、それは上に聞いてくれ、と即答しただろう、彼女」
確かに、ロイズから「またぜひ」と言われた時、彼女ははいともいいえとも言わず、「ライアンと代表に話をしておく」と回答した、とバーナビーは思い出し、頷いた。
「さっきも言ったけどね。自分の裁量で勝手に行動されるより、“おバカちゃんなのでわかりません、上司に聞いてください”と丸投げしてくれる方がよっぽどいいんだよ、こっちは」
「ハハ……」
相変わらず、名指しこそしないが明らかに相棒への愚痴を言う上司に、バーナビーは目を泳がせた。
「まあ彼女が知らなくても、メットにカメラが仕込まれてるとかはあり得るけど」
「えっ」
「でも、ライアン君ってそういうの嫌いというか、リスクの高い手段は取らないタイプでしょ。あと向こうの技術者の代表って斎藤君のライバルだか親友って話だし、それならお互いの成果を盗むとかはないでしょう」
その程度には、元社員や自社の研究員を信用している、とロイズは肩をすくめた。
「しかし、ライアン君は相変わらずこういうの上手だねえ、本当に」
「こういうの、とは」
「渡りの付け方というか、マメな営業戦略というか。本人もコミュニケーションの天才だけど、こうして人を使うのも上手いときた」
ぎしり、と、ロイズが腰掛ける椅子が悲鳴を上げた。そろそろ買い換えるべきなのだろうが、様々なスキャンダルによる財政難から節約を心がけるアポロンメディアでは、まだまだお役御免は遠そうだ。
「彼女本人はああいうキャラクターで、人見知りしないし、大物にも怯まないみたいだし。でも仕事の話はできないから営業にはならない。お菓子とちょっとした能力行使も、賄賂というにはささやかすぎる。つまり本当に“ご機嫌伺い”にしかならないわけで、でもどう見ても裏がないのはわかるから、漠然とした、それでいて友好的なコネクションづくりとしてはむしろ最適だよね」
「……なるほど」
「それになんかあの娘、妙に肩の力抜ける所あるし」
「それはありますね」
「私も最初は色々引っ掛けて、アスクレピオスの情報でも引っ張り出してやろうかなとも思っていたんだけどね。いざ話したらなんか毒気が抜かれちゃったよ」
ロイズの言うことを、バーナビーはよく理解できた。
一部リーグに参入した時、メトロ事故というディープな出来事を踏まえているとはいえ、彼女はあっという間に一部リーグに馴染んだ。
元々付き合いがあったというネイサンや同性のカリーナやパオリンはもちろん、虎徹やアントニオとは最初の週で既に飲みに行っていたと記憶しているし、KOHのキースに物怖じせず色々と教わっていた姿も見た。人見知りで異性には特にその傾向が強いイワンも、アンジェラとは自然に話ができると言っていたし、バーナビーもまた、それは同様に感じていた。
ライアンも同じようなところがあるが、それは彼のコミュニケーション能力の高さと技術が成せる、計画的なものでもある。しかしアンジェラのそれは完全に天然で、舌を出した無邪気な犬の顔を見て、なんだか力が抜けてしまうような心地に似ていた。
その後、斎藤にお菓子を渡し、そしてそれ以上のお菓子を彼から振る舞われながら談笑し彼の肩こりを治したり、ライアンがアポロンメディアにいた時のデスクの場所などを見学したアンジェラは、ロイズの肩こりと腱鞘炎、軽い腰痛もさっぱり治し、彼の名刺を受け取って、待機していたアークたちとともにアポロンメディアを出ていった。
「いやあ、いい娘だねえ彼女。いつでも連れてきていいよ。お菓子やお茶は何が好きかな、聞いておけばよかった。事前に言ってくれたら用意するから、よろしく」
「はは……」
すっきりした肩を回し、にこにこして言ったロイズに、バーナビーは乾いた笑みをこぼした。
R&A。アスクレピオスのコンビヒーローの怖いところは、経済力でも後ろ盾の強さでもなく、双方の人たらしっぷりなのかもしれない、などとも思いつつ。
★わんわんキューピッドのご機嫌伺い散歩★
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