#082
★わんわんキューピッドのご機嫌伺い散歩★
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「あーっ、間に合ったー!!」
ケインの眼精疲労への施術が終わった頃、会議室に飛び込んできたのは、スイッチャーのメアリーである。
編集作業で部屋に徹夜でカンヅメになっていた、という彼女は、この中でもっともくたびれた格好をしていた。まとめた髪は崩れかけていて、服はよれよれ。急いできたせいか、トレードマークの眼鏡が少しずれている。とどめに、微熱でもあるのかそれとも眠気覚ましか、額に冷却ジェルシートが貼り付けられていた。
「わあ、メアリーさん。見るからにお疲れですね。大丈夫ですか」
「大丈夫じゃない」
広げてあった折りたたみ椅子に、メアリーは崩れ落ちるようにへたり込んだ。
「仕事は終わったの?」
「終わりましたあ。最終チェック回してますぅ」
「それならいいわ」
つん、と顎を反らしたアニエスに、ケインとオーランドが肩をすくめ、アンジェラとロックバイソンがほれぼれとしたような顔をした。
「終わったらアンジェラが能力使ってくれるって言うから、すっごく頑張った……がんばったわ私……」
「お疲れ様です。オーランドさんが終わったら、すぐやりますからね」
「おつかれ、メアリー。俺はロックバイソンに揉んでもらってだいぶ楽になったから、そんなにかからないよ」
「順番を譲ってくれる気はないんですね、オーランドさん」
にこやかだが優しくはない同僚のカメラマンに、メアリーはじっとりとした目を向ける。
だがロックバイソンのおかげでほぐれていたオーランドの肩はすぐに良くなり、アンジェラは、いすにぐったりと座るメアリーに能力を行使した。
「ふああああ、気持ちいい……。あ〜、これ体験すると普通のマッサージとかじゃもう無理〜……! 温泉、温泉に行かなきゃ……ふわああああ」
疲れすぎているからか、やや意味不明なことを言いながら、メアリーは今にも口の端からよだれが垂れてもおかしくないような、だらしない顔をした。
「恐縮です。お忙しそうですが、最近いかがですか?」
「うう〜、毎年のことではあるけど、クリスマスと年末関係の特番の準備やらでもう忙しすぎて、目が回りそう。クリスマスのパーティーとかあるけど、絶対無理。行けて年始のパーティーかなあ」
「年始のパーティー? ああ、HERO TV関係の?」
「そうそう。年始は撮りためた長めの特番とか再放送が多いから、私達もちょっと休みがあるのよね。パーティーは仕事のうちだけど、私はスイッチャーだから営業とか別にしなくていいし〜。たまにはキレイなドレス着るのもいいかな〜って」
「いいですねえ」
「アンジェラも来るんでしょ? ドレスで来るの?」
「頭はこのメットですので、おかしくないドレスをドミニオンズのみなさんが選んでくださることになっています」
「じゃあ万全ね」
「万全、安心です」
頷きあうその様を、「仲良しだなあ」と、男性陣がほんわかした様子で眺めた。
「まあ、アニエスさんやケインさんは営業もしなくちゃならないから、リフレッシュにはならないかもしれないですけどね」
そう言ってメアリーは額から冷却ジェルを剥がし、アニエスたちのほうを見た。
「そうなのですか。ライアンほどではないですが、私もお仕事のパーティーには出席します。しかし、アニエスさんたちとお会いしたことはないですね」
「そりゃあ、お互いに会社のスポンサー関係のパーティーなら、あんまり顔も合わせないでしょ。アポロンメディアとアスクレピオスのスポンサーって、ジャンルからして全然かぶってないし」
アニエスが、肩を竦める。
「それもそうですね。アニエスさんも、年始のパーティーは出席しますか?」
「年始も出るけど、クリスマスのパーティーも一応行くわよ。それこそ挨拶回りと、営業と、ご機嫌伺いでね」
「わあ、そうなのですか。ならそこでお会い出来ますね。アニエスさんのドレス、楽しみです!」
ぱあ、とアンジェラが笑顔を浮かべると同時に青白い光が強くなり、メアリーが「あふう」と声を漏らした。目の下の隈が消えてつやつやになり、頬に赤みがさしている。
「ドレス? 私は着ないわよ」
「ええっ!? なぜですか!?」
「なんでって、仕事だもの。スーツでもドレスコードは満たしてるし、問題ないわ」
「問題、あります! なぜドレスではないのですか! いえ、スーツも素敵ですが! ドレス! アニエスさんがドレスを着ないなんて、そんな! ドレス!」
「ちょ、アンジェラ、もうちょっと能力ふわあああああああああ」
アンジェラが興奮して声を上げると同時に能力の加減が強くなり、メアリーがふにゃふにゃになって椅子から崩れ落ちた。慌ててケインが助け起こすが、メアリーはとても心地よさそうな顔で、むにゃむにゃ言いながらすやすや寝息を立てている。どうも、気持ちが良すぎて寝てしまったらしい。
「ああ、そういえばアニエスさん、いつもスーツですね……。ちょっと胸元にフリルついてたりはしますけど」
「よく見てるわね」
「あ、いえ……」
毎年、年末年始のパーティーで顔を合わせるロックバイソンがぼそりと言ったそれに、アニエスが片眉を上げる。よく見ている、と指摘されたロックバイソンは、大柄な身体を恥ずかしそうに縮こめて口ごもった。
「なぜですか! ドレス姿のアニエスさんは、間違いなく素敵です! 営業も、よりうまくいくはずです! ドレスを着るべきです!」
「ありがとう。でも、スーツでも素敵なんでしょ? 問題ないじゃない」
「スーツも素敵ですがドレスも見たいです! 着てください!」
「嫌よ、無駄な出費だわ」
つん、と顎を反らしたアニエスに、ロックバイソンが、きゅんとした胸を押さえた。
「むうう! ではお金を出します! バイソンが!」
「は!? 俺!?」
突然話を振られたロックバイソンが、ひっくり返った声を上げる。
「なぜならバイソンも、アニエスさんのドレス姿が見たいはずだからです!」
「いや俺は」
「見たいですよね!」
「えっ」
「見たいですよね!」
「その」
「見たいですよね!」
「……見たいです」
「ほら!」
そらみたことかとでもいわんばかりのアンジェラであるが、「ゴリ押したよね?」と小さく突っ込みを入れたのは、オーランドだけである。ケインはといえば、寝ているメアリーをどうしたものかと、彼女を抱えてオロオロしているだけだ。
「もちろん私もお金を出します!」
「なんでそこまでするのよ……」
「女王様はドレスを着るものだからです」
「誰が女王様なのよ」
ぺし、とアニエスはアンジェラのメットを叩いたが、アンジェラはちょっと嬉しそうな顔をしただけだった。
「とにかくドレス! ドレスを着てください! アニエスさんのドレス! アニエスさんのドレス! 絶対に綺麗ですとても綺麗です間違いなく綺麗です! ドレス! 着てください! ドレス!」
「ああもう、わかったわよ! 着ればいいんでしょう着れば!」
「やったー!」
足をだんだん踏み鳴らし、両拳を振りながら喚くという駄々っ子そのもののやり方でついに押し切り、諸手を上げて喜ぶアンジェラに、ロックバイソンとオーランドが「すげえ」と言わんばかりの目を向けた。
「やりましたねバイソン!」
「お、おう……」
「あっ、予算はどれくらいにしますか? 半額ずつでいいでしょうか」
「……いや」
ぴょんぴょん跳ねてはしゃぐアンジェラから目線を外し、ロックバイソンは、アニエスに向き直った。
「俺が全額出します。ドレス、着てください。アニエスさん」
真剣な声でそう言ったロックバイソンに、ヒュウ、とオーランドが短く口笛を吹く。
「……まあ、出してくれるんなら着てもいいけど」
「ありがとうございます!」
「でも、別にお礼とかしないわよ」
「ありがとうございます!」
なんでそこでお礼言うんだ、というオーランドに、「むしろご褒美だからです」とアンジェラがひそひそと返す。そんなやりとりも耳に入っていないのか、ロックバイソンは浮足立った様子だった。
「むむむ、バイソンが全額出すなら、ドレスを選ぶのもバイソンの権利となりますね。素敵なものを選んでくださいね、バイソン! 楽しみにしています!」
「も、もちろんだ! アニエスさんに最高に似合うドレスを選んでみせるぜ! ……あ、でも、迷ったら相談させてくれな」
後半はこっそりと言ってきたロックバイソンに、アンジェラは「おまかせあれ! 私にはファッションリーダーたちがついています!」と胸を張った。ちなみにそのファッションリーダーとは、もちろんドミニオンズの面々のことである。
「あっ! バイソンてめえ、こんなところにいやがったか! もう番組始まるぞ!」
「うわわわ、やべえ! あっアニエスさん、この件についてはまた!」
焦った様子のクロノスフーズ役員が飛び込んできたので、ロックバイソンは慌てて部屋を出ていった。
「本当です、もうこんな時間! 私もそろそろ失礼します! お疲れ様です!」
「……ええ、お疲れ様」
「お疲れ様ー」
「おつかれさん。あっそうだアンジェラ、渡すもんがあるんだよ」
メアリーをなんとか椅子に座り直させたケインが、ポケットから何か取り出した。
「ステルスソルジャーとか、昔のヒーローの映像集めたやつ。欲しいって言ってただろ? メアリーと一緒に探してきて、適当に編集してあるから」
「わあ、いいのですか? うれしいです!」
小さなケースに入ったメモリーカードを、「クラークさんにもコピーして差し上げましょう」と、アンジェラは嬉しそうに受け取った。
「こんなにお忙しそうなのに、本当にありがとうございます!」
「元々まとまってるのを繋げただけだし、忙しついでって感じだよ。こんなにリフレッシュしてもらえるんなら、お釣りが来るぐらいだろ。メアリーも」
「それなら良いのですが。メアリーさんにはメッセージでお礼を言っておきます。あ、お菓子を渡しておいてください!」
「はいよ」
綺麗にラッピングがされた花の形のマドレーヌを、ケインは丁寧に受け取った。
「では、お疲れ様です! これからもよろしくおねがいいたします!」
部屋の前で待機していたアークたちを引き連れて嵐のように去っていったアンジェラを、アニエスたちは呆然と見送った。
「まったく、騒がしいコ」
「いいじゃないですか、助かりますし。あー、ほんとに肩がスッキリした」
「確かにね。──ケイン」
「はい」
なんとか座らせたはいいものの、頭をゆらゆらさせて、今にも崩れ落ちそうなメアリーをどうしたものかとおろおろしていたケインは、背筋を伸ばしてアニエスを見上げた。
「徹夜用の寝袋持ってこさせるから、メアリーはそこに寝かしときなさい。一応女がこんなところでひとりで寝てたら危ないし、ついててあげて。お昼までに起きなかったら起こして」
「あ、はい」
「それまであなたもここでフィルムのチェックでもしといてちょうだい。端末も運ばせるから。行くわよ、オーランド」
「了解です」
「えっ」
ケインは、スタスタと部屋を出て行くアニエスと、気持ちよさそうに寝ているメアリーを慌てて見比べたが、やがてもじゃもじゃ頭を掻いて、アニエスの後ろ姿に小さく頭を下げた。
「優しいですね、アニエスさん」
「別に。騒がしいキューピッドの仕事を手伝ってやっただけよ」
「……あれ、計算なんですかねえ。それとも天然?」
「さあね」
「アニエスさんも、ドレス、着るんですよね? どうするんですか?」
「さあね」
ヒールをかつかつと鳴らし、なんでもないようにはぐらかしたアニエスに、オーランドは肩を竦める。そして、「俺も気になるコができたら、アンジェラに相談してみようかな」と呟いたのだった。
「アンジェラ、そろそろお約束の時間では?」
「あっ、本当です」
教えてくださってありがとうございます、と、アンジェラは律儀にアークに頭を下げる。
せっかくOBC局に来たのだから、と、彼女はOBCの重役たちや古株のスタッフ、また仕事をしたことのある面々に“ご機嫌伺い”をして回っていた。
いちばんお世話になる方たちですからね、というアンジェラの判断によるものだが、ヒーローが直接こうした挨拶回りをするのは初めてであるらしく、皆面白そうにしてお菓子を受け取り、ちょっとした怪我や不調を治してもらっては、嬉しそうにお礼を言ってくれた。
「では、予定の時間にジャスティスタワーで」
「了解です。GPSは肌身離さずお願いします」
「はい!」
そんなやりとりとともに、お菓子の袋をアークに預けると、アンジェラは彼らと離れ、スタジオの一室に飛び込んだ。
そしてホワイトアンジェラのメットを取り、身なりを整え、コートを裏返す。
真っ白でふわふわのファーコートは、裏返すと、真逆に真っ黒で細身の、スタイリッシュでシンプルなラインのコートになった。裏起毛状態になったファーが襟や袖口から僅かに見えているが、先ほどのコートだとは一見わからない。
白いメットとふわふわのファーコートが真っ赤な髪と真っ黒なコートになると、見た目の印象が全く異なる。このリバーシブル・コートは、冬物の服を買いに行った時にあのマヌカンの女性に勧めてもらい、一目惚れして購入したものだ。裏表2種類のデザインはどちらも気に入っているし、こうして正体隠しにも役に立つ。
すっかり変身して“ガブリエラ”になった彼女は、入ってきたところとは違うドアから部屋を出て、その場でナンバーを作成してロックするタイプのロッカーにメットを入れ、OBC局を後にした。同時に、ロッカーのナンバーをアークたちにメールする。
これで、ホワイトアンジェラのメットはアークたちが回収して、車に置いてきた荷物と一緒に、後で持ってきてくれる。万がいち誰かに尾行されている場合も考えての、正体がバレないための様々な工夫のうちのひとつだった。
「徒歩は久しぶりです」
クリスマスの飾り付けがちらほらと見えてきたシュテルンビルトを、ガブリエラはてくてくと歩く。もう秋は終わって、冬が始まったところという様子の町並み。
車でもなく、バイクでもなく、しかもひとりでこうして街を歩くのは、本当に久しぶりな気がした。
ガブリエラの故郷は温かいというよりは暑い土地で、冬という季節自体が存在しない。彼女はシュテルンビルトに来て、冬とか、寒いとか、そういうものを初めて体験した。しかし貧乏だった頃は防寒の手段が少なかったので、なるべく外には出ず、会社で暖を取ったり、家の中で毛布に包まっているばかりだった。
しかし今は暖かいコートがあり、あの頃ほどがりがりに痩せていないこともあって、外をこうして歩くのは気持ちのいいことだった。
(ツーリングもいいですが、お散歩もいいですね)
そういえば、ライアンは早朝にモリィを連れて散歩することがよくあると言っていた。なるほどこういう楽しさであるのか、と、ガブリエラは新しい発見をしつつ、軽やかな足取りで目的地に歩いていった。
「あっ、ギャビー、来た!」
目的地、もとい待ち合わせ場所には、既に相手が到着していた。
大きめのチャイナボタンがポイントになった、コートというよりはポンチョのような形の真っ赤な上着を着て、大きく手を振ってくるのは、パオリン。その斜め後ろに、大きなボアフードのついた中綿のモッズコートを着たイワンが立っている。
「申し訳ありません、ぎりぎりでしたね」
「大丈夫だよ、ぎりぎりだから」
少し駆け足でやってきたガブリエラに、パオリンはにっと笑ってみせた。ガブリエラも、にっこりと笑い返す。
「今日はお付き合い頂いて、ありがとうございます」
「ううん、ギャビーとごはん食べるの楽しいから、誘ってくれて嬉しいよ! 折紙さんのオススメのお店っていうのも気になるし!」
「ご期待に添えればいいのですが……」
自信なさげに、イワンがはにかむ。
今日はライアンと一緒に昼食をとることができない、とわかったガブリエラは、会社を出る時、さっそく通信端末からメッセージを飛ばした。
その「今日、ランチを一緒に取ってくれる人は居ませんか」という急な申し出に乗ってきてくれたのが、このふたりだったのである。
「私も楽しみです! ジャパンは食事もお酒もおいしいですからね。少しヘルシーすぎるので、お腹にたまりにくいところがありますが」
「それはあるよね。スシとか、何個食べても食べた気にならない感じ」
「あ、その点は今回大丈夫だと思います」
うんうんと頷き合っている健啖女子ふたりに、イワンは穏やかに言った。
イワンがふたりを連れてきたのは、いかにも和のテイストの店構えである。
漢字で何やら書かれた暖簾をくぐり、引き戸になった入り口を開けて店に入ると、「らっしゃァッセー!!」という、威勢のいい声が響いた。
「ここは何のお店ですか?」
「カツ丼です」
「かつどん? 牛丼の仲間ですか?」
コートを脱いでハンガーに掛けたガブリエラは、こてんと首を傾げた。
「あ、似たような感じです。天丼とか、親子丼も置いてますけど」
「つまり、ごはんにおかずが乗ってるタイプのやつだね! ボクも牛丼は好きだよ、クロノスフーズのやつ。あー、おなかすいてきたー!」
パオリンが、本当におなかをさすりながら言う。
4人がけのテーブルに座ると、さっそく店員が注文を取りに来た。
「あ、とりあえずカツ丼みっつ……で、いいですよね?」
控えめに、イワンが確認を取る。
「OKです! 足りなければまた注文します!」
「ボクも!」
元気よく答えたガブリエラとパオリンに、「お客さん、うちは結構盛りが多いですよ」と苦笑する。しかし、ふたりの食べっぷりを知っているイワンは、乾いた笑いを漏らしただけだった。
「すばらしい……おいしい……」
「すっごい。おいしい。最高」
「喜んで頂けて何よりです」
──数分後。運ばれてきたカツ丼を口にするなり、まるで雷に打たれたように感動しているふたりに、イワンは微笑んだ。
「ごはんがふかふかのもちもちで、豚肉が分厚くて……」
「さくさくの衣に、この……この半熟卵が……んんん……」
「そしてこの出汁! 完璧! 完璧です!」
頬を赤くしながら、ガブリエラとパオリンはカツ丼をかき込んでいく。本当に心の底から美味しそう、幸せそうなその様子に、イワンはほっと肩の力を抜いた。よく知っている仲間とはいえ、実のところ、いきなり女性ふたりから美味しい店に連れて行けと言われ、内心緊張しきりだったのだ。
「このカツ丼は、オリエンタルの伝統的な食べ物なのですか?」
未だに箸がうまく使えないため、フォークでカツ丼を食べているガブリエラが尋ねる。
「いえ、カツというもの自体が比較的新しいものなので、そこまで古くはないかと。古いのは、おそらく親子丼などではないでしょうか」
「親子丼?」
「鶏肉と卵の丼です」
「あー」
なるほど、と頷くパオリンに対し、ガブリエラはすぐに意味がわからず首を傾げる。ふたりに解説してもらってやっと、「うまいことを言いますね!」と彼女は感心して頷いた。
「しかしこのカツ丼は、日本の刑事ドラマによく出てくるんですよ」
「刑事ドラマ?」
「取調中に、刑事が犯人に差し出すんです。そうすると、犯人はそのあまりの美味しさにカツ丼をむさぼり食べながら泣いて自白を」
「へえ〜。でもわかる、確かにそのくらいおいしいもん」
そんなことを話しながら、3人は夢中でカツ丼を平らげていった。
あっという間に丼の中身がなくなり、次いで、ガブリエラが親子丼と天丼を追加注文する。その様を見て、パオリンが悔しそうな顔をした。
「う〜、ボクも親子丼と天丼食べたいなあ。でも3杯は食べられない……」
「そうですね、僕も2杯で限界な感じです」
こちらも、ゆっくり食べているようで飯粒ひとつ残さず完食したイワンが言う。
「では、おふたりでシェアすれば良いです」
店員が早速運んできた親子丼を手に取りながら、ガブリエラがあっけらかんと言う。
「ふたりで分ければ、色んな種類がたくさん食べられます。とてもお得。私もいつもライアンとそうします。あと1杯しか食べられないなら、2種類を半分ずつすればいいのです」
賢いでしょう、と言わんばかりのどや顔で、ガブリエラは言う。イワンとパオリンが、目を丸くした。
「え、あ、そっか……。えっと、折紙さん、いい?」
「えっ!? あ、ああはい、キッドがいいなら」
「ボクも、折紙さんがいいならいいよ」
「え、あ、はい。じゃあ、頼みますか」
「うん」
何やらぎくしゃくと店員を呼ぶふたりを、ガブリエラはにこにこと眺めた。
「ああ〜、とてもおいしかったです。これはライアンにも教えなければ」
カツ丼と親子丼と天丼、そしてそれぞれについていたミソスープと漬物、更にデザートに抹茶わらびもちパフェも食べきって店を出たガブリエラは、満足そうに言った。
「そうですね。店名もライアンさんっぽいですし」
「えっ、そうなのですか?」
イワンの発言に、ガブリエラはきょとんとして、今出てきた店を振り返った。店の名前は目の前の看板や暖簾にでかでかと書いてはあるのだが、漢字なので読めないのだ。
「これ、“ど丼”って読むんですよ」
「なんと!」
「えー! ほんとにライアンさんっぽい!」
本当にライアンに縁のある店名に、ガブリエラとパオリンが目を丸くする。これはいよいよ本当に連れてくるべきですね、とガブリエラは鼻息を荒くして、店名の書かれた暖簾の写真を撮った。
「ライアンがいれば、他のメニューも全て制覇出来るでしょう!」
イワンとパオリンの2杯という量も、一般からするとかなり食べた方だ。それを3杯というだけで店側が目を白黒させていたというのに、メニューを全制覇したらどういうリアクションになるのだろう、とイワンとパオリンのふたりは目を見合わせた。
「そういえば折紙さん、前と比べて結構食べるようになったよね」
前はもっと少食だったと思う、と、パオリンが言うと、イワンは頷いた。
「はい、確かに。しかしヒーローとしてもっと体力をつけなければというのと、今はアンジェラさんにお願いして背を伸ばしているので、とにかく栄養、特にタンパク質を採らなければと頑張りました。随分食べられるようになったと思います」
「そっか。でも、確かに背が伸びてるよね! いいなあ」
「まだ少しだけですが、このペースなら劇的なほうではないかと!」
嬉しそうに、イワンは拳を握った。
彼の言う通り、その背はやや伸びて、同じ身長だったガブリエラよりも少し高い。
パオリンも彼と目を合わせる時は、以前よりもう少し見上げなければならないようになっている。その高い目線に、パオリンは、いつもよりなんだか自分が小さくなったような気がした。
「……むう! ボクだって、もっと背が伸びるもんね! ギャビー、よろしくね!」
「いくらでも協力はしますが、生まれつきなものはしょうがないですよ」
「むううー!」
けらけら笑うガブリエラに、パオリンはじゃれつくようにして抱きついたり、腕を引っ張ったりする。そんなことをしながら3人は学生のようにバスに乗り、ジャスティスタワーに向かっていった。
「……今日はありがとうね、ギャビー」
「何のことでしょう。ランチに付き合って頂いたのは私ですよ」
「もー、そういうこと言う……」
イワンと別れ、ガブリエラとともに女子更衣室にやってきたパオリンは、ぷっと頬を膨らませる。そして、もういちど控えめに「ありがとう」と言った。
ガブリエラが最初にランチのお誘いメッセージを流したのは、女子ヒーローズのメッセージ・グループだけだ。カリーナとネイサンは予定が合わず、OKと返事をしたのはパオリンだけ。
そして、パオリンが来るならと、ガブリエラがイワンにも声をかけたのだ。美味しい日本食が食べたいのですが、いいお店を知っていたら連れて行ってください、というやや押し気味のメッセージで。
日本食のことで頼られたからか、それとも基本的に女性からの押しに弱いからか、イワンが快く了承してくれたので、今回この3人でのランチが成立したのである。
もしパオリンではなくカリーナだけがランチに行くことになっていたら、ガブリエラはイワンではなく虎徹を誘っていただろう。そのことくらいは、パオリンにもわかった。
「次は、おふたりで出かけたいですか?」
「う、……うー、うーん……」
パオリンは少し顔を赤くして、着替え途中のガブリエラの薄い背に、額をぐりぐりと押し付けた。
「うー……。まだ、いい」
「そうですか」
「折紙さんだけ成人しちゃったし、なんか、すごく、大人っぽいというか」
「なるほど」
「それに、……背が」
「はい?」
「背が高くなってるから、ちょっと、……調子が」
「ああ。格好良く見える?」
「……うん」
ガブリエラの背に顔を押し付けてぐずぐずするパオリンに、ガブリエラは微笑んだ。少し振り返ると、可愛い耳が少し赤くなっているのが見える。
「……でも、今回みたいなのは、またしたい、……かも」
「わかりました。機会があれば声をかけましょうね」
「うん。ありがとう、ギャビー」
「どういたしまして。ほら、着替えてトレーニングに行きましょう。くっつかれていると着替えられません」
「うー、やー」
照れ隠しなのか、甘えるようにくっついてくるパオリンに、ガブリエラはくすくすと笑う。トレーニング用のシャツを引っ張り、ふたりまとめてシャツに頭を突っ込んできゃあきゃあはしゃいでいると、更衣室のドアが開く音がした。
「何やってるの、あんたたち」
子供のようにじゃれついているふたりに、入ってきたネイサンは、呆れたような、微笑ましいような声で言った。
「さっさとトレーニングルームにお行きなさい」
「はい、ママ」
「ぷっ。ごめんなさい、ママ」
「あーら。アタシったら、こんなに可愛いのふたりも産んだかしら!」
くっついているふたりをまとめて抱きしめたネイサンは、きゃーきゃー言っている娘ふたりをさっさと着替えさせると、更衣室から優しく放り出したのだった。
★わんわんキューピッドのご機嫌伺い散歩★
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