#081
★わんわんキューピッドのご機嫌伺い散歩★
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「えっ?」
アスクレピオスホールディングス・シュテルンビルト支社最上階。ヒーロー事業部のオフィスで、ガブリエラは、ぽかんとした声を上げた。
「はい、今日は特にアンジェラに仕事はありません」
ブレンダ女史が、淡々とした口調で言った。
「な、なぜですか」
「この間の、グラビアアイドルの立てこもり事件あっただろ」
そう言ったのは、何やら書類をめくりながらのライアンである。
ほんの数日前に起こった事件だ。いわゆる枕営業を強要されていたグラビアアイドルが自分の事務所の社長に銃を突きつけて人質とし、“営業先”の重役たちの名前をネット中継で読み上げさせたというもの。
ヒーローが突入し、ファイヤーエンブレムを中心とした女性ヒーロー陣の説得で、グラビアアイドルは社長の殺害を思い留まった。そして解放されるなり逆上してアイドルを罵り殴りかかろうとした元ホストの社長は、彼女を守ろうとしたアンジェラから、反射的に股間を蹴り上げられて気絶。あっさりと拘束された。
そして女性の人権を踏みにじる行為を繰り返していたことが判明し、調査によって余罪がたっぷり見つかった彼はもちろん、“営業先”の多くの男性たちには、しっかりと法の手が及んだ。
グラビアアイドルは一旦身柄を拘束されたものの、殺害は未遂で終わり、また同じ被害に遭っていた他の所属タレントたちが一斉に声を上げて証言したり無罪を求める署名を多く集めたことなどから、つい昨日、情状酌量で無罪放免となった。
「ああ、あの。ちゃんとした犯人がちゃんと捕まって、本当に良かったです」
「だな。で、あの事務所自体も色んな所に仕事入れてたし、重役のエロジジイどもが捕まりまくっただろ。それでスタジオとか芸能事務所にも色々影響が出て、急なキャンセルがぽつぽつ」
おかげで、この数日は怒涛のスケジュール変更が相次ぎ、てんやわんやであった。
「それが巡り巡って、お前のスケジュールに空白がポーンと」
「むう、なるほど」
ガブリエラは、納得して頷いた。
「つーわけだから、今日は自由にしといていーぞ」
「そう言われましても」
今日も頑張るぞといつも通り早めに出社し、シスリー医師の健康診断を受け、オフィスに顔を出すなり今日は何もないと言われたのだ。出鼻をくじかれたような気持ちで、ガブリエラは困ったように首を傾げた。
今日はケルビムやパワーズ、スローンズとのミーティングや会議もない。取材や撮影、テレビの仕事など、芸能関係の仕事がなくなれば、オフィス仕事を与えられていないガブリエラは、本当にやることがなくなってしまうのだ。
故郷では言わずもがな、シュテルンビルトに来てからも、まさに貧乏暇無し、という言葉そのままの生活だったガブリエラだが、基本的に、彼女は働くことが好きである。
仕事を与えられてそれをやり遂げることが、ガブリエラはとても好きだ。褒められたり感謝されたりすると、次はもっと頑張ろうと思う。
一部リーグになってからはどんどん仕事が入るし、以前と違い、働けば働くほど少なくない手当が舞い込んでくる。収入が増えたことでおそるおそるいろんなものを買い、以前と比べて暮らしぶりは随分優雅になったというのに、口座の金額は増える一方だ。おまけに、殆どの仕事はライアンと一緒である。彼と一緒なら、ガブリエラはどんなにきつい仕事でも頑張れるし、何より楽しい。
忙しい毎日は大変だが、精神面でも物質面でも、充実感でいっぱいだ。だからこそ、突然何もしなくていいと言われ、ガブリエラは困ってしまった。
「むぅ。ライアンはどうするのですか?」
「俺は色々打ち合わせと、こないだキャンセルになった対談の取材」
「むむむ」
基本的にいつも一緒に仕事をしているライアンからそう言われ、ガブリエラは更に唸った。
「では、皆さんに能力を使いに……」
「ちなみに、パワーズは今お前の新しいスーツ開発の素材が来るんでバタバタしてるし、ドミニオンズはクリスマスの準備で殺気立ってるから行かねーほうがいいぞ」
「うぐぐ」
ガブリエラは唸るが、ブレンダ女史はうんうんと深く頷いている。
「スローンズに遊びに行けば?」
「いいえ。この間のモーターショーで決まったスポンサーとのコラボレーション企画の打ち合わせで、今日は皆さん全員で◯◯社に出向です」
「あー、それって今日だっけか」
「はい」
困ったような顔で、ガブリエラは頷いた。
「まあ、ゆっくりしとけよ。最近忙しかったし、これからクリスマスに向けてまたすげー忙しくなるし。休める時に休んどけ」
「クリスマス……」
ガブリエラはむっと眉間に皺を寄せ、なんだか考えるような顔をした。
「……むう。クリスマスとは、なぜこんなに忙しいのでしょう」
「そりゃ、クリスマスだからだろ」
ぶつくさ言うガブリエラに、ライアンは苦笑して肩をすくめた。
「そうそう、病院に能力使いに行くのもダメだぞ。予約とか事前の調整とってない状態で行って、パニックになったらヤバいし」
「わかっています……」
二部リーグの頃はボランティアで能力行使をしに病院に通うこともしていたが、それは彼女が有名でなかったからこそ行えていたことである。
当時でも自分を治してくれと患者が殺到することが多かったというのに、一部リーグになった今同じことをすれば、病院内だけでなく外部からも人がなだれ込んできてしまう可能性がある。
そのため、ホワイトアンジェラの能力行使による治癒は完全に予約制で、きちんと病院と話をつけて準備してから、と決められていた。
「……では、お昼のトレーニングと、夜の歌のレッスンには行きます……」
「おう、そうしろ。あ、俺、今日のランチはスポンサーと行くから」
「え、どのスポンサーですか? 私も……」
「俺の個人スポンサーの方だからダメ」
「むー!」
ぷっと頬を膨らませたガブリエラは、不満を訴えるように、ブーツの踵を鳴らした。
「あのさあ。サボっていいって言われてんのに、なんでそんな嫌そうなんだよ」
「……お仕事をサボることの、何が嬉しいのですか?」
「まさかの返答」
本気で不思議そうに首を傾げているガブリエラに、ライアンは半笑いになった。「アンジェラは労働者の鑑ですねえ」と、ブレンダ女史が感心している。
「突然何もしなくていいと言われても、何をすればいいのかわからないではないですか」
「そういうモンかねえ? 普段できないこととか、もっとやりたいことやるとか、色々あるだろ。ほら、ショッピングに行くとか、映画観に行くとか、溜まってた家事やるとか」
「特にありませんが……」
冬物の服は先日例のマヌカンの女性につきっきりになって貰ってひと揃い買ったし、新しいライダーグローブも、ライアンが買ったメットと同じメーカーのものを購入して、早速愛用している。映画で気になるものは特にないし、家事も溜まっていない。指折り数えながら、ガブリエラはそう言った。
「……毎日充実してるみたいで何よりだよ」
困った顔のガブリエラに、ライアンは肩をすくめた。
「しょうがねえな、じゃあ仕事やるよ」
「本当ですか!」
途端に目を輝かせるガブリエラは、命令を与えられて喜ぶ犬そのものだ。そんな彼女に苦笑しつつ、ライアンは机に肘をついた。
「そうだな、……ご機嫌伺い、ってわかるか?」
「きげんをうかがう……?」
「まあ要するに、“最近どお?”って聞くことだよ」
「ふんふん」
「こーゆー業界、人との繋がりって大事だろ。コネクション、ってやつ」
「わかります」
元々ヒーローは、知名度ありきの仕事である。一部リーグに上がって、スポンサーがついたり、芸能関係の仕事をするようになってから、ガブリエラは特にそれを身をもって感じてきたので、深々と頷いた。
「そこんとこ、特に用がなくても、そうやって機嫌を伺うことで繋がりが維持されるわけ。久々に会った奴にいきなり仕事の話とか頼み事されるとちょっと構えるけど、こまめに“最近どお?”って聞いてきてた奴だったら、スッと話も通しやすいだろ」
「なるほど」
ためになります、と言わんばかりに頷いている彼女に、ライアンは続けた。
「そういうわけだから、最近顔合わせてない面子に“ご機嫌伺い”してこい。なんなら差し入れとか持って。肩こりとか肌荒れ程度なら、能力もほどほどに使っていいし」
「わかりました!」
「あんまり遠くには行くなよ。あと事件が起きたら即対応で」
「もちろんです」
ガブリエラはしっかりと頷き、ホワイトアンジェラのメットをしっかりとかぶる。そして、膝下まである、真っ白な、フワフワのファーコートを羽織った。いかにもメカニカルなデザインのメットとも違和感なく合う、新しい冬物の洋服のひとつだ。
「ではさっそく行ってきます! まずは差し入れを買いに!」
「おう、行って来い」
意気揚々とオフィスを出ていくガブリエラを、ライアンは軽く手を上げて見送る。
「じゃあ頼むな。……ま、犬の散歩か、おつかいみたいなもんだと思って」
「了解です」
そして後からこっそりそう命じられたアークたちが、ボディーガードとして、影のようについていった。
「ふわあ、迷いますね」
「配り物なら、このあたりがおすすめですよ」
シルバーステージに降りたところにある、少し辺鄙なところにあるスイーツショップの店頭。ガブリエラ──アンジェラは、少し緊張した様子の店員に対応されながら、お菓子を選んでいた。
私服姿だがヒーロースーツのメットをかぶった、最近定番になりつつある“街歩きヒーロー”のスタイル。しかも今回はホワイトアンジェラに似たカラーリングの白スーツ姿であるアークふたりが両脇に侍っているのもあって、一般客の目も大いに集まっている。
「どういう方に差し上げるのですか?」
「お仕事中の方々に、“ご機嫌伺い”をしに行きます!」
「では仕事をしていても食べやすい、マドレーヌはいかがでしょうか。個包装しているので手が汚れませんし、形やフレーバーがいろいろあります」
「おお、なるほどです。ではそれを頂きます!」
快活に頷いたヒーローに、店員は笑顔で了解し、様々な色や形のマドレーヌをトレイに置いていく。
「あっ、その、ミルククリームのケーキサンドを別にください。私のおやつにします」
「わかりました。ミルククリーム、お好きですか?」
「はい、ミルクは好きです。それに以前こちらのお菓子を食べた時、いちばんおいしかったのです!」
とても嬉しそうに、アンジェラは言った。
「他のお菓子もとても美味しくて、そこの、冬限定のホワイトチョコレートとベリーのケーキも最高でした! その前の、秋限定のさつまいものケーキもとても美味しかったです。あとはあちらの、ナッツキャラメルがおいしいです。忙しい時のカロリー補給にもいいですし。歯にくっつくので、温かいミルクティーなどで、ゆっくり口の中で溶かしながら食べるのもいいです!」
特徴的に澄んだ声は、周りによく通った。「へえ」「美味しそう」と周りから声が聞こえたことで、アンジェラは、自分の声が大きかったことに気付く。
「はっ、すみません。大きな声を出してしまいました」
「いいえ、どうもありがとうございます」
「え? はい、どういたしまして?」
なぜお礼を言われたのかわからず、アンジェラは首を傾げながら、マドレーヌの入った、大きめの紙袋を受け取った。
「あ、リボンがついています!」
ディスプレイされていたときはシンプルなフィルムパックに入っていただけだったマドレーヌには、ひとつずつ、可愛いリボンのついたシールがつけられていた。
「人に差し上げるものということなので。サービスです」
「素敵です! お菓子だけでもおいしくて素敵なのに、見た目もかわいい!」
また興奮して声が大きくなったアンジェラだが、店員はにこにこしていた。
「あ、あの! アンジェラ!」
「はい?」
紙袋を掲げて大喜びしていたアンジェラの後ろから投げかけられたのは、若い娘の声だった。振り返ると、短いスカートの制服を着た女子高生3人組が、顔を赤くし、緊張しているのがまるわかりな様子で立っている。
アークがすかさず、所持している小型装備でさりげなく女子高生らをスキャンし、危険がないことを確認した。アンジェラのボディガードである彼らだが、同時にフレンドリーなホワイトアンジェラのキャラクターイメージもまた守らなければならないため、パワーズから最新技術を用いた色々なツールを支給されているのである。
「こ、こんにちは! はじめまして!」
「はい、はじめまして。こんにちは」
ひっくり返った声で頭を下げてきた女子高生に、アンジェラも礼儀正しく挨拶を返す。あの、その、と数秒どもっていた彼女だが、両脇の友人ふたりにそれぞれ脇腹を突かれ、やがてキリッとまっすぐアンジェラを見た。
「あの! 私、明日、好きな人に告白しようと思ってて!」
「おおっ、それはそれは。応援しています。がんばってください!」
「あ、ありがとうございます! あの、その、なので、握手してください!」
「なので? はい、握手ですね。いいですよ」
首を傾げつつ、アンジェラは、快く女子高生と握手した。すると、きゃあ、と女子高生たちは声を上げ、良かったね、きっと御利益あるよ、とはしゃぎ始める。
「あの、すみません! 私もアンジェラが買ったのと同じお菓子、ください!」
「はい、少々お待ちくださいね」
店員はにこにこして、ミルククリームのケーキサンドと天使の羽の形をしたマドレーヌを選び、ピンクのハートのシールを貼って手渡した。女子高生はそれを受け取り、気合を入れるようにしてガッツポーズを作ると、「アンジェラ、ありがとう!」と言って、手を振りながら去っていく。
アンジェラは何がなんだかわからず首を傾げ、頭の周りに疑問符を飛ばしていたが、やがて気を取り直し、店員に向き直った。
「では、ありがとうございました。また買いに来ますね!」
「こちらこそ、どうもありがとうございました」
今後もご贔屓に、と手を振る店員に手を振り返して、アンジェラは店を離れた。
そしてその直後、周りにいた人々が、スイーツショップにわらわらと集まっていく。
「アンジェラが買ったのってどれ?」
「彼女の食レポ、いつもハズレがないものね」
「なら絶対美味しいんだろうな」
「あたしも彼氏に買っていこうっと」
「ご利益あるかなあ」
「限定ケーキ、ホワイトチョコレートとベリーだって。おいしそう」
「ナッツキャラメルください」
次々に投げかけられる注文に、店員たちが慌てて対応し始める。
そうして、シルバーステージの目立たないところにあるそのスイーツショップの本日の売上はかなりのものとなり、後日、犬の焼印が入ったミルククリームのケーキサンドと、天使の羽根の形のマドレーヌがセットになったギフト用スイーツが看板アイテムとなるのだが、それはまた別の話である。
「準備ができました! 完璧です!」
マドレーヌに続き、最近出来たジャパンのお菓子の専門店で“センベイ”というしょっぱいお菓子も購入したガブリエラは、その紙袋を、借りてきた社用車に乗せた。ちなみにセンベイを買ったときもスイーツショップとほぼ同じ現象が起こり、アンジェラは特別に焼きたての温かいセンベイをサービスしてもらった。
最近の食レポや食べ歩きの成果で、どちらもガブリエラのおすすめの店だ。しかも甘いものとしょっぱいものが両方あれば好みにも外れまい、と、ガブリエラは万全の準備ができたことに満足した。
「はい、みなさんもどうぞ」
「あ、これはどうも」
ついてきてくれているアークの面々に、アンジェラはひとつずつお菓子を手渡した。
「アークの皆さんは、最近いかがですか?」
はきはきと訪ねてきたアンジェラに、アークたちは顔を見合わせた。
「まあ、知っての通りですが」
「給料もいいですし、仕事もやりがいありますし、言うことないですね。健康面にしっかり気を使ってくださるのもありがたいです、身体が資本の業務なので」
「しかもアンジェラが時々能力使ってくださるので、いつもすごく体調が良くて」
「そうそう」
「ゴールデンライアンやクラークさんも、いい上司ですしね」
「他の部署の方々も協力的で」
「パワーズからの支給品、めちゃくちゃ高性能だし」
「みんな、俺達の意見も聞いてくれるしな」
「勝手に決められても従うだけなんですけど、やっぱり意見を取り入れられると嬉しいですね」
「わかる」
口々に飛び出した意見が肯定的なものだったので、アンジェラは嬉しそうににっこりとする。
そして彼らと一緒に社用車に乗り込んだ彼女は、アクセルを踏んで滑らかに車を発進させた。
「まずはOBCです!」
アンジェラがまずやってきたのは、アポロンメディア近くにあるTV局。ヒーローTVもこの局が制作しているのは、シュテルンビルト市民なら誰もが知っていることだ。
関係者であることを表す身分証を提示し、車を駐車場に停め、建物の中へ。相変わらず誰も彼もがとても忙しそうなOBCの中を、アンジェラはお菓子がたっぷり入った紙袋を持って歩いて行く。
「あっ、バイソン! おはようございます!」
「アンジェラじゃねーか。おはようさん」
ベンチで何やら台本のようなものを読んでいたロックバイソンが、軽く手を上げて挨拶してくる。彼もまた、アンジェラのように、首だけヒーロースーツのメットを装着している。服はかっちりとしたスーツだが、体格が良いのでとても映えた。
「お前も、なんか番組か? 取材?」
「いいえ、私は“ご機嫌伺い”に!」
「なんだそりゃ」
「要するに、“最近どお?”と聞くことです」
アンジェラは得意げな顔をし、ライアンからの説明をそのまま繰り返した。
「なるほどなー。ま、確かに、久々に会った時に調子が合わなくてうまくいかねえってのはあるしな。俺も急に仕事が増えたから、色々具合がわかんなくててんやわんやだよ」
「では、バイソンもこれから“ご機嫌伺い”をしたほうがいいかもしれませんね」
「うーん、確かに。社会人としてはやっといたほうがいいかもなあ。飲みに行くとかもそうだけど」
仕事相手と飲むのってあんまり気が乗らねえこともあるけど、と、ロックバイソンは頷いた。
「で、お前は誰にご機嫌伺いしに行くんだ?」
「アニエスさんたちです!」
はきはきと、アンジェラは答えた。
「アニエスさん? って、いっつも一緒に仕事してんだろ」
「そうですが、マイク越しに指示を受けたりするだけでしょう。直接顔を見てお話する機会は、実はそれほど多くありません。むしろいつも一緒に仕事をする方だからこそ、きちんと顔を見て“ご機嫌伺い”をするのは大事なのでは、と思いました!」
「な、なるほど。一理あるな」
「ふふん」
感心されたので、アンジェラは更に得意げな顔をした。
「アニエスさんはいつもぴんぴんしていらっしゃいますが、あれほどハードワークをこなしていらっしゃるのです。疲れているのなら、私の能力が役に立つはずです」
「そうだよな。俺らヒーローよりバリバリ働いてんじゃないかっていうときもあるもんなあ」
うんうん、と、ロックバイソンは大きく頷いた。
「はい。そんなアニエスさんがとても素敵ではあるのですが。ビシッと声をかけられると、背筋が伸びる感じがします」
「わかる」
「なんでも言うとおりにしたい気になります」
「わかる」
「わかりますか」
「すげえわかる。……前から思ってたけど、なんかお前、俺と、……なんだ。なんていうか、好みがちょっと似てるよな」
「おお、……実は私もそれは感じていました」
頷きあったふたりは、どちらともなくお互いに手を差し出し、固い握手を交わした。
「ライアンからは“女王様系”と言われましたが、……いいですよね」
「いいよな……。あの、お前んとこの、ドミニオンズだっけ? あそこの代表さんもいいよな。キレイすぎて近寄りがたい感じだけど、それがまたいい」
「オリガさんですね。オリガさんもとても素敵な方で、ピシャッときつめに叱ってくださいます。それでいて、あとでさりげなく褒めてもくださるのですが、その褒め方がまたクールでですね」
「ほう」
「“まあいいんじゃない? あなたにしてはよくやったわ”という感じで、こう」
「……ヒールを鳴らして?」
「はい。10センチくらいあるピンヒールで、タイトスカートで、ストッキングです。こう、モデルのようなクイッとした立ち方で、こちらを見下ろしながら」
「最高だな」
「最高です。女王様は最高」
「わかる」
再度、固い握手が交わされた。女王様崇拝同盟である。
「そうです、バイソンも一緒に行きますか?」
「お、俺も?」
「バイソンも、アニエスさんとは常に一緒に仕事をしているのです。いつもお世話になっています、と改めて伝えるのは良いことのはずです!」
「お、おう、そうか。そうだな、確かに……」
読んでいた台本を無意味に丸めたり広げたり、挙動不審になりつつも、ロックバイソンはベンチから立ち上がった。
「あっ、しかし、お仕事は大丈夫ですか?」
「全然大丈夫だ! アニエスさんにご機嫌伺いするほうが大事!」
「そうですか、それならいいのですが」
頷いて歩き出したアンジェラに、ロックバイソンはぎくしゃくとついていく。先ほどまで、緊張してなかなか覚えられそうにない、と参っていた番組の台本は、ぞんざいに丸められて尻のポケットに突っ込まれた。
「つーかお前スタスタ歩いてるけど、アニエスさん、ちゃんとここにいるのか? あのヒトいっつも色々飛び回ってるだろ」
「午後はロケに出るそうですが、午前中は打ち合わせと編集チェックでOBCにいらっしゃいます。ちゃんとメアリーさんに確認しました!」
アポを取ってから出向くのが社会人の常識です、とアンジェラは薄い胸を張った。
「ならいいけどよ。って、メアリーって誰だ」
「メアリー・ローズさん。スイッチャーの女性の方ですよ。いつも中継車に乗っている、眼鏡で、小柄な。ご存じないのですか?」
「ああ、あの……。見たことはあるけど、名前は初めて聞いたな」
「それはいけません。ケイン・モリスさんはわかりますか?」
「ああ、わかる。もじゃもじゃ頭のヒゲのディレクターだろ」
「そうです、もじゃもじゃの。ベテランさんなのにとても気さくで、頼りになります。ではオーランド・クーパーさんは?」
「えーと」
「HERO TVのカメラマンさんです! ヒゲで、ちょっとウェーブした長い髪を括っています」
「あー、そう言われるとわかる。ちょっとイケメンの」
うんうんと頷きながら、ロックバイソンは、見慣れているが初めて名前を知った面々の顔を思い出した。
「メアリーさんがヒーローTVの獲得ポイントを出したり、テロップを出したり、画面を切り替えたりしているのです。メアリーさんがいなければ、私達がどれだけポイントをとったのか、画面から伝わりません。オーランドさんは戦場カメラマンを目指していらっしゃった方だそうですが、こちらに。危険な現場にも足を踏み入れられるので、私達の活躍をばっちり写せる、貴重なカメラマンさんです」
「ほー……」
「知ることが出来てよかったですね!」
にっこりしたアンジェラに、ロックバイソンは少し気圧された。
「……お前、すげえなあ」
「なにがですか?」
「いや……」
ロックバイソンは、口ごもった。
あのメトロ事故以来、ほぼ無名の状態から一部リーグヒーローになった彼女がさまざまなコネクションを持っていることは、ロックバイソンもうっすら知っている。
大物との繋がりもいくつかあるというその話を聞いて、さすが話題のヒーロー、知り合う機会が多いのだなと思っていたが、もしかすると、それだけではないのかもしれない。
業界において、裏方、言うなれば端役ともいえるスイッチャーやカメラマンの名前もきっちり覚えている彼女を見て、ロックバイソンはそう思い、そして少し反省した。
「声が大きいわよ、アンジェラ」
カツン、とハイヒールを鳴らして現れたのは、アニエスである。
いつも通りに完璧なメイクと、身体にピッタリと沿うタイトスカート。そこから伸びるストッキングに包まれた脚は、毎日の立ち仕事によって程よく肉感的でとてもセクシーだ。
「あっ、アニエスさん!」
「アニエスさん! おはようございます!」
アンジェラとロックバイソンが、双方喜色の篭った声を上げる。
「やー、ドーモドーモ。褒められちゃって、照れるな〜」
「おはよう、アンジェラ。こちらこそいつもありがとう」
アニエスがなにか言うより先に、彼女の後ろからひょっこり顔を出したのは、ディレクターのケインと、カメラマンのオーランドだった。
「おふたりとも、おはようございます! あれ? メアリーさんは?」
「編集で、まだカンヅメだよ。アンジェラが来るってんで、大急ぎで終わらせるって言ってたんだけどなあ」
まだちょっと間に合わなかったみたいだな、と、ケインが肩をすくめた。
「そうですか、残念です。せっかくメアリーさんが好きそうなお菓子なのに」
「お菓子? あ、くれるのか? ありがとう」
「これは何? センベイ? しょっぱいのか。じゃあこっち貰おうかな」
ケインとオーランドが、それぞれマドレーヌとセンベイを取っていく。
「それで、今日は何の用なの? まさかお菓子配りに来ただけじゃないでしょ」
「お菓子を配りに来ただけです!」
はきはきと答えたアンジェラに、ぴくり、とアニエスのこめかみが引きつった。
「といいますか、ご機嫌伺いです。最近いかがですか!」
「お前、ご機嫌伺いってそんな真正面から言うもんか!?」
はらはらと成り行きを見守っていたロックバイソンが、ついツッコミを入れる。
「そうなのですか?」
「……まったく。相変わらず素っ頓狂よね、あなたは」
きょとん、としているアンジェラに、アニエスは呆れたような、諦めたようなしかめっ面で、髪を掻き上げた。
「はあ。それで、最近いかがですか? クリスマスに向けて皆さん忙しくなりますが、お疲れではないですか? 肩こりぐらいならパッと治せますよ」
「あら、それはありがたいわね。お願いしようかしら」
有用な要件である、とわかるとあっさり機嫌を直したアニエスは、颯爽と踵を返し、「いらっしゃい」と手近な会議室にアンジェラたちを招いた。
「この頃、徹夜続きなのよね。さすがにクるわ」
「お疲れ様です。あっ本当ですね、よく見ると目の下にクマが──」
「余計なことは言わなくてよろしい」
ぴしゃり、と言ったアニエスに、アンジェラは「はい」と従順に返事をした。しかし、口元は少し緩んでいる。
「では失礼します。リラックスしてください」
折りたたみの事務椅子に座ったアニエスの後ろに立ち、その肩に手を置いたアンジェラは、能力を発動させた。青白い光が放たれ、それがアニエスの肩にじんわりと吸い込まれるようにして動いていく。
「──ああっ、気持ちいい……」
「他につらいところはないですか?」
「んん、背中の方もやってもらおうかしら。ああ、そこっ……!」
「リンパ周りもやっておきますね〜」
手慣れた様子で施術するアンジェラと、気持ちの良さそうな声を上げるアニエス。そんな様を、男性陣は、揃って指をくわえるようにして眺めていた。しかし、同じく徹夜続きで疲労が溜まっているケインとオーランドと、女王様崇拝者のロックバイソンでは、おそらく羨む対象が随分違うとは思われるが。
「はい、終わりました。肌と髪にもやっておきましたが、肌はこのあと皮脂や老廃物が浮いてくると思うので、いったんお化粧を落として、ちゃんと洗顔するのをおすすめします。シャワーは無理かもしれませんが、できればシートで拭くぐらいは。夜はお風呂にゆっくり浸かってください」
「OK、泊まりになったときのために色々用意してあるから大丈夫。──ああ、すごくスッキリしたわ! これで今日もバリバリ働けるわね!」
椅子から立ち上がり、ひとつ伸びをしたアニエスは、本当にスッキリした顔をしていた。
「ケインさんとオーランドさんも、いかがですか?」
「えっ、俺らもいいの?」
「はい。いつもお世話になっていますので、ささやかなお礼です!」
にっこりと頷いたアンジェラに、くたびれたスタッフ用のブルゾンを羽織ったふたりは、「ありがたや」「天使」と手を合わせた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。ちょっと最近ハードワークで、腱鞘炎っぽいのがひどくってさあ。あと眼精疲労がつらくて……」
「俺も、カメラ変えてから肩こりが……」
「おまかせあれ!」
へろへろと寄ってきたふたりを椅子に座らせたアンジェラは、まずケインの腱鞘炎を治すため、その腕に能力を発動させた。その間に、ロックバイソンがオーランドの肩を揉んで解す。
「うお〜、バイソン、上手いですね」
「そうだろ。っていうか、肩こりすごいな!? よくやってるよ」
「仕事ですから」
「……そうか。いつもありがとうな」
「はは、ヒーローにお礼言われちゃ、これからも頑張るしかないですねえ」
ロックバイソンとオーランドがそんな会話をしている間に、ケインの腱鞘炎が完治した。
「うわ、すごい! どんだけ湿布貼ってても治らなかったのに!」
「腱鞘炎は、なってからではとても治りにくいと聞いています。なにもないうちからサポーターやテーピングで補強して、なる前に予防するのがおすすめです。アスクレピオスの研究員の方が、良いサポーターがあると仰っていました。よろしければ商品名を聞いておきましょうか?」
「おお、助かる!」
「ではわかったらメアリーさんにメッセージを送るので、メアリーさんに聞いてください」
「メアリーに? あ、うん、わかった」
なぜか少し挙動不審になったケインに、では次に眼精疲労を、と、アンジェラは能力を発動させた。
★わんわんキューピッドのご機嫌伺い散歩★
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