#074
★バイクと自転車と馬の話★
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「おお〜、カッコいい。すげえ、イケてる」
「そうでしょう、そうでしょう!」
ジャスティスタワーの地下駐車場。
感心した様子のライアンに、ガブリエラは鼻高々という様子で、何度も深く頷いた。
ガブリエラがいま彼に披露しているのは、二部リーグ時代を文字通り共に駆け抜けた相棒であるバイクだ。
午前中のスケジュールがそれぞれ別々だった彼らは、午後からのトレーニングの為やってきたジャスティスタワーでこうして合流したのだが、その時ガブリエラが「見てください!」と見せびらかしてきたのが、これである。
「新しい大型のほうが白いので、こちらは私の好きにしようと。以前から少しずつ計画を立てていたのです!」
あちらはアンジェラとして乗ることもありそうなので、と彼女の言う通り、メディアに出る仕事をするようになってから、顔出しヒーローであるライアンと行動をともにすることもあって、私服でもホワイトアンジェラのメットだけをかぶって外を出歩くことが増えた。
虎徹がワイルドタイガーとして行動する時に私服にアイパッチというスタイルにしているのと同じようなものだが、今となってはホワイトアンジェラとバイクはセットで扱われる。さすがに、超巨大なエンジェルチェイサーは事件のときしか乗らないし、ヒーロースーツと同期しないと乗れないマシンなので、“有事以外で乗るホワイトアンジェラとしてのマシン”が必要になった。
そこで、エンジェルチェイサーを彷彿とさせる白い大型バイクを新規で購入したのだ。
私用でも乗るものなので扱いはガブリエラの私物ではあるが、ホワイトアンジェラのイメージ保護という理由で白いカラーリングがされたため、保険関係はアスクレピオスが大きく補助を出している。
そしてそうなると、以前から乗っているこの中型は、完全なるガブリエラの私物ということになる。“有事以外で乗るホワイトアンジェラとしてのマシン”があの白い大型であるなら、こちらの黒い中型は、ガブリエラが素顔の時に乗るためのマシン、というわけだ。
そして、二部リーグ時代からずっと銀色の金属パーツ以外は全て白で構成されていたそれは今、白い部分がすっかり黒色に変わっていた。
「二部リーグ時代はホワイトアンジェラとして乗るマシンでしたので、真っ白にしていたのです。……しかし、ラグエルは、黒い馬でした」
ガブリエラは、真新しい黒いシートを、ゆっくりと撫でて言った。その前にあるぴかぴかに磨かれたタンクには、走り抜ける馬のペイントが施されている。
「全身、尻尾もたてがみも、蹄も、目も全て真っ黒。ですので」
「そういや、ライダースーツは黒だもんな」
「はい。これぐらいはと思って」
高給取りになった彼女がいちばん初めに思い切った額を出して作った、オーダーメイドのライダースーツ。彼女のトレードマークでもあるそれは上から下まで真っ黒で、ヒーロー・ホワイトアンジェラのイメージとは真逆のものだった。
以前からぼんやりとなぜ黒なのだろうかとは思っていたが、そんな理由だったのか、とライアンは納得した。
「前々から、黒色にしたかったのです。最初のバイクも黒でした」
最初のバイクとは、彼女がシュテルンビルトに来てから生まれて初めて購入した、中古のバイクのことだ。
修理もできなくなるほど乗り倒した挙げ句にとある出来事から廃車になったそのマシンは、現在彼女の部屋のいちばん目立つオブジェとなっている。そしてそのカラーは、確かに漆黒だった。
「ふーん。タンクのペイント……、これがラグエル?」
「そうです! イラストレーターさんに頼みました。何度も描き直していただいて時間がかかりましたが、おかげでそっくりです!」
「へえ」
特徴的な馬だ。地面を引きずるように長いたてがみ、同じく長い尻尾はどちらもウェーブしていて、ダイナミックかつ優雅に靡いている。
しかし競馬などで用いられる馬とは違い、振り上げた脚は力強く太めで、ふさふさの蹄毛が生えている。ライアンは馬に詳しくないが、走るのが速そうというよりは、飛んだり跳ねたりすることが得意そうな印象を受けた。
「カッコイイ馬じゃねーか。このウェーブしたたてがみ、お前と似てるな」
「そうなのです!!」
ライアンの指摘に、ガブリエラは大きな声で、大きく頷いた。
「私は今までろくに髪の手入れをしていなかったので、伸びても、絡まってもじゃもじゃになるだけだったのです。しかしライアンに言われてきちんと伸ばしたら、ラグエルのような髪になったのです。驚きました!」
興奮気味に言うガブリエラの真っ赤な髪は、すっかりロングヘアといえる長さになっている。きつめのウェーブがかかった長い髪は、色こそ全く違うものの、風に靡くラグエルのたてがみとよく似ていた。
「今になって、ラグエルが毎日たてがみを梳かせと怒っていた理由がわかりました」
ラグエルはとても身嗜みにうるさい馬でしたと、ガブリエラは懐かしそうに言った。面倒がる自分を鼻先で突き、唾をかけ、蹄を鳴らして毎日ブラッシングを要求したのだ、と。
「まあな、髪がキマらねえとしっくりこないのはわかるぜ」
「むう、そういうものですか。しかし満足いかない出来だと、延々と付き合わされるのです。たまったものではありません。ですので、何度か馬糞をたてがみになすりつけたら、ものすごく怒りました」
「お前ひでえな!」
「なぜなら2時間も付き合わされるのですよ!」
怒って暴れるラグエルに跨り、ぎゃあぎゃあ喚きながらそれでも落馬しないガブリエラと、なんだかなんだで落馬させないラグエルという光景は、近所でちょっとした名物扱いされていたらしい。
そしてライアンは、今では正当防衛以外では喧嘩をしないし、そもそも他人に対して本気で怒ったりいらついたりするところを全く見せないガブリエラが、そんなくだらないことで大喧嘩をする相手がいたのだということに、なんだか不思議な感覚を覚えた。
──それだけ、この馬は、彼女にとって特別だったのだろう。
「前から思っていましたが、ライアンとラグエルは仲良くなれそうです」
「そう?」
「はい。身嗜みにとても関心が高いところとか。気が合うと思います」
「お前が気にしなさすぎなんだっつーの。……おい、俺にはウンコなすりつけてくんなよ」
「ライアンにそんなことをするわけがないでしょう。あれはラグエルがとても意地が悪くてむかついたからです」
冗談交じりのライアンの台詞に、心外だ、と言わんばかりに、ガブリエラは少し頬を膨らませて言った。
「ラグエルの性格の悪さといったら、私はあの馬以上に性格の悪い人に会ったことがないほどです。ラグエルに比べたら、大抵の人が心優しく思えます」
「そんなに?」
「そんなにですとも。大抵の人は歯茎までむき出しにして馬鹿にした顔をしてきたり、唾を飛ばしてきたり、私の顔の前で糞をしたり、しかもそれを蹴り出してきたりしません」
「そんなことする奴いたらムカつく以前に色々ヤベエだろ!!」
比べるボーダーラインが低すぎる、と突っ込みを入れつつ、ライアンは、再度タンクのペイントを見た。
この馬が、ラグエル。
ガブリエラを乗せて、地平線が見える広大な荒野を走った馬。
彼女の、最初の、そして特別な友達。
ライアンはしばらくその馬のペイントを見ていたが、やがて言った。
「写真撮っていいか?」
「いくらでも撮ってください!」
そして私にもください! とガブリエラが満面の笑みを浮かべる前で、ライアンは漆黒のマシンの写真を何枚か撮った。ガブリエラにねだられて各部パーツのアップも撮り、最後に彼女自身がマシンに跨った姿も撮影する。
「お、もうこんな時間か」
「本当です! 遅刻はいけません。さあラグエル、カバーをかけますよ」
ガブリエラはマシンに3重のロックをかけ、ぴかぴかの車体に、銀色のカバーを丁寧にかけた。「ほこりがつくと、あなたは怒りますからね」と、歌うような声で言いながら。
「ではラグエル、仕事が終わったら走りに行きましょう」
まるで、そこに黒いたてがみがあるかのように。
カバーの上からマシンを撫でたガブリエラは、ライアンと連れ立って駐車場を出た。
「へえ〜。バイク新しくカスタムしたのか。黒もカッコイイなあ」
トレーニングルームにて。先ほどライアンが撮った写真を見ながら、虎徹が言う。褒めてもらえたガブリエラは、元々満面の笑みだった表情を更に得意げなものにした。
「新しいのかあ、いいねえ」
「タイガーの車の調子はいかがですか?」
ガブリエラは、こてんと首を傾げて訪ねた。虎徹が乗っているのはオリエンタル系のメーカーが製造した実用的なSUVで、アナログ感のある内装の古い車種だ。Top mag時代はポーターとして大いに活躍した、虎徹のもうひとりの相棒でもある。
ヒーローズの中で車を持っているのは彼とバーナビー、ライアン、ネイサンの4人で、ガブリエラを加えて車やバイクの話をすることもある。
以前は皆の車に乗ってみたいとガブリエラがねだったこともあり、それぞれ日替わりで車出勤をした。この時、ガブリエラはそれぞれの愛車の助手席に乗せてもらったり、運転させてもらったりして、大変に充実した時間を過ごした。
「いや、実はな。あの車、処分しようかなって」
「ええっ」
虎徹が頭を掻きながら言ったそれに、ガブリエラが悲痛な声を出した。
「処分? なぜ? 何か重大な故障ですか?」
「ん、まーな。何度か事件に巻き込まれちゃあ壊れて、保険とか修理とかでなんとかしてきたんだけどな。こないだ車検に出したら、いよいよヤバいらしくって……。見積もりしたら、新しく買ったほうがいいかもっていう値段だったんだよなあ」
「そうなのですか……」
ガブリエラは、我が事のように残念そうに肩を落とした。
「それなら仕方ありませんね。では、新しく買うのですか? 値段が気になるなら、中古でもいいものがありますよ」
「うーん、それなんだよなあ。Top mag時代はポーターなかったから車は絶対必要で、それからずーっと持ってはいたんだけど」
虎徹は、トレードマークの顎髭を撫でながら言った。
「実際、今はたまに家族が来るときぐらいしか使わねーし、そうなったらレンタカーでも間に合うんだよな。こっちは電車とかバスとかすげー走ってるし、維持費も駐車場代もかかるし。近所なら自転車で充分かなって思うと」
「自転車」
ガブリエラは、こてんと首を傾げた。
「自転車……。自分の脚で漕ぐ、あれですか?」
「そうそう、……って、お前もしかして自転車乗ったことねえの!?」
「ありません」
ふるふると首を振るガブリエラに、タイガーは目を見開いた。
「ええ!? バイク乗ってるのに!?」
「バイクと自転車は、全く別のものではないでしょうか……」
「えー!? ちょ、自転車乗ったことない奴初めて見た。なあバニー!」
「……僕も、自転車は乗ったことがありませんが」
同意を求めて相棒を振り返った虎徹は、更に「えー!?」と声を上げた。
「マジでかよ!? えっ何!? 若者の自転車離れ!?」
「何でも若さのせいにすんのやめろよ、オッサン」
ライアンが、呆れた声を上げた。
「ライアンは乗れるよな!? 自転車!」
「まあ大人んなってからは乗る機会もねえけど、ガキの頃はよく乗ってたな」
学校も自転車で通ってたし、とライアンはドリンクを飲みながら言った。
それからヒーローズ全員に自転車の経験を聞くことになったが、全員が子供の頃、あるいは実家にいた頃は乗っていた、という回答が返ってきた。
キースはジョンと暮らし始める前は愛用していたが、ジョンと散歩に行くようになってからは乗らなくなった、ということである。
「自転車なら、今でも乗るわよ。家の近所のコンビニ行く時とか……近場は便利よね」
「おっ、ブルーローズは現役か! 俺の仲間だな!」
「な、仲間……? そ、そうね」
にっと大きな笑顔を向けてきた虎徹に、カリーナはどぎまぎと頷いた。
「乗れねえのはバニーとアンジェラだけかー」
「ちょっと、乗れないと決めつけないでください。乗ったことがないだけです」
心外、といった様子で、バーナビーが眉間にしわを寄せて言った。
「つまり乗れねえんだろ?」
「違いますよ! やればできます!」
ああまた乗せられてムキになっている、と、他のヒーローズたちは思ったが、誰も口に出さなかった。いつものことだからだ。
「えー、ホントにぃー? お前、なんか変なとこで不器用だからなあ」
「バイクに乗れるのに、自転車に乗れないわけがないでしょう!」
「うーん、まあそれもそうか」
「ライアン」
ふたりのやり取りを見て、ガブリエラはライアンを振り返った。
「バイクに乗れると、自転車にも乗れますか?」
「えー、そりゃ乗り方似てるしな。まあどっちにしろ練習すれば乗れるだろ」
簡単だし、とライアンは事も無げに言った。
「つまり、自転車は簡単なバイク?」
「そうだな、……何? お前自転車乗りたいの?」
「はい。乗ったことがない乗り物には、興味があります」
「おっ、アンジェラ自転車挑戦すんの? じゃあ乗ってみる?」
虎徹が振り返った。
「バニーが乗ってみるっていうからさ。お前も行く?」
「行きます! 乗ります!」
「よーし、じゃあ決まり。ジャスティスタワーの自転車借りてくるわ。道渡ったとこの白い公園で待ってろ」
バニーは俺と自転車取りに行くぞ、と言って、虎徹はバーナビーを連れてトレーニングルームを出て行く。
──最近シュテルンビルトで、車上荒らし、また高級車や希少車の盗難が相次いでいます。駐車の際はくれぐれも注意し、厳重なロックなどの防犯対策を──
背後の大型テレビでは、OBCの昼のニュースキャスターが、そんなニュースを読み上げていた。
「あれ? ライアンも来たのか?」
ジャスティスタワーの備品であることを示すシールが貼られた自転車をバーナビーと1台ずつ押してやってきた虎徹は、白い公園──ハロウィンマーケットがあったあの公園である──で待っていた姿に、きょとんとした様子で声を上げた。
「こいつ、就業時間内は単独行動禁止だから。同じ建物内ぐらいだったらいいんだけどな。外行くなら護衛、っていうか俺付き」
「ああ、特別監視……」
バーナビーが呟いた。
自分でコントロールが効きにくいなども含め、周囲への影響力の高いNEXTは、国から監視が付く場合があり、状態が悪い場合は軟禁もあり得る。
ガブリエラはヒーロー免許を取得できるほどコントロールが完璧で、そもそも他人を傷つける要素の一切ない能力であるのだが、誘拐などで身柄を奪われ能力を利用された場合の影響力が国家レベルであるために、特別監視対象NEXTとして指定されているのである。
ただし本人が一部リーグヒーローであり、アスクレピオスという超巨大企業の保護下にあるという点を考慮して、就業時間内の単独行動の禁止とGPSによる現在位置の随時報告のみで済んでいるのだが。
そもそもゴールデンライアンがアスクレピオスに呼ばれたのも、ガブリエラが特別監視対象NEXTだからである。監視兼誘拐防止の護衛がこなせて、なおかつヒーローであり広告塔にもなるという、一石二鳥どころか一石で五鳥六鳥くらいの理由で、ライアンはガブリエラとともに再デビューとなったのだ。
「大変ですね」
「そうでもありません」
ガブリエラは、本当になんでもなさそうに、というより、割と機嫌良さそうに言った。ガブリエラとしては、就業時間内であればどこに行くにもライアンがついてきてくれるのは、うざったいどころか嬉しい事でしかなかったからだ。
「で、その格好も防犯?」
虎徹が、ガブリエラの被ったフルフェイスメットを指差した。マシンを新しくしたついでに新調したもので、色はやはり黒。服は、いつもの黒いライダースーツを着込んでいる。
「っていうか、顔出しヒーロー3人といる細い女って、フツーに察しちまうだろ。だったらもう最初から顔隠しといたほうがいいし、フルフェイス被るならライダースーツ着といたほうが不審者っぽくない」
「ホワイトアンジェラのメットは、今日は会社に置いてきてしまったので……」
「なるほど」
俺は顔出しなんかしてねえぞ、とぶつくさ言う虎徹を無視して、バーナビーが頷いた。
「まあ自転車だし、メット被ってるほうがいいか。コケたら危ないしな」
「むう。コケる……」
虎徹の台詞に不満げに反応するガブリエラのメット頭を、ライアンがぽんと叩いた。
「コケませんよ。失礼なおじさんですね」
そしてバーナビーも、眉間に軽くしわを寄せて異議を申し立てる。
「えー、どうだかなあ」
「いいから見本を見せてください」
「は、見本?」
「お手本がないと乗れないでしょう。何を言っているんですか」
「俺からするとお前が何言ってんだって感じなんだけど、うんまあいいけど……」
眼鏡を光らせるバーナビーに素直に従った虎徹は、赤いフレーム、前カゴと荷台のついたいわゆるママチャリに、慣れた様子で跨がる。そしてペダルに足を置き、普通にスーっと公園の広いスペースを走り、10メートルぐらい進むとUターンして戻ってきた。
「まあこんな感じ」
「……虎徹さん、自転車でもガニ股なんですね」
「だっ! うっせーよ!」
「ライアンも乗ってください」
「え、俺も?」
ガブリエラが、ライアンの腕を引っ張る。ライアンはもう1台の、白い自転車に跨った。
「自転車とか、10年ぶりぐらいじゃねえ? うおー懐かしー。うわギシッていった」
この顔ぶれの中でいちばんウェイトのあるライアンの重みに、自転車が若干の悲鳴を上げる。そうして車体の具合を確認しつつ、ライアンもペダルに足をかけて危なげなく進み、虎徹と同じようにゆったりとターンして戻ってくる。
「久々だけど、まあフツーに乗れるな」
ライアンが大柄なせいで、サーカスで自転車に乗る熊を思い出すシルエットだった、という感想を、バーナビーは言わないでおいた。
「ってなわけで、ほれ乗ってみ。サドル多分こんぐらいで大丈夫だろ」
「どうも」
虎徹がサドルを調整した自転車を受け取ったバーナビーは、不慣れな様子で、片方の足をペダルに置いた。
「バランス……バランスをとって……」
両足を地面から離したり置いたりしながら、バーナビーは前に進まず、バランスの取り方について模索し始める。
「お? お? いけるか? 後ろ持っててやろうか?」
「ちょっと黙っててください!」
囃し立ててくる虎徹に怒鳴り、バーナビーはいよいよペダルに置いた足に力を込めた。
「う、くっ、この」
「おー! すげーすげー、進んでるぞ!」
危なっかしくふらふらしてはいるものの、どうにか前に進んでいるバーナビーに、虎徹が手を叩いた。
「──どうです! コケませんでしたよ!」
「進んだの3メートルぐらいだけどな」
転びそうになって足をついて止まり、得意げな顔で振り返ったバーナビーに、虎徹は生暖かい笑顔を向けた。
「コツは掴みました。あとは慣れていけば──」
──ガシャァアアン!!
バーナビーの声をかき消すその音に、彼とタイガーが振り返る。
するとそこには、カラカラと虚しく車輪を空回りさせる白い自転車、地面に倒れて呆然としているガブリエラ、腹を抱えて大爆笑しているライアンがいた。
「ぶぁっ、はっはっはっはっ!! コ、コケたって、ライダースーツでフルフェイスで、そんな大層なスタイルで自転車でコケ、ぶは、あーっはっはっはっはっはッ!!」
「コ……コケた……、コケ……わ、わたしが……」
ライアンは涙が出るほど笑い転げていて、ガブリエラはショックが大きすぎるのか、地面に倒れ伏したままぶつぶつと何か言っている。
その非常に残念な有様に、今度は虎徹だけでなく、バーナビーも生暖かい目をした。
「なんだアンジェラ、自転車ムリか?」
しゃがみこんで聞いてきた虎徹に、ガブリエラがびくっと肩を震わせる。
「ム、ムリ、ムリなどと、ここここのわたしが乗り物に、の、のりもの、乗れないなど、しかもバイクに似たものにの、乗れ、のれない、コケ、」
「どれだけショックなんですか」
動揺しまくっているガブリエラに、赤い自転車を押したバーナビーが、呆れたような、気の毒そうな声を出した。
「まーまー、最初だからしょうがねえだろ。慣れればすぐ乗れるって」
「そ、そ、そうですね。そうですとも。最初です、仕方がないこと」
「うんうん。俺が後ろ持っててやっから、もっかいやってみような」
「は、はい」
虎徹に促され、ガブリエラは立ち上がって自転車を起こすと、再度恐々とサドルに跨った。虎徹はその後ろに回りこんで腰を曲げると、荷台の部分をしっかり掴む。
「よーし、後ろ持ってるからなー。足ペダルに置いて漕いでみろ」
「はい!」
ふらふらと定まらないハンドルの持ち方をしつつ、ガブリエラが両足をペダルに置いたのを確認した虎徹は、そのまま荷台を押した。自転車が進む。
「ほら離すぞ〜、行けっ!」
ボウリングの玉でも投げるかのように、虎徹が自転車を押して手を離す。
「えええええええ、ああああああああ!!」
──ガシャーン!!
慣性の法則でもって進んだ自転車は、間もなくバランスを崩して盛大に転んだ。
がつ、とヘルメットが地面にぶつかる様に、「……メットで良かったですね」とバーナビーが言う。ライダースーツにも肘や膝にパッドが入っているはずなので、怪我はしていないだろう。
「ぶは、またコケ、あっはっはっはっはっはっ、ひいー、やべえ、ぶっ、ははははははははははは、げほ、ひー!!」
「……ライアン貴方、アンジェラのことになると異様に笑いの沸点が低くないですか」
地面に膝をつき、立てないほど爆笑しているライアンに、バーナビーは困惑と呆れの混じった声で言う。
「あーうん、付き合い始めってそうだよ。若いよなー」
「……そういうものですか」
「そうそう、何しても楽しいの。ほっといてやれ。おーいアンジェラ、大丈夫かー」
虎徹はやはりガニ股で、斜め座りになって動かないガブリエラに近寄っていった。
「だってお前、脚動かしてねえし。そりゃ進まねえしコケるわ」
「バランスをとろうとしたら! 脚が! 動かないのです!」
何度か乗っては転びを繰り返し、ガブリエラが転ぶ原因を観察した虎徹が言うと、ガブリエラは悲痛な声で叫ぶ。
「馬にもバイクにも乗れるのに、なんで自転車がダメなんだろうなあ」
笑い疲れ、若干ぐったりしたライアンが言った。
「推進力を自力でまかなう感覚がつかめないんでしょう。少しわかります」
「えー、わかる? 俺わかんねえ」
「それはそうと、貴方重いです。降りてください」
「失礼じゃない?」
ジュニア君がふたり乗りの練習したいって言ったんじゃねえか、とライアンは口を尖らせ、後ろ向きに跨っていた荷台から降りた。
「重すぎてバランスが取れないんです。荷物を乗せるぐらいなら平気です」
バーナビーはまだ若干危なっかしいものの、普通に自転車に乗れるようになっている。
そもそも、ヒーローになれるほどの運動神経があるのだから、自転車に乗れないほうがおかしいのだ、とライアンはまたすっ転んでいるガブリエラを見た。
──結局。
それから時間が許す限りガブリエラは自転車に挑戦したが、まともに乗りこなすことは全く出来なかった。
「わたしが……乗れない……乗り物なのに……バイクのようなものであるのに……」
「どんだけショックなんだよ」
「ううう」
顔が見えなくとも、彼女がヘコんでいることは全身から感じられた。いつも新品同様のようなライダースーツは、自転車で転びまくったせいで若干埃っぽくなっている。同じように地面にぶつけて傷が付いているメットを、ライアンはぽんぽんと叩いた。──笑いを堪えながら。
そのまま4人揃って駐車場兼駐輪場に行き、ジャスティスタワーの備品である自転車を返す。
「んー、電動自転車とかならいけるのかねえ」
「それならもうバイクでいいんじゃないですか?」
「じゃあいっそ補助輪つけて──」
虎徹とバーナビーがそう話していると、ウォン!! と、大きなエンジン音が駐車場の奥から響いた。
「──この音!」
ガブリエラが強張った声を上げて走りだしたので、3人もそれに続く。
そして駐車場の奥に4人が辿り着いたその時、防犯ベルのけたたましい音が鳴り響いた。そこにいた黒ずくめの男たちが、停めてある車のフロントガラスを鉄パイプで割り、中のものをかっぱらっていたからである。
「げっ、T&B!」
「ゴールデンライアンも!」
「逃げるぞ!」
顔出しヒーローの存在に気付いた男たちは、素早くバイクに跨って走りだした。
「おいコラ待てぇえええ!!」
「こちらバーナビーです! 最近出没している車上荒らしがジャスティスタワー駐車場に!」
虎徹が怒鳴り、バーナビーが通信端末から、警察、アニエス、またヒーローたちに連絡を入れる。
「おいおいマジかよ、バイクじゃ追いかけらんねえ──」
そう言ったライアンの目の前を、黒い影が通り抜けた。
「ああああああ!! わっ、わたっ、わああああ!!」
「うおっ、何!?」
ガブリエラが突然ひっくり返った声を上げたので、すぐ側にいた虎徹が、驚いて肩を跳ねさせる。
「わっ、わわわわ私の、私のバイクぅうううう──!!」
「えっ」
ガブリエラは走って追いかけたが、もちろん追いつけるわけもない。見知らぬ男が跨ったぴかぴかの黒い中型バイクは、あっという間に駐車場から消えていってしまった。
「えっ、ギャビーのバイク盗まれたの!?」
つい先程来たというパオリンが目を丸くして言い、ネイサンは、あらまあと声を上げた。
「ロックは……」
「もちろんかけていましたよ。しかも3重、駐車場の鉄柵に絡めて。カバーもつけて」
虎徹とバーナビーが答える。ならば本当に運が悪かったのだなあ、と、ヒーローズは揃って気の毒そうな顔で頷いた。
最近シュテルンビルトで出没するようになった車両強盗団は、高級車を狙った車上荒らし、また希少なバイクやそのパーツを剥いで売り飛ばすといった手法を主とする、悪辣なグループだった。
ガブリエラの中型バイクは二部リーグ時代からの愛車だが、一部リーグに上がってから良いパーツに入れ替えたり、何より大事に乗っていて状態もいい。更には今回カラーを変えるにあたって新車同様の状態だったので、それで狙われたのだろう。
「ヴ、うう……、バイク、私のバイク……悪を為す者の末、堕落せる罪深き子らよ……」
「それで、ギャビーのこれは何なの? 聖書?」
膝を抱えて唸ったりめそめそと泣き言を言ったり、そしてなぜか聖書をぶつぶつ暗唱しているガブリエラを指差したカリーナは、その隣で腰を下ろしているライアンに尋ねた。
「こいつの故郷、めちゃくちゃ口悪いからさ。悪態つくとひでえことになるんで、そういう時は聖書の暗唱しろって育ての親の神父に言われてるらしくて」
「あなたがたのその頭はことごとく病み、その心は全く弱り果てている……」
ぶつぶつ言っているガブリエラに、「ああ、そう……」とだけ呟き、カリーナはすっと身を引いた。元気づけようという気はあるのだが、彼女の様子があまりにも鬼気迫っているので、声をかけづらいのである。
「ヴヴ……天使を侮った罪人たちよ、手足をもがれ蛇と化さん……」
「な、何やら内容が物騒になってきたようだけど、大丈夫なのかい」
「大丈夫、とはちょっと言えねえけど……」
心配そうに尋ねるキースにそう反応したライアンは、既に若干疲れたような様子だった。
「ひとりでコレ持って追いかけようとしたの止められただけセーフ、と思いたい」
ライアンが指差した足元には、錆のついた大きなボルトカッターが転がっていた。管理人室の端に立てかけてあったものである。
鍵をなくした時などのために太いワイヤーなどを切る道具だが、単純にそのまま殴りかかってもじゅうぶんな威力があることは間違いない、相当いかつい凶器となりえる道具だった。ヒッ、とカリーナが声を上げる。
「こいつ普段全然怒らねえくせに、車とバイク関係になるとコレみたいでさあ……」
「……わからなくはないでござる。拙者も秘蔵のコレクションを勝手に持ちだされて売り飛ばされたらと思うと」
イワンが、心から同情した様子で頷く。
「俺だって気の毒だとは思うけど」
「わたしの庭を踏み荒らす者よ、あなたがたは罪を綱とし、咎を引き寄せ……」
ガブリエラは頭を抱えて顔を伏せたまま、ぶつぶつと聖句を呟き続けている。
ライアンの脳裏に今浮かんでいるのは、かつて彼女が自分をいじめたいじめっ子に割れた酒瓶を振りかざし、こうして聖書の文句を唱えながら連日追いかけ回す様や、故郷を出てくるときに爆発炎上させたという車のイメージだ。
「暴走させたら絶対やばいやつだからこれ……」
眉間に皺を寄せて重々しく言ったライアンに、皆が「お疲れ」といわんばかりの目を向ける。
「まだ……まだ居場所がわからないのですか……? 私のバイク……バイクは……」
「おいアンジェラ、大丈夫か」
久々に聖書の文句以外の発言をしたガブリエラに、アントニオが話しかける。
「大丈夫、だいじょうぶです……、災いなるかな」
「……おい」
「災いなるかな、災いなるかな、災いなるかな」
「アニエスさーん! アニエスさんまだですかー!」
高い声を震わせながら、もはや聖句というより呪いの呪文にしか聞こえないことを呟き続けるガブリエラに恐怖を感じたのか、アントニオが通信端末に向かって言う。
《──Bonjour HERO !! 車両窃盗団の居場所がわかったわよ!》
「悔い、改めよォおおおおお!!」
「落ち着け! ステイ! ステイだ!」
血走った目を見開いて絶叫し、全速力で走りだそうとするガブリエラを、ライアンががっしと拘束する。
抱きしめるというよりは、暴れる獣を押さえつけるような、まったくもって色気の欠片もない仕草だった。立ち上がると同時にすかさず彼女が掴んだ錆びたボルトカッターを取り上げ、手の届かない所にやってしまうことも忘れない。
《アンジェラのバイクについてるGPSが生きてたわ。窃盗団は他のバイクもトラックに積んで、港へ向かってる。そこから海外で売りさばくんでしょうね》
「了解。よーし聞いたか? いいか、いったん落ち着け。ビークールだ、OK?」
フーフーと息を荒げているガブリエラに、ライアンは、噛んで含めるように言った。
「今から犯人を追いかける。でも、俺の言うことをよく聞け」
「う、うう」
「まず何より、お前はヒーローだ。それを忘れずに行動しろ。いいな?」
「……はい」
フーッ、と、ガブリエラは震えながらも大きく息を吐いた。
「犯人を見つけても、燃やすなよ。絶対にだ」
「も、もやす、だめ」
「そうそう燃やすダメ絶対。爆発させるのもナシ!」
「な、なし」
「なあ、これ本当に大丈夫なの?」
ガブリエラに物騒なことを言い聞かせるライアンに、虎徹が真顔で言う。
だが、それに返答する者はいない。正直なところ皆虎徹と同じ気持ちではあったが、赤毛を逆立ててフーフーと感情を押さえ込んでいる常にない様子のガブリエラを、皆どう扱っていいのかわからないのだ。
「さーて、じゃあ行くぞー。よーしよし、いいか、くれぐれも暴走するなよ」
「ヴ……うう、ヴヴヴヴヴヴ」
何かを抑えこむように震えながら唸り声を上げるガブリエラの肩を抱く、というよりは掴んで押さえつけるようにして、ライアンはさっさと歩き出した。
ライアンとしては、あまり冷静な働きが期待できない、怒り狂った猛犬さながらの彼女を現場に出すのは正直気が乗らない。しかし要請があるのに現場に出ないヒーローなどあってはならないことであるし、また仮に置いて行ったとして、ひとりにしておいたら何をやらかすかわかったものではない。
「ラ、ライアン」
「あん?」
誰が呼びかけたか、その声に、ライアンは振り向いた。
「アンジェラのこと、頼むぞ。その何だ、大事にならないように」
「あー」
戦々恐々、同時に心配そうな様子で虎徹が言う。その時皆が期待しているのは、俺様ヒーローらしい、例えば「俺様を誰だと思ってるワケ?」とか、「任せとけって」などという、自信満々の答えである。
しかしライアンはそれを聞いて、すっと目を閉じた。
「……がんばる」
──真顔である。ヒーローたちは、いまだかつてなく不安になった。
★バイクと自転車と馬の話★
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