#073
★重力王子の1日★
7/7
22:40
Get home.

「ではライアン、お疲れ様でした」
「おー、おつかれー」
「メットは明日返しておきます」
「サンキュ」

 マンションの前までガブリエラに送ってもらったライアンは、バイクを降りてメットを脱ぎ、彼女に手渡す。いまいちサイズの合わない借り物のメットのせいで乱れた髪をざっと掻き上げると、きらきらした灰色の目と目が合った。
「あー……これな」
「はい?」
 ライアンは、数秒、あっちを見たり、こっちを見たりした。もちろん、何かあるわけではない。どこを見ていいかわからなかっただけだ。

「やる」

 ライアンが差し出したのは、ずっと持っていた花束である。
 花を買った少女に言われずとも、実のところ最初から、ガブリエラにやることを想定して買った。「少しは彼女の恋心も大事にして」とか、「ちょっとは女の子扱いしてあげるのよ」というおせっかいを、素直に聞いたわけではない。
 ただそう言われて、──ライアンの選んだワンピースを着て照れくさそうにはにかむ顔や、ライアンの腕を借りてぎこちなく歩き、赤い顔で嬉しそうに笑う顔を、あれっきり見たことがないというのに気付いたこと。そしてなんとなく、久々にそれが見たくなったのだ。

 男が女にやることで、今すぐできて、それなりにロマンティックな感じで、しかし関係性を劇的に変えるわけでもないような行為として、“花を贈る”というのは、とてもちょうどいいことであるように感じた。
 しかしいざ本人を目の前にすると、信じられないことに、ライアンはその花を渡すタイミングがわからなくなってしまったのだ。
 ガブリエラもまた「その花はどうしたのですか」とも聞いてこないし、おかげでライアンは結局小一時間、目の前にいる女のために買った花束をただ握りしめているという、いまだかつてなく間抜けな時間を過ごすことになった。

「えっ、私に?」

 ガブリエラは、心底驚いているようだった。まるで想定していなかった、というのが、ありありと分かる表情。
「お前が何も言わねーから、渡すタイミング逃したわ」
「えええ」
 ずいと差し出されたそれを、ガブリエラはあわあわと受け取った。
「つーか、普通聞かねえ? それ何、って」
「そ、そうでしょうか……?」
「男が花束持ってるって、なんか思うだろ」
「ええと……は、花束を持っていらっしゃる姿がとても素敵で……あまりにも似合っていたので、その、気にしませんでした……」
「……あっそう」
 脱力したような様子で、ライアンは緩い笑みを浮かべた。
 ライアンは花を渡せなかったのを彼女のせいにしたが、ほとんど口が勝手に言い訳を紡ぎ出したことに実は自分で驚き、頭を抱えたい気分でもあった。
「格好いいな、とは思っていました! とても!」
 いや格好悪い。なんかもう死ぬほどカッコ悪いっつーの畜生、などと内心悪態をつきつつ、ライアンは「わかったわかった」と努めていつもの調子で返した。

「それで、その、なぜ私に」
 白い頬が、薄っすら染まっている。寒さのせいだけではないことは、なんだかもじもじとした仕草で察することが出来た。
「……いや、なんか手違いで引き取り手がなくなってて。花屋が自腹買い取りだどうしよう、ってなってたからなんとなく。……あー、その、何だ。モリィの土産にもなるし」
 しかしライアンの口から出てきたのは、またしても言い訳じみたそんな言葉だった。どういうことだ、とライアンが内心頭を抱えて自問自答していることも知らず、ガブリエラはきょとんと目を丸くして、「ああ!」と納得のいった声を出した。

「なるほど、モリィはこんなに食べられませんのでですね」
「……うん、まあ、そう」
 うんうんと頷いているガブリエラに対し、ライアンは歯切れ悪く返した。ガブリエラはすっかりいつもどおりのにこにこ顔で、「いいにおいですね」などとごく普通のテンションである。
 少なくとも、好きな男に花を送られた乙女のリアクションはもう期待できそうにない。自業自得という言葉が、ライアンの頭を過ぎった。
「ではモリィのぶんを分けなければ。どれがいいですか?」
「じゃあ、これ」
 ライアンはモリィが好きそうな花を適当に1輪選び出し、花束から抜いた。

「ああ、とても綺麗。それに、良いにおいです。ありがとうございます、ライアン」
「……おう」

 花束の香りを吸い込み、嬉しそうに満面の笑みを浮かべたガブリエラに、ライアンはぶっきらぼうに頷いた。見たかった表情とは違ったが、喜んでいるようなので、まあいいだろう。いいことにしよう、と自分に言い聞かせながら。
 白い肌に、真っ赤な髪。夜のネオンをきらきらと反射する、灰色の目。ほっそりとしていて、黙っていれば神秘的な雰囲気の彼女と花は、とても良く似合った。
「……花は好きか?」
「はい、好きですよ。名前などはよく知らないのですが」
「ん」
「しかし、枯れてしまうのがもったいないです。入院した時もたくさんお花を頂いたので少し食べてみたのですが、あまり美味しくはなかったです」
「おい食うな食うな」
 すっかりいつもの調子でぶっ飛びエピソードを繰り出してきた彼女に、腹壊すぞ、とライアンは半笑いで突っ込みを入れた。

「はい。ペトロフさんにも驚かれました」
「ぶはっ」
 ライアンは、思わず噴き出した。あの鉄面皮のヒーロー管理官が、花を口に入れたガブリエラを前に驚くところを想像したからだ。
「ペトロフさんの驚いた顔は、今思うととてもレアですね?」
「レア中のレアだろ。マジかすげー見てえ」
「電子レンジで温めたりしてもだめでしょうか、と聞いたら」
「聞いたの!?」
「聞きました」
 やべえ、と、ライアンは笑いをこらえながら言った。
「で? なんて?」
「“電子レンジで温めてもだめです”と、たいへん丁寧なご回答を」
「ぶっは!」
 できるかぎり淡々とした低い声を出し、下手なモノマネを添えてきたガブリエラに、ライアンはとうとう腹を抱えてげらげら笑った。

 そうしてひとしきり笑った後、はー、とライアンは大きく息をつく。
「お前は、ホンットおもしれえなあ」
「そうですか? よくわかりませんが、ライアンに喜んでいただけて何よりです」
 ガブリエラが首を傾げると、ライアンはくっくっと笑いながら、彼女の頭をわしゃわしゃと撫でた。
 犬を褒める時のような、遠慮のない撫で方。スキンシップに過剰反応を示す彼女が意識せず素直に受け入れる、健全極まりない触れ方。それを自分もまたあえて選んでいるのだと、ライアンは今自覚した。
「えへへ」
 そしてガブリエラは、褒められた犬そのものの、裏のない嬉しそうな笑みを浮かべている。
 それを見て、整髪料を何も使っていない赤毛がぐちゃぐちゃになったのを、ライアンは手早く直してやった。個性的な赤い髪は強い癖があるのに、丁寧に手入れをしているのだろう、触れてみるとほとんど絡まっておらず、柔らかいのにつるつるとした感触が心地良い。
 自分が伸ばせと言ってから従順に伸ばされているその髪が指の間をすり抜けていくのを名残惜しく思いながら、ライアンは彼女の髪から手を離した。

「……じゃあ、また明日な」
「はい! また明日!」

 満面の笑みを浮かべたガブリエラは、メットを被り、バイクに跨った。
 ぶんぶんと力いっぱい手を振る彼女に、ライアンも小さく手を振ってやる。何度か振り返った彼女が、やっと大きなバイクに跨って走っていくのを見送ったライアンは、いち輪の花を片手に、自分の部屋に入っていった。



 生体認証をクリアして玄関に入ると、間接照明から順に明かりがついていく。
 靴だけ脱ぎ、靴下のまま部屋に入った。大分前にオリエンタルの文化が大ブームになってから、特に都会では家の中で靴を脱ぐ風潮が主流になり、ライアンもそうしている。──泥酔して帰宅した時などは、失念することもあるが。
 掃除を徹底的にしなくても床やラグが清潔に保てるし、家全体で寛げるし、楽だし、足や靴が臭くならない、良い文化だと思っている。
 それにしてもやはりスリッパが見当たらないが、明後日はハウスキーパーが来る日なので、スリッパもその時に発見されるだろう、多分。

「ただいま、モリィ」

 真っ先に大きなケージの部屋に行くと、モリィが半目で出迎えてくれた。お土産、と黄色い花を見せると目がカッと見開かれたので、少し笑う。
 ケージを空けて彼女を外に出しキッチンに向かうと、モリィがぺたぺたと後をついてくる音がした。ライアンが部屋を土足禁止にしているのは、こうしてモリィが床を這うということも大きな理由のひとつだ。

 花をとりあえずキッチンに置いて、モリィの食事を冷蔵庫から出す。早く常温に戻すためにケージの中のヒーター近くに野菜を置いて、ライアンは、そのままウォークインクローゼットに向かった。脱いだジャケットをハンガーにかける──まではするが、ベルトとスラックス、ネクタイは備え付けのラックの棒に、適当にかけるだけだ。最後に脱いだシャツをクリーニングボックスに放り込んで、アクセサリー類を外し、下着1枚と靴下だけという格好になる。

 そうしてキメにキメたスタイルを解いてから、次に湿気防止の専用ボックスから取り出したのは、愛用のカメラのうちのひとつ。
 ガブリエラとのグルメ情報コーナーで写真を撮るようになってから、愛機のひとつは会社かポーターに置きっぱなしにしている。いくつかあるレンズの中から屋内撮影に向いたものを取り出して素早く取り付けると、ライアンはウォークインクローゼットを出た。

「ちょっと冷てえかな。……待ってろって」
 概ね温まってはいたが、まだ端のほうが少し冷たかった野菜を、ライアンは手のひらで温めて少しでも常温に戻しつつ、まだかまだかと足元でじっと自分を見上げているモリィに苦笑する。
 朝と同じようにプレートに鮮やかな野菜を盛り、その上に、栄養補助のカラフルなイグアナ用フードを少し散らす。最後に花を添えれば、なかなか豪華なディナーの出来上がりだ。片手にプレート、もう片手でカメラを持って、ライアンはリビングに出る。ぺたぺたと、モリィがついてきた。
 ラグの上にプレートを置くと、モリィがさっそく、大振りな花を咥えた。そのシャッターチャンスを逃さず、何度かシャッターを切る。カメラに慣れているモリィは全く気にせず、食欲旺盛にむしゃむしゃとディナーを食べていた。
「お、いい感じ」
 カメラに付いたモニターで、撮った画をざっと確認する。なかなかフォトジェニックな出来だ。端末に移して明日にでもガブリエラに見せてやろう、と思いつつ、ライアンはカメラを持って立ち上がり、データカードを抜き出して、寝室にあるパソコンの外部装置に接続した。
 電源を立ち上げると、スケジュールや仕事用のカメラで撮った写真のクラウドサーバー同期、メール受信などの処理がオートで開始されはじめる。
 ライアンはそれを放ったまま冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出して、半分くらいを一気に煽る。そしてボトルを持ったまま、バスルームに向かった。

「あ」
 シャワーを浴びるために給湯システムのボタンを押そうとしたその時、ライアンは、先程ガブリエラと風呂の話をしたことを思い出した。風邪予防として最強のやり方なのだと力説していた彼女に、ライアンは、では久々にそうしようか、と返した。
 高級マンションの定番、掃除不要の自動洗浄機能付きのバスタブに久々に栓をして、ライアンはバスタブモードの給湯ボタンを押した。音声システムが起動を告げ、お湯が出始める。
 その様を確認したライアンは、靴下と下着を脱いで洗濯機に放り込み、全裸になった。そして数日前から数枚溜めこんだタオルや下着類と一緒に洗剤を適当に入れ、洗濯機を回す。

「……完璧すぎて胡散臭い、ねえ」

 先程パーティーで、そして歴代のガールフレンドたちに言われたそれを、ふと反芻する。いつも完璧な俺様重力王子とてこうして全裸のまま下着を洗ったりしているのだが、それを彼女たちに見せるべきだったのだろうか、とも。
 ライアンは恋人がいたことは何度もあるが、同棲はしたことがない。そうでなくても、多忙気味な相手と付き合いがちなことと自分自身が自宅を空けがちなこともあって、家の中でふたりでだらだら過ごすということも少なかった。
 更には今思い返してみると、相手を白けた気持ちにさせないように、ふたりきりで会う時は生活感を遠ざける傾向があることに、ライアンは今気付いた。

 つまりライアンが今まで彼女たちにしていたことは、プライベートな楽屋や自宅に呼ぶのではなく、一席限りのスペシャルアリーナ席を用意したような具合に近い。確かに特別で他にない立場ではあるが、あくまで観客の域を出ない扱い。そして、彼女たちが楽屋や自宅に来ようとすると、「カッコイイ俺様が好きだろ?」とばかりにやんわりと遠ざけ、豪華な席に座らせる。
 恋人という関係性になっても、自分は市民や観客を喜ばせるのと同じように彼女たちに接していたのだということを自覚したライアンは、軽く片手で頭を抱えた。
「……う〜ん。俺様ってばマジエンターテイナー……」
 言い逃れのようなことを言ってはみたが、自覚した途端、理解も進む。彼女たちときれいに別れられたのも、その後ビジネスパートナーとして上手くやれているのも、これが理由だったのだと。
 もてなす、楽しませる、ということにおいて、ライアンは一流だ。スペシャルアリーナ席で最高の歓待を受け、そして楽屋に上げてもらえなかったことで、賢く、そして賢いがゆえにライアンに選ばれた彼女たちは、自分があくまで観客であることを理解し、気持ちよく観客でいられるうちに、夢見心地でいられるうちに席を立っていった。
 そして今は自らそれなりの席のチケットを買い、いい距離感でステージのライアンを見てくれている。そういうことなのだ。

《オ湯ガタマリマシタ》

 そう告げた機械音声に、はっとする。素っ裸のまま10分も考え事をしていたらしいことに愕然としながら髪を掻き上げたライアンは、そのまま大きな鏡の前に立ち、全身チェックする。
 ヒーローであり、タレントであり、モデルであり、時にミュージシャンなどでもあるゴールデンライアンは、本当に身体が資本だ。ガブリエラにしょっちゅう能力を使ってもらって健康面は万全ではあるが、だからといってメンテナンスを欠かすことはしない。プロとして当然のことだ。
 鍛え方が甘い所はないか、変な日焼けが出来ていないか、背中や尻に吹き出物が出来ていないかどうかなどをしっかり確かめたライアンは、やっとバスルームに入っていった。

 まずはコックをひねり、シャワーから湯を出して、整髪料のついた髪を洗う。量が多い髪は細かい泡が落ちにくいので、濯ぐ時は丁寧に。それが終わったらシャワーを止めて、湯を張ったバスタブに身を沈めた。
「……あ〜〜〜〜〜……」
 つい、声が出た。全身がじんわりと暖められる心地よさに、なるほどこれはいいかもしれない、とライアンは納得した。
 ここ数年どちらかというと暖かい気候の土地に居続けたことと、毎日汗をかくせいで手っ取り早いシャワーばかり使用していて、風呂というとリゾート地のスパなどの仰々しいものしか体験していなかった。
 しかしこうしてみると、自宅のバスタブでも充分良いリフレッシュになる。特にこれから寒くなるので、風邪予防には確かに最適だろう。
 心地よさのあまりずるりと前に身を滑らせ、肩まで浸かる。ライアンの体躯にバスタブがやや足りず、足の裏が向こう側の壁についたので、踵をバスタブの縁に引っ掛けた。しかし足の裏だけ涼しいのも、またなかなかいい感じだ。

(でも、ちょっと熱すぎたな)
 浸かってすぐは最高に気持ちが良かったのだが、元々代謝がよく体温の高い身体に、設定した温度は少し高すぎたらしい。
「シャワーより少しぬるめにするといいですよ」というガブリエラの忠告を忘れていたことを反省しつつ、ライアンは腕を伸ばし、飲みかけのミネラルウォーターをぐびりと煽った。
(入浴剤とか、買ってみっかな。あいつは使ってんのか?)
 風呂は良いものだと熱弁していた彼女だが、それは今までバスタブでの入浴を知らなかったから、ということもある。
 入浴剤くらいはもう知っているかもしれないが、リゾートスパでよくある、泡風呂や花びらを浮かべた風呂などは知らないかもしれない。更に、風呂の中でアイスクリームや冷えた酒を楽しむというやり方を教えたら、どんな反応をするだろう。
 そんなことを考えながら、湯の中で軽くストレッチをする。髪の中から汗が流れ始めた頃、湯から上がった。
 荒めのボディタオルにボディソープを泡立てて、マッサージをしながら身体を洗う。湯に浸かって身体がいい感じにふやけたせいか、洗い上がりはさっぱりしていた。余った泡で洗顔、耳の裏まで忘れず洗って、シャワーで流す。

「はー……」

 いつもより温まった身体でバスルームを出て、バスタオルで体を拭く。
 少し温まりすぎて暑かったので、洗面所でばしゃんと冷水を顔に当てるとちょうどよくなった。髪を拭きながら裸足でぺたぺたと歩き、冷蔵庫からもう1本ミネラルウォーターのボトルを取り出してキャップをひねる。
「あ、コラ。行儀悪ィな」
 さっき出してやった餌のプレートがひっくり返され、少し余った野菜が散らばっているのを見つけたライアンは、満足げな表情でラグの上にいるモリィを叱った。しかしもちろんモリィは素知らぬ顔で、野菜を指先で拾うライアンを見もしていない。
 幸いほとんど食べきっていたようなので、野菜だけを拾って片付け、ビーズのように散らばったフードについては、明後日やってくるハウスキーパーにすべてを託すことにした。
 金があるというのは素晴らしい、とつくづく思う。服を脱ぎ散らかし、よくスリッパが行方不明になるような少々がさつな生活ぶりでも、週に2度来るハウスキーパーが全てなんとかしてくれる。

 野菜くずを捨ててプレートを簡単に洗い、再度野菜を切って適当に盛って、ケージの中に入れておいた。元々決まった回数食事をするような動物ではないので、食べたくなった時に食べられるよう、こうして少し常備しておくのだ。

 引き続き髪をがしがし拭きながら、朝脱ぎ捨てたままの部屋着のボトムを探し出して履く。それからテレビを点けて、ソファにどっかと腰掛けた。
 適当にチャンネルを回し、どんな番組がやっているのか、ドラマやバラエティにどういう顔ぶれがよく出ているのかをチェックする。テレビに出ているくせに、テレビの中の他のことを知らないというのは、仕事をする上で色々と支障が出てくるものだ。それに、視聴者目線を知るのも大事なことである。
 ソファに登ってきたモリィを抱えて撫でながら、しばらくチャンネルを回して仕事目線でのチェックを終えると、普通にテレビを見始める。

 海沿いにある水族館がリニューアルした、という特番がやっていて、ブルーローズとドラゴンキッドがレポートしていた。工夫された水槽や魚の美しさをレポートするブルーローズと、「あの魚は食べられるのか」ということばかり聞くドラゴンキッドの対比が可笑しい。
 そういえば、ガブリエラは水族館は行ったことがあるのだろうか。遊園地はヒーローランドが初めてだと言っていたし、動物園もこの間、今テレビに映っている彼女たちと一緒に行ったのが初めてだったはずだ。そもそも海を見た事自体がシュテルンビルトに来て初めてだと言っていたので、おそらく水族館も未体験である可能性は高い。
 そんな事を考えながら、ライアンは番組の最後に紹介された、水族館へのアクセス方法を記憶した。






00:15
Go to bed.

 テレビを切ってモリィを抱え、寝室へ。ベッドに腰掛けて膝にモリィを置くと、しばらく居場所を探すようにうろうろして、やがてライアンの太ももに顎を乗せて、じっとすることに決めたようだった。
 よく懐いたその仕草を愛おしく思いつつ、パソコンをチェックする。明日のスケジュールやメールに目を通していく。特に緊急の要件がないことを確認し、先程撮ったモリィの写真を通信端末に転送、パソコンを閉じた。
 充電プラグに通信端末を繋いで、目覚まし時計をセット。明日は会議の時間に間に合いさえすればいいので、今日よりは遅い時間に設定。その横に、ヒーローとしての通信端末を置く。ここまでが習慣。
 そしてそのままライアンは、そのまま後ろ向きにベッドに倒れ込んだ。

「……………………好き……」

 低く小さな呟きが、皺の寄ったシーツに吸い込まれる。

「…………なの、か?」

 戸惑ったような、困り果てたような。少なくとも、俺様キャラの王子様らしからぬ声色だった。
(まあ、好きは好きだけどなあ)
 好きか嫌いかで言えば好きである、と彼女自身に告げたことは、嘘ではない。むしろ、今最も仲の良い人物は誰かともし質問されれば、彼女の名を答えることになるのは間違いないだろう。
 だがその仲の良さが恋愛感情から来るものなのかどうかが、未だライアンにはよくわからない。というより、考えすぎてよくわからなくなってきたという気もする。
 基本的に、思いついたら即行動という性格のライアンは、ちょっといいな、と思えばすぐにアプローチをかけ、少なくともその週のうちにデートを取り付けてきた。今回のように、好きかどうかわからないならキスもしないというのは、まったくもって初めての経験だった。

 最初にデートをした年上のスタジオミュージシャン、モデル、女優、ちょっと可愛いウェイトレス、頭の良さそうな大学生、才能溢れるアーティスト、やり手のビジネスウーマン。
 ライアンは、彼女たちが好きだった。恋をしていた。しかし、彼女たちとの関係が恋だったのなら、──ならば、これは、なんだろう。

 ふわり、と、瑞々しい花の残り香がした気がする。小一時間も渡すタイミングを掴めず、体温が移るほど不格好に握りしめたままだった花束は、彼女のために手に入れたのだということすら伝えられず、イグアナが1輪食べてしまった。
 いつもなら、ステージの上から最高にイケているやり方で花束を渡すことなど、造作もなかったはずであるのに。

 今まで、特別席に招待した彼女たちを、ライアンは持てる全てで楽しませようとしてきた。一瞬でも嫌な気持ちにならないように、常に自分を最高の男だと思わせられるように。そしてそんな男と居られる自分を、誇らしく思えるように。
 だがやればやるほど彼女たちは自分が特別ではないと思い、ライアンを認めつつも、その席から去っていった。

 だが、ガブリエラは。

 出会いからしてライアンは彼女を避け、理由もよくわからないまま機嫌悪く接した。終いには酔った勢いで罵り、お世辞にも優しいとはいえない方法で処女を奪い、しかもそれを覚えていない。
 今こうしてそれらのことを思い出すときりきりと胸が痛むが、ライアンはその痛みを甘んじて受けた。
 なぜなら彼女は、そんなライアンを許した。愛しているから辛い仕打ちも許すと、それでもライアンが好きだと言った。
 歓待されるどころか冷たく当たられて、理不尽に犯されてもライアンを好きだと言い、叱られることでもいいから構って欲しいと、ライアンを困らせた。しかし嫌われるかもしれないと危機感を覚えるや否や、可哀想なほど怯え、そして厄介なことに、それが最高に可愛いと感じさせた。

 今までの恋人たちが座っていたのがスペシャルアリーナ席なら、彼女がいるのは、座席ですらない、立ち見の柵の外だ。
 しかし彼女はステージの上できらきら輝くライアンに見惚れつつも、自由に走り回った勢いで、自覚なくステージ裏の楽屋にも飛び込んでくる。席におとなしく座ることはなく、そちらからきちんと招待されない限りは座らないと宣言した。
 しかも野生の犬のようにぶっ飛んでいる彼女は、とても危なっかしい。目の届かないところで何か危ないことをしているのではないかとはらはらして、叱りつけて、それでも言うことを聞かない彼女を追いかけて、いつの間にかステージを放り出してライアンも走り出している、そんな気分だった。
 厄介なのは、最近、そうして彼女と走り回るのがやたら楽しい、ということだ。

 こんな女は、今までいなかった。
 一緒に充分な量の食事が楽しめるとか、自分より運転が上手いとか、やることなす事ワイルドでぶっ飛んでいる女というのも初めてだが、その程度なら個性の範囲だ。彼女の特別さは、もっと別のところにある。

 今日、ライアンは彼女に特別扱いをしていないと言ったが、実際は違う。少なくとも、彼女は今までの恋人たちと比べると、明らかに特別だった。
 ライアンは今まで女にいらいらと怒鳴ったり、理不尽に冷たく当たったり、犬呼ばわりしたり、いじめて楽しんだりしたことなどない。夜に突然迎えに来いと呼びつけるなどということをしたのも、今日がはじめてだ。
 更にはろくにキスもせず、子供のようにボードゲームやミニカーで一緒に遊んだり、恐竜のことで白熱した議論をして、それがたまらなく楽しいなどということも。

 そしてその特別な彼女と接するうち、ライアンが今まで恋人たちに用意してきたスペシャルアリーナ席に彼女を招待するのを、躊躇い始めたのだ。
 こんなに自由で、個性的で、特別な彼女は、本当にこの席に座らせるに相応しい存在なのだろうか。そう思うと、軽率に抱き寄せてキスをすることもできなくなった。それどころか、花を渡すだけでさえぎこちなくなってしまっている。

 あの日ライアンは、約束した。お前のことをちゃんと見て、話を聞いて、お前のことを考えると、彼女に約束した。
 そして今、その約束は守られている。しかも意図してというわけでなく、ライアンは自然と、彼女のことをよく考えるようになっていた。今日とて、いちど別れたはずの彼女を呼び戻してわざわざ一緒に食事をし、帰ってきてからも何かと、彼女ならどうするだろうか、どう思うだろうか、こうしてみてはどうだろう、とそんなことばかり思い浮かぶ。

 彼女は、自分を愛していると言う。
 ならば自分は、どうだろう。──どうしたいのだろう。

 そこまで考えて、ライアンは、ふっと息を吐く。
 最近こうして、いつも彼女のことを考える。そして考えすぎて、よくわからなくなってくるのもいつものことだった。気分を変えようと、のたのたとベッドの上を這っているモリィを抱き上げ、裸の胸の上に置く。
「お前どう思う? モリィ」
 変温動物の、無機質な体温。鱗がびっしりと生えた、独特の感触の腹がぺたりと胸に張り付く。恐竜のような顔を見ながらライアンが問うと、モリィが半眼になった。
「──いっ、でえ!」
 わざとなのかそうでないのか、イグアナの鋭い爪がライアンの鎖骨の下辺りを掠った。見ると、血の滲んだ引っかき傷が出来ている。
「あー、おま、そんな爪伸びてたっけ? 爪切り……」
 いてて、と呟きながら、モリィを抱えて爪切りを探す。すぐに見つかり、モリィがパニックを起こさないように頭をタオルで軽く覆い、鋭くなっていた爪を手早く切って、ヤスリで整える。あっという間に処置が終わり、ライアンはモリィを床に放した。

「あーあ、明日あいつに治して貰わねーと……」
 と自然に呟いて、またも彼女のことを考えていることに気付いたライアンは、2秒ほど無言になり、掛け布団をかぶってベッドに倒れ込んだ。手探りで照明のスイッチを探し、照明を消す。ぺたぺたというモリィの足音がしばらく聞こえていたが、そのうち聞こえなくなった。イグアナは昼行性なので、彼女も寝床に行ったのだろう。

 ──明日も、彼女に会う。

 明日のスケジュールは、午前中いっぱいでドミニオンズとの企画会議。ランチの店はまだ決めていないので、明日誰かにおすすめを聞いてみよう。
 メディア関係は、ふたりでラジオ収録。ガブリエラはヒーロースーツの調整。歌のレッスンが終わったら、また食事に誘ってみようか。ゴールドステージに、和食の店が新しく出来たはずだ。彼女はまだ箸がうまく使えないが、慣れない道具でちまちまと懸命に食事をする彼女を眺めるのは、とても楽しい。

 そう、楽しいのだ。彼女といるのは、とにかく楽しい。
 そこに、今までの恋人たちへしてきたような、一方的にライアンがもてなすようなあり方は全く無い。まるで、初めて飼った犬とはしゃぐ少年のような気分だ。ただ何も考えずに走り回る楽しさは、楽しすぎて、他のことがよく考えられないほど。

 だからまだ、もう少し、もうしばらくはこのままでいたい。
 子供がやがて大人になるように、こうして走り回っていれば、そのうち落ち着くスタイルが見つかるはずだ。

 とりあえず今はまだ、このままで。
 やってくる明日を楽しみにする、という少年のような気持ちで、ライアンは目を閉じた。
その頃のシュテルンちゃんねる:#060〜073、その後
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BY 餡子郎
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