#071
★重力王子の1日★
5/7
18:10
Travel time

「あー、マジで痛い。じゃ、頼むな」

 迎えに来たポーターに乗り込むなり、ライアンは上半身の服を脱いで、2Fラウンジのソファに座った。
 時間が押しているため、トレーニングルームで先にバーナビーを治し、その間にライアンはシャワーを浴び、彼の治療は移動中にポーターで、ということになったのだ。

「は、はい」
 しかし、半裸の彼を前にしてアイシングパックを持ったガブリエラは何やら挙動不審におたおたするばかりで、一向に行動しようとしない。
「……あ? どした?」
「え、ええと。は、はい、治します。治しますとも」
 ぎくしゃくとした動きで、ガブリエラは、いくつか痣のついた身体の横に腰掛けた。そして腕を伸ばし、怪我に向かって手のひらを向ける。
「おい、なんか遠くねえ?」
「え、う」
 ライアンの言うとおり、ガブリエラが腰掛けた場所は微妙に遠い。そのせいで、腕をまっすぐに伸ばさないと手のひらが患部に届かない。
「もうちょっと近く来いって」
「ひゃうっ」
 ガブリエラの手首を掴んで引くと、彼女が妙な声を上げた。そしてその顔色を見て、ライアンはぽかんとする。そばかすの散った白い肌は、その赤い髪ほどではなくても、真っ赤だった。

「……え、何その反応」
「え、な、な、な、なぜ、なぜなら、なぜならですね」
 と口にしたその時、上半身に何も身に着けていないライアンを正面から視界に入れるや否や、ガブリエラは頭から湯気でも出そうな様子で、目を逸らして俯いてしまった。
「……いや、意味わかんねーんだけど。さっきジュニア君にも同じことしただろ」
 ライアンは先ほどの光景を思い返したが、彼女は今のライアンとほとんど同じ状態のバーナビーに能力を行使し、枝毛まで目ざとく見つけていたはずだ。しかし今の彼女ときたら、枝毛どころかライアンの顔も直視できていない。

「バ、バーナビーさんとライアンは、ちがいます」
「えー……」
 予想していなかった反応に、ライアンは呆気にとられた。
「……いやいや。お前俺の身体いっかい全部見て」
「ひきゃー!」
「ひきゃーって」
 蒸し返すことを推奨していたくせに拒絶するように叫ばれ、ライアンはいよいよ首を傾げる。

「あ、あ、あ、あのときは、とくべつです!」
「まあ……それはそうかもしんねーけど。今時上半身ぐらいで」
 しかもガブリエラは、先ほどのバーナビーしかり、患部がよく見えるよう衣服を脱いだ患者など、それこそ星の数ほど対面しているはずだ。それにライアン自身、週にいちどのフルスキャンの時、ガブリエラに全身リフレッシュを受けていて、その時は今よりも露出は高い。
 何を今更、とライアンは困惑したが、しかしガブリエラは拳を握って反論した。

「たっ、たっ、ただ男性の裸だけならば、わわ、私とてどうも、なにも、しません! しかしライアンです! ラ、ライアンは特別なのです! どれだけ特別なのか! ライアンは! 自覚をするべき、要求! 要求があります!」
「お、おう」
「お医者様がいるときも、違います! お医者様がいるので! しかし今! 今は! ふ、ふ、ふ、ふたりです! ふたりだけ、だけです! ……うー!!」

 真っ赤な顔とカタコトでまくしたてた挙句、もう言葉が思いつかないのか迫力のない唸り声を上げるガブリエラに、ライアンは僅かに仰け反る。
 しかしよく見るとガブリエラの灰色の目が涙目になっており、握った拳が若干ぷるぷる震えているのを見たライアンは、困ったような顔で首をひねった後、少し思案するような様子を見せてから、すい、と両腕を広げてみた。

 抱きしめよう、とするようにも見える動き。それを前にしたガブリエラは、喉から「きゅっ」と子犬のような声を漏らして縮こまった。ライアンの眉間に皺が寄る。

「……怖い、か?」
「こ、こわい?」
 かつて酒の勢いで密接な接触を持った時、ライアンはお世辞にも彼女に優しく接したとはいえない自覚があった。そういう振舞いをした、半裸の相手とふたりきりの空間。
 これだけ好きだ好きだと言ってはいても、実はトラウマにしてしまっているのでは、というおそるおそるの慎重な質問に、ガブリエラは半分顔を手で覆いながら叫んだ。

「こ、こわい。そうです、こわい! ライアンが恰好良すぎてこわい!」
「……あ、そう」

 完全に杞憂だったらしい。なんだかんだでしっかり指の間からライアンを見ながら言ったガブリエラに、ライアンはなんだか脱力したような、くすぐったいような、──そしてほっとしたような気分で、肩の緊張を解いた。
 どうしていいかわからず、とりあえずセットが乱れて顔にかかってきた金髪を掻き上げると、またガブリエラが「ぴゃっ!」と妙な声を上げる。

(もしかしてこいつ、スキンシップ苦手とか……?)

 以前、ご褒美に彼女の服を買うという名目で出かけた時、子供にするような額へのキスとハグで彼女は床に崩れ落ち、全身真っ赤にしてきゃんきゃん喚いていた。
 そして思い返せば、普段からライアンライアンと尻尾を振って後ろを追いかけてくるものの、抱きついてくるとか、腕を組んでくるとか、手を繋いでくるとか、そういうことを彼女からしてきたことはいちどもない。ライアンが頭を撫でると嬉しそうにするが、逆に言うとそれだけだ。
 それにそもそも、「ちゃんと恋人同士でないとキスしない」という初心も初心な主張は、いまどき学生でもようよう珍しいのではなかろうか。

「あー、服着たほうがいいか?」
 他の部分での彼女がひどくぶっ飛んでいてワイルドなのでぴんとこないが、一応気を使って、ライアンは言った。
「……怪我が見えないのは良くないので、そのままでいいです。た、耐えます」
「耐えるって」
「嫌なわけではないのです! むしろ嫌なわけではない! 理解を! 求めます!」
「わかったわかった」
 つまりは好きな男と密室にふたりきりで、その半裸の姿に盛大に照れているだけらしい彼女に、ライアンは背を向けた。それはせめて背中からにしてやろうという配慮であり、また、思わずにやけた自分の口元を隠すためでもある。
「で、では」
 ガブリエラがそう言うと同時に、青白い光が漏れる。
 彼女の能力が与える他にない心地よさに、ライアンは思わず目を閉じる。そして、震えた細い指先が背中に時々触れる度、また違う心地よさを覚えて、彼は密かに笑みを浮かべた。






18:30
The Party.

「どうよ?」

 怪我をすべて治し、更に髪や肌にもガブリエラの能力を施して貰い、疲労も何もかも払拭され、コンディションは万全。更に乱れた金髪を整えなおし、宝石付きのカフスボタンが目立つドレッシーなスーツは、もちろんオーダーメイド。
 先の尖ったぴかぴかの革靴の踵を鳴らしてポーズをキメてみせると、元々うっとりとライアンを見ていた灰色の目が、更に輝く。
「さ、最高です! 最高に格好いいです! 素敵です! 世界いち!」
 相変わらず語彙の乏しい褒め言葉だが、その声色の高さや、白い頬が赤く染まっていることから、彼女が本心からその言葉を発していることは容易にわかる。
 そしてライアンは、小さな子供がヒーローを見るようにして彼女が自分を見るのが、割と、いや結構好きだという自覚が最近出てきた。
「か、格好良すぎて感動! 感動しかありません! とても! とてもですよ!」
「はっはっは、知ってる」
 携帯端末のカメラを構え、自分の周りをぐるぐる回りながらあらゆる角度の写真を何枚も撮影していたガブリエラに、ライアンは金髪を掻き上げつつ、ノリノリでばちんとウィンクをしてみせた。ガブリエラが、「はうう!」と胸を押さえて膝をつく。

 これからライアンは、パーティーに出席することになっている。コンチネンタルエリア発祥の高級アパレルブランドの、シュテルンビルト店オープニングパーティーである。このブランドを贔屓にしている有名スポーツ選手や俳優、また各界のセレブが集まる予定だ。

 メトロ事故により広まったホワイトアンジェラの知名度は世界的な規模であり、また非常にクリーンなイメージが確立されている。そのため各界からパーティの招待状はひっきりなしに届いているのだが、田舎者の彼女が、ひとりでパーティーでの営業をこなせるわけもない。
 よって、最近は“基本的に、ホワイトアンジェラとゴールデンライアンはふたりセットでの活動形態である”と公式発表を行い、矢面に出るのはヒーロー当人でありその上役でもあるヒーロー事業部アドバイザーのゴールデンライアンとなる、というスタンスを明言した。
 よってアンジェラを呼びたい時は必然的にR&Aに招待状を出すこととなり、またライアンしか出席しない場合もある、ということを受け入れさせたのだ。

 基本的に人懐っこい彼女は、パーティーが嫌いではない。むしろ好きだし、その懐っこさと人に嫌われない性格で、よくわかっていないまま大物とのコネを作ってくることも多い。
 しかし、出席者は善良な顔ぶればかりではない。高い危機察知能力を持つ彼女はあからさまな悪意であれば退けられるものの、社交の腹芸となると完全に“カモ”でしかない。
 良い人だと思えば請われるままに能力を使ってしまう癖は治らないし、学のなさからうっかり妙な口約束をさせられてしまったりという危険性もある。政治的な影響力のある相手との会話は細心の注意を払わなくてはならないが、彼女にそんなことができるわけはない。また大勢の権力者が集まる場ともなれば、誘拐に対する警戒度も上げる必要がある。
 よって、現在アンジェラがパーティーに出向く時は必ずライアンとふたりでの出席となり、更に招待客のチェックにおいて問題がないと判断された時のみ、となっている。

 それに、アンジェラとは逆に、ライアンは非常に社交の場に馴れている。
 幼い頃から芸能界で活動し、フリーのヒーローという不安定な立場で、人脈作りを武器にのし上がってきたのは伊達ではないのだ。営業と社交は、ライアンの得意中の得意。プロと言ってもいいほどだった。
 彼の指示に従っていればヘマをすることもない、とアンジェラは完全にライアンに頼り切り、いつものリラックスした調子できらびやかな場を楽しく過ごすことができた。
 そして、最初の頃のように彼女の人気を疎ましく思うことが一切なくなったライアンもまた、このやり方に満足していた。今となってはむしろ彼女をとっかかりにして自分に注目を向け、人脈を広げるために利用するという本来の要領の良さを大いに発揮している。

 今回のパーティーは、アンジェラに他の用事があること、また元々ライアンメインでの招待であることもあり、彼ひとりでの出席である。

「よっし。んじゃ、ちょっと営業してくるわ」
「はい! 行ってらっしゃいませ!」
「おー、お前もがんばれよ〜」

 ガブリエラはこれから、ドミニオンズで新発売される薬用リップの宣材写真撮影がある。被写体になることについてはまだ慣れないらしい彼女に対してライアンは緩い激励を送りつつ、踵を返してポーターを降りた。
「また明日な──」
 と言って軽く手を上げ、ドアが閉まりかけたポーターを振り返る。すると隙間から一瞬、彼女の表情が見えた。その顔にライアンが少し目を見開いた瞬間にドアが閉まり、ポーターが走り去っていく。

「……あー」

 ライアンは上げた手で後ろ頭を掻きかけたが、セットが崩れるのに気付いて、そのまま仕方なく腕を下げた。
 先ほど一瞬だけ見えた、別れ際の彼女の表情。それは彼女の頭に犬の耳がついていたら、間違いなくぺたんと後ろに垂れているのではないか、と思うようなものだった。
 というより、彼女はライアンと別れる時、いつもこういう顔をするのだ。思わずこちらが足を止めてしまうようなその表情については、おそらくキースに言えば、「私も毎朝そうだ」と強い共感を示してくれるだろう。
 ライアンは、まるで何かを掴み損ねたような気分で手を握ったり開いたりしながら、しかしスケジュールに遅れないよう、しっかりと歩き出した。






「いいかね、あの男は信用ならん。むしろ敵だ! 君もその点重々理解しておきたまえ!」
「わっかりましたって。ほらちょっと水でも飲みなよ」
「おお、ありがとう」
 興奮のせいかアルコールのせいか、顔どころか禿頭のてっぺんまで真っ赤にした壮年の男は、ライアンがボーイから取った水を受け取り、一気に飲み干した。
 巨大なシャンデリアが輝く、5つ星ホテルのホールを貸し切った豪勢なパーティー。
 ライアンは元々の顔見知りに挨拶をするところから始め、その顔見知り経由で新顔を紹介され、名刺を交換し、そして情報を集めていく。
 アンジェラは、と彼女への渡りをつけようとする人間や、能力を使ってもらえないかという者たちをあしらい、波風立たない断りの言葉を入れ、気分を害さないように持っていく。時には仕事の話にすり替え、利益を見込んでコネクションを広げていったり。
 ひととおりそれが終わり、こうして話し込んでいるのが、以前から親交のある彼だった。

「あんまりストレス溜めると、またハゲるぜ」
「むっ」
 ずばりとライアンが言った言葉に、空のグラスを受け取ったボーイがぎょっとする。なぜならその男性は、シュテルンビルトでもその名を轟かす、大手音楽レーベルの社長だからだ。
 数々の有名アーティストを抱え、シュテルンビルトを中心としたこの大陸の音楽シーンで彼を敵に回したら絶対にやっていけない、と言われるほどの男にこんな口をきく若者など、ありえない。
 しかし、やや太めの貫禄のある体躯を上等なスーツに包んだ男は、だいぶ生え際が後退した頭をぴしゃりと叩いた。
「ふん、構うものか。本当にいい男は、禿頭が渋くキマるものだ」
 喉を反らして水を飲んだせいか少し歪んだネクタイを整えながら、男はフンと鼻息で口ひげを揺らした。ライアンが、肩をすくめる。
「セットしなくても完璧なスタイル。そうだろう? そうだとも。うむ」
 ライアンの返事をきかず、彼はひとりで満足気に頷いた。

「ところで、アンジェラは今日はいないのかね?」
「今日は俺だけ」
「そうか、残念だ」
 彼は、本当に残念そうに言った。
 元々彼とライアンは、ライアンがヒーローになる前、コンチネンタルでタレント活動をしていた頃からの縁だ。かつては彼のレーベルで歌を歌ったこともあるし、今回シュテルンビルトに戻ってくる直前、昔の仲間と結成したバンドの面倒を見てくれたのも彼である。
 まだティーンエイジャーだったライアンがタレントとしてのキャリアを土台にヒーローとして突き進んでいく様を見てきた彼は、元々、ライアンの才能に個人的に目をかけていた。そして今回、彼のパートナーのヒーローであるホワイトアンジェラのことを、彼は大層気に入ったようなのだ。
 ちなみに、先程の「いい男は禿頭が渋くキマる」という文句は、アンジェラの能力で髪を生やせないか、と以前パーティーで出会った彼がこっそり相談した時から始まっている。
 禿げは毛根の死滅によるものなので、細胞を活性化させる自分の能力では見込みは薄いと彼女は回答し、念のため試しても、彼の頭はそのままだった。
 若い頃はトレードマークだった長髪に未練を残し、だいぶ生え際が後退しながらも残った髪を伸ばし続けていた彼に対し、当時、頭髪の話題は絶対に厳禁、とまで言われていた。最後の希望を絶たれた彼は落ち込んだが、アンジェラはきょとんと首を傾げて、言った。

「なぜ落ち込みますか? 素敵なスタイルです。手入れもあまりいらないですし。私も以前は坊主頭にしていました。あなたは頭の形がとても丸いので、似合います。それに、髪がないのでお髭が立派なのが目立つと思います」

 さらりとそう言った彼女に男は目を見開き、そうかそうかと頷きながら、とても気を良くした。そしてシュテルンビルトいちの音楽レーベル社長の名刺が彼女のコレクションに加わり、彼は残っていた頭髪を潔く剃り上げ、禿頭を自ら話のネタにするようになり、髭をことさら丁寧に整えるようになった。

「アンジェラは、あちらから連絡してくれないからなあ。名刺を渡したのに……」
「あー……。名刺のロゴがかっこいい、とは言ってたぜ」
 ガブリエラはどうもコレクション癖があるのか、凝ったデザインの名刺を貰うとトレーディングカードよろしく嬉しそうにファイルに収め、気に入ったデザインのものは、前の方のページのポケットに入れている。この音楽レーベル社長の名刺はロゴが金色の箔押しで大きく印刷されていて見栄えがするものだったので、割と前の方のページに収められていたはずだ。
「おお、そうかそうか。名刺をリニューアルしたら、またあげよう。ランキングを落とさないように、格好いいデザインにしなければ」
 彼女の名刺コレクションのお気に入り順位についてライアンが告げると、彼は嬉しそうな顔をした。

「アンジェラを見ていると、昔の姪を思い出すんだ。姪も、小さい頃は彼女のようだった……」
「……いやあいつ、成人してんだけど」
「無邪気だと言っているんだよ」
 その点については間違っていないと思ったので、ライアンは否定しなかった。確かに、彼女は子供のようにとても無邪気だ。しかし同じくして子供のように無鉄砲で、何をするかわからない。
 だがこの子供のようなキャラクターが、大物たちにはひどく受けるらしい。ライアンも、大物に対してひるまないどころか敬語すら殆ど使わない、しかし礼儀正しい態度が受けて大物たちから可愛がられるタイプだが、同時にビジネスの相手として一目置かれているところも大きい。
 しかし、「難しい話はわかりません」と真正面から宣言し、それでいてまったく物怖じすることなく接してくる彼女が人を引き寄せる力は、ライアンとは別でまた侮れない。

 ライアンもコネを持っていない大物の名刺をいくつも持っている彼女だが、大物に頼み事をすると借りになる、ということは理解しているらしく、それを活用することは多くない。
 せいぜいが向こうから食事に誘われたりするくらいだが、誘いがあれば必ずライアンに声をかけるし、実際にほぼ同席する。そして仕事の話になればライアンに丸投げし、彼女自身はただ食事に舌鼓を打っているだけである。
 そんな調子の彼女に大物たちも何やら毒気を抜かれるらしく、「仕事の話はしないので、食事をごちそうさせてくれないか」と前置きをして誘ってくることも増えた。

「では、アンジェラによろしく。今度、君も一緒に食事に行こうじゃないか。良いワインを出すところがあるんだ」
「いいね、言っとく」
「では、そろそろ仕事の話をしようかね。君に紹介したい男がいるんだが──」

 大物が連れてくるのは、もちろん大物である。
 いまどきのヒーローたるもの、犯罪者と戦うだけが仕事ではない。海千山千の業界の猛者たちと対等に渡り合うべく、ライアンは背筋を伸ばし、あえて余裕の笑みを浮かべ、来たる者たちを待ち構えた。






 そうして、ひととおり戦いが終わって一息ついたライアンは、小腹が減っていることに気付いて、ビュッフェの方に歩いていった。

「あら、王子様。ちょっとぶりね」

 そこにいたのは、よく見知った顔の代表格。ネイサンだった。
 ヒーローであると同時にヘリオスエナジーのオーナーという立場もあるネイサンも、パーティーへの出席率は高い。そして、会場でライアンと顔を合わせることは別に珍しいことでもなかった。

 最近ライアンもごく自然に女性だと認識している“彼女”は、完璧に仕立てられた、品のいい男性用スーツを着ていた。しかしメイクはばっちりと施されており、大ぶりのピアスに、足元はピンヒール。もちろん、立ち方や歩き方も完璧に女性のそれだ。
 そういう立ち居振る舞いのせいで、確かに男性であるのに中性的な雰囲気を纏わせるネイサンは、そのままモード系の雑誌でピンナップを飾ってもおかしくないほどに完成されていた。
 ピュウ、とライアンが口笛を吹く。
「お〜、姐さんキマってるぅ」
「あらそう? ありがと」
「あんた、ほんっと美人だよな〜。あいつが褒めちぎるのもわかるわ」
 しみじみと感心したように言うライアンに、ネイサンは少し照れくさそうに苦笑した。
「……まったくもう。ふたり揃って、褒め上手ねえ」
「そう?」
「アンジェラは女の子だからわかるんだけど、男がそういうふうにアタシを褒めるってなかなかないわよ」
 元々ほとんど同じ身長であるため、ハイヒールを履いたネイサンは、ライアンよりぐっと目線が高い。しかし彼はネイサンを見上げるようにして、惚れ惚れするように美人だと言った。人生経験豊富なネイサンだが、ヘテロセクシャルの男性から、そんなことをされた経験はあまりない。
「あー、まあ、それはあるかもなあ。俺も今までそんな感じだったと思うし」
 素直にそう言いながら皿を取り、料理を眺めながら言うライアンに、ネイサンは片眉を上げる。

「いや、あいつって男とか女とかあんま気にしないっていうかよくわかってねえっていうか。キレイなもんにキレイって言ってるだけっていうか……」
「ああ……」
 ネイサンは、納得して頷いた。ガブリエラ自身も中性的だが、根本的なところで他人の性別を気にしないところがあるのは、ネイサンも気付いている。とはいえまったく無防備というわけではなく、正しくは、審美眼の基準に性別が全く含まれていない、というのが最も近い表現であるような気がする。
 ネイサンがそう評価すると、ライアンも頷き、皿にキッシュを乗せながら、「それ」と同意した。
「性別どころか、いろんなもんが一緒くただよあいつは。人に対してキレイだって言うのも、夕焼けとかがキレイだって言うのも完全に同じトーン」
 ひょい、と、ハムが3枚まとめて皿に盛られた。
「あとオリエンタルの、仏像? とか、今までよくわかんなかったんだけどさあ。あいつがああいうの好きで、写真見てキレイだって絶賛すんのよ。そしたらなんとなく良さがわかってきたっていうか……性別ってもしかして超こまけーことなんじゃねえのみたいな……」

 ──男性とか女性とかではなく、ライアンが好きです

 けろりとそう言った彼女と、そしてその言葉に受けた衝撃を思い出しながら、ライアンは言った。
「なるほど? 側にいると価値観が感染るものねえ」
 少しからかうようにネイサンが言ったが、ライアンは数秒間を空けていくつかの料理を取った後、「……そうかも」とぼそりと呟いた。

「あいつといると、色々新しいもんが見える」

 ぼんやりしているような目。しかし真剣なその声色にネイサンは少し驚き、しかしすぐに目元を和らげた。
「それは……、退屈しないわね?」
「確かにな」
 次に何やらかすか全然予測つかねえ、と、ライアンはからからと笑った。

「まあそういうわけなんでえ、誘惑しないでくれよ。姐さんぐらい美人だと、コロッと参っちまうかもしれねえしさ」
「まっ、お上手。いいコね」
 頬に手を当て、身をくねらせたネイサンは、悪戯っぽく笑うライアンの頬をつついた。
「安心なさい。アタシは出来た女だから、友達が狙ってる男に手を出したりしないわ。……まあ、どっちにしろあんたは若すぎるけどね」
「そりゃ残念」
「どっちなのよ。でも、かわいいものは愛でちゃう」
「んー」
 料理を頬張って膨らんだ頬を撫でてくるネイサンの手を、ライアンはそのまま受け入れた。美しいネイルを施された黒い手は艶めかしく初見はぎょっとするが、その触れ方に色はない。どちらかというと、子供を撫でる母親のようなそれだ。
 そのことに、ライアンは、ネイサンから撫で回されて嬉しそうなガブリエラの笑みを見て気付いた。

「んまあ、お肌スベスベ」
「さっきあいつの能力使ってもらったばっかだからな」
「ほんっと羨ましいこと。で、今日あのコは?」
「ピンで撮影。それはそうとさあ、さっき会ったおっさんなんだけど──」
「ああ、彼ね。それなら──」

 雑談を交えつつ、ライアンはネイサンと情報交換を始めた。
 このシュテルンビルトで最大の力を持つ七大企業のうちのひとつ、ヘリオスエナジーのオーナーが持つ情報は、何よりも信用と信頼に値する。特にシュテルンビルトは狭く深いつながりが色濃い街なので、ライアンのような新参者には手どころか目も届かないところがまだたくさんある。
 しかし最近ヒーローというシステムが各エリアで採用され始めたことから、シュテルンの外から入ってくる他企業や物流も多くなっている。そこで、世界を飛び回っているライアンが持つ広い情報もまた、ネイサンにとって有用なものだった。



「ライアン? 久しぶりね」

 声をかけてきたのは、露出の多すぎない上品なロングドレスを着た女だった。──かつてライアンがガブリエラにクローゼットいっぱい服を買った店の、あのマヌカンの女性である。
「おー、元気? あいつに服買って以来か」
「そうね。彼女は?」
「今日は俺だけ」
「あら、そうなの。つまらない」
「おい」
「どなた?」
 首を傾げたネイサンに、ライアンは彼女を紹介した。

「ああ、あの店の」
「ヘリオスエナジーのオーナーにお会い出来るなんて、光栄ですわ」
「こちらこそ。あのコがそちらの服をローテで着てるものだから、アタシもなんだか気になっちゃって」
「まあ、着てくださってるのね。とても楽しく選ばせていただいたから、嬉しいわ」
「残念ながらアタシのサイズはないみたいだけど、秘書たちがハマりかけてるの。割とかっちりしたデザインが多いから、これなら業務中に着てもいいわよって言ったら張り切っちゃって」
 ネイサンの数人の部下は男女とも美しい者が多く、美意識も高い。そういう者をネイサンが選んでいるのか、ネイサンの下に付くとそうなるのかはわからないが。
 ライアンは、ひとりひとりがそれぞれモデルのようなネイサンの秘書たちが、このブランドのスーツでキメてネイサンの周りに侍るところを想像した。──キマりすぎている。実現したら迫力半端ねえな、とライアンはひとり密かに頷いた。

「お邪魔したら見てやってくれる?」
「是非。最近はセミオーダーも始めましたの。それに私、来期から店長になることになりましたので、直接私に連絡していただいても結構ですわ」
 にっこりと笑いながら言う彼女から、ネイサンは名刺を受け取った。ちらりと見て微笑み、そして彼女にも、ヘリオスエナジーオーナー、ネイサン・シーモアの名刺を渡す。彼女は恐縮して、少し緊張気味にそれを受け取った。
「へー。お前店長になるの?」
 ネイサンの手にある彼女の名刺を、ライアンが覗き込む。
「そうよ。早すぎるとも言われたけど──」
「いや? やっとかよって感じ」
「……ありがと」
 彼女は誇らしげにはにかみ、ライアンにも名刺を渡した。
「もう冬物を置いてるわよ。良かったらまた来てって彼女に伝えておいて」
「りょーかい。……ところで──」
 ライアンは目線を固定しないようにして、こそりと言った。

「……さっきから超ガン見してくる男、お前の彼氏?」

 少し離れて談笑しているグループの中心にいる、背の高い男。細身のピンストライプのスーツの胸元には、花が飾られている。ブルネットの髪は隙なくセットされてはいるが、どこか浮ついたような雰囲気の持ち主だった。
 ライアンの指摘に、彼女はあからさまに眉をひそめる。

「やめてよ。私の趣味じゃないわ」
「じゃあ姐さん?」
「アタシの趣味でもないわねえ」
 ネイサンも、ふるふると首を振った。
「というか彼、最近ちょくちょくテレビに出てる顔じゃない? ほら、元ホストだかモデルだかで、女の子集めてグラビアメインのタレント会社作ったっていう」
 新進気鋭のイケメン青年実業家って騒がれてる、とネイサンが補足すると、ライアンは宙を見て、「あー」とどうでも良さそうな声を出した。

「ああ、あれか。なるほどね」
「へえ? 新進気鋭のイケメン青年実業家っていったら、あんたもじゃない。お仲間をチェックしてないの?」
「おいおい、ハーレム野郎と一緒にしないでくれる?」
 ライアンは、嫌そうに言った。
 ピンストライプスーツの彼は両脇に女性を侍らせている。どちらも幼めの顔で小柄な、しかし相反するようにバストが大きい、いかにもグラビアアイドルというルックスだった。彼の事務所のタレントなのだろうが、ぺったりと腕に貼り付いてその豊かな胸を押し付けている様から、その関係性は一目瞭然である。

「で、なんで見られてんだ。俺も姐さんも知り合いじゃねえんだから、お前だろ」
「断ったのよ……」
「やっぱお前か」
「……ごめんなさい。あなたたちほど大物なら寄ってこないだろうと思って……」
 どうやら、しつこさに辟易して逃げてきたというのもあったらしい。申し訳なさそうな顔をする彼女に、ライアンは「まあいいけど」と肩をすくめ、ネイサンは「しつこい男ってやあねえ」と同情を示した。

「つーかあんだけ巨乳侍らしといて、お前にもかよ。絶倫だな」
 呆れと感心が混ざったような様子でライアンが言うと、彼女はキッとライアンを睨んだ。
「巨乳だけど、脚が短くてスタイル悪いわ。オッパイに手脚がついてるみたい」
「頭もついてるだろ」
「あらそう? そうは見えないけど」
 痛烈な皮肉を放った彼女は、いらいらとした様子だった。これはさぞしつこく誘われたのだろうなあ、とライアンとネイサンは目配せした。
「それに、あの人工的で無個性なブロンド! 男ウケ意識の塊みたいなつまらないドレス! 安っぽいったらありゃしない。あれなら地獄のエビのほうがずっといいわ。ねえそう思うでしょ」
「えー、あー、……そーかな」
「地獄のエビって何よ」
 煮え切らないライアンの返答と妙な単語に、ネイサンが首を傾げる。

 そんなやりとりをしていると、男が動いた。侍らせている巨乳の女性ふたりをやんわりと振りほどき、こちらに歩み寄ってくる。
「げっ」というマヌカンの彼女の声を聞きつつ、ライアンは半目になり、にこにこと胡散臭い笑みを浮かべる男を見た。

「やあ、こんばんは。ヒーローに会えるなんて光栄だ」
「どうも」
「ヘリオスエナジーのオーナーさんまで。いや、大物揃いで緊張しますよ」
 やけに大げさな身振り手振りで言う男に対し、ネイサンは返事をせず、ただ手にしたシャンパンを傾けていた。アイメイクを完璧に施した目が、何かを見定めるように細まっている。
 男は慣れた様子で、自分の会社のセールストークを展開しはじめる。しかしライアンは、それをほとんど聞き流した。
(ダメだな、こりゃ)
 人脈作りと営業、何より才能を見出す天才。そんなライアン・ゴールドスミスの琴線に、彼はまったくもって引っかからなかった。
 男の話はうちのタレントたちをどうぞよろしくという内容のそれだったがしかし、その実つまり「いいコいますよ」という、歓楽街の客引きと全く同じであることに気付くのは容易だった。
 この調子で、擦り寄りたい相手に所属のグラビアタレントを愛人契約なり枕営業なりさせてここまでのし上がってきたのでは、とライアンは邪推したが、おそらくそれは十中八九間違っていないだろう。

「ホワイトアンジェラとの“ポーズ”のせいで、女性とおおっぴらに遊ぶことが出来ていないのでは? うちは完全に秘密を守りますよ。ぜひ息抜きに来てください」
 普段からライアンに対する好意を全く隠さず、メディアの前で公開告白までした彼女だが、それをパフォーマンスだと捉えている層も一定数いる。この男は、当然のようにそう思っているようだった。
「……気が向いたらな」
「お待ちしております」
 少し眉をひそめたライアンに、男は自信たっぷりに名刺を渡してきた。ライアンはとりあえずそれを受け取ったが、自分の名刺は渡さなかった。
 男が不満そうに片眉を上げるが、立場も名前の大きさも、売れっ子ヒーローのほうが断然上である。ライアンは肩をすくめて笑みを浮かべ、何も言わなかった。

 男はネイサンにも名刺を渡し、運営しているというホストクラブの宣伝をしてから、妙に気取った歩き方で去っていった。──終始、粉をかけていたという彼女には挨拶ひとつしないまま。
★重力王子の1日★
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BY 餡子郎
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