13:55
Game show recording
R&Aの午後いちばんの仕事は、クイズ番組へのゲスト出演である。
ライアンはコンチネンタル時代に何度か経験があるが、シュテルンの番組も、基本的なところは変わりない。しかしガブリエラはほとんど初めてのバラエティ番組への出演にそわそわして、控室の中で落ち着きなく行ったり来たりしていた。
「ライアン! 私は……私はどのようにしておけば良いですか!」
「いつも通りで大丈夫だって。台本ないし」
この番組はどういうクイズが出題されるのか本番まで知らされず、台本もない。そのためライブ感のある出演者のリアクションが見られる、というのも人気の理由のひとつである。
「ルールとかはわかってんだろ?」
「前の放送の録画を見ました。T&Bが出演した回です」
「ああ、あれな」
「最高に面白かったです。もし歌の勝負だったら、私も彼の真似をすればいいですか?」
「ぶふっ」
ライアンは、思わず噴き出した。
「鉄板でウケると思うけど、それはやめとけ。絶対ジュニア君が拗ねる」
「それは面倒くさいですね!」
「……お前、時々核心を突いて辛辣だよな。っていうか、歌のやつは出題しないように制作側に頼んでっから、ねえよ。こんなとこでお披露目したら台無しだろ」
「はっ、そうでした」
ガブリエラは、こくこくと頷いた。
「他は、何があるのでしたか。ええと……」
ガブリエラは端末を立ち上げ、番組の資料を音声アプリに読み上げさせ始めた。
このクイズ番組の出題は『INTELLIGENCE』『WILD』『PLAY』と大きくみっつのカテゴリーに分かれ、毎回内容が違うものが出題される。アプリが読み上げる出題内容の例を、ガブリエラはふんふんと頷きながら聞いた。
「“INTELLIGENCE”は、私はダメです。ライアン、お願いしますね!」
「おい、丸投げすぎるだろ。ちょっとはお前も頭使えよ」
「ええ〜。しかしですね、難しい問題を出されてもまったくわかりませんですし」
「……パンはパンでも、食べられないパンはな〜んだ?」
「えっ、知りません」
半分おふざけで言ってみたライアンは、真顔になった。
「食べられないパン……? そんなものが……?」
「……答えはフライパン」
「フライパンはパンだったのですか!?」
「よしわかった。“INTELLIGENCE”は俺様に任せろ」
素で驚いているガブリエラに、ライアンは諦めたような笑顔で頷いた。
「わかりました!」
「で、その代わりっちゃなんだけど、……“WILD”がだな」
「げてものを食べる、というものですか?」
「……おう」
基本的に、どんなクイズが出題されるのか、出演者には知らされない。しかしこの“げてもの料理を食べて原材料を当てる”というゲームは、事前に何を食べさせられても文句を言わないという誓約書を書かされるので、これだけは既に出題が確定しているのだ。
「ライアンの気が乗らないなら、私が挑戦しましょう!」
どん、と、ガブリエラは自分の薄い胸を叩いた。
「大丈夫です、何が出てこようと元は生き物と聞いています! ガソリンを飲めなどと言われたらさすがに出来かねますが、生き物ならばどんなものでも食べられます!」
「やばいすげーかっこいい。アンジェラさん頼もしい」
「そ、そうですか!? ふふん、おまかせあれ!」
ライアンが真顔で褒めたせいか、彼女のテンションが最高潮になった。
その時、「スタンバイお願いしまーす」と、スタッフの声が響く。
「はっ、始まります! わあ、綺麗なセット!」
カラフルなセットに、ガブリエラが歓声を上げた。跳ねるようにしてセットに近寄っていく彼女を、ライアンはゆったりと追った。
「楽しそうですね、ライアン!」
「……おー、楽しそうだな」
メットをしていても、その下で灰色の目をきらきらさせているのがよくわかる彼女を見ながら、ライアンは笑って言った。
──そして、無事収録が終わった後。
ガブリエラはアンジェラのメットをかぶったまま、すばらしいハンドルさばきで、滑るように車を走らせた。
「おお、すげえ。すいすい進むなあ」
感心した声で言うのは、助手席のアントニオである。ロックバイソンのメットを装着した彼とは駐車場で偶然出くわし、車が急に不調になって困っているというので、目的地が同じであることもあって同乗することになったのである。
昼時の道はそれなりに混んでいたが、アスクレピオスのロゴの入った車で、運転席がホワイトアンジェラだとわかると、皆がこぞって道を開けてくれるのだ。
「今日はロックバイソンがいらっしゃるので、余計に皆道を開けてくださいますね!」
「そ、そうか?」
ガブリエラにそう言われ、アントニオは照れくさそうにした。しかし実際、救助ランキング1位という快挙を成し遂げ、守護神のふたつ名が定着しつつある彼の人気は、最近物凄い勢いで急上昇している。先程から、助手席の彼に向かって振られる手もとても多かった。
「いやいや、ありがてえよ、ほんとに。仕事も増えたし」
「良かったじゃねーか」
肩をすくめて、今日のマネージャーのアイリス女史と後部座席に座っているライアンが言った。
「おう。でもなんか急に環境が変わったもんで、俺も会社も今回みたいにバタバタしちまって、もう大変だよ。お前らは慣れてるかもしれねえけど」
救助ランキング1位から急に仕事が増えたはいいが、今まで10年近くもそんなことがなかったため、皆てんてこ舞いなのだ、とアントニオは参ったように言った。
「そんなことはありません。私も一部リーグになった時は、別世界に来たようでした!」
「ああそうか、アンジェラはそうだよな」
お互い大変だなあ、と共感を示すアントニオに、ライアンは片眉を上げた。
「……まあ、俺だって最初はさっぱりだったぜ?」
「ええ〜? 何だよお前、先輩に謙遜するタイプじゃねえだろ。どうした突然」
笑って流したアントニオに、ライアンは肩をすくめた。
「……と、スケジュールはひとまず順調ですね。明日の分の変更点が少々ありますが、またお送りしておきますので、各自チェックをお願いします」
「了解」
運転をアンジェラに任せることで、いつの間にか、移動中はマネージャーとのスケジュール確認の時間に充てられるようになっている。そして彼女のぶんのスケジュールも把握したライアンは、自分の端末を確認しながら、しっかりと頷いた。
「本日はどうですか? おふたりとも、何か問題はありませんでしたか?」
「特にはねえかなあ」
「私も特にありません。先程のクイズ番組も、とても楽しかったです! ジェリーさんも良い方でしたし!」
「……ジェリー? ああ、今日の共演者の?」
アイリス女史が言うと、ガブリエラは、信号をチェックしながら「はい」と頷いた。
ジェリーというのは、先程収録後に声をかけてきた、共演者の若い男性アイドルのことだ。実はゴールデンライアンの大ファンだという彼は緊張しいしいライアンにサインをねだり、ガブリエラの提案で写真を撮ってもらったのだが、その時やけにふたりで意気投合していた。
「おお、知ってるぜ。最近出てきた男のアイドルだよな。可愛い系の顔の」
ニュースで見たことある、と、アントニオが言った。
「はい。今日のクイズ番組で、彼と共演したのです。とても良い方でした」
「へえ〜。イマドキっぽい感じだったから、生意気なのかと思ってた」
「礼儀正しい方でしたよ」
「そうかあ、若手でも生意気じゃねえのもいるんだなあ」
「誰のことですか?」
「そこは突っ込むなよ」
アントニオが、皮肉げに肩を竦めた。
それからガブリエラは、先ほど知り合った彼のことを話した。明るくて感じの良い性格だったとか、歌もそこそこ上手だが、それよりもダンスがとても上手であるとか。
「……お前、やけに親しげだな?」
ライアンが、怪訝そうにぼそりと言う。アイリス女史が豊かな睫毛の目を細めて、ちらりと彼に視線を向けた。
「そうですか? なぜなら、彼はとても良い方です。ひと目でわかりました」
「……へー? ひと目で?」
「はい!」
元気良く頷くガブリエラの後ろに座っているライアンは、重たげに脚を組み直す。ずし、という重量が、気のせいかアイリス女史やアントニオの肩にも伸し掛かってきたような気がした。
「ふーん……へえ」
「なんですか? ……はっ、ライアン! もしや、やはり彼を魅力的だと!?」
「違ぇよ馬鹿」
「ではなぜ不機嫌そうなのですか」
「別にィ」
バックミラーに映ったライアンが腕を組んでそっぽを向いたので、ガブリエラは首を傾げつつ、同じ方向に完璧に車をカーブさせた。
「なんだライアン、ヤキモチかぁ?」
アントニオのからかうような声が、車内に不思議とよく響いた。
途端、急ブレーキがかかり、ガブリエラがカースタント並みのハンドルさばきで、見事に路肩に車を急停止させる。
「うおー、角が! え、刺さった!? 弁償!?」
「いってえ! あっぶねえなオイ、何やってんだ!」
急ブレーキの衝撃で、ロックバイソンの角が、車の天井に突き刺さった。そっぽを向いていたライアンは窓ガラスに頭をぶつける羽目になり、アイリス女史だけがちゃっかりドア上のアシストグリップを掴み、いつもどおりの涼しい顔をしている。
「やきもち……つまり嫉妬……嫉妬!? 本当に!? 嫉妬ですかライアン!! 彼に!? それとも私に!?」
「してねえよ! どっちも!!」
「角がー!」
大興奮の声でまくし立てる彼女に、ライアンはいらいらと怒鳴った。天井に刺さった角部分を持って、わあわあと喚いているアントニオはふたりとも無視である。
「嫉妬、すなわちそれは愛がため燃え上がる炎!」
「詩的な表現ですねえ」
「ファイヤーエンブレムに教わりました!」
ひとり淡々としたアイリス女史に、ガブリエラは言った。
「違ぇっつってんだろ!」
「しかし」
「初対面の男は警戒するとか言ってたくせに、あいつには速攻で打ち解けてたから何かと思っただけだ!」
それを嫉妬というのでは、とアントニオは思ったが、これ以上スケジュールを遅らせたくなかったため、口を噤んでおいた。
「ええー、残念です」
ガブリエラは口を尖らせてそう言い、また滑らかに車を発進させた。
「ええと、彼と打ち解けた理由ですか? それはもちろん、彼がライアンのファンだからです。しかもとても良いファン。ライアンを好きな者同士は、見ただけでわかるものなのです。あっそうです、忘れないように、彼にライアンの写真を送らなければ!」
ガブリエラは音声操作で、端末にToDoリストを入力した。
そしてアイリス女史は、「ジェリーですか。交流ができたなら、ダンスや歌でコラボ企画を立てるのもいいかもしれませんね……あちらがゴールデンライアンのファンなら、こちら有利に……」と何やら呟きながら、ドミニオンズにメールを送信している。アントニオは、黙って角を天井からそっと抜いた。
「……ふふふ」
「何だよ」
バックミラーに映るガブリエラの口元がにまにまと緩んでいるのを見たライアンは、怪訝そうな声を出した。
「嫉妬でなかったのは残念ですが、ライアンが不機嫌そうな顔をするところ、久しぶりに見ました。ふふふ」
「……俺が不機嫌で、なんでお前は嬉しそうなんだよ」
「え? なぜなら、不機嫌そうなライアンも素敵だからです。笑顔も最高ですが、しかめっ面も格好いいです! 少し声が低くなるのも素敵。ライアンは何をしても様になりますね!」
「………………あっそう」
「はい!」
ライアンは疲れたように顎を反らせ、すぐ近くの車の天井を意味なく睨む。
「……アンタも大変だなあ」
「おふたりとも、お若いですので」
角を天井から抜き、こそりと言ってきたアントニオに、こう見えて高校生の娘と息子がいる美魔女のアイリス女史は「慣れました」と妙に包容力のある様子で言った。
16:10
Training (in Justice Tower)
「トレーニングな〜。さっきの仕事でけっこー運動したから、身体はあったまってんだけどな。基礎トレノルマだけやっかな」
ジャスティスタワー・トレーニングルーム。
きちんとしたスポーツメーカーのトレーニングウェアに着替えているライアンは、肩を回しながら言った。
「さっきの仕事?」
ランニングマシンで走っていた折紙サイクロン、ことイワンが、走るのをやめないまま尋ねる。
「クイズ番組。『TRIANGLE CHALLENGE !』ってやつ」
「へえ、トラチャレに出たんですか」
「そーそー、前にジュニア君とおっさんが出て負けたやつ」
「あれは虎徹さんがことごとく不正解を出したからですよ。僕はトチってません」
近くでウェイトマシンを持ち上げていたバーナビー本人が、ムッとした様子で言う。それに振り返ったライアンは、にやりと笑みを浮かべた。
「嘘つけ〜。そん時の録画見たぜ? 歌詞暗記と歌唱力バトル、音はバッチリ取れてたけど、歌詞! 発音こねくり回しすぎて審議になるとか面白すぎんだけど」
その発言に、イワンが自分の口を押さえた。笑いをこらえたのである。
バーナビーは少なくとも標準以上の歌唱力の持ち主ではあるのだが、いかんせん、歌う時に自分に酔いすぎるところがある。癖をつけすぎた歌い方は歌詞の判別がつかなくなっており、審議になったのだ。
そして、その独特の歌い方はネットで散々空耳大喜利が繰り広げられ、バーナビーが歌うところのみを抜き出した動画はミリオンビューを記録し、更には彼の歌い方を真似て「バーナビー風に歌ってみた」などというシリーズの動画までがにわかに流行した。
ちなみに虎徹は全く歌詞を覚えておらず、適当な歌詞をつけて歌いオール不正解となったが、その動画もなかなかの閲覧数である。
「ぐ……、た、確かに審議にはなりましたが、正解と認められました!」
「まあそうだけど。死ぬほど笑ったわ、あれ。“パゥワァ〜”」
「powerをpowerと発音して何が悪いんです!」
笑いをこらえていたイワンが、ランニングマシンで足を滑らせて転んだ。
「それもだし、『中高生で流行』テーマのクイズも、ジュニア君オールアウトだっただろ。写真加工アプリのこととか全然知らなくてあれもマジ笑ったんだけど。ジュニア君ってそのへん結構おっさんだよね」
「聞き捨てなりません」
ガッタン! と、ウェイトトレーニングの錘が、大きな音を立てて落ちた。
「あなた前のアンジェラのスペシャルケアくらいから、やたらと僕をおっさ……年上扱いしますけど! そんなに変わらないでしょうが!」
「都合のいい時は年上ぶるくせに……」
「何か言いましたか」
「まあまあまあまあまあ」
睨み合うふたりの間に、イワンが割って入る。このやり取りも、最近“お約束”になってきていた。
「手加減はしませんよ、ライアン」
「上等」
──そして。
トレーニングルームに併設された組手用の部屋で、バーナビーとライアンが、それぞれ向かい合って構えを取る。
「バニーとライアンか。──どっちが勝つと思いますぅ? ロックバイソンさん、スカイハイさん」
「そうだな……」
「うーん」
水の入ったペットボトルをマイクに見立て、実況アナウンサー風のふざけた口調で言った虎徹に、アントニオとキースは、それぞれ顎に手を当てて思案した。
「体格やウェイトの面では、断然ライアン有利だな」
「うん、プロ格闘技なら階級が違うレベルだね。しかしバーナビー君は身体を相当絞り込んでいて身軽だし、実際に動きがかなり素早い。何より彼らの能力からして、普段から肉弾戦に慣れているのはバーナビー君だ」
キースの指摘に、虎徹とアントニオは「確かに」と頷く。
「でも、確かにライアンさんは普段取っ組みあいとかしないけど、格闘技はかなり実用的なやつ、がっつり修めてるよ。軍隊の」
そう言ったのは、パオリン。虎徹たちが、軽く目を見開く。
「え、軍隊?」
「コンチネンタルは、ヒーロー資格の条件のひとつに軍の短期入隊があるんですよ」
イワンが補足する。シュテルンでは軍の人間を見かけること自体少ないですけどね、とも。
「戦闘や銃火器の知識、それを持った人間との戦闘、捕縛術、犯罪心理学、法律関係……。軍人の必須技能は、ヒーローが身に付けるべきものと類似点が多いですからね。その卒業試験に受かることが、ヒーロー免許取得のひとつだそうです。その代わり、シュテルンのように細かい科目に分けた筆記試験などはありません。合理的な気風のコンチネンタルらしい制度ですね」
「興味深い、そして興味深い……」
真剣な顔で、キースが頷く。
「それと、ライアンさんは体重もあるけどすっごい力持ちだから、一撃がものすごく重いよ! バーナビーさんなら避けられるかもだけど、当たったらまずいかも。逆にライアンさんはかなり打たれ強くてタフでもあるから、ちょっとやそっとじゃ倒れないよ」
実際にライアンに組手の相手をして貰ったことのあるパオリンが、実感を込めて言った。「渾身の一撃がいいところに入ったと思ったのに、涼しい顔されたもん」と頬を膨らませている。
そんな彼女の意見に、イワンも頷いた。
「ええ。それに、ライアンさんは洞察力が高くて、視野も広いですからね……。動きがそう早くないと思って油断していたら、隙を突かれて重たい一撃でK.O、なんてこともあり得ます。とはいえ、バーナビーさんが的確に避け続け、ヒットを重ねれば充分勝機はあると思います」
「なるほど、なるほど」
うんうん、と頷いてから、虎徹は視線を動かした。
視線の先にいるのは、枠内にいるバーナビーとライアンふたりを──正しくはライアンをかぶりつきで眺めているガブリエラだ。灰色の目は見開かれ、子供のようにきらきらとしていた。
「おーおー、楽しそうにしちゃって」
しかし、枠外ぎりぎりのところにいる彼女を少し下がらせるべく、虎徹は彼女の肩を叩いた。
──ピー、ピー、ピー!
「っだ! 時間切れ!」
「ここでかよ!? いいとこだったのに!」
「ええーっ!?」
頭を抱えるのは虎徹とアントニオ、残念そうな声を上げるのはパオリンである。イワンは「すごい勝負でした……!」と静かながらも興奮した声を上げ、カリーナが胸に手を置いてホッと息をつく。
「はい、そこまで」
能力を使ってふわりと飛び上がったキースが、お互いのウェアを掴み合うバーナビーとライアンの間に入る。にこやかで穏やかな彼の笑みに、闘争心をむき出しにしていた青年ふたりはスイッチを切ったように力を抜き、それぞれ後ろに手脚を投げ出してひっくり返った。びちゃ、と、それぞれの背中から、汗が飛び散った音がする。
「くそ……タフすぎでしょう、ライアン……ぐっ、最後の一発が……効いた……」
「ジュニア君、手数多すぎ……一瞬も気が抜けねえとかマジしんどい……」
相手を貶しているのか讃えているのかわからないことをぶつくさ呟きながら、ふたりはぜえぜえと息をついている。お互い、いつも完璧にセットしている髪は乱れに乱れ、つかみ合ったウェアも伸び切って、ひどい状態だった。
「ライアン!」
音も高く、テンションも高い声が頭上から振ってきて、ライアンは寝転がった状態で頭上を見上げた。案の定、そこにいたのは頬を紅潮させたガブリエラである。
「ライアン、とても! とてもすごかったです! とても! とてもですよ!」
「……おー」
「ライアンが喧嘩をするところ、初めて見ました! 格好いい! 強い! 特にあの、パンチがですね! ぶん! ガッ! どん!! そしてキック、バーン!」
「何をどう褒められてるのか全然わかんねえ……」
興奮のあまりボキャブラリーが壊滅しきって擬音だけをまくし立てるガブリエラに、ライアンは遠い目をした。
「素敵でした!」
「知ってるっつーの……」
煌めく笑顔で言ったガブリエラに、ライアンは、絞り出すようにそう返した。
「……すみません、アンジェラ。お取り込み中申し訳ないんですが」
「あっ、バーナビーさん! バーナビーさんも、その、いけていましたよ!」
取ってつけたようなガブリエラのコメントに、バーナビーは、乾いた笑みを浮かべる。
「お気遣いどうも。……いえそれより、能力使用をお願いできますか……」
「俺も……あーやべえ……スゲー痛え……」
片やライアンの渾身の重量級パンチを食らった肩や腕を押さえ、片やバーナビーの鋭い蹴りを散々っぱら食らった腹回りを押さえて、それぞれが呻いた。
「すぐに治します! しかしその怪我ですと、冷やしながらのほうが良いです。アイシングパックを持ってくるので、少し待っていてください」
冷静にそう言い、ガブリエラは軽やかに走っていってしまった。手伝いにか、カリーナとパオリンが後を追うのが見える。
置き去りにされた怪我人ふたりはまたそれぞれ痛みに呻いたが、不満は言わない。怪我人に対する処置において、彼女は間違いなくプロである。冷やしたほうがいいと言うなら冷やした方がいいのだろう、と判断する程度には、ふたりともガブリエラの診断を信用していた。
「……それで? むしゃくしゃしていたのは晴れましたか」
息を整えながら、バーナビーが言った。
「……何の話ィ?」
「わざわざ煽ってくるなんて、らしくないでしょう。取っ組み合いをして発散とは、あなたもなかなか……なんというか……」
バーナビーは、にやりと笑った。
「ガキですね、ライアン」
「うるせえ。都合のいいときだけ年上ぶるなつってんだろ」
不貞腐れたようなその声にバーナビーは笑い、そして笑ったことが怪我に響いたのか、肩を押さえて数秒蹲った。
「トレーニングだよ、トレーニング」
「何があったのだか知りませんが、まあいいでしょう。僕もいいトレーニングになったのは確かですし。まあアンジェラがいなければ、とても付き合っていませんけどね」
バーナビーは、皮肉げな笑みを浮かべて言った。
それなりに怪我をしても、彼女がすぐに治してくれる。そうわかっているからこそ、多少無茶なトレーニングも出来るのだ。よくない傾向だと思いつつ、最近皆それに甘え始めているところがあることを、少なくともバーナビーは自覚していた。
「そうかよ。じゃあトレーニングだから言うけど、ジュニア君せっかく動き超速いのに、体硬いせいで動きがバレバレ。あと手数多いけど一撃が軽い。柔軟して肉食え」
「……どうも。では僕もアドバイスを。身体的有利に頼りすぎて、動きに隙がありすぎます。大雑把というか。当たればいいみたいな攻撃は良くないですよ。結局避けられます」
「ご指導、ありがとう、ございますゥー」
それぞれ寝転がったままそんなやり取りを交わすふたりに、すっと影が近寄った。イワンである。両手には、適度に冷やしたスポーツドリンクのボトルをそれぞれ持っている。
「お疲れ様です。こちらをどうぞ」
「ああ折紙先輩、ありがとうございます……いたたた」
「サンキュ、って、あだだだだ」
「大丈夫ですか」
ドリンクを受け取るために身を起こすなり痛みに悶絶するふたりに、イワンが膝をつく。
「盛大にやりましたね。見応えありましたけど……」
もんどりうっているふたりの為に、イワンはドリンクのキャップを外してやった。
「はは。おふたりとも、仲が良いのですね」
「は?」
ぽかんとして、バーナビーとライアンは彼を見た。
「僕もエドワード……友人と、同じようにやりあったことがあります」
イワンは、懐かしそうな、微笑ましそうな顔をしている。
「男ですから、こういうやり方でないとスッキリしないことはありますけど、それに付き合ってくれるような友人は、得難いものです。仲が良いから出来ることです」
落ち着いた様子でそう言った彼に、ふたりは顔を見合わせ、そしてそれぞれ彼からドリンクボトルを受け取った。
「……さすが折紙先輩ですね。いつもありがとうございます」
「それな。マジパネェわ折紙パイセン。あざーっす」
「えっ、ちょっ、なんですかそのリアクション」
背も体格もひと回り以上大きいふたりになぜか頭を下げられ、イワンはわたわたとした。
そしてそんなやり取りを見ていたキースが困惑したように、心配そうに首を傾げる。
「彼らは、何か喧嘩を? 組手だと思っていたのだが……」
「あー大丈夫大丈夫。あれ、あれだよ。屋上で殴り合うようなもんだから」
「屋上で? 殴り合う? なぜ?」
「いやー、バニーちゃんもいい先輩してるなーって見てたけど、いちばん先輩してるのは折紙かー。成長したなあー」
疑問符をいくつも浮かべて首をかしげるキースだが、虎徹は彼の疑問をスルーして、うんうんと感慨深そうに頷いて言った。
「男友達ってなこういうもんだよ。なーアントニオ」
「……鬱憤が溜まる度にお前に散々サンドバッグにされた身としては、素直に頷けねえけどな」
じとり、と睨んでくるアントニオに、虎徹はむっと口をへの字にした。
「だってお前固いだろ! いくら殴っても大丈夫だろ!」
「そういう問題じゃねえだろ!」
わあわあと、学生時代と全く変わらない小競り合いをする中年ふたりに、キースはなんだか羨ましそうな顔をして、もういちど首を傾げた。