#065
★天使の1日★
6/7
18:00
Travel time

「はい、おしまいです」
「ありがとうございます、アンジェラ」
 裸の上半身をガブリエラに向けていたバーナビーは、にこりと笑って、外していた眼鏡をかけ直した。背中にあった大きな打撲痕は、跡形もなく消え去っている。
「調子のおかしいところはないですか?」
「いえ、ちっとも。むしろ組手前より調子が良いくらいです。さすがですね」
「それなら良かったです。あ、枝毛があったので、ついでに髪にも軽くしておきました」
「あっ本当だ、指通りがとても良い! いつもありがとうございますアンジェラ!」
「どういたしまして」
「おい」
 朗らかに会話するふたりに、いらいらとした低い声が飛んだ。
「時間押してんだよ、さっさとしろ」
 声の主は、シャワーを浴びて着替えてはいるものの、バーナビーとの組手で負った怪我がそのままのライアンである。
「何ですか、もう。アンジェラが僕を優先したからってヘソを曲げないでくださいよ」
「曲がりもするわ! こっちはイテーの我慢してるってのに、何が枝毛だ!」

 バーナビーとライアンの決着は、結局着かなかった。──時間切れで。

 元々好カードだった試合はかなり白熱し、ガブリエラという絶対の保険の存在もあって、本当に手加減無しのファイトが繰り広げられた。
 しかし次のスケジュールが押しているため、やむなく切り上げ。本人だけでなく、観戦していた面々も残念がったが、仕方がない。
 そして、時間が押しているために先にバーナビーを治し、その間にライアンはシャワーを浴びに行き、彼の治療は移動中にポーターで、ということになったのだ。

「あでででで。くっそー、いいの食らわせてくれちゃって、いってえ!」
「ふっ、そちらこそ。というわけで、決着はまたの機会に」
「おう、覚えてりゃな」
 拳をぶつけあうふたりに、虎徹たちから、「いいもん見せてもらったぜー」「燃えたでござるー」「またやる時は絶対知らせてね!」という声が飛んだ。

「ギャビー、荷物取ってきたわよ」
 そう言ってガブリエラのバッグを持ってきてくれたのは、カリーナだった。
「それとこれ、昨日の夜に作ったの。良かったら食べて」
「わあ、クッキー! ありがとうございます、カリーナ!」
 いろいろな形に型抜されたクッキーが入った袋を受け取って、ガブリエラは歓声を上げた。そして、さっそく袋を開けて、星の形のクッキーをひとつ口に放り込む。
「あっ、前のよりさくさくしています。今度はちゃんと口の中で崩れますね!」
「うっ……ま、まあね」
 バーナビーが料理に目覚めてからしばらく、カリーナもまたよく料理をするようになった。それが、チャーハンを始めとしてバーナビーの料理を食べてはコメントする虎徹の姿を見てからかどうかは、彼女は決して語らないが。
 年頃の女の子らしく、それとも単におすそ分けをしやすいからか、カリーナが作って持ってくるのは、お菓子が多かった。皆大抵は喜んで受け取ってくれるのだが、カロリーを気にしない、むしろ大歓迎なガブリエラには特に遠慮なく渡すことができる。手作りの料理、しかも親しい人のそれが大好きな彼女は、大喜びで氷の女王様の味見係と化していた。
 しかも、基本的になんでも食べる上に能力の影響で消化器官が異常に強いガブリエラは、若干生焼けのカップケーキだろうと、口に入れる前に崩れる粉っぽいクッキーだろうと、ためらいなくぺろりと残さず食べてしまう。それでいて、「食べられないこともないですが、もう少し焼いたほうがいいと思います!」などと正直なコメントをし、女子同士によくある、言葉を濁した曖昧なことを全く言わない。そのおかげで、カリーナは的確に腕を上げることが出来た。

「カリーナは、料理がどんどん上手になりますね!」
「そ、そうかしら」
「そうですとも。毎回食べている私が言うのです、間違いありません。とても上手に作れた時は、2番目にいいものを私にくださいね」
「なんで2番目?」
 突然ぬっと後ろから顔を出したライアンに、カリーナがぎょっとする。しかしガブリエラは、なんでもないようにけろりとして言った。
「いちばん上手に作れたものは、差し上げる相手が決まっているので」
「……ああ、なるほど。そういうことね」
 理解した、というように頷くライアンに、カリーナは目尻を赤くして目を泳がせる。
 ライアンはガブリエラが持っている袋からクッキーをつまみ、口に放り込んだ。
「おっ、イケるじゃねーかいたたたたた」
 しかし怪我に響いたのか顔をしかめて声を上げたライアンを、ガブリエラが見上げる。
「大丈夫ですか、ライアン」
「大丈夫じゃねえ。って、マジで時間やばい。早く行こうぜ」
「はい」
「あ、女王サマにアドバイス。甘いモンもいいけど、酒のツマミになる系も研究しとくのをオススメするぜ。特にサケに合うやつ」
「的確なアドバイスですね! 私もそう思いますよカリーナ!」
 そんなことを言いながら、ふたりは揃ってトレーニングルームを出て行った。

 カリーナはぽかんとしていたが、やがて再起動し、「サケ、のおつまみね……パパに聞いてみようかしら……」と言いながら、少し赤い頬に手を当てた。






「あー、マジで痛い。じゃ、頼むな」
「は、はい」

 迎えに来たポーターに乗り込むなり、上半身の服を脱いでソファに座ったライアンに、ガブリエラはおたおたした。
「……あ? どした?」
「え、ええと。は、はい、治します。治しますとも」
 ぎくしゃくとした動きで、ガブリエラは、いくつか痣のついた身体の横に腰掛けた。そして腕を伸ばし、怪我に向かって手のひらを向ける。
「おい、なんか遠くねえ?」
「え、う」
 ライアンの言うとおり、ガブリエラが腰掛けた場所は微妙に遠い。そのせいで、腕をまっすぐに伸ばさないと手のひらが患部に届かない。
「もうちょっと近く来いって」
「ひゃうっ」
 ガブリエラの手首を掴んで引くと、彼女が妙な声を上げた。そしてその顔色を見て、ライアンはぽかんとする。そばかすの散った白い肌は、その赤い髪ほどではなくても、真っ赤だった。

「……え、何その反応」
「え、な、な、な、なぜ、なぜなら、なぜならですね」
 と口にしたその時、上半身に何も身に着けていないライアンを正面から視界に入れるや否や、ガブリエラは頭から湯気でも出そうな様子で、目を逸らして俯いてしまった。
「……いや、意味わかんねーんだけど。さっきジュニア君にも同じことしただろ」
「バ、バーナビーさんとライアンは、ちがいます」
「えー……」
 予想していなかった反応に、ライアンは呆気にとられた。
「……いやいや。お前俺の身体いっかい全部見て」
「ひきゃー!」
「ひきゃーって」
 蒸し返すことを推奨していたくせに拒絶するように叫ばれ、ライアンはいよいよ首を傾げる。
「あ、あ、あ、あのときは、とくべつです!」
「まあ……それはそうかもしんねーけど。今時上半身ぐらいで」
 何を今更、とライアンは困惑したが、しかしガブリエラは、拳を握って反論した。

「たっ、たっ、ただ男性の裸だけならば、わわ、私とてどうも、なにも、しません! しかしライアンです! ラ、ライアンは特別なのです! どれだけ特別なのか! ライアンは! 自覚をするべき、要求! 要求があります!」
「お、おう」
「お医者様がいるときも、違います! お医者様がいるので! しかし今! 今は! ふ、ふ、ふ、ふたりです! ふたりだけ、だけです! ……うー!!」

 真っ赤な顔とカタコトでまくしたてた挙句、もう言葉が思いつかないのか迫力のない唸り声を上げるガブリエラに、ライアンは僅かに仰け反る。
 ライアンは、困ったような顔で首をひねった後、少し思案するような様子を見せてから、すい、と両腕を広げた。
 抱きしめよう、とするようにも見える動き。それを前にしたガブリエラは、喉から「きゅっ」と子犬のような声を漏らして縮こまった。ライアンの眉間に皺が寄る。

「……怖い、か?」
「こ、こわい? こ、こわい。そうです、こわい! ライアンが恰好良すぎてこわい!」
「……あ、そう」

 なんだかんだでしっかり指の間からライアンを見ながら言ったガブリエラに、肩の緊張を解いた。セットが乱れて顔にかかってきた金髪を彼が掻き上げると、またガブリエラが「ぴゃっ!」と妙な声を上げる。
「あー、服着たほうがいいか?」
「……怪我が見えないのは良くないので、そのままでいいです。た、耐えます」
「耐えるって」
「嫌なわけではないのです! むしろ嫌なわけではない! 理解を! 求めます!」
「わかったわかった」
 ライアンが、彼女に背を向ける。
「で、では」
 そう言うと同時に、青白い光が漏れる。
 ガブリエラはなるべく何も考えないようにしながら、ライアンの肌に触れないように、しかし体温を感じる至近距離の空間に、慎重に手を滑らせていった。






18:30
See Ryan off.

「どうよ?」
「さ、最高です! 最高に格好いいです! 素敵です! 世界いち!」

 ポーズをキメたライアンに、ガブリエラは興奮しきった声でまくし立てた。更に通信端末のカメラを構え、彼の周りをぐるぐる回りながら、あらゆる角度の写真を何枚も撮影する。
 怪我をすべて治し、更に髪や肌にもガブリエラの能力を施したライアンは、疲労も何もかも払拭され、完璧な状態である。更に金髪を整えなおし、宝石付きのカフスボタンが目立つドレッシーなスーツに身を包み、先の尖ったぴかぴかの革靴を履いている。

「か、格好良すぎて感動! 感動しかありません! とても! とてもですよ!」
「はっはっは、知ってる」
 頬を赤らめ、灰色の目をきらきらさせて褒めまくるガブリエラに、ライアンは金髪を掻き上げつつ、ノリノリでばちんとウィンクをしてみせた。ガブリエラが、「はうう!」と胸を押さえて膝をつく。

 これからライアンは、パーティーに出席することになっている。コンチネンタルエリア発祥の高級アパレルブランドの、シュテルンビルト店オープニングパーティーである。このブランドを贔屓にしている有名スポーツ選手や俳優、また各界のセレブが集まる予定だ。

「よっし。んじゃ、ちょっと営業してくるわ」
「はい! 行ってらっしゃいませ!」
「おー、お前もがんばれよ〜」
 ひとりでポーターを降りていくライアンを、ガブリエラはぶんぶん手を振って見送る。
「また明日な」
 彼のその言葉と同時にドアが閉まり、ポーターが走り出す。

「……また、明日」

 ふう、と、ガブリエラが小さく息をつく。その吐息で、ポーターのスモーク加工の窓が白く曇った。






19:30
Shooting of the CM

「う〜ん、違うな〜。固いっていうか……テンション低いっていうか……」
「むう……すみません……」

 カメラマンが、困ったように頭を掻く。その様子に、ドミニオンズ・モードのスーツを纏ったガブリエラもまた、肩を落とした。
 彼女が立っているのは、スタジオ内に作られたセットの上。白い大理石のバルコニー、に見えるように作られたそれは、いかにもロマンチックなデザインで、またホワイトアンジェラのヒーロースーツとよく合った色合いだった。
 今行われているのはこのセットを使っての、ドミニオンズで新発売される薬用リップの宣材写真撮影である。口元のみが見えるホワイトアンジェラにとって、このリップのシリーズは、日焼け止めと並んでメインともいえる目玉商品だ。

「もっとこう、かわいい感じで! 乙女っぽく! お姫様テイストを入れて!」
「む、むずかしい」
 ポーズを要求されるもどうしていいか全くわからず、アンジェラはおたおたと腕を動かしてみた。しかし妙なお遊戯を踊っているようにしか見えず、カメラマンはため息をつく。
「……しょうがない、ちょっと休憩しようか」
「はい、申し訳ありません」
 苦笑したカメラマンの言葉に甘え、アンジェラはとぼとぼとバルコニーを降りた。ボディガードのアークが、降りてきたアンジェラを出迎える。

「ちょっとアンジェラ、やる気あるの」
「あっ」
 細長いヒールをカツンと鳴らして現れたのは、ドミニオンズの主任、オリガである。今回の商品は特別力を入れて広告を出しているので、打ち合わせにも主任の彼女が来たようだ。
 腕を組んで立つその姿は完璧に“キマって”おり、彼女のほうがよほどフォトジェニックで、モデルらしく見えた。とはいえ、彼女は以前短い間とはいえ本当にモデルの経験もあるそうだが。
「おおかた、ゴールデンライアンがいなくてテンションが下がってるんでしょう」
「ううっ」
 ずばりと言い当てられ、アンジェラはばつが悪そうに唸った。
「さ、先ほど別れたばかりなので、その、立ち直りがですね、その、最初からひとりだったり、別れて時間が経てばそのなんとか」
「言い訳なんか聞いてないし、時間もないのよ」
 夜半の今でも全く崩れていない完璧なアイメイクを施した鋭い目元で、ドミニオンズの美しき主任は、しおしおと肩を落とす自社ヒーローを見下ろした。
「まったく、世話の焼ける子ね」
「う」
 投げ捨てるような言い方に、アンジェラがびくりとする。──が、少し彼女のテンションが上がったことを、オリガ主任は正しく見抜いていた。

「男にテンションを振り回されるなんて、三流の女のやることよ。しゃんとなさい」
「うう、はい」
「糖分を取りなさい。いくらでも甘いものを食べていいのはあなたの武器よ」
 バカ食いに走ろうにも、普通の女はカロリーを気にしなくちゃいけないのよ、という彼女の言葉に、ADの若い女性がうんうんと大きく頷いていた。



 主任に叱られたアンジェラは与えられた小さな控室に戻り、メットを取った。そして昼間にドミニオンズの皆がくれたお菓子をがさがさと漁り、包装を破って口に入れる。花の形をした綺麗なマドレーヌは、バターのいい香りがした。
「あっ、このお店……」
 広げた包装に書いてあった店名は、クイズ番組の優勝賞品だったケーキを作った店だった。しかし、その発見を共有できる相手はいない。シンと静かな控室でガブリエラはマドレーヌの包装を小さく丸め、近くにあったゴミ箱に放り投げる。
 お菓子はまだまだたくさんあるが、どれも食べる気にならなかった。

「……むー!」

 ぱん、と、ガブリエラは自分の両頬を挟むようにして叩いた。
「がんばります! ひとりでも!」
 ただでさえ、自分のスケジュールに合わせてこんなに遅い時間からの撮影なのだ。長引かせてしまってはスタッフに申し訳ないと、ガブリエラは気合を入れなおした。
 ごそごそとバッグを漁り、通信端末にスタンドをつけて机の上に置く。待ち受け画面は撮った写真のスライドショーになっており、今まで撮った写真が──ほとんどライアンであるが──数秒ごとに切り替わっていた。
「私は頭が悪いので、考えてもわからない。ですので、皆さんに教えて頂いた通りにするべき。何を教えていただいたのか、きちんと思い出すのです。まずライアンから」
 今日撮ったライアンの写真を見ながら、ガブリエラはぶつぶつと言う。何も言わずに実行するなとライアンに言われてから、ガブリエラはこうして煮詰まると、ひとりのときでも言葉に出して、考えを整理するようになっていた。

「楽しめ、と彼は言いました。楽しむ。ひとりでも、楽しむ……難しいですが」
 むむ、と唸りながら画面を指でなぞり、ガブリエラはスライドショーを早送りする。そして先ほど叱られたばかりの、美しい流し目を決めたドミニオンズ主任の写真で止めた。以前、頼んで撮らせてもらったものだ。
「男にテンションを振り回されるのは、三流の女のやること! ……なるほど、納得です! オリガさんは常にきれいな女王様! それに、ライアンの隣に立つには一流でなくては!」
 うんうん、と頷きながら、ガブリエラは更に写真をめくっていく。

「ううん、かわいい感じ、乙女っぽく……おひめさま……あっ」
 方針は決まったものの、具体的にどうするかとうんうん唸っていたガブリエラは、現れた写真に灰色の目を見開く。
 表示された写真は、カリーナ、パオリンのツーショットだ。先日再開した動植物園に一緒に行った時に撮ったもので、ふたりとも可愛い服を着て、笑顔を浮かべている。さらにスライドさせると、小動物と戯れる愛らしい彼女たちの写真が続いた。
「かわいい! これです! かわいいもののマネをすればいいのです!」
 ひらめいた、とでも言うように、ガブリエラは確信をもって頷いた。
「それに、カリーナは乙女です。とても乙女」
 バッグをがさがさと漁り、ガブリエラは、先ほど彼女からもらったクッキーを取り出した。
「乙女のクッキー!」
 ハートの形のクッキーを掲げてから、ぽいと口に入れる。高級菓子店のマドレーヌと比べると簡素で素朴な味だが、前食べた時よりもとても丁寧に作られた、おいしいクッキーだ。いつか食べてもらいたい、という乙女の思いが感じられる。

「あとは、おひめさま。おひめさまといえばリリアーナちゃんです」
 リリアーナは、上司であるダニエルの娘だ。まだ10歳にもなっていない彼女は、お姫様というものに非常にこだわりがある。時々父親に会いに会社に来る彼女とは既に何度か会ったことがあり、アークというボディガードも付いているアンジェラが、子守を任されることも度々あった。
 そしてその度、彼女は「お姫様とは」という講義を度々してくれる。リリアーナは元々ブルーローズ推しであるのだが、メモまで取りながら真剣にお姫様論を聞くアンジェラを弟子と認めてくれたらしく、「この間のポーズはいまいち!」などと評価やダメ出しをしてくれるようになった。
 写真をスライドさせると、リリアーナの写真も出てくる。小さな身体で“お姫様っぽい”大きなフリルのスカートを揺らし、つんと顎を反らしておしゃまなポーズを取る彼女は、とてもかわいい。

「よし、これです! がんばります!」

 打開策を見出したガブリエラは、今まで撮った写真の中からとっておきのかわいいものを選んで見つめ、しぐさなどに注目してみた。そして時間が許す限り、ネットにも繋いで“かわいい”、“乙女”、“お姫様”などのキーワードで画像検索などを行う。
 ポーズの研究のためではあるが、たくさんのかわいい画像は、ガブリエラのテンションも上げてくれた。「再開しまーす」とスタッフが呼びに来る頃には、彼女のためにたくさん入っていたカリーナの乙女のクッキーは、ひとつ残らずなくなっていたのだった。



「おお、いい感じ! かわいい!」
「本当ですか! ではこういう感じでもいかがですか!」
「ナイス! キュート!」

 カメラマンからバシャバシャと撮られつつ、アンジェラは研究の成果を活かしたポーズをいろいろと決めてみせた。
 成果は上々であるらしく、カメラマンは満足そうにニコニコしているし、女性スタッフたちも「かわいい〜」と鼻にかかった声で評価してくれている。ドミニオンズの主任も、「まあいいでしょう」というように頷いていた。

「いいねいいね! 次はもうちょっと恋する乙女っぽい感じでいってみよう!」
「恋する乙女……」
 そう言われてふと思い浮かんだのは、もちろんライアンの事だった。
「いい! すごくいい! 王子様に恋い焦がれる感じ、ベリキュー!」
「え、えへへ?」
 意図したわけではないのが盛大に褒められ、アンジェラは照れくさそうに口元を緩めた。その表情も、「いい!」と言われて写真に収められる。
「なんだアンジェラ、できるじゃないか、モデル!」
 一時はどうなることかと思ったけど、と言いながらカメラマンは笑顔で頷き、大きなカメラのレンズを取り替えた。
「うん、さっきのすごく良かった。キレイめの感じ加えてもうちょっと撮ろう」
「きれいめ……恋する乙女で、きれいめ?」
 首を傾げるアンジェラに、カメラマンはうんうんと頷いた。

 ──恋する乙女は、誰だって最高に可愛くて美しいものよ
 ──アタシはいつも恋をしてる。だからいつも美しいの


 思い浮かんだのは、かつてネイサンが言ったこと。あの女神様は、ガブリエラの知る中で、もっとも美しい存在だ。説得力の塊のようなその言葉を胸に、彼女を参考にポーズを取ってみる。

「いいねー!!」

 ネイサンの仕草を取り入れてポーズを取ったアンジェラを、カメラマンはテンション高くバシャバシャと撮り続けた。






20:30
End of works.

 ──お疲れ様でしたー!

 威勢の良い挨拶とともに、撮影チームが解散する。
 予定よりも遅めの引き上げであるにもかかわらず皆が元気そうな笑顔なのは、長引いてしまって申し訳ない、というお詫びを込めて、アンジェラが能力を使ったせいだ。余りすぎたカロリーの解消を兼ねてのものだったが皆大喜びで、カメラマンも、「次もよろしく!」とにこにこ去っていった。
 円満に終わった仕事にオリガ主任も満足気に頷き、「やればできるじゃないの」とお褒めの言葉を賜ることが出来たので、ガブリエラもまたにこにこした。女王様に叱られるのも好きだが、その後褒められるのは格別に嬉しいのだということを、ガブリエラは既に学習している。
「アークの皆さんも、今日もありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
「こちらこそ。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした!」
 バイクを取りにアスクレピオスまで送ってもらい、ずっと護衛をしてもらったアークエンジェルズと別れる。

「ふう」

 ポーターのチャンバーでヒーロースーツの装着を解除し、朝仕舞ったライダースーツに着替え、荷物をまとめ、デイパックを背負う。あとは、立体駐車場にバイクを取りに行って帰るだけ。外はもう真っ暗で、高いところに登れば、シュテルンビルト名物の夜景が美しい時間帯だった。
「ああ、夕食を食べなければ。……むぅ、面倒くさい」
 だらだら歩きながら、ガブリエラはぶつくさと独り言を言った。基礎代謝量は確保しているものの、先ほど少しカロリーを使いすぎた。エンジェルウォッチには、また明日健康診断で叱られるだろう数字が表示されている。今朝注意を受けたばかりなので、あまりよろしくない事態だ。

 シスリー医師に提案されたように誰か夕飯に誘ってみようかとも思うが、撮影が長引いたせいで、一般的な夕飯の時刻はやや過ぎている。少なくとも、パオリンやカリーナはもうとっくに済ませているだろう。
 では飲みに行くかとも思うが、バイクがあるので飲酒は出来ない。誘われればバイクを置いていく手段もあるが、自分からそうするのはなんだか気分が乗らなかった。
 ではどこか入るか、いやそこまでするのは面倒くさい、家でレトルトを温めるのはもっと面倒くさい。なら、途中でコンビニエンスストアに寄って何か軽く買うか。しかしどれもこれも気が乗らず、ガブリエラはうーんと唸った。
 最近、おいしい食事や皆の手作りの食べ物ばかり食べているせいか、工場で作られた飲食物があまり好きではなくなってきたのだ。手作りの料理や誰かと食べる食事はとても美味しいが、それ以外のものは、ジャムやバターをそのまま舐めるのとさほど変わらないように思える。
「贅沢をしています。とても贅沢。とても」
 カリーナのクッキーを少し残しておけばよかった、と思いつつ、ガブリエラは立体駐車場に向かう。

 ──その時、通信端末が鳴った。

「あ!」
 着信表示を見た途端、ガブリエラの表情が変わる。素早く通話アイコンをタップ。
「はいライアン! どうしましたか!」
 電話をかけてきたのは、明日まで会えないはずのライアンだった。見開かれた灰色の目が、夜の人工光を反射して、きらきら光る。

「仕事は終わりました、今から帰るところです」
「えっ──、いいえ、問題ありません! 今すぐ向かいます! はい!」
「はい、ヘルメット! スローンズにあります、取ってきます!」
「む、コケません! コケませんとも! 待っていてください!」

 ぴんと背筋を伸ばしたガブリエラは、先程までとは打って変わって、大急ぎで走る。その足取りは弾むようで、今にもふわりと飛んでいきそうなほど軽やかだった。





20:45
Go to pick him up.

 知る限りの近道を使ってバイクを飛ばし、ガブリエラはパーティー会場であるホテルまでやってきた。オレンジ色の光が煌々と輝く高級ホテルには、身なりの良い人達が出入りしている。
 大きな噴水を中央に配し、ハイヤーやリムジンが停まっているロータリー。門を入ってすぐ、あまり明かりの届いていない端の部分にバイクを停めたガブリエラはヘルメットを取り、通信端末を取り出した。
 テキストチャットのアプリケーションを立ち上げ、“着きました”という、白い犬のキャラクターのスタンプをライアンに送る。すると数秒して、“OK”という、王冠をかぶったライオンのキャラクターのスタンプが返ってきた。
 ぱっと顔を輝かせたガブリエラは、今のうちに彼のヘルメットを出しておくことにした。シート下の収納を開け、スローンズで借りてきたヘルメットを持ち上げる。

「こんばんは。ひとり? ──そう、君だよ」

 自分が話しかけられているというのに最初気付かなかったガブリエラは、2度目の呼びかけでやっと振り向いた。そこに立っていたのは、ブルネットの髪を隙なくセットした、背の高い男だった。ガブリエラが見ても高級とわかるピンストライプのスーツの胸元には、花が飾られている。
「あっ、駐車してはいけないところですか。申し訳ありません」
「いやいや、僕は客だから」
「はあ」
 薄暗くて顔立ちはよくわからないが、闇の中で感じた“におい”に、ガブリエラは鼻をすんと鳴らす。
 高級そうな、しかし軽薄でねっとりとしたムスク系の香水。しかしその中に潜む“におい”に、ガブリエラは浮かれた気分を収め、緊張感を高めた。慣れた“におい”だ。荒野を旅している時、にやにやしながら親切ぶって声をかけてきた男や、シュテルンビルトの裏路地で、田舎者丸出しだったガブリエラに絡んできた人々に感じたものと同じ“におい”。
 笑みを浮かべて近づいてくる男に、ガブリエラはライアン用のヘルメットを再度収納に突っ込んで閉じ、自分のヘルメットを持った。

「ここで何を? 君も客?」
「あなたは誰ですか? 私に何の用ですか?」
 質問には答えない。会話をしないことで、ガブリエラは警戒の意を示した。
「おっと。警戒させたかな」
「はい。とても警戒しています。あなたは知らない人です」
「……はっきり言うね」
 男は、整った顔立ちを少し引きつらせたようだった。
「というか、僕のこと知らないの?」
「まったくもって存じ上げません」
「いやきっと思い出せるよ。最近よくテレビで──」
「心当たりはありません」
「……テレビは見ないほう?」
「とても見ます。テレビは大好き。しかしあなたのことは知りません」
 目の前でピシャリとシャッターを下ろすような、完全なる拒絶である。しかし何らかのプライドがあるのか、男は諦めなかった。ずいとまた近づいてきた男に対し、ガブリエラはヘルメットを素早くかぶり、バイクに跨った。
「すっげえ、カッコイイバイク」
 ヒュウ、と口笛を吹いた男を、ガブリエラは完全に無視した。

 ガブリエラがエンジンをふかすと、ウォン!! と、獣の吠え声にも似た音が響く。しかし男は図々しく、ハンドルを握ったガブリエラの手に触れてきた。フルフェイスのヘルメットの下で、ガブリエラは盛大に顔をしかめる。
「チッ、◯◯◯」
「え? 何?」
 舌打ちとともに早口で発された独特の発音のつぶやきに、男が首を傾げる。しかしガブリエラは問いに答えず、男の手を振り払った。グローブを買い換えよう、とも決意する。
 トマトのしみくらいなら勿体無いので使い続けようと思っていたが、いい機会だ、買い換えよう。金ならある。そうしよう、とガブリエラはひとり頷く。
「ねえって。無視もいい加減に──」
「あっ!」
 しつこい男に、いっそこのまま走って逃げようかと考え始めていたガブリエラが、ワントーン高い声を上げた。今までの淡々とした声色とは打って変わって弾んだ声に、男が思わず彼女の視線を追う。するとそこに立っていたのは、背の高い、というよりは大柄な人影だった。
 宝石付きのカフスボタンが目立つドレッシーなスーツ、先の尖ったぴかぴかの革靴。完璧にセットされた金髪が、照明を反射してきらきらと輝いている。更に、ガブリエラが見送った時は持っていなかった、リボンのかかった花束を持っている。

「おー、お迎えゴクローさん」
「お安いご用です、ライアン!」
 フォン! と軽い音を立てて、ガブリエラはまるで飼い主を見つけた犬のように、車体を滑らせて彼の横につけた。
「で、あっちは? 知り合い?」
「全く知らない方です。なぜか声をかけられました。あと手を触られました」
「ふーん?」
 ライアンは片眉を上げ、ちらりと目線を流す。男がたじろいだ。
「痴漢だろうかと警戒していたところです!」
「……まあ、多分ナンパじゃねえの? きわどいところだけど」
 あいかわらずばっさりと言うガブリエラに、ライアンは少し笑いながら言う。
「まあいいや。俺のメット持ってきた?」
「もちろんです!」
 ガブリエラはさっとシートを降りると収納を開け、ライアン用のヘルメットを取り出して彼に渡した。

「ゴ、ゴールデンライアン……」
「よう。さっきはどうも」
 ライアンが金の目を細めると、あれほど図々しい態度だった男が、少し後ろに下がる。そんなふたりを見て、ガブリエラが首を傾げる。
「ライアンのお知り合いですか?」
「いや? さっきパーティで初対面」
 そう言って、ライアンは彼に近寄り、いくつか言葉を発したようだった。するとみるみるうちに男の顔色が悪くなり、ガブリエラは首を傾げる。
 しかしライアンはいつも通り余裕綽々の様子だったし、男に対して何の興味も持っていない、どころかさっさと忘れたいガブリエラは、ただライアンが用事を済ませるのをおとなしく待った。

「お待たせー。んじゃ行くかァ。とりあえず大通り出て」
「了解です!」

 ライアンがずっしりと後ろに跨った重みに、ガブリエラが喜色の篭った声を上げる。
 彼がしっかり自分に掴まったことを確認すると同時に、ガブリエラはバイクを発進させた。そこに残っているのは、蒼白な顔で呆然としている男がひとりきり。そして彼を振り返る者は、誰もいなかった。
★天使の1日★
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