#064
★天使の1日★
5/7
15:30
Game show recording

「正解〜! 優勝は、R&Aチ〜ム!」
「はっはァ! 俺のブーツにキスをしな!」
「やりましたね! わんわん!」

 人気コメディアンの司会者の宣言に次いで、拍手、紙吹雪。その中心でライアンがポーズを決め、アンジェラが両手を上げてはしゃぐ。
 R&Aの午後いちばんの仕事は、クイズ番組『TRIANGLE CHALLENGE !』へのゲスト出演だった。
 ふたりひと組で参加し、数々のゲームで点を取り合い、優勝チームに賞品が渡されるというのが基本ルール。今回の収録はR&Aに合わせて、男女ペアでのチームのみが集められた。

 王道のクイズ番組ではあるが、この番組は、クイズの種類が非常に多岐にわたっているのが売りだ。大きく『INTELLIGENCE』『WILD』『PLAY』とみっつのカテゴリーに分かれ、毎回内容が違うものが出題される。
『INTELLIGENCE』はそのまま知識量や学力、計算問題、頭の回転の速さを競ったりする、通常タイプのクイズ。
 そして『WILD』は実際に身体を使って挑むスポーツ系のゲームやアトラクションタイプ、また箱の中に手を突っ込んで中身を当てたり、大食い早食いまで、とにかく体を張ったり度胸が必要となる勝負。
『PLAY』は、リズム感や歌唱力を競う音楽ゲーム、早口言葉など、遊びを題材としたゲームとなっている。
 負けると氷水や熱湯、粉の中になど落ちるなどのハードな罰ゲームも様々。更に、参加者はレギュラー枠がないため全員が少しでもカメラに多く映るべく躍起になるせいか、視聴率も非常に高い人気番組である。

 基本的に交互に回答権、挑戦権が与えられるのだが、ふたりともさすがヒーロー、運動神経においては他の追随を許さない。
 いちどアンジェラが『INTELLIGENCE』の慣用句クイズで珍回答を連発し後日ネットで散々ネタにされたが、後の『WILD』でげてもの料理を食べて素材を当てるクイズでほぼひとり勝ちし、挽回した。
 後は概ね『INTELLIGENCE』カテゴリのクイズでライアンが博学さを見せつけ、『PLAY』のダンスゲームでプロのダンサーと渡り合うなどして確実に点を取り、ふたりは見事優勝したのだった。

 それ以外のところでも、常に自由で突拍子がないアンジェラの行動や発言、それにツッコミやフォローを入れるライアン、というやり取りがおおいに笑いを誘い、この回はいつもより高い視聴率を記録することになったのだった。

「いやぁ、ゴールデンライアン、めちゃくちゃ強いですね〜! 運動神経はもちろん、頭もいいし! リズム感もすごいし!」
「勝てね〜! 前出てたバーナビーさんも相当だったけど、ヒーロー強すぎっすよ!」
「アンジェラはなんで蛇とか虫とかすぐわかるの……?」
「では、おふたりに盛大な拍手を!」
 他の参加者、アイドルや大御所俳優やタレント、コメディアンらのコメントのあとに続いた司会者の賑やかしに従い、観客席の人々が演出以上の拍手を贈る。

「ゴールデンライアン、コメントをどうぞ!」
「んっん〜、T&Bの負けからヒーローの名誉挽回って感じィ?」
 彼の言う通り、以前T&Bもこの番組に出演したのだが、ことごとくそれぞれの苦手分野のゲームがあたってしまい、惨敗。運動神経においてはやはりダントツで、アスレチック系のゲームでは体操選手にも勝つという快挙だったが、他のゲームで不正解と珍回答を連発し、最終的に最下位という不名誉を受けた挙句に氷風呂にぶち込まれるという罰ゲームを食らうことになった。
「ホワイトアンジェラからもひとこと!」
「このケーキ、おいしいですね」
「優勝賞品、もう食べちゃったの!?」
 えええ、と驚く司会者。優勝賞品としてワゴンに乗っていた有名パティスリーのケーキを手で掴み、もぐもぐと食べているアンジェラに、観客席からどっと笑い声が起こる。
「あ、ずっりィなお前。俺にもよこせ」
「はい、あーん」
「あー」
「家に帰ってからやってくれませんかね!? というわけで、最後まで自由なR&Aでした!」

 アンジェラが手に持ったケーキを直接食べるライアンの前にずいっと出てきた司会者が、慣れた様子で番組をシメた。



「んん、おいしいです。いいおやつになりましたね」
「ゴールドステージの、◯◯だっけ? 今度他のケーキも買いに行こうぜ」
「そうしましょう。私、この栗のケーキが好きです」
「おー、これな。チョコのとこもちゃんと栗使ってるよな」
「どこを食べても栗の味がするのが素敵です」
「──あの、すみません!」

 共演者やスタッフたちにきちんと挨拶をし、残りのケーキを食べながらスタジオから退出しようとした所で後ろから聞こえた声に、ふたりはケーキを持ったまま振り返った。
 緊張の面持ちで立っていたのは、出演ドラマの番宣も兼ねて相手役の女優とともに参戦していた男性アイドルである。デビューして2年ほどという、成人したばかりの若いアイドルだ。しかしダンスについてはかなりのもので、振付も自らするという実力派でもありなかなかの人気である。先程、ダンスゲームでライアンと渡り合った相手でもあった。

「ゴ、ゴールデンライアン! あの、その、ファンです!」
「へえ、そーなの? ありがと」
「あの、良かったらサインください!」
「いいぜ〜」
 がちがちに緊張している金髪の彼に対し、ライアンはごく緩い調子で言うと、残りのケーキを口に詰め込んで咀嚼した。クリームのついた指を、アンジェラがウェットティッシュで拭う。
「ん、サンキュ。サインね、ペンある?」
「はい! あの、これ、こっちのCDにお願いします!」
 差し出されたのは、バーナビーとのコンビを解消した後、コンチネンタルで期間限定のバンドを組んで出した曲のCDだった。

「お〜、ホントにファンっぽいじゃん」
「いやいやファンっぽいじゃなくて! マジでファンです!」
「そう?」
 興奮気味にまくし立てる若いアイドルに、ライアンは慣れた手つきでさらさらとサインを書いてやった。
「ありがとうございま……わー! 俺の名前! 入ってる! 言ってないのに!」
 サインの端に、“Dear JELLY.”と自分の芸名が書かれているのを見て、彼が興奮する。
「いや、共演者の名前ぐらい知ってるだろ」
「ゴールデンライアンがファンに神対応ってマジだった……感動……俺今日寝れない……」
 金髪の男性アイドル、ジェリーは、CDを抱えて感動を噛み締めていた。

「俺、ライアンさんがシュテルンに来る前からすげーファンで! 戻ってきてくれてマジ嬉しいッス!」
「シュテルンの前? じゃあコンチネンタルでヒーローやってた時から?」
「その更に前です! あの、◯◯事務所所属だった頃の! 俺それでアイドル目指して、髪も金髪に染めて……!」
「あー、あー、あー、なるほどね。そんな前からか、あんがとな〜」
 興奮しきりのジェリーの言葉を遮るように、ライアンは笑顔を見せた。

「◯◯事務所の頃から……。ということは、やはりあの新曲の振付……」

 ぼそり、とアンジェラが発したその言葉に、ジェリーが目を見開く。
「ま、まさか……わ、わかるんですか」
「この間、偶然テレビの……音楽番組を見まして。もしや、とは思っていたのです。ええと、“運命の〜”というところの振り付け、これはライアンの昔の曲の……」
「うわー! そうですそうです! 俺あれ大好きで、ついリスペクトを! わかってくれる人初めて会いました、うわー! 感動ッス!」
 本当に感動したらしく、ジェリー青年はアンジェラの手を取ってブンブンと激しく上下に振った。
「はっ、すみません。つい興奮して……」
「構いません。私もあの振付の良さがわかる方に出会えて、とても嬉しいです! この、振り返る所がいいのですよね。この、ここの目線が!」
「それですそれ! わっかるぅー!」
 振り付けを再現しつつ語り合う、初対面であるはずのふたりに、ライアンは呆然とした。

「うおー、アンジェラさんマジ話わかるッスね! ……あの、正直ゴールデンライアンが護衛とか羨ましすぎるし、しかもあの公開告白とか何だよって思ってて、いやエンジェルライディングとかは超カッケーなって思ってはいるんですけど、どうしても」
「無理もありません。ライアンの隣という立場は、とても特別です。彼のファンならば、仮に私がどれほど完璧なヒーローでも、簡単に納得のゆくものではないでしょう」
「アンジェラさん……!」
 がしぃ、と硬い握手を交わすふたりである。

「ああー、今日は憧れのゴールデンライアンに会えたし、サインも貰えたし、同志も見つかるし、超ラッキー! 泣きそう!」
「写真はいいのですか?」
「……はっ! 写真! 忘れてました、うわー!」
 端末置いてきちゃった、とジェリー青年が涙目になる。
「よろしければ、私の端末で撮りましょうか」
「いいんですか!」
 拝むように自分の両手を組んだ彼に、アンジェラはこくりと頷いた。
「もちろんですとも。ライアン、彼と並んでさしあげて下さい」
「……え、ああ、おう……」
 ついていけずに呆然としていたライアンは、目を潤ませているジェリー青年と並んでやった。いかにもアイドルらしい可愛い系の顔立ちで、180センチに届かない身長で細身の彼は、ライアンと並ぶとかなりの体格差がある。

「はい、チーズ。あ、もう1枚」

 パシャ、と、自分の端末を使って、アンジェラは何枚か写真を撮った。
「後で送りますね。事務所宛で良いですか?」
「あ、できれば直に送ってもらえるとありがたいです! これ俺のアドレス!」
「わかりました」
「おい」
 名刺を取り出すジェリーについライアンが声をかけると、彼がぽかんとする。しかしややして顔色を青くし、慌てたように言った。
「ち、違います! べべべ別にアンジェラさんのアドレス目当てとかじゃないです、違います! ライアンさんのパートナーに手を出すつもりなんてこれっぽっちもないです、そりゃすげー語り合える同志なんで出来ればこれからも連絡取れれば嬉しいですけどライアンさんが嫌ならすぐアドレス消しますんで今回だけはー!」
「いや、じゃなくて、……うん」
 放っておくと土下座しかねないような彼の様子に、ライアンは毒気を抜かれて、むしろやや引いた様子で一歩後ずさった。

「そうですよ、ライアン。彼はどちらかというとライアンに抱かれたい感じの方です。私は同志かつライバルです」
「とんでもねーことをさらりと言うな。──おいお前も否定しろよ!」
 何やら少し照れている様子のアイドルに、ライアンは全力でツッコミを入れた。
「えええ、えーっと。あ、でも、今日アンジェラさんがスゲーいい人だってわかったんで! こないだのパパラッチ退治の騒動も全部見てたんですけど、俺これからちゃんと応援しますんで! 頑張ってくださいアンジェラさん!」
「ありがとうございます! なんて良い方でしょう、頑張ります!」

 再度、固い握手をしてぶんぶんと振るふたりを、ライアンは呆然と見る。
 しかしまもなく彼のマネージャーがやってきたため、最後に彼を真ん中にして3人で写真を撮り、ずっと大きく手を振って見送る彼と別れた。






15:50
Travel time

「少し時間が押していますね。急ぎます」
「ほどほどにな〜」

 無事収録を終え、マネージャーとして迎えに来たドミニオンズのメンバー・アイリス女史から車のキーを受け取ったガブリエラは、アスクレピオスのロゴの入った社用車に駆け寄る。しかしその時、近くのスペースにいた見覚えのある人物に、「あっ」と声を上げた。
「ロックバイソン、こんにちは!」
「おおおっ、アンジェラ! ちょうどよかった!」
「わあ! なんですか!?」
 ライアンを上回る巨体、しかもあちらも大きな2本の角の付いたメットを装着した姿でずいっと前のめりに近寄られ、ガブリエラはつい驚いて仰け反った。
「あれ、おっさんもなんか撮影? 収録? おつかれー」
「おうライアンお疲れさん、……って、それより! すまん、そっちの車、まだ乗れるか!?」
「どうされたのですか?」
「どうもどうも、すみません」
 アイリス女史が前に出る。するとロックバイソンと共にいた、彼よりもひと回り上くらいの年齢の、髭面、頭頂部は薄いが周りの髪は長髪でサングラス、おまけにプロレスラーのような体格という、個性的かつ強面の中年男性が進み出た。
「クロノスフーズヒーロー事業部の者です」
 一見ギャングの上層部のような外見なのに、その物腰は非常に低い。その腰の低さのまま彼が手早く名刺を、ライアンが受け取った。
「事業部の者、ってオイオイCEOじゃねーか! なんでCEOが付き人みたいなことやってんだよ」
「いやあ、ウチは家族経営だからなあ。アットホームな社風が抜けなくって」
 わっはっは、と笑うクロノスフーズCEOに、「程があるだろ」とライアンが本気で呆れた声を上げる。

「……で、こんなとこで何やってんだ?」
「実は、ウチの車が急に調子悪くなっちまって。まあ、トレーニングをカットすりゃあ、次の仕事には間に合うんだけど──」
「っていってもなあ。やっぱヒーローとしてトレーニングはカットしちゃダメだろ?」
「おめえは筋トレしてえだけだろうが」
「む……」
 慣れた様子のふたりのやり取りに、アスクレピオス組が顔を見合わせる。

「つまり、バイソンのおっさんだけ乗せて一緒に連れてけ、ってことか?」
「言いにくいんだが、そのとおりだ。タクシーつかまえてもいいんだけど、この間はタクシー運転手がミーハーな奴で、関係ないところをぐるぐる回って時間だけ取らされてよ……」
「人気者だなおっさん」
「いやあ、お陰様で……じゃなくて! この時間なら、お前らも次はジャスティスタワーでトレーニングだろ? ……あれ? もしかして違う?」
「いえ、そのとおりです。ライアン、いいですか?」
 ガブリエラが振り向いて尋ねると、ライアンは頷いた。
「別に内密なミーティングする予定もねえし、別にいいぜ。乗ってけよ」
「ありがてえ!」
「すまねえな。世話になるぜ」
 ほっとしたような顔をして、ロックバイソン、ことアントニオは、アスクレピオスの社用車の助手席に乗り込んだ。



「うおー、アンジェラ!」
「やっべー! 俺アンジェラに道譲っちゃった!」
「うわ〜車も運転うめえ〜」
「助手席、ロックバイソンじゃん! なんで!?」
「後ろにライアンいる? ああん、スモークガラスで見えない!」

 昼時の道はそれなりに混んでいたが、アスクレピオスのロゴの入った車で、運転席がホワイトアンジェラだとわかると、皆がこぞって道を開けてくれる。
 その度にガブリエラは唯一見える口元に笑みを浮かべ、運転手に軽く手を振って礼をした。相変わらず渋滞知らずのその様に、ライアンもまた、手を振ってくるファンに軽く手を振り返したりなどして愛想を振りまく。
「おお、すげえ。すいすい進むなあ」
「渋滞と無縁で助かります」
 感心した様子のアントニオの言葉に、ガブリエラではなくアイリス女史が頷く。

 普通はマネージャーが運転し、ライアンとガブリエラは後部座席でスケジュール確認などをしている場面である。しかしガブリエラがこうして常にメットを装着し、アンジェラとして外出することが多くなってから、運転は彼女の仕事になった。
 おかげでこの通り、アクシデントが起こっても現場に遅刻したことはいちどもない。そのかわり、スケジュールは彼女のぶんもライアンが把握するようになった。
 適材適所の運用に、何度か絶対に遅刻するだろうと思った窮地をアンジェラのドライビングで切り抜けたこともあって、マネージャーであるドミニオンズの女史たちももう当たり前のように受け入れている。今では何も言わずとも、彼女の端末のスケジュールシステムに、わかりやすい言葉を使って整理した情報をまめに送ってくれるようになった。

「今日はロックバイソンがいらっしゃるので、余計に皆道を開けてくださいますね!」
「そ、そうか?」
 ガブリエラにそう言われ、アントニオは照れくさそうにした。しかし実際、救助ランキング1位という快挙を成し遂げ、守護神のふたつ名が定着しつつある彼の人気は、最近物凄い勢いで急上昇している。先程から、助手席の彼に向かって振られる手もとても多かった。
「いやいや、ありがてえよ、ほんとに。仕事も増えたし」
「良かったじゃねーか」
「おう。でもなんか急に環境が変わったもんで、俺も会社も今回みたいにバタバタしちまって、もう大変だよ」
 救助ランキング1位から急に仕事が増えたはいいが、今まで10年近くもそんなことがなかったため、皆てんてこ舞いなのだ、とアントニオは参ったように言った。
「お前らは慣れてるかもしれねえけど」
「そんなことはありません。私も一部リーグになった時は、別世界に来たようでした!」
「ああそうか、アンジェラはそうだよな」
 お互い大変だなあ、と共感を示すアントニオに、ライアンは片眉を上げた。

「……まあ、俺だって最初はさっぱりだったぜ?」
「ええ〜? 何だよお前、先輩に謙遜するタイプじゃねえだろ。どうした突然」

 笑って流したアントニオに、ライアンは肩をすくめた。






16:10
Training (in Justice Tower)

 そうしてやってきたのは、ジャスティスタワー・トレーニングルーム。
 車を再びマネージャーに返し、ヒーロー3人は、それぞれ更衣室に向かった。ガブリエラは丁寧に服を脱ぎ、自分のロッカーのハンガーにかけて、トレーニングウェア──という名の、今までさんざん着倒したアマチュアバンドのライブTシャツに着替える。
 ライアンからは捨てろと言われたがまだ着られるし、さんざん洗濯した安物のコットン生地は妙に吸水性が良く、運動をするにはなかなか快適なのである。
 それに元々欲しくて手に入れたものではないただの貰い物で、捨てても惜しくはない。実際既に何枚かは破れて、雑巾になった上で捨てた。全部なくなったらちゃんとしたスポーツウェアを買おう、とは一応思っている。

 下だけはヒーローズ皆で揃いの短パンを履き、ロッカーに置いていた室内用のスニーカーに足を突っ込んで、ガブリエラは更衣室を飛び出した。

「こんにちは!」

 元気のいい挨拶とともにトレーニングルームに飛び込むと、既に何人かの人影が見えた。
「こんにちは、そしてこんにちはだ、アンジェラ君!」
「おーっす、アンジェラ。今日は重役出勤だな」
 まず挨拶してきたのは、汗を拭っていたスカイハイことキースと、水を飲んでいたワイルドタイガー、こと虎徹である。
「じゅうやくしゅっきん?」
「えーっと」
 こてん、と首を傾げたガブリエラに、虎徹は言葉を探して目を泳がせた。
 慣用句に明るくないガブリエラはこうして言葉の意味がわからないことが度々あるのだが、虎徹もまたボキャブラリーに貧しいところがあり、その上説明が下手なので、ふたり揃って首を傾げてしまうことも多い。

「時間遅めのお出まし、ってことよ」
 虎徹の後ろからぬっと姿を表して口を挟んだのは、ファイヤーエンブレム、ことネイサンである。しかしネイサンはトレーニングウェア姿ではなかった。
「ネイサン、こんにちは! ネイサンも今いらしたのですか?」
「いいえ、私はトレーニング終わったところ。すれ違っちゃわなくてよかったわ」
 にっこり微笑んで、ネイサンはガブリエラの赤毛の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「そうなのですか。忙しいですね」
「忙しいのはあなたたちもじゃない。今日も今まで仕事だったんでしょ?」
「お仕事があるのは良いことです! 必ずしもヒーローとして出動要請がかかるわけではないですし」
 事件が起こらず平和な環境でヒーローとして万全の肉体を維持するだけでも、アスクレピオス所属としての固定給はある。しかしシュテルンビルトにおける“ヒーロー”という職業は広告塔、イメージキャラクター、芸能人、タレントとしての業務も大きくあり、契約書にもしっかり盛り込まれている。
「それに私は学歴もなく頭も悪いですので、他でこんなにお給金をいただける仕事などありません。稼げるときに稼がなければ!」
「ううむ、たくましい」
 胸を張ったガブリエラに、キースが感心したように言った。

「つーかアンジェラもライアンも、最近すげー仕事してるよなあ。バラエティとかCMとか。大変だろ」
 純粋なヒーロー活動以外の仕事が苦手な虎徹が、同情を滲ませて言う。
「確かに大変です。しかしとても楽しいです!」
「あ、そう?」
「はい! 大きなスタジオの中で、最初はどう動けばいいかわからなくて困りました。専門用語も多くて、苦手だと感じていたときもあります。しかし、皆さんが丁寧に教えて下さいましたので、今はとても楽しいです! コメディアンの方や俳優さんとお話……“トーク”をしたり、ヒーローランドに行ったり、みんなでゲームをしたり、きれいなセットでCMを撮ったり。何もかも初めてのこと」
 うきうき、わくわく、と擬音が付きそうな、弾んだ声だった。
「ライアンが“楽しめ”といった意味が、最近やっとわかってきました」
「良かったわねえ」
 母親のような風情で、ネイサンが柔らかく言う。
「はい! 今日はクイズ番組に出ました! とても楽しかったです!」
 本当に楽しそうな、きらきらと輝く笑顔を浮かべているガブリエラに、虎徹は「よかったなー」と、こちらは父親のようなトーンのコメントをした。
 ──いつまでたってもバラエティやらの仕事をイマイチ楽しめない自分を、若干棚に上げつつ。

「確かに、楽しむことは大事よね。というわけで、アタシもお仕事楽しんでくるわァ」
「いってらっしゃいませ!」
 ぶんぶん手を振るガブリエラに見送られつつ、多忙なヘリオスエナジーオーナーは、見事なモデル歩きでトレーニングルームを出て行った。
「……早めに出ていくのは、重役退勤、といいますか?」
「うーん、どうかね」
「彼……彼女は正真正銘の重役だが。どうだろうね」
 首を傾げるガブリエラに、虎徹とキースもまた、首を傾げた。






「手加減はしませんよ、ライアン」
「上等」

 トレーニングルームに併設された組手用の部屋で、バーナビーとライアンが、それぞれ向かい合って構えを取る。

「……何してるの?」
 ひょい、と現れた制服姿のカリーナが、怪訝そうな様子で尋ねる。
「あ、ブルーローズさん……」
「カリーナ! いま来たの?」
 最初に気付いたのは、イワン。次いで、ひとりトレーニングウェアではなく愛用の黄色いカンフースーツを着たパオリンが、彼女に駆け寄った。
「うん。久々に丸1日学校で授業を受けてきたんだけど──」
 中央で向かい合うバーナビーとライアン、そして壁際に立ってそれを見物している皆を見渡して、カリーナは再度パオリンに視線を戻す。

「──これは?」
「よくわかんないんだけど、前バーナビーさんとタイガーが出演したクイズ番組あるでしょ? 負けちゃったけど」
「ああ、あれ」
 それなら、カリーナも知っていた。誰にも言ってはいないが、タイガーが出る番組や雑誌はチェックしているからだ。そうでなくても、あの回はふたりの超絶運動能力、またタイガーのズッコケ回答、更にバーナビーの珍回答や歌により、ネットで神回などといわれて多少話題になったのもある。
「そうそう。あれ、今日ライアンさんとギャビーも出たんだって」
「へえ?」
「それで優勝したらしいんだけど、そしたらなんか“決着つける”っていって」
「……何の?」
「さあ?」
 少女ふたりは、揃って首を傾げた。イワンが苦笑する。
「あのふたりは、何かというと張り合いますからね」
「……ひとりずつだとスカしてるくせに、ふたり揃うとなんでこう高校生男子みたいなノリになるのかしら」
 ばかじゃないの、とクールに言い捨てて、カリーナは踵を返し、トレーニングウェアに着替えるためにロッカールームに姿を消した。



「おーおー、楽しそうにしちゃって」

 虎徹はそう言って、枠内にいるバーナビーとライアンふたりを──正しくはライアンをかぶりつきで眺めているガブリエラに近寄っていった。彼女の灰色の目は見開かれ、子供のようにきらきらとしている。
「でもそこ危ねーから、もうちょっと後ろ下がれな」
「あっ、すみません」
 ラインぎりぎりまで膝を詰めていたガブリエラは、虎徹に促され、素直に後ろに下がった。
「懐かしいですね。よくこうやって試合を見ました」
「え、お前格闘技ファンだっけ?」
「いいえ? 特には」
 ガブリエラは、ふるふると首を振った。

「故郷では、よくギャングやチンピラ同士の喧嘩や賭け試合をやっていたのです。それは私のいいお小遣い稼ぎになりました」
「……小遣い稼ぎ?」
「はい。私がいれば、死んでさえいなければ治せるので、安心してハードな試合ができます。ですので、試合の開催主が私を呼んでですね」
「……へえ」
「経費として、美味しいご飯やアイスクリームを食べさせてもらえます。試合の選手からは、事前にチップを頂けることもありました。怪我した時はよろしく、という意味です。もちろん、チップがなくともきちんと治しますが」
「あ、そう……」
「しかし最初の頃は慌ててしまって、ちぎれた耳を前後逆につけて治してしまった時は、どうしようかと思いました」
 あはは、とガブリエラは朗らかに笑っている。相変わらずなんでもないように飛び出すワイルド極まりないエピソードに、最近自分のヒーローネームが名前負けであるような気がしてきた虎徹は、生暖かい目をした。
 にこにこしているガブリエラは、両手を口に当てて簡易のメガホンを作り、声を張り上げた。

「おふたりとも、思う存分どうぞ! 死ぬのだけは気をつけて!」

 物騒極まりない可憐な声援に、選手ふたりの顔が僅かにひきつった。
★天使の1日★
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BY 餡子郎
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