#062
★天使の1日★
3/7
10:45
Go to work

「ブレンダさん、おはようございます!」
「おっはよー」

 アスクレピオスホールディングス、シュテルンビルト支社最上階。
 ドアにかかっているプレートは、『ヒーロー事業部本部』。つまりライアン・ゴールドスミスとガブリエラ・ホワイトが、アスクレピオスの社員として働く時の職場である。
 真新しくて洒落たオフィス家具が並び、広い窓からの眺めもいい。ふたりのデスクが並べて置いてあり、どちらもきちんと片付いている。収納用というよりはディスプレイ用という感じの凝ったデザインの棚には、ドミニオンズの美しい化粧品ボトルや、ふたりのグッズやスチール写真が並べられていた。

「おはようございます、おふたりとも」

 落ち着いた声で返すのは、先日のヒーローランドレポートのロケにもマネージャーとしてついてきていたブレンダ女史である。
 R&Aのマネージャーはドミニオンズのメンバーが行うが、連絡事項を直接伝えたり、ロケや取材についてくることが最も多いのが彼女である。細かく気の利く性格で人当たりも良いため、このポジションを任せられているのだろう。

「本日の予定ですが──、ゴールデンライアン。これから行う予定だった写真撮影が延期になりました」
「延期? なんで?」
「撮影現場の予定だったカフェが半壊しまして」
「あー……。もしかして、こないだの事件でタイガーのおっさんが壊したやつか」
「仰るとおりです。……相変わらず豪快なことで」
 ブレンダ女史は、肩をすくめて頷いた。
「建て直しましたらまた頼みたい、と連絡が来てます。大層落ち込んだ様子で」
「そりゃあ、あっちの責任じゃねえしなあ。俺からも電話しとくわ」
「電話? メールではなく?」
「メール打つの、あんまり好きじゃねえんだよ」
 ライアンは、肩をすくめた。

「では、そちらはお任せします。というわけで、午前中の予定が空いたのですが──、ちょうどこちらを受け取っておりまして」

 そう言ってブレンダ女史はホログラムモニター端末を素早く操作し、ローカルネットワークを使ってライアンのアカウントに送信する。受信のジングルが鳴り、ライアンが端末を開くと、トップであるダニエルからの連絡事項や指示書が入っていた。

「朝早くにベンジャミンさんがドミニオンズにおいでになりまして、渡していかれました」
「……直接渡せばいいじゃん」
「ベンジャミンさんは、ライアンが少し苦手なようですので」
 ガブリエラがさらりと言った。
「あら、そうなのですか?」
「なぜかはわかりませんが……」
 まあ、と頬に手を当てるブレンダ女史と、ちらりとライアンを見上げるガブリエラ。ライアンは、片眉を上げて両肩をすくめた。

 トーマス・ベンジャミン。ダニエルの専属秘書である。
 分厚い上に色付きの眼鏡をかけており、表情どころか顔立ち自体わかりにくいのだが、頬から顎にかけての髭の剃り跡が結構青いのが、特徴といえば特徴だ。愛想がないわけではないし、ユーモアもある。仕立ての良いスーツを纏ったひょろっとした体躯は、いつも背筋がしゃんと伸びていた。
 常に誰よりも早く現場、職場にいるので、一体いつ出勤しているのだ、と誰もが思っているが、本人は曖昧な薄い笑みを浮かべるばかりで誰もプライベートを知らないという、謎めいた人物でもある。トーマス・ベンジャミンという、どちらもファミリーネームのような、どちらもファーストネームのような名前からしても、どこか掴みどころがない男である。
 しかしダニエルが直接見つけてきた人材であり、実際、仕事はかなりできる男だ。才能を重視するライアンはさほど気にしていないのだが、彼はどうもこうしてライアンを避ける傾向があった。

「……ま、理由に心当たりがねえわけじゃねえけど……。仕事に差し障りはねえと思うし、お互いそのへん割り切ってるから気にすんなよ」
「それならいいのですが」
 いつも人当たりが良いが割とドライなところもあるブレンダ女史は、そう言ってあっさりと納得した。

「ま、とにかく今日の予定は了解。これの処理と、終わったらランチまでドミニオンズの企画書チェックしとくわ」
「そうしてください。午後は予定通りです。私はスポンサーのオフィスに出向してきますので、日中のマネジメントは他のメンバーが向かいます」
「了解」
 にっこりと微笑んだブレンダ女史は、ハイヒールの踵を鳴らして颯爽と出ていった。

「で、お前だけどさあ」
「はい!」
 ライアンとブレンダ女史のやり取りをじっと見守っていたガブリエラは、しゃんと背筋を伸ばした。まるで今から命令を待ち望む犬のようなやる気のある目に、ライアンは少し笑う。

「冷蔵庫に、クール便で“SNOEPGOED”のスウィーツ入ってるだろ」

 彼に言われるがまま、ガブリエラは、専用給湯室にある冷蔵庫を開けてみた。いくつかの常備品を少し押しやって、薄いピンク色と水色とふたつ、綺麗な紙袋が置いてある。
「それ、ドミニオンズとパワーズに持ってってやって」
「差し入れですか?」
「ん。ドミニオンズはまた新しい企画進めててご苦労さんっていうのと、パワーズはヒーロースーツの面倒見てもらってっからな」
「……相変わらずとてもマメですね、ライアン」
「だって世話になってるし、常識だろ? ま、挨拶だよ、挨拶。ピンクのがドミニオンズで、青いのがパワーズな」
「中身が違うのですか?」
「ピンクは見た目カワイくて映えるやつ。ブルーのは片手で食べられる乾きモン」
「おお……」
 相手に合わせてきちんと贈り物を変えるライアンに、ガブリエラは感心した。
「では、さっそく行ってきます!」
「おー。12:30くらいには戻って来いよ。ランチ行くから」
「わかりました!」

 ガブリエラはメットを装着し、ふたつの紙袋を丁寧に持つと、アークたちを引き連れて、意気揚々と部屋を出て行った。






11:00
To visit Dominions

「こんにちは! ライアンからの差し入れを持ってきました!」
「まぁっ、アンジェラ! いらっしゃい!」

 ガブリエラが持っているのは、会社のどこにでも入れるフリーパスである。ドミニオンズの就業エリアにすいすい入っていった彼女を出迎えたのは、髪の毛一筋の隙もないような美女だった。化粧、服装、ヘアスタイル、ハイヒール、ストッキングは細い脚にぴったりと張り付き、まったくもって捻れていない。

「あら、アンジェラが来たの?」
「ゴールデンライアンからの差し入れ?」
「きゃあ、“SNOEPGOED”じゃない! あたし大好き!」
「さっすがゴールデンライアンだわ〜、わかってるぅ」
「それにしても、マメねえ」
「マメよねえ」
「これはモテるわよねえ」
「そうねえ、これはモテるって感じが逆にアレね」
「それよね〜」

 そして次々に顔を出したのは、同じように完璧な美女たちである。ブレンダ女史もかなりの美人だが、どの面子も彼女に勝るとも劣らない。
「新しいプロジェクトを進めてくださって、ご苦労様、ということです。……あの、私もこの間のパパラッチとのことでたいへんお世話になって、ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げると、あらあら、と美女たちがそれぞれにっこりした。
「やあねえ、いいのよそんなの。楽しかったし!」
「そうよそうよ、それにお礼ならちゃんとしてもらったじゃない」
「ええ、あなたの能力のフェイシャルケア!」
「お菓子より、そっちのほうが何よりのお礼よねえ!」
「そうですか? それなら良かったです」
 にこにこしている気のいい美女たちに、ガブリエラもまたにこにこした。

 そしてあれよあれよという間に彼女たちに部屋の中に招かれたガブリエラは、されるがままに応接用のソファに座った。いかにも高級ビジネス家具という感じの自分たちのオフィスのソファと違って、オフホワイトの、ふかふかのソファである。北欧風の、おしゃれでかわいいクッションも置いてあった。しかも、なんだかいいにおいがする。
 余談だが、スローンズには来客を迎えるソファすらないので、出向くと問答無用で事務椅子を開いて座らされる。そしてするにおいといえば、オイルか排気ガスのにおいである。
 だがガブリエラは、どちらも好きだった。

「お茶を淹れてあげるわ。いい紅茶を買ってきたの」
「こっちにも美味しいお菓子があるわよ。ランチ前だけど、アンジェラならいいかしら」
「まあアンジェラ、爪を爪切りで切ったわね? ヤスリで削らなきゃダメよ」
「ネイルセットを持ってくるわ。やってあげる」
「今日のコーデ、素敵じゃない! これも○○の秋のシリーズよね」
「ベルトがいい感じだわ」
「でも、もうそろそろこれだけだと寒いんじゃない?」

 ふかふかのソファの周りから次々に声をかけられ、手を取られ、お茶とお菓子を出され、服の裾をつままれる。
 いいにおいのする美女たちにちやほやと全力で構われ、ガブリエラはにこにこ、というよりはへらへらとした。
 寂しがりで人間好きなガブリエラは、彼女たちに構ってもらうのが大好きだ。以前彼女たちにちやほやしてもらっているところをライアンに見られた時は、「腹見せてる犬」と言われたほどだ。それほど顔が緩んでいたらしい。自覚があったので、否定はしなかった。

「あっ、香水を変えましたか?」
「わかる? 相変わらずよく気付くわね」
「前より甘い感じですね。とてもいいにおいです」
「うふふ、ありがと」
 美しいブルネットの髪を緩く巻いた彼女は、豊かな睫毛の目をぱちんとウィンクした。凄まじくセクシーである。
「あら、じゃあアタシのどこが変わったかわかる?」
「うーん? あ、そのブラウス、見たことがありません。フリルがかわいいです」
「正解よ! おニューなの」
「じゃあ私は?」
「そのブローチ、前に欲しいと仰っていたものですね。雑誌を見せて頂きました」
「そうなの! 奮発しちゃった!」
「とてもお似合いです。あれ、そちら、脚がとてもつやつやですね。綺麗です」
「新製品のストッキングよ! いいでしょ」
 きゃいきゃい、わいわい、と話が弾む。さらには、彼女たちの手荒れや肌荒れ、虫刺されらしい赤い跡を能力を使って消したり治したり、また睫毛を少し伸ばしたりもする。
「やーん! やっぱり、どんなエステよりアンジェラの能力がいちばん効くわね」
「ね〜。これを体験しちゃうとね〜」
 嬉しそうな彼女たちを見て、ガブリエラもにこにこする。
 事件現場などで命にかかわるような怪我を治して喜ばれるのも嬉しいが、日常で感じるコンプレックスの元を解消したり、美を取り戻す手伝いをして喜ばれるのも、ガブリエラはとても好きだ。自分の能力で相手が健康になったり美しくなったりするのは、程度の差はあれど、ガブリエラにとって等しく喜びを感じることであるのだ。

「で、最近ゴールデンライアンとはどうなの」

 唐突に、ドミニオンズのメンバーのひとりが聞いてきた。
「どう、とは」
「もちろん、あれからどうなったのかってことよ。進展した?」
「進展?」
 ガブリエラが首を傾げると、全員が、あら、というリアクションをする。
「意外だわね。彼、手が早そうなのに」
「でも仲はいいでしょ? 傍から見たら完全に付き合ってる感じだもの」
「さくっと付き合い始めたらさくっと手を出せるけど、この間の騒ぎでアンジェラが堂々と告白しすぎたもんだから、尻込みしてるんじゃない?」
「えーなにそれ。ヘタレなの?」
「ヘタレなのかしら? あれだけ俺様イケメンなのに?」
「アンジェラは堂々と告白したのに」
「いくらイケメンでもねー。ドーンといったら、ドーンと返してほしいわよねー」
「ねー」
 本人を放ってぺちゃくちゃと話し始める女性陣に、ガブリエラはきょときょととする。しかし彼女たちのライアンの評価が下がりそうなのを忍びなく思い、慌てて身を乗り出す。

「あっ、しかし、この間、一緒におもちゃ屋さんに行きました!」
「え? 大人の?」
 即座にそう返したひとりの肩を、他の女性がパンと叩いた。
「おとなの? いいえ、私がモノポリーを知らなかったので」
「モノポリー」
 数人が真顔になった。
「はい。あの、さいころを振ってですね」
「いやそれは知ってるけど。なに? モノポリーしたの? ふたりで?」
「いいえ、ふたりだと面白くないので、アークの皆さんや、他のヒーローの方々にも混ざって頂きました。おかげで、先週は大モノポリーブームが到来していました」
「……あ、そう」
「モノポリー以外にも、色々おもちゃを買って下さいました。ミニカーなどを!」
「ミニカー」
「バイクもあります! ちゃんと走るのですよ! つるつるの床に置いて、後ろに引っ張ってから離すと、──びゅん! びゅん、ですよ!」
 嬉しそうに言うガブリエラに、美女たちは、総勢生暖かい目をした。

「……ゴールデンライアンって、他のヒーローと違っていかにも男っぽくてセクシーだし、ちょっといいなーって思ってたんだけど」
「そうそう。なんといっても顔がいいし、背も高いし、お金持ってるし」
「服も車もイケてるし」
「実際すごいマメだし、性格もいいしね。アンチも少ないし」
「ねー。最初はちょっとアタックしてみよっかなーとか」
「あ、あたしもあたしも」
「ええ!?」
 動揺して立ち上がったガブリエラに、件の発言をした女性たちは、にっこりと笑う。
「大丈夫よ。今は全然思ってないから」
「ほ、本当ですか? 狼ではありませんか?」
「狼? よくわからないけど、ゴールデンライアンにちょっかいかけるつもりは全く無いわ」
「本当に?」
「ええ、本当に」
「ポーズではなく?」
「……アンジェラって、何もわかってないようでちゃんとわかってるわよね。ポーズじゃないわ。マジでない」
 安心して、と言われ、ガブリエラはおずおずとソファに座りなおした。

「楽しそうでよかったじゃない。今度はどこか出かける予定なんかしてるの?」
「出かける予定ですか? いつと決めたわけではないですが、来年に恐竜博覧会をやるらしいので、それに行こうという話はしました」
「……恐竜博覧会ね。うん、そう……」
 と言いつつ、数人は笑いをこらえている。
「ライアンは恐竜が好きです。イグアナ、モリィも恐竜の仲間だそうです。私は恐竜を知らなかったので、彼の持っている恐竜図鑑を見せて頂きました。ライアンはティラノサウルスが好きなのですが、私は首が長い種類が好きです。戦ったら絶対にティラノサウルスが勝つと彼は言うのですが、私はまだ納得していません」
「……そう」
「あっ! 恐竜のフィギュアを買って、モリィのケージに入れたらどうかというアイデアを出したら、最高にイケているアイデアだと評価を頂きました! 3人で怪獣ごっこをするのです! とても楽しみです!」
 心の底からわくわくした声を出した彼女に、とうとう誰かがぶはっと噴き出した。

「うん。……やっぱりゴールデンライアンはないわ。ない」
「そ、そうですか。ええと、強力なライバルが減って私としては嬉しいですが、なぜですか? 彼はとても魅力的です」
 疑問符を山程浮かべながら言うアンジェラに、美女たちは笑う。とても美しい笑みで。

「だって私たち、もう中学生じゃないもの」
「いっそ小学生でしょ、これ」
「いえてる」
「でも来年の約束するくらいだから、全然安泰じゃない?」
「そういえばそうね」
「案外かわいいヒトだったのねえ。ぷぷ」

 顔を見合わせて面白そうにくすくす笑う美女たちに、ガブリエラは首を傾げる。しかし、「応援してるから、頑張ってね」と肩を叩いてもらい、「はい!」と元気な返事をしたのだった。



「あら、アンジェラ。来てたの」
「オリガさん、おはようございます!」

 高いヒールをカツカツと鳴らして奥から出てきたのは、豪奢なブロンドを一筋の乱れもなく夜会巻きにまとめ、青い目をした、とびきりゴージャスな美女だった。豊かなバスト、張り詰めたヒップ、ミツバチのように締まったウェスト。非常にメリハリのある身体つきに、高級なスーツがぴたりと張り付いている。彼女がこのドミニオンズの主任、オリガ・チェルノヴァだ。
「今日も素晴らしく美しいですね!」
「ふふ、そう。当たり前の言葉をありがとう」
 獲物を上から見下ろす猛禽のような目をして言った彼女に、ガブリエラはうっとりした。

「あっ、オリガさん。指を怪我しています」
「そうなのよね。紙で切っちゃったの」
 繊細なネイルアートが施された美しい指の脇に、ひとすじの赤い線を目ざとく見つけたガブリエラは、「治しましょう」と手を差し伸べた。
「いいの? じゃあお願いしようかしら」
 ガブリエラは丁寧に彼女の手を取り、能力を発動させた。薄い傷はすぐに消え、白い手は完璧に美しい状態になる。
「他に、悪いところはありませんか?」
「あるように見える?」
「いいえ」
 ガブリエラは、ふるふると首を振った。にこり、と微笑まれて、どきっとする。

「アンジェラったら、ほんとに主任が好きねえ」
「怖いのに」
「すごい美人だけど、同じくらい怖いのに」
 ひそひそ、という体で言う彼女らに、オリガ主任はすっと流し目を向けた。きゃー、と声が上がる。
「ほらほら、あなたたち。ワンちゃんに構ってばかりいないで。仕事して」
 傷のなくなった美しい手をぱんぱんと叩くと、はぁい、と口々に声が上がる。
「アンジェラも、ここでゆっくりしてていいの?」
「そうでした! パワーズにもお菓子を配りに行かなければ!」
 ガブリエラは、はっとして立ち上がった。

「あらもう行くの」
「じゃあこれあげる。肌荒れ治してもらったお礼よ」
「あたしはこれ〜。アンジェラ好きそうかなって思って、買っといたの」
「こっちも持って行って」
「これも」
「それも」
 ガブリエラが持ってきたピンクの紙袋に、次々に色々なものが詰め込まれる。お菓子、お茶、化粧品、可愛い小物、その他色々。あっという間にたくさんのものが詰め込まれ、紙袋は来た時よりもぱんぱんになった。
「ワォ、ありがとうございます! 嬉しいです!」
 またいつでも来て頂戴、と口々に言うドミニオンズの面々に見送られて、ガブリエラは足取り軽くフロアを出て行った。その後に、空気になっていたアークの面々がそそくさと続く。

「んん〜、アンジェラが来ると、やる気が出るわあ」
「ほんとにね。どんな癒やしより癒やしよね」
「物理的にも、精神的にもね」
「わかるぅ」
「感謝してくれるし、褒めてくれるし、気付いてくれるし」
「アンジェラがいるから、今日も会社行こーって気になるわ〜」
「最初はちょっと苦手だったんだけど、接してみるとつい構いたくなるのよね」
「アンジェラが来てから私、なんか犬を飼いたくって……」

 持ち場に戻りつつ、本当にやる気を増しているメンバーたちに、主任のオリガは苦笑した。






11:45
To visit Powers

「こんにちは! ライアンからの差し入れを持ってきました!」

 元気よく入ってきたガブリエラを迎える者は、いない。
 ただ、デスクごときっちり仕切られたブースから、ちらりちらりとぼさぼさの頭がいくつか見えた。
「……差し入れだあ?」
 ぬっと出てきたのは、寝癖のついた白髪混じりの頭に、野暮ったい眼鏡を掛けた中年男だった。手に持ったマグカップには、いかにも苦そうな、泥のように真っ黒なコーヒーが入っている。ライアンでも見上げることになるだろうほど背が高いが、体つきはひょろひょろと細い。
 彼が、ホワイトアンジェラのヒーロースーツを制作、管理し、またエンジェルウォッチなどの開発、更には他の部署に対して様々な技術提供を行う“パワーズ”の主任、ランドン・ウェブスターである。
 バイオテクノロジーを用いたメカニカル技術で様々な発明や開発を行った天才と名高く、そしてそれと同じくらい、偏屈な変人としても有名だった。

「はい、ランドン主任。お菓子です。ライアンのヒーロースーツの面倒も見ていただくので、と──」
「勝手に配れ」
「わかりました!」
 首を反らしていたアンジェラは、必然的に大きく頷くと、言われたとおりにスタッフにお菓子を配り始めた。
「こんにちは、いつもありがとうございます! ライアンからのお菓子ですよ!」
「や、やあ、ア、ア、アンジェラ……。おお、お菓子? ベベ、ベリーと、チョコ、チョコレートと、ナナッツが入ったものは、ああああある?」
「少し待って下さい。うーん、残念ながら、ビンゴなものはありませんね。チョコとナッツのものならあります」
「フヒッ、リリリリーチ」
 何が面白かったのか、フヒフヒと笑いながら、太った男はお菓子を受け取り、早速包装を破って頬張り始めた。そのままパソコンに向かって凄まじい早さでキーを叩き始めたので、ガブリエラは彼に話しかけるのをやめ、隣のブースへ向かう。

「ハァイ、アンジェラ! 元気!? ねえねえ、ゴールデンライアンのヒーロースーツだけど、せっかく羽根が付いてるんだからさあ! ジェットで飛ぶようにするといいと思わない!? ロボットアニメみたいに、ガシューン! バッ! ガキーン! ドゥルルルルル!! お菓子バーン! キャハハハハハ!」
「わーい、お菓子? ありがとー。ねえねえアンジェラ、今のヒーロースーツだけど、二部リーグのときのスカートパーツなくなっちゃったじゃん? あたしは未だに納得してないんだけど、そこでホットパンツならどうかと思うんだよね。可愛いし、それなら邪魔にならないだろ? それでチェイサーに跨って、えへへ」
「あ、お菓子? そこ置いといて。それより見てこのエンジェルウォッチ! 新しく考えたんだけどほら、このギミック! 2秒間に63回転もするんだぜ、最高だろ!」
「ちょっとアンジェラ、なにこの陳情書! スローンズってほんと無茶ばっかり押し付けてくるよねえ! 空気抵抗率が4パーセント減るって? くそったれ、5パーセントだって伝えといて! 舐めんなよ! あー腰が痛い! ファック!」

 主任に負けず劣らず、パワーズの面々はみな個性的である。男女比はどちらかというと男性の方が多いが、男女の違いなど些細に感じるほど、誰も彼も凄まじくマイペースで、それぞれインパクトが強いキャラクターが揃っている。
 ブースごとに仕切られたデスクもまた個性的で、こんなに貼り付けていては逆に訳がわからなくなってしまうのでは、というほどみっしりとメモを貼っているブースや、アニメのフィギュアをみっしり並べているブース、なんだか分からないが複雑な機械の塊を置いているブース、様々である。
 だがそれと同時に、全員がそれぞれの分野でプロフェッショナルであることも、ガブリエラはよく知っていた。

「ふう。パワーズの皆さんはより個性的ですね」

 そのせいで、決して多くないメンバーにお菓子を配るのに、ガブリエラは30分もかかった。
「あとはランドン主任……、あれ、もうひとつあります」
 紙袋に残っているのは、ランドン用のやや豪華な包みだ。ライアンの字で、ランドンの名前が書かれたポストイットが付いている。しかしもうひとつ、同じようにポストイットがついた、やはり少し豪華な包みが入っているのだ。
「S、A……サー、サ、イ、ティー、オー? 誰でしょう」
 ガブリエラは首を傾げ、空気のように後ろに立っているアークのひとりに尋ねたが、彼は肩をすくめ、知らないといった様子で首を振った。
 主任に聞けばわかるでしょうか、と、ガブリエラは紙袋を持って、ヒーロースーツの調整室に入っていった。中には沢山のコンソールや設備があり、最も奥の大きな強化ガラスを隔てた向こうには、ガブリエラが纏うホワイトアンジェラのヒーロースーツ。そして、ライアンが纏うゴールデンライアンのヒーロースーツが並べて置いてあった。

「ランドン主任、お菓子を……、あっ、こんにちは」

 そこにいたのは、見上げるように大きなランドン。そして、彼の半分も身長があるだろうかというような、小柄な姿だった。
 振り返った彼は東洋系の人種で年齢が読みにくいが、特徴的な頭頂部からして、少なくとも若者という感じではない。彼はガブリエラの姿を見ると、にやりと笑みを浮かべた。
 黄色い色付きのグラスに、脇の辺が広い白いフレームの眼鏡。ピンクのカッターシャツにブルーのネクタイ、グレーのセーターに、下はロールアップしたジーンズと赤いスニーカー。そして、その上から白衣を羽織っているというなかなかカラフルなファッションセンスもあって、妙な愛嬌がある人物だった。

「ええと、大事なお話なら……」
「いや、引き継ぎは終わったから構わねえ」
 ランドンは、相変わらずぶっきらぼうに言った。
「そうですか。あの、ホワイトアンジェラです。はじめまして」
 マイペースの極み、個性の坩堝、一般常識など糞食らえのパワーズ。その親玉であるランドンは自分の紹介などしてくれないということを理解しているガブリエラは、自主的に自己紹介をした。
 しかし、微笑んだままの彼は、無言である。
「あの……」
 ガブリエラは首を傾げたが、よく見ると、彼の唇が僅かに動いていることに気付く。ガブリエラは、数歩彼に近づいた。
「サイトウさん……、サイトウ? ああ、アポロンメディアの! ライアンのヒーロースーツを作った方! はじめまして!」
「……おい、聞こえるのか?」
「え? なにがですか?」
 珍しく驚いた顔をしたランドンに、普通に返事をしていたガブリエラが首を傾げる。
「いや、何がってこいつの声だよ。小さすぎて聞こえねえだろ」
「そうですか? 確かに小さいですが、ちゃんと聞こえますよ」
「……耳が良いな」
 ランドン曰く、斎藤の声はあまりにも音量が小さすぎる上、唇の動きも最小限、更にこの人種特有のわかりにくい表情のせいで、意思疎通を取るのが難しいところがあるらしい。とはいえ、本人はあまり気にしていないようだが。
 だが彼はごそごそとポケットからなにか取り出し、ネクタイピンのように胸元につけた。
「肉声のまま会話ができるのは久しぶりだった。よろしく、ホワイトアンジェラ」
「おお、聞きやすくなりました」
 どうやら、マイクであるらしい。拡声された声は、大きすぎず小さすぎず、ちょうどよく聞こえた。
「よろしくおねがいします!」
 ガブリエラは、斎藤と握手した。小さいが、メカニックらしいごつごつした手だ。

「今日は引き継ぎにやってきたんだ。法的にはゴールデンライアンの個人所有だけど、技術的な面は彼らが担うからね」
「斎藤の技術を公開して貰う代わり、こっちからもホワイトアンジェラのスーツに使った独自技術を多少提供することになった」
 ランドンが言った。
「私は基本的にメカニックだから、医学的なバイオテクノロジーを多く用いる彼らのやり方は新鮮だよ。しかしT&Bのスーツに応用するには、……予算が足りないかな」
「金がねえ会社は大変だな」
「アスクレピオスに比べれば、どこの会社も貧乏だよ」
 フンと笑ったランドンに、斎藤は皮肉げな笑みを浮かべる。
「この後は、スローンズにもお邪魔しようと思っているんだ。エンジェルチェイサーの、あの変形構造に興味があってね。とても格好いいね、あれ」
「そうでしょう! 私も気に入っています!」
「おお、わかっているね。変形メカはロマンだとも」
 うんうん、と斎藤は嬉しそうに頷く。そして、ガブリエラが取り出したお菓子を受け取った。

「ちゃんと私の好きなフレーバーだ。あいかわらずマメだな、彼は」
「あの」
「うん?」
「あなたの作ったゴールデンライアンのヒーロースーツ、とても格好いいです。私はあのヒーロースーツがとても好きです。きらきらしていて。あと羽根も素敵」
 膝を折り、真剣な声で言ったガブリエラに、斎藤は目を見開く。しかしその後口の端を吊り上げると、「キヒッ」と独特な笑い声を披露した。
★天使の1日★
3/7
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SNOEPGOED=スヌープヒゥート。オランダ語でそのまんま「お菓子」の意。
BY 餡子郎
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