#055
★シュテルンヒーローランドレポート★
8/10
「はーい、パレードおつかれ! はー、汗かいたから着替えてサッパリ」
「私もドミニオンズ・モードに戻りました!」
「ってか、すっかり暗くなったな」

 ライアンが、空を見上げながら言う。パレードが始まる直前あたりで夕焼けが広がっていた空はすっかり夜で、都会らしい僅かな星が小さく輝いていた。
「しかし、夜景がとても綺麗です! あっ、船もきらきらしていますよ!」
「お、ホントだ。ロマンティックじゃ〜ん」
 昔のシュテルンビルトを再現した町並みは、ランプやランタンを思わせる橙色の光があえて用いられ、それがそこかしこで輝き、なんとも雰囲気のある眺めになっていた。アンジェラの言うとおり、あの巨大な帆船も、船の縁やマストに下品にならない程度の電飾が輝いて美しい。
 感心して景色を眺めていると、機材の準備ができたスタッフから「ラスト! スタンバイお願いします!」と声がかかる。野次馬をするゲストに下がってもらい、ポジショニングを確認すると、構えられたカメラに向かって、ふたりが並んで立った。

「──ってなわけで、最後の紹介! アトラクションは、七大企業ヒーローだけじゃねえんだぜ。つーか、現役ヒーローのだけじゃなくて引退した大御所ヒーローのアトラクションとかも色々あるんだけどな。時間足りねえんで、今回はメインになってるここ!」

 ライアンが、背後にある建物に対し、腕を広げる。
 それは先程のパレードのクライマックスでプロジェクションマッピングを施された、このヒーローランドのどの建物よりも高い建造物。天辺に巨大天球儀を掲げた、『セレスティアル・タワー』である。
「下の部分がアトラクションで、上の部分は天体観測所になっています。こちらは一般公開していません。パレードや大きなショーは、先ほどのように、この建物をバックに行います。ヒーローランドのシンボルともいえるものですね」
「実は、天体観測所はアスクレピオスのなんだぜ。色々研究所が関わってて──まあこのへんは俺らもよく知らねえけど。下のアトラクションの技術提供も、アスクレピオスがかなりしてるってよ」
 ライアンが、台本にない情報を紹介する。

「アトラクションの名前は、『シュテルンビルト・セレスティアル・ヒストリー』。昼間に見た、最初に大陸から船でやってきたとこから今のシュテルンビルトになるまでの歴史を、ドラマティックに、プラネタリウムみたいな全方位スクリーンと最新音響で! 歴代ヒーローの活躍も紹介されるぜ。ナレーションはステルスソルジャー!」
「ステルスソルジャーさんは、コメンテーターの他にナレーションをよくなさっていますね。教育番組のナレーションもなさっていて、私もよくお世話になりました」
「上手いもんな。それに本人がNEXT差別問題とかヒーローに関することとかの第一人者だし、ぴったりなオファーだと思うぜ」

 そうこう言いつつ、ふたりは列に並ぶ。閉園も近くそこまで混んでいなかったせいか、スムーズに列が進んでいった。
「この船に乗るのですか?」
「え、ライドタイプなの? プラネタリウムみたいなっていうから、座席タイプって思ってたんだけど。予想と違うな」
「私、ボートに乗るのは初めてです。楽しみです」
 船着場のような乗り場に、15人程度が乗れる、背もたれがやや後ろにリクライニングされた座席が付いた、平たいボートが次々に回ってくる。
 順番が来て、ふたりもボートに乗り込み、上空を見上げるような姿勢となる座席についた。全員がベルトをきちんと締めたことをキャストが確認してから、機械操作のボートが進んでいく。
 寝そべった姿勢であるせいで、ボートが弾く水の音が耳に近い。静かなせせらぎの音を聞きながら、ボートはゆっくりと旋回し、ドーム型の巨大な空間に止まった。ゆらゆらと僅かに水にたゆたう感覚がある中、中央の巨大な映写機が伸び上がっていくのが見える。

 ──そして、無限の星空が広がった。



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【VTR】

「よう、ステルスソルジャーだ。
 まずはシュテルンヒーローランドのオープン、おめでとう。経済効果やヒーローのイメージアップにもかなり期待してるが、俺としては、NEXT差別問題や、ここシュテルンビルトのヒーローの歴史について、正しく知るきっかけの場になるといいと思ってる。
『シュテルンビルト・セレスティアル・ヒストリー』はエンターテイメントなアトラクションでもあるが、正真正銘のノンフィクションだ。大迫力の全方位スクリーンで、それを体感して欲しい。水の音を聞きながらの体験は、過酷な旅をしてきた先人たちの魂を感じさせてくれるだろう。
 光栄な事に俺がナレーションを任せてもらったが、過去の偉人たちのことをリスペクトしながら、精一杯やったつもりだ。楽しむと同時に、もし感じたものがあったら、それについてぜひよく考えて欲しい。
 では、楽しんで。ゴールデンライアン、ホワイトアンジェラ。君たちのこれからの活躍に、老兵からエールを」

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「ふわああ……」
 ボートを降りたアンジェラは、若干ふらついたような、というよりは浮足立ったような様子で声を漏らした。
「凄かった……凄かったです。本当に……」
「おー……。壮大っていうか、壮絶っていうか」
「おお、それです。そのとおりです。ええ」
 同じく若干ぼんやりしているライアンの発した言葉に、アンジェラは数度頷いて同意した。

「スカイハイのもスクリーンタイプで凄かったけど、これはまた違うっていうか……。はー、ちょっと余韻が抜けねえな。えーっと、20分ぐらいのはずなんだけど、なんかこう……スケールのでかい大長編映画を観た感じ」
「しかし、実際にあったことなのですよね」
「そうだな。だからこそ色々考えさせられる感じだわ。エンターテイメントでもあるんだけど、軽々しく楽しかったー! とはいえない感じ……いや悪い意味じゃねえよ? むしろ逆」
「たくさんの出来事があって、今のシュテルンビルトがあるということがわかりました。なんだか、シュテルンビルトに住んでいることが誇らしくなりますね。ちゃんと続けて守っていかなければ、と思いました。ヒーローとして」
「おう。でも、ヒーローじゃなくても、そう思って欲しいとこだな。“いつかはみんな、誰かのヒーロー”。皆がそれぞれヒーローで、街を守る。それがヒーローの街、シュテルンビルトだろ?」
「……素晴らしいコメントです、ライアン。感動しました」
「そうだろそうだろ、好きなだけ褒めろ」
 拍手をするアンジェラにつられて、スタッフや、野次馬のゲストたちから、ぱちぱちと拍手が飛んだ。

「他の面だと、やっぱ全方位スクリーンが想像以上に大迫力だな。音響もすげえし」
「嵐のシーンで少し雨が降ったり、風が吹いたり、水が揺れたりするのも凄かったです!」
「そうそう、とにかく臨場感がヤバい。リクライニング席で上向きなんで、前の人の頭とか全然視界に入らねえしな。すっげえ世界に浸れるぜ」
「はい。しかしそれを逆手に取った荷物の盗難などを防ぐため、荷物を収納した座席の下のネットを引っ張られると、シートベルトと連動してわかるようになっています。そういうところもしっかりしていますね」
「ん、そういう現実的な配慮も大事だよな」
 ライアンが頷くと、ADがボードに“シメて!”と書いて示してくる。

「はい、というわけで! シュテルンヒーローランドレポート、終了!」
「アトラクションについては、小さいお子さん用のものや、オールド・ヒーローのものやゲームコーナーや展示など、紹介しきれていない部分がたくさんあります。お店やレストランなどは、もっとですね」
「つーか紹介しきれねえって、3時間番組程度じゃ! 俺ら結局開園10分からほっとんど休みなく丸1日遊びつくしたけど、遊びきれてねーもん。大して並んでもねえのに!」
「そうですね。しかも何か色々準備中のものもありますし……」
「いつ来ても新しい発見があるってこったな」
「ライアンのアトラクションが! できるかもしれませんしね!」
「企画が来たらな」
 再度アンジェラの頭をぽんぽんと叩いて、ライアンはカメラに向き直った。

「番組の最後に、俺たちが選んだヒーローグッズのプレゼントもあるぜ」
「私のストラップと、マグカップも用意しておきます、一応。できれば使っていないものを……」
 あればいいのですが、とアンジェラが首をひねる。
 ちなみに放映時は、『R&Aのお土産プレゼント』と称し、Aタイプがサイン入りのヒーローグッズ、Bタイプがホワイトアンジェラの二部リーグ時代の公式ストラップと、マッチョ君のマグカップ(本人使用済)が、抽選のプレゼントとして紹介された。どちらもそうだが、特にBタイプは凄まじい競争率であった、という。

「今日は事件も起こらなくて、本当に良かったです」
「マジでそれだな。天気よりそっちのほうが厄介だからな」
「全部中断されてしまいますからね」
「平和で何より。というわけで、俺のブーツにキスをしな! ゴールデンライアンとー」
「脱いだブーツは揃えましょう! ホワイトアンジェラでした。わんわん!」

 ──はいOK! カット!!

 ディレクターの声が飛び、今までずっと声が入らないように基本的に無口だったスタッフたちが、ハイタッチなどをしてお互いを労う。
 ライアンとアンジェラもお互いにハイタッチをしたあと、スタッフたちと同じようにした。

「おつかれー。あ、景色の画もいる? 夜景キレイだもんな。高いとこからがいい?」
「では、ファイヤーエンブレムの列車にもういちど乗りますか?」
「いいね。ぐるっと回って、小さい店とかひやかしながらぶらぶらして解散、って感じでどお? 時間的にもちょうどいいだろ」

 ふたりの案に、ディレクターやスタッフたちが笑顔で頷く。仕事がほとんど終わったのもあってか、彼らは割とのんびり、ファイヤーエンブレムの『エレガント・ファイヤー・レールウェイ』の駅に歩いて行った。
 車窓からの風景を撮るために向かった場所ではあったが、ファイヤーエンブレムのマントの遊色をそのまま用いた列車は、夜の闇の中で、昼間以上の存在感を放っていた。きらきらと輝く炎の色の列車に、全員が感嘆の溜息をつく。
 昼間と違ってヒーローランド側の景色のみを求める撮影班は、今度は大人やカップルの多い車内で、ゆっくりと美しい景色を眺めた。
 また列車を降りれば、スタッフたちは片手で持って食べられるものを買ったりしつつ、景色の画をゆったりとカメラに収めている。そしてそんな彼らの目の届く範囲で、ライアンとアンジェラも、カメラを気にすることなく、ゆったりと道を歩いた。

「本当に、素敵な風景です。今のシュテルンビルトも好きですが」

 昔の町並みを再現した建物やそれが作り出す眺めを、アンジェラは殊の外気に入っているようだった。車窓からも熱心に景色を眺めていたし、降車してからも浮足立った様子で、橙色のランプが彩る夜の道をきょろきょろ眺めている。
 それこそ興奮した子犬のように飛び跳ねながら歩くアンジェラは、近くでそわそわとこちらを眺めていた女性のグループと、ノリよくハイタッチをした。その気軽さに、きゃあ、と嬉しげな声が上がる。
 相変わらず人見知りというものを一切しない彼女にライアンは肩をすくめつつ、建物を眺めた。
「シュテルンビルトを作った最初の使節団が、コンチネンタルの◯◯国から来たって言ってただろ? あのへんがこういう町並みだよ。その技術で作ったから似てるんだろ」
「へええ」
 ライアンがさらりと言ったことに、アンジェラは感心し、深く頷いた。
「さすが、ライアンは物知りですね!」
「いや、学者っぽい説明は出来ねーよ? 実際行って見たことあるだけ」
「行ったことがあるのですか!? すごいです! さらにすごいです!」
 アンジェラは、興奮した様子でぴょんぴょんと跳ねた。
「ライアンは、たくさん外のエリアに行ったことがありますか!?」
「それなりにな。コンチネンタルはもともと小さい国がいっぱいあって、それが統合されたんだよ。今でもそれがエリアとか自治区って形で残ってて、土地は繋がってるけどエリアごとで文化とか建物とかだいぶ違うぞ」
「おもしろそうです……!」
「……お前、こういうの興味あるの?」
 目元が見えなくても、心から楽しそうに、興味深そうに彼女が食いついてくるので、ライアンはふと尋ねた。
「興味? 建物に?」
「いや、建物っていうか。違うエリアのこととか、そういうの」
「……うーん?」
 考えたことがなかったらしい。首をひねる彼女の横を通り抜け、ライアンは再度建物を見た。

「あ、でも違うとこもあるな。あっちの建物はほとんど石造りだったけど、こっちのはレンガ使ってる」
「なるほど。石を切るのは大変ですが、レンガは作りやすいですからね」
「……作ったことあんの?」
 ライアンがぽかんとして言うと、ありますよ、と、彼女はあっさり頷いた。
「私の生まれた町の建物は、ほとんどレンガで作られていました。粘土をこねて、型にはめて、乾かすだけで出来ます。日差しの強いところなので、すぐです。簡単ですので、だいたいの子供はレンガづくりをやらされます」
「へえー」
「しかし、こちらのレンガは焼いて作っていますね」
「え、見てわかんの」
「わかりますよ」
 こくり、とアンジェラは頷いた。
「……どう違うわけ?」
「まず、見た目が全く違います。触った感じも。そして日干しレンガは丈夫で長持ちしますが、雨に弱いです。しかし私の故郷はほとんど雨が降りませんし、雨でレンガが崩れても、簡単に作り直せます。焼いて作るレンガは日干しより手間がかかりますが、丈夫ですし、雨が振っても崩れません。あと、冬は暖かく過ごせます。シュテルンビルトは割と雨が降りますし、冬は寒いですので、焼いて作るレンガが向いています」
「へえ〜……、ってか、え、スゲーじゃんお前。何でそんなこと知ってんの」
「えっ」
 素で感心した声でライアンが言ったので、アンジェラは少し慌てた様子で答えた。
「い、一時期、工事現場で働いていて……」
「は? 工事現場!? そんなほっせえのに!?」
 工事現場の作業員といえば、屈強な男性のイメージだ。その中に、健康になった今でさえ細すぎるほど細い彼女が混ざっているのを想像して、ライアンは素っ頓狂な声を上げた。
「いえ、力仕事ではありません。重機の免許を取ったので、その運転で」
「重機」
「フォークリフトやミニショベルなどです。簡単なものだけ」
 それが本当に簡単なものなのかどうかも、ライアンには判別がつかなかった。
「そこで子供の頃レンガを作ったことがある話をしたら、現場の親方が、今の、レンガの違いを教えて下さいました。コンクリートのならし方なども」
「へえ」
「その時の手際を褒めていただきまして、重機作業がないときは内装工事などに連れていっていただけるようになり、壁紙を貼ったり、フローリングを敷いたり、あとエアコンや水道の取り付けを教えていただいたりしました」
「……そういや、前に会社の給湯室が故障したの、お前が直したんだっけ」
 ヒーロー事業部の皆が使う給湯室のシンク下から水が盛大に漏れた時、社員たちが慌てふためく中、彼女がやってきてあっという間に処置したという出来事があったのを、ライアンは社員から聞いたことがある。
 とはいえ、その頃ライアンは彼女を避けていた真っ最中だったので、話半分にしか聞いていなかったが。
「ええ、そうですね。前の部屋は、テレビもエアコンも自分で設置しました。お金が浮いて良かったです」
 今の部屋は最初から完璧に揃っていましたけれど、と、彼女はレンガの道を歩きながら言った。

「……お前って、なにげにいろいろ出来るし、いろいろ知ってるよなー」
「はい!?」
 ライアンが真顔で言ったせいか、アンジェラは素っ頓狂な声を上げた。
「い、いろいろ?」
「話すごとびっくりするわ、お前。そんなことも出来んの!? みたいな」
 そう言って、ライアンは目を細めて笑った。
「はは。飽きねえ」
「は、ええと、その、そ、そうですか?」
「おー」
 相変わらずゆったり歩きながら言うライアンに比べ、アンジェラは挙動不審に、意味なく腕をあちこちに動かした。

「い、いろいろ出来るのは」
「うん?」
「ライアンのほうです。レンガづくりなど、私の故郷では、皆やっていることです。レジが打てたり、水漏れを直したりも、できる人はいくらでもいます」
「俺は出来ねえよ?」
「そうかもしれませんが。……前にも言った気がしますが、ライアンは、ライアンにしかできないことをしています。それはとてもすごいことです。ライアンはすごい」
「バーカ」
 ライアンは、白いメットにぽんと手を置いた。

「俺様がスゲーのなんか、当たり前じゃん」

 アンジェラが顔を上げると、彼一流の、自信にあふれた、にやりとした笑みがそこにあった。アンジェラは一瞬ぽかんとしたが、きゅっと唇を引き結ぶ。そして自分も、笑みを浮かべた。
「それもそうでした」
「何を間抜けなこと言ってんだ。俺こそ真のオンリーワンだっつーの」
「あはは。……では、ライアンの部屋が水漏れしたら、直して差し上げます」
「おう、電話するわ」
「お任せあれ!」
 ぴょん、と跳ねて、アンジェラはライアンの横に並んで歩き出した。

「……さきほど言われて、気付きました」
「うん?」
「興味があるのか、と」
「ああ」
 ゆったり返事をしながら、ライアンは彼女を見た。
 ヒーロースーツのせいで身長差は素の時よりも縮まっているが、同じくスーツのメットのせいで、表情はわからない。しかしその、何かを思い出すような声色で、ライアンは彼女がどこか遠くを見ながら話しているような気がした。
「知らないものを見たり、知ったりするのが好きなのだと思います。多分」
「それは俺も思うわ。お前、結構新しいもん好きだよな」
 見たことがないもの、知らないものを前にすると、彼女はとてもきらきらした目をする。そのことに、ライアンは前から気付いていた。
 それは新製品のお菓子から、機械や場所、あらゆる未知のものに対してそうだ。保守的という言葉の真逆を行く姿勢は、常に好奇心と冒険心に溢れている。
 他のヒーローたちなどは、その怖いもの知らずぶりに驚くことも多いようだ。彼女がどれだけスリル狂いのアドレナリンジャンキーなのか知っているライアンとしては、微笑ましく見えるくらいだけれども。
 わくわくしているのがよくわかる、彼女のきらきらした目を見るたびに、ライアンは彼女が来た道が過酷なものばかりではなかったことを感じる。そしてそれは、ライアンにとっても嬉しく感じることだった。

「そうですね。ですのでこちらに来る時、馬の乗り方を教えてくださった部族の方の暮らしなど、全く知らないものばかりでとても楽しかったです」
「お、その話聞いたことねえな。面白そう」
「面白いかはわかりませんが、珍しい体験はしているかもしれません。例えば山羊の血を飲まされたのは、あれが最初で最後ですし……」
「山羊の血!?」
 ライアンがひっくり返った声を出して驚くと、アンジェラは、当時の話をした。
 馬術大会で優勝したという栄誉により、よそ者である彼女を特別に歓迎する儀式として、大事な家畜を潰し、新鮮でないと口にできない生き血を振る舞われたのだ、という。
「うおお……マジで生き血……?」
「本当にそのままではなくてなにか処理はしていたようでしたが、やはりウェッとなりました」
 ウェッ、のところで舌を出して表現する彼女に、ライアンはゆったり首を横に振る。
 ──確かに、レジが打てたり、水漏れを治したり、重機を運転できる者は、このシュテルンビルトにもたくさんいるだろう。
 しかし山羊の生き血を飲んだことのある女などシュテルンビルトに限らずそう何人もいないだろうし、「ミルクかお酒と混ぜれば飲みやすくなりますし、喉が渇きにくくなります」とワンポイントアドバイスまで提供する人間はもっといない、とライアンは確信するまでもない確信をし、しみじみと思った。

(ほんと、変な女だなあ)

 彼女は学歴自体が無に等しく、今でも、都会で生きるにあたって基本の基本といえるような一般常識を知らなかったりする。
 それを自覚している彼女は自分のことを「頭が悪い」と言うが、卑下するわけでなく単なる事実という様相で彼女がそう言うとおり、彼女は確かに頭が悪い。
 知識がないだけで地頭はいいのではと期待して勉強させてみても、小学校高学年用のテキストを、彼女は最後まで解くことは出来なかった。

 しかし、机上の論理に関してはポンコツ極まる彼女であるが、実学においては真逆である。そのことを、他人の才能を見抜くことに天賦の才のあるライアンは正確に理解していた。

 例えば、彼女は外国の名前や大統領の名前、歴史や常識問題なども全くと言っていいほど知らないし、三角形の面積を求めるやり方を、何度教えても覚えない。
 なぜならそれは、外国に行ったり、大統領に会ったことがなく、三角形の面積を実際に求めなければいけない機会が、彼女にはないからだ。
 しかし、彼女はシュテルンビルト中の交差点や駅の名前はすらすらと口にして道案内ができるし、いちど会って言葉をかわした人間の顔と名前、声までもを正確に覚える。数桁の四則演算を暗算でこなせるのは、1セント単位の節約に躍起になる貧乏時代を経験したが故だ。分数の計算はできないが、小数点の四則演算は全く問題ない。

 つまり実体験が伴うと、彼女の学習能力は類まれなものを見せる。そのためヒーロー試験の時は、起こる可能性が非常に低い損害賠償などの法律の覚えは凄まじく悪く苦労したが、能力を行使するにあたって必要な救助関係や医療分野に関しては、満点以上、文句無しにその道のプロと言っていい知識量を証明した。
 そういった彼女の性質が最も顕著に現れているのが、あのライディングテクニックだ。死んだ親友の面影であるバイクに跨り、ポーターがいないために自力で素早く現場に辿り着かなければならないという、強い必然性。それをほとんど毎日こなすことで、彼女はあの技術を身につけた。
 そして人間に限らず生き物の多くがそうであるように、経験の過程で、命の危険が伴っていればいるほど学習結果は強く身につく。だからこそ、彼女はまともに格闘技も習っていないながらもあの腕っ節の強さを持っているのだろう。

 詰まるところ、彼女はとにかく“生き抜くこと”に特化した人間なのだとライアンは理解しているし、それはおそらく間違っていない。
 それは、天然、というような、甘っちょろくてふわふわしたものではない。野生だ。まさに野生の犬。
 今まで生きてきた過酷な環境が必然的にそうさせたという背景もあるだろうが、彼女は生きることを最優先事項に置いていて、それゆえ常に即断即決の取捨選択を行い、思考するよりも先に体が動く。

 最初はそれに散々振り回され今も時折振り回されているがしかし、今では、ライアンは彼女のそのあり方をとても面白いと思っていた。
 両手の指では足りないほどの場所を渡り歩いたライアンも知らない世界のことを当たり前のように話し、考えもつかないような判断で動く彼女と過ごすのは、楽しい。彼女は常に素っ頓狂で、ライアンが思いもつかないようなことをする。そんな彼女に、あえて考えるように求め、それでどんな結果を出してくるのかを聞くのも、ひどく興味深かった。

「……飽きねえなあ、ほんと」
「飽きませんね! とても楽しいです!」

 バイソンカタパルトには絶対にいつかもういちど乗るのです、とぴょんぴょん跳ねる彼女の頭に手を置いたライアンは、にやりと笑ってみせた。
「しょうがねえな。……その時は、付き合ってやるよ」
「本当ですか!」
 メットをしていても喜色満面とわかる様子で、ガブリエラは弾んだ声を上げた。
「他の国、エリアにも、興味……興味があります! いつか行ってみたいです」
 星が輝く空を見上げて、彼女は夢見るような様子で言う。

「ライアンと一緒なら、きっと、もっと、とても楽しいです!」
★シュテルンヒーローランドレポート★
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BY 餡子郎
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