#046
★スペシャルエステ★
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 病院に戻ると、待機場所でもある休憩室には、虎徹とアントニオ、そしてキースが座っていた。しかも3人とも、ラーメンを食べてきた若者組とも比べ物にならない、満足そうな、更に言えば蕩けそうな顔をしている。

「さいっ……こうだった……どんな温泉やマッサージでもねえわ……。あ〜、今冷えたビール持ってこられたら死ぬ〜、幸せすぎて死ぬうぅ……」
 ふにゃふにゃした声で言い、リクライニングのソファに身を預ける虎徹は、長年ハンドレッドパワーで酷使し蓄積した疲労をすべて治してもらったという。
「今なら元の5分どころか、10分ぐらいイケそうな気がする」
「えっ!? 本当でござるか!?」
「気持ち的に!」
 グッとサムズアップをかましてきた虎徹に、「気持ちかよ」とライアンが突っ込みを入れた。

「全身ほぐれた……軋んでる所がどこにもねえ。こんな絶好調なのいつぶりだ……?」
 最近内臓関係の具合が悪い、と言っていたアントニオは、つやつやした顔色である。力が有り余っているのか、「今ならスペースシャトルが落ちてきても受け止められる気がする」などと言いつつ、ボディビルのポージングを次々にキメていた。
「私もだよ! ああ、身体が軽い! いつもの倍の速度で飛べそうだよ……!」
 そしてキースも頬を薔薇色にしてにこにことし、今すぐ空に飛んで行きたそうな様子だった。

「そ、そんなに?」
「確かに、肌艶が全然違うでござる……」
 ごくりと息を呑むカリーナと、一体どれだけ肌年齢が下がったのかという虎徹の肌艶を見て驚くイワン。そしてその横では、腕どころか指のみでパオリンをぶら下げてみせるアントニオに、「バイソンさんすごーい!」とパオリンが声を上げていた。
「アンジェラ君の能力は素晴らしい、実に素晴らしい、実に! ああ、ジョンにも受けさせてやりたい。最近季節の変わり目だからか、少し元気がなくてね」
「そうなの? じゃあ頼めば?」
 あんたの犬のことはあいつも気に入ってるし喜んでやるだろ、と、ライアンはキースに言った。
「いや、そうかもしれないけれど。しかし彼女のカロリーを削る行為でもあるから、こちらから頼むのは気が引けて……」
「そんなもん、美味い飯でも奢ってやりゃいいだけだって。カロリー的にも、気持ち的にも」
「そうかな」
「そうそう。……あとは犬同士で、好きなだけ遊ばせてでもやれば?」
 ライアンが肩を竦めて言うと、キースは笑みを浮かべた。
「そう、そうか! もちろんだよ。ではお願いしてみるとしよう」
「おー。……で、ジュニア君と姐さんは?」
 一緒に施術を受けたはずのふたりの姿がないことに気付いたライアンがきょろきょろすると、その時、シュッ、とスライド式の自動ドアが開いた。

「ふっふっふっ。今ならサウザンドパワーぐらいイケそうな気がします!」

 虎徹と同じようなことを言いながら戻ってきたバーナビーを、ライアンは生ぬるい目で見る。
「うわー、バニーちゃん、ツヤッツヤだな、ツヤッツヤ」
「そうでしょう! 肌から髪からあらゆる所を施術して頂きましたからね!」
 今こそ虎徹よりもきめ細かな肌と、いつもより数割増しで煌めく金髪を見せつけるポーズを取りつつ、バーナビーはこれでもかという得意げな顔をして、眼鏡を取った。
「しかも、少し視力が良くなりました! 眼鏡を作りなおさなければ!」
「へええええ、そういうのもできるんだ……!」
 カリーナが、まじまじとバーナビーの緑色の目を見た。
 バーナビーの裸眼視力がかなり悪いことは、皆知っている。しかし今、彼は裸眼でも何とか日常生活が送れる程度には視力が回復した、ということらしい。
「視細胞を活性化したということなので、根本的な治療ではないらしいのですが。時間経過でまた下がるそうですけど、それでも嬉しいですね。もちろん目だけではなく、以前から気になっていたあらゆる所を回復していただきました! 絶好調ですよ!」
 その発言に、さぞ色々注文をつけたのだろうなあ、と全員が察した。実際、彼の問診票は虎徹やアントニオ、キースなどとは比べるまでもなく真っ黒である。

 そしてその時、再度自動ドアが開いた。

「今の私は女神様……」

 まるでランウェイを歩くファッションモデルのように登場したその姿に、「オイなんかスゲーの出てきたぞ」と虎徹が野次を飛ばした。アントニオが、「シッ!」と窘める。

「んふ。さあ御覧なさい! 私のこの美しさ!」
「うわー! ファイヤーエンブレム、きれーい!」
「す、すごい。ちょっと若返ってるレベルじゃない……!?」
 少女ふたりが本気の声を上げると、ネイサンは毛穴ひとつ見当たらない肌を艶めかせ、まったく浮腫みの感じられない顎をツンと上げてポーズを取った。その首や項も美しく、最近年齢を感じる、と暗い声で言っていたしわやたるみなど、どこにもない。

「えっ? あれ!? ファイヤーエンブレム、もしかしてその睫毛、自前!?」
「ふっふっふっ。もう付け睫毛やエクステなんか用無しよ!」
 さすがの女子、目敏く気付いたカリーナに、ファイヤーエンブレムは長く豊かな睫毛をばさばさとまばたきさせた。
「睫毛の毛根の細胞を活性化してもらったのよ。ついでにちょっと視力が良くなったわ」
「あ、僕と逆ですね。僕は視力を良くしてもらったら、ついでに睫毛が」
 バーナビーが言った。虎徹が、「うわホントだバッサバサ」と感心している。
「えー、それいいなあ……! わ、私も明日やってもらおうっと」
「是非してもらいなさいな。でもあんまり細かく場所を指定できないみたいだから、そこは注意ね。いろんな分野のお医者様が横についてるから、大丈夫だとは思うけど。まあ、そのおかげで目元の小じわも全部なくなったんだけど! ホホホホホホ!」
 ネイサンは、施術前に輪をかけて上機嫌だった。まさにこの世の春、絶好調の最高潮、という感じである。

「あっライアン、戻ってきていたのですね」
「おう、お疲れ」

 医師やエステティシャンたちと一緒に戻ってきたガブリエラに、ライアンは軽く返した。
「ああん天使ちゃん! 今日はホンットにありがとうねえ!」
 いつもよりクネクネした動きで走り寄ったネイサンは、ガブリエラを持ち上げる勢いでハグした。そればかりでなく、感動を抑えきれない、といった様子で、ぷりぷりのつやつやになった唇を、むちゅううう、とガブリエラの頬に押し付ける。

「えへへ、喜んでいただけて良かったです」
「んもおおお、最ッ高! マッサージ師さんやエステティシャンの人もみんな上手でそれだけでも最高なのに、天使ちゃんが合間に能力使ってくれて……身体が溶けるかと思ったわー!」
「あー、それはホントにな。途中、気持ち良すぎてちょっと寝てたわ俺」
 虎徹が同意する。
「私もだよ! しまったすっかり寝入ってしまった、と思って慌てたんだが、実際は5分ぐらいしか経っていなくてね。ものすごい熟睡だったようで、数時間寝たような気分だった。おかげですっかりリフレッシュ! そして気分爽快だ!」
「スカイハイもか。俺も俺も」
「あ、僕もです。ちょっと熟睡しづらい体質なので、すごく気持ち良かったです……」
 すっかり盛り上がる年長組に、若者組がやや羨ましそうにそわそわしている。

「しかしこんだけ時間かかるって、バニーちゃんとファイヤーエンブレム、相当色々注文つけたんだろ? 大変だったんじゃねえのか?」
 虎徹がからかうように言うと、ネイサンが「何よう」と少しばつの悪そうな声を出した。バーナビーも、無言でそっぽを向いている。
「あはは。確かに、注文は多かったですね」
 ガブリエラは、ころころと笑った。
「そうだろ。大丈夫か? 疲れてねえか?」
「大丈夫ですよ、一気に何人も能力を使うのは慣れています。それに注文は多かったですが、多すぎたので」
「で?」
「もう面倒くさかったので、全部やりました」
 笑顔のままきっぱりと言ったガブリエラに、「……あ、そう」と、虎徹は呆れた声を出した。面倒くさかった、とはっきり言われたふたりは、どこか恥ずかしそうだが全く後悔をしていない顔をしている。

「では、明日はカリーナたちですね。よろしくお願いします」
「よろしくね!」
「わーい、楽しみー!」
「よ、よろしくお願いするでござる!」
 ガブリエラが言うと、カリーナ、パオリン、イワンは、期待を隠し切れない様子で頷いた。

「あっ、折紙さん。問診で仰っていた件ですが、お医者様に相談しました。一応やってみます」
「ほ、本当でござるか!」
「折紙さん、何頼んだの?」
 無邪気に尋ねるパオリンに、カリーナが「あんまり聞かないの」と窘めた。
「はは、構いませんよ。お恥ずかしながら、僕もう少し背丈が欲しくて……」
 170センチは越えようとしているものの、男性ヒーローで最も小柄なイワンは、照れくさそうに頭を掻いた。
 特に最近、女性でありつつほぼ同じ身長であるガブリエラが同僚になったことが、地味にショックだったらしい。しかもイワンは猫背気味なので、ぴしりと背筋を伸ばして立つガブリエラと並ぶと、彼女のほうが高身長に見えるときもある。

「ダメで元々、で相談したのですが……。き、希望があるでござろうか?」
「年齢的にギリギリなところはありますが、男性ですしね。成長ホルモンや軟骨細胞、肝臓や骨端線の細胞にアンジェラの能力を使えば、充分可能性はあります」
 アスクレピオスのドクターが、てきぱきと説明する。
「しかし、いちどの施術で効果が出るかは微妙なところです。そこで、折紙サイクロンさえよろしければ定期的にアンジェラの能力を使って、経過を見させていただけないかと話しているのですが? 良いデータにもなりますし」
「い、いいんですかああ!?」
 すっかり素になったイワンは、ひっくり返った声を上げた。彼がガブリエラを見ると、彼女はにこりと微笑む。
「もちろん、私は構いません」
「あああ、ありがとうございます! やややったあああ!! これから食生活にも気をつけなければ! アンジェラさん、ほ、本当に有難うございます……!」
 大喜びのイワンは、見たこともないほど大きなガッツポーズを取り、ガブリエラの手を取ると、ぶんぶんと上下に振った。

「どういたしまして。やってみないとわからないところもあるそうですが、全力を尽くします」
「うう、アンジェラ殿マジ天使でござるぅ……」
「えええええ、身長伸びるの!? それボクもやってほしい! ボクも大きくなりたい! ファイヤーエンブレムぐらい!」
「それはちょっとどうかしらねえ……」
 心底羨ましそうに地団駄を踏むパオリンに、186センチのネイサンが苦笑した。
「やだやだやだやだボクもやるー! ギャビー、ボクも! ボクの身長も伸ばして!」
「伸びるかどうかは、やってみないとわかりませんよ」
 元々の遺伝もあるそうですから、とガブリエラは穏やかに言う。
「それでもいい! やって!!」
「もちろん私は構いません」
 ガブリエラが頷き、担当医師が問診票にその希望を書き加えると、わあい! とパオリンは飛び上がった。
「やったあ! 折紙さん、頑張ろうね!」
「頑張るでござる! ゆ、夢は大きく、2メートルくらいに!」
 テンションが最高潮になっているふたりに、虎徹が「絶対忍べねえだろ、そんなデケエ忍者」と小さく突っ込みを入れたが、イワンは全く聞いていない。

「やー、みんなテンションすげえな」
「……ライアンは、どういうケアをしてもらうんです?」
 ひとり悠々としているライアンに、先程から自前の手鏡ばかり見ていたバーナビーが尋ねた。
「俺? 俺はもう何回かやってもらってっから、いつもの──」
「なんですってえ!?」
 食いついたのは、やはりネイサンだった。
「あんな天国を、何回か、ですって!?」
「あ、うん。週イチぐらいで?」
「週イチ……!?」
 ライアンの返答に驚愕したのは、ネイサンだけではなかった。

「ちょっと、本当なの!?」
「ライアンはアスクレピオスで常にデータを取って、健康チェックも行っています。ですので、今回のように、お医者様がいちいちついていなくても大丈夫なのです。ちゃんと全身やるのは週にいちどくらいですが、気がついたらケアしていますよ、常に」
 ガブリエラが言った。能力を使う箇所をある程度までしか限定できないため、同じ場所に病巣などがあっては、大変なことになってしまう。そのため誰も彼もに軽々しく能力を使えないのがガブリエラの能力の欠点のひとつだ。
 しかし彼女自身、そしてライアンはアスクレピオスとの雇用契約の一環として、常にフィジカルデータを提出し健康チェックを行うこと、という項目が設けられている。
 そのためガブリエラは、ライアンにだけは常に何も気にせずに能力を使うことができるのである。

「髪とか肌とか筋肉痛とかは、一瞬だもんなあ。ダルいとか疲れとかも絶対次の日残らねえし。こればっかりはマジで重宝するわ」
「えへへ」
 ライアンにわしわしと赤毛をかき混ぜられて、ガブリエラがひどく嬉しそうな顔をする。その顔に、全力で撫でくりまわして褒めた時のジョンと同じ表情だ、と、キースがほわんとした表情を浮かべていた。

「最近妙にツヤツヤキラキラしてると思ったら……!」
「なんという贅沢な……!」

 今回のスペシャルケアに最も感動していたふたり、ネイサンとバーナビーが、心底羨ましそうな顔でライアンを見た。
「しかし、ライアンに能力を使って色々試したおかげで、今回皆さんにも出来たのです」
「ええ、それは確かに。一部リーグヒーローとなるまでの強力なNEXT能力者への施術となれば、慎重にいかなければいけませんからね。アンジェラがゴールデンライアンに能力を使ったデータは、大変貴重で重要なデータになりましたよ」
 医師たちもまた、うんうんと何度も頷いた。
「そーそー。俺が実験台になって今回のが実現したんだから、感謝しろよ」
「……なんだか素直に有難がれないのですが……」
 じろり、とバーナビーがライアンを見たが、もちろんライアンはどこ吹く風である。

「アンジェラの能力もそうだけど、社員優待でエステとマッサージも好きなだけ受けられるしな〜。ぶっちゃけ、今まででイッチバン福利厚生充実した契約会社だと思ってるぜ、いやマジで」
「やばい……割と本気で羨ましい……」
「エステの優待券なら、私が持っていますよ。差し上げましょうか?」
「えっ本当!?」
 けろりと言ったガブリエラに、羨ましそうな顔のカリーナが反応した。ちなみに重工業系企業であるタイタンインダストリーの福利厚生もなかなかのものだが、住宅補助や車両購入時の優待などが主で、少なくとも女子高生が喜ぶタイプの福利厚生はあまりない。
「ちょっとライアン! 貴方持ってないんですか、優待券!」
「自分で使っちゃった」
 期待を込めて詰め寄ってきたバーナビーを、ライアンはばっさりと切り捨てた。ああああ、とバーナビーが崩れ落ちる。
「つーかジュニア君、そのぐらい自前で行けよ。金あるだろ」
「それでもいいですけど、予約がいらないというのが魅力的じゃないですか……。アンジェラは、自分で使わなかったのですか?」
「いちどは行きましたよ」
 ガブリエラは、頷いた。

「今回のように、私もエステティシャンのように能力を使う必要も出てきました。ですので私もエステを受けて、エステの種類や、何がどうやって体がきれいになるのかなどを勉強しよう、と思いまして……」
「なるほど、研修も兼ねてたわけね。ぜひ頑張ってね天使ちゃん」
 ネイサンは、真剣な顔で言った。この能力にエステティシャンとしての知識が加われば、彼女の施術は更にすばらしいものになるに違いない、そう思ってのところである。ガブリエラはそれをわかっているのかいないのか、「はい! ありがとうございます!」と笑顔になった。

「しかし行ってみましたら、たまたまエステティシャンの方が疲れた様子だったので、能力を使って差し上げたのです。そうしたら、今度からは個人で電話してくれればいつでもする、と名刺をくださいました。しかも、エステの知識も詳しく教えてくださるということになったので、優待券は必要なくなったのです」
 けろり、とガブリエラは言った。しかもそのエステティシャンは、お抱えヒーローの施術ともあって最もベテランの、個人の指名も多い有名な技術者であるらしい。

「こいつ、こういうの多いんだよな……。スポンサー接待とかパーティーとか連れてくと、俺でもちょっとびっくりするレベルの名刺貰って来るとか、ザラにあってさあ」
 本人はあまり何も考えてないのが怖い、とライアンはぼそりと言った。ガブリエラは何か見返りを求めてしているのではなく、ただ目の前に自分の能力を必要としていそうな人が現れたのでそうした、というだけなのだ。
 その軽率さに冷や汗をかくことも多いが、とライアンは肩を竦める。
「大きな怪我や、内臓などにはしませんよ?」
 ちゃんとお医者さんに診ていただいてからでないと危ないです、とガブリエラは言う。
「出先でお会いする方々には、お肌や肩こりなどにしか使っていないので、大丈夫です。あっ、あと眼精疲労とか、腰痛とか。腱鞘炎とか」
「いや、そういうのがイッパツで治るってのがスゲーんだろ」
 虎徹が、真顔で言った。日々の生活の中、そういった症状で気を重くして暮らしている人々がどれだけ多いことか。それがものの数分で完璧に治るとなれば、彼女のために何でもとは言わないまでも、かなりの労力を割いてもいいと思うのはおかしくないだろう。

「そうなのですか?」
「そうだよ。あー、何だ。能力使う時は、会社の人とかライアンの言うことはちゃんと聞くんだぞ」
 接待だの社交だの、ビジネスの駆け引きだの、そういう方面に疎い虎徹でも、ガブリエラの能力がいかに有用か、そして下手をしたら利用されかねないのでは、というのはわかる。
 子供に言い聞かせるように言う彼に、ガブリエラは「はい、わかりました」と素直な子供そのものの返事をして、こくりと頷いた。
 そしてその時ガブリエラの腹から、くうと音がする。

「むう、失礼しました。久しぶりにたくさん能力を使ったので、おなかがすきました」

 腹を押さえて、ガブリエラが眉尻を下げた。
「アラ、そういえば食べてなかったわね。よし、今日はお礼に、アタシが好きなだけ奢っちゃうわよ!」
「わあい、ありがとうございます」
 黒いカードをびしりと構えたネイサンに、ガブリエラが両手を上げる。
「えっマジで? ゴチになりまーす」
「え、俺らも? 太っ腹だなファイヤーエンブレム」
 わらわらと寄ってきた虎徹とアントニオを、ネイサンがじろりと睨む。
「オッサンたちの事なんか知らないわよ! ……と言いたいところだけど、今日のアタシは女神様。みんなまとめて面倒見たげるわ! ハンサムとキースちゃんもいらっしゃい!」
「いいんですか。ご馳走になります」
「いいのかい? ありがとう、そしてありがとう!」
 バーナビーが微笑み、キースが両手を上げて立ち上がる。頷いたネイサンはガブリエラの肩を抱いたまま、「よおし、アタシのとっておきのお店に行くわよ!」と、女神様というよりは女王様のように、ガブリエラの肩を抱き、後ろに男たちを引き連れて出て行った。

 その様子を見て、ライアンは肩を竦めた。
 ライアンとは真逆に何でも整理整頓する癖のあるガブリエラの名刺ファイルを見せてもらった時、いちばん最初のページにあったのは、ヘリオスエナジーオーナー、ネイサン・シーモアの名刺だった。
 聞けば、ネイサンのおかげで前の会社が潰れた時も職に困らず今の自分があるのだ、とガブリエラは言った。“びっくりするような人物の名刺”の第1号は、何を隠そうあの女神様なのである。
 自分も人脈には恵まれる方だが、ガブリエラのそれもかなりの引力であることを、ライアンは認めている。

 部屋を出て行く直前、ガブリエラがネイサンの腕の向こうからちらりと自分を見たので、ライアンは目を細めた。










 もう秋も終わりかけの冷たい夜の空気を頬に感じつつ、ニットのワンピースを着たガブリエラは、ブロンズステージのバス停に立っていた。
 そして、帰宅するサラリーマンの人々に混ざって立っていると、ぽん、と肩が叩かれる。

「よう」

 後ろに立っていたのは、ライアンだった。思わず名前を呼びそうになるが、口に指を当てて「シッ」と言われたので、慌てて口を閉じる。ガブリエラはバス待ちの列を抜け、向こうに歩いて行く大きな背を追いかけた。

「ライアン! どうしてここに?」
「姐さんオススメっつったら、ゴールドの○○って店だろ」
「はい。お肉がとても美味しかったです」
 ガブリエラは頷いた。
「で、お上品な店だと物足りないってんで、オッサンたちが2軒目行きたがるだろ。ブロンズで」
「はい」
「そんでまんまと酔い潰れるだろ」
「べろべろでした」
「で、お前はひとりで帰るだろ。いまいち腹いっぱいじゃないのに」
 ライアンがにやりと笑って振り向いたので、ガブリエラはぽかんとしたあと、満面の笑みになった。

「はい! お酒もたくさん飲みましたが、お腹は、うーん、6分目ぐらいです」
「……だろうな」
 くく、と、ライアンは喉を鳴らして笑った。
「俺も。ラーメン食ったけど、足りねえんだよな」
「ラーメンですか。ラーメンは美味しいですが、飲み物ですので」
「そうそう」
 笑いながら、ライアンは頷いた。なぜか先ほどから彼はずっと笑っていて、そしてなぜ笑っているのかガブリエラにはわからなかったが、とにかく彼が楽しそうなのが嬉しかった。

「……ってなわけで夜食食いに行くけど、お前も行く?」
「行きます! もちろん!」
 満面の笑みを浮かべたガブリエラは、小走りでライアンの横に並んだ。
「実は、私も夜食を食べに行こうと思っていたのです」
「どこ行こうとしてたんだ?」
「この間食べた、オコノミヤキに行こうと思っていました!」
 お好み焼きや焼肉など、店の人や、あるいは一緒に行った人に目の前で焼いて作って貰えるタイプの料理や店は、最近の彼女のお気に入りである。
「ああ、あそこか」
「豚肉が入っているものが食べたいのです。ヤキソバと卵のものも」
「いいけど……。あそこのマスター、タイガーファンだからなあ」
 ガブリエラが言っているお好み焼きの店は、店名からして『Wild roar!』つまりワイルドタイガーの「ワイルドに吠えるぜ」であるだけあって、店主は相当のワイルドタイガーファンである。カウンターはワイルドタイガーのグッズだらけで、また常連もワイルドタイガーファンが多い。
 タイガーファンだけあって義侠心に溢れた店主のおかげで、酔っ払って女性客に絡んだりするような客は即座に叩き出されるため、女性の単独来店も安心の店だ。

「あの店、すげー美味いんだけどさあ。前はカウンター座って、散々タイガートークに付き合わされただろ。ちょっと勘弁してほしいんだけど」
 カウンター席に座ると、目の前で見事な手際の店主がお好み焼きを焼いてくれるが、タイガートークに延々付き合わされるというオプションがついてくるのだ。
「私は構わないのですが……。では、テーブル席にしましょう。ライアンが焼いてください」
「えー……。まあいいけど。じゃあ行くか」
「はい!」
 ガブリエラは、にこにこした。

 夜道を歩きながら、ふたりは色々な、そしてとりとめのない話をした。
 今日の運動能力測定でのライアンのベンチプレスの記録のこと、バーナビーの体が固すぎること、ガブリエラとパオリンは逆に柔らかすぎるという話。虎徹は体力があるのにリズム感が壊滅的で、シャトルランや反復横跳びの記録がいまいちであること、カエダマという画期的なシステムのこと。今度、最近少し調子の悪いジョンに能力を使う約束をしたこと。おそらく明日は、二日酔いの年長組に能力を使うことになるだろうこと。

 そうして、ゆったり歩いてお好み焼き屋『Wild roar!』に着いたふたりは、すかさずテーブル席に座る。ライアンは備え付けの鉄板で色々な種類のお好み焼きを全部で7枚焼き、その全てをガブリエラとシェアして食べた。
 店主はヒーローのライアンとも話したがったが店が混んでいたのもあってそれは叶わず、しかし帰りに「今度来る時はこれにタイガーのサインを!」と言って、ライアンにワイルドタイガーのキーホルダーを押し付けてきた。また来店することが決まった瞬間である。
「おい、2回も来た俺のサインはいらねーのかよ」
「残念ながら、マスターはタイガーしか見えていませんからね」
 そう言ったガブリエラは始終にこにこと笑顔で、それはライアンに送られて部屋に戻り、ベッドに入るまでずっと続いた。

「あー、食った食った。腹いっぱい」

 ライアンもまた満足した腹をさすってシャワーを浴びると、モリィに挨拶をしてベッドに入る。
 こうして、シュテルンビルトの1日が、また終わった。
★スペシャルエステ★
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BY 餡子郎
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