#040
「──ではこれより、司法局が認可した、OBC社番組HERO TVによる、新シーズンからの新規定講習を行います」

 静かな声で淡々と言ったのは、ヒーロー管理官のユーリ・ペトロフ。その右側にはHERO TV代表としてアニエス・ジュベールが、タイトスカートから伸びる色っぽい脚を組んで座っている。
 大きなモニターを前にこの2名が座し、そしてその前にある円卓型の座席を囲むようにして、七大企業各社CEOとその秘書、またアスクレピオスホールディングス・シュテルンビルト支部の代表、ダニエル・クラークが座っていた。

「アスクレピオスホールディングス所属のホワイトアンジェラ、またゴールデンライアンの参入から、HERO TVのポイント付与規定に急遽変更がありました。今回はそれに関わる法的な対応の変化ついて、遅ればせながら意識確認となります。講習後、皆様の同意書へのサインによって決定となり、以後決定事項に対するいかなる異論も認めませんので悪しからず」

 10月も後半である。

 最も早く現場に到着、人命救助・犯人確保という項目を主とした様々な活躍によってポイントを振り分け、ワンシーズンの間に最も多くポイントを獲得した『キング・オブ・ヒーロー』を、HERO TVが選出する。
 その1シーズン期間が、10月から翌年9月まで。しかし今シーズンは、今までと大きく違うところがあった。単なる総合ポイントランキングだけでなく、犯人確保ランキング、人命救助ランキング、現場到着ランキング、また変わり種で瞬間視聴率ランキングやボランティア参加数ランキング、スポンサーロゴアピールランキングなどと、種目別にランキングが設けられ、その結果が発表されるようになったのである。

 ゴールデンライアンとホワイトアンジェラ参入をきっかけにシーズン途中から導入された規定だが、大衆の反応は良好だった。
 また当のヒーローたちも高ポイントである犯人確保ばかりを気にせずに良くなり、同時に人命救助や自分の得意分野に徹しても良くなったことで、エンターテイメント的な演出の強要やスポンサーの反応のストレスから開放されて活動できるということに、喜びの声を上げている。

 実際、万年最下位だったロックバイソンが今シーズンの人命救助ランキングで1位になったことが、この新規定の象徴的なこととして取り上げられた。
 これによってロックバイソンの株は爆発的に上がり、またクロノスフーズの株価も実際に上がった。今までで最も多額のボーナスを支給されたアントニオは男泣きに泣き、彼のファンも「やっとロックバイソンが認められた」と号泣したという、ロックバイソンというヒーローを語るにおいて記念すべき日になった。
 ちなみに、2位はホワイトアンジェラである。やはりサポート特化ヒーロー、事件ごとの救助ポイントはロックバイソンを凌ぐのであるが、シーズンを半分過ぎてからの一部リーグ参入であり、例のメトロ事故での乗客92人の救助がカウントに入っていないため、コツコツポイントをためてきたロックバイソンに及ぶことは出来なかった。
 そしてこのこともロックバイソンが積み上げてきたものの大きさの象徴だとされ、アンジェラも非常に肯定的、かつリスペクトしているという旨のコメントを発したため、空前のロックバイソンブームに更に追い風を立てることになった。

 HERO TVでの活躍にとどまらず、全てのテレビ出演でカウントされる視聴率ランキングで1位を獲得したのは、さすがのアイドル、ブルーローズ。
 現場到着1位はドラゴンキッド、またボランティア参加ランキングはスカイハイとドラゴンキッドの同率1位で、福祉施設や小学校、幼稚園からのたくさんのコメントが寄せられた。
 また「これ専用ランキングだろ」と誰もが言うスポンサーロゴアピールランキング1位は、言わずもがな折紙サイクロンである。彼がどこに見切れていたのか、その職人芸に近い映像特集はすぐにネットに上がり、繰り返し視聴されるミリオン動画になっている。

 そして花型でもある犯人確保のランキングはなかなかに接戦で、1位はスカイハイ、極僅差でバーナビー、次いでワイルドタイガーである。さらにまた僅差で、4位にゴールデンライアン。
 アンジェラと同じくシーズンも半分以上過ぎたところからの参入であったため、ゴールデンライアンはどの分野でもキングになることは出来なかった。
 しかし総合でも4位、人命救助ランキングでは6位と、かなりの活躍だ。これはスカイハイと同じく、広範囲に向けて使用できる能力によって同時に複数人の犯人を確保できる、すなわちいちどの獲得ポイントが多いという強み、そしてアンジェラのスーパーライディングのサポート、また本人のエンターテイメント性の高い演出力がもたらす視聴率確保によるもので、途中参入としては文句なしの成績、と、世界を渡り歩くフリーのヒーローの実力と絶賛された。

 そして、今季の総合KOHは、やはり前半からあらゆる分野で高ポイントを維持し続けた、空の魔術師・スカイハイであった。

「──以上となります。質問がなければ同意書にサインを」

 ユーリが宣言し、各社CEOが正式な書類に慎重にサインをし、また生体認証印を押していく。

「結構。全社の同意が確認できました。これより新規定でのヒーロー運用となります。──また、他エリアのヒーロー事業各社より打診のある、ヒーローの他エリア遠征については現在意見や要望などをまとめている状態です。ある程度の事がまとまりましたら再度招集をかけさせていただくのでそのつもりで。では解散」










 ──“こんばんは。ギャビー、デート終わった? どうだった?”

 ベッドに寝転がったカリーナは、端末を操作して、短い文章を打った。
 最後に最近気に入っている可愛い猫のスタンプを添付して、送信。送り先のグループトーク名は、“GIRLS HERO”。
 シュン、とメッセージ送信の音がしてからさほども経たないうち、次々にメッセージを読んだことを表すマークが3つ揃い、新規メッセージが更新された音が鳴る。送信者は、“ANGELA”。

 ──“しぬ”

「どういうことなの」
 短く、そして物騒な返信に、カリーナは眉を寄せた。上手くいかなかったということだろうか、ならば明日は全力で元気づけなければ。それが女友達の義務というものである。
 ガブリエラがライアンからデートに誘われたことについては、一昨日、本人から聞いた。ものすごく嬉しそうでありつつも、ものすごくおろおろしていたガブリエラに精神的なアドバイスをしたのはネイサンで、元気づけたのはパオリンで、クローゼットの中から辛うじてマシと思われるTシャツを選んだのはカリーナだった。
 ライアンはガブリエラのクローゼットを地獄と表現したらしいが、その点についてはカリーナも同意だった。デートに着ていくのに辛うじてマシなのがエビのTシャツというのに目眩を覚えつつも、どうせ服を買うのだから別にいいだろうと思ったのだが、もしやそれがいけなかったのだろうか。

 心配になり、“電話する”とメッセージを更新してから、カリーナはダイヤルボタンを押した。ガブリエラはメールを打つのが得意ではないので、短い要件ではない時は電話のほうが手っ取り早いのである。
 その間に“FIRE”と“KID”から、詳細よろしく、とメッセージが更新された。呼び出し音は3コールもしないうちに途切れ、ガブリエラが出る。

《……こんばんは、カリーナ》

 いつもの、高く澄んだ声。しかし心なしかぐったりしたような声色に、カリーナは眉をしかめる。
「こんばんは、ギャビー。死んでなくて安心したわ」
《今にも……死にそうです……》
「どうしたの。何か失敗した?」
《失敗……いえ、失敗はしていません。ただ》
「ただ?」
 カリーナが畳み掛けると、ガブリエラは、はあ……、と、重たげなため息をついた。
《ライアンが……》
「うん」
 ガブリエラは、再度ため息をついた。カリーナは、辛抱強く彼女の返事を待つ。

《ライアンが格好良すぎて……生きるのがつらい……》
「心配して損した」
 カリーナは真顔になった。半目になった瞳は、絶対零度の輝きを湛えている。
「……まあ、折紙から仕入れた言い回しは控えめにね。なんだ、上手くいったの? よかったじゃない。素敵なデートだった?」
《素敵どころではありません。天国に行くかと……》
「そういう意味での“死ぬ”なの? どれだけなの」
 ガブリエラは何やらぐったりしているようだが、これは落ち込んでいるのではなくおそらく興奮しすぎて疲れているのだろうと正しく見極めたカリーナは、「上手く行ったならいいのよ。明日詳しく聞くわ。おやすみ」と告げて電話を切った。
 そしてグループトークの画面に、“生きてたわ。上手く行ったみたい”とメッセージを更新すると、“FIRE”と“KID”から、喜びや祝福を表すスタンプが更新されてきた。それに微笑みつつ、カリーナは“詳細は明日聞きましょう。おやすみ”と更新し、端末を枕元に置いた。

 日を増すに連れ、ライアンに対して好きを通り越して崇拝のレベルになってきているガブリエラにはもはや呆れるばかりだが、常に全力で、正直で、素直な彼女が羨ましくもある。──実際、彼女は意中の相手からデートに誘ってもらえているわけであるし。

「私も、もうちょっと……」

 小さく呟いたカリーナは、しかしそのままベッドに潜り込んで、何かを振り切るように毛布を頭まで被った。






「なんだか、随分垢抜けましたね」
 休憩コーナーでカリーナ、パオリンと談笑しているガブリエラを見て、バーナビーが中2階の手すりにもたれながら言う。
 いつもダメージジーンズとよれたバンドTシャツ、あるいはライダースーツという服装一辺倒だったガブリエラだが、つい先日から随分様相が変わった。
 全体的にシンプルな、見るからに仕立ての良いブランドものの服。長くなってきている赤毛も、金の星の飾りがついたゴムで簡単にまとめるようになった。
 今日はパンツルックでマニッシュな黒いシャツを着ていて、細身で中性的なガブリエラが着ると、ファッションモデルと言っても誰も疑わないぐらいにはキマっている。女性らしいワンピースを着てきたこともあるが、どれも高級感のある、都会的なスタイルだった。
 傾向として、カリーナがガーリーでフェミニン、パオリンがボーイッシュでスポーティな装いを好むので、シンプル、あるいはライダースーツなどのハードなモード系のガブリエラがそこに混ざると、それぞれ確立した個性が際立って見栄えがする。

「突然ファッション上級者という感じですね」
 感心したように言うイワンは、「僕の服はお役御免ですね!」と、どこかホッとした様子で言った。親切心からかつて着ていた服をガブリエラに譲ったはいいが、自分の服を女性に目の前で着られるのが若干照れくさく、居心地が悪かったらしい。
「スタイリストがついているそうですから」
 そう言って、バーナビーは、同じように横並びで立ち、ガブリエラたちを眺めているライアンを見た。その視線に、イワンが目を丸くする。

「え、ライアンさんが選んだんですか?」
「んー、まあ」
 ガブリエラから目線を外さないまま、ライアンはなんでもないように返事をした。そしてその様子に、バーナビーは、こちらも随分様子が変わったなと思う。
 ガブリエラのファッションが様変わりしたのと同じ時に、ライアンもまた、彼女に対する態度が明らかに変わった。始終ガミガミ言うことはなくなったし、彼女に対する妙に構えたような様子もなくなったのだ。以前は睨むようだった目線は、今のように眺めるとか、もしくは見守る、時に面白がるといったようなものになっている。
 連れ立って行動することも増えたし、会話する様子も自然になった。お互いに笑顔であることも少なくない。あからさまにベタベタしているわけではないが、どこから見ても仲が良さそうな様子といえるだろう。

「女性の、服を、選ぶ? え、と、ということは、ライアンさんとアンジェラさんは……」
「付き合うことにしたんですか?」
 なぜか少し顔を赤くしておたおたしているイワンに対し、バーナビーがあっさりと尋ねる。イワンが、「えええええ!?」と驚愕の声を上げた。

「……いや、付き合ってねーけど」
 なるべくフラットな声色、しかし微妙に視線を逸らしつつ、ライアンは答えた。その様子にバーナビーは「へえ?」と意味ありげに片眉を上げ、イワンは「付き合ってないのに服を選んであげるんでござるか……イケメンのやることはわからぬでござる……」とぶつぶつ言っている。

「付き合ってない娘に、◯◯◯の服をクローゼットいっぱい買ってやったワケ?」

 じっとりとした声で言ったのは、1階から階段を登ってきたネイサンだった。そしてネイサンが口にしたブランド名に、バーナビーとイワンの目が丸くなる。
「◯◯◯? ……もしかして、あの服全部そうですか?」
「せ、拙者でも知っている高級ブランドでござるよ!? クローゼットいっぱい!? ど、どどれだけの値段でござるか!?」
「うっせーなあ」
 面倒くさそうに、ライアンは手すりを使って頬杖をついた。
「俺が選んだんだから、俺が買っただけだろフツーに」
「フツーではないですイケメンこわい」
 イワンが、完全に素になった上に早口で言った。しかしこの発言にはバーナビーもネイサンも同意なのか、ただ小さく頷いた。

「びっくりしたわよ。◯◯◯の服だっていうのは見てわかったから、奮発したわねえって言ったら全部あんたが買ったって言うじゃない? しかも1着2着じゃないし。さすがセレブヒーローって感じだけど、若い時からそんな金銭感覚だと、後で痛い目見るわよ」
「姐さんは俺のママですか?」
「まあ。ママと思ってくれるのかしら」
 頬に手を当ててしなを作ったネイサンに、ライアンは半目になって鼻で笑った。その様子に、「可愛くない息子ね!」とネイサンが唇を尖らせる。

「……ってか、あいつコーディネートとかまだよくわかってねえから、色んなとこから買ったらちぐはぐに着ちまうだろ。同じブランドで揃えりゃ、どうやって着てもそれなりにキマるし。そんだけだよ」
 その言い分に、なるほど、と3人とも一応納得した。少なくともワンシーズンにデザイナーは1名だけ、モードを揃えて発表する高級ブランドだからこそできる事、と理解しているのは、ネイサンとバーナビーだけだったが。

「ま、あんたのお金をどう使おうとあんたの勝手だけど。でもそんなことばっかりしてたら相手に勘違いさせるわよ」
「勘違いって?」
「そりゃあ、こんなにお金使ってもらえるなんて愛されてるんだわー、恋人なんだわー、なんでも買ってもらえちゃうんだわー、っていう……」
「まさか。誰も彼もにこんなことしねえよ」
「あらそう、ならいいけど」
「でもアンジェラにはしたんですね」
 バーナビーが鋭く切り込む。すると、ライアンは顎を突き出し、階下にいる、着替えてくるらしく更衣室に向かうガブリエラを見て言った。

「……あいつはそういう勘違いする女じゃねえし」

 ぼそり、と発されたその言葉に、3人とも驚きの表情を浮かべた。
「ふ〜〜〜〜〜〜ん」
「へえ〜〜〜〜」
「何だよ!?」
 にんまりとした意味深な笑みを浮かべるネイサンと、呆れたような半目で間延びした声を上げたバーナビーに、ライアンはついに吼えた。イワンは、なぜか照れたように長い前髪を触っている。

「……むしろ、なんで付き合わないんですか?」

 バーナビーが、面倒くさそうに言った。
 ライアンとガブリエラがデートらしきものをし、その時に服を買ったことについては、本人、ガブリエラが女子組に報告し、そこからネイサン経由でバーナビーと虎徹も知っている。その時、「もう付き合っちゃえよ」と虎徹も呆れたように言っていた。バーナビーも心底そう思う。

「えー……、だって」
「だって?」
「……まだ好きかどうかよく分かんねえからさあ……」
「なに処女みたいなこと言ってんのよ」
 ぼそぼそ言うライアンに、ネイサンが、尖すぎるツッコミを入れた。
「男はだいたい処女だよ姐さん」
「開き直ってんじゃないわよ」
 明け透けすぎる下ネタに、バーナビーとイワンが気まずそうな顔をしている。
「つーかあいつが言ったんだって。ちゃんと好きじゃないなら付き合わないって」
「……ふうん? じゃああんたは違うわけ?」
「だからァ……、あっ」
 ライアンが声を上げた。その目線の先には、トレーニングのために着替えて戻ってきたガブリエラがいる。下は短パン、上は胸にワンポイントが付いた、くたびれたTシャツを着ている。

「──あいつ! また! エビ!」
「エビ?」
 3人が頭の上に疑問符を浮かべる中、ライアンは階段を駆け下り、ガブリエラのところにずんずんと歩いて行った。
 ライアンが近づいていくと、遠目でもわかるほどガブリエラが喜色を浮かべたのがわかった。次いで、「お前このエビやめろっつったろ」「ウェアが洗濯中で……」という会話が聞こえる。──ふたりにしかわからない会話だ。

「あとお前、新規定の書類ちゃんと全部読めたか?」
「う、……講習では理解できましたが、文書にされると……」
 ガブリエラは、苦々しい顔をした。新しいポイント規定やその法的処置について、ヒーローたちにに対しても、みっちりとした講習が行われた。もちろんガブリエラもそれを受け、全体としての概念や決まりなどはちゃんと理解した。
 ──のであるが、就業規定も含まれた税金や賠償などの部分となると各社で異なり、それぞれの会社で講習や会議があったりしたのだが、甲とか乙とか小難しい言い回しで記された内容は、元々の知識が心許なく、また読み書きにおいて絵本を読むのがやっとのガブリエラには、いまいちよく理解することが出来なかった。

「特に、税金とかお金の部分が……」
「どこがわかんねえんだよ」
「……どこがわからないのかわかりません」
「しょうがねえな」
 ライアンは、赤毛にポンと手を置いた。最近この仕草が癖になりつつあることを、彼は気付いていない。

「移動中に教えてやっから、書類のコピー持って来い」
「……いいのですか?」
「悪けりゃ言ってねえよ。そんかし俺のデスクの処理済みファイル整理しといて」
「わかりました!」
 単純作業は得意です! と、ガブリエラは顔を輝かせた。ガブリエラは難しい内容を理解することには非常に時間が掛かるが、膨大な量の書類をひたすら分類して整理整頓するとか、四則計算の暗算などの単純作業がやたらに早くて正確だった。
 そしてライアンはその逆で、仕事自体は非常に効率的にこなすのだが、整理整頓や単純な計算の繰り返しが苦手である。最近お互いにそれに気付いたため、役割を分担してデスクワークにとりかかるようになったのだ。

 結果、ガブリエラは難解な内容の書類でもライアンに助けを求めればよくなったし、ライアンは寄越されたものをさっさと処理だけして放り投げておけばガブリエラが分類してきちんと片付けるようになったので、お互いにとても楽になった。

「整理っていや、あれどうなったよ」
「コピーは会議用に提出しました。原本はロックしてローカルフォルダです」
「あっちの?」
「いいえ、青い方」
「わかった。修正かけたらまた言うわ」
 またお互いにしかわからない会話をした彼らは、それぞれの練習メニューをこなすべく別れた。

「……本当に付き合ってないんですか?」

 リア充わからんでござる……と不思議そうに呟くイワンにバーナビーは心底同意し、ネイサンはきらりと光る眼でその様子を見下ろしていた。










《囚人番号、SS42985、ジョニー・ウォン》

 スピーカーからの事務的なアナウンスとともに、重厚な自動扉が開く。
 立派な白い顎鬚と長い眉の老人が、ゆったりとした足取りで扉をくぐる。寺の僧として長年過ごしたがゆえの威厳ある佇まいは、彼が囚人服であるオレンジ色のつなぎを着て電子手錠をかけられていても、まるで損なわれてはいない。

 ──ヴァストウィルダーネスNEXT収容特別刑務所。

 それは陸の孤島、地平線が見える広大な荒野に建っていた。しかもこの荒野のそこかしこには、昔の戦争で使われた地雷が今も膨大に埋まっている。
 つまり万がいち脱獄しても野垂れ死には確実というこの施設は、NEXTの犯罪者を収容する、特別な刑務所だ。囚人たちは能力を封じる特別な手錠や拘束具を着けられ、刑期が明けるまでここで過ごす。

 ジョニー・ウォンは、昨年、マーク・シュナイダーという男への復讐のためにシュテルンビルトで騒ぎを起こし、その際行動を共にしたリチャード・マックス、カーシャ・グラハム、そしてヴィルギル・ディングフェルダーことアンドリュー・スコットとともに、ここで犯罪者として収監されていた。

 かなりの大事件ではあったが、殺人犯ではないということ、また情状酌量が考慮されたこともあり、施設の中でも罪が軽い者たちのエリアで過ごす4人の生活は比較的穏やかである、とジョニーは感じている。自分の刑期と寿命のどちらが先かは微妙なところだが、あとの若い3人は、まだ人生をやり直せる余地がある。
 そしてそれは、別の刑務所に収監されているマーク・シュナイダーが禁錮250年を言い渡され、檻の中で死ぬことが確定しているという、暗い喜びの上で輝く希望でもあった。

「こんにちは、ミスター・ウォン。どうか楽にして」

 白い部屋の中で待っていた白衣の男は職業的な笑みを浮かべて、巨大なCTスキャンのような設備を示した。
 ジョニーは返事をせず、しかし逆らうことなく、黙ってそこに横たわる。
 今日は、NEXTである囚人のためのメンタルチェック、及び能力の検査、そして同時に、能力を封じる拘束具と電子手錠のチェックの日である。
 精神面とNEXT能力が深く結びついていることは、少なくとも都会では一般的な常識として認知されている。メンタルの安定が、能力暴走を起こさない最も有効な方法なのだ。

 医師は手慣れた様子で、ジョニーの特徴的な坊主頭にいくつかのシールとコードを取り付け、スイッチを入れた。機械音とともにジョニーが横たわった寝台がスライドし、トンネルのようなところに吸い込まれていく。
 暗闇の中、NEXT能力の発動光にも似た青緑色の光が文字が図形になりちかちかと点灯する狭い空間で、ジョニーは微動だにしていない。
「はあ……、さすがは修行僧として長年過ごしていらっしゃる方ですね。非常に安定しています」
 感嘆を滲ませて言う医師に、やはりジョニーは無反応だ。
 それからいくつかの検査をこなし、簡単な質問に答え、目線を動かせとか、手を握ってみろとかの指示に従い、ジョニーはいつもの検査が終わるのを待つ。

「ミスター・ウォン。これに両手で触れていただけますか」

 最後に告げられた指示に、ジョニーは初めて僅かに眉を動かした。なぜなら、今まで幾度も受けてきた検査の中で、されたことがない指示であったからだ。
 青緑色の光が無数に輝く狭い空間から、まるで星がひとつ落ちてきたような様子で、白い球体が目の前にゆっくり降りてくる。
「……これは?」
「身体に害はありませんよ」
 答えになっていない。いくら丁寧な態度であろうと、あくまでジョニーは囚人、質問は許されない。無駄なことをしたと反省したジョニーは、従順に、皺だらけの両手で、ハンドボールくらいの白い球体を掴んだ。冷たくも暖かくもない固い感触は、プラスチックのようだ。

「──むっ!?」

 ジョニーは、目を見開いた。その目は、青白く煌々と光っている。いや、目だけではない。全身が青白い光に包まれ、それによって狭い空間が照らされていた。言わずもがな、NEXT能力の発動光である。
 医師が言った通り、ジョニーは何十年も精神修行を経てきた修行僧だ。その鋼の精神により、NEXT能力が暴走することなどありえない。しかし彼の能力は今、彼の意志に関係なく発動していた。
 思わず球体から手を離すと、ジョニーの身体から発動光が消える。同時に寝台がゆっくりと動いて外に出され、蛍光灯の白い光に、身体を半端に起こしたジョニーは目を細めた。

「お疲れ様でした」

 医師は、部屋に入ってきた時と同じ、型で押したような顔で微笑んでいる。
 汚れひとつない白衣には、蛇の絡まった杖のマーク。NEXT能力研究の権威である、アスクレピオスホールディングス系列であることを表すマークだ。
 そして、きっちりと締められたネクタイの付近では、星のついた小さな十字架が揺れていた。
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BY 餡子郎
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