#034
「ウチのマネキンたちを丸裸にしてくれて、どうもありがとう。ライアン抜きでもぜひまた来てね」
女性にそう言って見送られ、ふたりは店を出た。幾つかの紙袋を立体ガレージに停めてある車に放り込み、再度運転席と助手席に座る。
「あー、なんかすげー腹減った」
「私もです。ぺこぺこ」
既に昼過ぎである。伸びをしながら言ったライアンに、ガブリエラは薄い腹を押さえて頷いた。
「なあお前、本格的な中華食ったことないつってたよな」
「はい。タイガーのチャーハンと、パオリンの餃子だけです」
「じゃあ行こうぜ。シルバーに点心美味いとこあるって聞いて、行きたかったんだよ」
「……覚えていてくださっている」
小さく呟いたガブリエラをライアンが見ると、彼女は少し俯き、しかし上目遣いにライアンを見ながら、はにかんだ笑みを浮かべていた。
「私が中華を食べたことがないと」
「……たまたまだよ、たまたま。俺も行きたかった店だし」
ぶっきらぼうに言うライアンに、ガブリエラはにこにこした。それはもう、嬉しそうに。
「ライアンは、相手が喜ぶことをするのが上手です。素敵ですね」
「……まあな。なんたって、フリーのヒーローですから」
「そうでした」
高いコミュニケーション能力、ビジネスでの駆け引きができなければ、とても成り立たないスタイル。ライアンにとって、他人の好みや嫌がることを察知してきちんと覚えておくのは、もはや癖に近いような習慣だった。
「それにまあ、お前みたいなのとしか行けねえ店だし」
その言葉に首を傾げるガブリエラを視界の端に見つつ、ライアンはエンジンをかけた。
下り用道路を行って間もなくの場所にあるその店は、あらゆる意味で中流階層のシルバーステージらしく、適度な清潔感と多少の雑多さのある、気軽そうな店だった。個室はないが、テーブルごと衝立で簡単に区切られている。
慣れた様子で端の空席を見つけて座ったライアンに続き、ガブリエラも席に着く。中央に回転する天板が重ねられた、中華独特の作りの丸テーブル。ガブリエラは、ちょうどライアンの正面に腰掛けた。
「ワォ。種類がたくさん。美味しそうです」
写真付きのメニューをガブリエラが眺めていると、チャイナ服を着た手際の良さそうな店員が小走りにやってきて、ご注文は? と訪ねてくる。
「えーと……。たくさんあって、どれがなにか」
点心だけでも数ページに渡るメニューに、ガブリエラは困った様子で首を傾げた。
「別にいいだろ、決めなくても」
「え?」
メニューを持ったままきょとんとするガブリエラを見ずに、ライアンはメニューををぱらぱらとめくった。
「別に食えねえもんねえよな?」
「はい、なんでも大丈夫です」
「あんまり大皿料理は飽きるか」
「そうですね。ふたりですし」
「じゃあこの点心メニュー、ここからここまでテキトーに持ってきて」
ページをまたいで軽く3、40種類はある点心のメニューに指を滑らせたライアンに、店員は流石に驚いたのか、目を丸くする。しかしガブリエラといえば、「あっ、なるほど。そうやればいいんですね。頭がいいですねライアン」などと言っていた。
「お客様。恐れ入りますが、当店は料理を残されると罰金が発生するシステムで……」
「知ってる、雑誌で見た見た」
怪訝な顔をする店員に、メニューをテーブルの端に置いたライアンは、にやりと笑った。
「はふ、これおいしいです!」
「美味いな。もういっこ頼むか」
「はい! あっ、さっきのもちもちしたお米も食べたいです。葉っぱに包んだ……」
「ああ、あれ。俺も食う」
「すみません、注文お願いします!」
ガブリエラが手を上げると、中華風の制服を着た店員が飛んできて、ガブリエラが告げる幾つものオーダーをメモした。
ふたりのテーブルの脇に積まれた空の蒸籠を、定期的にウェイターが回収していく。残さない、というライアンの宣言どおり、その中身は、小さな欠片も残っていない。
しかも、“ここからここまで”と注文した品をぺろりと食べ尽くしたふたりは、その中で特に気に入ったものをリピートまでする始末だった。
団体客でも来ているのかというような量の蒸籠が運ばれては回収されていくテーブルに、ちらちらと注目が集まっている。しかし衝立のある端の席であるせいで、なんとか見えるのはライアンの広い背中の半分くらいだ。そのため、もしかしてゴールデンライアンですか、と話しかけてくる者はいなかった。
「あ、これパクチー入ってんじゃん。お前食って」
「ぱくちー? ああ、この葉っぱ? 食べられないのですか?」
「食べられねえんじゃねえよ、嫌いなだけ」
子供のような屁理屈を言うライアンにガブリエラはつい笑いつつ、蒸籠の中身を引き受けた。──ライアンの食べかけも一緒に。
ライアンは、食事となるとガードが下がる。
それはガブリエラが見つけた、ライアンに関するいくつかの発見のひとつだった。
今まで、ライアンがガブリエラに対して警戒に近いような態度をとっていた頃、ガブリエラとてただただ懲りずにライアンに纏わりついていたわけではない。
その根拠が、食事のしかたにあった。普段はそっけない彼だが、無理矢理にでも一緒に食事に行けば、同じ皿のものを分けあったりするのに抵抗を示されたことがなかったのである。
元々誰にでもそうなのかと思ったが、並よりフレンドリーな部分はあるものの、スポンサーと一緒に行く食事などの様子を見ると、必ずしもそうというわけではない。
それに気付いてから、ガブリエラはライアンに邪険にされてもさほど気にせずにいられた。
両名とも健啖家、というにも足りないほど食べる大食漢だけあり、一緒に食事に行けばかなりの品数を食べることになる。そういう食べ方をするふたりの場合、量の多い品の場合はシェアしたほうが色々な味を楽しめる。
最初に「分けませんか」と言ったのはガブリエラだが、彼女の密かな大緊張は杞憂に終わった。彼は「ああ、そのほうがいいな」とあっさり言い、以降、ガブリエラと一緒に食事をする時はなるべく沢山の品目をオーダーし、大皿料理でなくてもガブリエラとひとつの皿をシェアすることが当然のようになった。
時にはこうして、平気でお互いの食べかけのものを口にすることさえある。最初にガブリエラがそうした時はライアンもぎょっとした顔をした気がするが、ガブリエラが「気にしませんが」と言って以降、あまり口に合わなかったものを最後まで食べなくていい便利さにか、ライアンもだんだん気にしなくなった。
ガブリエラは、それが嬉しい。
ライアンと食事に行くのが、ガブリエラは大好きだった。今まで食事といえば生きるためのもの、カロリーを摂取するためのものであったガブリエラにとって、楽しい食事というものは、余裕の象徴といってもいいものだった。
新鮮な素材を使った、湯気の立つ、温かくて美味しい料理。それを大きな口で気持ちが良いほどたくさん食べるライアンを見ながら、彼と同じ皿のものを食べる。ガブリエラはそのひとくちごとに、幸福そのものを噛み締めているような気持ちになった。
すっかり仲良くなったヒーローズたちと食事に行くのも、もちろんガブリエラは好きだ。歓迎会で皆が手料理を振る舞ってくれたことは、ガブリエラにとって一生の思い出である。好きな人達が作ってくれた温かい料理、これほど幸福を象徴するものがあるだろうか。ガブリエラは本気でそう思っている。
「しっかし、お前と来ると好きなだけ食べられるのはいいよな」
本来ならば3〜4人用の、中サイズの蒸籠いっぱいに入った蓮の葉包みのもち米料理を開けながら、ライアンが言った。
「大抵のやつが、俺の半分も食わねえからさあ。一緒にメシ行くと」
「ああ、わかります。私もそうです。相手は少しだけ食べて終わってしまって、私ばかり食べていて……。ひとりで食べ続けるのも変なので、お腹がいっぱいにならないまま終わらせてしまったり……」
特にカリーナなど、ガブリエラからすれば小鳥のような食事量だ。最初に一緒に食事をした時、それだけで本当に大丈夫なのかとしつこく心配して、苦笑されたことがある。
今ではガブリエラが様々な料理を注文するのを横からひとくちずつ貰っては「ギャビーと食事すると、色んな物が少しずつ食べられていいわね」と言われているのだが。
「そう、それだよ。そこんとこ、お前は俺と同じくらい食うだろ。この店もなあ、ひとりで来てもいいっちゃいいんだけど」
お前みたいなのとしか行けねえ店だし、と言ってガブリエラをこの店に連れてきたライアンは、蓮華を使って、直接もち米料理を豪快に掬って口に入れた。
「……そうですね。ひとりの食事は、つまらないです」
「ん」
残飯処理扱いでもなんでも、とにかく自分と食事をすることを彼が好ましいと思ってくれていたということが、ガブリエラはとても嬉しかった。
もぐもぐと咀嚼する膨らんだ頬に米粒がひとつついているのを見て、ガブリエラは微笑んだ。食事に夢中になるとがさつさが少々目立ち、なんだか子供っぽくなるライアンを見るのも、ガブリエラは好きだ。
「ライアン、頬にお米が」
「え、どっち」
「こちら」
ガブリエラは椅子から腰を浮かせ、ライアンの頬に手を伸ばした。頬についた米粒を指先でつまみ上げ、ぱくりと口に入れる。
「……お前ね、そういうことすんなよ」
湯気の向こうで顰めっ面をしているライアンに、ガブリエラはぺろりと唇を舐め、微笑んでみせた。
「あなたの食べかけも食べているのに、今更何ですか」
「……あー」
どうやら失念していたらしいライアンは、きまり悪そうに再度もち米を掬った。
そしてガブリエラもまた蓮華を持ち、同じ蒸籠に突っ込む。ライアンと同じくらい食べるとはいえ、あまり口が大きくないのでひとくちが小さいガブリエラだが、ひとくちでごっそり持っていくライアンに全て持って行かれてなるものかという意志も込めて、やや多めに掬い取る。
「んんん、おいひい」
「……お前、ホント美味そうに食うね」
蕩けそうな笑顔を浮かべて料理を頬張るガブリエラに、ライアンが呆れ半分、しかし笑いながら言った。
ライアンは、ガブリエラと食事に行くのが嫌いではない。
ダイエットの名目で少ししか食べない女性に対して努力していると思いこそすれ厭わしく思ったことはないがしかし、一緒に食事をして楽しめる相手、とは流石に思えない。
それに、外食をするともれなく“ここからここまで”という頼み方をするライアンと同じだけ食べる人間自体、男でも女でも、ほとんどいないのだ。その点バーナビーはハンドレッドパワーの影響で実のところかなり食べるということもあり、気軽に食事に誘いやすい、珍しい相手でもある。
そしてガブリエラは間違いなく、正真正銘初めての、本当の意味で遠慮のない食事を楽しめる女だった。
ライアンのひとくちが大きいことと、ライアンの口に合わなかったものをガブリエラが片付けるのとで、食べる量はだいたい同じくらいだろう。
最初は自分があまり良くないと思ったもの、しかも食べかけを寄越すことにさすがに抵抗があったが、ガブリエラは「ガソリン臭い草に比べれば何でも」と身も蓋もないことを言い、そしていちど口をつけていることも気にしないどころか、ライアンが「食う?」と聞けば、嬉しそうに顔を輝かせる。
この店に関しても「お前みたいなのとしか行けねえ店」とライアンは言ったが、実際にはガブリエラとしか行けないというより、彼女とでないと食べたいものが食べられない、というのが事実だった。
さすがのライアンも、この品数の点心を全部食べきることはできない。しかし半分ガブリエラが食べてくれれば、全種制覇した上に気に入ったものをリピートするという、満足の行く食べ方が楽しめる。
ガブリエラは口が小さいのかひとくちも小さく、しかし少しのカロリーも無駄にしないようにということからの癖で、食べこぼすことも少ない。
美しいテーブルマナーというわけではない。むしろ子供のような持ち方でフォークやナイフを握っている。しかしモリィがむしゃむしゃ野菜を食べるのをじっと見てしまうように、細い手が危なっかしくも器用にカトラリーを操り、料理が小さな口に次々吸い込まれていくのは、見ていてなぜか飽きなかった。
そんな彼女にライアンはそのうち、口に合わないどころか美味いと思ったものを、もっと食べるか、という意味でガブリエラに勧めるようになっていた。
ここしばらくガブリエラが食事に誘ってこなくなってから、ライアンはひとりで昼食を摂ることが多かった。数度はアスクレピオスの社員たちと食べたこともあるが、先ほどガブリエラも同意した食事量の合わなさで、満足な食事の時間を得るのは難しい。
気に入った店で出される食事にもちろん文句の付け所などなかったが、これおいしいです、まだ食べられますよね、これとこれどちらがいいですか、両方いきますか、とにこにこしながら言って同じだけ食べるガブリエラがいないテーブルは、なんだか味気ないものに感じられた。
「ライアン、次はこれとこれ、どちらが……なぜ笑っているのですか?」
「別に」
「あっ、お米? お米がついているなら取ってください」
「ついてねえよ」
「そうですか、残念です」
「バーカ」
思いの外柔らかい声が出て、ライアンは自分で少し驚いた。暖かな湯気の向こうにいるガブリエラは、嬉しそうに微笑んでいる。
「それで、これとこれ、どちらがいいですか」
「両方」
「ですよね!」
すみません、と再度店員を呼ぶガブリエラを見ながら、ライアンはいい香りのするお茶を飲み干した。
「どっち?」
ライアンが両手に持っているのは、伝票の束。
当然のように一枚では収まらなかった数枚のオーダー伝票を、半数ずつに分けたものだ。ガブリエラはそれをムムと唸って見つめ、ライアンの右手に握られた束を取った。
「こちらが128ドル24セント、こちらが120ドル58セントです」
長くかかってレジを操作した店員に、ガブリエラは「勝った!」と両手を上げ、ライアンは「チッ」と小さく舌打ちする。
ふたりの食事は、いつも割り勘である。
女性と食事代を割り勘などしたことのないライアンだが、それは相手の食事量が、ライアンの半分もないからだ。20皿分の食事代が21皿分になることぐらい全く気にならないし、むしろ僅かそれだけの料金を女性に払わせるのは気が咎める。
しかしガブリエラは、ライアンと同じだけ食べる。20皿食べて40皿分の代金を毎度払うのは、無理ではないにしろさすがに食費がかさむどころの話ではないし、それはもはや奢るというよりは養う域に入る金額だ。
だからふたりで食事をした時は必ず数枚になる伝票を半分に分け、それぞれ選ぶ。そして金額の安かったほうが勝ちという、勝ったからといって特に意味のないゲームも恒例になっていた。
「私は領収書をください」
「毎回思うけどお前いいよな、それ」
「とても助かります」
ガブリエラは能力を理由に、給料とは別に、食費に充てるという名目での手当が出ている。
つまり食費を数割経費で落とせるのだ。そのかわり、何を食べていくらかかったか、エンジェルウォッチを通じて全て提出しなければならないのだが。
そしてこの手当があるおかげで、ライアンも、ガブリエラとの食事を、男のプライドを傷つけることなく遠慮無く割り勘にすることができていた。
「ライアンも申請してみては? 能力のせいでたくさん食べる、ということが証明できれば手当が出るかも」
「うーん、アリかもしんねえなあ」
「あ、あの」
おずおずと声をかけてきたのは、レジを打ち、領収書に金額を書き入れていた若い男性店員だった。
「ゴ、ゴールデンライアン、ですよね?」
「そうだけど」
こういうふうに尋ねられた時、ライアンは「違います」と言わない。顔を売って稼いでいるくせにそれはないだろう、という考え方による単純な主義、ポリシーだった。
「何? サイン?」
「そ、それもですけど、あの、その方は」
「あー、こっち一般人」
ライアンは、さりげなくガブリエラを背に隠すように動いた。
ガブリエラは今、ライアンのサングラスを借りてかけている。尋常でない食事量からどうしても目立ったこともあり、正体に気付く者もいるだろう、との配慮から、席を立つ時、ライアンが念のためかけさせたのだ。微妙にサイズがあっていないが、目元は隠せている。
「そ、そうなんですか。ではその、蒸籠とペンを持ってきます」
青年が走っていく。見れば、厨房から、ふたりを見ようと数人が顔を出していた。やがて青年が戻ってきて、新品の、小さな蒸籠とペンを渡してくる。
ライアンは手慣れた様子でそれにサインをし、店名を入れると、青年に返した。
「あの、……あの、ひとつだけ、伝えていただいても、いいですか」
「何?」
「アンジェラに」
青年が、おずおずと、しかし力強く言ったので、ライアンは聞く姿勢を見せた。
「僕、NEXTなんです。割と最近わかって、でもすっごくしょぼい能力で、だけど学歴も大したことないし、NEXT差別のせいでなかなか職に就けなくて」
よくある話だった。あまりにも小さな能力、しかしNEXT差別に遭って就職できず、かといってNEXTであることを隠せば法に触れるという板挟みで憔悴するという人間は少なくなく、長い間社会問題となっていた。──今でも、完全に解決したわけではないが。
「でもアンジェラのおかげで、危険な能力じゃなければ問題ないって、そういう空気ができてきて、……僕らみたいな能力者への差別が、明らかに少なくなりました。それもあって、職業相談所も職にあぶれたNEXTへの斡旋に力を入れてくれるようになって、それで僕、ここに。最初はアルバイトでしたけど、この間、正社員になれたんです」
「良かったじゃん」
「はい、ありがとうございます」
青年は、笑顔を見せた。
「だからアンジェラには、とても感謝しているんです。仕事が決まった時、ファンレターも出して……」
「ああ、あの」
ライアンの背後から、ガブリエラが呟いた。ライアンが声に出さず、口の動きだけで「馬鹿」と言ったが、同時に青年の目が輝いた。
「あ、あ、あ、あの、アンジェラ」
「あっ、私はアンジェラではないのです。ええと」
「知り合い」
「そう、知り合いです。すみません」
ライアンの口出しをそのまま受け取って、ガブリエラは頷いた。青年は一瞬ぽかんとしたがすぐに意味を察し、「あっはい、知り合いの方」と頷く。顔出しをしていないヒーローという手前、ここではっきり実はそうですというわけにはいかないのだ。
たとえアンジェラでしかありえない細身で、同じ特徴的な声で、ゴールデンライアンと一緒に来店した、尋常でない大食らいの女であったとしても、私がホワイトアンジェラの正体です、とは言わない、それが顔出しをしないヒーローの姿である──と、虎徹も熱く語っている。
ちなみに先ほどのブティックの店員たちも、ガブリエラの正体について当然「もしや」と思っているのだが、誰ひとりとして口には出さなかった。
それはあの店がそれなりの高級店であるからであり、またヒーローの街・シュテルンビルトにおけるロマン、そしてそれを守るマナーであるからだ。──閑話休題。
「ええと、……お手紙のことは、アンジェラが言っていました」
「ほ、本当ですか」
「はい。私が何をしたわけではないですが、仕事が決まって、本当に良かったと。前の会社が潰れた時は、私もどうなることかと思った……そうですので。アンジェラも。仕事が無いというのは、不安なものです」
もたもたした話し方で、ガブリエラは、ライアンの影に隠れながら言った。
「頑張ってください。応援しています──、と、アンジェラが」
「はい! 頑張ります!!」
目を潤ませた青年は、ガブリエラが何も言わずとも、アスクレピオスホールディングスの宛名で領収書を切ってくれた。
「嬉しいものですね」
ガブリエラは嘘のない、穏やかな、しかし深い笑みを浮かべて言った。
「ああいう、私のことがきっかけで職に就けたとか、能力を活かせたとか、お手紙はたくさんいただきます。でも、直接ああして言われて、実際に働いていらっしゃるのを見たのは初めてです」
「ファンレター、全部目通してんの?」
「もちろんです」
会社のチェックを通ったものだけであるし、読むのが遅いのでまだ全て読めていないですが、とガブリエラは笑顔のまま頷く。
ホワイトアンジェラという、戦わない、戦えないヒーローが一部リーグに抜擢されたことによって、今までヒーローになれるほどの派手な戦闘能力というわけではなく、かといってわかりやすく向いている職業があるわけでもなくといった、はっきり言えば中途半端で低い威力の能力持ちで、一般の就職も難しい部分があったNEXTの扱いやあり方が随分変わった、といわれている。
アカデミーでも、入学したはいいが就職先に悩むというたくさんの生徒がアンジェラの存在に勇気づけられ、就職率が上がったという。就職のための大々的な相談所も設けられ、スローガンは“どんな職でも、いつかはヒーロー”。
ホワイトアンジェラによって起こったNEXT差別や様々な社会問題への影響については、ライアンももちろん知っている。しかし文字を読むのが苦手な彼女が、そんな彼らからのファンレターに欠かさず目を通し、こうしてひとつずつ気にかけているというのは知らなかった。
ガブリエラは文字を読むのが苦手でそれを公表してもいるため、彼女へのファンレターは、それを気遣って簡単な言い回しや読みやすい文字で書かれているもの、あるいは読み上げアプリが使えるようにしてあるもの、ダイレクトにビデオレターなどが多い。ガブリエラは、そのこともとても嬉しいという。
彼女は真実、純粋に人を助けたくてヒーローをしているわけではない。それを見破ったのはライアンであるが、彼女のヒーローとしてのあり方には、ブレがない。有名人であるとか、メディアに対する配慮の仕方についてはまだ自覚が足りない部分もあるが、ヒーローとしてあろうとしていることは確かだ。
何よりあの青年に向けた喜ばしさの滲んだ声や、気遣いの篭った手紙が嬉しいという笑顔に、嘘はなかった。
──それは、……正直、私もそう思います
──しかし、与えられた仕事は精一杯やるつもりです
一部リーグは荷が重いのではないか、と実質初めての顔合わせの時言ったライアンに、彼女がこう返したことを思い出す。
──私はドMの変態女ですが、愛されたくないわけでも、優しくされたくないわけでもないのです、ライアン
そしてあの時の、彼女の言葉も。
おそらくそれと同じように、彼女は真実人助けをするためにヒーローになったわけではないが、ヒーローとして二流三流では決してないし、ただただ流されるまま一部リーグにいるわけでもないのだ。
またそのあり方は、彼女独自の人脈や実績、信用を作りつつある。ライアンは今日それを実感し、ホワイトアンジェラというヒーローとガブリエラ・ホワイトという女について、少し見直した。
ガブリエラは、自分の欲望と性癖のためにヒーローをやっている。しかしそれはそれとして、彼女は彼女で、ヒーローらしい善良さや無償の愛がないわけでも、親切でないわけでもないのだと。
「……まあ、直接言われるのはイイよな。やる気出るし」
「そうですね」
「俺も最初の頃握手会とかやって、ファンから直接色々言われて割と感動したわ」
「えっライアン、握手会をしたのですか」
「デビューしたての頃にな」
「ええ……行きたかった……」
「なんでだよ」
何故か残念そう、悔しそうに言うガブリエラに、ライアンは噴き出して苦笑した。
「なぜなら、私はゴールデンライアンの大ファンですので」
「はいはいどうも」
キリッとした顔のガブリエラからサングラスを取り上げてかけると、ライアンは車の遠隔ロックを解除した。