#030
「おとなしくして。そう、いい子ですね。もう大丈夫ですよ」
「な、仲間でござるよ〜。ほらほら」
「おーっす、虎同士仲良くやろうぜ。よーしよしよし、ヨシャシャシャシャ」
「やあ、どうだい、いい風だろう? こっちにおいで」
「ワッハッハッハッ、いくら噛んでも無駄だぜ〜。うっし、帰ろうな」
それぞれ、怯えて固まっている小動物たちを手に持ったケージに集めるバーナビー、同じキリンに擬態して警戒を解こうとする折紙サイクロン、大きな虎の首を豪快に撫で回しているワイルドタイガー、高い木に留まっている色とりどりの鳥達を風で誘導するスカイハイ、沢山のワニに噛みつかれつつも、能力のおかげで全く平気そうにそのまま引きずり、檻の中に次々入れているロックバイソンである。
《ロックバイソン、大量のワニを一斉捕獲! 一気にポイントが入ります! いや〜、今回は久々にロックバイソンが大活躍ですね〜》
マリオの、割と穏やかな実況が響いた。
「へえ〜、これがミニパンダ? ……かわいいな」
「かわいいですねえ」
そしてこちらは、本来子供の大きさで成獣という新種のパンダを両腕で1匹ずつ抱えるゴールデンライアンと、動物たちの怪我を治して回っているホワイトアンジェラである。
ライアンの腕の中で呑気にのたのたと暴れている丸っこい小さなパンダ2匹は、可愛さを凝縮したような生き物だった。珍しいとかどうとかではなく、これほど可愛ければ攫ってしまいたくなるのも理解できる、というほどには。
シュテルンビルト動植物園。今回ここで起きた事件は、新たに公開されたこの珍しいパンダを盗もうとした、動物専門の窃盗団が起こしたものだった。
動物を興奮させるNEXTが在籍するその窃盗団により、園内の動物たちが大暴れし、更に混乱に乗じて開けられた檻から逃げ出した。幸いにも、人間・動物ともに死者はゼロ、人間のほうは止めようとした飼育員たちの怪我と、逃げる時に転んだ来園者が少々といった具合で、深刻なものはない。
そしてヒーローたちの活躍で犯人たちは無事確保され、今は完全封鎖された園内で、逃げ惑う動物たちを捕獲して回っているところであった。
事件は一応収束したのだが、動物たちとヒーローという、珍しい上に絵面としても悪く無い画だとして、カメラがまだ回っているのだ。
ちなみに、今回は硬化の能力を持つロックバイソンが興奮した猛獣の捕獲で大活躍し、珍しくポイントを稼いでいる。
「うわああああああああんいいなあいいなあいいなあ!!」
「子パンダとか、世界でいちばん可愛いモノのひとつじゃないのよ! 私も抱っこしたい! モフモフしたいいいいい!!」
「あんたさっきペンギン捕まえてたじゃないの」
「ペンギンと! モフモフは! 別!」
こうして悶えているのは、ヒーロースーツの防御力が低いために待機を命じられている、ドラゴンキッドとブルーローズ、ファイヤーエンブレムである。
他の面々と違って布製のスーツ、しかもブルーローズに至っては露出も高いスーツで、猛獣に襲われてはひとたまりもない。──猛獣が。
ただ押さえつけるなら能力を使えばいいのだが、彼女たちのスーツの防御力が低い以上、動物に怪我をさせないように取り押さえるというのが非常に難しいのだ。
雷や炎という動物にストレスを与えてしまう能力のドラゴンキッドとファイヤーエンブレムは最初から戦力外通告で、ブルーローズは先程まで氷を使ってシロクマやペンギンを捕獲していたが、既に専門飼育員たちの手に渡ってしまったし、ペンギンは可愛いがモフモフしていない。
「ハイハイ、今連れて帰っから。飼育員に言って抱っこさせてもらえ」
「絶対だからね!」
「早く連れて来なさい!」
「悪いけど、おねがいねえ」
完全に動物に触りたい子供とその母親のようになっている3人に「ハイハイ」と再度言ったライアンは、やや名残惜しく思いつつも、飼育員にパンダを手渡した。
「つーかおまえ、気ィつけろよ。フル装甲だけど、腹のとことかそんなにゴツくねえだろ」
横を歩いているホワイトアンジェラに、ライアンが言った。相変わらず華奢な彼女は、その華奢さを強調するようないつものヒーロースーツだ。一応、いつもは生身の口元と顎は、スローンズモードの時のパーツを引き出して覆っているが。
「大丈夫ですよ。確かに薄手ですが、バイクで大コケしても無事でいられる特殊素材です。動物の牙ぐらいなら問題ないと言われています。──コケませんが」
「おまえそここだわるね」
それにしても恐るべし、アスクレピオスの技術力。「まあそれならいいけど」と肩をすくめ、ライアンは彼女とともに園内を歩く。途中で草食動物や小型の生き物を捕まえてケージに入れたり、飼育員の指示で怪我を治したりしつつ、彼らは進む。
「うわ、こりゃひでえな」
「荒れ果てていますね」
やはり緑の多い場所に潜んでいるのではないかという予想に従ってやってきたガラス張りの植物園の惨状に、ふたりがコメントする。
「ぐっちゃぐちゃじゃねえか。作り直すの相当だろこれ」
ライアンの言葉に、後ろにいた植物園担当者たちが頭を抱え、「あああああ」と悲痛な声を上げた。
普段は植物園であると同時に、無害な草食動物たち──例えばウサギや鹿、小鳥などが放し飼いにされているという公園は、木が薙ぎ倒され、花は千切れてそこら中に散り、大きなタイヤ跡で芝生がえぐれていた。更には、大部分燃えてしまっているところもある。犯人がパンダを乗せた車でここに突っ込み、猛獣避けの火炎放射器を使ったせいだ。
更にはおそらくここに入り込んだ猛獣がやったのだろう、ベンチや可愛らしい小屋、水飲み場、餌の自動販売機なども、無茶苦茶にひっくり返されている。なぜわかるかといえば、そこらじゅうに、犯人の能力で興奮した猛獣の大きな爪痕が残されているからだ。
「しかし、なんだか色々いそうですね」
「かくれんぼには良さそうな感じになってるしな」
そう言いながら、ふたりは公園の中を進んだ。後ろから、防護服を着込んだ飼育員と、HERO TVのカメラマンがそれに続く。
「動物って隠れるの上手いな〜、どこにいるか全然わかんね」
「おびき寄せられないでしょうか」
「餌とかで? さっきまで能力で興奮してたけど、今は反動で怯えてるっつってたしな。そうなると餌じゃ釣れねえんじゃねえか」
「なるほど。野生の動物とはまた違いますしね」
納得した様子で頷いたホワイトアンジェラは、ふとぐるりと辺りを見回した。そして何か思案する様子を見せたあと、おもむろに広場に進み出る。
「おい、何すんだよ」
ライアンの問いに答えず、彼女はちょうど広場の真ん中あたりで立ち止まり、しゃがんだ。さらに、無残に芝生が焼け焦げた地面に両手を着く。
《おっ、ホワイトアンジェラが何かやっていますか? 現場のカメラに切り替えましょう》
マリオが気付き、中継車内のスイッチャー、メアリーがカメラを切り替える。R&A付きのカメラの映像に、モニタが切り替わった。荒れ果てた広場の中央に両手をつく、ホワイトアンジェラの姿が映し出される。
《まるでゴールデンライアンのようなポーズですね。何をしようとしているのでしょう》
「──ふふ」
口元に、笑み。それに気付いたのは、眉をしかめたライアンだけだった。
《Virtues mode !》
《50000キロカロリーヲ注入。30分以内ニ消費シテクダサイ》
スーツのコンピュータ部からの無機質な合成音声の直後、ホワイトアンジェラの背中から、バシュウウ! とまるで羽根が生えたような白い煙が上がる。
「……どっど〜ん」
少し茶目っ気を滲ませて、ホワイトアンジェラが、ライアンの決め台詞を真似た。
そしてその瞬間、彼女の身体が青白く輝き、能力が発動する。触れたものの細胞を活性化させ傷を癒やすその能力が、手を着いた地面から、ライアンの重力場と同じように円状に広がっていく。
《こ、これは、──これは、凄い。まるで、奇跡のよう──!》
驚愕が滲んだマリオの声が、モニターから響いた。
映像を見ている視聴者たちも、そして実際に現場にいる者たちも、呆然としてその光景を見守っている。
しゃがみこんだホワイトアンジェラを中心にして、波紋のように、ゆっくりと緑が広がっていく。
薙ぎ倒されてしおれた草が蘇り、焼け焦げた根の下から、新緑の芽が伸びてくる。倒れた木には蔦が絡みつき、まるでその傷を癒やすように包み込み、まるで最初からそんな風だったというように自然な姿になった。
花が、咲き乱れる。ガラス窓から差し込む光に向かって、活き活きと伸びる枝葉。匂い立つ緑、創りだされる清廉な酸素。虫を集め、実をつけようとする瑞々しい花の香り。
濃い緑に覆われた大木の影から、隠れていた動物たちが顔を出す。兎やリス、鼠が数匹飛び跳ねて、彼女の所に寄ってきた。続いて鹿、小鳥、様々な小動物。潜んでいたらしい狼や蛇まで。
皆彼女の周りで座ったり寝そべったりして、うっとりと目を細めている。彼女の力が、地面から僅かでも感じられるのかもしれない。そこに怯えや緊張は欠片もなく、肉食動物たちが、無防備な小動物たちに食らいつくこともない。
砂漠のオアシスや雪山の温泉では食物連鎖のピラミッドがなく、皆平等に水の癒やしを分けあい、誰も争いを起こさない自然の協定が結ばれている、そんなふうな有様だった。
「……天使だ」
誰かが、そう言った。
ガラス窓から差し込む光の中で跪き、動物たちに囲まれて緑を蘇らせるホワイトアンジェラの白い姿は、確かに、奇跡を起こす天使そのものだった。
「──ふふ」
誰もが無言で呆然とその奇跡を見守る中、彼女の微かな笑い声が発される。その可憐な声を美しい鈴の音か何かだと感じ、皆がうっとりと目を細める。
「……この、馬鹿。やめろ」
奇跡を断ち切ったのは、ごく不機嫌な声を発した金色の輝き。
呆然と奇跡に見入る人々の中、ただひとりずんずんと進み出たライアンが、まるで子犬のイタズラを強制的に中断させるようにして後ろから彼女の脇に手を差し入れ、軽々と持ち上げていた。
手どころか膝まで地面から離れぶらんと空中に浮いた彼女が、後ろを振り返る。いつの間にか口元のガードを外した唇は、残念そうに尖っている。しかし笑いも滲んでいることに気付いたライアンは、苦い顔をした。
《余剰カロリーガアリマセン。基礎代謝量100kcalヲ消費シテイマス》
《健康ニ影響ヲ及ボシマス、即座ニ食事ト休息ヲ取ッテクダサイ》
《カロリーが足リマセン。摂取シテクダサイ》
スーツのコンピュータ部分からの機械音声。余剰カロリーを全て消費し、彼女自身に必要なカロリーまで消費していることを表す小さな赤いランプが、ちかちかと点灯している。
「ああ、もうギリギリでしたか」
「わかっててやったくせに」
ライアンの指摘に、彼女は笑みを浮かべた。法悦の聖女、といえばそれらしいのかもしれないが、ライアンに言わせれば、陶酔の滲んだそれは単に、エクスタシーに溺れた女の笑みだ。
ライアンは、フェイスガードの下で顔を顰める。ヴァーチュース・モードを使って多大なカロリーを追加し、対象のひとつひとつは小さな植物たちでも、この範囲に一気に使えば、とても足りないほどの莫大なカロリーを消費してしまう。そんなことはわかりきっているはずだ。
「最近人命救助も少ないですし、今日はかなりカロリーが余っていたので」
「だから久々に死にかけようって?」
フェイスガードをしたままとはいえ、ぎらりと光る金の目で睨んでいるのがわかるようなライアンに、彼女は身を竦ませた。──とはいえ、やはり口元に笑みは浮かんだままだが。
──こいつ。
「あ、ライアン。お仲間ですよ、ほら」
ライアンに抱えられたまま、憎たらしいほどけろりと言った彼女の示す先を見れば、そこにいたのは巨大な金色の獣だった。ひと抱えにもなるような巨大な顔、その首周りを飾るふさふさの鬣。雄のライオンだった。ここに逃げ込んでいたらしい。
防護服を着た飼育員やスタッフたちが、身構える。
「……近くで見るとデケエな」
体長は約3メートル、体重は200キロをゆうに超えるというライオンは、非常に迫力があった。彼女が、「わあ、目が金色です。ライアンと同じですね」と緊張感なくはしゃぐ。能力を使ったせいでアドレナリンが出て興奮しているのだ、とライアンは冷静に判断した。
「あっ、怪我をしています」
「な、おい!」
ライアンから地面に下ろされた途端ライオンに向かって駈け出した彼女に、ライアンは焦った声を上げた。いくらフル装甲のヒーロースーツを着ていても、彼女は戦闘能力のない非力な女で、相手は巨大な猛獣である。
グルル、と低い唸り声がし、太い前足が地面を蹴った。駆けていく彼女に、真正面から飛びかかるように。ギャラリーの悲鳴が上がる。
「くそ!」
ライアンは大股で地面を蹴り、小走りの彼女の腕を後ろから掴み、思い切り引いた。細い体を即座に抱き込み、大地に両手を着く。能力を発動させた。
「ギャン!」
一瞬にして展開された重力場は、巨体を地面に縫い止めた。ライオンは猛獣らしからぬ哀れっぽい鳴き声を上げ、地面に叩きつけられたまま呻いている。はああ、とライアンとギャラリーが安堵のため息をついた。
「──ふふ」
ライアンの下、重力場の中での唯一の安全地帯で、笑い声が聞こえた。無論、彼女である。己に組み伏せられたような格好の彼女を、ライアンはぎろりと見下ろす。
「おいコラ、何考えてんだおまえ!」
「大丈夫ですよ。ほら、怪我をしている。治して貰いたかったのですよ」
彼女の言う通り、ライオンは怪我をしていた。前足の部分の皮膚が、非常に痛々しく赤く禿げている。──ひどい火傷だ。火炎放射器によるものだろう。
「頭のいい動物は、わかるようです。私が、食べてしまうよりも生かしておいたほうが有益な存在であると」
本能でしょうか、不思議なものですね、と彼女はライアンの下で呑気に言った。
「治しましょう」
「……おまえカロリー足んねえだろ」
「カロリーバーを食べます」
ライアンに降ろされた彼女はスーツについている収納から1本で2000キロカロリーの特製カロリーバーを取り出し、あっという間に2本咀嚼して飲み込んだ。
《4000kcalヲ摂取》
《余剰カロリー・3900kcal》
機械音声が告げると同時に、ほらね、と手を広げた彼女にライアンはもう一度溜息をつくと、ライオンの様子を見ながら、ゆっくりと重力場を弱めていった。
ヴヴ、と呻き声をあげていたライオンは、おとなしく伏せたまま、立ち上がったライアンを見上げている。
自分が有益な存在だと動物は理解できるのだ、と彼女は言ったが、その発言については信憑性がある、とライアンも思う。
NEXT能力というものは、非常に感覚的なものだ。それを、特に野生の動物は鋭く察知する。これはNEXT研究において既に立証されていることで、故にNEXT能力を新人類としての証である、と言う者もいる。
重力という、自然界において絶対的な力を操るライアンもまた、今までの経験において、それを肌で感じていた。特に能力を発動させた後だと、頭のいい動物であればあるほどライアンに逆らわない。絶対的な力を持つ存在だと理解している、そんな様子で。
檻の中で飼われているこのライオンも、そのことを理解しているらしい。ライアンがフェイスガードを上げ、奥に青白い光を宿す金色の目を露わにすると、逆らう意思がないことを示すように、更に頭を下げた。
ライアンは金色の巨体の側に膝をつくと、ふさふさの鬣、首に腕を回した。丸くて分厚い耳が、ぺたんと後ろを向いている。
「そこまでしなくても……」
「治すんだろ。早くやれ」
鋭い牙と爪を持ち、体長3メートル以上、200キロを超える巨体に対し呑気なことを言う彼女を無視して、ライアンはぶっきらぼうに言った。
「ああ、痛そうです。すぐに治します」
ライアンが付け根を抑えた太い前足に、細い手が翳される。
青白い光の中で、痛々しい真っ赤な火傷がみるみるうちに消えていった。金色の毛が薄く生えそろった辺りで、ガウ、とライオンが小さく吼えたので、ホワイトアンジェラは能力発動を止める。
「もうよろしいのですか。痛くありませんか?」
「ライオンって、ゴロゴロいうんだな……」
首に触れているだけにライオンが喉を鳴らしているのがよく分かるライアンは、呆れと感心が混ざった様子で言った。
「ああ、ライオンの鬣、触れるなんて。もふもふですね。もふもふ」
彼女がライオンの鬣や頭を撫でながら、興奮気味な声で言った。薄っすらと能力を発動した手で触れているせいで、ライオンは気持ちよさそうに目を細めている。あの手で触れられる心地よさを知っているライアンは、巨大な猫と化しているライオンを、やや複雑そうな顔で見た。
ポーターに戻ると、スタッフに介助されながらふたりとも外装を解除する。
さっさとアンダースーツのみになったライアンは、そのままの姿で、スーツの脱着をするためのチャンバーを出た。
そこかしこにまた改良は加えられているものの、基本的なところは斎藤が開発したままのゴールデンライアンのスーツは、アンダースーツもそう様変わりしていない。
つまりT&Bと同じく、マリンスポーツで用いるウェットスーツのようなヴィジュアル。体の線は出るが、そのまま人前にも出られるものだ。しかも彼らの場合、筋肉の隆起がよく分かるその姿はめったに見られない上にセクシーだとして、ファンに密かな人気もある。
「ライアン、伝言です。ライアンのアンダースーツのクリーニングパックが今ないそうなので、会社でシャワーを浴びたらスタッフにそのまま渡して欲しい、とのことです」
同じく遅れてチャンバーから出てきたガブリエラが、言った。
「わかった。……おい、ボタン掛け違えてるぞ」
「あっ、本当です」
「ここでやるな!」
スナップボタンがひとつずつずれてとめられたブルゾンに手をかけたガブリエラを、ライアンは急いで彼女用のスペースに押し込んだ。ポーターを共有している男女ペアヒーローの彼らは、こうしてひとりずつのスペースを設けることでプライバシーを確保している。
ホワイトアンジェラのスーツは、設計も素材もすべてアスクレピオス製である。
ゴールデンライアンと同社ヒーローとなること、彼と並んでメディアの前に立つことを意識してのデザインは、そのカラーリングと造形に、わかってやっているのがわかる、という具合の共通点がそこかしこに見られる。
だが機能的な面では、まったく仕様が異なっている。極限まで薄く、繊細に。しかし銃弾にも耐えられる強度をと開発されたスーツを成立させるために、アンダースーツもまた極限まで薄くする必要があった。
要するにホワイトアンジェラのヒーロースーツは、アンダースーツもまたとても薄い。どれくらい薄いかというと、実際にアスクレピオスで開発された極薄コンドームの技術が応用されているといえば想像がつくだろう。
そしてその想像通り、彼女のアンダースーツ姿はある意味全裸よりも刺激的で、さらに言えばマニアックな格好で、とてもそのまま人前には出られない。
そのため、ガブリエラはいつも外装解除後のアンダースーツの上からアスクレピオスのブルゾンを羽織り、前をすべてとめた姿になっている。そのままポーターで会社に戻り、シャワールームでアンダースーツを脱いで服に着替えるのだ。
ちなみにこの極薄アンダースーツは使い捨てで、脱着しやすいよう、そして身体パルスが詳細に伝わる伝達補助として、内側にジェルが塗ってある。
それを聞いた時、ライアンは「誰だ開発した奴」と微妙な顔をし、ガブリエラが「ぬるぬるしていて着やすいです!」と言うともっと微妙な顔をして、いちばん大きいサイズのブルゾンを黙って発注した。
だがこの極薄密着アンダースーツと美容成分入りのジェルは意図せず湿潤療法の役目を果たし、あの日ガブリエラの肌についた痛々しい歯型と痣は、ものの数日でほとんどわからなくなるほどきれいになっていたのだった。
「ああ、いい経験でした」
ラウンジに入ってきながら赤い髪を掻き上げ、ガブリエラが言った。更に伸びた髪は、そろそろセミロングといえるような長さになりつつある。
2階建て式のポーターの2階には、ふたり共通のラウンジが設置されている。先にソファに座っていたライアンは、ボックスから水のボトルを取り出し、ガブリエラに渡す。ガブリエラはそれを受け取り、ソファではなく、ライアンの足元に畳んでおいてあるブランケットの上に座った。
ライアンが椅子やソファに座っていると、彼女は大抵このポジションに座る。床が汚ければやらないしその場合は隣か向かいに座るが、このポーターのように土足禁止で絨毯などが敷いてある場所であれば、本当の犬のように、決まってこの場所に座りたがるのだ。
なんでそんなとこ座るんだ、と聞いたことももちろんあるが、答えは「落ち着くのです」のひとことだけだった。それにライアンも彼女があっちこっちうろちょろしない場所にいるのは正直悪くなかったので、仕方なく、そこにブランケットを畳んだものを置いてやった。
以来、ここはガブリエラの定位置になり、ブランケットのおかげで座るどころか寝転ぶこともできるようになった彼女は、嬉しそうにライアンの足元にひれ伏している。
「ま、確かに、なかなか出来ることじゃねえな」
「レオ、いい子でしたね。また遊びたい」
ガブリエラは、名残惜しそうに言った。
ヒーローたちで大方の動物たちを捕獲し終わり、あとは飼育員たちに任せる、となっても、彼女はぎりぎりまでライオンと戯れていた。
レオ、という安直な名前だったライオンもまた彼女に懐き、おとなしく撫でられ、彼女を倒さないように加減して頭を押し付けたり、身体をくっつけて座ったりしていて、飼育員たちを驚かせた。
「ヒーロースーツだったので、もふもふの感触がちゃんとわからなくて残念です」
「……おい。生身で触ろうとかすんなよさすがに」
「大丈夫だと思うのですが」
「おい」
「ふふふ」
目を細めて笑うガブリエラに、ライアンは眉をしかめた。
スリル中毒の、アドレナリンジャンキー。
最近、彼女のこの傾向がひどい。
しかも、ライアン以外の人々──オーディエンスは、すっかり彼女を特別な何かに選ばれた聖女だと思っている節がある。
彼女に関してはいつだって奇跡が起こるのだと思われているせいで、やあ遊びに来ました、生身のままですがライオンと戯れさせてください、とふざけた要請をしても、「ホワイトアンジェラだからきっと大丈夫」となど承諾されかねない。
今日のいかにも聖なる天使のような能力の使い方が放送されたせいで、おそらくその認識は更に深まったことだろう。彼女の本性を知っているライアンは、頭を抱えたい気分だった。
今のところはいちどもヘマをしておらず、自分の命をBETした危険なギャンブルに勝ち続けてはいるが、彼女は相変わらず何かと危ないことをやろうとし、実際にやる。護衛でもあるライアンがいればまだいいが、ひとりの時に何をやらかすか、気が気でなかった。
「おまえな──」
「はい」
いつものように反省会の名目で文句をつけようとすると、床に座ったガブリエラはライアンの膝辺りで振り向き、何かを期待しているような、薄い笑みを浮かべた。上目遣いになった灰色の目が、きらきらとしている。
こいつ、とライアンは苛つきを覚えて怒鳴ろうとしたが、その時ふと、キースのアドバイスと、彼が語った経験を思い出した。
「……ライアン?」
何も言ってこない彼に、ガブリエラが不思議そうに首を傾げる。
「ライアン、どうしたのですか」
ライアンはガブリエラから顔を反らし、目を合わさないまま顔を片手で覆って黙っている。ガブリエラは頭の周りに疑問符を浮かべながら、彼の動向をきょとんとした様子で見ていた。
その時、はあ、とライアンが重いため息をついた。ガブリエラが目を丸くする。
「あの、ライアン」
ガブリエラの呼びかけを全く無視して、ライアンはどっかとソファに腰掛けた。俯いた顔は手に覆われたままで、どんな表情をしているのか全くわからない。
「ライアン、どうしたのですか。どこか怪我を? あの、ライアン……」
ガブリエラは何度も呼びかけるが、ライアンは無反応だ。ただひたすら気が重そうな、疲れ果てたようなポーズで俯いている。
「あの、……怒っているのですか」
おそるおそる、という感じの声だ。ライアンはそれも全く無視し、大きなため息をついて、ゆっくりを首を振った。びく、とガブリエラの肩が跳ねる。
「怒っているのですか? ……あの、申し訳ありません」
高い声に、僅かな焦りが感じられる。しかしライアンは、まだ彼女を無視した。目も合わさない。
「申し訳、……ご、ごめんなさい、ライアン。あの」
ガブリエラは、おろおろと彼を見る。どうしていいかわからなかったのか、迷った結果、おそるおそる、下からその表情が見えないかと覗きこむようにした。
しかしライアンは顔を覆ったままで、しかもふいと彼女から逸らした。顔も見たくないと言わんばかりのそれに、ガブリエラがショックを受けた顔をする。
「ラ、ライアン、ごめんなさい」
「ごめんなさい、ライアン、私、そこまでとは」
「あっ、あっ、言い訳をするつもりでは、なくて」
「ライアン、ごめんなさい。ごめんなさい、謝ります、ライアン」
全く反応してくれず、ただ時々呆れ果てたようにため息をついたり、天を仰ぐように顔を逸らすライアンに、ガブリエラは焦った。ブランケットからはみ出した膝を床について何度も謝るガブリエラは、どんどん必死になっていく。
「ライアン……」
おそるおそる。ガブリエラの細い手が、縋るようにライアンの膝にかかった。しかしその細い手を、ライアンはすっと払った。触るな、といわんばかりに。
ガブリエラの顔が、悲痛なものになった。白い顔が、ざっと青褪める。
「ごめんなさいライアン、ごめんなさい」
「あ、ゆ、ゆるしてください。もうしません」
「もうしません、しませんので、ですので、ごめんなさい」
「ゆるして……」
高くてか細い声がどんどん悲しげになっていく中、ライアンは、ただただ黙っている。そして黙ったまま、ひとり思っていた。
──これやっべえ。
何も言わずに座り込んでしまった己に対してきゅんきゅんと悲痛に鳴き、なんとか機嫌を取ろうとする愛犬に、キースは立ち上がれなくなった、と言っていた。たまらなく可愛かった、胸が締め付けられた、と。
そして今、ライアンも同じだった。違うところがあるとすれば、キースのように可哀想なことをしたと涙し抱きしめようとするのではなく、むしろ彼女の様子が愉しすぎて、こみ上げるニヤけ笑いを抑えるために顔を覆い続けなければならなくなっているところ、そしてもっとこの状態の彼女を愉しみたい、と思っているところだ。
ここにネイサンがいれば、「ドSって、“可哀想可愛い”に死ぬほど萌えるのよね」と言ったことだろう。
「ラ、ライアン。ゆるして、ゆるしてください。み、みす、見捨てないで……」
いよいよ震えはじめたその声にライアンは深く俯き、手で顔を覆い直した。ソファの肘掛けをぐっと握りしめた片手も、僅かに震えている。本当は、バンバン叩きたいのを堪えるために。
「……はああ」
今までで、最も大きなため息。それは実際にはライアンが己を落ち着かせるために発したものだったが、ガブリエラは明らかにびくついて、中途半端に腰を浮かせた状態から、恐々と彼を見上げていた。
ライアンは更にひと呼吸おいてからやっと顔を覆っていた手を外すと、ガブリエラを見た。そして、うっと息を詰まらせる。じっとライアンを見つめる灰色の目は潤んでいて、薄い眉尻はこれでもかと下がり、怯えが滲んでいつつも、縋るような必死さに満ちていた。
しかもぶかぶかのブルゾンの首元の隙間から、薄い膜のようなアンダースーツが張り付いた肌が、鎖骨のだいぶ下まで見える。更には、なるべく丈を長く取るために最も大きいサイズを発注したせいで、ブルゾンの袖もかなり長い。専門用語を使えばいわゆる“萌え袖”というやつになっていた。
「……反省したか」
色々なものを押し殺した結果、ライアンの喉から、都合良く重苦しい声が出た。
「し、しました」
「どうだか。おまえは犬でも出来ることが出来ねえだろ」
「そんな」
悲しみに満ちた声と表情。その様子を目の当たりにしたライアンは、ぞくぞくと昇ってくる震えを感じた。
(これやべえ)
楽しい。
外道の考えである、と考える頭も隅の方に多少残っていたがしかし、ライアンはやめなかった。──やめられなかった。
「おい犬」
「はい」
(返事した……やべえ……)
犬呼ばわりを受け入れた挙句にいよいよ涙目で震える彼女に、ライアンはダンダンと床を踏み鳴らしたくなるような衝動を堪えた。
「……もう、しねえな?」
「あ、し、しない! しません!」
必死な顔が、上がる。見上げる灰色の目は今にも零れそうなほど潤み、縁が赤くなっていた。
「ふーん? 自分が何したか、ちゃんとわかってて言ってんだろうな、あ?」
「は、はい」
「言ってみろ」
傲慢に頬杖をついて、ライアンは、罪人を裁くかのように言った。
「あ、危ないことを、しようと、しました。ライアンの指示を、無視して……」
そうだ、彼女は頭が悪いが、ただ馬鹿な犬というわけではない。自分がなにをやっているのか、ちゃんとわかってやっている小賢しさはちゃっかり持ち合わせているのだ。──だからこそ、たちが悪くもあるが。
「そうだな。なあ、俺はおまえの護衛だよな」
「……はい」
「おまえがわざわざしなくていいことする度に、俺の仕事が増えんだけど。そこんとこわかってやってんの、おまえ」
「あ、う」
ガブリエラの表情が、くしゃりと歪んだ。
「ご、ごめんなさい」
「謝るのだけは一丁前だよなあ」
「ごめんなさい。ゆ、ゆるしてください……」
小さくなって震え、ライアンのひどい言葉を受け止めて、許しを請う彼女。
袖の余った両手をきゅっと握り合わせ、自然に懇願するような姿勢になった彼女に、ライアンははっきりとした愉悦を感じた。今まで存在することも知らなかったどこかが、ぞくぞくと昇り来る震えとともに、確実に満たされていく。
「……まあいいや。もうするなよ、今度こそ」
なるべくどうでも良さそうな声で、ライアンは言った。途端、ガブリエラが顔を上げる。
「し、しません! もう、絶対に」
「本当に?」
「本当、です。ライアンのいうことを、聞きます。ちゃんと」
縋るように、ガブリエラは言った。
「あなたの、いうとおりにします」
──くらっとした。
まっすぐ、ライアン以外は目に入らないとでもいうかのような様子に、目眩を覚える。そして気づけば、手を伸ばしていた。犬か奴隷のように床に座り込んだ彼女の赤毛に、ライアンの指が差し込まれる。
「……よし」
何を言えばいいかわからず、ただ小さくそう言えば、ガブリエラは呆然とした様子になり、──次いで、白い顔を髪と同じぐらい赤くした。涙目が細まり、照れと悦びが一緒になった満面の笑みになる。
「あ、ありがとう、ライアン。がんばります」
「……おう」
ぐしゃぐしゃと赤毛をかき回してやれば、ガブリエラは赤くなった顔で、嬉しそうに笑った。誰が見ても幸せそうな様子。
すっと手を引くと残念そうな顔をされたが、いかにも「でもがまんします」とでもいわんばかりに口元を引き締めたので、ついもういちど撫でてしまい、ライアンはハッとする。撫でる手の下の彼女の顔は、蕩けるようだった。
「あー……、ちょっとコーヒー買ってくる」
「えっ、あの」
そう言って立ち上がったライアンを、ガブリエラが、不安そうな顔で見上げてくる。
「……ちゃんと戻ってくっから」
「はい……」
彼女が何を心配しているのか言われずとも理解した、理解できたライアンは、本当に犬であったら絶対に耳や尾がしゅんと垂れ下がっている、と断言できる様子の彼女にひらりと手を振って、ポーターを降りて外に出た。
外に出たライアンは、体温保持機能がついているとはいえ、アンダースーツ姿ではもうすっかり肌寒くなりつつある空気を吸い込む。
まだ時間は早いが、早くなった日暮れ、空は赤くなろうとしていた。
そんな空を見上げたライアンは、ふっ、と笑みを浮かべたかと思いきや、ポーターの壁面に、ダンと拳を叩きつけた。
(何やってんだ俺……)
変態か、いや違う、目覚めてない、変な扉なんか開いてない、あああああ、とぶつぶつ呟きながら、ライアンは冷や汗の浮かぶ半笑いでポーターの壁に突っ伏す。
そして、律儀にそこまで欲しくもないコーヒーを買って彼がポーターに戻ると、主人が帰ってきた時の犬よろしく尾を振らんばかりの勢いで彼の帰りを喜んだガブリエラは、何故かとても遠い目をしたライアンに、不思議そうに首を傾げたのだった。