#022
「ハァイ、天使ちゃん。あとのふたりは?」
 ネイサンが話しかけると、シャワーを浴び、髪を乾かして化粧水をつけているガブリエラが振り向いた。
「もう帰りました。カリーナは両親とディナー、パオリンは見たいアニメがあるそうです。私は少し、書類を片付けていて……」
 そう言うガブリエラの近くには、アスクレピオスのロゴマークが押されたファイルがあった。あまり文字を読むのが得意ではないというガブリエラは、書類仕事に時間がかかるのだ、という。
 同じく書類仕事が苦手な虎徹は例によって「わかる!」と言っていたが、こんなものはヒーローの仕事ではないと文句をたれまくる上にすぐにサボろうとする虎徹と比べれば、四苦八苦しつつもなんとか片付けようとするガブリエラは随分ましなほうだ、とバーナビーがすかさず苦言を呈していた。

「あ、それ使ってるのね。調子はどう?」
 ガブリエラが使っている基礎化粧品のボトル群を見て、ネイサンが言った。
「とてもいいです。肌も髪もつやつやになりました。今まで買ったことがない値段でしたが、ネイサンの言うことを聞いて良かったです」
 やはりあなたの選ぶものは確かですね、とガブリエラが本心から感心した様子で言う上、実際に彼女の白い肌や赤毛がつやつやなので、ネイサンはいい気分になった。
 ガブリエラは、いいものだ、と人に勧められたものは素直にそうなのかと受け取り、真面目に試してみる性格だ。
 そして今までまともに基礎化粧もしていないという彼女に、多少値は張るがとても良いものだとネイサンが勧めたサロンのシャンプーやコンディショナー、メイク落とし、化粧水や乳液などをガブリエラは素直に購入し、そして正しく使い、順調に美しい肌や髪を手に入れている。

「それにしてもあなた、髪が伸びるのが早くない?」
 ネイサンは、まだ生乾きでいつもよりくるくるしているガブリエラの赤毛に触れながら言った。
 出会った時、若い女の子だというのに無精を理由にセルフの丸坊主だった彼女は退院した頃に美容院に行き、おしゃれなツーブロックのショートカットにしてもらった。しかしあれから何ヶ月も経ったわけでもないのに、今の彼女の髪は肩につくくらいの長さにまで伸びている。
「私は能力の影響で、代謝が早いのです。それで髪が伸びるのが早い」
「なるほどね」
 確かに、ガブリエラはかつて不摂生がひどく顔色こそ悪かったが、その割に、最初から肌が綺麗だった。それほど代謝が良いのなら吹き出物ができる暇もあるまい、と羨ましさ半分でネイサンは納得する。
「はい。ですので、以前は自分で、バリカンでこう、がーっと」
「そうなの。もう絶対にするんじゃないわよ」
 笑顔で、しかし強く言ってくるネイサンに、バリカンで“がーっと”する手つきを再現していたガブリエラは、より素直に「はい」と返事をした。

「しません。あの、実は、伸ばそうと思っているのです。初めて」
「へえ」
 ネイサンは、凝ったネイルが施された長く優美な指で、赤い髪を優しく梳いた。
 ガブリエラの髪をよくよく見てみると、下半分のツーブロックの刈り上げが綺麗にキープされているのがわかる。美容師に言われた通りに1か月にいちど真面目にサロンに通い、そこで整えているのだろう。
 そして下半分をごく短く刈り上げることで、ボリュームができすぎてしまいがちな巻き毛が、とてもいい感じに落ち着いている。
 たっぷり膨らんだ髪は、昔からセクシーさの象徴として一般的だ。しかし中性的なガブリエラには、あえてわかりやすい色気に手を伸ばさず個性を活かした今のスタイルのほうが、彼女の神秘的な雰囲気が際立って断然似合うし、結局魅力的だ。
 やっぱりあのサロンのセンスは間違いないわね、と、紹介状を書いたネイサンは満足した。

「あなたの髪の色、好きよ。炎の色のロングヘア、いいじゃない。きっと素敵だわ」
 ネイサンが太鼓判を押すと、ガブリエラは、目を細めて嬉しそうに笑った。その頬が温かいシャワーを浴びたせいだけではない事を目敏く見抜いたネイサンは、あら、と目を細める。
「聞いていいかしら。どうして伸ばそうと思ったの?」
「私ほど赤い髪は珍しいので、伸ばせば、と言われました」
「ふうん? 誰に?」
「……えへ」
 ガブリエラは、ふにゃっとした、だらしない笑みを浮かべた。誰が見ても可愛くて美しいその笑顔に、ネイサンは微笑む。
「あら。あの男、そういうことは言うのね」
「うーん。しかし、彼は忘れているかもしれません」
 少し苦笑を浮かべて、ガブリエラは自分がホワイトアンジェラであることを言い出せないままライアンに会ったこと、そしてその時どんな会話をしたのかなどを簡単に話した。
「そういえば、怒られずに普通に会話をしたのはあれきりです」
「ええ……?」
「ライアンは、ファンに優しい人でした」
 ガブリエラは、うっとりするような顔をしている。
 その様子に、ネイサンは流石に呆れた。これはちょっと惚れた欲目にも程があるし、もしかしたら、会話をしなさすぎて相手を理想化しすぎている可能性がある。恋、しかも初恋ならばありえることだと思い、ネイサンは釘を刺すことにした。

「あのね、天使ちゃん。恋に恋するのも楽しいかもしれないけど、そんなんじゃ実らないわよ」
「……ええと、どういうことでしょう」
「眺めてばかりで、ちゃんと本人とコミュニケーションを取らないと、獲物を他の狼に食べられちゃうわよ」
「おおかみ?」
「どっかの女にライアンを取られちゃうわよ、ってことよ」
 比喩に首を傾げたガブリエラに、ネイサンはストレートに言った。途端、ガブリエラが目を丸くして背筋を伸ばす。
「……それは、いけません。だめです」
「危機感が出たかしら」
「とても出ました。忠告してくださって、ありがとうございます」
「いいのよ」
 びしっとした態度になったガブリエラに、ネイサンは、彼女が持つのが甘っちょろい恋愛感情ではないことを確信し、満足気に頷いた。これは恋に恋する少女の目などではない。欲しい男をちゃんと狙う女の目だ。

「しかし、どうすれば良いでしょう。私はその、色っぽさとか、そういうものがないので……、普通に迫っても効果がないような気がします」
「どう迫るつもりだったのよ……」
 生まれ育ちのせいか、処女のくせに時折目眩を覚えるほど下品なことも知っているガブリエラに、ネイサンは冷や汗を流した。
「でもまあ、安心なさい。あんたはちゃんと魅力的よ」
「そうでしょうか」
 きょとん、とするガブリエラに、ネイサンは微笑んだ。
 ガブリエラが中性的で、ボーイッシュを通り越してマニッシュで、女性としてわかりやすい色気はない、という評価は間違っていない。
 しかしこうして近付いてみれば、珍しい赤い髪は高級なシャンプーの香りがするし、キュートなそばかすが散った白い肌は、ニキビどころか毛穴も見当たらないことがわかる。神秘的な灰色の目を縁取る赤い睫毛はとても長く、キスをすれば絶対に相手の頬をくすぐるだろう。そしてこの可愛らしい声を耳元で囁かれてハートがくすぐられない人間は、男でも女でもなかなかいまい。
 それに、中性的でありつつ魅力的ということは、相手の性別を選ばず全方位に魅力的だということでもある。性別を感じさせないというのは健全な意味でも長所だが、健全でない意味においては、非常に妖しく、稀有な魅力になり得るのだ。そして稀有であるだけに落ちたらなかなか戻って来られないということを、ネイサンだからこそよく知っている。

(それに、王子様ったら、多分、ねえ)

 と、ネイサンは考えたが、口に出すのはやめておいた。それなりに自信はあるが、まだ勘の段階だ。そして気を取り直し、再度ガブリエラに向き直る。

「女の武器、なんて言うけど、そんなものは二流よ。一流の人間は、洗練された色気で人を陥落させるの。そこに男も女もないわ」
「しかし私に、そんな魅力があるでしょうか」
「もちろんよ。いい? 恋をするとフェロモンとかホルモンとかが、ドバドバ出る」
「どばどば」
「そう、ドバドバ。そしてそれは人を美しくし、色気を纏わせるのよ」
 ネイサンは、真剣な表情で頷いた。
「アタシはいつも恋をしてる。だからいつも美しいの」
「おお……ネイサンが言うととても説得力があります」
「あらそう?」
「はい」
 ガブリエラは、真面目な顔で深く頷いた。
「ネイサンは、とても色っぽいです。男でも女でも、めろめろになります。女神様です」
「……アラ、最高の褒め言葉ね。ありがとう」
「事実ですよ」
 あまりに真剣にガブリエラが言うので、ネイサンは流石に照れた。しかし、これがこの娘の怖いところであり、そして強力な武器だ。現に、男でも女でもないネイサンがくらっときている。

「とにかく、ちゃんと会話しなくちゃ始まらないわ。まず飲みにでも誘うのよ」
「確かにその通りです。しかし、私は少し避けられています……」
 しゅん、とするガブリエラに、ネイサンは「大丈夫よ!」と力強く言った。
「そこは度胸よ! 根性よ! まず誘う! 断られたら次の日誘う! 以上よ!」
「おお……わかりやすいです」
 女神からお告げを授かったかのように、ガブリエラはネイサンを仰ぎ見た。
「狼になるのよ、天使ちゃん」
「羊の皮をかぶっている場合ではない、ということですね」
「よくわかってるじゃないの。誰よりも早く獲物のお尻に食らいつくのよ!」
「なるほど。狩りと同じ」
 聞いたことがあります、とガブリエラは非常に真面目な顔をした。
「そうね、同じよ」
「わかりました」
 ガブリエラは真面目な顔でこくりと頷き、立ち上がった。

「では、今から声をかけてみます」
「あら早速ね。まあ、行動が早いのはいいことだけど。で、誘ってみてOKだったら、具体的にどうするつもりなの?」
「好きですと言います!」
「早いわね!?」
 どこまでも即行動のガブリエラに、さすがのネイサンも驚いた。

「今だと思ったら、──かみつく!」

 獣である。
 少なくとも、カリーナあたりの奥手ぶりとは比べ物にならない肉食っぷり。そして、「ぼんやりしていたら、チャンスはなくなってしまいます」と言うガブリエラは、確かに男も女もなく、イワンの言葉を借りればひたすら“イケメン”であった。
「うーん、想像以上に思い切りが良すぎるわね」
「早いほうがいいと思いました。いけませんか?」
「いけないっていうんじゃないけど」
 恥ずかしがってもたつく乙女の背中を叩くのはよくあるパターンだが、全速力で飛びかかろうとする狼犬を慌てて止めることになるとは思わなかった、と、ネイサンはきょとんとしているガブリエラに丁寧に言う。

「もうちょっと段階を踏んだほうが良くない?」
「だんかい」
「言いにくいんだけど、あなたたちまだ普通に話すのも微妙な所あるでしょ。いきなりの愛の告白も刺激的だけど、もしかしたら引いちゃうかもしれないし」
「ひいちゃう?」
「……いきなり力いっぱい飛びかかったら、びっくりして逃げられちゃうかもしれない、みたいなことよ」
「なるほど!」
 命令を理解できない犬よろしく首を傾げていたガブリエラは、狩りに例えると途端に理解を示した。
「でも、もたもたするのも良くないわ」
「ふんふん」
「相手がこっちに慣れてガードを下げたら、すかさず距離を詰めるの。そして」
「かみつく!」
「Yes!」
 挙手して威勢よく言ったガブリエラに、ネイサンはガッツポーズで応えた。

「完璧な作戦です! アドバイスをありがとうございます!」
「いいのよ。まずは腹を割って話して、アタシたちにするみたいに、普通に話せるようになるといいわね」
「はい!」

 ガブリエラは、笑顔で頷く。
 さすが、ヒッチハイクでシュテルンビルトまで来ただけあるわ……と、彼女のバイタリティに本気で感心しつつ、ネイサンは荷物をてきぱきとバッグに詰めるガブリエラを見守ったのだった。






 シャワーを浴びて着替えたライアンは、休憩室のソファにふんぞり返り、顰めっ面をしていた。

 他の男性陣は、もうとっくに帰っている。
 ライアンの今日のスケジュールは割と暇で、午前中に取材と会議があったきりだ。簡単な書類仕事もあったが移動中にさっさと済ませてしまったし、だからこそ、今日はみっちりトレーニングを行ったのだ。
 そして同じ所属であるために、ガブリエラもまた同じように今日は暇であることを、ライアンは把握している。

「あっ」

 特徴的な高い声が、短く聞こえた。
 見れば、女子用のシャワールームから出てきたガブリエラが突っ立っている。一緒に出てきたネイサンは元々は男子更衣室にロッカーがあり、人がいないのを見計らいながら使っていたが、いつからか女性陣のほうがこちらに来いと言って、移ったらしい。
 ライアンもネイサンが女子更衣室から出てくることに特に違和感を感じないので、これがきっと自然なのだろう。
 そしてネイサンは何やらガブリエラの薄い背をやたら力強くばんと叩くと、遠目からでも強烈とわかるウィンクをぶちかまし、何やら弾んだ足取りで、さっさと出て行ってしまった。

「あの、こんにちは、ライアン」
「……おう」

 おずおずと近寄って話しかけてきたガブリエラに、ぶっきらぼうに返事をする。

 相変わらず男か女かわかんねえな、とライアンは思った。
 最初に公園で会った時を思えば比べ物にならないぐらい肌艶は良くなったし、伸びてきた赤い髪は、艶やかなウェーブを描いている。
 能力のせいで脂肪が非常につきにくく、かなり細いのは変わらないが病的な様子ではない。トレーナーがメニューを組み立てた健康的な食事をたっぷりと食べ、みっちりと身体トレーニングを行っているので、ちゃんとした筋肉がついてきている。背丈があるし手脚も長いので、バレリーナとか、長距離走のアスリートとか、そう名乗ればそれなりに信じられるのではないか、というようなスタイルである。
 ──だが、女性らしさには欠ける。
 形は良いが尻は小ぶりで胸の薄い身体は、細身の女性というよりは、二次性徴前の少年のようだ。声がボーイ・ソプラノのようなので、余計にそんなふうに感じる。

「あの!」
「なあ」

 声がハモって、ライアンは眉を顰め、ガブリエラは目を丸くした。
「何だよ」
「いえあの、ライアンからどうぞ」
「……あー」
 ライアンは、ばりばりと頭を掻いた。そしてそれから数秒、天使が通った、と言われるような時間が過ぎる。

「──飲みに行くか」
「飲みに行きませんか、えっ」
「あ?」

 また声がハモり、思わず、両方共が驚き見開いた目が合った。

「本当ですか! 行きます!」
「あー……、……おう」
 目をきらきらさせるガブリエラから、ライアンはそっと顔を逸らした。
 ──まさか、相手も誘う気だったとは。彼女は誘えば断らない、という虎徹やアントニオの言葉を聞いていたライアンは、彼女に声をかけるのを躊躇いつつ、もしかしたら先に何か約束があって断られるかもと思い、そしてそれを薄っすら期待していたが、見事木っ端微塵に打ち砕かれたようだ。
「……バイクは?」
「置く! 置いていきます! 明日取る、取り、来ます!」
「あっそう……」
「飲むなら乗るな、です!」
 輝くような笑顔で単語喋りになっているガブリエラに、時間稼ぎも失敗したライアンは、遠い目をした。
「あ、ライダースーツ、脱ぎます。バイクではないのに、変」
「そうだな」
「急ぎます! 待っていてください!」
 そう言うと、ガブリエラは走って更衣室に戻っていく。
「……はー」
 ライアンは、大きくため息をついた。
 しかし逃げ場がなくなると、いいかげん腹も決まってくる。今まで避けに避けてきたが、苦手なものを最後に残してぐだぐだするなど自分らしくない。さっさと片付けてスマートにいこう、とやっと覚悟を決めたライアンは、広げた両膝を強く叩き、思い切ってソファから立ち上がった。



「ああ、この店。いいお店ですよね」

 暖かな橙色の間接照明にマホガニーがつやつや光る薄暗い店内を見回して、ガブリエラが言った。
 モノレールとタクシーで移動したふたりがやって来たのは、ブロンズステージの半地下のバーだった。虎徹やアントニオのおすすめであり、バーナビー経由でライアンも知った店だが、ガブリエラも既に知っていたようだ。
「ゴールドではない、意外です。ライアンはいつもゴールドかと思っていました」
「あー、確かにゴールドが多いけどな。住んでるし」
 ライアンは高級店が好きだが、高級店なら何でもいいわけでもない。顔出しヒーローという有名人たるもの、静かに飲みたい時の隠れ家的な店は必要だ。
 そして虎徹が若い時から常連だというこの店は、既に引退済みのヒーローたちの多くも御用達とし、またマスター自身が元ヒーローという、まさにその隠れ家的な店だった。ヒーローの内部事情などもよく知っており、秘密は絶対に守ってくれる。
 今のシュテルンビルトで最も話題なホワイトアンジェラとゴールデンライアン、そのふたりが揃って飲みに行くのに、ぴったりな店だった。

 それに、コイツの今の格好でゴールドはない、と、ライアンはちらりとガブリエラの服を見た。
 先程まで着ていたライダースーツは、一部リーグとなって給料がかなり上がったガブリエラが「奮発しました」と言って特注したものだ。サイズがないので、今まで既製品が買えなかったそうである。
 全体的に黒で、実用を踏まえた機能的なデザインが格好良く、何よりぴったりと体に沿ったサイズの一品は、ライアンから見てもイケている。最近はもっぱらこればかり着ているので、ガブリエラに対して“服がダサい”と思うこともなくなっていた。

 しかしそのライダースーツを脱いだガブリエラは、かつて公園で出会った時のような、ダメージを受けすぎたノーブランドのだぼだぼのジーンズと、よくわからないバンドの、安っぽいTシャツを着ている。
 ライダースーツやトレーニングウェアの時はバレリーナやアスリートのようだった細い体が、この格好のせいで、途端にみすぼらしく見える。ラフなスタイル、といえていたせっかくの珍しい赤毛も、こうなってはただ何年も美容院に行っていないズボラにしか見えない。実際にはゴールドの一流サロンで整えてもらっているというのに、服のせいで残念極まりない有様になっている。

 これだからファッションというものは軽視してはならないのだ、とライアンは密かに眉を寄せた。
 ライアンは元々服が好きでお洒落に気を使う方だが、大柄で鍛えた身体と男らしい顔つきのせいで、下手にキメると途端にゲイっぽくなってしまうことも理解しており、チョイスには非常に気を使う。

「……ジントニック」
「えーと、何か甘いお酒を下さい」
 カウンターに座り、とりあえず、という感じの注文を飛ばすライアンに対し、ガブリエラは割と女性らしい注文をした。どういった系統がいいですか、と穏やかそうなマスターから質問され、短い会話の後、オレンジが縁にあしらわれたカクテルが出される。
「お疲れ様です」
「おう」
 グラスを掲げるだけで打ち鳴らさない乾杯をし、それぞれグラスに口をつける。ジントニックでその店の格がわかる、といわれているらしいが、熟練のマスターが作ったジントニックはひどく飲みやすかった。
 ガブリエラのオレンジのカクテルも飲みやすいのか、一気に3分の1ぐらいが減っている。

「ライアンが誘ってくださるなんて、驚きました。どうしましたか」
「アライグマのオッサンに勧められたんだよ」
「アライ? グマ?」
「あのアイパッチ。虎ってより、アライグマだろ」
 首を傾げていたガブリエラだが、そう言われてすぐに理解したようだ。「ああ、アライグマ。確かに、アライグマ! なるほど」と言いながら、けらけら笑っている。面白かったらしい。
「飲めばわかりあえる、飲みニケーションだー、だとよ。で、今回はいい子になって、オッサン臭いアドバイスを聞いてみたわけだ」
「タイガーらしいですね」
 ガブリエラは、また笑った。確かにタイガーはよく飲みに誘って下さいます、という彼女曰く、アントニオやネイサン、バーナビーも交えて、既に何度か飲みに行っているらしい。
 付き合いのいい女性の後輩が嬉しいんですよ、勘弁してやってくださいね、とバーナビーに言われているそうだ。説教じみた自分語りをする虎徹やアントニオとそれを聞くガブリエラ、呆れているバーナビー、という図が容易に思い浮かび、ライアンは乾いた笑いを浮かべた。

「そういうあんたはどうなんだ。なんで今日声かけた?」
「今日のスケジュールは、知っていましたし。それに、私もネイサンに言われました。とりあえず飲みに誘えと」
「何だ、姐さんもオッサンだな」
「ライアン」
「何だよ」
 ライアンが振り向くと、ガブリエラは生暖かい中途半端な笑顔をして、ゆっくりと首を振った。
「いけません。女神様はウェルダンがお好きです」
 苦手なはずの比喩表現をやけに流暢に口にした彼女に、ライアンの口元が引き攣る。
「……悪かった。今のナシで」
 真顔でライアンが言うと、ガブリエラは「はい、それが賢明です」と、やたら堅苦しい調子で言った。──おどけている様子がないのが恐ろしい。



 それからは、仕事の話をした。
 ヒーロー活動ではなく、主に芸能系統の仕事の話だ。まさか自分が一部リーグになるとは夢にも思っておらず、また有名になりたいという欲が皆無だったガブリエラは、バラエティ番組や雑誌の取材、写真撮影などにどう取り組めばいいのかよくわからないらしい。

「あん? そんなもん、いつもどおり──じゃなかった。楽しめばいいだろ」
「楽しむ?」
「仕事だからこそ、楽しまなきゃやってらんねえさ」
 それは、ライアンの持論でもある。真剣だからこそゲームのように、ゲームであっても真剣に。そういうスタイルだからこそ常に余裕を持つことが出来、物事がスマートに進むのだとライアンは信じているし、実際に確信している。
「楽しむ……、楽しむ、ですか。確かにそれは素敵なことです」
「ただし、俺に迷惑はかけるなよ。最初みたいに」
「それは難しいかもしれません」
「おい」
 ライアンが突っ込むと、ガブリエラはまたけらけらと笑った。
 しかし、多少慣れたのもあったか、諦めが出てきたか、酒の席だというのもあるのか、ライアンもそれほど苛ついたりはしなかった。
「あの時は、とても楽しかった。あなたは、そうでもなかったかもしれませんが」
「……ま、楽しいとはいえなかったけどよ」
 ライアンは、ぼそりと言った。ガブリエラが、振り向く。

「正直、魅せ方としては悪くなかった」

 ガブリエラが、目を見開いたのがわかった。
「あの後、完パケを見た」
 ライアンはグラスの中身を揺らしながら、まるでひとりごとのように続ける。
「確かに、あのライディングは画面で最高に見栄えが良かった。能力発動してモンスターをぶち抜くシーンは震えが来たし、跳ね橋を飛んだ所なんざ──」
「そう! ライアンのスーツの羽根が、とても格好良かった!」
「……おう。最高にキマってたな」
 自信ありげに言うガブリエラに、ライアンも苦笑して頷く。

 空を飛ぶ、芸術的な機能美を誇るチェイサーの、流線形のライン。そこから伸びる黄金の羽根が逆光で輝くあの瞬間。もしこれが映画なら、間違いなくここにタイトルを入れて宣材に採用する。それほどに印象的な画だった。

「……人命救助が足りてる時は、あのスローンズ・モードで現場直行。改めて言うが、いいぜ。あれでいこう」
「本当! ……ですか!」
 予想通り、喜色満面といった様子で、ガブリエラが身を乗り出す。
「おう。チェイサーで走りながら重力発動、あれは確かに効果があるし、何よりイケてる。……俺もスカッとしたしな」
 能力発動時は動けない、というライアンの能力の弱点を見事に覆し、更に視聴者にもライアン本人にも爽快感を覚えさせる疾走は、悪く無いどころか控えめに言っても最高だった、とライアンもいいかげん認めている。
 そして、たとえ自分があのチェイサーを借りてひとりで運転してもあの爽快感は得られないということも、ライアンは確信していた。他では決して得られないだろう、あのまさに突き抜けるような感覚は、彼女のライディングあってこそのものなのだ。──言わないが。

「嬉しい! です、ライアン! 私、私は頑張ります!」
「──ただし! あのライディングは、考え直す点が山程あるからな!」
 ライアンは、力いっぱい強調して言った。
 ガブリエラの運転技術が素晴らしいものであることはもういい加減認めざるをえないが、あの時の走りはどう考えても要らない無茶が山程盛り込まれていた。実際に彼女に跨り、あのひどいロデオを経験した自分だからこそよく理解している、とライアンは主張する。
「あのフェンスの上を走るのとか、絶対いらねえだろ! ただの曲芸じゃねーか!」
「ええ〜。まあ、そうですが。ええと、見栄えがするかと思って」
「確かにな! でも技の博覧会じゃねえんだぞ。魅せ方を考えろ、魅せ方を」
「と、いうと?」
 ガブリエラが、首を傾げた。

「次から次に技を出すのもいいけどな、視聴者ってのは慣れやすいし、飽きっぽいんだ。キメ技を考えろ。見栄えがする技は、ここぞという時、必要な時にだけ出せ。そのほうがむしろ目立つしキマるし、ネタ切れにもなりにくい。あとヒーロー活動は、あくまで人命救助と犯人確保が目的だ。エンタメ演出はやり過ぎ厳禁! 不謹慎だってアンチが湧く」
「な、なるほど。さすがアドバイザーです」
 非常に納得した様子で、ガブリエラは何度か頷いた。
「確かに、その通りです。あの時はとにかく目立たなければと思って、できるだけいろいろなことをやってしまいました……」
「次からは見せ場を絞れ。俺も合図する」
「わかりました!」
 目を煌めかせて頷くガブリエラに、ライアンもまた「よし」と頷きつつも、カウンターの下で、密かにガッツポーズを取った。

 今言ったことは事実であるが、単に、あのどんな絶叫マシンも揺りかごに思えるようなロデオを毎回繰り返されてはライアンの身が保たない、というのもある。
 だが、ここぞと自分で合図をした時にだけということなら、なんとかやっていけるだろう。カメラの前での魅せ方を熟知している己ならば、それを最高に魅力的に演出することが出来るはずだと、ライアンは確信していた。

 それからふたりは話しあい、ああやってはどうだ、こうしてはどうだと意見を出し合った。
 お互いに何が出来るのか、何が得意なのかがわかれば、アイデアもより良いものが浮かんでくる。いくつかの案をメモに取った“アスクレピオスホールディングスヒーロー事業部アドバイザー”ライアン・ゴールドスミスは、「よし、今度の会議に出そう」と頷き、メモをポケットに仕舞った。

「ああ、話せて良かったです。とても、ゆう……ゆう……」
「有意義」
「そう、有意義。ライアンも、そう思いましたか?」
「……まあな」
 オッサンのアドバイスというのもなかなか侮れないな、と思いつつ、ライアンはグラスに口をつける。

 ジントニックはとっくに飲み終わり、今は3杯目のウィスキーを飲んでいる。
 ライアンは食べる量もかなり多いが、酒にも強い。内蔵が強いのだろう、と医者にすら言われているお墨付きだ。おかげでどんな相手に付き合ってどれだけ飲んだとしても、酒に失敗したことはない。
 ちなみにガブリエラは、先程から甘ったるそうなカクテルばかり飲んでいる。もしかして酒には弱いのだろうかと思ったが、この枝のような身体が酔い潰れて動けなくなったところで担いで帰るのは簡単だ、とライアンは判断し、ガブリエラのペースに合わせて適当に飲むことにした。
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BY 餡子郎
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