#020
「もう、何なのアレ! 感じ悪い!」
「やっぱり変だよねえ、ライアンさん。なんでギャビーにはあんなキツいんだろ」
ぷんすかと怒るカリーナと、怪訝そうな顔をするパオリン。とはいえ、当の本人ときたら、相変わらずにこにこしながらビールを飲んでいるだけなのだが。
ちなみに、虎徹はさすがに居心地が悪くなったらしく、さっさとアントニオの所に戻っている。
「ねえ天使ちゃん」
「はい、何ですか女神様」
そう言って、ガブリエラは微笑んだ。先程まで料理の数々に興奮しきっていたが、少し落ち着いてきたらしい。おぼつかない言葉遣いで、それでもユーモアを忘れない彼女にネイサンは改めて好ましい物を感じる。
ガブリエラは、人当たりがいい。物腰は柔らかく、約束事は必ず守り、仕事と名のつくものには非常に真面目だ。怒った所を誰も見たことがない、とも聞いたことがある。
誰の悪口も言わず、逆に褒めるときはオーバーなほど、だが本気で褒める。変にかわいこぶらず、汚れ仕事でも平気で、しかも全力でやるのがむしろ好感度を高めている。
そしてそれは、ライアンも同じであるはずだった。誰にでも平等に接し、相手の嫌がること、喜ぶことを正確に把握し、しかしわざとらしくなくスマートに接する高いコミュニケーション能力の持ち主。それがライアン・ゴールドスミス、そのはずだ。
「王子様ってば、いつもあなたにはああなの?」
「はい、だいたいああです」
「ひどい!」
カリーナが再度憤った。しかしネイサンはあえてそれはスルーし、続ける。
「でもあなた、全然堪えた様子じゃないわよね」
「うーん。いらいらさせてしまって申し訳ない、とは思いますが」
「……が?」
「怒ったライアンは、格好良くないですか?」
まさかの返答に、質問したネイサン、顔を顰めていたはずのカリーナ、そして料理の残りをかき集めていたパオリンも驚きに目を見張り、無言になって彼女を見た。
「……天使ちゃん」
「はい、何でしょう」
「率直に聞くけど、あなたライアンのこと好きなの?」
「好きですよ」
あっさり、そしてきっぱり、ガブリエラは言った。
「えーと……。それは、恋愛的な意味で?」
「恋愛的? ──ああ」
ガブリエラはきょとんとした顔をしてから、なぜか感心したような様子で、何度か頷いた。
「それは、考えたことがありませんでした」
「考えてみたら?」
「うーん」
首をひねる。中途半端な長さに伸びてきた赤い髪が、白い頬にかかった。
「恋愛。……うーん、わかりません」
「アラ、恋をしたことはない?」
「ありません」
ガブリエラは、ふるふると首を振った。
「ですので、私は処女です」
「ぶふっ」
カリーナが、ジュースを噴いた。パオリンはすぐに意味がわからなかったらしくぽかんとしていたが、しかし顔を真っ赤にして咳き込むカリーナを前に脳のボキャブラリーが作動しはじめ、だんだんとつられて顔を赤くした。
「……もう、ヤダ! そういうこと言わないでよ、ギャビー!」
「えっ、しかし、そういうことではないのですか?」
「違うでしょ!」
「違うのですか?」
「違うわ! 断じて!」
「そうなのですか。勉強になります」
何やら必死なカリーナに、ガブリエラは淡々と、そしてくそ真面目に頷いている。
「……恋愛に興味がなかった割に、そういう事にはオープンなわけ?」
「私の故郷は、何もないところだったので」
つまりそれしか娯楽がない、ということだろう。田舎にありがちなことだが、皆まで言うな、とネイサンはやんわりとガブリエラのそれ以上の発言を抑えた。
「下品だったのですね。すみません。もう言いません」
「まあ、いいけど。じゃあ質問を変えるわね。ライアンのことは、どう思ってるの?」
ファンだというのは聞いたけど、と、ネイサンは優しく、穏やかに尋ねた。するとガブリエラは「うーん」と再度首をひねり、考え、やがて言った。
「きらきらしている……、と、思います」
「きらきら?」
「はい。そしてものすごくいいにおいがします」
ガブリエラは、頷いた。
「私は、その人がどういう人か、最初にだいたいわかります。その、においで」
「におい?」
「いい人は、いいにおいがします。おかしい人はすぐわかります。普通の人は、うーん、そのままのにおいです」
「へえ……?」
「ネイサンも、とてもいいにおいがします。とても安心するにおいです」
「あ、それはわかるわ。すっごく上品で高級感があるんだけど、でも優しい感じの香りがするのよね、ファイヤーエンブレムって」
「ボクもわかるよ! きれいでほっとするにおいだよね」
少女ふたりが笑顔で同意し、「おおそうですか、わかりますか」とガブリエラもにこにこした。
「あ、あらそう。それは良かったわ」
生まれつきの身体的特徴ゆえ、最近年齢と性別によるあまり快くないにおいが寝起きの枕などから漂うことを自覚しており若い時以上に非常に気を使っているネイサンは、彼女たちのコメントに少々照れながらも、おおいに安心した。
「でもそれって、香水のセンスが良い人が好みってだけじゃないの?」
「いいえ、そういうわけではありません。とてもすてきな香水の香りがしても、最悪の“におい”の人はいます。逆に、あまりお風呂に入っていなさそうな感じの不快な体臭でも、いい人だとわかるにおいはします」
「……アタシにはよくわからないけど、独特な感覚なのね?」
本当にうまく説明できていないガブリエラの発言に、ネイサンは得意の、そういうものなのだという丸ごと受け止める捉え方をすることにした。
「はい、私もうまく説明できません。すみません。しかし、あまり外れたことはありません。私が、少しだけ自信があること。ですので私は今までひどいめにあったりしていませんし、シュテルンビルトに来てからも、良い人とばかり付き合えました」
言葉だけ聞けば、趣味は人間観察、などと抜かす類の上から目線な戯言だと思うが、どこか浮世離れしたような雰囲気を持ち、そして何よりローティーンの少女時代になんとヒッチハイクでシュテルンビルトにやってきて、そして未だ処女であるというガブリエラのそれは、なかなかの信憑性があった。
におい、とガブリエラは表現しているが、実際の嗅覚が感じるそのものに加えて雰囲気、またそれをガブリエラが個人的に快く思うかそうでないかというところだろうか、とネイサンはぼんやり推測する。
「ライアンのにおいは、本当に、とてもいいにおいなのです」
そう言ったガブリエラの表情はまさに、うっとり、という形容詞がよく似合うものだった。先程からさり気なく片手の数では足りないほどのビールを飲んでいるのに全く酔いの感じられない白い顔にほんのりと熱の色が差し、灰色の目も潤んでいる。
「私は、会えばその人がどういう人か、大体わかります。しかしライアンは、わかりません」
ガブリエラは、ゆっくり、慎重な様子で言った。
「いえ、違いますね。色々とわかるのですが、わかりすぎて、わかりません」
「……どういうこと?」
ネイサンが促す。ガブリエラはどこか遠くを見るような、何かを思い出しているような、うっとりしているような様子のまま続けた。
「俺様なのは作ってもいますが、素でもあります。なぜなら、そうできる自信があるから。とても格好いいことです。優しい人でもあります。頑固で、強い信念もあります。物知りで、頭も良い。いつも髪がきまっていて、おしゃれな人。背が高くて、横顔がとても綺麗。しかし子供っぽいところもありますね。くだらないジョークで大笑いするところ、見たことがあります。とてもキュートで素敵でした」
話すうちに、ガブリエラの表情に、笑みが浮かぶ。とても美しい笑みだ、とネイサンは思った。
「彼はいつもきらきらしていて、そしてものすごくいいにおいがして、こう、ぼーっと……」
「確かに彼は見た目がいいしセンスのいい香水も使ってるけど、そういうことだけの話じゃないのよね?」
「はい、そういうことだけではないのです」
ガブリエラは、大きくうなずいた。
「こうやって、彼のにおいやきらきらにぼんやりしたり興奮したりしているうちに、彼を怒らせてしまいます。しかし怒ったところも格好良くて、困りますね」
「まあ。それは──」
ネイサンは、確信を持って言った。
「──それは、恋よ。天使ちゃん」
「恋?」
ガブリエラは首を傾げたが、ネイサンは深く頷き、カリーナもまた、こくこくと興奮気味に頷いている。パオリンでさえ、顔を紅潮させたまま、否定せずに黙っていた。
「恋……」
ガブリエラは目を丸くして、胸の真ん中あたりを押さえた。
「ええと、……ファンである、のではなく?」
「それもあるでしょうけど。元々似た感情だしね」
「どう違いますか?」
「難しい質問ね。でもそうね、あなたがこれからライアンとどうなりたいか、というところで変わってくるんじゃないかしら」
「どうなりたいか……?」
ぴんとこない、という様子のガブリエラに、ネイサンは「んん」と小さく喉を鳴らし、短く思案してから彼女に向き直った。
「具体的に言うと、そうね。あなたアタシのファンよね」
「大ファンです! 女神様です!」
「ありがと」
目をきらきらさせ、力いっぱい肯定したガブリエラの頭を、ネイサンは良い子の犬を褒めるように撫でた。
「そんなアタシに新しく恋人ができたら、どう思う?」
「素敵です! 応援します! ネイサンの恋人ならきっと素敵な人です!」
「うふふ。……じゃあ、ライアンに恋人ができたら? どう思う?」
「えっ」
ガブリエラは灰色の目を丸くしたまま、ぴたりと固まった。
それは、ガブリエラが考えたこともないことだった。今までただ彼が好きで、きらきらしたその姿をずっと見ていたい、側にいたい、彼の役に立ちたいと夢中になっていただけ。
しかしその姿の隣に誰か知らない人がいるかもしれない、と考えた時、ガブリエラは、ひどくつらい気持ちになった。
「素敵だって応援できる?」
「……できません。……痛い」
「痛い?」
「胸が痛い。実際に。とても痛くて……」
「じゃあ恋だわ。正真正銘」
あとライアンに恋人は今いないって聞いてるから安心しなさい、とネイサンが言うと、悲痛な顔になっていたガブリエラは、ほっと肩の力を抜いた。
「……そうですか。恋。恋とは……つまり、愛することですか?」
「人によって違うかもしれないけど、アタシはそう思うわ。強いて言えば、特別に愛すること、かしら」
「そうですか。……なるほど、恋。これが」
ガブリエラは、何かをゆっくり飲み込むように俯き、自分の胸の中心に手を置いた。
「理解しました。私は恋をしています。そして彼を特別に愛しています」
例によって教科書の例文のように言ったガブリエラであるが、湾曲表現の欠片もないストレートな言葉であるだけに、非常に重たく聞こえた。
「……そっか。ギャビーはライアンが好きなのね。恋愛的な意味で」
「そのようです」
あっけないほどに素直に返してきたガブリエラに、カリーナは、少し羨ましい気持ちを抱いた。
「ということはつまり、カリーナもタイガーが好きですね?」
「なっ、なななな、なに、な、何を言うのよ」
「カリーナはタイガーを見る時、きらきらしたものを見る目をします。近くにいるときは、とてもいいにおいを嗅いだ時のような顔もします」
「に、においなんか嗅いでないわ!」
真っ赤になったカリーナに、ネイサンが生暖かい顔をした。
「それに、彼が私にシンパシーを感じると言った時、とても痛そうな感じでした」
「う……」
「あと、パオリンも、おそらく、折紙さん、好きですね?」
「うええう!?」
苦手な話題から逃れるべく珍しくじっと黙っていたのにお鉢が回ってきて、パオリンは珍妙な声を上げて肩を竦ませた。「えっ、そうなの!?」と、カリーナが驚いた声を出す。
「時々、格好いいなあ、という感じで見ていましたし──」
「ちょっとだけだよ! そんなに何回もじゃないしにおいだって嗅いでない!」
「……パオリン、白状してるわよ」
「あう……!」
先回りをしようとしてまんまと墓穴を掘ったことをカリーナから告げられ、パオリンは顔を真っ赤にし、自分の膝に突っ伏した。
「……本当に観察眼があるのね」
ネイサンが、感心した顔をした。すっとぼけたような娘だが、本当に人を見る目、いや嗅ぎ分ける鼻があるらしい。わかりやすいカリーナはともかく、パオリンのほうはネイサンもそこまで気づかなかった。
「……なるほど」
顔を真っ赤にして慌てふためいているカリーナとパオリンとは対象的に、ガブリエラは何やらとても納得したような顔をして、何度か頷いた。
「もしかして、私もカリーナやパオリンのような顔をしていましたか?」
「そうね」
ネイサンが、頷いた。
「そうですか。うーん、それは、少し恥ずかしい」
「恥ずかしいって何よ!」
きい、とカリーナが喚くと、ガブリエラは困った顔をした。
「うーん、なぜならふたりはとても可愛いのであのような顔はとても可愛いですが、私がやると、うーん。また、ライアンを怒らせるような気がします。……それで怒られるのは、少し、とても、つらい」
「そんなことあるもんですか。大丈夫よ」
ネイサンが、堂々と言う。ガブリエラが、頼りない顔を上げた。
「そうでしょうか」
「恋する乙女は、誰だって最高に可愛くて美しいものよ」
「私は乙女に入りますか?」
「もちろんよ」
そうですか、女神様がおっしゃるなら安心です、と、ガブリエラは照れくさそうな笑みを浮かべた。
「カリーナ、安心してください」
「な、何が?」
「私はライアンが好きです。タイガーは、尊敬する先輩です。経歴が似ているので正直私もシンパシーを感じますが、ライアンに対する好きとは違います。まったく」
「……うん」
「アラ、今日は素直ね」
ネイサンが茶化したが、カリーナは「だって」と目を逸らした。
「ギャビーがあんまり素直だから、馬鹿馬鹿しくなってきちゃって」
「……確かに」
「まあ、それはあるかもね」
頷くパオリンとネイサンに対し、ガブリエラは、不思議そうに首を傾げている。
「好きな人に好きと言うのは、素直ですか? 私はネイサンとカリーナとパオリンのことも、とても好きです」
「……ありがと。私も好きよ」
「ボクもー!」
「んもう、天使ちゃんなんだから。愛してるわっ」
むちゅう、と頬に女神からの熱烈なキスを受けて、ガブリエラは笑みを浮かべた。
その後、デザートにカリーナが作ってきたプリンを食べると、歓迎会はそろそろお開きのムードになってきた。
プリンに感動したガブリエラはまた単語を連発して喜び、カリーナは「喜びすぎじゃない?」と言いつつも、今度はクッキーでも作ってきてあげよう、と思った。
こうして何より手料理を喜ぶとわかったガブリエラには、皆がしばしば何か作ってきては差し入れをするようになっていくのだが、それはまた別の話である。
「むっ、こんな時間だね。私はそろそろお暇しよう」
残念だ。とても残念だが! と本当に残念そうに言って、キースが立ち上がる。
「ジョンに食事をやらなければ」
「ジョン?」
「私の家族だよ!」
満面の笑みで、キースは端末から写真データを呼び出し、ガブリエラに見せた。そこにはキースそっくりの、顔中に広がるような笑顔をした、金色のゴールデンレトリバーが写っている。
「ワォ、とてもキュート。綺麗な毛並みです」
写真を見て、ガブリエラも笑みを浮かべる。
「アンジェラ君は、動物が好きかな?」
「はい、動物は好きです」
その時、カリーナがひそかに「よつあし……山羊……」と呟いたが、それを聞いている者は誰もいなかった。
「実は、私は犬に触ったことがないのです」
「そうなのかい?」
「はい。犬をデザインしたヒーロースーツを着ているのに……」
そう言ったアンジェラに、「俺も虎触ったことねえけど」とまだしつこくビールを飲んでいる虎徹が呟いた。
「では、今度ぜひうちのジョンに会ってやってくれたまえ!」
「いいのですか」
もちろんだとも! と、キースは彼一流の、両手を上げるポーズを取った。
「楽しみにしています。スカイハイ、今日は本当にどうもありがとう」
「どういたしまして。これからもよろしくだ、アンジェラ君!」
「はい、こちらこそよろしくお願い致します」
「……じゃ、俺も帰る」
のっそりと、ライアンがソファから立ち上がる。
「あれ、ライアン、泊まっていくんじゃなかったんですか」
「俺もモリィに餌やんなきゃな」
「おや、ゴールデン君もペットを飼っているのかい?」
キースが目を輝かせる。この顔ぶれの中、キース以外で現在ペットを飼っている者はいないので、興味津々である様子だった。
「モリィは犬? 猫かな?」
「イグアナ」
「イグアナ!」
まさかの爬虫類に、皆が軽く驚く。「イグアナってどれぐらいだっけ?」とジェスチャーで大きさを尋ねたパオリンに「尻尾込みで180センチぐらい」と返したライアンに、爬虫類が苦手なカリーナなど、つい仰け反りそうになった。
「そんなに大きいんですか」
へえ、と声を漏らしたのは、バーナビーである。
「何食べるんです?」
「野菜とか果物とか、花とか。意外と愛嬌があるんだぜ? おとなしいし」
そう言ったライアンの表情は完全に親ばかのそれだったが、バーナビーは特に驚かなかった。
バーナビーは爬虫類と触れ合ったことはないが、知識の範囲として、特別な手間が必要なペットであることは知っている。そこらじゅうを飛び回るような生活スタイルを送っておきながらそんなペットを選べるぐらいには、やはり、この男は面倒見がいいのだ。
──なのに、なぜ彼はガブリエラを持て余しているのだろう。
「やあ、今日はとても楽しかった!」
夜道で、キースは非常に上機嫌で言った。
振り上げた手には、洒落た小さな紙袋がある。バーナビーが帰り際に渡した、彼が作ったパウンドケーキだ。亡きマダム・サマンサの味を再現するべく、時々彼女のレシピにチャレンジしているらしい。
ライアンも、ラム酒を多めに使ったというものを貰った。あのプライドの高いバーナビーが自信満々な顔で寄越してきたということはそれなりに期待していい味なのだろう、とライアンは予想している。
特別だとまるごと1本もらったガブリエラは、「大事に食べます!」と満面の笑みになっていた。
ちなみに、ライアンたちが出て行く頃には酔いつぶれて寝ていた虎徹とアントニオ、バーナビーとともに中年ふたりを世話していたイワン、そして3人娘は、あのまま泊まっていくようだ。ネイサンは「娘たちを寝かしつけたら帰るわ」と、まるで母親のようなことを母親そのものの表情で言っていた。
「君はゴールドステージかな?」
「おう」
「そうかい。私の住まいはシルバーだから、モノレールでお別れだね」
キースの指差す先には、ステージ移動のための、懸垂式のモノレール・ステーションがあった。無人のリモート操縦のため随分遅くまで動いているそれは、おそらく今の時間帯、自宅に帰る途中のいい感じに酔っ払った人々でいっぱいになっているだろう。
「アンジェラ君とは、仲良くやっていけそうかい?」
「あー……。まあ、ぼちぼち」
ライアンは、曖昧な返事をした。
「そうかい」
キースは、鷹揚に頷いた。
「しかし何か迷っているのなら、早めに話をすることだよ」
「は?」
「自分がどう思っているのか。相手がどう思っているのか」
まだオリオン座の姿のない空を見上げながら、キースは言った。
「早めに聞いておいたほうがいい。いつ相手がいなくなるか、わからないのだから」
フラットな、しかし遠くを吹く風のような声に、ライアンは目を見開く。
「……結構怖い事言うね、あんた」
「そうかい? ただの事実だよ」
残酷なほどあっさり言うキースに、ライアンは彼への評価を改めた。
その純真すぎるほどの天然ぶりから時折頭が足りていないのではと思うようなこともあるが、それは全くもって見当違いな印象だと、ライアンは正しく理解する。
「私もそれなりにいい年だからね。悲しいことや恐ろしいことも、それなりに知っているつもりさ」
振り向いて言ったキースの目は、深い青色だった。
彼が時折天使とも呼ばれることは、ライアンも知っている。
風を操り空を舞うことのできる能力と、KOHであり続けるその実力、善良さの塊のような人間性から、誰もが納得できる渾名である。自主的に毎日欠かさずパトロールを行うという習慣が、その代表的なものだろう。スカイハイという天使が見守る街シュテルンビルト、というキャッチコピーが打たれたこともある。
(──でもこのヒトには別に、フツーなんだよなあ)
キース・グッドマン。ヒーロー生誕の地であるここシュテルンビルトで、長らくキング・オブ・ヒーローの座にあり、今も最もそれに近いとされているスーパーヒーロー、空の魔術師・スカイハイ。
誠実、純真、純朴、あまりに天然。そして私生活の全てですらヒーローそのものである彼のことを、ライアンも嫌いではない。時々呆れもするが、彼がいつでも本気であることはすぐに理解できたし、それを馬鹿にするほどライアンは愚かではない。むしろ、確固たる信念を持ってKOHで在り続ける彼を、同じヒーローとしてリスペクトする気持ちもおおいにある。
今まであまり話したことがないのは確かだが、単にきっかけがないだけだ。KOHである彼の考え方に興味はあるし、ペット仲間であることが判明したので、そのうち話題も増えていくかもしれないと思うし、それを楽しみにしてもいる。
──しかし、同じ天使でも。
そうこうしているうちに、駅に着く。
キースと別れたライアンは、自分の部屋に戻るべく歩き出した。急いではいない。──なぜならモリィのケージには、いつでも好きな時に食べられるよう、毎日新鮮な野菜を用意してあるのだから。