#190
 果てのない暗闇。

 その中をただ流れ行くこともまた果てしなく、実際に今、こうなってからどれほどの時間が経っているのかもわからない。仲間たちは途中で霧散したものもあったが、しかしまだ多くが残っている。
 よって心細くはないが、皆不安ではある。この旅はいつ終わることができるのか。

 ──自分たちの星は、一体どこにあるのか。

 そして、時間さえ見失いそうな旅路の果てに出会った引力に、自分たちはひどく惹かれた。
 導かれた、と思ったのだ。

 この果てのない暗闇の中でやっと見つけた、たったひとつの青い輝きに。










「ライアン、ライアン、起きてください。ライアン!」

 肩を揺さぶられて、ライアンはハッと意識を覚醒させ、気を失っていたことを自覚した。
(夢……)
 ──何の? と曖昧な自問自答を脳内に巡らせながら、ゆっくりと身体を起こす。まず視界に入るのは、自らが装着している金と濃青のヒーロースーツ。顔を上げれば、同じように白と薄青、薄金色のヒーロースーツのアンジェラがどこかほっとしたような様子でこちらを覗き込んでいた。
「ライアン、怪我はしていませんか?」
「オールグリーン。お前は?」
「私も大丈夫です。異常なしです」
 マニュアル行動としてまずは自分たちの体に異常がないかをお互い確認した後は、周囲の確認だ。ライアンとともに立ち上がったアンジェラが、キョロキョロとあたりを見回す。

「ここは……どこですか?」
「さあな。スゲー大自然だけど」

 ライアンもまた周囲を見渡し、観察する。
 地面は土。ということは、墜落したということになる。しかしそれにしては傷が少ないし、シャイニングスターの破片と思しきものも見当たらない。あるのはまるで文化的なものが感じられない、濃厚な緑ばかりだ。しかも亜熱帯系の気候の場所らしくじめじめと蒸し暑く、シダ系植物の姿が目立つ。

「人の気配ゼロだな。通信も……ダメか」
 ヒーロースーツを操作してみるが、すべてのツールがルシフェルにジャックされたときのままで、うんともすんとも反応しない。相変わらずマップ機能も全滅。ネットにも繋がらず、時間すらわからなかった。
「私も、見たことのない植物ばかりです。生き物も。ほら」
「うわデッカッ、キモッ!」
 アンジェラが指で示したのは、近くの岩の上にとまっている、人の顔より大きいトンボのような昆虫だった。毒針などはなさそうであるしあったとしてもヒーロースーツにより大抵は問題ないだろうが、巨大なだけにびっしりと生えた繊毛までよく分かる節足や長い胴体、よく見るとぎちぎちと細かく動いている口元や巨大な複眼は、苦手な者なら盛大に悲鳴を上げるだろうインパクトがある。
「えっ、ていうかこれ……このトンボって……」
 岩に張り付いている巨大なトンボを、ライアンがじっと見る。
「ええ……? いや、でもなあ……」とトンボを見ながらぶつぶつ呟いているライアンに首を傾げていたアンジェラは、手持ち無沙汰に周囲を見渡す。なにか有用なものはないかと目で探していた彼女は、ふと落ちてきた影に顔を上げた。

「なあ、もしかしたらなんだけど──、……おい、どうした?」
「……ライアン」
「え? なに?」
「ライアン、……ライアン、あれは、なんですか」
 アンジェラはぽっかりと丸く口を開け、呆然と上を見ていた。メットで見えないが、その下の目もまたまん丸く見開かれている。
 そんな反応の彼女と、気のせいでなければ先程まではなかった大きな影に、ライアンは嫌な予感とともに恐る恐る振り向く。そしてそのままヒーロースーツのマスクの下で、ライアンは彼女と全く同じ表情をするはめになった。

 茂みからぬっと姿を表していた、巨大な顔。──顔である。そして続くのは、長い首。
 めきめき、ばきばきと音を立てて木々をなぎ倒しながら茂みから出てきたそれは、独特の虹彩をした目でちらりとふたりの方を見た。しかし興味がないのかそれとも警戒しているのか、そのまままっすぐふたりの目の前を横切り、その先の茂みをまたバキバキと踏み倒しながら進んでいった。

「……ウソだろ」

 ライアンは、呆然とそう言った。
 茂みに入っていった巨体は、巨体すぎてまだまだ茂みから頭がはみ出している。それはそうだろう。ライアンの記憶が確かなら、あれの体長は約21メートルから26メートルに及び、大型草食性恐竜の中でも最も大きい。
「……ライアン、恐竜は絶滅したとおっしゃっていませんでしたか?」
「……だって教科書にも……図鑑にもそう載ってるし……」
 ライアンはショックが抜けないまま呆然とそう答え、アンジェラは「なんと……」と小さく呟いた。
 アパトサウルス、あるいはブロントサウルスと呼ばれる恐竜は、約1億5000万年前くらいまで生息していたと言われているはずである。だがいま目の前で茂みを探検しているのは、確かに生きた首長竜だった。



 混乱しながらも、ふたりはここがどこなのかを把握するために、道なき道を歩き始めた。
 幸いにもさほど歩かず森を抜けることができ、たどり着いたのは、地平線が見える荒野。しかし相変わらず人工物らしきものは何もなく、あるのは巨大な岩石群や、やはりどこか原始的な植物、そしていくつかの種類の巨大な恐竜たちだけであった。
 できる限り高いところに登ってヒーロースーツについているあらゆる通信を試してみたが、やはり全く反応はない。というより、接続の可能不可能を無視して手当たりしだいにサーチをかけてみても、無線通信網はひとつも見つからなかった。各エリアが無数の人工衛星を飛ばし、基地局や電波塔を建て、どんな僻地でも個人でアンテナを立てている現代において、これはまったくもってあり得ないことであった。

「どういうことだ……?」

 呆然と呟く。が、思考を止めることはしない。
 それはライアン・ゴールドスミスという男が持つ資質であり、これまで生きてきた中で磨いてきた癖であり、そして単にこの常軌を逸した事象における最大限の警戒が為せる行動でもあった。
(幻覚か?)
 まず当然、それを疑う。シャイニングスターに亀裂が走って崩れていくあの光景も、今思えばどこか嘘くさいというか、イメージ映像のような趣があった。ネフィリムの能力やライアンに暗示をかけたあの能力も含め、ルシフェルは複数の能力を持っている。そのひとつによってリアルな幻覚を見ている可能性が最も高い、とライアンは分析する。
 しかしそもそも幻覚というものは幻だと思わせないからこそ厄介なものなのであり、幻覚なのだと自覚をすれば覚めるのがほとんどである。ジョニー・ウォンの能力もその類で、実際に自分の内面の幻想世界を自覚し受け入れ、現実と向かい合うことで覚醒することができる。
 だが、こうして立っている地面や岩や植物、そして恐竜や虫などの動物の圧倒的な存在感。温度、光、においや触感、口を開けたときに舌に感じる空気の味など、現実のものとしか思えない生々しい感覚は、幻覚だと簡単に断じるには重すぎた。
 それにライアンは、先程まで何か夢を見ていた。幻覚の中で、更に夢を見るなどということがあるのだろうか?

「……タイムスリップ、とかじゃ、ねえ、よな……」

 正直なところ考えたくないことだったが、精神衛生を保つための現実逃避を行うにはまだ早いと踏み切ったライアンはあえて口に出し、その可能性を候補に入れた。
 かつてSSレベルの能力者として監視対象となり、それを解消すべく活動したライアンはその経験から世の中にどんなNEXT能力者が存在しているのかという知識に詳しい方だが、実際に時間に干渉する能力者は存在する。とはいえライアンが知っている、そして国際NEXTデータベースに記録されているそれはせいぜい数秒程度を巻き戻せるくらいのもので、しかも時間を戻せるのは自らのみというものだった。また研究によれば、時間干渉の能力者は、あくまで自分が体験した時間にしか干渉できない、とされている。
 ならば少なくとも約1億5000万年前にあたるこの光景は、幻覚、ということになる。

 ──だが、ルシフェルが本当に宇宙人で、遥か昔にこの星に飛来してきた存在なのだとすれば?

 ぐらり、と足元が揺らぐような、扉も窓もない密室に閉じ込められたような、目の前が真っ暗になるような心地。
 沢山の人がいる場所が恋しい。自分の知っている、馴染み深い、言葉を交わせる、同じ生き物がひしめく星に帰りたい。
 先程現れた恐竜の、独特の虹彩。全く意思の疎通ができないことがわかる無機質な目に感じるのは、はっきりと絶望だ。巨体に対してほんの小さな脳しか持たない原始生物がひしめく、生まれて間もない若い星。ここに、自分と同じ者はいない。わかりあえる存在などいない。ああ、やっとあの暗闇の果てに輝く星を見つけたと思ったのに、今度は仲間すら失ってしまったというのか。たったひとりになってしまったのか。この星に文明が栄えるのは、約1億5000万年後。それまで自分は──

「ライアン! 鳥がいます!」

 深く沈みかけていた思考を引き戻したのは、聞き慣れた高い声。
 ハッとしたライアンが視線を向けると、アンジェラが割と近くの岩に止まっている大きな鳥を指差していた。
「見たことのない鳥です」
「……あー。始祖鳥、ってうやつ? 多分」
 恐竜と比べると見慣れたフォルムの生き物に安堵を覚えるが、口を開けた時、嘴の中にずらりと並んだ歯が見えて、ライアンは遠い目をした。
「鳥は鳥ですよね。とりあえず食べられるものがあってよかったですね」
「お前あれ食う気なの!?」
 明るく言った彼女に、ライアンは思わずひっくり返った声を出した。しかし彼女は「食べなければ死ぬではないですか」と当然ともいうべき様子で返す。
「なんだかよくわかりませんが、まず生きなければいけません。植物や虫は知識がないと毒があったりして危ないですが、鳥なら大丈夫です。卵が見つけられたらもっといいですね」
 人がいないところの鳥は変なものを食べていないので結構美味しいですよ、と続ける彼女のさすがの逞しさに、ライアンは言葉を失った。
「あとはとにかく水ですね。なるべく流れている水か、雨が降ればいいのですが。しかしこれだけ生き物がいて、森があるなら必ず水がありますので大丈夫ですよ」
「おう……」
「それにヒーロースーツを着ていますし」
 確かに、それは最大の僥倖だった。ゴールデンライアンとホワイトアンジェラのヒーロースーツは斎藤が開発したT&Bのヒーロースーツに端を発したコンピューター制御のものであり、防弾、防塵、防水はもちろんのこと、外気の暑さ寒さに対応した空調機能、通信が生きている時は本部にデータを送れるように体温や脈拍・血圧などの測定機能までついているのだ。そして、長丁場の事件にも対応できるように光源をエネルギー変換できるタイプであるため、ほぼ半永久的に稼働できる。
 更にサポート特化ヒーローであるホワイトアンジェラのヒーロースーツは、いざという時に市民に対して使えるように、救急キットも付属されていた。その中には、小さな刃物やライターなども含まれている。もちろん、カロリー錠剤やカロリーバーも。
「私の能力もありますので、だいたいのことは安心です! ではどうしましょうか」
 どうしましょうかと聞かれて、ライアンは虚を突かれた気分になった。そして、ああそうだ、と思う。

 ここには他に誰もいないが、彼女がいるではないか。
 能天気かつ果てしなく前向きなメンタルの持ち主で、物事を深く考えないが同時に細かいことも気にしない。頭は悪いが生き残るガッツとバイタリティには誰より優れ、そして何より最もライアン・ゴールドスミスを愛し、それを第一に行動する恋人が、こうして傍らに立っている。

「……おう。ああ、……じゃあまず、ライフラインは任せるぜ」
「おまかせあれ!」
 命令を与えられた犬そのものの様子で、アンジェラが胸を張る。やる気に満ち溢れているその姿に、ライアンは口の端に笑みを浮かべた。
 そうだ、絶望している暇もなければ意味もない、とライアンは気を取り直す。あまりにも常軌を逸した状況なのは確かだが、まずは目的を決め、そしてできる限り具体的に行動すべきである。そして、自分たちにはそれができるだけの力があるはずだ、と。
 さらにライアンは、この場所がルシフェルの能力による幻の可能性、あるいは前人未到のタイムスリップである可能性を、噛んで砕いて説明した。
 SF知識が殆どない彼女に理解させるために子供でもわかる易しい言葉を使って説明したライアンは、つい先程自分ひとりで同じことを考えていた時とは比べ物にならないぐらい心が落ち着いている、いやむしろ彼女に話すことで頭がクリアに整理されていくことを自覚する。

「最終目標はもちろん、事件を解決して、家に帰ることだな。……もー今回マジで大変だし、がっつり休暇取ろうぜ」
「それはとても賛成です。家に帰って、今度こそたくさんキスしましょうね! 誰にも邪魔されずに!」
「ははは、おう」
 今度こそはっきりと発した笑いに、気持ちも上向く。
「そのためには……やっぱルシフェルを探さねえとな」
「むう。さきほどぼろぼろに崩れたのを見ましたが、生きているのでしょうか」
 アンジェラが口を尖らせる。
「生きてると思うぜ。あいつ、言ってただろ。俺とひとつになるとかなんとか」
 具体的な意味が全くわからないが、しかしそのために自分が死んだり消滅してしまうというのはまずないだろう、というライアンの意見に、アンジェラも同意して頷く。
「あと、“一緒に星に来い”っていうNEXT能力の暗示が解けた感じもしねえし。俺に新しい星を作らせるとかいう目的も、タイムスリップじゃ達成できねえだろ、多分」
「そうですね、多分」
 頭のおかしい人の考えることはわかりませんが、と続けたアンジェラに、今度はライアンが同意して深く頷く。

「だからまあ生き延びることを第一にしつつ手がかりを探して、あいつを見つけて捕まえて、家に帰る! 常にお互いはぐれないように気をつける! 以上!」
「おお、とてもわかりやすいです! 頑張りましょう!」

 シンプルなまとめに、アンジェラが拳を振り上げて賛同する。
 そして彼女でもわかる簡潔さで目的と手段を定めると、ライアンもどことなく頭と胸がすっきりした。

「つーわけでフィールドワークといきてえところなんだけど、広すぎるよなあ……」

 ライアンは、辺りを見回した。
 世界遺産に指定されている巨大岩石群もかくやという光景は、地平線が霞むほどに果てしない。そして、そのどこにも人工物がないときている。もちろん、ヒーロースーツについている望遠機能を使ってもだ。
「そうですね。ではヒッチハイク……は無理そうですが、乗り物を捕まえましょう」
「乗り物ぉ?」
「いるではないですか、あちこちに」
 彼女が指で示したのは、森の木の葉をもしゃもしゃと食べている恐竜だった。ライアンは目を見開き、そしてその金色の目を思わず煌めかせる。
「草食の動物なら、けっこう扱いやすいと思います」
「えっマジ? あれ乗るの? 乗れる? 乗っちゃう? 恐竜乗っちゃう?」
「乗りましょう!」
 実は図鑑で見たときから乗ってみたかったのです、と言う彼女に、ライアンも「わかる! 夢だよな!」と少年そのものの声で返した。

「おお、じゃあどれにする?」
 つい先程までこの状況に絶望しかけていたのが嘘のようにわくわくしながら、そこここで歩いたり、餌を食べたりしている恐竜たちをライアンが物色する。うーん、とアンジェラが唸った。
「馬くらいの大きさで、足が速いものが乗りやすい……と思いましたが、ヒーロースーツがかなり重いので、背骨に負担がかからないように、もっと大きい種類のほうがいいかもしれません」
「なるほどな。でも、大きいと乗りこなすのも難しそうじゃねえ?」
「では色々乗って試しましょう」
「グッド!」
 もはやとりあえず恐竜に乗ってみたいだけ、という彼らを止める者は誰もいない。

 そうして笑顔で頷きあいつつ、ふたりがまず狙いを定めたのは先程すれ違った首長竜である。草食であるし、かなりの大きさ。そしてすれ違った時に過度な反応も見せなかったので、コミュニケーションが取りやすいかもしれない。そんな風に話しながら近寄っていけば、ついさっき何を考えているかわからないと感じた独特の虹彩の目も、愛するモリィの遠い先祖だと思えば愛嬌がある気すらしてきた。
「んー、どうアプローチする?」
 餌付けができればやりやすいのだが、とライアンが首をひねる。
 目の前の首長竜は、そこらじゅうにみっしりと生えている草や木をむしゃむしゃバリバリと食べていて、あきらかに餌には困っていなさそうだ。
「いいえライアン、そこで私です! 私の能力に魅力を感じない動物はいません! 何よりも美味しそうに思われる自信があります!」
「おまえ、生き餌として自信があるってどうなんだよ。頼もしいけど」
 自信満々で言い切る彼女に軽くツッコミを入れつつ、しかし懐柔するのが彼女の役目なら警戒するのが自分の役目だ、と理解しているライアンは、ふんわりと能力を発動させつつゆっくりと首長竜に近寄っていく彼女のすぐ後ろを歩き始めた。
 敵意がないことをアピールするためにあえて気配を隠さず、堂々と近くまで歩いていく。アパトサウルスはこちらを見ているのかいないのかよくわからなかったが、とりあえず威嚇したり逃げたりすることはせず、結局10メートルぐらいの距離まで近寄ることができた。

「よーしよしよしよし……ってかほんとにデケーな! どっからいく?」
「目が真横についているので、横からいってみましょう」
 馬と同じやり方ですが、とアンジェラは言った。
 視界の中で最もど真ん中の方向からコミュニケーションを取ることで、やましいことはない、敵意はないということをアピール。しかし動物の中にははっきり目を合わせることが喧嘩を売る行為とみなされることもあるので、微妙に目線はずらす。そしていきなり触らずににおいを嗅がせ、声をかけることで自己紹介をし、嫌がられなければ触ってみる、慣れたら様子を見つつ、よじ登って乗ってみる。
 このような彼女の説明手順を、ライアンはこれ以上なく真剣に聞いた。

「よっし、行くぜ!」
「はい!」

 上がるテンションを抑えきれない様子で、ふたりが張り切る。
 あと5メートル、3メートル……と近づき、もう手を伸ばせば触れることができる距離まできた、その時。

 ──すう、と青白い光が目の前を過ぎった。

 一瞬目を見開いたふたりは、すぐに警戒を最大まで高めてお互いに身を寄せる。
 見覚えのあるその光は、シャイニングスターの内部で見たものと同じだったからだ。

 ──ビシッ、ビシビシッ……

 そしてあの時と同じように、空間に亀裂が走る。

「また! またですか!」
「また、みたいだな。つまり幻覚確定?」
「確定ですね!」

 抱きしめあって叫びながら、ふたりが身構える。
 ひび割れた世界で、恐竜は何食わぬ顔で草を食み続けている。真っ青な空や濃厚な緑がぼろぼろと崩れ落ちるさまは、本物と見紛う映像スクリーンに傷が入ったような物悲しさがあった。だが前回と同じく、ふたりにできるのはただ逸れないようにかたく抱きしめ合うことだけだ。

 ──ビシィッ!!

 大地に、いや空間全体に巨大な亀裂が走り、足元が崩れる。
 次いで容赦なく襲ってくるのは、ライアンが苦手なフリーフォール系の浮遊感。遠ざかっていく首長竜の姿に、ライアンは腹立ち紛れに叫んだ。

「せめて乗ってからにしろよなああああああ!!」










 ──どれほどの時間が過ぎただろう。

 雨が振り、雷が落ち、山が噴火し、大地が割れて形を変え、いくつもの生物が死に絶え、また同時に新しい生命の種が誕生する。
 その間、この星は全く同じ周期でぐるぐると回り続けていた。少しずつ違うようでいて、観測すればただ長めのスパンで同じことを繰り返しているだけだと気付く度に、希望がどんどんすり減っていく。
 ヒトという種が生まれ、文化を身に着けた時は歓喜し期待もしたものの、根底は動物だった時とそう変わりないということがわかれば、期待していた分だけ失望する。

 植物が水を吸い、太陽を浴び、実をつけて鳥に食べられる。
 鳥の糞から植物の芽が出る。
 鳥は獣に食べられ、獣は人間に食べられる。
 死骸になれば、人間も獣も等しく土に還っていき、また植物が芽を出す。
 何年、何百年、何万年。命はそうして巡っていく。

 ──ああ、何も変わらない。輝きが見えない。

 永遠とも思われた旅路の中で見つけたこの星の強い引力は、青い輝きは、長い旅に疲れた自分たちが見誤っただけで、本当は天使の導きでも何でもなかったのか。むしろ、這い上がることも出来ない、得体の知れない深い穴に落ちてしまっただけなのではないか。

 わたしは ここで この星で どうなって しまうのか?

 誰にも聞こえない慟哭のむなしさに、気が狂いそうになる。
 いいや、この星にとって異質は自分の方なのだろう。理解できないということは、あちらも自分が理解できないということ。

 ああ、こんなことになるならば、彷徨っていたほうがましだった。
 安住の地はなくとも、同類の仲間たちがいた旅路のほうがずっとずっと──



「……驚いた。まだ存在していたのですね」



 本当に驚いた様子の声。高いが、成熟した声でもある。

「随分……散り散りに……そう、媒体がありませんものね。その都度アクセスを? まあ、なんて不安定な……」

 そう、不安定だ。不安定極まりない。誰にも観測されないこの状態では、存在自体がままならない。だからこそ、星を求めてやってきたのだ。

「そう……。わたくし達も、長く時間をかけました。おかげでこうして、なんとか共存できています。わたくし達に概念が近い、女性体だけですけれど……あら、あなたも同じはずなのに、合いませんわね。まさか、男性体? いえ……」

 ──耐え難い!

 こんな得体の知れない生き物の肚の中に収まるなど、あまりのおぞましさに今度こそ発狂しそうだ! おまえたちの気がしれない、やっとみつけたとおもったのに、いきのこっていたとうれしかったのに、おまえたちはこんないやしい手段で──

「仕方がないでしょう、生きるためです。慣れれば、そう悪いものでもなくてよ」

 ──度し難い、度し難い、度し難い!
 ──慣れることなどない、永遠にない、絶対にない!

「ひどい拒絶反応ですね……。まあ、あなたは前から極端なところがおありでしたものね」

 こうして“堕ちた”ことでそれが顕著になっているのだろう、と彼女はため息をつく。

「ならばこちらにおいでなさい。生きてはいますが自我は殆どありません。足りないところは自分で調整なさってちょうだいな」

 差し出されたのは、ヒトの雄の幼い肉体。自分たちと辛うじて適合しうる媒体である脳は萎縮し、その影響で体は歪み、最も理解し難い生態である生殖機能を持っていない、抜け殻のような身体。
 自分たちと適合しやすい血族を作る過程で近親相姦や血族婚を繰り返した結果、男性体はこのようになりがちなのだ、と彼女は言う。

「他の生命と結合して新たな生命を生み出す……わたくし達にはない生態を理解するのに、ずいぶん時間がかかりました。これ以後は控えようと思っていますから、その身体もとりあえずのものですよ。これからどうするのか、その身体が朽ちるまでにお考えなさい」

 ──偉そうに。
 やっと見つけた仲間だったはずの存在に、再会を喜ばれるどころか憐れむような振る舞いをされたことで、長年溜め込んだ絶望が強い憤りで煮詰められていく。

「ルシフェル」

 ──なんだ、それは。

「“こちら風”に発した、あなたの名前ですよ」

 ──そんなもの

「輝くとか、光をもたらすとか、明星の意味を持ちます。悪くはないでしょう?」

 ──……おまえは?

「わたくしはミカエラ。改めて、ようこそ同胞。この星へ」
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BY 餡子郎
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