#189
「はは……やっべ……マジで今まででイチバンやべーやつ……」
「ライアン! ライアン、やりましたね!!」

 アンジェラを引っ張り上げた勢いのまま仰向けに倒れたライアンの上に乗っかるようにして、彼女が彼に抱きついている。
「やりました! たくさん燃やしました! そして追いつきました! 褒めて!!」
「おーおーおーよーしよしよしよし!! えらい、超えらいもうお前ほんと最高! 最高っつーか最低っつーか死ぬかと思ったマジでもう2度とやらねえからなクソッタレぇえ!!」
 アンジェラの頭を勢いよくガシガシと撫で回し、ライアンは緊張感から本気で口から心臓が出そうなほどの吐き気と戦いながら叫ぶ。アンダースーツが、すぐに吸い込みきれないほどの冷や汗でびちゃびちゃに濡れているのがわかった。

「愛しています、ライアン!!」

 たった今生きるか死ぬかという場面だったというのに相変わらず脳天気に明るい、それ以外は何も考えていないという声。そんな彼女に苛つくどころかどこかホッとしていること、何よりあの時「来るな」ではなく「飛べ」と言った自分はもうすっかり毒されていると自覚しながら、ライアンはふっと笑った。
「おう。俺も」
「ふへへぇ」
「しっかし、ラグエル4号はよかったのか」
 さきほど彼女は、空中でエンジェルチェイサー、ラグエル4号を躊躇いなく蹴り落とした。その問いに、アンジェラはだらしなくなっていた口元を引き締め、しょんぼりとした笑みを浮かべた。
「今回は生きるか死ぬかでしたので、しかたがありません。5号もいますし、──帰ったら6号を新調しますし! スローンズのみなさんが、7号を作ってくださると思いますし!」
「そうか。そうだな」
 先日3号が全損した時の落ち込みようが凄まじかったので心配したが、今回は割り切っているらしい彼女に、ライアンもホッとした。今この状況で落ち込まれても困る、というのもあるが。

「てかこれマジで飛んでんの?」
 起き上がりながら、ライアンが辺りを見回す。あの輸送機と同じく、シャイニングスターには窓がなかった。
「飛び上がってはいましたね」
「だよな」
「こ、このまま宇宙に行くのですよね? 大丈夫ですか?」

 ──キン……

 相変わらず謎の音と青白い点滅光を放っている周囲をきょろきょろと見回しながら、アンジェラが言う。
「まっさかぁ。いくらなんでもそれはねえだろ」
 ライアンは、手をひらひらとさせながら言った。
 先程乗り込む時に見たシャイニングスターの外観は、メディアで紹介され、またオピュクスの資料として確認したものの5、6倍は大きかった。しかも形はロケットのようなスペースシャトル型ではなく、まさにSF映画で見るようなどちらかというと平べったいタイプのもので、この世界、いや歴史上こんな大きさと形の飛行機は存在しない。
 つまり実際にこれが飛んだだけでも脅威であるのだが、有人宇宙飛行については未だにみっちり訓練を受けた宇宙飛行士しか成し得ない現代、こんなにでかい艦で宇宙まで行けるはずがない──というのがライアンの予測だった。
「そのうち燃料不足で不時着するんじゃねえの」
「確かに、大きい乗り物なら、燃料もたくさん必要なはずです」
 アンジェラが納得して頷き、そうだろうとライアンも頷く。

 そうだ。こんなに大きな建造物が、宇宙になど行けるはずがない。
 それを作ったのがたとえ人工脳なんてとんでもないものを生み出した意味のわからないほどの天才科学者で、世界中のコンピューターを自在に操れて、更には自称宇宙人、少なくとも人間ではないことが先程証明された奴が作ったものであってもだ。

 飛ぶわけがない。

 宇宙になど行かない。行けるはずがない。

 ──ないよな?

「ライアン? どうしたのですか?」
「なんでもねえ」
 なぜか遠い目をして無言になったライアンの顔を、アンジェラが覗き込む。
「そうですか。しかしライアンがおっしゃるなら確かです! なぜならとても頭がいいので!」
「ははは。そうだな。高校の時の成績、順位いっつもひとケタだったし……」
「さすがライアンです!」
 何も疑っていない様子のアンジェラに乾いた笑いを返しつつ、ライアンは現実逃避をした。
 しかし実際、考えても無駄であるというのも事実だった。彼女ではないが、情報が少なすぎる上に宇宙人だの何だの訳のわからないことばかりで、下手に頭を捻っても混乱するだけだ。ここはあえて目の前のことに集中して、わからないことは後回しにしたほうがいい、とライアンは正しく判断した。

「まあ、とにかくだ。多少の墜落ならヒーロースーツがなんとかしてくれると思うけど、なるべく安全な不時着と、あと人がいるところに落ちないようにしなきゃな」
「そうですね。こんなに大きいものがコケたら大変です」
 次の行動の指標が定まり、アンジェラがふんふんと頷いた。
「よし、じゃあ帰るためにどうにかすんぞ」
「わかりました! 何をすればいいですか!」
 立ち上がったライアンに、命令を待つ犬のようにアンジェラが張り切る。

「まずはルシフェルの本体を探す」
「本体……ですか?」
「あいつ、あの身体も研究所のコンピューターも、あくまで端末のひとつでしかない──とか言ってただろ」

 あれらが“端末”だというのなら、必ず“本体”、つまりラファエラの脳があるはず。

 脳が頭の中にあるはずだという常識は、宇宙人、あるいは宇宙人レベルの天才かつ異常者には通用しない。本体がこの宇宙船に固定されているからこそ、端末をいくら破壊されてもルシフェルはまるで気にしていなかったのだろう。──と、ライアンは見当をつけていた。
「本体がある所ならあいつもいるだろうし、うまく人質? とかにとれればいう事聞かせられるかもしんねーし? まあとにかくなんか進展するだろ」
「なるほど! おっしゃるとおりです!」
「こっちか」
 頭の痛み、そして導かれる感覚。そのふたつを慎重に感じ分けながら、ライアンはシャイニングスターの中を進む。幸いにもロックの掛かった扉などはなく、難なく進むことが出来た。



 ──キン……
 ──キン……コン……
 ──ポォーン……

「……やっぱりな」

 そしてたどり着いた、いかにも中心部だといわんばかりに設えられた、やはり白い空間。
 青白い光の点滅と金属音が満ちる部屋の中央には、頑丈そうな筒状の透明なケース。その中には、白っぽい脳がぷかぷかと浮かんでいた。
「つーか、いかにもSFっぽい絵面だな」
「これが……」
 アンジェラが、一歩前に進み出る。

「これが、ラファエラ。……おかあさん?」

 透明ケースを見上げる彼女の姿に、ライアンは、この部屋──というより宇宙船が、ホワイトアンジェラのヒーロースーツのデザインとよく似ていることに気付いた。白をベースに、NEXTの発光に似た水色の光。

「もうラファエラはいないよ」

 そう言ったのは、もちろんルシフェルだ。
 振り返ると、いつの間にか赤毛を靡かせた長身がそこに立っていた。
「まさかあそこからついてくるなんてね。その忠犬ぶりは認めよう」
「ヴー」
 小馬鹿にした口調に、アンジェラが唸る。

「よう、さっきぶり。出発したばっかで悪いんだけど、宇宙旅行はまた今度にしてくんねえ?」
「本当に口が減らないね、君は」
 呆れた、しかし満更でもない様子でルシフェルは言った。アンジェラはずっと歯を剥き出して唸っているが。
「いい加減に大人しくしていてもらえないかな」
「そういうわけにもいかねえだろ、いっ……!」
「ライアン!」
 ラファエラの脳が入った設備に拳を振りかぶったライアンは、今までよりも強く鋭い頭痛に目眩を起こし、その場に膝をついた。アンジェラが慌てて寄り添う。
「うお、……やっべえな。一瞬意識飛んだ」
「大丈夫ですか、ライアン」
「おう、平気平気」
 心配そうなアンジェラに、ライアンは笑みを浮かべてみせた。支え合う二人を前に、ルシフェルは完全に白けた顔をしている。
「……本当に、何をやっても無駄だというのに」
「だーから、何もしないわけにはいかないんだっつの」
「なぜ?」
「そりゃあ」
 ライアンとアンジェラが、顔を合わせた。

「ヒーローですので!」
「そーゆーこと」

 口を揃えて言ったふたりに、ルシフェルの美しい眉が寄る。

「──くだらない」
「あっそう。それはそれでいいよ、人それぞれだし。まあなんでもいいけど、とにかくお前のいうとおりにする気はさらさらねーから」
「そのとおりです! 宇宙になど行きません!」
「だったら何だというんだ」
 ルシフェルは、淡々と言った。
「ライアン、君は私と共に星に行くということから逃れられないし、つまり危害も加えられない。アンジェラはチェイサーを棄ててしまったからあの馬鹿力のプリンシパル・モードはもう使えない」
「まあそうだな。でもテメエの暗示は“お前と一緒に星に行く”ことで、シャイニングスターで宇宙に行くことじゃねえ。つまり“一緒にいて”、“星に向かってる”状態ならいいわけだ」
 要するに、ルシフェルと離れてさえいなければ、“地球”という星に戻ろうとする分には問題ないはずだ、ということ。
「まあ、当然具体的に指定なんかできねえもんな。なんたって、“星”は俺が作る予定で、まだ存在してねえわけだから」
 ルシフェルは否定しなかった。しかし、笑みを浮かべている。

「君のいうとおりだ。でも残念、そもそもシャイニングスターのシステムは私でないと操作できない」
「セキュリティ意識がしっかりしててうんざりだな」
「いや? むしろパスワードも何もかけていない。だからこそ短期で作れたわけだけど」
「あ?」

 ──キン……
 ──キィン……ポーン……

 金属打楽器のような音と、青白い点滅光が連続する。
「セキリュティをかける必要がないからさ。この艦のシステムは、ただのコンピューターじゃない」
「おいおい、まさか量子なんたらとかいうんじゃないだろうな」
「まさか」
 ルシフェルは、にっこりした。その笑みの中で真っ黒な目だけが、何もかもを吸い込む穴のようにぽっかりと空いている。

「まさかそんなアナログなもの、使うわけがないだろう?」

 地球上の人類が未だ実用化に至っていない技術を“アナログ”と言い切った彼に、ライアンは不敵な笑みを崩さないながらも、うなじに冷や汗が流れたのを感じた。
「これは、私達だけが使う言語……言語というのも違うな。該当語句がない。まあとにかく、君たちにはない概念で作られたものだよ。この青白い光と音がそうだ」
 ルシフェルは、周囲をくるりと見回して言った。
「私にしてみれば簡単な家電を使うレベルのものだが、君たちにはさっぱりわからないだろう?」
「く……」

 ライアンは、歯を食いしばる。
 そもそも本当にこのシャイニングスターは飛んでいるのか、宇宙に出るのか、ルシフェルとともに星に行くという暗示はどうやったら解けるのか、──どうやったら帰れるのか。
(だいたいあいつ本当に宇宙人なのか? 少なくとも血が出ねえってことは──俺の能力で星を作るってマジでできんの? ──いや違う、そっちはどうでもいい)
 あまりにも意味不明な、ルシフェルという存在。それを受け入れもせず、しかし現状を打破するために思考レベルを合わせて理解に努めるという器用な頭の回し方。視野が広い、器が大きいとも表現されるそのやり方は、対人コミュニケーション能力が非常に高いライアンでないとできないことでもある。しかし相手があまりにも──それこそ宇宙人レベルにぶっ飛んでいる場合、しっかり自分を持って思考を確立させていないと、引っ張られて“頭がおかしく”なる。
 ライアンは今、どこに繋がっているかもわからない真っ暗な穴の縁に立ち、絶対に足を踏み外さないように気を張りながら、その中にあるものをなんとか見極めようとしている。
 だがしかし、先程アンジェラが爆発炎上させた施設にいた時もそうだが、そもそも条件的にアウェイが過ぎる。はっきり言って、まさに手も足も出ない。
(どうする、……考えろ考えろ考えろ)
 今までになく高速で頭を回転させながら、ライアンはどれかひとつでも有効な手立てがないかと、あらゆる手段を並べ立てる。あれもだめ、これもだめ、あちらも無理──

(──こうなったら、ガブだけでも……!)
「むう! いくらなんでも馬鹿にしすぎです! こんなもの簡単に使えます、そうですよねライアン!」
 ライアンがあらゆる選択肢の中から止む無く最低限のものを手繰り寄せようとしていた時、アンジェラの憤慨した声が飛ぶ。
「……あ?」
 過集中していたライアンは、反応が遅れた。しかしアンジェラはフンスと鼻息を噴きながら、ビシリとルシフェルを指差して言った。



「なぜなら私にも使えるようなもの、ライアンが使えないわけがありません!」



 ──沈黙が、空間を支配した。

「え?」
「えっ?」

 ライアンが思わず素で出した声に、ガブリエラもまたきょとんとした声を出した。
「……え? は? なんて?」
「えっ? 私でも使える◯◯◯◯◯です。ライアンにも使えますよね? ほら」
 そう言って、アンジェラは足元で点滅していた青白い光を指で押す。途端にキン! と音がして、キーボード、あるいはピアノの鍵盤を縦にしたような半透明のホログラムがにょっきりと姿を表した。
「……っはァアアアアアア!?」
「えっなんですか!? 間違っていますか!?」
「いやおま、おっおまえそれどういう、……なんでぇ!?」
 目を見開き本気で驚いているライアンに、アンジェラがおたつく。そして彼らは気付かなかったが、ルシフェルもまた黒い目を見開いていた。
「えっなんっ……なんで……なんでわかるんだよ!?」
「えっ、なんで……? なぜなら……」
 肩を掴まれたアンジェラは、疑問符を浮かべながら言った。

「生まれた時から知っていますが……」

 当然過ぎて意味がわからない、という様子だった。なんで息を吸って吐くことを知っているんだ、とでも聞かれたような困惑ぶりである。
 そしてライアンもまたその答えの意味がまるでわからず呆然とするばかりであったが、ぎり、と歯を食いしばる音でハッと我に返った。音の主はもちろん、険しい顔をしたルシフェルである。

「……そうか、ラファエラから受け継いだな!? だから髪が赤かったのか!」
「えっなんですか!? なんなのですか!? 私はなにかおかしいのですか!?」

 アンジェラがおろおろとする。
 その様に、ライアンは熱が出そうなほど瞬時に頭を回転させた。

 生まれた時から知ってるって何だ、ラファエラから受け継いだ? 何を? 地球上の誰も知らないという、未知の、──得体の知れない宇宙人の技術を?

 ──私達を脳にインストールすると、とある遺伝情報がわずかに変異して、体毛をこの色にする。いわば天使である証とも言えるね

 世界を股にかけてきたライアンもいちども見たことのない、真っ赤な色の彼女の髪。

 ──……え? じゃあつまりお前って、宇宙人とのハーフってこと?

 アンジェラは、きょとんとしてライアンを見上げている。

「──アンジェラ! シャイニングスターを止めろ!」

 だがライアンが発したのは困惑でもなく、ましてや恐怖や混乱でもなく、ただこの状況を打破するための冷静かつ的確な指示だった。
 ライアンは彼女のルーツという情報に対し、不気味に対する恐怖も、不思議に対する混乱も抱かなかった。なぜなら彼は、意味不明なものを受け入れもせず、しかし現状を打破するために思考レベルを合わせて理解に努めるという器用な頭の回し方、器の大きさ、視野の広さにおいて、誰よりも優れているからだ。真っ暗な穴に引きずられない、確固たる信念の持ち主。
 そして何より目の前の事件を解決するプロのヒーローであるからこそ、彼は起死回生のチャンスを逃さなかった。

「えっ!? 私が!? し、しかし、ライアンはハイスクールの成績の順位が──」
「たまにサボると実は2桁だったんだよ早くしろ!!」
「わ、わかりました!」
 ものすごい大声の早口で怒鳴られたアンジェラは飛び上がり、近くにあった壁を叩いた。またホログラムが飛び出し、やはりライアンには何をしているのかさっぱりわからない、楽器でも演奏しているかのような手付きでなぞりはじめる。

 アンジェラの手付きを見たルシフェルが、表情を険しくして舌打ちした。彼もまた足先で床を叩き、アンジェラが先程呼び出したものとは違う円形のホログラムを手元に引き寄せ、指でなぞり始める。
 当然ながら、ライアンには何をしているのかさっぱりわからない。──が、対策をされているのは確かである。おそらくセキリュティをかけようとしているのだろう、とライアンは正しく理解した。そして、ルシフェルがそんな行動に出ているということは、つまりアンジェラが行っている操作は全くデタラメなどではなく、この宇宙船を操作する確かなものである、ということも。
 だがライアンの目から見ても、アンジェラの手付きよりルシフェルの手付きのほうがやや早かった。

「えーい面倒くさい! ◯◯◯◯◯! ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯!!」
「なっ……! ◯◯操作!?」
 しかし、全く聞き取れない、そして聞き慣れない言葉、というよりは音を発したアンジェラに、ルシフェルが目を見開いた。
「◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯! ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯! ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯! ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯! ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯! ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯! ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯! ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯!! ここでバン、バンでバンバンバン!」

 目が回りそうな音の羅列を発しながら、たまにそこかしこで走る光を手や足でアンジェラが叩く。
 ライアンには何がなんだかさっぱりわからないが、どうやらアンジェラが優勢らしい。全く見たことも聞いたこともない、ルール不明の少数部族のスポーツか何かを見せられているような心地で、ライアンは、電子レンジを満足に使えない彼女がこの巨大な宇宙船を操作するのをただ見ていた。

「◯◯◯◯! できましたー!」
「えっマジで?」
 諸手を挙げて宣言するアンジェラに、ライアンは半ば呆然と言った。
「はい! ◯◯◯◯を◯◯◯◯◯◯したので◯◯◯◯で◯◯です!」
「わかんねえよ!」
「ええ……あんなに頭が良くていらっしゃるのに……?」
 わけがわからない、とでも言いたげなアンジェラであるが、わけがわからないのはライアンも同じである。俺のセリフだと思い切り言い返したいのを、ライアンはひとまず現状打破のためにぐっと堪えた。
「とにかく! シャイニングスターはどうなったんだ!? 止まるのか!?」
「あ、はい、止まります。宇宙に行くのをやめて、シャイニングスターが降りられる広い地面を見つけたら勝手に降りますよ」
「マジかよ完璧じゃねーか」
「えへへ」
 真剣な顔で褒められて、アンジェラは照れくさそうにした。いつもどおりの、頭を撫でられた犬のような平和な笑みに、ライアンはどっと落ちてきた安堵を受け止めながら、ひとつ息を吐いた。

「……ってなわけで、あっさり野望潰えたりってカンジだけど?」

 呼吸を整え、調子を取り戻した様子でライアンが振り返る。
 とはいえ、当然ながら気は抜いていない。圧倒的優位をまさかの方法で覆したライアン──いやアンジェラに対し、ルシフェルが逆上してもおかしくないからだ。そしてこのわけのわからない宇宙人もどきが逆上した時何をするのか、今度こそライアンには想像がつかなかった。
 しかし予想に反して、視線の先に立っているルシフェルは怒ってもいなければ悲しんでいるようでもなくただ無表情で、じっとアンジェラを見ていた。だが気のせいか、その黒い目が少し揺らいでいるように見える。何もかもを吸い込む、得体のしれない真っ暗な穴のようだったその目に、ライアンは初めて、理解が及ぶまっとうな光を見た気がした。

「──君は、本当に天使なのだね。私と、同じ」

 ぽつりと、呟くような声だった。
「その、他にはあり得ない赤い髪。見つけた時は、本当に、本当に嬉しかった……。まだ生きていたと。まだ、受け継がれていたのだと」
 ルシフェルは、赤いまつ毛に縁取られた目を伏せた。
「なのに君は、違った。バグだらけでわけのわからない、理解の及ばぬ何かに成り果てていた。それだけならまだしも、やっと見つけた私の星を、彼を、またわけのわからない理由で、私から」
 その言葉に、その声の震えに、ライアンは理解した。

(ああ、こいつも同じなのか)

 自分たちがルシフェルを理解不能な頭のおかしいなにかだと感じるように、ルシフェルもまた、自分たちに対してそう思っているのだということを、ライアンは理解した。そして大多数の仲間がいる自分たちに対し、ルシフェルはたったひとりだ。
 この宇宙で仲間はもう残っていない、地球という星に取り残された孤独な宇宙人。この星に、彼の技術を、言葉を、考えを理解できるものは誰もいない。ライアンとてそのひとりに過ぎないが、自分に置き換えて想像することはできる。

「あなたが寂しいのはわかります」

 はっきりと、アンジェラが言った。その言葉はライアンが思っていたことと同じものであり、更にはライアンよりもしっかりとした実感と共感がこもっていた。
「怖かったのですね。それと、寂しかった。わかります」
「……うるさい」
 聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ルシフェルが言った。しかしアンジェラは構わず、続ける。

「──ひとりは寂しいものです。ちっとも楽しくない」
「うるさい」

 絞り出すような低い声で、ルシフェルが言った。

「君に何がわかる。あの星に受け入れられた君に!」
「わかりますとも」

 しかしアンジェラは、いつもどおり迷いない。

「怖くて寂しいあなたは、あたたかい星に行きたかった。連れて行ってくれる天使がいないので、自分が天使になって、わかりあえる誰かを連れて行きたかった。受け入れてくれる人、恋した人とふたりきりの、他の誰もいない新しい星へ」

 ぴく、とルシフェルの肩が揺れた。伏せた顔が少し上がり、黒い目が上目遣いになる。
 真っ暗な穴のようではなくなっている目は、アンジェラとライアンをゆらゆらと見た。どこを見たらいいかわからないというその動作がどういう意味を持っているのか、今度こそライアンにもわかる。あれは、締め切られた部屋に取り残された犬の目だ。ただ餌と寝床があるだけで、しかし可愛がられたことのない、愛されたことのない、しかしどうしようもなく主人を求める哀れな犬の目。

 シャイニングスター。この巨大な宇宙船は、鉄のゆりかごだ。あるいは教会の地下室。
 とにかく他人が恐ろしい、世に出たばかりの赤ん坊、あるいは迫害された者のための安全地帯、仮初の母胎。だが所詮母のいない無機質な箱は安全ではあっても、どうしようもなく寂しい空間でもある。
 生まれてくるべきではなかったと自らを断じたネフィリムたちは、その中でお互いを殺し合った。さながら、生まれる前の胎児を堕胎するかのように。
 しかしルシフェルは、この星に生まれたヒトですらない。共食いをする仲間すら誰もいない。だからこそ、誰かとひとつに混じり合い、新しい命として生まれ直し、新しい星で生きることを望んだのだ。

「わかります。──しかし、あなたはわかっていません」
「……なんだと?」

 相変わらず淡々と言うアンジェラに、ルシフェルが反応する。見開いた目にあるのは、今度こそはっきりとした怒りだ。

「あなたは何もわかっていない。だからこそ天使もいないし星にも行けないのです」
「黙れ」
「難しいことばかり言っていますが、大事なことは何もわかっていない」
「黙れ……」
「うるさいですよ! このおバカちゃんめ!」

 ダン! と、アンジェラは馬のように床を蹴った。

「ぐるぐる回るこの星で、あなたは何をしましたか。何かしましたか。報告、連絡、相談はしたのですか。基本ですよ!」
「何を……」
「私はそれで失敗しましたので、確かです!」
 腰に手を当てて、アンジェラは鼻息を噴いた。
「しかしあなたは、失敗すらしていない。“待て”ができるのは良いことですが、ただぼんやりしているだけでは、チャンスは逃げていってしまうのです! ここぞというときに、噛み付く! 人生は勢いと決断が大事なのです!」
 考えずに感じるままに、自分の頭が悪いなら信頼できる誰かに教えを請う。単純明快かつ大雑把、思い切りの良さとパワーだけは誰にも負けない、彼女一流の人生訓。人として生きるための道標。

「あなたがライアンに惹かれるのは、わかります。──何よりも」

 少し声を落として、アンジェラは言った。ルシフェルは、まっすぐに彼女を見ている。
「なぜならライアンはとても優しい方ですし、私のような者のことも、頭のおかしい人のことも、“わかって”くださいます。とても器の大きい方ですので」
 ルシフェルの目元が、ほんの僅かに和らいだ気がした。ライアンは、こんな場でも自分を持ち上げる恋人と、そしてどうやら本当に自分に横恋慕しているらしい宇宙人を静かに見比べた。宇宙人との修羅場は初めてだが、とりあえず、地球でのセオリーとして彼は黙った。

「ですがそれは彼が誰にでも優しい素晴らしい人だからであって、あなたが特別というわけではないのです! 手厚いファンサービスにときめく気持ちはわかりますが、マナー違反ですよ! ファンと恋人は違うものなのです! そして彼の恋人は私! 私です! あなたではなく!」
「あーあーあーあーあー」
 胸に手を当て、火に油をガロンでぶっかける恋人に、ライアンは顔を覆わんばかりだった。

「ひとりが寂しいくせに、誰にも話しかけに行かないのでそういう勘違いをするのです! ネフィリムのようにひどいめにあったというならまだわかりますが、自分からは何もしないくせに、わかってもらえないとぐだぐだ言う! ファンサービスに勘違いしてストーカーになる! おバカちゃんな上に、そう、根暗! 根暗が過ぎます!」
「いやお前さすがにもうちょっとオブラートに包め! 状況わかってんのか!?」
 ライアンは、思わず真顔で言った。
 正体不明の強大な力を持つミステリアス極まるエイリアンとしてキメにキメていたのに、アンジェラによってコミュニケーション障害の頭でっかちで友達がいないことを嘆きつつも大衆を馬鹿にしている根暗、それゆえに芸能人のファンサービスを本気にしたガチ恋ストーカー呼ばわりされたルシフェルは、もはやなんの表情も浮かべていない。
 しかしこの反応もまた、ライアンには理解できた。キレている。そりゃそうだろう誰だってキレる、とライアンは今度こそ深く理解を示した。とはいえ、こうして理解できるようになったのも、この恋敵に容赦のない犬がわんわん吠えてルシフェルをこちら側に引きずってきたせいなのだが。

「わかっておりますとも! この星には頭のおかしい人もいますが、いい人もたくさんいるのです! それを皆同じで、普通の人ばかりと決めつけているのです、このおバカちゃんは!」
 そう叫んで、彼女はルシフェルをびしりと指差した。
「全員がわかってくれるわけではないのは当たり前ですが、わかってくれる人もたくさんいるのです! 親がいなくても、きょうだいや、子供がいなくても、親切にしてくれる人はたくさんいます。たくさん……タイガーや……カリーナや、ネイサンや、みんな……カエデも! 優しい人が、困っている人を助けようとしてくれるヒーローが、天使が、あの星にはたくさん、たくさんいるのです!」
 強い目で、アンジェラは言った。
「色んな所を歩いて、色んな人と話せばいいのです! いい人に出会えるかもしれないですし、頭がおかしくても気が合う人もいるでしょう。普通の人たちも、悪い人ばかりではありませんし」
 頭のおかしい老馬を親友に、地雷ばかりで何もない不毛の地だと言われる大荒野を自分の足で歩き抜き、いろいろな人と出会い、珍妙な片言でも臆せず言葉を交わし合い、彼らの教えを請うて生きてきた彼女の言葉は、それこそしっかりと地に足のついた確かな重みがあった。

「一歩も歩いていないくせに、頭の中で考えた難しいことばかり言って! むかつきます! 気に入りません! 偉そうなことを言うのは、地雷の上を歩いてからにしてください! ──私は、あなたが、好きではない!」

 彼女が誰かに対してこんな評価をするのを、ライアンは初めて聞いた。いや、おそらく正真正銘初めてだろう。そしてそれが同族嫌悪と呼ぶべきものに近いことも、ライアンは察していた。そしてそれは、無表情のままながら拳を握りしめているルシフェルも同じなのだろう。
 同じ星の者である証、他にはない真っ赤な髪を見つけた時、とても嬉しかったと彼は言った。だがそのやっと見つけた同胞は、己とは全く違う道を、この星の地にしっかりと足をつけて歩いていた。面倒を見てくれる人々と出会い、深く考えずに感じるまま、好き放題にしていながらにして多くの人にヒーローと呼ばれ、感謝され、気のおけない仲間や友人を作り、あろうことか己が天使と思った男から、恋人として受け入れられた。
 ──可愛さ余って憎さ百倍。まさにそれだろう、と、ストーカーやガチ恋ファンにも慣れているライアンは今度も正しく理解した。

「……運が、良かった、だけのくせに」

 真っ暗な目で、ルシフェルが言う。

「運良く、ミュトスに出会えただけのくせに」
「運も実力の内です!」
 あっなんかこいつにしては難しい言葉使ったな、とライアンはやや投げやりなことを思った。
 しかし確かに、宝くじも買わねば当たらないし、犬だって歩かなければ棒にぶつかることもない。そして異質なものを持つ存在が多くの人に理解され受け入れてもらうためには自らの努力が必要なのだということは、かつて全く同じ努力をし、今もその努力を怠っていないライアンもまったくもって同意だった。
「それに私は、きちんと順番を守りました! あなたのように勝手に頭の中に直接話しかけたり、ひとつになろうなどとはしていません! まず特別に愛しているとお伝えし、言われたとおりに待ち、恋人だと言われるまでは手も繋がずにがまんしました!」
「……変なセクハラはしてたけどな」
 ぼそりと呟かれた突っ込みにアンジェラは「ウッ」と呻いて肩を揺らしたが、結局そっぽを向いてなかったことにした。

「ええと、そう! さあ帰りますよ、この犯罪者め! あなたが悪い人なのかどうかはよくわかりませんが、捕まえて戻って、裁判官さんに罰を決めてもらいます!」

 頭をひっ掴んで地面に叩きつけるようにして、まさに身も蓋もないことを言ったアンジェラに、ライアンは半ば感心する。
 そしてそこまで考えて、ああそうだ、とライアンは思い至った。プラスマイナスのベクトルは逆でも、頭のおかしい奴、いい奴に調子を引きずられるというこの現象において、実のところ彼女は最強なのだ。曖昧な精神論ではなく物理的な解決法しか口にしない脳筋で、深く考えないままどんな相手でも等しく怪我を直して回り、その無害さであらゆる相手の毒気を消し去る、間抜けな顔をした愛嬌たっぷりの馬鹿犬なのだと。

「戻るものか」

 だが当然ながら、相手も頑なだった。
「私を受け入れない、理解し得ないあの星で、私を測る? ふざけるのも大概にしてもらおう」
 そう言ったルシフェルが、口角を釣り上げる。笑っているようで笑っていない、ただ他に浮かべる表情がなかっただけだというような、出来損なった顔だった。
「……君が私を理解してくれるのは、単に君が優しいからだと言ったね」
 ライアンと目を合わさず、ルシフェルは言った。
「いいさ、それでも。最初はそれでもいい。とにかくふたりきりでいれば、理解すべきものはお互いしかなくなるのだから」
「むうう! 結局何もわかっていないではないですか!」
 アンジェラが吠える。しかしこれにはライアンもまったくもって同意だったし、その思考回路は聞き飽きるほど陳腐かつ悪質な監禁系ストーカーと全く同じものだ。

「小難しい言葉ばかり交わしていてもしょうがない、そのことには同意するよ。だから実力行使に出ようじゃないか。君たちの望むとおりにね」
「いや別に望んでねーし別にそんな事も言ってねーし、やっぱてめえ根本的にヒトの話聞いてねえ──って、うぉお!?」

 ──ビシィッ!!

 もはや呆れた表情で口を開いたライアンは、半眼になっていた目を見開いた。
 なぜならこの白い空間に、大きな音を立てて、巨大な亀裂が走ったからである。しかもそれはビシビシと立て続けに広がっていき、更にはその境目がずれ、破片がぼろぼろと崩れ落ちてきている。
「おいおいおいおい、ウッソだろ!? 自爆か!? 飛んでんだぞこの艦!?」
「つ、墜落しますか!? 大コケしてしまいますか!?」
 焦るライアンに、アンジェラもおろおろとする。そんなふたりを見ているルシフェルは、まるで教会の聖母像のようなアルカイックスマイルを浮かべたままだ。その黒い目は、底の見えない穴のよう。

 ──ビシッ、ビシビシッ……

「はは、ははははは」

 穴のような目をしたルシフェルが、空虚な笑い声を上げる。男のような女のような、天使の如き顔に、体に、どんどんヒビが入っていく。

「はははははははは」

 ヒビだらけの顔で、人工の天使が笑う。
 腕が崩れ、足が崩れ、頭が割れ、胴体が粉々になる。朽ち果てていく聖像のように。

 ライアンは、アンジェラを引き寄せた。しっかりとその胸に抱き込み、何があっても離さないようにと力強く。しかし片手を伸ばし、──崩れ行くルシフェルにも手を伸ばした。まだ崩れていない、先程千切れて元に戻った、赤い血すら通っていないことを知っている右手を、取ろうとした。
 ヒーロースーツを纏った金色の手を、崩れかけたルシフェルが見る。どこに繋がっているのかわからない、真っ暗な穴のような目が、僅かに揺れた気がした。

 ──ルシフェルは、その手を取らなかった。

 ただその目には暗い穴の底から遠い空を見上げるような光があり、その光は、彼の腕に大事そうに抱きしめられているアンジェラに向けられていた気がした。



 艦が、星が、シャイニングスターが、崩れる。
 それと同時に、粉々に、バラバラになっていく天使。原型を留めないほどになったそれらが、青い星の引力に吸い寄せられていく。

 ──流星群が、降り注ぐ。

 抱きしめあった恋人たちは、ただそれだけを見つめていた。
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BY 餡子郎
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