#187
 宇宙は、遥かな昔、爆発によって誕生したと言われている。
 星がその一生を終えて超新星となり、ひときわ大きく輝いたとき、果てしない宇宙空間に“星の欠片”が散らばった。それがビッグ・バンである。
 そして現在の地球上には約100種類の元素があり、生物の身体の約96%は炭素・窒素・水素・酸素の4元素、有機物の構成要素で構成されている。そしてそのうちのひとつである水素はビッグ・バンによって発生し、酸素・炭素・窒素は数十億年前に星の内部で作られた。
 つまり、宇宙物理学の観点で言えば、地球上の生命は皆、気が遠くなるような太古の星の欠片から出来ているといえるのである。



「私達がいつこの星にやって来たのかは、私達自身ですらもうよく覚えてはいない。なぜなら私達はこの星にやって来た時に細かく散らばり、暫くの間不明になっていたからね」

 だが自分たちの欠片がこの星の生命と混ざり合い、代を重ねるごとに洗練され、そして最近になってNEXT能力という形で発現した頃、自分もまたはっきりと意識を取り戻したのだ、とルシフェルは言う。

「あー、うん、なんつーか、……“宇宙人はいると思う?”っていう質問にガチで向き合うハメになるとは思わなかったけど。まあどっちかっていうと“いる”派なんで、とりあえず信じるわ。で?」
「嬉しいね。君のそういう器の大きいところは本当に素敵だよ」

 眉間を揉むようなポーズで言ったライアンにルシフェルは嬉しげに頷き、アンジェラもまた相変わらず空気を読まず「そうでしょう」と頷いている。

「私達は元々物質ではない。だから、物質主義たるこの星で“在る”ための手段が必要だ」

 それがこの地球上の生物、特に人類の脳である、とルシフェルは言った。物質でありつつ、ごく繊細な電気信号、あるいはそれ以外のなにかで成り立つ存在。

「脳に宿りそれに付随する肉体を得られれば、その肉体が持つ方法、つまり食べたり飲んだり呼吸したりで存在を維持できる。この星の生物は、他者の肉体を食らって生命を維持し、更に雌雄が遺伝子をかけ合わせて新たな生命体を作り──“子孫”を増やす生態だ。しかし私達は、本来そうではないんだよ」

 呆然としているライアンと、彼の腕に手を添えて相変わらずきょとんとしているアンジェラを前に、ルシフェルはゆっくりと言った。
「本来の私達の食事、そして生殖は君たちと似て非なる」
 他者を取り込む、その点においては同一。だが私達はどちらかが一方的に捕食したり、遺伝子の一部をかけ合わせて新たな生命を生み出すことはしない。お互いの全てを融合させ、新たな生命体として生まれ変わるのだ、とルシフェルは言う。

「この星では、1+1は2か3だ。しかし私達は違う。1+1=1なのだ」

 根底からこの星にはありえない数式を、ルシフェルはどこか寂しげに語った。
「1と1が融合し、すべてを受け入れあってひとつになり、新たなる1になる。この美しく尊い数式を、この星の者は誰も知らない。在ることすら知らないし、知ったところで理解できない」
 私達は仲良くしてほしいだけだというのに、と言うルシフェルに、ライアンはガブリエラの診断結果報告の際、シスリー医師からいつか聞いた言葉を思い出していた。

 まるで同じ星に生まれた人間とは思えない、そういう感想でもって、宇宙人やエイリアンと比喩されることもある人々。
 場合によっては、違う世界を見せてくれる先駆者となる場合もある。しかし彼らのありかたがこの地球上のどの社会にもそぐわず、周囲を脅かす場合。彼らは理解不能な異常者、犯罪者、狂人と診断され、治療や排除をすべき、あるいは罰を受けるべき存在とされる。
 しかしそれはあくまで本人や周りに支障があるからこそ、治療すべき、修正すべき、罰するべきと断じられるだけだ。ガブリエラのように誰にとっても利点にしかならない異常は、単なる個性。しかも、他にない、愛すべき、尊ぶべき個性として受け入れられ、むしろ歓迎すらされることもある。
 人を食べ地を荒らす猛獣は邪悪として討伐するが、不明に湧き続ける泉は聖なるものだと歓迎する。地球にとって有益なエイリアンと、そうでないエイリアン。異常かどうかではなく、利になるかどうかで正義と悪が決まっていく。それがこの星の社会というものだ。
 つまりルシフェルの言うことが確かならば、この星の生命全てにとって、彼らは完全に頭のおかしい異常者、いやいっそ侵略者である。
 根底から理解し合えない、わかりあえない。お互いに元々憎み合っているわけではなく、むしろうまくやっていきたいと思っていても、そのどうしようもない性質がそれを許さない。

 それは、正真正銘この星で生まれたにもかかわらず、この星に、社会に受け入れてもらえずあのような末路をたどった気の毒なネフィリムたちともまた違うものだ。

 ──ここではない星。宇宙の果て、どこかにある輝ける星からやって来た存在。

 それが本当のことなのか、それとも想像も及ばぬほどに優れた頭脳を持った狂人の妄言なのかは、自分に限らず誰にもわからないことなのだろう、とライアンは正しく判断した。
 結果だけ見れば、どちらも人々に受け入れられず理解もされないという時点でそう変わりはないのかもしれない、とも。

「我思う、ここに我あり。この星の誰しもが持つアイデンティティは、自分以外を受け入れ溶け合いひとつになることを拒む。成長し、自我が確立すればするほど。いや我々だってそうだよ、これぞと思う存在としか溶け合わないし、そうしたくない。一方的なのはただの暴力で、強姦だ」

 全ては双方の同意あって成り立つべきだよ、とルシフェルはそこだけ聞けばまとも極まりないことを言った。しかし一箇所だけまともでも、他の異常性が際立ちすぎて結局違和感しか与えてこない。

「それに、私達にも選ぶ権利や好み、あるいは特性というものがある。例えばラファエラはこの大容量の肉体を持っていることから、気に入った生命体をまるごと自分に取り入れる性質の持ち主だった。ミカエラは逆だな。気に入った相手に潜り込み、より良く作り変えて自分のものにする」
「……丸呑みタイプと寄生タイプ?」
「そう、そういう感じだ。本当に君は理解が早いな」
 ルシフェルは、うんうんと嬉しげに頷いている。
 とはいえライアンとしては、世の中のエイリアンもののホラー映画などを全般観ていればだいたい想像がつくありがちなパターン、という感想しかない。そしてだからこそ、このルシフェルが世の中の漠然としたエイリアンのイメージを雑多に取り入れた妄想狂でしかないという思いから抜け出せない。
 しかし同時に、彼は実際にこうしてルーカス・マイヤーズという男から自分で作り上げた肉体に意識を移し替えるという驚くべき所業を成し得ている。

「でも私達とて高度な思考能力がある生命で、無理強いは良くない、という倫理観も持ち合わせている。だからラファエラとミカエラは諦めた。妥協した」
「妥協……?」
「そう。いわば生殖を諦めたのがラファエラ、食事を諦めたのがミカエラというところかな」

 ──つまり。
 全てを喰らい尽くすのではなく、別け隔てなく人々と接し、彼らが忘れたい、捨ててしまいたいと望む“要らない部分”を引き受け吸い取り食事とするが、たったひとりとの融合を諦めたのがラファエラ。
 相手の人格を完全に支配せず、対話によって共存し、己の知識や超能力を少しずつ分け与え、しかし相手のエネルギー摂取はせず、半永久的な生命維持を諦めたのがミカエラ。
 ラファエラの様は人々にとって憂いを消し去る聖女、あるいは人の魂を食う淫魔と呼ばれ、人間の親友たろうとしたミカエラのあり方は、人々を新たな世に導く賢君と呼ばれ、──NEXTを生み出した。

 そして彼女たちのあり方はやがて◯◯教の“天使が人を選び星に導く”という話と結びつき、わずかばかりの名残を残して今に至る。

「だが結局ラファエラはゴミを漁るような食事ばかりして壊れ、ミカエラは餓死に近い形で消滅した。私は、彼女たちのようにはなりたくなかった。どちらも諦めたくはなかったんだ」

 人からは拒絶される。ならば自我を持たない、あるいは薄弱な者を選ぶ。

「私が選んできたのは、知能が遅れていて永遠に精神が拙いままの脳の持ち主、あるいは自我を持たない者だ。……まあ、お世辞にも快適とは言えない肉体だったがね。容量が小さいので私の全てを収めきることは出来ず、余った部分は非物質として漂ったままだ。いくら優秀なプログラムでも、インストール先が粗悪な部品のハードでは効率は良くない」

 王族にありがちな血族結婚が連続したために深刻な知能障害を抱えて生まれたルシウス3世、高齢出産により萎縮した脳で生まれたルーカス・マイヤーズ。彼らはその自我の拙さゆえに、ルシフェルにとって宿主足り得たのだ。

「何代か脳と体を乗り換え、代わり映えしないこの星の生命を観察しながら、私はいつしか考えを変えた。私を受け入れられる肉体と精神を持つ生命を探すのではなく、選んだ誰かを受け入れられる身体を持とうと」

 ──天使足り得る肉体を。

 そうして作り上げたのがこれだよ、と、ルシフェルは自分の胸に手を置いた。男としての広さもなく、女性としての胸の膨らみもない、ただ個体として確立した性別のない胸。
 その奥にヒトと同じように心臓が鼓動しているのかどうか、ライアンにはわからない。

「ラファエラの肉体が残っていたのは僥倖と表現する他ないね。彼女の脳は優秀だ。彼女は元々自我が薄いたちで、そのくせ他者のエネルギーを取り込む特性から私でも理解の及ばぬやり方で拡張され超大容量だ。この脳ならば、私の全てを収めきり、なおかつ他の意識体やNEXT能力も取り込める」

 その言葉に、ライアンがぴくりと指先を動かした。その反応を見逃さず、ルシフェルは微笑む。人ならざるアルカイックスマイルでもなく、寂しげな微笑でもなく、恍惚とさえ表現できるような色を乗せて。

「だが更なる問題が残っている。天使がいても、目指す星がなければ意味がない。だから私は待って、待って、待って、待ち続けた。いつかは現れるはずだと。計算するほどに絶望するような確率の中、奇跡が起こるのを待ち続けた」

 神話、英雄譚、奇跡の物語。理屈が通らない不可思議、魔法、超自然的現象。世界中の子供に一夜でプレゼントを配るサンタクロース。いつかやってくる王子様。──あるいは、新しい星が生まれる時。
 地球のような星が生まれる確率は、10の14万乗分の1。競技用プールに時計の部品を投げ込み、水流だけで組み上がるのと同じ程の確率だと言われる。言わずもがな、気が遠くなるような確率だ。

 だが、時間はある。物質でないがゆえ、僅かなエネルギー補給さえすれば半永久的に存在していられるのだから、とルシフェルは感じ入った様子で言う。

「そして、ゴールデンライアン。君が、君こそが、かつての旧い星の欠片からやっと生まれた私のミュトス。その原始の力。新しい星を作るその力こそが、私が求めてきたものだ!!」

 ライアンの能力は重力操作、と言われているが、実はそうではない。
 地球のものではない新しい重力場を生み出し、その重力の強弱を操作する。その結果、局所的に地球の重力が強くなっているように見えるだけだ。彼が生み出しているのは実のところ、小型のブラックホール。星の成れの果て、もしくは──新しい星の原型。

 生きとし生けるものが本能的に求めるのがアンジェラの力なら、生きとし生けるものが恐れる絶対的な力が、ライアンの能力。
 同じ星の上にいる生命なら、生きていようと死んでいようと、どんなものでも平伏するしかなくなる、宇宙的な規模においても根源的な力。

「おい、おい、おい。まさかだろ。いくら俺様がビッグな男でも、星を作るって」
「それは君がその肉体だからだよ」
 はっきり引いているライアンに、ルシフェルは目を細めて笑って言った。

「あのアンドロイドたちで実証されているだろう? スペックの小さなハードには、優秀なソフトは収まりきれずに真価を発揮できないのだと。しかし君はその肉体でもってしても、あれほどの力を発揮できる!」

 ──素晴らしいっ!!

 公式記録、最高重力612倍、60キロの人間なら、約37トンの負荷。
 他のスタッフが恐怖を滲ませる中、ルーカス・マイヤーズだけが手放しでライアンの力を絶賛したあの時の実験を思い出す。

「ミカエラが多くの生命に植え付けた、生命体にとって次の進化ステップたるNEXT能力。でも後付けであるこの力に、君たちの肉体は矮小すぎるんだ。成長とともに真価を発揮するどころか、肉体が壊れないようになるべく小さく能力をセーブする」
「……つまり俺をまるごとあんたが取り込んで、この力を全力で発揮すれば、星も作れるって?」
「そういうことだ!」
 高らかに、ルシフェルはそう言いきった。

「いや、……ちょっといいか?」
「何かな? 何でも聞いてくれたまえ」

 困惑しきった様子のライアンに、ルシフェルは機嫌良さそうに対応した。

「つまりあんた、俺の能力目当てで俺を連れていきたいんだろ? 実際このカラダじゃ、星は作れないわけだろ? なら能力だけコピーしてけばいいじゃねえか。出来るんだろ、なんかその特別な大容量脳ミソがあれば」

 怪訝な表情で言った彼に、ルシフェルはきょとんとする。そしてふと空中に視線を飛ばし、子供のように無邪気に目を丸くしてから、自分の顎に片手をあてた。
「……本当だ」
「おい!」
 お前本当に世紀の大天才科学者なのかよ、とライアンが真っ当な突っ込みを入れる。しかしルシフェルは気分を害するどころか黒い目をきらきらとさせ、ライアンを見つめている。
「いや、本当だ。なぜだろう、今の今まで考えもしなかった。本当に不思議──不思議だ。まさにミュトス! ああ、なぜ君に関してはこう見方が変わってしまうのか。盲目になってしまったような──それでいて不快ではない、むしろ高揚するようなこの感覚! いや、興味深い、本当に! この不思議を解明するためにも、能力だけでなくますます君本人を連れて行きたい!」
「……気が進まねーから、お得意の脳ミソコピーでなんとかしてくんねえ?」
「嫌だよ」
 げんなりした様子のライアンに、ルシフェルは駄々をこねる子供のように頬を膨らませた。

「だって何故か上手くいかないことが多いんだ。ネフィリムもどこかに行ってしまったし」
「ネフィリムって……、電話で言ってた、あいつのオリジナルの脳の話か?」
「そう。一緒に新しい星に行こうと言ったのに、彼女の脳、どうしてか能力だけ残して消えてしまって。餞別かな。まあ、構わない。彼女の星はやっぱりここだったんだろう。それはそれで素敵なミュトスだよ」
 うん、と頷いてから、ルシフェルはまた笑みを浮かべてライアンを見た。

「とにかく、やはり君は特別だ。私の知らない何かがある──興味深い。人間のことなどもうつまらないほど何でもわかっているはずなのに、君のことは全くわからない。いや、色々分かるが、全てではないような。ああ、表現すら曖昧にしか出来ない! それなのに不快ではない!」

 目を輝かせて、ルシフェルはライアンに手を伸ばす。
 しかし、それは遮られた。前に出てきたホワイトアンジェラによって。

「何だい、アンジェラ」

 微笑んだままだが明らかに目の温度をすっと下げて、ルシフェルはそれほど目線の高さが変わらないアンジェラに首を傾げてみせた。

「だめです。ライアンを連れて行くなど、だめです。とてもだめです。とても」
「相変わらず幼稚な文法だなあ。君の意見など関係ないよ」
「いいえ関係あります! なぜなら私は! ライアンの! 恋人ですので!!」
 わざわざいちいち区切って、アンジェラは胸に手を当てて堂々と言い切った。そしてその途端、よく見ないとわからないレベルでルシフェルの目がほんの僅かに眇められた。
「だいたい、何が不思議なのですか。不思議でも何でもありません、そんなものは」
「なんだって?」
「ライアンに対しては上手く頭が働かない。そんなことは不思議でも何でもないと言っているのです」
 むすっとした様子で、アンジェラはルシフェルに言った。

「何だ? 何を言っている?」
「……彼は、いつもきらきらしているでしょう。方角を示す星のように」

 本当は言いたくない、不本意極まりない。そんな気持ちがこれでもかと滲んだ様子で、アンジェラは絞り出すように言った。

「とてもきらきらしていて、どこを見たらいいのかわからなくなる。目移りして、頭が動かなくなる。わざとではないけれどつい失礼なことを言ってしまって、ライアンを怒らせる。しかし怒られても全く不快ではない。むしろ──」
「そう、……そう、そうだ! そのとおりだ! どういうことだ、何を知ってる!?」

 興奮して詰め寄らんばかりのルシフェルに、アンジェラは食いしばった歯茎が見えるまで上唇をめくりあげ、不快さを隠しもしない様子でヴーと唸った。

「ほら見たことですかライアン! やはり彼の目的はあなたです!!」
「あー、うん、……マジかー」
「どういうことだ? 何を言っている?」
 本当に不思議そうに疑問符を飛ばしているルシフェルに、アンジェラは怒鳴り、ライアンは「マジかー」と繰り返しながらやや俯き、ゆっくりと首を横に振っている。
「だから言ったでしょう、ドクターは私のファンなどではないと!」
「……最初はファンだったよ」
 ふう、と小さく溜息を吐いて、ルシフェルは言った。

「その、赤い髪。最初アンジェラを見つけた時は嬉しかった。まだ仲間が残っていたのかとね」
「あん? 髪? なんか関係あんのか?」
 ふと、ライアンは質問を挟んだ。ルシフェルは気分を害した様子もなく頷く。
「私達の特性でね。私達を脳にインストールすると、とある遺伝情報がわずかに変異して、体毛をこの色にする。いわば天使である証とも言えるね」
 ミカエラの容姿は、言い伝えによると“命の色の髪をしたお姫様”。命の色、つまり血の赤。そしてラファエラもまた、ガブリエラを生む前はこの赤毛だった。だからこそ、ミカエラと同一視されていたのだ。
 その言葉に、ライアンは傍らにいるアンジェラをちらりと見る。
 今はメットを被っているが、彼女の他にない赤い髪は、確かにルシフェルと同じ色だ。

「……え? じゃあつまりお前って、宇宙人とのハーフってこと?」
「む?」

 宇宙人云々については全くついていけていないアンジェラは、怪訝な様子のライアンにただこてんと首を傾げた。

「でも調べてみたら、狂ったラファエラが生んだバグだらけのジャンク品ときた」
 ふう、とルシフェルはため息をついた。
「せめて能力がラファエラと同じならまだしも、真逆だろう。ミカエラともまた違うし……。摂取したカロリーで肉体の活性化なんてどこまでも物質的な力、私達には何の意味もない。しかも思考回路は意味不明だし、異様に自我が巨大だし。まあ要するに頭が悪い上に癖が強くて何の役にも立たない」
「すげえな、お前がおバカちゃんで個性豊かなおかげで宇宙人から乗っ取られるのを防いだってよ」
「よくわからないですが良かったです!」
 ライアンの投げやりな言葉に、アンジェラは本当によくわかっていないまま、ただ彼に褒められたと捉えて誇らしげにそう返した。

「きみが荒野からシュテルンビルトにやって来た時は、他から注目されないように能力をデータベース登録しつつも一般の検索では引っかからないようにしたくらいだったんだが」
 ルシフェルは、さらりと言った。誇らしげだったアンジェラは、一転して呆然とする。
「いま、……何? ……なに、なにを」
「おかしいと思わなかったのかい? やっぱり頭が悪いなあ、君は」
 わなわなと唇を震わせているアンジェラを、ルシフェルは嘲笑した。

「今や色々な能力が使えるが、私独自の能力がこれだ。電子や量子の操作、すなわち情報操作。つまり、どんなコンピュータも支配する」

 なんの端末も必要とせず、信号そのものを自在に操る。今や有線どころか無線で繋がるインターネットがある現代、あらゆるコンピューターとそれらを行き交うは自分の手の内だとルシフェルは言った。

「私の趣味はネットサーフィンだ。まあどうでもいい情報がほとんどだが、時折掘り出し物もある。ランドン・ウェブスターのレポートとかね」
「高校生の時にウロボロスに送ったっていう、あれか?」
「そうそう。宛先のメールアドレスはどこかの馬鹿が適当に書いたやつだけどね。そういえば、MAILER-DAEMONをウェブスター君に返すのを忘れたな」
 つまりランドンが送ったメールはウロボロスではなく、ネットの海を泳いでいた堕天使に拾われた後に結局ウロボロスに渡った、というルートを辿っていたということだ。何でもかんでもネットに流すもんじゃねえな、とライアンは苦々しく思った。

 ──だが、つまり、ガブリエラに関してもそういうことだ。

 本来ならもっと早い段階で現在のように注目されていておかしくない能力だったにもかかわらず、地道な努力で二部リーグヒーローになるのがせいぜいだったのは、ルーカス・マイヤーズ──ルシフェルが国際NEXTデーターベースに細工し、検索リストから除外していたから。更に二部リーグ時代、彼女が助けた市民たちのネット上の書き込みや画像や動画もすぐに消去していたせいだったのだ。
 あっさり、淡々と、忘れていたどうでもいい連絡事項でも語るように言うルシフェルに、彼女は呆然としていた。

「“ぼくらのヒーロー”の特番の時まではネット拡散を防げば簡単だったんだけど、メトロ事故でああまで大々的にテレビ放送されたもんだから、それ以降はやっていないね」
「こ、こ、この、この……」
「落ち着け、気持ちはわかるけど落ち着け。な?」
 今にもルシフェルに殴りかからんばかりのアンジェラを、ライアンは後ろから彼女の肩に手を置いてどうどうと慰めた。

「まあ、そんなことはどうだっていいさ。それよりも彼に感じるこの不可思議な感覚……これは何だ? 知っているなら教えて欲しい」
「……誰が教えますかこの◯◯◯◯◯◯──!!」

 完全にキレているアンジェラの頭を、ライアンは同情を込めてよしよしと撫でた。ルシフェルは怒り狂う彼女を、珍しいだけで可愛くもなんともない奇妙な生き物でも見るような様子で見ている。

「別に教えてくれなくてもいいよ。新しい星でゆっくり調べればいいだけのこと」

 ルシフェルは、その黒い目を青白く光らせた。

「さあ、──“私と共に、星へ行くんだ”!」
「ぐ……!!」

 頭が割れそう、いや意識が飛びそうなほどの頭痛に、ライアンが頭を抱えて膝をつく。
「ふむ。ラファエラの中に残っていたジャンク品──どこかの誰かの能力だが、優秀だ。私とも相性がいい」
 電子、量子を操作してコンピューターを弄るようにして、脳の電気信号を弄って言うことを聞かせる。実に扱いやすく有用だ、とルシフェルは楽しそうに言った。
「くそっ、能力、も……!」
 床に両手をついたライアンは、発動しない能力にまた歯を食いしばる。予想はしていたが、“一緒に行かなければいけない”と命令されているルシフェルを攻撃することもまた禁則事項に含まれているようだ。
「……こンの、チート、野郎……!」
「否定はしないよ。確かに私は君たちとは全く違う存在だから」
 痛みに耐えるライアンを、ルシフェルは愉悦の滲んだ表情で見つめる。

「ライアン! ライアン、しっかり!」
 ルシフェルのほうに足を進めないことで苦しむライアンに寄り添うホワイトアンジェラを、ルシフェルが見下ろす。その表情は、ライアンに対するものとは全く違う、どこまでもどうでも良さそうなもの。
「アンジェラ、君はどうする? いてもいなくてもいいが、生体部品のエネルギータンクとして活用できないこともない。彼が恋しければ一緒に来てもいい」
「言われなくとも一緒に行きます! ──そして、あなたのところには行きません! 絶対に!」
 自分とよく似た容姿、全く同じ赤い髪を持つルシフェルを、アンジェラはメット越しに強く睨みつける。

「止められないなら、一緒に行けばいい。行かせたくないなら、あなたをここで止めればいいのです!」
「なるほど、簡単なロジックだ。それで? 戦闘能力を持たない君に何が出来ると?」
「──ラグエル!!」

 アンジェラが叫ぶ。途端、フォオオオオン!! とクリアなエンジン音が響き渡る。そして誰も乗っていないために、壁を強引に擦りながらも狭い通路をぎりぎり、無理やり通ってきた無人のチェイサーが現れた。
「おや、リモートでも動くのかい。知らなかったな。……やっぱりパワーズやスローンズの彼ら、私に隠し事が多かったよね。信用されてないなあ」
 やれやれと肩をすくめるルシフェルを前に、アンジェラはひとりチェイサーに跨った。

《──Principalities mode!!》

 合成音声が響き、チェイサーとホワイトアンジェラのスーツが変形する。
 しかしその変形は、とにかく速さを追求したいつものスローンズ・モードの流線型とは異なる姿に落ち着いた。
 空気抵抗を極限まで減らすためにマシンとひとかたまりになるのではなく、上半身はフリー。ハンドルすらなく、手には大きなナイフのような金色の刃物が、獣の爪のように3本飛び出している。
 乗り物に乗っているというよりはむしろ車輪付きのヒーロースーツと言ってもいいそのスタイルは、走るためでも、癒やすためでもなく、完全に戦うための姿だった。

「ふむ? プリンシパリティ、ね。君の普段の主張とはそぐわない天使だが?」

 ルシフェルが、嘲笑に近い様子で言う。
 プリンシパリティとは、地上の国々や都市を守護し、主権や権力、信仰を擁護する天使である。また正義を体現し、善悪を徹底的に区別する存在でもあるとされる。
 普段から常に善悪はわからない、とにかく片っ端から怪我を治し救い続けるのが自分の役目だと豪語している彼女からすると、ルシフェルの言う通り、それは確かにそぐわない姿だった。

「ヒーローは、困っている人を助け、悪いやつをやっつけるものです。しかし私には難しいことはわかりませんので、とにかく人を助けてきました。今も正義や悪がどういうものかはわかりません。しかし」

 アンジェラは、凶悪な爪のついた大きな手をルシフェルに向けた。
「私にとって、間違いなくあなたは敵です! 悪です! この狼め!」
「……は?」
「私はおバカちゃんなので難しいことはわかりませんが、大事なことはわかります!」
 胸を張って、アンジェラは番犬のように言う。
「つまりあなたはライアンを連れて行って、自分のものにしようとしています! そんなことは許しません! ライアンは、私の恋人です! 私とずっと一緒にいるのです、あなたに連れて行かせなどするものですか!!」
 ガンッ!! と、アンジェラは足の裏を床に叩きつけた。少なくともコンクリートよりは硬い素材で出来ているだろう床が、破片を飛び散らせて削れる。

「悪い狼は、──ぶっ飛ばします!!」

 ゴゥッ!! と凄まじい瞬発力で、アンジェラがルシフェルに迫る。チェイサーの機動力がそのまま足になっているその速さは、人間について行けるものではない。
 しかし、ルシフェルはひょいとそれを避けた。そして流れるような動きで、青白く光るルシフェルの手が、アンジェラの死角を襲う。
「──なに?」
「ふんっ!」
 しかし肩についた巨大なパーツを掴んだその手を、アンジェラは鼻息荒く思い切り振り払った。距離を取る。アンジェラの肩は無傷だった。
「……おかしいな?」
 ルシフェルは首を傾げ、近くにあった適当な資材に手をかざす。じゅうじゅうと音を立てて資材が解けていった。
「その能力は……」
「状態変化。ネフィリムが残していった、彼女の能力だよ。これが通じなかったということは、……そのスーツ、NEXT能力遮断素材か」

 ホワイトアンジェラが効率よく能力を使えるように、彼女のヒーロースーツはランドン・ウェブスターが開発した能力透過素材をふんだんに使っている。
 しかしそんな普段の運用とは真逆に攻撃に回ることを目的としたプリンシパリティ・モードは、透過値を反転させて外部からのNEXT能力を完全にシャットアウトするようになっているのだ。

「そのとおりです。元々身を守るための防犯グッズを考えていただいていましたが、あなたに狙撃されてから、必要とあらば反撃もできるものが必要ということで作っていただきました! 予算がほとんど吹っ飛んだと聞いています!」
「……おい、聞いてねえぞ……」
 ヒーロー事業部アドバイザー、プロジェクト申請書類の全てを把握する立場であるはずのライアンは、ひとまず収まった痛みにぐったりしながらも呻いた。
 彼女が掏摸のふたり組を過剰防衛で伸してからその提案がされたのは聞いているが、案の定、こうして凶悪なものを作り上げていたようだ。少なくとも、夜道を歩く時に女性が持ち歩くような品ではない。
「許可を待っていたら間に合わないので無断でやったそうです!」
「あのギークども……」
 結果役に立ちやがるからタチ悪ィ、とライアンは膝を立てて立ち上がろうとする。
「ライアンはそこに! これは私の役目です!」
「ああ?」
「あなたの恋人は私です! それをわからせてやるのです!」
 フンッと鼻息を噴いて、アンジェラは大きな爪を広げ、ビュンビュンと振り回す。スーツのパワードのおかげでものすごいスピードで振り下ろされた刃物が、風を切る音を立てた。
「約束しました! あなたは私が守ります!」
 完全にスーツ由来のそのパワーは、本当にただの武器、いや兵器だ。つまり、素地の身体能力やNEXT能力でもってヒーロー足り得るシュテルンビルトではまったくもってアウト、使うことを許されない代物。しかも、彼女はとんでもなく手加減が下手ときている。
 よってこれはなりふり構わずとにかく相手を殲滅するための、そして他の人間の目もテレビカメラも何もない、正真正銘いまこの場限りでしか使えない装備。──それでいて、予算の殆どが吹っ飛んだらしいが。

「ってお前、手加減もできねーくせにそんな凶悪な装備持ってきちまってまあ。バラバラにしちまったらどうすんだ」
「あれがヒトなら後で治せます!」
「え、バラバラでも?」
「殺さなければ大丈夫です! 手足を狙います!」
 とんでもないことを言い切るアンジェラに、ライアンは半眼になった。
「……つーかあいつ、結局宇宙人だかオバケだか単に頭おかしいんだかわかんねーカンジだけど? 今回は怖くねーの?」
「怖いなどと言っている場合ではありません! ぼんやりしていたら、よその狼にライアンを食べられてしまいます! 宇宙人でもおばけでも頭のおかしい人でも、善でも悪でも、関係ありません! ライアンを狙う狼なら私がやっつけなければ!」

 きっぱりと言い切った彼女に、自然、ライアンの口元に笑みが上った。

「ったく、筋金入りの恋愛脳な上にクソがつく脳筋ときた。マジのおバカちゃんだな」
「恐縮です! ……ダ、ダメですか?」
「すげー心強い。愛してるぜダーリン」
「はうう! 嬉しいです! 私も愛しています!」
「おう。頑張って俺のために争え」
「はい!! 頑張ります!!」

 テンションが一気に上がったアンジェラは、脚のエンジンをふかしながらルシフェルに向き直る。ルシフェルは、無表情でそんなふたりを見つめていた。

「さあ来い、悪賢い狼め!」
「……頭の悪い犬風情が」

 爪を振りかぶって突進してきたアンジェラに、低い声でぼそりと呟いたルシフェルが身構える。青白く輝く黒い目。
「おい、気をつけろ! 何の能力が来るか──」
「壊してしまえば皆同じです!」
 脳筋極まりないことを叫び、アンジェラが爪を振りまわす。ガァン! ガギィン! と盛大な音を立ててそれ弾くのは、目に見えないバリアのようなもの。ジェイクのバリアだ、とライアンは察した。同時に、青白い光がひときわ強くなる。
「来るぞ、アンジェラ!」
 ルシフェルから放たれた、ジェイクの能力であるバリアをビーム状に飛ばす使い方。しかし即座に反応したアンジェラは、大きく脚を振り上げた。

「ギャローップ!!」
「なっ!?」

 まさかの動きに、ルシフェルが驚きの声を上げる。振り上げた脚で飛んできたバリアを絶妙に踏みつけたアンジェラは、なんとそれを踏み台にして大きく飛び上がったのだ。
「ラグエルなら! この程度! 楽勝で飛び越えます!!」
「馬ってそんな強いか!?」
 亡き親友に対し明らかな過大評価をしている彼女にライアンは突っ込みを入れたが、本気で信じている彼女はそれを実現させている。

「馬に、蹴られて、死ねぇえええええ!!」

 雄叫びとともに放たれる、時速300キロ回転するスパイク付きタイヤの踵落とし。凶悪極まりないそれを、アンジェラは自分と同じ赤い色の頭に容赦なく振り下ろした。
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BY 餡子郎
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