#186
「と、飛んでいるのですか? 本当に飛んでいるのですか?」
「たぶんな」
エンジェルチェイサーに跨ったままきょときょとと周囲を見回すアンジェラに、ライアンはあえて彼女の方を見ず、警戒の目を光らせた。
空港に着くと、「ゴールデンライアン! 話は聞いています!」と叫ぶ空港職員に誘導され、ふたりはエンジェルチェイサーにタンデムしたまま、パスポートチェックもボディチェックも受けず、直接滑走路に入った。詳しく言葉は交わさなかったが、彼らの表情や告げてくる内容から察するに、つまり事件解決のためライアンたちが空港を使うことになっている、ということらしい。
明らかに特例扱い。しかしアニエスや司法局にはまったく連絡がついていないはずであるし、道すがらに顔を合わせることが出来たT&Bが行き先を彼女たちに伝えてくれたにしても対応が早すぎる。
「頑張ってください!」と純粋に応援してくれる職員たちに、ふたりはあえて真実は話さなかった。
しかも乗せられたのは、軍でも用いられる輸送機。車両を搭載することが出来る、少なくとも一般人が乗ることは一生ないタイプの航空機だ。
乗り込めば、いくつかついている小さな窓はご丁寧にもシャッターが開けられないようにされていて外が見えない。最近の軍用機に多い無人操縦タイプの機体はあれよあれよという間に扉が閉められ、即座に離陸体制に入り今に至る。
航空機に対し電車の延長くらいにしか思っていない程度に乗り慣れているライアンは離陸時特有の感覚がわかったが、外が見えないため、航空機初体験のアンジェラはずっと落ち着かなさげである。
こんなものを普通に用意し、堂々とシュテルンビルトの空港に停め、また管制にも疑問を抱かせずすんなりと離陸してしまったこの状況に、ライアンはルシフェルの能力によるものではない純粋な頭痛を覚えた。
[申請ルート、サイン、パスワード、生体認証。このあたりが揃っていれば、出来ないことは殆どないよ]
ルシフェルが、さも当然のように言った。
確かに直接顔を合わせたり声を交わしたりしなくとも、オンライン上でのやりとりが正式に行われれば今どきなんでも事は済む。ルシフェルは色々な所をハッキングし、真っ当な手続きでもって許可が降りたという状況を作り上げたのだ。
アナログな手段全般をコストばかりかかる時代遅れな方法だと思ってきたが、こうなってはそう馬鹿にしてもいられないな、とライアンは痛感する。
「どこに行くのでしょう」
「さあな。せめて方角がわかりゃいいんだが。お前わかるか?」
「むう、……空ではわかりません」
長く陸路の旅をしてきた彼女は、影の角度や長さで概ねの時間や方角を自然に割り出し、そうでなくてもなんとなく東西南北が分かるという特技を持つ。しかし初めての空路ではその特技も役に立たないらしく、「ぐるぐるします」と唸りながら頭を振った。
なぜそんなことをしているかというと、スーツ内部のコンピューターが、オンライン接続しなければ使えない機能全て、まったくもって動かなくなっているからだ。つまり通信はもちろん、マップ機能も全滅。
そしてこの状況を作り出したルシフェルはといえば、輸送機に乗り込んでから一切呼びかけに応えなくなっていた。
「みなさんは大丈夫でしょうか」
きょろきょろしてもなにか分かるわけではないと判断したのか、辺りを見回すのをやめたアンジェラが不意に言った。
ちょうど輸送機に乗り込もうとする頃、凄まじい音と光が遠目に見えたからだろう。炎の中から真っ黒い巨大骸骨が雄叫びとも呻きともつかぬ声を上げているという、この世ならざるような光景を目にすれば、心配なのも無理はない。
「そこはあいつらを信じるしかねえな。俺達は俺達の仕事に集中すんぞ」
「はい、わかりました」
アンジェラは、考える間すら空けずに頷いた。
基本的に物事を深く考えない上、信頼している相手の言うことはどこまでも従順に聞き入れて全く揺らがない彼女の性格は、短所でもあり長所でもある。しかしこういう時にはありがたいし頼もしい、とライアンは思った。これで、彼女は絶対に言われたことを守る。
「大丈夫だ。俺たちふたりいりゃあ、どこに行ったってなんとかなる。だろ?」
犬耳のついた頭を引き寄せ、メットどうしをゴツンとぶつけてやれば、アンジェラのテンションが急激に上がったのが、彼女から醸し出される空気でわかった。
「はい!」
嬉しさの滲んだ声を出し、大きく頷いた彼女は、そのままエンジェルチェイサーのチェックと調整にかかり始めた。
これから何が起こるかわからない。移動手段であり武器にもなるチェイサーの準備を整えておくのは有用な時間の使い方だ。彼女には何も指示されずともすぐにそういう行動に移ることのできる冷静さとしたたかさがあり、ライアンは彼女のこういうところを恋人ではなく相棒として信頼している。彼女は確かに“おバカちゃん”だが、決して間抜けではないのだ。
(さて)
彼女が作業している間、自分もできることをしなければならない。
ライアンはすっと目を細め、自分たちを運ぶ輸送機の内部をひとつずつ調べ始めるが、収穫は多くなかった。
軍用機であるのは確実であるが、ロゴマークの類はことごとく削り取られており、本来あったのだろういくつかの装備類も剥ぎ取られていた。無人機であるためパイロットもいない。パイロットがいないので、軍用機には大抵ある通信装備、ラジオや無線も存在しなかった。念入りなことだ、とライアンは舌打ちする。
しかし軍用機なら、一般的な旅客機よりもスピードは段違いに早いはずだ。移動距離の長い旅に慣れているライアンは、頭の中に地図を広げ、自分たちがどのくらいの範囲まで運ばれるのかをシミュレーションし続ける。
そしてアンジェラはといえば、チェイサーのチェックを終えたあとは行儀よく座って周りを眺め、ついにはうとうとと仮眠をとったりしていた。その図太さにライアンが呆れ半分で目線を遣ると、目が合ったのが嬉しいといわんばかりににっこりする。いつもと全く変わらず緊張も不安もなく呑気な彼女に、ライアンはすとんと肩の力が抜け、結局彼女と手を繋いで自分も少し仮眠を取った。
およそ2時間程度のフライト。
気圧の変化を感じたと思った数分後、着陸の衝撃。
そして、いよいよ扉が開かれた。
乗り込んだ時と同じようにエンジェルチェイサーにタンデムし、警戒を怠らず外に出る。
着陸してからそのまま地面を走っている様子がそれなりに長かったので予想はしていたが、機体は野外ではなく、巨大な倉庫のような建物の中に停められていた。
「誰もいませんね」
アンジェラが言う通り、だだっ広い空間には誰もいない。
壁際にはいくつか空っぽのコンテナがぞんざいに放置されており、そしてここから輸送機が入ってきたのだろう、巨大な扉が目についた。当然扉に向かってみるが、途端ライアンの頭痛がひどくなったので、扉を壊して外に出る案は却下。どうしたものかと思っていると、扉とは対面の壁に幾何学的な裂け目ができ、ゆっくりとした駆動音を立てて開いていった。近付いても、頭痛は起きない。
「……来いってことか」
ライアンは、スーツの下で目を細めた。
シュテルンビルトでうざったいほど話しかけてきたルシフェルは、輸送機に乗り込んでからはうんともすんとも言ってこない。つまり、もうそれが必要ないほど近くにいるということなのだろう。
「行けるとこまではチェイサーで行くぞ。多分そこそこ行けるはず」
「はい!」
なぜわかるのかと、命令を遂行することに集中しているアンジェラは聞いてこない。
ライアンは彼女の後ろでぐっと腰を据え直しながら、“Ophiuchus”のロゴが刻印された空のコンテナを流し見た。
「ここは多分、オピュクスのシャイニングスター開発事業所だ」
「オピュクス? シャイニングスター……あっ! ええと、宇宙たんさき!」
「そう、それ」
“Ophiuchus”──オピュクス、へびつかい座。
神話において医神アスクレピオスは蛇の巻き付いた杖を持っており、その姿を天に上げたと言われるのがこの星座だ。またアスクレピオスホールディングスの子会社で、航空宇宙開発事業を担う会社の名前でもある。
そして更に、メトロ事故以前にライアンがヒーローとして雇用されるはずの企業でもあった。それゆえにライアンは大まかな事業計画書にも目を通したことがあったのだ。
オリオン流星群がやってくるこの機会に、遠い宇宙の果てにいるかもしれない生命体を探すために打ち上げられる宇宙探査機・シャイニングスター。
色々な事件が起こりすぎて注目度が薄れているが、歴史的な偉業を為せる可能性と期待を背負うプロジェクト、そのはずだ。
ライアンの予想通り、大きな機材を搬入する必要のある通路は、巨大なチェイサーで通っても何ら問題はなかった。
法定速度を守ったスクーター程度の速度で、ふたりは注意深く進んでゆく。いちど途中にある部屋に入って誰かいないか、なにか分かることはないかと調べてみようともしたが、途端耐え難い頭痛がライアンを襲うので、何もわからないまま仕方なくまっすぐ進んでいった。
いくつかのゲートをくぐり抜けると、今までで最も仰々しい扉が現れる。本来は生体認証が必要なのだろう、扉の横には認証のためのキー・システムが備え付けられている。しかし何もせずとも電子音とともに「認証シマシタ」と合成音声が響き、勝手に扉が開いていく。
細かく監視されていることに辟易しつつも、ふたりは最後の扉をくぐる。
「ライアン! アンドロイドがたくさんいます!」
「ああ。でも、こりゃあ……」
アンジェラの言う通り、大仰なコンピューターが所狭しと設置された広い空間には、あの黒い骸骨アンドロイドが何体も動き回っていた。
しかしアンドロイドたちはライアンたちを一瞥もせず、それどころかまるで人間のようにコンピューター端末の前に陣取り、それぞれ何らかの作業を行っていた。
《──それらに戦闘プログラムはインストールしていないよ。ただの作業端末さ》
近くのスピーカーから聞こえてきたのは、男のような、女のような、不思議な声。
《そのまま真っすぐ来たまえ。ああ、チェイサーはもう通れないよ。そのあたりに置いて》
確かに、ここから見える更に奥の通路は、この巨大チェイサーが通れる幅ではない。
「ヴー」
「しょうがねえな。行くぞ」
不満げに唸るアンジェラを宥めつつ、ライアンは彼女とともにチェイサーを降りて足を進めた。癪だが、どちらに行けばいいのかはなんとなくわかる。導かれるような、呼ばれるような感覚に従って、ライアンはアンジェラを連れて、あまり広くない通路を進んでいった。
What a friend we have in Jesus
──なんと良き友であろうか
All our sins and grief's to bear
──我らの罪と悲しみを全て背負って
What a privilege to carry
──なんと素晴らしきことか
Everything to God in prayer
──神に全てを打ち明くるとは
「この歌……」
響いてきた歌声に、アンジェラが顔を上げる。
よく知っている賛美歌だった。最近聴いたこともある。──夢の中で、母たちが自分を抱いて結婚式をあげた時、ふたりで口ずさんでいた歌だ。
慈しみ深き、友なる者よ。◯◯教の新教において原罪を背負い世を救ったとされる救世主が人々にとっての最愛の友人であることを讃えた歌は、人生の伴侶を得る結婚式で歌う定番の曲でもある。
しかし歌詞をよく読めば、ジーザスと呼ばれる救世主は“Lord”、つまり主従関係における主、導き手としてどこかに導いてくれる存在──選ばれし者を星に連れて行く、◯◯教の旧教における天使のように描かれている部分もある。
「……似ています」
「誰と?」
「マム」
振り返らないままのライアンの質問に、アンジェラは端的に答えた。
アンジェラは、母親と思いマムと呼び続けてきたあの女性から歌を習った。元は酒場で歌って稼いでいたという彼女の歌声は実に見事で、未だに忘れたことはない。
女にしては重みがあり、男にしては軽やかに高いこの歌声は、かの人の歌声、そして夢の中で会った“ガブリエル”ともとても良く似ていた。──同じなのではないかと思うほどに。
Oh what peace we often forfeit
──我らはしばしば平和を失い
Oh what needless pain we bear
──不要な痛みに耐えている
All because we do not carry everything to God in prayer
──それは神に全てを打ち明けようとしないからだ
Can we find a friend so faithful
──かくも良き友は無いだろう
Who will all our sorrows share
──全ての悲しみを分かち合うなど
Jesus knows our every weakness
──かの者は我らの弱さを全て知っていて
Take it to the Lord in prayer
──祈りて主の所に持っていってくれる
Are we weak and heavy laden
──不安な心の重荷に苦しみ
Cumbered with a load of care
──負荷に耐えられぬ弱さあろうとも
Precious Savior, still our refuge
──貴き救い手は必ず我らを保護し
Take it to the Lord in prayer
──祈りて主の所に持っていってくれる
朗々と響く歌声が、近づいてくる。
先程アンジェラが彼女のマムの声と似ていると言ったが、ライアンは彼女自身の歌声に似ていると思っていた。声変わり前の少年のような彼女の歌声だが、あの中性的な声質を持ったまま成熟し洗練されればきっとこんな風になる、そんな声だと。
Do thy friends despise, for sake thee
──汝の友が望むなら
Take it to the Lord in prayer
──祈りて主の所へ行かれよ
In His arms He'll take and shield thee
──武器と楯を持って来られても
Thou wilt find a solace there
──そこに行けば安寧があるだろう
「実にロマンチックな歌だ。ロマンチックなのは好きでね」
歌が途切れた後、その歌を歌っていた声が言った。
その話し声もまた歌声と同じく性別がなく、男としては高く、女にしては低い。さらにその容姿も同様だった。
背丈は180センチ程度と高く、しかし華奢とすら表現できるほどすらりとした痩身。手脚も長く、着ている黒いハイネックシャツが全く寸詰まりになっておらず、ほっそりとした長い首。男としては美しすぎ、女としては凛々しすぎる顔立ち。まつ毛は長いが眉は薄く、唇も形はいいが肉感に乏しく人形めいている。頬のラインは直線的だが肌は柔らかそうできめ細やかだ。
そして、ぱっちりとした目は瞳孔と網膜の境がわからないほどに真っ黒で、真正面から見ると本当に吸い込まれてしまいそうな心地になる。
だが何より特徴的なのは、その髪の色。
驚くほど真っ赤な髪。そのくせ全く人工的な様子がなく、イチゴやトマトが自然にその色であるようなナチュラルさで、生え際の産毛までが見事に赤いその髪は、ガブリエラのそれと全く同じ色合いだった。
違うのは、ガブリエラは癖の強い巻き毛であるが、目の前のそれはさらさらとしたストレートであることぐらい。
「あんたが……ルシフェルか?」
「そうだよ、ゴールデンライアン」
赤毛の人物、ルシフェルは、目を細めて笑みを浮かべながら言った。聖像が浮かべるアルカイックスマイルに近いその表情は間違いなく美しいが、同時に得体が知れない。
「さあ、行こうか」
「いっ……、おいおいおいおい、説明が少なすぎんだろ! 色々聞きてえことがあるんだっつーの!」
踵を返して歩き出そうとするルシフェルに、頭痛をこらえながらライアンが言う。
「何が目的だ!? 行くってどこにだ、なんで俺だ、つーか結局お前誰だよ!!」
「質問が多いなあ」
頭を押さえながら大声を出したライアンに、ルシフェルはくるりと振り返った。
「まあ、いいよ。出発まで時間もあるしね。それに確かに、正しいことを知ってほしいという気持ちもある」
ルシフェルがこちらに向き直るや否や、ライアンの頭痛がおさまる。ライアンがはあと大きく息をつき、はらはらと見守っていたアンジェラは彼の腕に手を添えつつ、きっとルシフェルを睨んだ。
「さて、どこから話したものかな。まずは整理しようか」
長い首をこてんと傾けて、ルシフェルは妙に可愛らしく言った。
「私はルシフェル。明けの明星、光と輝きを示す天使」
長い脚を組み替えながら、ルシフェルは言った。
「◯◯王国の王・ルシウス3世、ルーシャン、ルシアン、ルシオ、ルシエンテス、ルシーノフ、ドクター・ルーカス・マイヤーズ。まあ色々名乗ってきたけどね。有名になってしまったのはこの最初と最後の名前の時かな」
「ちょっと口挟んでいい? はっきり聞くけど、それ妄想?」
頭痛のせいだけではない苦々しさを込めてライアンが言うと、ルシフェルは薄い眉尻を下げて苦笑を浮かべた。
「ひどいなあ。私は嘘をついたことなんかないよ」
「あっそう。……で? 目的は?」
「それはもちろん、星に行くことさ」
私は天使だからね、とルシフェルは微笑む。
「天使として、私達はこの星にやって来た。選ぶために」
「選ぶ……。星に連れて行く人間を、ってやつか?」
「そう、その通り」
ルシフェルは頷いた。
「だけど、私は割と長く不明の状態だったんだ」
「不明って何だ?」
「うーん、私もその時期のことについては曖昧なんだけどね。私達はそもそも物質ではないんだ。だからこそ選び求めるんだけど、この星にやって来た時の衝撃でおそらくバラバラになってしまって、自我を取り戻したのが何世紀か前。それでルシウス3世になった」
もはやどう口を挟んでいいのかもわからず、ライアンはただ片手で頭を抱えた。正直なところ、薬でもキメたか精神に異常をきたした病人の妄言にしか聞こえない。アンジェラはきょとんとしていた。
「一緒にやってきたミカエラとラファエラは私よりずっと早く目覚めていて、やはり人を選んでいた。だけど私達が人を選ぶ基準はそれぞれだ。お互いにその考え方に口出しはしないし、自由にやっている」
まあ正直、あれらのやり方は理解出来ないがね、とルシフェルは馬鹿な子供を語るような様子で言った。
「なぜなら結局ミカエラは自我を失い消滅し、ラファエラは狂ってあのざまだ。だが私はああなりたくはない」
ルシフェルは、まっすぐにライアンを見た。黒い目。どこに繋がっているのか得体の知れない、真っ暗な底なしの穴のような目がライアンを誘う。共に来いと、ここに落ちてきてほしいと。
「ゴールデンライアン。長年に渡ってこのつまらない星の営みを観察し続けてきた私が、ついに見つけたのが君だ。輝けるミュトス。新しい星には君が必要だ」
「ここまで聞いといて何だけど、全く意味がわからねえ」
「構わない。どうせあとで分かるようになるさ」
本当に全く構わないという様子で、ルシフェルは今度こそにっこりと微笑んだ。まるで子供のように無邪気な様子で。
「とはいえ、……本当に全く何もわからないまま連れて行くのは少し申し訳ない。そうだな、君のやり方を採用しよう。何が知りたい? 質問に答えるよ」
「そりゃあありがたい」
疲れの滲んだ様子で、ライアンは言った。
「じゃあ聞くが、あんた結局何者なんだ。名前が何だとか、天使とか、そういう答えじゃなく」
「ふむ?」
「何が本当なのか判断する根拠も権利も俺にはねえしな。だからとにかくいま話を通じさせるために、あんたの考え方が知りたい」
それはつまり、アンジェラ、ガブリエラと最初そうだったように。
彼女のバックグラウンド、考え方、それを理解しないまま頭ごなしに言って聞かせようとして失敗したあの出来事を教訓として、ライアンはそう言った。
何が正しいのか間違っているのか、そういうことは別件、後でやればいい。とにかく目線を合わせて相手の考えを知ることが重要だと、コミュニケーション能力にかけてはピカいちと自他ともに認めるヒーローは考えていた。
「……いいね、君のそういう所。そういう事を言う人間は滅多にいない。嬉しいよ。やはり君と話すと、久々に会話というものを楽しめる」
感心したような、惚れ惚れするような様子で、ルシフェルは言った。
「で? 俺はどういうカンジであんたを捉えりゃいいんだ? スピリチュアルな感じでいけばいい系?」
「それだと素敵なんだけどねえ。だけどそれはむしろミュトスたる君の方で、私はどこまでも面白みのない存在だよ」
残念ながらね、とルシフェルは細い肩を竦めた。
「そうだね、なら私も君の知識と価値観に歩み寄って説明しよう。──NEXTがどうやって生まれたか、君はどう考えてる?」
「は?」
歩み寄るといいつついきなり関係のない質問をしてきたルシフェルに、ライアンは素っ頓狂な声を出す。
「いいから」
「……それこそ、実際の所何もわかってねえ話だろ。あんたは……ドクター・ルーカス・マイヤーズは、進化の末に生まれた新人類だっていう説を提唱してた。“NEXT”という名前の由来のひとつでもある。実際これがいちばん有力」
「うんうん、そうだね。他には?」
ルシフェルは、にこにこして聞いている。
「はあ……。あとは遺伝子変異とか、似たようなので病気の一種だっていう説とか。トンデモなやつだと、実は大昔に……」
ライアンは、ハッとした。そして顔を上げて、ルシフェルを見る。
「……大昔に、地球に、やってきた」
──宇宙人の末裔だって説まで。
まさかあ、と言う、楓の微妙な顔を思い出す。
でも本気で信じるやつもいるんだぜ、とライアンは笑って返した。──この時は。
だが今、ライアンはまったくもって笑えなかった。
頬を引きつらせ、ライアンは目の前に確かに立っている存在を見る。人ならざる、神のごとき微笑。美しいアルカイックスマイルにあるのは、何もかもを吸い込み、どこかの宇宙に繋がるブラックホールのような、得体の知れない底なしの穴のような目。
頭のおかしい狂人のような。しかし見方によっては神のような、天使のような。あるいは他の星の住人のような、理解の及ばぬその存在。
「──まさか、だよな?」
ルシフェルは、笑みを深める。
否定はしなかった。