#185
 ──まぶしい。

 ネフィリムの朦朧とした意識に、赤と緑の光が煌めく。
 あれは何の光だろう。あれが、天使に連れて行ってもらえる星の光だろうか。
 だったらいい。とてもきれいな光だから。

(グッドラック?)

 Good Luck、幸運を。
 新天地に旅立つ者に向ける、祝福を込めた別れの言葉。
 今までたくさんの、悲しい、寂しい別れを繰り返してきた。
 だがそんなことを口にした者は、今まで誰もいない。

(初めて、言われた……)

 生まれて初めての祝福の言葉を噛み締めて、ネフィリムは夜空に輝く星を見上げた。






「ぐ、う……」

 機械の瓦礫。黒い骨が散らばる炎の海の中で、倒れ伏したワイルドタイガーとバーナビーが呻く。
 ヴァーチュース・モードの反動により立ち上がることもできない彼らは、それでも何とか顔を上げようと拳を握る。


 ──アァ──────ン……


 瓦礫の山から聞こえてくるか細い泣き声は、明らかに赤ん坊のもの。
「ネフィ、リム」
 ワイルドタイガーが、朦朧とする意識の中で、必死に手を伸ばす。
 ああ、あんな泣き声ならばずいぶん小さい赤ん坊のはずだ。こんなところにひとりで放っておくなんて、ありえない。早く抱き上げて、温かいところに連れて行って、守ってやらなければ。
 鉛のようと言っても足りないほど重い体を無理に起こそうと試みては突っ伏しながら、ワイルドタイガーは赤ん坊の声に向かって手を伸ばす。赤い炎が揺らめくぼんやりした視界、何重にもなって響く、頭を揺さぶるような耳鳴り。
 バーナビーも似たようなもので、何とか膝を立てようとしては崩れ落ちるという動作を繰り返していた。

《──ちょっと、誰かいる!? ネフィリムを……ああもうどうすればいいの!?》
「はっ、はい! チョップマンです! なんですか!?」

 焦燥感の濃いアニエスからの通信に飛び上がって反応したのは、凄まじい光景をOBCのバンから見守り、呆然としていたチョップマンであった。
 同様の状態だった他の二部リーグヒーローたちも、慌てて通信に耳を傾ける。

《エリア連合の……あーもーどこの機関だか知らないけど、連中がそっちに向かってるわ!》
「ええ!?」
 ハッとして彼らが上空に目を向けると、夜空に紛れるようにして、いくつものヘリがこちらに飛んできていた。
「え、えっとなんで? あ、加勢に?」
《馬鹿! ネフィリム目当てよ! ルーカス・マイヤーズの作った人工脳……利権目当ての人でなし共よ! 無力化したネフィリムを回収……連れ去るつもりだわ!》
 アニエスがそう言った時、アア──……と赤ん坊のか細い鳴き声が聞こえた。二部リーグヒーローたちが顔を歪める。

 一部リーグのヒーローたちほどではないが、この事件に関わり捜査にも協力したため、彼らもネフィリムがどのような人生を歩んできた存在なのか、大体のところは把握している。
 普通の人でも誰もが同情する、なんとかして助けてやれなかったのかと悲痛な思いを抱くような彼女に対し、ヒーローである彼らはもっと強烈な無力感に苛まれている。それなのに、小さな赤ん坊になってしまった彼女をこの期に及んで利用し貪ろうとする存在があることに、彼らは強い嫌悪感と怒り、そして人に対する絶望を覚えた。

「──ダメです、そんなの!!」

 チョップマンが、強い声を上げた。
「ダメです……絶対にダメです! うまく説明できないけど、……やっちゃいけないことです。これ以上彼女を苦しめたら、もう今度こそ、救いようがなくなってしまう……!!」
 普段気弱な彼の必死な声に、仲間たちは目を丸くし、しかしすぐに真剣な表情になって頷き合う。
「そのとおりッスよ! 人としてやっちゃいけないことッス!!」
「そうそう。手遅れだからなにしてもいい、っていうのは違うよな、絶対」
「非人道的極まる所業! 見過ごせぬでごわす!」
 Ms.バイオレット、スモウサンダーが言う。

「先輩方が、命がけで繋いだ希望です! 絶対に、守ります!!」

 チョップマンがバンから飛び出して走り、能力を発動させて手を巨大化させながら、赤ん坊の声がする瓦礫の山に走っていく。ブランケットを抱えたMs.バイオレット、またボンベマン、スモウサンダーが続く。
「あっちちち、火! 火が!」
「塩で消すでごわす!! ついでに消毒!!」
「赤ちゃん! 赤ちゃんどこッスか!」
 二部リーグゆえにほとんどコスプレ衣装と大差ないヒーロースーツで、鋭利な瓦礫と炎の海に飛び込んだ彼らは、右往左往しながらも何とかネフィリムがいる瓦礫の山に登っていく。

「中にいるっぽいッス! 探すんで、ガード頼むッス!」
「了解!」
 手が傷つくのも構わず瓦礫の山を丁寧に退かそうとするMs.バイオレットの前に、巨大化させた両手を立てのように構えたチョップマンが立ちはだかる。
 またスモウサンダーは塩で周囲の火を消しつつ爆発などを防ぎ、水どころか火の海であるこの場では能力が全く生かせないボンベマンは、動けなくなっているワイルドタイガーとバーナビー、そしてファイヤーエンブレムをバンに運ぶために走っていった。

「ははは……。国際司法局の動きを妨害とか、ヒーロー免許取り上げかも」

 近付いてくる機関銃付きの無数のヘリに巨大な手を構えつつ、チョップマンが引きつった笑いを浮かべた口元で言う。
「上等ッスよ! 会社や免許がなくても人助けは出来るッス!!」
「わははは、ごもっとも! その時は一緒にやるでごわすよ、皆!」
「いいねえ」
 武者震いとともにやけくその声を響かせながら、二部リーグヒーローたちは赤ん坊を助けるために奔走する。

「あいだだだだだだ!!」

 ヘリからの機関銃を両手で防ぐチョップマンが、悲鳴を上げる。しかし声は上げども彼は微動だにせず、後ろにいる、ブランケット片手に赤ん坊を必死に探すMs.バイオレットを守っていた。
「本当に撃ってきやがった!」
「このひとでなし!!」
 ボンベマンとスモウサンダーが怒りの声を上げるが、もちろんヘリはお構いなしである。

「あ、そこの! スコットさん!! 手伝ってください!!」
 その巨体があれば自分などよりよほど良い盾になるし危険もない、と当然みなしたチョップマンが声をかけると、アンドリューは肩を竦めた。
「俺は構わないが、一部リーグヒーローか、司法局の命令がないと動けませんね」
「そんなあ!」
「ヴィランズなので」
 勝手に動けば違反行動と見なされ、アンドリューに罰則が課されるほか今後のヴィランズ運用にも響く。そう言われればぐうの音も出ず、チョップマンは歯を食いしばる。

「──おや」

 その時、アンドリューが、夜空を見上げた。
 もうもうと立ち上る煙のせいか、汚れの多い都会の大気のせいか、見える星はとても少ない。しかし、──煌々と光る丸い月は、何よりもはっきりと見えた。

「これは、これは。……本物の悪役ヴィランのお出ましだ」



 ──ゴオオオオオオオッ!!



 突如飛来したのは、青い炎。
「うわああああ!!」
 連続して撃ち出された、炎を纏ったボウガンの矢がヘリを次々と射抜いていく。墜落したヘリの爆風で、二部リーグヒーローたちが叫びながら吹っ飛んでいった。

《こ……ここでまさかのルナティック! ルナティックです!!》

 そう叫んだのは、呆然としていたマリオ。《声も出ない展開に実況の責務を果たせなかったこと、お詫びいたしまーす!!》と続けた彼の声に合わせて、瓦礫の山に降り立った死神に超望遠カメラが向けられる。

 ──アァ──────ン……

 か細い赤ん坊の泣き声。
 更に崩れた瓦礫の隙間から伸びた小さな手を見遣ったルナティックはその上の瓦礫を退かし、小さな体を抱き上げる。

 妙に歪んだ、明らかに奇形とわかる大きな頭部をした赤ん坊。
 ぎょっとする、あるいは思わず目を逸らしてしまうような見た目をしたその赤ん坊を、ルナティックはMs.バイオレットが吹っ飛ぶと同時に放り出してしまったブランケットを使ってそっと包んだ。
「あ……」
 その様子を見たMs.バイオレットが、言葉を失う。
 彼が現れた時は、何をするのだと怒鳴ろうとした。赤ん坊を悪者から守らなければと思っていた。しかしいざ現れた死神の赤ん坊を抱く手付きがあまりにも躊躇いがなく、丁寧で、いっそ優しげですらあるせいで、どうしたらいいかわからなくなったのだ。

「ルナ……ティック……」

 ボンベマンに支えられてなんとか立ったワイルドタイガーが、呻くように言う。
 赤ん坊を抱えたルナティックは、ゆらりと彼の方に身体を向け──、そして、足元を見た。いつの間にか這ってここまで来ていたバーナビーが、自分の足首を掴んでいたからだ。とはいえ、その力は子供よりも弱々しいが。
 ルナティックはバーナビーの手を軽く払い除け、月を背負って人々を見下ろした。

「──タナトスの声は、誰もに平等に届けられる」

 不思議とよく通る声で言ったルナティックは、赤ん坊を抱えたまま、青い炎を噴き出して飛び上がる。その姿は、まさに死神のようであり──

 ──どこか、天使のようにも見えた。






 ブランケットに包んだ赤ん坊を抱いて飛ぶルナティックは、シュテルンビルトの街に舞い戻った。そして崩れた正義の女神像の頂点に立ち、背筋を伸ばして街を見下ろす。

 星の街、シュテルンビルト。
 ネフィリムを受け入れなかった街。彼らが地下に潜んでも縋り付いた街。

 腕の中の赤ん坊から、みしみしと小さな音がしていた。若返りが早まっているのか、ここまで戻ってくる間にずいぶんと軽くなり、実際に小さくなっている。だが、その頭部だけが不自然に大きく、歪んでいる。

「──ネフィリム」

 生まれる前に死ぬべきだったもの。世界の誤り。失敗作。誕生を歓迎されなかったもの。神にも天使にも見放され、救世主からは無視され、隣人もいない。産まれて死ぬまでたったひとり。あるのは共食いの虚無だけ。

 彼らの聖句を、ルナティックは敬意をもって静かに唱えた。
 共食いを繰り返してきた彼らは、この街において法の手の及ばぬ暗闇に葬られた哀れな被害者であり、そしてルナティックがタナトスの声を聞かせるべき人殺しでもある。
 人殺したる同類に殺され、ネフィリムの名を受け継ぐことこそ唯一の救済であり、受けることを許された優しさだと彼らは信仰している。

 ──ならば、私にも資格があろう。

 数多の人殺しをこの炎で葬ってきた己ならば、ネフィリムという存在に最後の死を与えるその資格があろう、とルナティックは厳かに名乗り出た。
 良い子にしかプレゼントをあたえないサンタクロース、恵まれた者にしか愛を与えない神。選別した者しか星に連れて行かない天使と違って、死は、タナトスの声は、誰にでも平等にやってくる。

 それに呼応したのか偶然か、先程よりも小さくなった手が伸ばされた。ルナティックが人差し指を向けると、小さな手が指先を握りしめる。

 ババババババ、と無粋な音。ネフィリムが街を破壊したせいで暗闇を増した街の空に、無数のヘリが浮き上がってきた。

《ルナティック! ネフィリムを渡せ》
《それを解析すれば、今後の──》

 誰かが何かを言いかけたが、ルナティックは全く聞く耳を持たず、青い炎の矢で全てのヘリを撃ち落とす。市民が避難し終わって誰もおらず、くずれかけたビルが墓標のようにシンと立ち並ぶ街に、誰も直接乗ってすらいない無粋なヘリが虫のように落ちていった。

 ──アァ────────ン……

 か細い声。
 生を終えようとしている声。そのくせ、産声のように幼い声。痛ましくも尊いその声に、ルナティックは仮面の下の目を細めた。
 そしてその小さな体を抱き直し、青い炎を揺らめかせる。

 ごうごうと燃え盛るのではなく、ふわふわと、ゆらゆらと、オーロラのベールのように揺らめく美しい炎が、柔らかいブランケットに包まれた赤ん坊を抱く。

(ほのお)

 朦朧とする意識。
 もはや痛みも何も感じることなく、自分がどうなっているのかもわからなくなっているネフィリムは、圧迫されて歪んだ小さな目からそれを見た。

(あたたかいほのお、やさしいひかり)

 こんなにあたたかい炎であるのに、疎まれたという優しいあのひと。
 寒い日に自分たちの手を温めてくれたものと同じ炎で、彼は怒りのままに人々を焼いて回った。それがかなしくて、せつなくて、ああ、でもやめてとは言えなかった。なぜなら──

(ああ、テレンス)

 ──僕を殺してくれる優しい君と、僕はずっと一緒にいる
 ──それが僕の星の輝きだ


 私の好きなひと。愛しているひと。
 あなたこそ私の天使。私だけの天使だった。
 だって、こうして迎えに来てくれたのだから。ずっと約束を守ってくれたのだから。

(私はいい子ではありません、テレンス。ましてや聖女だなんて)

 だって、私はあなたを止めなかった。怒り狂ってひどい人を殺して回り、月の出ぬ夜に仕返しをするあなたを止めなかった。殺すこともやめなかった。
 だって、あなたをいじめた人は私だって嫌いだし、殺してやりたかったから。私達と同じ目にあって殺してくれという人を殺す時、ありがとうと言われるから。

(テレンス、ねえ、聞いてください。私、おとうさんをぶったのですよ。あんなに大きな手で!)

 ──実際、嫌いなやつを殺すとスッキリする

 ああ、ああ、あなたのいうとおりだった! とてもスッキリした!!
 本当は、お父さんなんか大嫌い。ぶってやった。痛い思いをさせてやった。
 お父さんたら、泣いていました。いい気味。
 ひどいことをする、こんな街も大嫌い。さんざん壊してやった!
 大嫌いな星の街。めちゃくちゃにしてやったの!
 ああ、おなかを抱えて笑いたいのなんて、生まれて初めて!!

(私、とっても悪い子だわ!)

 薬指のない、青年の左手が伸びてくる。
 手を取ると、その向こうの光の中で彼が笑ってくれるのが見えた。温かい炎が、腕が、優しく抱きしめてくれる。ああ、幸福とはこういうこと。いとおしいとは、よろこびとは、しあわせであるとはこういうこと!!

 健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くしてきた。

 あなたさえいれば、生きていても死んでいても、どうだっていい。
 この星の街でなくても、星を追い出されても、あなたさえいれば!
 憧れのお姫様が教えてくれた真実の愛が、私にもやってきた!

 幸運を、Good Luckと言われました。
 旅立つ私達にふさわしい祝福だと思いませんか、愛しいひと。

(ああ、しあわせで、しあわせすぎて)

 涙があふれる。笑みが浮かぶ。死んでしまいそうなほどうれしい。
 あたたかい炎。マッチの炎のような光。ああ、流れ星が見える。
 こんなふうに死ねるなんて。こんなふうに、殺してもらえるなんて!

(──生きていて、よかった──!)



 ──アァ──────……



 産声のようにも断末魔のようにも、もしくは歌声のようにも聞こえるか細い声をあげた赤ん坊が、あっという間に灰になっていく。ふわふわと舞う灰が、星空に登っていく。

 その炎の揺らめきの隙間から、安らかな微笑みが見えた気がした。
- Season5 -

Hark! The herald angels sing
(聞け、天使たちの歌を/天には栄え)

END
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BY 餡子郎
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