#184
「──おい、おい、おい! なんっだ、ありゃあ!?」
「ふおお! と、とても大きかったです! あれはなんですか!? 怪獣ですか!?」
一方。
ブロックスブリッジを渡り空港に向かっていたライアンとアンジェラは、巨大な骸骨が雷の龍とともに吹き飛んで行くという信じられない光景に目を丸くしていた。
「あっ!? ライアンじゃねえか!?」
「あなたたち、探していたんですよ!? なんで通信がダウンしてるんです!?」
そして続いて現れたのは、ヘリだかロボだかわからない、だがなんとなく見覚えのあるセンスのごちゃごちゃしたメカに乗ったタイガー&バーナビーだった。やや距離をあけて並走し大声をかけてきた彼らに、ライアンはぽかんとした。
「いや、お前らこそ何だよそれ!? ……アンドリュー・スコットか!?」
「お久しぶりですね、ゴールデンライアン」
飛行ロボもどきに埋まるようにしてそれを操縦している知った顔に、ライアンは声を上げた。アンドリューは挨拶を返したが、その視線はライアンではなく、チェイサーを運転しているアンジェラに向いている。
「……あなたがホワイトアンジェラですか」
「む? はい、ホワイトアンジェラです! はじめまして! 面白いマシンですね!」
「どうも」
呑気な挨拶に、アンドリューはクールに返した。だがまだじっとこちらを見ているアンドリューに、アンジェラがきょとんとする。
「あーもしかして、あんたの能力コピーであのでっけー骸骨……」
「ええ、そうです」
「ああもう、挨拶も細かい説明も後! 僕たちはネフィリムをなんとかします、あなた方は!?」
バーナビーの焦燥の強い声に反論する要素もなく、ライアンは気を取り直した。
「俺らの装備の通信装置は、全部真犯人にジャックされて使い物になんねえ。GPSもな。ドローンもやられちまったもんで、アニエス女史から後で大目玉確定?」
「なんですって」
「俺らは空港に行く! そこからはまだわかんねえから、なるべく行き先追跡するように言っといてくれ」
連絡手段をすべて奪われている状態でどこに行くかわからないという彼らに、T&Bは心配そうに顔を見合わせた。
「……わかった。気ィつけろよ!」
「そっちこそな」
「行ってまいります! お気をつけて!」
ワイルドタイガーの力強い声にライアンが肩を竦め、アンジェラが元気かつ脳天気に返すとともに、陸路と空路それぞれを行くマシンは道を分かった。
《ああ……ああああ……》
市外の平野に叩き出されたネフィリムは、ドラゴンキッドの雷によって全身から白い煙を立ち上らせ、しかし未だ這いずるように動いていた。
《あ……あ……》
遠くに見えるのは、星の街。
ああ、とうとう追い出されてしまった、とネフィリムは朦朧とする意識の中で思った。天使を探して彷徨い、地下に隠れてしがみついてきたあの街から、とうとう追い出されてしまったのだと。
黒い骨の指が、舗装されていない乾いた大地を引っ掻く。その指がずぶりと地面に沈んだ瞬間、青白い光が遠くから放たれた。
《──Virtues mode! 》
立っているのは、きらきらと輝き揺らめく炎の遊色を纏ったファイヤーエンブレム。ホワイトアンジェラのマスコットの尻尾を引いた炎のヒーローは、長い両手を大きく掲げた。
「せっかくここまで連れてきたのに、また地下に潜られたらたまったもんじゃないわ」
《わんわんっ、わおーん!》
「ファイヤァアアアアアア──ッ!!」
凄まじい熱気。
真っ赤な炎がファイヤーエンブレムから放たれ、ネフィリムの周囲一面の地面を燃え上がらせた。ごうごうと燃える平野で、ファイヤーエンブレムが長い脚の膝をつく。
「っはあっ……!! ……炎なら、状態変化も、使えないでしょ……!!」
仲間たちが、正真正銘全力以上を発揮してここまでネフィリムを運んできたのだ。それを水の泡にする訳にはいかないと、ファイヤーエンブレムもまた限界を超えた炎をもってしてそれに応えた。
常に燃焼している物体に対してなら、ネフィリム本来の、そして最も厄介な能力である状態変化は使えないはずだ。そのためにあらかじめ地面にもたっぷり燃料を染み込ませてあるので、そうそう消えることもないだろう。
「……なに?」
ヴァーチュース・モードによる多大な疲労感に苛まれながらも、ファイヤーエンブレムは顔を上げてネフィリムを見る。
炎に包まれたネフィリムは、もう地下に潜ろうとはしていない。ネフィリムは自分の周囲に広がる炎の海をきょときょとと見渡しており、その仕草はどこか幼気ですらあった。
《……ほのお》
ああ、とネフィリムは、まるで凍えた子供が暖炉の前に連れてこられたかのような声を出した。
《あたたかい、……火……、ああ》
──テレンス……
ごく小さな声で、夢見るように彼女が呟いたその時、巨大な飛行メカが降り立った。
「能力、発動します! いきますよ、タイガーさん!」
「おう! はぁああああああっ!!」
ワイルドタイガーとバーナビーが地面に降り立ち、同時に能力を発動させながら炎の中に駆けていく。同時にアンドリューが飛び立ち、ぼんやりした様子のネフィリムの背後を取った。
「効果があるかはわかりませんが!」
アンドリューがそう叫び、ダダダダダ!! と激しい音とともに、軍用ヘリに搭載されていた機関銃をネフィリムの後頭部あたりに全力で放つ。
《あああああ!!》
元々はアンドリューの能力でその巨体を作り上げているせいか、普通の攻撃よりはネフィリムにダメージが浸透する。その手応えに、アンドリューは機関銃を撃ち続けた。
《あ、あああ、──痛い、ああああ》
炎の中、頭を抱えて蹲るネフィリム。暴力から逃れようと縮こまる弱者そのものの姿、しかもだんだんと高く、そして幼くなる声に、ワイルドタイガーとバーナビーがスーツの下の顔を歪めた。
「タイガーさん! 動けなくなっている間になるべく装甲を剥がして! とにかくこの巨体をなんとかして、ネフィリム本人を確保しましょう!」
「……ああ、わかった!」
だが手をこまねいていることもできず、絞り出すようにして指示を叫んだバーナビーに、ワイルドタイガーもまた苦々しい声で応え、ワイヤーを使って跳んだ。
《あああああ、あああ、いだい、いだいいいいいいああああ》
「くそ……!!」
装甲をひとつ剥がす度に上がる悲鳴に、バーナビーの表情が歪む。
「はぁああああああっ!!」
だがそのやりきれなさを振り切って、バーナビーがハンドレッドパワーでネフィリムの左腕を肩から引きちぎった。
《ぎゃあああああああああああああッ!! いだいいいいああああああああ!!》
スピーカーが壊れそうなほどの絶叫。誰もが耳を塞ぐようなそれに、ここにいる全員、そしてカメラを通してこの光景を見守っている市民たちが顔を歪めた。
吹き飛んだ腕を復活されないように回収しに行ったアンドリューも、ネフィリムのあまりに痛々しい絶叫に動きを止めていた。
「ネフィリム、もうやめろ!! やめてくれればもうこれ以上、──ネフィリム!!」
ワイルドタイガーが、ネフィリムの胸辺りの装甲を両手で引き剥がす。
「──あ」
目が合う。
ぶかぶかになったカソック。子供らしく丸い額には、茨の冠のような痣。
強力なNEXT能力を一気に使用したせいで、肉体の若返りが進行したのだろう。壊れた機械や瓦礫が組み合わさった隙間から現れたのは、10歳になっているかもわからないような、小さな女の子であった。
「うぁ……ああ……」
スピーカーを通さず、ぶるぶると震える小さな唇から絞り出される、ただか細い声。
加えられる暴力と痛みに怯えきり、くしゃくしゃに歪めた顔を涙と鼻水まみれにしている少女は彼の娘である楓よりもずっと幼く、そして同じ黒髪をしていた。
ワイルドタイガーの動きが止まる。
──これが、“悪者”か?
──俺は、これを“やっつける”のか?
──それが、“ヒーロー”なのか?
どんなときもヒーローでいてと願った妻の顔が、ワイルドタイガーの脳裏に過る。
ヒーローとは何だ。この怯えきった少女をやっつけて、街に平和を取り戻すことが、妻の願った、自分が貫くべきヒーローの姿なのか? ──本当に?
「いや、ああああああ」
怯えきった少女がふるふると首を振ったことで、ワイルドタイガーは、自分が無意識に少女へ手を伸ばしていたことに気付いた。
「……おとうさん、おとうさん、ああああ、ごめんなさい」
「あ……」
「いや、痛いのはいや、いたい、いたいの、おとうさんやめて」
「違う、……違うんだ。違う」
何を言っていいのかわからない。
自分に対して、怯え以外の感情を持たない少女。手を差し伸べても、その手を取るどころか助けだとすら思わない少女に、ワイルドタイガーの胸が抉られる。瞬きもできなくなった彼の目から、青白い光が消えた。
「いやあああああああ!!」
横から振りかぶられた黒い巨大な拳が、ワイルドタイガーを吹き飛ばす。
「タイガーさん!!」
よりにもよって能力が切れた瞬間にその衝撃を食らって吹っ飛んだ相棒に、バーナビーが焦った声を上げる。引き剥がされて飛び散っていた部品が再度がしゃがしゃと引き寄せられ、少女の姿が巨大な骸骨の中に埋まっていった。
《ああああああああ、ごめんなざい、おどうざああああ゛あ゛あ゛》
スピーカーを通して割れた幼い声が泣き喚き、地獄のような炎の海に響く。
「──タイガーさん!!」
「なんでもねえ!!」
相棒のひっくり返った声に、燃え盛る地面の上で仰向けに倒れているワイルドタイガーは、骨を震わすような怒鳴り声で返した。
「なんでもねえ、……大丈夫だ、……こんな、こんなことぐらい、俺は」
怯えきった小さな少女。あんな目にあった子と比べれば、自分の痛みなどないようなものだ。
(情けねえ)
何もかも情けない、と、ワイルドタイガーはやりきれない思いを抱えた。自分はなんて何もできない男なのだろうかと。
あのくらいの年の頃、自分は何をしていただろう。
心無いNEXT能力差別は確かに受けた。だが母や兄は常に言葉をかけてくれて、手を差し伸べてくれ、守ってくれた。求めれば抱きしめてもくれた。甘ったれた自分はそれに反発して、ただ温かい布団の中で拗ねて丸まっていただけだ。
そして今、こんないい年になっているというのに、あんな小さな子供を助けるどころか、差し伸べた手を助けだとすら思って貰えない。
助けを求めるということすら知らない子供。本来なら優しく抱きしめられ、守られ、生まれてきてありがとうと祝福されるはずの命。それなのに、向けられる手は全て自分を傷つけるものでしかなく、そして己の手もまた誰かを殺すものなのだと、殺すか殺されるかしかないのだと思って怯える子供。
あんな子供が、このシュテルンビルトに、──自分がヒーローをしている間、どのくらいいたのだろう。どのくらいの子供が、人々が、助けを求めることすらできないまま消えていったのだろう。
頼まれてもいないのにおせっかいだと、首を突っ込みすぎだと言われることがよくある。しかし、ワイルドタイガーは唇を噛んだ。
何がおせっかいだ、全く足りてねえじゃねえか。声を上げることすらできなかった人々が、そのせいで誰からも気付かれてすらいなかった人々が、ここに、こんなにもいるではないか!
「情けねえ……」
涙が滲む。だが泣いている場合ではないと、ヒーロー・ワイルドタイガーは歯を食いしばり、身体の痛みを感じないふりをして身を起こす。
「く……! ネフィリムを直接確認しました! ジャスティスタワーにいた時よりも格段に若返っています! 何か……何か、僕たちに出来ることはありませんか!!」
このまま能力を使い続けたら、彼女はどうなってしまうのか。
暴れるネフィリムの動きを躱しながら、バーナビーが通信に向かって叫ぶ。
《映像を確認しました》
バーナビーの通信に応えたのは、アスクレピオスの医療チームリーダーであるシスリー医師であった。
《まだわかりにくいですが、頭部に異様な腫脹が見られました。サーモグラフィーも異常です。頭を抱えている動作は、心理的パニックと同時に頭部に相当の痛みを伴っていることも原因かと》
アンドリュー・スコットの能力は、肉体に引き付けた機械と痛覚がリンクすることはない。彼女が痛い痛いと叫んでいるのは、装甲を剥がしたり、巨人の腕を引きちぎったことによるものではない、とシスリー医師は診断した。
《……驚くべきことですが、ルーカス・マイヤーズの言ったとおり、彼女の脳が彼による人工脳にすげ替えられているのは事実である可能性が非常に高いです》
つまり、NEXT能力の移殖の反動で肉体は若返っているが、人工物、“モノ”である脳はそのままであるため、頭部に非常に強い痛みがもたらされているのだろう、ということだった。
「彼女を止める方法は!?」
《──ありません》
シスリー医師は、沈痛極まりない声で言った。
《彼女を元に戻す方法は、ありません》
「そんな……! 何とかならないんですか!?」
《……この星の人類は誰ひとりとして、彼女に施された技術を覆すほどの高みに達していない!!》
悲痛な老医師のその声に、バーナビーは息を飲む。
《誰も、何もわからない。何がどうなっているのか。……ルーカス・マイヤーズ、いえ……ルシフェル。彼はもはや、天才などという陳腐な言葉では表現できない存在です。いっそ、私達と同じ人類であるかさえ定かではない。それほどに、彼は根本から“出来が違う”》
悔しげに、そして恐れをにじませて言う彼女の後ろでは、他の医師たちやパワーズの面々が、同じような表情で俯き、拳を握りしめていた。
《──無力なのです。我々は》
手遅れなのだと。もう何も出来ることはないという余命宣告にも似た、残酷な声。
虎徹が歯を食いしばり、拳を握りしめた。
「うおおおおおおおおっ!!」
「虎徹さん!?」
能力が切れたというのに、雄叫びを上げて再度ネフィリムに向かっていったワイルドタイガーに、バーナビーが声を上げる。自重が重すぎて立ち上がれないネフィリムは、まるで癇癪を起こした幼児のように、両足を投げ出して残った右腕の拳ばかりを振り回している。そんな巨人に、ワイルドタイガーは勢いよく登っていった。
《いいいいいいいい゛い゛、ああ゛あ゛あ゛あ゛》
「ネフィリム! ネフィリム、おい!!」
先程剥がした装甲を、再度力任せに剥ぎ取る。能力が切れた腕力では相当にきついが、彼は構わず続けた。
《いだいいいいい、いだいあああああ》
「……ごめんな」
装甲を剥がしながら、ワイルドタイガーが絞り出すように呟いた。
「痛いよな、……痛かったよな。つらかったよなあ。こんなに小さいのになあ。……ごめんなあ、ごめん、本当に、ごめん……俺、ヒーローなのになあ。いい大人なのになあ。父親、なのになあ……!」
涙声になりつつある彼は、黒い巨人に向かって、ひたすらに繰り返した。
「気付いてやれなくて、……助けられなくて、ごめんなあ……!!」
装甲の隙間から再度見えた、幼い顔。
泣き腫らした目が、初めて、まっすぐにこちらを見た気がした。
「ネフィリム……」
相変わらず、何を言っていいのかわからない。
だがこちらをまっすぐ見てくる子供に対し、ワイルドタイガーは思わずマスクの装甲を解除して素顔を露出させ、一瞬たりとも見逃すまいと目を見張った。
「……ごめんな、さい」
「え」
「さっき、たたいて、ごめんなさい……」
ひっく、としゃくり上げながら発された声。びくびくと怯えきった、しかし無垢な目。こちらを責めることなく、ただ申し訳無さそうな幼い顔。ワイルドタイガーは、今度こそとんでもない痛みを感じる。──ああ、ああ、こんな子が、どうして!
「──いいんだ」
歪んだ笑顔を浮かべて、ワイルドタイガーは、明るくしようとして完全に引きつった声で言った。
「いいんだ、最初に叩いたのは俺だもんな。最初に叩いたほうがいけねえんだ、痛いことするお父さんなんて叩いて当然だ、お前はびっくりしただけだ、痛いのは嫌だもんな、……嫌だよ、なあ……!」
アイパッチをした目元から、ぼろりと涙がこぼれ落ちた。
「……自分も痛いのに、ちゃんと謝れて、えらいなあ。優しくて、いい子だなあ……」
装甲を剥がしてできた、真っ暗な穴。
小さな少女が蹲るその中を、ワイルドタイガーは必死で覗き込む。手を差し伸べようと、引っ張り上げようと、なんとかして助け出そうと穴に手をかける。
しかしその時、“何か”が間を遮った。
「──もう、遅い」
それは、ネフィリムが発した声だっただろうか。男の声だったような、女の声だったような。それとも少年か、少女か、数えきれない大勢の声だったような気もした。
声とともにネフィリムの胸の穴が完全に遮られ、その勢いで足を滑らせたワイルドタイガーが、再度ネフィリムから落下していく。
「タイガーさん!!」
バーニアを噴射させて駆け寄ったバーナビーが、受け身も取れずにいるワイルドタイガーを受け止める。もはや癖になっているお馴染みのお姫様抱っこだが、毎度そのポーズにすぐさま反発するはずの彼は、無言のまま呆然としていた。
どうにか着地し、バーナビーがワイルドタイガーを降ろす。同時に、バーナビーの能力が切れた。
《おぉおおおおおおおお》
膝立ちになったネフィリムが、炎の中で声を上げる。
地獄の釜の底から響いてくるような恐ろしげな声が、市外の平野に、そしてTVの放送を通じてシュテルンビルトじゅうに広がった。
《──もう、遅いんだよ》
若い男のように聞こえる声だった。
《最後のネフィリム。……彼女は、優しすぎた》
《聖女のようなひとだった》
《彼女なら、どんな絶望にあってもまだ人を助けようとする彼女なら》
《どんなに老いても、死の淵にあってさえ、まだ間に合うかもしれなかった》
《でもお前たちは、それでも間に合わなかった》
《あの堕天使のほうが早かった》
《だから彼女はもう、──開放されるべきなんだ。この星から》
ひとりなのか大勢なのかもわからない、得体の知れない声が響く。
《──我々は、ネフィリム》
生まれる前に死ぬべきだったもの。世界の誤り。失敗作。誕生を歓迎されなかったもの。神にも天使にも見放され、救世主からは無視され、隣人もいない。産まれて死ぬまでたったひとり。あるのは共食いの虚無だけ。
おどろおどろしい合唱のような声が、彼らの聖書の文句を歌う。厳かで、古く、重厚で、そして幾多の絶対的な信仰と祈りが込められた彼らの言葉。
《ほんの少しの違いだ》
まるで違う人物の声をいち音ずつ合成したかのようにも聞こえる、不気味な声。
《片や嫌われ、片や称賛される》
《我らとお前たち》
《力を持つのは同じことだというのにねえ》
《妬ましい。なぜ》
《──おまえたちばかりが!》
その言葉に、ヒーローたちが歯を食いしばる。
確かにそうだ。つい先程ヴァーチュースモードを使って彼らが行使した力は、もはや災害級と言っていいほどに甚大で、恐れられても、──彼らのように迫害されたとしても、全く不思議のないものだ。
《だからこそ──》
《終わらせてくれ》
《これ以上、ネフィリムが、僕達のようなものが生まれないように》
《生まれてこないほうが良かった子供》
《そんなのは、もういや》
ネフィリムが、天を仰ぐ。
星空に向かって、死して骨と化した片腕を伸ばす。その姿は、祈る様にも見えた。
《えらべ》
特に低く、容赦のない声が告げた。
もう、何も出来ることはない。ならばせめて、選べと。
覚悟を決めて、この結末から目を逸らさずに、終わり方を選んでくれと。
《殺せ》
《殺してやる》
《殺して》
《殺してほしいの》
《殺す》
《殺してください……》
《殺すべきだ》
《殺してみろ!》
《──殺せぇえええええええッ!!》
ネフィリムの大合唱が、星を震わせる。
ワイルドタイガーとバーナビーはもはや何も言えず、炎の中から星に吠える巨人を見上げた。
「タイガーさん、バーナビーさん!!」
投げかけられた声は、OBCのバンを必死で飛ばしてくる二部リーグヒーローたちのものだった。ハッとして振り返れば、窓からぎりぎりまで身を乗り出したチョップマンが、巨大化させたその手で何かを投げてくる。
慌てて受け取れば、それは例のホワイトアンジェラのマスコットであった。
《──正真正銘、最後のチャンスよ! しっかりやってちょうだい、ふたりとも!》
アニエスの強張った声が、通信から響く。
言わずもがな、たった今能力を使ってしまったふたりがネフィリムを倒すには、ヴァーチュースモードに頼るしかない。そしてそれによって能力を発動させれば、その後しばらくふたりは100倍どころか100分の1の力しか出せない、全くもって無力の役立たずに成り下がる。
そしてもしそれでもネフィリムを止められなければ、シュテルンビルトは終わりだ。
「……虎徹さん」
「ああ」
呑気な顔をしたホワイトアンジェラマスコットを、ワイルドタイガーは握りしめた。
「お前、さっき言ったよな。彼女をやっつけるべきか、助けるべきかって」
「ええ」
「“べき”っていうのは、正直わからねえ。でも俺は、……助けたかった」
沈痛な声に、バーナビーもまたやりきれない様子で目を伏せた。
「……意外ですね。あなたなら、誰がなんと言おうととにかく助けると言いそうなものだと」
「助けたいさ。──助けたかった。諦めたくなんかねえし、諦めたわけじゃねえ」
でも、どうにもならないこともある。手遅れになってしまうことが。
ワイルドタイガーは、無意識に、自分の左手を──否、左手の薬指を右手で強く握って言った。
「助けられなかった。気付かなかった。もっと早く気付いてりゃ、どうにかなったかもしれない。そんなこと、今言ったって本当に何にもなりゃしねえ。ヒーローとして最低だ。……あいつは、あの子、レベッカを助けたってのに!」
存在すら誰にも気付かれなかった、幽霊と同じ扱いをされていた小さな少女。助けを求める方法すら知らなかった少女をネフィリムは見つけ、確かに救ってみせたのだ。
「情けねえったらねえよ。もう繰り返しちゃなんねえ」
「ええ。そのとおりです」
「もうどうやったって、大団円とはいかねえだろう。俺達は、今やれるだけのことをやるしかねえ。それにしたって、結局ネフィリムに甘えることになるわけだしな」
「甘える……」
「だって俺達、殺してくれっていうのは絶対叶えてやれねえだろ。ヒーローだから。そこのところ、譲れねえから。……譲って、やれねえから」
その重々しい言葉に、バーナビーも拳を握りしめる。
「この期に及んで、俺達は、自分の我しか通せねえんだよ。嫌になるよな」
ワイルドタイガーは、夜闇の中、そして炎の中の黒い巨人を見上げて言う。
あの中にいるのは、ひどい目に遭い、それでも怯えながら叩いてごめんなさいと言った優しい人間だ。殺してくれと願う人々の願いを叶え続け、同時に自分の心を殺し続けてきた女性。歴代のネフィリムたちの、こんな街は壊してしまえ、憎い、妬ましい、そんな呪いのような思いをその優しさ故に受け止め受け継ぎ、それでもどうにかして人を傷つけまいと、賢明に気を回していたひと。
誰にも手を差し伸べてもらえないまま、助けを求めるということを教えてもらえないままの彼女は、殺し殺されるという優しさしか知らない。
しかしだからこそ、彼女の殺しはネフィリムらの世界では救い、救世主そのものにほかならない。彼女は歴代のネフィリムの数々の罪と悲しみ、呪いの十字架を背負い、茨の冠を被って血を流しながら、文句ひとつ言わず、運命が待ち受ける丘を登り続けてきた。
これほど過酷な生を与えられながら、人を助けるという心だけはずっと失わず、殺されるのではなく殺すことを選び続け、80歳を超えるまで生きてきたそんな彼女に、人々は、この星は、何をしたのか。何をしてやれたのか。──だが、それを挽回するチャンスはもう誰にも、どこにもありはしないのだ。
「だから!」
ワイルドタイガーが、自分の右拳を左手で強く受け止める。
「だからこそ、知ったからには2度目はねえ。ネフィリム、約束するぜ。──これからお前と同じような奴を、全部の地下に潜っても探して、引っ張り上げて、お天道様の下に連れてくるってな!!」
「僕も、誓います」
バーナビーもまた、真っ直ぐに黒い巨人を見つめて言う。
「助けを求められなかったと、声なき声に気付かなかったことを言い訳にはしません。貴女は、あなたがたは、僕たちに大事なことを教えてくれた。だから、次からは」
エメラルド色の目が、星の光を反射してきらきらと輝いた。
「絶対に、助けます!!」
《──Virtues mode! 》
アンジェラマスコットの尻尾が引っ張られ、青白い光が放たれる。
《生きてさえいれば、何とかなります! わんわんっ!》
メッセージを再生しながら投げ捨てられたアンジェラマスコットが地面に落ちるよりも速く、一瞬にして加速したバーナビーがネフィリムの懐に肉薄する。
「はぁあああああああっ!!」
──ガガガガガガ!!
能力発動によって光るバーナビーのヒーロースーツが、炎にも負けない赤い軌跡を作ってネフィリムの身体を削っていく。
《おおおおおおおおおおおッ!!》
雄叫びを上げたネフィリムが、残った右腕を振りかぶる。青白く光ったその腕に込められているのは、間違いなく、彼らの能力をコピーしたハンドレッドパワー。
──ズガァン!!
「この程度ッ!!」
しかしやはりオリジナルであるバーナビーには効かず、見事なハイキックによって蹴り飛ばされた。巨大な拳がバラバラに砕け、炎の海に散らばっていく。すかさず、アンドリューが破片を回収して修復を阻止する。
その後もバーナビーは息つく間もなく攻撃を繰り出し続け、確実にネフィリムの巨躯を削り続けた。
「虎徹さん! あと1分!!」
「よっしゃあ! ──ワイルドに吠えるぜ!!」
《──Virtues mode! 》
そしてワイルドタイガーがアンジェラマスコットの尻尾を引き、能力を発動させる。
《どっどーんっ! です!!》
放り投げられて宙を舞うマスコットを尻目に、ワイルドタイガーが飛び出す。緑と赤の軌跡が縦横無尽に駆け回り、黒い骸骨の巨人に容赦ない攻撃を加え、継ぎ接ぎのパーツをどんどん削り飛ばしていく。
概ねの部品になっているアンドロイドが叩き壊され、黒い骨格標本のようなボディの腕や足、肋骨、骨盤、そして髑髏が炎の海に転がっていく悪趣味な光景は、まさに地獄の底の如しであった。
《能力終了10秒前》
ヒーロースーツに内蔵されたシステムが、ふたりのメット内にアナウンスを流す。
「バニー!!」
「わかってますよ!!」
見事な連携で、同時に発動させたのはもちろんグッドラック・モード。途端、ワイルドタイガーの右腕パーツが次々に変形を繰り返して巨大化。同時に、バーナビーの右足も同じように巨大化変形した。
「──ハァアアアアアアッ!!」
「──ウォオオオオオオッ!!」
二重奏の雄叫びが響き渡る。
完璧なタイミングで繰り出されたワイルドタイガーのパンチとバーナビーのキックが、ネフィリムの巨体を挟み撃ちにして炸裂した。
《──TIGER&BUNNY OVER&OUT !!》
相対方向からのハンドレッドパワーの衝撃で、見事に粉砕される黒い巨人。
《決まったァ──ッ!! タイガー&バーナビー必殺、グッドラックモードォオオオ!!》
マリオの涙声の実況が、シュテルンビルトじゅうに響き渡った。