#182
[確かに、アンドロイドにコピーした能力は基礎的な部分のみになる]

 アンドロイドにコピーされた能力についてライアンが質問すると、ルシフェルは淡々と答えた。
[先程言った、コピーできない能力と同じだよ。生命活動を行う肉体を要とするもの、容量が大きすぎるもの、バグが多すぎるもの。これらをアンドロイドのコアに収まり、ぎりぎり発動が出来るようリサイズするとああなる。自然と、発動したばかりの頃のようなものに近くなるね]
 つまりは最低限の機能を有したライト版アプリケーションのようなものだ、とルシフェルは説明する。
「……ハートがねえから、とかいうことじゃなくて?」
[実にロマンティックな発想だ。……私もそれを望んでいたよ。21グラムの奇跡をね]
 ルシフェルは、がっかりした様子で呟いた。

 昔、とある医師が魂の重さを測る実験をした。
 瀕死の末期結核患者を当時最新型の精密な秤で計量し、死の直後の体重の変化、つまり死後肉体を離れていく"魂の重さ"を割り出そうとしたのだ。そして死後に失われる体液やガスも考慮に入れて入念に計算した結果、魂の重さは21グラム──という説がある。
 またこの医師は、この魂は星間エーテルという、中世物理学における宇宙空間を満たす物質で構成されている、とも提唱した。

[あらゆるロジックでは説明できない奇跡、ミュトス。私は長い時間をかけてこの星でその輝きを探したが、どこにもそんなものはなかった。なかったんだよ]

 本当に、どこにも。
 その声に含まれた諦念はネフィリムがいつか発したものとよく似ていて、ライアンは彼らの共通点をひとつ感じた。
[21グラムの魂の正体は、ただ死後血液冷却が止まったことで蒸発した汗。魂なんて存在していないし、もちろん幽霊なんてものもどこにもいない。この星のすべては、あらゆるよくできたロジックで構成されている。理解できないものなどありはしない物質世界だ]
 ふう、と心底つまらなさそうな、失望のため息が聞こえた。

[ただ、今回の作戦を見破られるウィークポイントであるのは確かだ。だから偽装もした。撹乱も兼ねてね]
「二丁拳銃の爺さんを始末した時、ネフィリムの能力をアルバート・マーベリックの能力に見せかけたのはそういうことか」
[ご明察だ。そのとおり]
 アルバート・マーベリックの能力は、記憶操作。これこそ、能力発動だけでは成り立たない類のものだ。他人の記憶を読み取り、不自然にならぬように改竄し、植え付ける。感情の機微を理解し、ごく繊細なコントロールが必要な能力。ジェイクの読心能力も同様である。
[まあ、これもコピーできないわけじゃない。ネフィリムのように脳を丸ごとコピーするか、他の部品が全て揃っている──ヒトにそのまま焼き付ければね。容量の余裕があればだけど]
 ジェイク・マルチネスに施したのがこの施術だ、とルシフェルは説明する。

 彼が生まれ持った能力は読心能力。これは必要なHDD容量こそ小さいが、発動すると彼の感情が激しく揺さぶられ、つまりCPUメモリが激しく稼働する。そのため、逆に容量こそ巨大だがただ発射するだけでメモリ稼働が少ないバリア能力との共存がうまくいったのだ、と。

[幸い、彼は処理能力の高いCPU、部品、脳を持っていて──まあ要するに頭が良くて回転が速かった。ふたつの能力を器用に使いこなしていたよ。彼の脳を機械で再現するのは、まあできなくもないが時間と金と、部品もいくつか揃える必要がある]
「あくまでコストの問題だって?」
[そう。この星に転がっているジャンク部品で色々作るのは大変だ]
 ジャンク部品。つまりそれはそのままこの地球上にあるレアメタル資源を始めとした素材、そしてそれと同列に人間、特にその脳のことを言っている。
 具体的には人工脳というスペアを作ったというネフィリムの脳、遺体から摘出したジェイク・マルチネスとクリームの脳、そしてラファエラの脳などが彼の言う“部品”だ。

[ネフィリムに関しては突貫工事だから、色々無茶をしたけどね。でもまあ彼女の希望だから]
「希望って? 殺して殺されたいってやつか?」
[さあ]
「さあ? さあ、だと?」
[“理屈じゃない”んだそうだ]
 ルシフェルは、ひどく楽しそうに言った。
[彼女は私と共に星に行きたいと行った。連れて行ってほしいと。しかし同時に、この星でネフィリムとして殺し殺され尽くして終わりたいとも願った]
 矛盾した願いだ。しかし混乱しているわけでもバグを起こしているわけでもなかった、とルシフェルは弾んだ声で言う。
[彼女の持つものは私の求めるものではないが、しかし確かにミュトスに近しいものだ。理屈でないもの。理解できないもの。実に結構! だから私は出来うる限りそれを尊重し、彼女のしたい通りにした]

 つまり、彼女の脳をコピーした。
 容量がさほど多くなかったオリジナルの脳を抜き取り、その脳を丸々コピーした上で、追加メモリと外付けHDDを積んでカスタムした人工脳を頭蓋に収め、茨の冠のような縫い傷をつけて蓋をしたのだ。

[オリジナルの彼女は、ここにいる]

 ライアンは、ジェイクとクリームの脳が収められた無機質な装置を思い出していた。ルシフェルの手元にあるというネフィリムの脳も、あんな風になっているのだろうか。そして、それは──

[この脳と、いま彼女の頭蓋の中にある人工脳。21グラム重いのはどちらかな]

 魂は、心は、どこにあるのだろう。










 高所は風が冷たい。真冬であれば、身を切るような冷たさだ。
 それはネフィリムが初めて知ったことであったが、しかしふと、暖かな風が彼女の頬を撫でたような気がした。ネフィリムは、抱きしめているマッドベアのぬいぐるみを見遣る。
 抱きしめているだけで暖かさがあったような気がしたそれは、いつの間にか冷えてしまっていた。それは青空が染まりかけ、日が沈もうとする時間になったからか、それとも──
「……クリーム様。そう、……行ってしまわれた。そう……」
 ネフィリムは、そっと丁寧にぬいぐるみを足元に置いた。

「さようなら、クリーム様。お付き合いくださって、ありがとうございました。どうぞ、星へ。ジェイク様と……ずっと。いつまでも、しあわせに……」

 僅かに微笑んで、ネフィリムは、憧れのお姫様に別れを告げた。ever after、おとぎ話のお姫様にふさわしい締めくくりの言葉を捧げながら。

「──ネフィリム!」

 風にも負けない大きな声が、呼ぶ。
 ギロチン台に上がる者を呼ぶ宣告にも思えるそれに、ネフィリムは僅かに口角を上げた。

「……ヒーロー。来て、くださったのです、ね……」

 明るい緑と赤、共通する白いデザインでまとまったヒーロースーツを纏ったふたりに、ネフィリムは振り返る。
 ワイルドタイガーとバーナビーは、対峙したネフィリムの姿に、メットの下で目を見開く。先ほど公園で見た時には30歳前後という様子だった彼女は今、20代半ばといった様相になっていた。黒い艷やかな髪も伸び、肩より長くなって風に靡いている。

「……あの子は」
「あ? ああ、レベッカか。あの子なら兄さんと一緒に病院に行ったよ。良いカウンセラーがついたし、怪我もちゃんと治療してる。役所の手続きもすぐ始まるだろうよ」
「そう……」
 ワイルドタイガーの答えに、ネフィリムは目を細めて遠くを見た。
「……良かった。本当に」
 聖母像もかくやというような表情でそう言った彼女に、バーナビーは警戒を緩めずに黙っていた。そう努めなければ、調子が崩されそうだったからだ。
 ワイルドタイガーはといえば、首を傾げて後頭を掻くという、ヒーロースーツ姿ではまったく意味のない動作をしている。

「なあ、あんたも同じようにしねえか」

 静かにそう言ったワイルドタイガーに、ネフィリムは顔を上げる。
「同じように……とは……」
 きょとんとしたその顔が妙にあどけなく、ヒーローふたりは人知れず眉を顰めた。しかし、ワイルドタイガーは続ける。
「だから、レベッカみたいに病院に行ってだな。カウンセラーをつけて、その」
「レベッカは、何の罪もない子。私とは違います」
 ぼそぼそと途切れ途切れに話すくせに、ネフィリムはこの時ばかりは妙にはっきりと言った。しかし、ワイルドタイガーも怯まない。
「まあ、それも確かだよ。色々事情があるって言っても、あんたがやったことが消えるわけじゃねえし、罪は償わなきゃいけねえよ」
「私の罪は、死ぬことでしか償えません」
「だから! それが!」
「違うのですか? それなら──」
 ネフィリムは、まっすぐに彼らを見た。何もかもを吸い込む、底のない穴のような目がふたりを射抜く。ふたりは、思わず後ろに仰け反る。それは生物としての、生理的な反応だった。

「私は今まで生きてきた意味は、なんだったのですか」

 ネフィリムはこれまで80年以上も殺し続け、生き続けてきた。
 生まれてきたことが間違いだったと思いながら、同じような目にあった人々が求めるままに殺し続けてきた。自分もこのように殺されたいと願いながら、きっと自分のほうが罪が重いからと、殺されるのではなく殺し続けてきたのだ。

「私は、ネフィリム。生まれてきたのが間違いだった存在です」

 生まれる前に死ぬべきだったもの。世界の誤り。失敗作。誕生を歓迎されなかったもの。神にも天使にも見放され、救世主からは無視され、隣人もいない。産まれて死ぬまでたったひとり。あるのは共食いの虚無だけ。

 ──償うということは、やったことが間違いだったと認めることだ。

「だから死ぬ、死ぬことだけがその過ちを償うための贖罪なのです。私は、殺し続けてきました。私と同じものを、私と同じネフィリムを、死ぬことだけが贖罪になる“わたしたち”を」
 ネフィリムにとって、贖罪とはすなわち死である。それ以外にはありえない。そしてネフィリムにその死を与え続けてきたことは、罪ではない。
「私は、私達の罪は、生まれてきたこと。生きていること。それを終わらせることは罪ではなく、むしろ善行であるはずです」
「なっ……」
 今度こそ、ふたりは目を見開いた。
 根底から、価値観が違う。たった今、彼らはそれを思い知った。彼女が持つのは、まるで違う星に生きているような考え方なのだと。

「私はネフィリム。同じネフィリムを最も殺したネフィリム。たくさん殺したの、殺しました、誰にも知られないように、みんなに迷惑をかけないように、たくさんたくさん殺しました。だって誰にも気付かれませんでした、誰も気付きませんでした。誰も尋ねてはこなかった。なにかお困りではないですかと尋ねてくるようなひとは、だれも、ひとりも」
「──ネフィリム!」
「だからご褒美に殺してください、ヒーロー」

 ネフィリムは、微笑んでいた。まるで、親に褒めてほしい子供のように。

「わからないのでしょう、ヒーロー。それもわかります」
「……どういうことですか」
 底のない穴を覗き込まされているような心地で、声が震えないように気をつけながら、バーナビーが聞き返す。
「あなたがたの世界では、星では、生まれてくることは、生きているのは、祝福されるべきこと。殺すのは悪いことで、殺されるのはかわいそうなこと。知っています」
「それなら!」
「でも私達はそうではないのです。この星に生まれることを許されなかった私達に限っては」
 ネフィリムは、女神像の頂上に立っている。数歩ふらつけば真っ逆さまに落ちて命はないだろうその場所で、全く恐れ気なく彼女は立っていた。
「私達はあなたがたがわかりますが、あなたがたは私達がわからない。だからこそ、誰にも気付かれてこなかった。今回私がこうして地下から出てこなければ、あの教会の地下室はいつまでもあのままだった、そのはずです」
「それ、は……」
 ふたりは、苦悶の表情を浮かべる。返す言葉がなかった。あれほどの凄惨な迫害が、絶望を抱いた人々がこの街にいたことを、確かに、今の今まで誰も気付かずにいたのだから。

「今までずっと、あなたがたに合わせてきたのです。この星に要らないと言われた私達は、天使に選ばれなかった私達は、地下で息を潜めて死んできました。私は最後のネフィリムです。最後のひとりの始末ぐらい、私達に合わせて殺してくださっても良いではありませんか」

 悲しげな微笑を浮かべて、ネフィリムは言った。
「それとも、最後のひとりまで共食いで死ねと、──自ら勝手に命を絶てと、そう仰るのですか?」
「そんなこと!」
「言うかそんなもん、馬鹿野郎!」
 バーナビーの声を遮って、ワイルドタイガーが吠えた。
「黙って聞いてりゃ、殺したり殺されたりするのがいいことだあ? そんなこと思ってもねえくせに、強がりもいい加減にしやがれ」
「……なにを」
「だってお前、誰も殺そうとしてねえじゃねえか」
 きっぱりと、ワイルドタイガーが言った。ネフィリムは表情を変えないが、しかしこの風の中、瞬きもせずに彼を見つめている。

「おかしいとは思ってたんだ。途中からだけどな」

 ワイルドタイガーは、一歩進み出て言った。
 事件の始まりである、ホワイトアンジェラの狙撃。後々利用価値があるからかもしれないが、彼女は完璧なヘッドショットであるにもかかわらず、命に別状はなかった。
 誘拐された市民はケアがされ、命どころか健康にも異常がない。
 ジェスティスタワーを占拠してはいるが、おあつらえ向きに揃っていた重役たちを人質を取ったりもせず、職員たちも軽く拘束したのがせいぜい。
 更には街をあれだけアンドロイドが壊して回っても、軽微な怪我人は大勢いるが、重症の市民はいない。折紙サイクロンの能力を使って市民に擬態し、避難所まで潜り込んだアンドロイドもいたが、どれもぼうっとしているだけで何もしなかった。なぜなら──

「どのアンドロイドも、街を壊そうとはするけど人間には目もくれねえ。攻撃されりゃ反撃する──ようにも見えるけど、実際は攻撃を防いでるだけだ。……放っとくわけにもいかねえんで、詳しく試したことはねえけどよ」

 実質、怪我をした市民は壊された街の瓦礫などで怪我をした者ばかりで、直接アンドロイドに傷つけられたという者は皆無だった。
 そしてアンドロイドに搭載された能力は、ヒーローのものと、殺人を犯していない犯罪者、ヴィランとして社会復帰が可能な者の能力のみ。
「もっとえげつない能力、いっぱいあるだろ。それこそお前の能力をアンドロイドにコピーして街に放てば、相当のことになるはずだ。お前の能力で大勢殺せば、それはお前にとっていいことのはずだろ? なのにそうしなかった。だったら答えはひとつだろ」
 風が吹き、ネフィリムの顔を長い黒髪が覆い隠した。

「レベッカが言ってたってよ。あんたはすごく優しくて、聖女様みたいな人だって。ひどいことしないでくれって、泣いて言ってたって。なあ、あのくらいの年の女の子ってな、見る目があるからなあ。なんでも見抜かれちまうんだぜ」

 少しおどけた身振りを交えつつ、ワイルドタイガーはあえて気安い調子で言った。

「最初はなんか企んでるのかとか、他に目的があるのかとも思ったけどよ。……今、お前の話を聞いて確信したよ。お前は本当は、誰も殺したくなんかなかったんだ」

 そうだろう? と、ワイルドタイガーは真剣な声で、血のように赤い夕焼けの光に身を染める女性に問いかけた。






[アンドロイドの運用については、私はほとんど関与していない]

 もちろん技術や資金を提供したのは私だけれどね、とルシフェルは続けた。
[全てネフィリムの指示だよ。アンドロイドにコピーする能力を決めたのも、全て彼女だ。まあついでに、市民からエネルギーを集めるために拉致作業をしてもらったりはしたが。協力する代わりのお使いみたいなものさ]
「目的は?」
 端的に、ライアンは質問した。
[彼女は街を壊したかった]
「街を……?」
[そう。でも彼女は誰も殺さないように、いや傷つけないようにということばかり常に気を配っていたよ。あれだけ同類を殺しているのに、本当に、なぜだろうね? 街を壊したいのに、人は傷つけたくない。どうしてだと思う?]
 ルシフェルは、どこか自慢するように言う。
[なぜならね。彼女は正真正銘聖女様なのさ、ヒーロー]

 だからこそ私も星に連れて行く者として選んだ、とルシフェルは言う。

[罪を憎んで人を憎まず。あれほどひどい目に遭っていて、それでも彼女は人を憎まなかった。彼女は常に隣人を愛し、どれほど自分が辛くとも他人に手を差し伸べ、困っている人を助け続けてきた。ただ──]

 ただ彼女は、殺す以外の救いの手を知らない。
 なぜなら彼女は、どれほど困っていても、助けを求めたことがない。助けを求めるということがどういうことなのか、それすら知らない。そして実際に、助けてもらったこともない。彼女にあるのは生きるか死ぬかですらなく、殺すか殺されるかという価値観だけなのだ。

[0や1、キュービットでも示せない。エラーで出来た聖女様、それが彼女だ]

 天使を名乗る存在は、そう断言した。
 彼女にとって慈悲とは殺すことであり、贖罪とは死ぬことであり、しかしそのくせ、同時に人を憎めない。どちらにしても悩み、苦しみ、罪悪感に嘆くことになる。
 つまり彼女はもうとっくに壊れていて、のだと。

[私も興味があるよ。悪者をやっつけて困っている人を助けるのがヒーローだというなら、──散々痛めつけられて壊れてしまった、殺し殺されることしか知らない可愛そうな聖女様を、君たちがどう扱うのか]






「……やはり、見抜かれてしまうのですね」

 街が夕日で赤く染まる中、ネフィリムは、小さく呟いた。
「罪人として裁かれるには、罪もないひとを殺さなければならない。それがこの星の決まりです。知っている、知っているのです。それなのに、私は浅ましくもそれを欺こうとした」
「ネフィリム?」
 真っ暗な目は、もうどこも見ていない。ぼそぼそと言葉を紡ぐネフィリムに、バーナビーが訝しげに呼ぶ。しかし彼女は反応せず、ただ両目から涙を流すだけ。
 真っ赤な光に照らされた涙は、血のように見えた。

「ヒーロー、天使のような方。星の街のヒーロー。輝けるひと。あなたはお見通しなのですね、ああ、やはり」

 日が沈む。赤い光が消えていき、闇が街を飲み込み始める。
 両手で自分の頭を抱えたネフィリムは、長い黒髪を振り乱した。

「……ごめんなさい。ごめんなさい。私は殺されなければいけません、生まれてきてはいけなかった、生まれてきてごめんなさい、ごめんなさい、生きていてごめんなさい、嘘もついたの、嘘をついたらいけない、嘘をついたらおとうさんにおこられる、それなのにそれなのに」
「ネフィリム!」
「でももう誰もいないの、ネフィリムはいない、もういない、優しい人は誰もいないのです、殺してくれる人はもういない、おひめさま、私ひとり、ひとりです、おとうさんごめんなさい、どうしてひとりなのですか、さいごまで、わたしはさいごまでひとりで、ひとりだけれど、」
 涙を流すその瞳が、青白く光った。


「──こ ろ さ な け れ ば 」


 決して大声ではない、しかし確かな慟哭。それと同時に、女神像が揺れた。

「状態変化能力!?」
「げっ、まさかジャスティスタワーごと溶け──」
「足場を、……いえ、これは……違う! この能力は!」

 はっとして、バーナビーは周囲を見渡した。暗くなり始めた空。シュテルンビルトで最も高いジャスティスタワーの頂上ならば、並び立つ障害物はなにもないはずだ。
 しかし周囲には数え切れないほどの何かが浮き上がり、まるで宇宙空間のデブリのような様相になっていた。漂うのは、へしゃげた車、瓦礫、壊れたドローン、そして黒い骨と無数の頭蓋。

「な、なんだこれ!? 何の破片、……アンドロイドの破片!?」
「ネフィリムに後付けされた能力です! これは──」



「きゃあっ、何!?」
「破片が、浮き上がって──」

 突然の不可解な現象に、ブルーローズとドラゴンキッドが警戒する。
 アンドロイドたちをほぼ片付け終わった彼らは、全員、町の中央にあるジャスティスタワーを見上げた。太陽が沈んだ星の街、いつものライトアップがされていないはずの女神像の頂上は今、青白い強い光が放たれていた。

「あれは──」



 夜と星を呼び始めた空に、涙を流す青白い目が光る。

「ああ、天使、天使様、殺します、殺します、たくさん殺します、ですからどうか」
「ネフィリム、よせ! だぁっ!!」
「虎徹さん!!」

 ワイルドタイガーが走り寄ったが、飛んできた瓦礫にぶつかられて勢いよく転げる。女神の頭の上から落ちそうになった相棒を、バーナビーが慌てて掴んで事なきを得た。
「くっ、……ヘリ!! まだ飛んでいるなら今すぐ退避して、できるだけ遠くに!!」
「う、うわあああああ!!」
 バーナビーの通信も虚しく、たくましく中継を続けるマリオらOBCスタッフの乗っていたヘリが、ネフィリムのほうに引き寄せられていく。
「任せたまえ! こちらに!!」
 すぐにスカイハイが文字通り飛んできて、マリオたちを救い出す。

「な、何だあれ……」

 ロックバイソンが、呆然と呟く。
「おそらく、ヴィルギル・ディングフェルダー……、否、アンドリュー・スコットの能力でござる! 金属類や機械を引きつけ、さながら巨大な生き物のように……し、しかし、あれは」
 そう言った折紙サイクロンもまた、あまりの光景に言葉をなくしつつあった。

「こ、これは──」

 スカイハイの風で空中に浮かばされたマリオが、逆さになりながらもマイクを離さず呟く。

 白い女神像が、欠けている──のではない。
 夜の闇に溶けるような真っ黒なものが、女神像にはりついているのだ。それはへしゃげた車、街の瓦礫、ヘリ、そして600を超えるアンドロイドの残骸でできた、女神像を凌ぐ大きさの巨大な黒い骸骨。
 女神像の頂上にいるバーナビーは、巨大な髑髏を見上げる。真っ暗な底なしの穴のような眼窩が、街中を見下ろしている。

「……巨人、ネフィリム……!!」

 堕天使と人間の間に生まれ、地上の食物を食い荒らした挙げ句共食いをして絶滅した、哀れで愚かな巨人たち。
 生まれてきてはいけなかったものの代名詞とされることもある、聖書に記された禁忌の巨人。バーナビーは、改めてその名を呟いた。

《殺す、殺されるから、殺す、殺して、殺せば、殺して、全部、ぜんぶ》

 黒い骸骨、禁忌の巨人。ネフィリムが、白い女神に縋り付く。
 それは許しを請うようであり、飢えに喘ぐようであり、母を求める幼子のようでもあった。骨と化した巨大な手が女神の翼を粉砕し、一番星が輝く天空に伸ばされる。


《──殺せぇええええええアアアアアアア!!》


 共食いを求める絶叫が、星の街に響き渡った。
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BY 餡子郎
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