#180
「え? お前、これ聞こえんの?」

 むっと口元を曲げて警戒心あらわな顔をしているホワイトアンジェラに、ライアンは尋ねた。

「なにがですか?」
[聞こえるはずかない。私の声は、君にしか聞こえないものだよ]
「いやだから、この声……」
「声? これは声なのですか?」
「……どういう風に聞こえてんだ?」
「何か……テレビがついている時の電気の音のような……、あっ、電子レンジをつけた時のような感じです! 頭がイーッとなります! とても不快です!」
「まんまモスキート音かよ」
「蚊なのですか!?」
[……失礼だな]
 むすっとしたルシフェルの声は、やはり彼女にはっきり聞こえているわけではないらしい。しかし「今なにか言いましたね!」とすぐに叫んだところからして、何か言ったということ自体は聞き取れているのは確実だった。

[ふん、……天使の遺伝子のせいで、ちょっと耳が良いだけのことさ。犬が犬笛を聞き取れるのと変わらない]
「いま、何か悪口を言われた気がします!」
「割とわかってんじゃねえ?」
 すぐさま反応してまたヴーと唸り声を上げた彼女に、ライアンはやや毒気を抜かれた様子で言う。ルシフェルは無言だった。どうも機嫌を損ねたらしい。
 しかしライアンとしては、誰にも相談しにくい緊迫した状況で彼女がこうしてわんわん吠えてきたことでいくらかホッとし、いい意味で緊張を緩めることが出来ていた。ホラー映画でも犬が吠えると妙に安心するよな、という呑気なことまで思い浮かぶほどには。

「斎藤さんの声が聞こえんのもスゲーけど、耳の良さのレベルがやべーなおまえ」
「ライアン、これは誰ですか!? しゃべる蚊ですか!?」
「なんだその全然嬉しくねえメルヘン」
「蚊ではない!? ではまさか、……お、おおおおおおおばけ!? おばけではないですよね!? おばけ!? まさか!?」
 青くなってしがみついてきた彼女に、ライアンは「あー」と言いながら目を逸らした。
「どうなんだろうなあ。オバケっちゃオバケに近いような気もするけど」
[君までなんて言い草だ。ひどいじゃないか]
「おばっ!? ほ、ほんとうにおばけですか!? おばけなのですか!? 蚊のおばけですか!? 最悪です! 殺虫剤はどこですか!」
 急に大騒ぎをし始めたホワイトアンジェラに、アークたちや周りにいる人々がなんだなんだと注目し始める。ライアンの様子を怪しんで報告したからか責任感を感じているらしいチョップマンが、「あの、消臭スプレーならありますけど……」と律儀にボトルを持ってきた。
「そういや、消臭スプレーで除霊ができるとか聞いたことありますね。ネットで」
 近くにいた医療スタッフが、余計なことを言った。

「本当ですか!? あるだけ持ってきてください!!」
「いや持ってくんな、オバケっていうかそういうのでどうにかなるやつじゃ」
[私はお化けなどではない!]
「おばキェアアアアアアアア!!」
「うるっせえええええ!!」

 頭の中と耳からとどちらもで叫ばれ、ライアンが頭を抱えて怒鳴る。
 ホワイトアンジェラが手当たり次第に撒き散らしたスプレー消臭剤のフローラルな香りが、辺りに間抜けに拡散された。

[……これだからこの子は嫌なんだ。完璧な赤毛だからこれぞミュトスかと思ったのに、実際は目も当てられないほどバグだらけでまったく使い物にならない]
 うんざりしたような声のルシフェルに、ライアンが顔を上げる。
「なに? 赤毛が何だって?」
「また悪口を言いましたね! お、おおおおばけめ! おばけ! おばけは帰ってください!! かーえーれ!! かーえーれー!!」
 シュッシュッシュッシュッ! とホワイトアンジェラが消臭剤を激しく撒き散らす。

「ライアンから離れてください! 蚊のおばけめ!!」
「落ち着け。多分フツーにNEXTだから」
「蚊のおばけNEXT!?」
「なんで全部足した? 何だよ蚊のオバケNEXTって」
[……もういい]

 イライラした声が、低く響いた。

[最初から無駄話などせず、こうすれば良かった]
「おい……」
[……“ゴールデンライアン。ライアン・ゴールドスミス”]
 奇妙な揺らぎ。頭の隙間に入り込むような、感じたことのない場所が痛む変わった頭痛のような刺激に、ライアンが顔を歪める。
「ライアン!? どうしましたか!? 痛いのですか!? 怪我ですか!?」
 自らの額を押さえたライアンを、ホワイトアンジェラが心配そうに支えようとする。フン、とバカにしたような声が響いた気がして、ホワイトアンジェラは虚空を強く睨んだ。


[──“私と共に、星へ行くのだ”]


 指の間から覗いたライアンの金色の目が、水色に輝いた。










「──骸骨は、火葬がお似合いよッ!!」

 炎を吐いていたアンドロイドを、ファイヤーエンブレムの更なる炎が包み込む。真っ赤な炎に包まれた骸骨のシルエットは、わずか数秒で地に伏し、そのまま動かなくなった。
「ううン、今までまったく攻撃が効かなかったから爽快だわぁ〜!」
「同感!」
 そう言って、ブルーローズがこちらも周囲を凍りつかせていたアンドロイドを氷解で包み込む。そのままヒールで氷を踏み蹴って崩すと、氷ごと黒い骸骨がばらばらになる。
「そっちにボクの能力のやつ、いない!? ──サァーッ!!」
 ドラゴンキッドがバリバリと放った電撃で、シュウと煙を立てて動かなくなるアンドロイド。

 この調子で、ヒーローたちは今までよりも段違いのスピードでアンドロイドを片付けていた。その度にじゃんじゃんポイントが入り、もはやいまだかつてないポイントのインフレが起こってもいた。

「ああ、私達の能力を持ったアンドロイドはもう物の数ではないと見ていいだろう。──しかし!」
 空に漂うアンドロイドたちを片付けているスカイハイが、崩れた瓦礫を風で浮かし、郊外に出ようとしているアンドロイドにぶつける。
 しかし別の能力がコピーされているアンドロイドは大したダメージも受けず、少し吹っ飛んだだけですぐに起き上がり、また周りのものを壊しながら進んでいこうとする。

「拙者たちの能力をコピーしたアンドロイドは、おそらく全体の半分以下! 他は全て、受刑者たちのものでござる……!」
 折紙サイクロンが、息を整えながら言う。
 ちなみに擬態という能力ゆえ、彼にしかわからない擬態中のアンドロイドを倒すのは、すなわち他から見れば市民にいきなり斬りかかっているようにしか見えず、不本意に市民らから引かれてしまい彼は密かに落ち込んでいた。
「確かに、このままじゃジリ貧だぜ!? どうするよ!?」
 ロックバイソンが、不安そうに叫ぶ。

 最初に誰かと入れ替わるだけであるがゆえ、実質能力なしと言ってもいい所在転換のアンドロイドだけでもあれほど苦労したというのに、他の受刑者の能力持ちのアンドロイドは、更に厄介だ。
 例えばカーシャ・グラハムの分身能力は全体の総数をわからなくさせる上に攻撃が空振りにされるし、リチャード・マックスやブライアン・ヴァイの衝撃波は範囲が広くて防ぎようがなく、市民を連れて遠くまで逃げるしかない。

「だが、止めるしかない! スカァーイッ……」
「──ハァーイ、ってか?」

 風をぶつけようとしたアンドロイドが突然ぱっと消えてしまい、本日何度目かの不発に陥る羽目になったスカイハイは、空中で器用にたたらを踏む。
「なっ、……君は!」
「ようキング。さっきぶり」
 そしてつい今までアンドロイドがいた場所に立ってひらひらと手を振っているのは、スカイハイにとってつい先程ビルの上で会った、色付きのメガネをかけたスーツ姿の細身の男。

「え? あの人、──アスクレピオス支部長の秘書!?」

 ブルーローズが、驚きで高くなった声で言う。
「こんな所でなにやってるの!? 危ないよ!」
 早く避難して、とドラゴンキッドが叫んで彼に駆け寄ろうとしたその時、がしゃん、と音がした。彼が立っている所から10メートル程度の所で、アンドロイドが崩折れて動かなくなっている。

「おーおー、ほんとにダメんなってら。いい気味」

 けらけらと軽薄な笑い声を出しながら、彼は動かなくなったアンドロイドの側までなめらかに滑っていった。──そう、滑っていった。
 彼の足元は細身のスーツに似合う革靴ではなく、目に刺さる鮮やかな蛍光カラーのインライン・スケートシューズであった。

「よーう、ヒーローさんたち。お久しぶり? まあチョイチョイ顔はあわせてたよな、全然気付かれなかったけど。俺ってば有能だからァ、変装もイケちゃう感じ?」

 アスクレピオスホールディングスシュテルンビルト支部長、ダニエル・クラークの秘書。謎めいた素性を明らかにしない男。
 トーマス・ベンジャミン。どちらも名前のような、どちらも名字のような、──わからないようなその名前を名乗っていた彼のその正体を今、全員が察した。

「お前、──ロビン・バクスター!!」
「ピンポンピンポンピンポーン! だぁーいせぇーいかぁ〜い!!」

 叫んだ折紙サイクロンに、彼はけらけらと笑って言う。
 いち社員を装っていたときとはまるで違う、そしてかつてヒーローたちをおちょくり倒した時の彼とまったく同じふざけた口調を使いながら、彼はスイと地面を滑った。

「つっても、ゴールデンライアンには割と早々に気付かれてたんだけどな。いっかい顔見りゃ絶対わかるって、ほーんっと可愛くねーの、あの兄ちゃん。おバカなワンコちゃんと違って」
「……なるほど。エドワードが言っていたヴィラン認定第1号とは、そなたのことでござったか」
「そーゆーこと」
 細い顎に対して妙に大きな口をにっと広げて、ロビンは折紙サイクロンに応えた。

 ヴィランズ法案実現に向け、認可前に実験として数名の受刑者を仮の“ヴィラン”認定し、一部の機関のみへの通知で保護観察下労働させ、本決議に向けて様子を見るという試みが用いられた。
 そして世界いち人道的な刑務所、ということで何度か賞も受賞しているハルディ刑務所を運営するアスクレピオスがそのテストケースに立候補し、実際にヴィランとして採用されたのが、数々の事件を起こしながらも捕まったのはバーナビーによるたったの1回だけ、しかもいちどたりとも殺人を犯していないという特異な経歴、ならぬ刑歴を持つ彼、ロビン・バクスターであったのだ。
 スリルを求めた果てに世界中の宝を掠め盗る怪盗になった彼は、ダニエル・クラークのもとで秘書として働いた。最初は単に脱獄のチャンスとしか捉えていなかったが、ダニエルを通じて知った星の民、剣の民、杖の民という世界の裏側の秘密を知った彼は、今までのなによりもスリリングで特別な世界を気に入り、そのままここにいるというわけだ。

「感謝しろよォ? 俺が今日までイイコにしてたおかげで実績ができて、今回の許可が降りたんだからな」
「許可だあ?」

 両手を掲げて肩をすくめる彼に、ロックバイソンが怪訝な声を出す。
 その時、ぶわっ、と空気が震えた。


 ──ウウううぅおおおおお……!!


「きゃあっ!」
「こ、これは……!」

 内蔵を全て揺らされるような音──いや声に、ヒーローたちが各々耳を押さえる。ロビンはいつの間に持っていたのか、ちゃっかりとイヤーマフ付きのヘルメットを装着して難を逃れていた。
 しかし同時に、何体かのアンドロイドがその場で活動を停止して崩れ落ちるのも見える。

「……あ。す、すまねえ」
「まあしょうがないわよねえ、音だもの」
「致し方ない」

 そんな声に皆が顔を上げれば、轟音を上げて降りてくるヘリコプター。
 アスクレピオスのマークとハルディ刑務所のロゴの描かれた機体、その奥に積まれたコンテナから降りてきたのは、見覚えのある3人のシルエットだった。
 元ボクサーチャンプである巨体をやや申し訳なさそうに丸めているのは、声を衝撃波として発することができるNEXT能力者、リチャード・マックス。浅黒い肌の抜群のスタイルにくっきりした顔立ちの美女は、分身能力を持つカーシャ・グラハム。そして特徴的な頭の形をした長い髭の老人は、ヴィジョン・クエストという夢を見せる能力者であるジョニー・ウォン。

 言わずもがな、今回の事件でその能力を使われた受刑者たちである。
 3人とも、揃いの──いやヴィランとしての共通装備なのだろう、エドワードが纏っていたものと同じ素材でありつつ能力に合わせてデザインの異なる衣装を身に着けていた。そして首にもまた、エドワードと同じ逃走防止用の特殊な首枷が嵌められている。

《な……な……》

 震えたマリオの声が、上空を旋回するOBCの取材ヘリから響く。

《なんっということでしょーうッ!! なんとここでヴィランズが4人も投入されました! 内部調査のためにエドワード・ケディが認可後初の正式ヴィランズとして協力したという情報は入っておりましたが、こんなにも早くテレビカメラの前でヴィランズがお目見えだーッ!! あっ、ここで市長からのコメントが届いております》

 アニエスからの指示とともに、マリオが画面とともに素早くテンションを切り替える。スイッチャーのメアリーによって、HERO TVの画面がどこかおどおどとした市長の顔になった。

《えー、いきなりのヴィランズの採用、市民の皆様はたいへん驚いたかと思います。しかしこの緊急事態において、大胆でもシュテルンビルトの今後の独立的存続を考慮した英断だと──》
《なるほどありがとうございました市長! さあーッ風向きが変わってまいりました! オリジナルの能力者にとっては紙人形同然のアンドロイド! こうなっては全滅必須!》
「ええ、そういうこと!」
 そう言ったカーシャが優美な動きで両腕を振り上げると、青白い動きとともに彼女の姿が一気に増える。そしてそれぞれが持った円盤型のチャクラムを投げ、あちこちでうろつくアンドロイドの首を確実に捕らえた。
《おおっ、一気に!》
 チャクラムが直撃したアンドロイドのほとんどは分身であったため姿をかき消し、そして何体かの実態がそのまま首を跳ね飛ばされて動かなくなる。分身によってかさ増しされて街を埋め尽くすようだったアンドロイドが一気にいなくなると、ぐっと視界が良くなった。

「ふむ、私の能力はアンドロイドには搭載されていない様子。どこまでお役に立てるかわかりませんが──」

 ジョニーが洗練された構えを披露し、近くにいたアンドロイドを蹴り飛ばす。
 アンドロイドにダメージはないが、ロビンの能力を持っていたそれは近くにいたロビンが所在転換をかけると、あっという間に動かなくなった。
「手伝いくらいは出来ましょう」
「……正直、ちょっと複雑だけど……」
 ドラゴンキッドが、ジョニーと並んで棍を構える。
「君たちの強さは知ってる。──協力して!」
「ええ。功夫は欠かしておりませんとも」
「ボクもだよ!」
 目を合わせないまま、この場の最年長と最年少が飛び出していく。
 彼らに倣い、他の面々もそれぞれ自分の能力を持ったアンドロイドを見つけるために街に散らばっていった。

《ヒーローとヴィランズが、次々に骸骨アンドロイドたちを殲滅していきます! 残るは──はっ!? すみません、ここで市民の皆様に協力の要請、いえ避難? 予防? と、とにかく指示に従ってくださぁあああい!!》

 マリオが何度も繰り返して告げたのは、市民全員、イヤホンでHERO TVを聴くこと。
 ヒーローたちにも上空ヘリからワイヤレスイヤホンが配られ、全員驚きつつもおっかなびっくりそれを装着した。

《外の生音が聞こえるような方は、特に! なるべく爆音、他の音が聞こえないようにとのことです! こ、これは、これは凄いものが聴けるかもしれません! じ、じじじ実は私も昔から大ファンで、これは、これは──!!》
《そりゃ嬉しいねえ》

 笑い混じりの男の声。OBCのヘリにマリオと同乗しているオーランドのカメラが捉えたのは、アポロンメディアのビルの頂上、グリフォン像の上に立っている長髪の男の姿だった。
 鋲やチェーンの装飾がついた派手なジャケットに、ベルトだらけのレザーブーツ。そして何より彼が抱えているのは、鋭角に尖った変形エレキギターである。

《伝説のギタリスト、──ブライアン・ヴァァアアアアアアイッ!!》

 大胆なピック・スクラッチ。
 クールなサウンドが、シュテルンビルト中に響き渡った。しかもそれにより、アポロンメディアのビルによじ登っていた数体のアンドロイドが頭蓋の中から僅かな煙を上げて落ちていく。

《アンドロイドには彼の能力、“ギターの音を強力な破壊音波に変える”という能力がコピーされています! それを原因に一時は音楽シーンから姿を消し、その後事件関与によって逮捕までに至った彼ですが、──しかし収監中の数々の検証の結果、スピーカーやラジオ、TVなどを介せば、つまり生音でなければそれはただの最高のサウンドにしかならないと判明! そしてこの度ッ! この伝説のロック・ギタリストが、ヴィランズとして、今再びこのシュテルンビルトに戻ってきましたあああああ!!》

 ドアを開けたヘリの縁に片足をかけたマリオが、若干涙目になりながら、しかしノリノリで叫ぶ。

《それでは皆さん、ここでHERO TVがお送りするブライアン・ヴァイのスペシャルライブをお楽しみ下さーい! フゥウウウ!!》

 完全に素でテンションを上げているマリオに、よっぽどファンなんすねマリオさん、とカメラマンのオーランドが小声で言って苦笑した。

「釈放目前で、こんなド派手なステージでライブとはなあ。ロックじゃねえか」

 グリフォンの翼の間に立ったブライアンは、愛用のギターをかき鳴らしながら呟き、口の端ににやりと笑みを浮かべる。
「借りを返すぜ、ヒーロー。……ワイルドタイガー! 聴いてるか!?」
 ただ無機質にギターの音を鳴らしていたアンドロイドとは比べるべくもない、誰にも真似できないテクニック、変化と抑揚に溢れた、挑戦的な表現力。それが奏でる唯一無二のサウンド。
 盛り上がっていくメロディに、シュテルンビルト中の市民たちが歓声を上げる。

「いくぜ? シュテルンビルト。──THE LIVE!!」

 爽快で力強いサウンドが、星の街に響き渡った。










「……楽しそう……」

 女神像の上から街を見下ろすネフィリムは、ぽつりと呟いた。
 ギターの音はここまで僅かに聞こえてくるが、随分薄れた音は破壊音波としての力はもうない。勢いをなくしたメロディはどこか優しくも感じられ、ネフィリムはぬいぐるみに顔を埋めた。
 メロディの合間からは、市民たちの歓声。アンドロイド、黒い骸骨、街を壊す歓迎されないものをやっつけるヒーローたちを称える、盛大な声が風に乗って聞こえてくる。

 ──やれ、いいぞ! 悪者をやっつけろ、ヒーロー!

 嬉々としたその声に、盛り上げるような音楽に、ネフィリムは声を殺して唇を噛む。
 ヴィランズ。犯罪者ではあるが殺人を犯したことはなく、情状酌量の余地があり、更生の可能性を期待されてチャンスを与えられた者たち。
 市民らに受け入れられ、歓迎され、讃えられている素晴らしいメロディが聞こえる。大歓声。スポットライトの輝き。おかえりなさいブライアン、最高のサウンドだ、おかえりなさい、もっと、もっと聴かせてほしい!

「……ごめん、な、さい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 ネフィリムは、ぬいぐるみに顔を押し付けて呟き続ける。
 耐えるのだ。いつもそうしてきた。こうして耐えて、黙ってじっとして、頭を床にこすりつけて謝り続けなければ。だって自分が悪いのだ。生きているのが悪いのだ。生まれてきたのが間違いだったのだから。
 痛いのも、苦しいのも、辛いことはいつだってどうにもならない。こんな高い場所に来ても、結局自分はひとりきりだ。なぜなら悪いのは全部、何もかも自分なのだ。明るい場所に居場所はない。賑やかな場所には入れない。ここはお前の星ではない。この輝きの中にいる資格は、自分にはない!

 耐えろ、耐えろ。ひたすら我慢して、口を噤んで、静かにして、そうすれば。

 噛み締めた唇から、血が一筋流れ落ちた。










「ブライアン!? あいつか!?」
「釈放間近だとは聞いていましたが……」

 やっと最上階近くまで到着したT&Bは、HERO TVの中継から知らされた協力者たちの情報に、驚きと喜びの混じった表情を浮かべた。
「おそらく、ペトロフ管理官の提案でしょう。おそらく先程のやり取りの後、市長に許可を貰ったに違いありません。この短時間で、……相変わらず有能ですね」
「おう」
「それにしても、コピーされた能力に殺人犯のものがなくて良かった。でなければヴィランズとして派遣できませんから」
「……なあ」
「何です?」
「それって、偶然か?」
 ワイルドタイガーのその低い声に、バーナビーは怪訝な顔をした。

「……どういう意味です?」
「殺して、殺されたいんだろ。ネフィリムは」
「そう言っていましたが」
「ならなんで殺人犯の能力を使わねえんだ? あんだけのことができるルーカス・マイヤーズだったら、凶悪殺人犯に面会して能力コピーしてくるのなんか、やろうと思えばいくらでもできるだろ。なのに全員が殺人だけは犯してない犯罪者の能力ばっかりってのは、たまたまにしちゃあ出来すぎてねえか」
「……それは」

 一理ある。
 しかし事件解決、そしてこの騒動を収めるために直接関係のないことでもあった。もしそうだったからといってそれが何になるのかといえば、答えは間違いなく無意味である。

「俺は、そこを考えなきゃいけねえと思う」

 ワイルドタイガーは、メットの中の目を細めた。
「なあ、長くヒーローやってきて、俺は今回の事件がイチバンやりきれねえよ。あんな、ネフィリムみたいなやつがずっとこの街にいたことを、俺達は全然気付いてなかったんだからよ」
「……ええ、そうですね」
 バーナビーは、沈痛な声で、心からの同意を滲ませて呟いた。
 ネフィリムたちの境遇を思えば、少々のNEXT差別など温いものだと誰もが言うだろう。正論を言えば比較するようなことではないかもしれないが、ネフィリムたちが受けた仕打ちは、その時間の長さも内容も、あまりにも壮絶すぎた。

「……タイガーさん」
「ん?」
「よく、アンジェラが言っているでしょう。ヒーローというものは、悪いやつをやっつけて、困っている人を助けることだって。あれ、極論ですけど真理でもあると思うんですよね」
「だな。俺もそう思う」
 うん、とワイルドタイガーは階段を登りながら頷いた。
「……ネフィリムは、どっちなんでしょう」
「どっちって……」
「彼女をやっつけるべきか。助けるべきか」
 その言葉に、ワイルドタイガーはつい足を止め、バーナビーを振り返った。
 バーナビーもまた足を止め、ワイルドタイガーを見ている。

 壮絶な仕打ちに遭い、挙げ句同じ立場の者たちを数多殺してきたネフィリム。
 彼女はもはや救いようのない悪者なのか、それとももう、誰にも傷つけられるべきではない被害者なのか。彼女に与えられるべきは罰なのか、救いなのか、それとももっと別の何かなのか。だとしたら、それは一体何なのか。

「……アンジェラなら、“それを決めるのは裁判官さんです!”と言いそうですが」
「言いそうだな。まああいつはそれでいいさ、あいつはあいつなりに考えてサポート特化でやってるわけだし、それにまあなんかそういう奴だし。……でも、俺達はそれじゃダメだ。今回ばっかりは」
「ええ」
「考えなきゃダメだ。これは俺達の問題だ。……無関係じゃねえことだ」
「ええ」

 考えなければならない。この罪は、悲劇は、なぜ起こってしまったのか。誰が何をどうやって償い、これからどうすればいいのかを考える必要があるのだと、バディ・ヒーローは確信していた。

「正義って、なんだろうな」

 これ以上重い声はないというくらいの声で発されたワイルドタイガーのその言葉に、バーナビーは何も言うことが出来ない。
 だが、立ち止まるわけにもいかない。再度ふたりが走り出そうとしたその時、ヒーロー用の通信端末が鳴り響いた。

「誰だ? ……え、チョップマンか!? どうした!?」
《タ、タタタタイガーさぁあん! バーナビーさん! こ、これどうすれば》
「どうしました!? 落ち着いて状況を説明してください!」

 非常に慌てた様子の後輩ヒーローに、ふたりは表情を険しくして通信に応じる。
《そ、それが、それが》
 声だけでも半泣きに近いとわかる声で、チョップマンは言った。

《ライアンさんが、蚊のお化けNEXTに操られて!》
「……はい?」
《なんかどこかに行こうとしてますぅううう!!》
「……それは」

 どういうことだ? と、バディは困惑した顔を見合わせる。
 通信の向こうからは、ホワイトアンジェラの「おばああああああ!!」という絶叫と、スプレーを激しく噴射しまくるような音が聞こえた。
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ブライアン・ヴァイは、舞台版タイバニ『TIGER&BUNNY THE LIVE』のキャラクターです(*´ω`*)
DVDもBlue-rayも出てるので興味ある方はぜひ!
BY 餡子郎
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